第 5 章 新聞データに見られる「やっと」「ようやく」の相違と、
5.7.2 ジャンルによる「やっと」「ようやく」と共起する高頻度語の相違 ….81
ており、「文学」は「フォーマルでない話し言葉的」であるとし、「新聞」は「書き言葉的」
であるとしている。また、「白書」は「フォーマルで書き言葉的」、「知恵袋」は「フォーマ ルでない・話し言葉的・丁寧・客観的」と述べている。
鯨井(2012)は、BCCWJにおいて、「新聞」が「書籍」「雑誌」より改まり度が高く、「白 書」が「新聞」「雑誌」「書籍」より「書き言葉的」であると指摘している。
また、鄭・他(2009)は、「国会会議録」については、改まった場でのフォーマルな発話 でとりあげられる話題も客観性が重視されているとし、「知恵袋」については、個人が質問 を投げかけ、ある個人が回答を寄せるインターネット掲示板で、相手が不特定とはいえ、
待遇的な要素を含む場であるため、ある程度のフォーマルさが求められるとしている。ま た、「白書」について、典型的なフォーマルさを持つとし、「書籍」について、フォーマル さや客観性において特定しにくいジャンルであると述べている。
第4章のBCCWJにおけるジャンル別の出現傾向から、「やっと」は「知恵袋」「ブログ」
に多く現れ、「ようやく」は「白書」「国会会議録」「教科書」に多く現れることが分かった が、上記の先行研研究の成果により、「やっと」は話し言葉的な文章に「ようやく」は改ま った文章に現れていると言える。
このことにより、「やっと」「ようやく」に関する金(2006)と江(2009a)の内省によ る指摘が正しかったことが分かった。しかしながら、文の伝達機能により「ブログ」の文 体に少々差があることや「知恵袋」は質問と返答の形式で話し手の意識を考え、書き込む 形式であること、「国会会議録」は話し言葉的であるが、書き言葉に変え記述されたことを 考える5と、これらの三つのジャンルについては、より詳細な検討が必要であろうが本研究 ではこれ以上触れない。
以上、本研究によりジャンルごとの出現傾向と、「会話文」と「地の文」における出現傾 向から文体の差が明らかになった。
表5-8 ジャンルごとにおける両副詞と共起する高頻度語
『毎日』 『文学』
順位 やっと ようやく やっと ようやく
1 する
50(12.5%)
する 149(21.8%)
する 155(10.2%)
する 271(11.9%)
2 できる
41(10.3%)
なる 53(7.7%)
なる 103(6.8%)
なる 156(6.8%)
3 なる
35(8.8%)
できる 27(3.9%)
分かる 80(5.3%)
できる 95(4.2%)
4 見つける 30(5.0%)
出る 15(2.2%)
できる 66(4.3%)
開く 69(3.0%)
5 来る
18(4.5%)
始まる 15(2.2%)
出る 51(3.4%)
分かる 68(3.0%)
表 5-8 から、『毎日』『文学』では、両副詞と共起する共通の高頻度語は 1位が「する」
である。各ジャンルにおいて順位はやや異なっているものの、両副詞と共起する高頻度語 は、『毎日』では「する」「なる」「できる」、『文学』では「する」「なる」「できる」「分か る」である。
ここで、両ジャンルで両副詞と共起する共通の述語「する」「なる」「できる」の出現比 率を合わせると、『毎日』では「やっと」が31.6%、「ようやく」が33.4%であり、『文学』
では「やっと」が26.6%、「ようやく」が22.9%である。このことから、少ない語彙がやや 高い頻度で用いられているのは、『文学』より『毎日』であることが分かった。
さらに、「やっと」「ようやく」と共起する述語のうち「出る」を取り上げ、検討した結 果、『毎日』では、「やっと」は事態の成立を強調する「結局」「~の末」という最終段階を 表す表現と共起しやすく、「ようやく」は(有標の)アスペクト形式「~し始める」との共 起があることが分かった。
5.7.3 ジャンルによる「やっと」「ようやく」の「独自の語」の相違
5.7.3.1 ジャンルによる「独自の語」の出現傾向
ここでは、『毎日』と『文学』における「やっと」「ようやく」の「独自の語」について 比較する。
まず、『毎日』における両副詞の「(使用)範囲・度数分布表」と『文学』における両副 詞の「(使用)範囲・度数分布表」における各頻度層の見出し語の出現比率を見る。以下の 表5-9は、ジャンルごとに「(使用)範囲・度数分布表」での見出し語の出現比率をまとめ たものである。
表5-9 「(使用)範囲・度数分布表」の見出し語の出現比率6 副詞 高頻度 中頻度 低頻度 合計
『毎日』 やっと 13.5% 24.8% 61.7% 100.0%
ようやく 12.6% 27.9% 59.5% 100.0%
『文学』 やっと 8.1% 37.3% 54.6% 100.0%
ようやく 8.0% 35.8% 56.1% 100.0%
表5-9から、やや相違が見られたのは、『毎日』において「やっと」の「低頻度」の見出 し語の出現比率が61.7%、「ようやく」が59.5%、『文学』において「やっと」の「低頻度」
の見出しの出現比率が54.6%、「ようやく」が56.1%である。
伊藤(2008:p.121)が述べている「頻度 1 の見出し語は語彙量の 50%前後を占めるの が普通である」ことを考えると、両副詞は『毎日』における「低頻度」の見出し語の出現 比率が『文学』よりやや高いことから、「低頻度」の見出し語は多様な述語と共起している ことが言えよう。この「低頻度」の見出し語の出現比率については、以降の第 7 章と第 9 章の結果と合わせ、第10章で述べる。
次に、以下の表5-10と表5-11は、『毎日』での「やっと」「ようやく」の「(使用)範囲・
度数分布表」からの「独自の語」と、『文学』での「やっと」「ようやく」の「(使用)範囲・
度数分布表」からの「独自の語」をジャンルごとにまとめたものである。
表5-10 「やっと」の「独自の語」の出現頻度
『分類語彙表』における部門
ジャンル 抽象的関係 人間活動 自然現象 合計
『毎日』 14 16 0 30
『文学』 11 16 1 28
合計 25 32 1 58
表5-11 「ようやく」の「独自の語」の出現頻度
『分類語彙表』における部門
ジャンル 抽象的関係 人間活動 自然現象 合計
『毎日』 38 23 2 63
『文学』 95 51 11 157 合計 133 74 13 220
6 表5-9は、『毎日』については第5章5.5の表5-3と表5-4から、『文学』については第4章4.5の表4-4 と表4-5からまとめ、作成した。
表5-10と表5-11から、『毎日』と『文学』という異なるジャンルにおいて(「やっと」の
「独自の語」は参考程度の合計しか現れないが)、「ようやく」は幅広い意味に使われてい ることが分かる。これらの出現頻度に差があるかカイ二乗検定を用いて検定した結果、表 5-10 の「やっと」は有意差が認められなかった(χ2=1.2925、p=0.52 p>0.05)。また表 5-11の「ようやく」も有意差が認められなかった(χ2=1.334、p=0.5133 p>0.05)。「よう やく」の「独自の語」は、『毎日』より『文学』に多く現れると言える。
次に、ジャンルごとに、「やっと」「ようやく」の「独自の語」は、どのような意味分布 があるのか比較する。
下記の表5-12は、ジャンルごとに「やっと」「ようやく」の「独自の語」の出現比率に ついて、『分類語彙表』の部門別に示したものである。また、表5-13は、表5-12における ジャンルごとに現れる「やっと」「ようやく」の出現比率について、両副詞間に比較し、出 現比率が高い部門に「○」を付けたものである。
表5-12 ジャンル別の「独自の語」の出現比率
ジャンル 副詞 抽象的関係 人間活動 自然現象 合計
『毎日』 やっと 46.7% 53.3% 0.0% 100.0%
ようやく 60.3% 36.5% 3.2% 100.0%
『文学』 やっと 39.3% 57.1% 3.6% 100.0%
ようやく 64.3% 28.7% 7.0% 100.0%
表5-13 ジャンル別の「独自の語」の意味分布
ジャンル 副詞 抽象的関係 人間活動 自然現象
『毎日』 やっと ○
ようやく ○ ○
『文学』 やっと ○
ようやく ○ ○
(「○」記号は、「やっと」「ようやく」のうち、分布の多い方である。)
表5-13から、「○」が付いた部門は『毎日』『文学』というジャンルに違いはないことが 分かる。また、「抽象的関係」「自然現象」部門では「ようやく」の方が「やっと」より多 く現れ、「人間活動」部門では「やっと」の方が「ようやく」より多く現れることが分かる。
意味分布の傾向から、両副詞の「独自の語」は、ジャンルによる違いはなく、現れる部門 において一定の傾向があることが明らかになった。
5.7.3.2 ジャンルによる「独自の語」の意味分布
ここでは、ジャンルによる「やっと」「ようやく」の「独自の語」の特徴について、副詞 別に述べる。
まず、「やっと」の「独自の語」は、「抽象的関係」部門において、『毎日』では連続して いる事態が成立し、その進行過程の意味が含まれている。『文学』では入りにくい所に入れ たことを表す時に現れるが、事態の成立に大変さと厳しさが感じられ、実際の空間への移 動であるが、そこから意味が拡張され、抽象的な空間への移動を表すものが現れた。また、
話し手の感情を表すものが現れるが、感情や感覚の成立も空間的に外側に広がったり、は っきり感じられた感覚から薄くなっていったりするなど空間的に遠くなっていくことを表 わしている。
次に、「人間活動」部門において、『毎日』では「独自の語」が持つ語の意味により人の 感情や思考を表しており、また、人の行為による成果を表している。
『文学』では主体が意志を持ち制御できない人の状態の変化を表し、人のある行動が相 手の状態に影響を与えることが現れた。
さらに、「自然現象」部門において、『文学』では目に見える身体上の状態の変化を表し ている。例えば、はっきり見られた注射の跡が薄れていく、遠くなっていくなどで上記の
「抽象的関係」と同様の解釈ができると思われる。『毎日』では「独自の語」が現れなかっ た。
また、「ようやく」の「独自の語」についてジャンルごとに比較する。
まず、「抽象的関係」部門において、『毎日』では散らばっていた事態が一つの所に集ま ったり、遠く離れていたものが接近してきたりして成立するものが現れた。また、事態に 何かが付け加わったり、その量が増えたりするものが見られた。さらに、人の感情などが ある抽象的なレベルに達したり、近づいたり、ある抽象的な状況から出たりすることを表 している(面白い結果として、「やっと」はある過程を経て具体的な所への移動を表してい るが、「ようやく」は抽象的な移動を表しているものが現れた)。
『文学』では「やっと」と相反した結果が見られ、「独自の語」と係る補語(予感、考え、
実感、悲しみと絶望感、自尊心など)によって感情と思考を表しており、外に散らばって いた考えが内側にまとまることを表わしている。また、自分に起きないことだと遠く思っ ていた考えが実感として近く迫ってくるものが見られた。さらに、悲しみと絶望感から出 たことで心を空間に例え、移動的に捉えられる。また、満たされなかった自尊心が満たさ れることを、空間に例えた心が満ちることを表わしている。
また、「人間活動」部門において、『毎日』では「独自の語」と係る補語との結合により 人の感情・思考を表しており、また、人の行為による状況の変化を表している用例が見ら れた。さらに、時間の経過を表す表現との共起が見られた。『文学』では主体が意志を持ち、
制御できる人の感情や思考を表している。両ジャンルにおいて「独自の語」と係る補語に より人の感情や思考を表す点が共通している。また、人の発言行為により、相手に影響を