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第三章 「明度」を含む日本語メタファー表現について

3.1 はじめに

3.5.4 まとめ

本調査では、「暗い」を含むメタファー表現の統語構造上の選好と、属性形容詞「暗 い」の意味拡張との関わりを考察した。その結果、「暗い」を用いたメタファー表現に 限定用法への選好があることが明らかになった。「暗い」のメタファーとして一般的 な「陰気で晴れやかでない」「犯罪・不幸・悲惨の存在を感じさせる」という意味は、

限定用法においてより好まれ、より多様な名詞と共起し得ることを例証した。ところ が、「事情をよく知らない」「精通していない」というメタファー的意味では、「~に暗 い」という定型表現で使われる叙述用法がほとんどであった。また、「暗い」と共起す

る名詞に関しては、限定用法での使われ方との間に差がそれほど大きくなく、叙述用 法でより自由に名詞との共起を許しやすいという傾向は示さなかった。

また、本調査では、予想通り「生活は暗い」のような非典型的と考えられる叙述用 法のメタファー共起表現は 1 例しか抽出されず、叙述用法より限定用法への偏りが 見られた。「過去」のようなすでに実現されてしまった物事の状態について表現する ときも、同様の傾向があった。「過去」は、既出の事実であり、話者が自由に主観的に 様々な表現を創造できる余地に乏しいためであるのかもしれない。

一方、「将来」「前途」のような未実現の物事を意味する名詞が「暗い」と共起する 場合には、叙述用法のみが確認された。これらの表現に関しては、前文脈において、

「暗い」という状態に導く不確定要素や不安要素などが仮定する条件として先に述べ られている場合がほとんどである。このように、「過去」とは反対に、ある条件の下 で、ある事柄が起こるだろうと仮定された未来の状況について主観的に評価する際に は、叙述用法が一般的に用いられ、メタファー表現の使用によって婉曲的に伝達され る余地が出てくるのかもしれない。

限定用法での共起頻度が低いことに関しては、形容詞の限定用法は、その名詞につ いて恒常的な意味合いを表し、叙述用法のほうは一時的な状態を表すことに由来する とも考えられる。将来は断定できないながらも、不安要素によって一時的に暗く沈鬱 に傾くことも考えられる。その一過性の状態を表すのに叙述用法が用いられるのかも しれない。その暗さは将来にわたる永続的な性質ではないから、恒常的な意味合いを 指向する限定用法にはなじまないのかもしれない。

3.6 「明るい」と「暗い」を含むメタファー表現における差異

3.2節において、属性形容詞「明るい」と「暗い」のメタファー的意味と字義的意味 を確認した。『大辞林』によれば、「明るい」と「暗い」の古語としての語義以外のも のとでは、両者がほぼ対応して用いられている。本節では、反義語として使われてい

語と被修飾語のコロケーションの傾向、修飾語の偏りがあるかどうかについて、また 形容詞の限定・叙述 2つの用法に関して、ある特定の名詞との共起における偏りがあ るかどうかについて検証する。さらに、「明暗」の視覚メタファーとして成り立ちやす いものと成り立ちにくいものの特徴を考察し、メタファーとしての形容詞の役割がど のように働いているかも検証したい。

3.6.1 「明るい」「暗い」と共起する名詞の多様性と頻度:限定用法の差

本節では、両形容詞に共通して現れた共起名詞群 52 種類を抽出し、これらの名詞 群の頻度 (対数変換値) の差とエントロピーの差を算出した (表9) 。限定用法で使 われている「明るい」と「暗い」と共起する名詞群のエントロピーと出現頻度との間 には、強い相関があった( r = .752 , p < .01 )。限定用法では、「明るい」「暗い」と もに、名詞と共起する自由度が高くなるにつれ、そのコロケーションの使用頻度も高 くなることが分かった。

これら2つの変数に基づいて、両形容詞の共起名詞の意味分類の中で類似性を見出 すための階層クラスタ分析を行った結果、図13 の通りのデンドログラムが得られた。

まず最高値の 25 ポイントで、上部の 44 個の名詞群 (「取引」など) が下部の 8 個の名詞群 2つのグループに大きく分かれた。 また、5 ポイントで上部の 44 個の 名詞群が 3つのグループに分かれ (「取引」など 21個、「時間」など 15個、「関連」

など 8個が含まれた) 、下部のグループと合わせて 4分類でまとめられた。さらに、

2 ポイントで考察する場合、上部の 21 個の名詞群が (「取引」など、以下クラスタ

Ⅳと呼ぶ) と、4 個の名詞群 (「音楽」など、以下クラスタ Ⅲ と呼ぶ) に分かれ、

中間部の 15 個の名詞群が「時間」など 7 種類の名詞群 (以下クラスタ Ⅴ と呼ぶ) と、8個の名詞群 (「姿態」など、以下クラスタ Ⅵ と呼ぶ) の2つに分かれた。残 る 8個の名詞群が 「関連」など 7種類 (以下クラスタ Ⅶ と呼ぶ) と、名詞群 「境 遇」 1種類 (以下クラスタ Ⅷ と呼ぶ) に分かれた。また、下部の大きなグループ では、更に「人物」など 2種類の名詞群 (以下クラスタ Ⅰ と呼ぶ) が、「情勢」など 6 種類の名詞群 (以下クラスタ Ⅱ と呼ぶ) から区別された。

これらのクラスタ数が最適であるかを確認するために、出現頻度の対数変換値の差 とエントロピー の差 2つの変数を用いて正準判別分析を行った。その結果、2 ポイ ントと 5 ポイントで得られたクラスタの正判別率が同じく 96.2% であった。より 詳細な共起傾向を明らかにするために、本調査では、2 ポイントで得られた 8つのク ラスタのほうを採用する。限定用法での「明るい」「暗い」両形容詞と共起する名詞群 の出現頻度とエントロピーの 2つの観点から散布図 (図14) を示す。図14では、エ ントロピーと頻度の両指標が「明るい」・「暗い」のいずれの形容詞で値が大きくなる かによって四象限に分かれる。限定用法での「暗い」はとりわけ頻度が高く、「明る い」のほうはとりわけ自由度が高い傾向を示す第二象限には 1 例も認められなかっ た。多くの意味分類が第一象限と第三象限に配置され、また第四象限にも少し配置さ

図13. 限定用法での「明るい」と「暗い」の差による階層的クラスタ分析で得られたデンドログラム

次に、散布図に含まれているクラスタ Ⅰ からクラスタ Ⅷ までの分類に基づい て、限定用法での「明るい」と「暗い」を用いたメタファー表現の使い分けについて 考察する。

第一象限は、クラスタ Ⅰ、クラスタ Ⅱ、クラスタ Ⅲ とクラスタ Ⅳ 4つの分類を 含んでいる。この象限全体的には、「明るい」と共起する名詞のほうが頻度も共起多様 性も高い傾向を示すものが配置されている。クラスタ Ⅳ (ピンク) は同様の傾向を示

分類Ⅰ

クラスタI(赤)には、名詞群「人物」と「地域」が含まれ、「暗い」より「明るい」

の限定用法で頻度も共起多様性もとりわけ高くなる共起名詞の意味分類である。

(56) …谷先生は精神的に疲れきっていて、『もうたくさん!』という気持ちだっ

たんじゃないかな。谷先生がかわいそうで、気の毒で。今ごろは余裕を取り戻し て、あの明るい谷先生に戻っていてくれたらいいのですが… (塚田真紀子 『研修医 はなぜ死んだ?』)

(57) …史郎が最後に会った四年前の鈴は、女性としての魅力を感じるほどになっ

ていた。明るくはきはきした鈴には、どこか大人の恥じらいもあった。… (稲葉稔

『熱風』)

(58) …古くはアメリカ大統領選挙でケネディとニクソンが争った時、テレビ討論

会におけるケネディの潑溂としたイメージが、暗くやぼったいニクソンに勝った時 から、イメージをつくるスタイリングに注目が集まるようになったと言われる。…

(武藤直路 『スタイリストになるには』)

「明るい」と非修飾語「人物」を意味する名詞群と共起するとき、(56) のように

「明るい谷先生」という形容詞と名詞の間の直接的な修飾関係を示すパターンのほか

に、(57) の「明るくはきはきした鈴」のように、被修飾語の前に「はきはきした」と

いう他の修飾語の挿入もある。一方、「暗い」と被修飾語の「固有名詞」とが共起する 場合にも、(58) の「暗くやぼったいニクソン」のように、「やぼったい」という他の 修飾語の挿入がある。「人物」を表す固有名詞が多様であるため、「明るい」と共起す ることによってつくられたメタファー表現も多様になっている。

また、「地域」を表す固有名詞及び市街地やその区画を表す「町」「村」「街」のよう

な名詞は、限定用法での「明るい」と共起するときに、頻度も共起多様性もとりわけ 高かった。「明るい」と非修飾語「地域」を意味する名詞群と共起するとき、「明るい 町」のような形容詞と名詞の間には、直接的な修飾関係となっているパターンもあれ ば、「明るく生き生きとした秋田市」のように、被修飾語の前に「生き生きとした」の ような他の修飾語の挿入もある。「暗い」と被修飾語「固有名詞」と共起するときは、

「暗く精彩のない片田舎」のように、「精彩のない」という他の修飾語の挿入がある。

「人物」名詞群と同様に、「地域」を表す固有名詞が多様であるため、「明るい」と共 起することによってつくられたメタファー表現も多様になる傾向を示しているよう である。

分類Ⅱ

クラスタ Ⅱ (緑) に含まれた6 種類の名詞群は、全体的に限定用法での「明る い」の共起パターンの多様性も頻度も比較的高いものである。例えば、「明るい」が

「情勢」の名詞群の 10 種類と 37 回共起している。そのうち、名詞「動き」と

「兆し」との共起が最も多く、それぞれの共起率が 40.54% (15回) と35.14%

(13回) である。

(59) …生産や設備投資の一部に明るい動きが出ている半面、雇用、所得環境の厳

しさを背景に個人消費の低迷が続いており、全体としては依然厳しい水準を脱して いないとしている。… (『河北新報 朝刊』 2003)

(60) …このような暗い雰囲気の中で、責任ある政府をもつ見込みのないまま、イ

ンドの未来は一向に明るい兆しを見せなかった。… (ダナンジャイ・キール 『アン ベードカルの生涯』)