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出所:The Geotaggers World Atlas W/S London :Trafalgar Square, Oxford Street

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Paris :Place de laConcorde39e, les Champs−Elys6es

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Rome : Piazza Campidori〈), Via Velleto BarCeloiia Placa de CatalUllya, Las Ramblas

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出所:The Ge・.)taggers W〔、r・ld Atlat Wi S

 以ヒの十都市の地図を概観すると,東京の特徴的なドットの分布状況が, 目瞭然に 認識できる、他の都市では,全てドットが中心部:{ iから一定方向に線的もしくは面的,

あるいは両者複合的に分布しているのに対して,東京のみ点的分布の統合といった様相 を示している,この結果から,観光的に価値があるとみられる地点が,東京は中心部から 徒歩で移動ができる広がりをみせず,点在している状況が明らかとなる、また各都市を 代表する広場や大通り(表33)の位置では,東京を除く都市ではドソトが濃いことから,

これらの地点が観光的な価値を有していることが分かる、さらに赤のドソトで示されて いる地点は、河川もしくは港湾の周辺とほぼ一致することから、多くの都市では移動時 間から推察し,都心の周辺に位置する河川や港湾でクルーズやサイクリングなどが頻繁 に実施されている状況が認識できる、東京は都心周辺に赤のドソトがあまりみられてい ないことから、中心部にクルーズやサイクリングが可能な撮影に適した場所が少なく,

河川の周辺にドットがあまりみられないことから,水系景観が観光に活かされていない

(親水性σ)低い)都市と読み取ることができる,

 8−2−2 他の事例や資料を用いた検証

 次に本研究において,都市構造の外観的特徴をKevin Lynchの「都市のイメージを構 成するエレメント」の概念を用いて説明しているが,これらのエレメントのうち,「ノー ド(広t£n:19:)」,「パス(大通り)」,「エッジ(河川・港湾等)」について,同地図の掲載 都市と,本研究の比較対象都市であるソウルを加えた十一都市による対応表を次の通り 整理してみた。

同地図Lでは,東京を除いた全ての都市において代表する広場,大通りや河川・港湾の 周辺にドットが濃いことから.これらの要素が観光的価値を有していると考えられるが,

現代の東京では,都市を代表する広場,大通り,河川の存在自体が曖昧とも言えるようで

ある:193、

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s市の中心については種々の捉え方があるが,例えば,[道路元標」と言う観点では,東京は[日本橋中央一,

ロンドンはrチャリング・クロス{,バリは1グートルダム×聖堂入口前.,北京は「天安門広場前門1,モスクワ は[マネ・一ジュ広場」,ソウルは「世宗路鍾路交差点付近」とされている。本研究では,都心に位置する「(象徴 的機能を持つ)広場「を中心として設定している,

:19:1広場」の定義は,国土交通省の[都市計画運用指針!によると, 主として歩行者等の休息,鑑賞,交流等の 用に供することを目的とする公共空地1とされており,本研究でも概ね同様の解釈として用いている一

3−・ハに広場には休息や観賞以外に市民の集会や権威を示す場としての機能があるが,東京では1960年代 後半,多くの学生集会が開かれた「新宿駅西口地下広場が「新宿駅西口駅前通路と改名された例のように 治安維持の目的に加えて,「権威」を示す場が戦後の日本では特に求められなか/)た状況が,諸外国のような 広場が発達しなかった理由として考えられるtt

表33 都市を代表する広場,大通り,河川・港湾

都rff        広場 大通り 河川・港湾

ロンドン トラフアルガー広場 オックスフォード通り テムズ川

パリ :コンコルド広場 シャンゼリゼ通り セーヌ川

ニコ∵一ヨー一ク タイムズスクエア ]コ1番街 ハドソン川

P−1F、ノ カンヒドリオ広場 ヴ・Lネト通り テヴェレ川

バルセロナ カタルーニヤ広場 ランブラス通り パルセコナ港

香港 九龍公園 ネイザンコート ビクトリア・ハーバー

シンガポール ラッフルズ広場 オーチヤ・一ドロード マリーナ・ペイ

バンコク 1三宮前広場 シー一ロムコード チャブブラヤ・一川

上海 人民広場 南京路 黄浦江

ソウル ソウル広場 世宗路 漢江

・鰯c杉; 日比谷公園? 中央通り? 隅田川?

 前章では、観光力の機能的要素を構成する機能集積状況を計測したが,東京は人口や 面積規模が近似するソウルやヒ海と比較したところ,非常に低い中心性を示していた、

しかし,参考として,戦前1932(昭和7)年く1 〔の東京の機能集積状況を計測したところ、

当時は都市の規模や,交通事情による状況は異なるものの,現代の大都市とほぼ同等で,

戦前の東京は,普遍的と言えるような高い中心性を有していたことが分かる,

1・]

s心には皇居前広場もあるが,19. 5L)年5月の騒乱事件をきっかけに,同年12月より自由に利用できない 規制が続いているtt

t h 又Nの設定理由は,市城が15区から35区に拡張され,概ね現在の区部と同等の範囲となったためによる、

表34 戦前(1932年)東京の機能集積状況

機能      対象        地域ワL          地点         距離

中心 }ll居外苑 宮城前広場

/」政 市庁舎 丸の内 東京市役所 0.6

交通 中央駅 丸の内 4〔京駅 0.8

象徴 ラントマー一ク 銀座 服部時計店ビル 0.9

宿泊 クランドホテル 内幸町 帝国ホテル 0.7

観光 名所1日跡 「代田 宮城重橋 0.1

文化 博物館丈術館 卜野公園 東京国立博物館 1.9

芸能 劇場 丸の内 帝国劇場 0,:3

商※ 百貨店 日本橋室田r 越本店 1.8

散策 公園 日比谷公園 }1比谷公園 0.6

伝統 歴史的街区 劇レ本橋 両国/柳橋 1 3.1

生活 市場 築地 築地場外市場商店街み 1.7

遊興 ブイトライフ 浅草 浅草公園六区 5.2

合計 21.0

写真g 戦前(1932イト)銀座の都市景観

出所:歴史写真昭和8年10月号.歴史写真会

itif n城は現在の住所を表記 川東京府庁との合同庁舎

L サ在の和光ビル

LI 1 岺Oの両国(【i i央区東〔本橋),柳橋(台東区柳橋)界隈は,江戸期から続く,川開き(両国)や花柳界(柳橋)

といった文化が残る市内有数の川i情緒を残す遊興地であった

;4)) ]∫・時代からRi品流通を担 ジ(いた日本橋の市場が関東大震災で壊滅されたため,1935(昭和10)年築地 に東京市中央卸売rif場が開設され,かつての寺田rの地域が一般消費者も購人できる場外市場へと変貌した

表35 都市別機能集積状況の比較

都市 機能集積状況

弓〔京 32.8

ソウル 16.o

L海 15.3

東京(1932) 21.0

 東京の中小河川1 |をOf究する伊地知(2007)は,東京の名所図会や百景に中小河川の 絵画や写貞が1冊以Lに掲載されている史料 9}:に関する分析を行っているが,明治から 昭和にかけた全体からの掲載量の割合の変遷を次の通りまとめてみた、

表36 東京の中小河川が名所図会・百景に掲載されている割合の変遷 時代    全体枚数 対象枚数   対象比率

明治 1,264 113 8.9%

ノく正 60 4 6.7%

昭和(戦前) 400 24 6.0%

昭和(戦後) 78 27 5.g%

出所:伊地知(2007) 東京都心部の中小河川にお;ナる名所の変遷とそのまなざしに関する研究・

 こうしてみると,明治から昭和に至るまで一貫して東京の名所とされる景観から中小 河川のプレゼンスが低下し続けてきた状況が把握でき,絵画や写真の対象からみる限り,

昭和以降,東京の中心部から親水的景観のイメージは着実に失われてきたようである4°3,

 8−3 国家政策・地方政策による影響

 戦後の東京は,東京オリンピックの開催に向けた都市改造と住居表示法が始まる正960 年代前半から,業者主導の再開発がビークとなったバブル経済期の1980年後半にかけて,

度重なる災害を経ても継続されていた都市としての歴史性、中心性,親水性を喪失する 特徴的な都rf〒構造を持つに至った変遷をみた、このような構造に向かった背景には国家 政策や地方政策が果たした影響も考えられるが,これらに関する考察を行ってみる,

4C)1 ?ャ河川の定義は,「東京に存在したまたはしている水辺のうち,隅田川・江戸川・多摩川を除く中小の河 川と,上水,堀割,江戸城外濠1である。

」2 ェ析の対象の基準は,1東京.1 tl名所」,「名勝」,「百景「のキーワードに該当する文献資料のうち,(1)発行 当時の東京の風景を対象とし名所の絵画集または写真集,②解説文のある場合,解説が主になるのではな く,解説ごとに絵図・写真のあるもの,(3)明治以降に刊行されたもの,としている、

4°:1 寥エ(2011)1いまは消えてしまった川が江戸・東京には数多くあった、そうした消えた水辺の景観、は 人々に楽しみや潤いを与えたようで,多くの風景画が残されている。p品

 人口や産業の過度な集中によって都市機能が麻痺状態にあった東京の再開発を議論 するため中央政府において,1962年「大都市再開発問題懇談会」が発足し,翌年提示され た第 次中間答申では,経済の効率性を追求する観点から高速交通,大量輸送の実現と 機能分化を基調とする都市機能の分散化案が構想された4t)4、本案を取りまとめたのは,

当時大蔵大臣の田中角栄と側近であったが,骨臼よ次の通りであるj

〈D都心部に置く必要がなく1二地利用効率も比較的低い流通業務施設や工場・学校など  はrff街地の周辺や地方へ転出させるぴ、

(2)都心部では副都心建設も含め再開発を促進し,高層化によりtl地の高度利用を進め,

  業務機能に純化させていくlt)b、

(3)郊外部では住宅新都市づくりを進める、

 端的に言えば,都市の諸問題に対処するため都心は業務地域として純化させ,工場や 学校、住宅は周辺地域に分散させる施策と言えるが,その後,1972年総理大臣に就任した

田中角栄が唱えた「国上の均衡ある発展」と言う理念は,当時多くの国民の共感を呼び,

「多極分散型国七の形成4°7」は国家行政としての目標のコンセンサスとなっていった4 ),8,

 こうした時代情勢の流れから,1979年就任した鈴木俊一都知事によって,「多心型都市 構造」の構想が1982年に打ち出されるが,具体的には従来からの都心と副都心に加えて,

多摩地域の八王子,立川,町田,青梅,多摩ニュータウンを,多摩の「心」として設定,また 近隣県の業務核都市である川崎,横浜,厚木,大宮,浦和,筑波,成田,千葉と連携を強める といった内容で,都市域の東京西部への延伸及びスプロール化を是認する施策とも言え,

一都市としての東京の将来像を見据えた視点は希薄であったとみることができよう4°9。

さらに,1985年東京都庁舎の丸の内から西新宿への移転の決定によって,東京の都心の 概念が混乱される状況が生じたのである41,,

;u4 ヘ村茂(2001).1ヨ本の首都江戸・東京都市づくり物語』都政新報社p.188

iリp959年制定の1首者1圏の既成市街地におけるIl場等の制限に関する法律が法的裏付けとなっているが,

同法は2002年廃止された、

;lff ッ懇談会では,業務地域を都心から離れた位置に開発整備し,それによって現在の都心の混乱と行きづ まりを防止することが重要である、」と述べられ,都心の業務地純化と都心分散化を同時に提唱した。

1]T

P988年制定された行政機関の移転や地方振興を狙いとする「多極分散型国土形成促進法」の基本理念

4°s o済学者の八田(2006)は,川国士の均衡ある発展」と並んで日本を衰退に追い込んだもう一つの政治ス ローガンがあ!)た/、それが「都心分散策1である。」p.7,「過去にこういうことが起きた抜本的な理由は,喋 積の利益こそ都市の命だ1と言う認識を,都市計画に関わる学者・行政官・ジャーナリストが持っていなか ったことにあるといえよう。lp.8,と当時の都心分散政策を強く批判している。

1{4 結梹s役所が管轄していた機能は,戦時中の1943年に首都機能を強化するため廃止され,東京府と統合 した東京都庁に移されたまま現在に至るが,そもそも都市としての東京を見据える視点が希薄であるのは,

このような歴史的な事情に行政が置かれていた状況も考えられるtt

川「新宿新都心1と称されることはあるが,東京都が19Y7年に策定した都心地域とは,千代田区及び中央区