(max
5 アジア諸国の均衡為替レート ∗
5-1 . はじめに
90年初頭のバブル崩壊から、日本経済は長期の低迷を続けた。その原因に関しては、
バブル期における銀行業の過剰な貸し付けによる不良債権問題、土地・株価の下落、財 政・金融政策の失敗など、様々な見解がある。一方でアジア諸国の経済は、1997−98 年のアジア通貨危機による一時的な停滞はあったものの、図 5-1が示すように日本経済 とは対照的に、その後も堅調な伸びを示している。このような状況のなかで、日本経済 の停滞の原因を、「日本の製造業は、アジア諸国のような相対的に製造コストの安価な 地域へその生産拠点を移す事により、空洞化してきているのではないか」という、いわ ゆる日本経済の産業空洞化が問題視されるようになってきた。
図 5‑1
-0.15 -0.1 -0.05 0 0.05 0.1 0.15
1995 1996 1997 1998 1999 2000
中国 日本 韓国 香港 マレーシア タイ
∗ 本稿を作成するにあたり、(財)日本経済研究所の「アジア諸国における経済発展と産業・貿易構造の変 化」プロジェクトの参加メンバーからいただいたコメントに感謝したい。また本研究は科学研究費補助金 基盤研究(C)(1)『アジア諸国の産業・貿易構造と経済成長:アジア長期経済統計に基づく実証研究』の 一部として研究支援を受けた。劉徳強東京学芸大学教授、東郷賢武蔵大学助教授、織井啓介国際協力銀行 開発金融研究所専門調査員からは、それぞれ中国、マレーシア、タイのデータに関してご助力をいただい た。記して感謝したい。財務省、2003 年度日本経済学会秋季大会、一橋大学でのセミナー、特に伴金美、
若杉隆平、深尾京司、宮尾龍蔵、三重野文晴、小川英治の諸先生方からいただいたコメントにも感謝した い。なお、残された誤りは筆者達の責任に帰する。
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このような「産業空洞化」を議論する場合、果たして現行の為替レートが、日本産業 の国際競争力を測るのに適正な為替レートかという問題が注目されている。特に近年
「世界の工場」としての地位を確立した中国については、元レートが割安なのではない かという議論が、日本だけでなく米国からも起きている。元がどの程度割安に評価され ているかは、世界経済の順調な発展を考える上でも、最も重要なトピックになっている。
1980年代の初めには、世界的なドル高が生じ、日本は円安の恩恵を受けて、機械製 品を中心に米国へ、大幅な輸出増が起き、これが貿易摩擦を引き起こした。これは当時 の為替レートが、長期的な均衡為替レートに比べて大きくドル高、円安になっていたた めに生じた現象であることは、Yoshikawa(1990)によって確認されている。もし当時の米 国産業の国際競争力低下と産業空洞化が、為替レートのミスアラインメントによって生 じたとするならば、現在同様の状況に置かれている日本についても、為替レートが長期 的に見て適正な水準にあるかどうかを検討することは重要な課題と言えよう。
上記のような問題意識のもとで、本稿はアジア諸国のなかで韓国、中国、台湾、タイ、
マレーシアの5カ国に焦点をあてて、1980年−2000年の均衡為替レートを計測する。
本稿がこの5カ国を対象にする理由は、第一にデータ上の制約と言う点が大きいが、5 カ国ともシンガポールや香港のような通商国家(または地域)ではなく、一定規模の工 業部門を有しており、産 業構造の上でも日本と似通っているからである。このため貿易 関係の上でも非常に緊密になっている。この中で韓国については、経済の構造改革が 遅々として進まない日本と、通貨危機以降、銀行の統廃合や外資導入を積極的に推し進 め経済が再び回復成長している韓国の製造業の国際競争力を比較する点で興味深い。ま た、中国との均衡為替レートを検証することは、近年、日本企業が多く中国に進出して いる点をふまえると、日本の産業空洞化問題を検討する上で欠かすことができないから である。
こうした目的に沿って本稿では以下の2つの問題に焦点をあてる。第一に、1997年 に発生したアジア通貨危機の再検証を行うことである。これまでにも、宮川・外谷(1999)、
柏木・佐々木(2000)が韓国やタイにおけるアジア通貨危機を、均衡為替レートを用い て検証している。しかしながら、これらの研究では当時のデータの制約から、1995、96 年までしか分析の対象に含まれておらず、通貨危機直後の97年およびそれ以降の分析 が行われていない。
第二にアジア諸国における均衡為替レートを用いて、日本の製造業の国際競争力を把 握し、これまで議論されてきた産業空洞化問題を定量的に検討する材料を提供すること である。均衡為替レートとは「 自国と外国において国際的に取引される財の価格が等し くなるような為替レート」として定義されるが、例えば自国通貨建て均衡為替レートが、
現行の為替レートよりも低い場合、現行の為替レートが割高に評価されていることを示 している。したがって、こうした為替レートが継続することは、日本が過大な輸入や過 剰な直接投資を行っている可能性があり、政策的には為替レート水準の是正が必要とな る。
本稿は以下のように構成されている。次節では、Yoshikawa (1990)で提示され、また 宮川・外谷(1999)や柏木・佐々木(2000)でアジア通貨危機の分析に用いられた均衡 為替レートの考え方を述べる。3節では日本とアジア諸国間について均衡為替レートの 導出を行う。4節では導出された均衡為替レートがどの要因によって影響を受けている のかについて検討を行う。最後の5節では、結論と今後の課題を述べる。
5-2 . 均衡為替レートの考え方
Yoshikawa(1990)によれば,均衡為替レートは,自国と外国において国際的に取引 される財の価格が等しくなるような為替レートとして定義されている。以下では、1)
貿易財が労働と輸入原材料によって生産されているケースと、2)労働、輸入原材料、
サービス産業からの投入によって生産されているケースを考える26。均衡為替レートの 計測においては、データの利用可能性によって1)は各アジア諸国の均衡為替レートの 計測において用いられるが、2)は韓国の均衡為替レートにおいてのみ用いられる。
5‑2‑1 貿易財が労働と輸入原材料によって生産されているケース
簡単化のために固定的な生産係数を考える。自国の貿易財価格(P)は、
bPm
aw
P= + (1)
として表すことができる。ここで、a、bはそれぞれ労働投入係数(労働生産性の逆数)
および原材料投入係数であり、w、Pmは名目賃金、原材料価格である。貿易財の価格P および輸入原材料の価格Pmが為替レートeを介して、国際的な一物一価に従うのであ れば、
)
( *
*
ePm
b aw
eP = + (2)
が成立する。ただし、P* 、Pm*はそれぞれ外国通貨建ての貿易財価格、原材料価格であ る。一方、外国の貿易財の価格は、(1)式と同様に、
*
*
*
*
*
Pm
b w a
P = + (3)
が成立している。(2)、(3)式より、国際的に取引をされる財の一物一価をもたらす均 衡為替レートeは、
26 様々なセミナーで、資本も生産要素として考慮すべきであるとのコメントをいただいた。ここでは長期 的には、国際的な資本収益率が均等化するとの仮定をおいているが、こうした資本収益の不均等性を考慮 した分析も今後の課題としたい。
90
( )
{ }
[ ]
( )
{
* * * *}
*
*
*
1
w p b a
p p b a w e w
m m
+
−
=
(4)
と表すことができる。(4)式は均衡為替レートが、両国の名目賃金比、労働生産性の格 差、原材料生産性の格差、そして交易条件に左右されることを示している。自国の原材 料投入係数の上昇(下落)は自国通貨安(高)をもたらし、交易条件の上昇(下落)は 自国通貨高(安)をもたらす。ただし、このようにして計測される均衡為替レートは、
製造業生産におけるサービスの投入構造やサービスの生産性格差を考慮していない。製 造業の生産において、サービス産業の投入は不可欠である事を考えると、上記の均衡為 替レートは適切ではない可能性が生じる27。
5‑2‑2 貿易財が労働、輸入原材料、サービス産業の投入によって生産されているケース 次に、製造業の生産にサービス産業の投入を組み入れる事にしよう。先と同様に簡単 化のために固定的な生産係数を考える。自国の貿易財価格(P)は、
cdw bP
aw
P= + m + (5)
として表すことができる。ここで、cはサービス投入係数、dはサービス業における労 働投入係数(労働生産性の逆数)である。ここでは、サービスの生産は労働投入のみに よって行われ、製造業とサービス業の間での産業間賃金格差はないことが仮定されてい る。一方、外国の貿易財の価格についても、(5)式と同様に、
*
*
*
*
*
*
*
* a w b P c d w
P = + m + (6)
が成立し、貿易財の価格Pおよび輸入原材料の価格Pmが為替レート eを介して、国際 的な一物一価に従うのであれば、
{ } { ( ) }
[ ]
( )
{
* * * * * *}
*
*
*
1
d c w p b a
p p b cd
a w e w
m m
+ +
−
+
=
(7)
と表すことができる。(7)式は均衡為替レートが、両国の名目賃金比、労働生産性の格 差、原材料生産性の格差、交易条件の他に、サービス産業の投入やサービス産業自体の 生産性に影響される事を示し、自国(外国)のサービス産業の生産性の上昇は自国通貨 高(安)となる。
27 これまでの研究では、サービス部門に焦点をあてた均衡為替レートの計測は行われていない(Yoshikawa
(1990)、宮川・外谷(1999)、柏木・佐々木(2000))。