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説一切有部における無分別とされる

日本佛教學會年報 第73号 017前田 英一「説一切有部における無分別とされる五識に関する議論について ―『婆沙論』の記述を中心に―」

日本佛教學會年報 第73号 017前田 英一「説一切有部における無分別とされる五識に関する議論について ―『婆沙論』の記述を中心に―」

... に 派仏教の中で最大派の一つである一切は, 阿毘達磨大毘婆 沙論 (以下 婆沙論 )において初めて,眼識・耳識・鼻識・舌識・身識 の五識,禅定に入っている意識が無分別であるという え方を表明した。 ただし,同じ無分別なものであるいっても,五識禅定に入っている意 ...

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Vol.66 , No.2(2018)066梶 哲也「説一切有部における煩悩群について――結・縛・随眠・随煩悩・纒――」

Vol.66 , No.2(2018)066梶 哲也「説一切有部における煩悩群について――結・縛・随眠・随煩悩・纒――」

... 〈参考文献〉 青原令知 2009 「 業施設 における煩悩の総称語」『印仏研』 58 ( 1 ) : 380–385. 梶哲也 2016 「大マールンキヤ経にみる 随眠 」『大谷大学大学院研究紀要』 33: 1–21. タン ソウチャイ 2001a 「一切における upakleśa ・ kleśa ・ paryavasthāna の関係」『仏教文化 ...

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佛教大学仏教学会紀要 22号(20170325) L029清水俊史「説一切有部における非律儀非不律儀の構造」

佛教大学仏教学会紀要 22号(20170325) L029清水俊史「説一切有部における非律儀非不律儀の構造」

... 田 は、福田である僧団に布施をすれば、必ず無表が生じるとい う意味であり、福業事などがこれに当てはまる。(2) 執持 は、ある期間 を定めて何かをしよう決心すれば、その期間のあいだ無表が生じるれる。 (3) 顧慮行 は、激しい善・不善の心によって表が起こされれば、その表 ...

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インド学チベット学研究 No. 5/6 (2001/2002) 004櫻井良彦「説一切有部における衆同分の分類」

インド学チベット学研究 No. 5/6 (2001/2002) 004櫻井良彦「説一切有部における衆同分の分類」

... この様に『倶舎論』所述のは、認識論レヴェルから為される衆同分の分類ばか りでなく、因果論・業論・輪廻論に基づく衆同分の分類も為しているのである。 (29) AKBh(Tib) D 85b6-7, P 98a5-6: ji ltar ming gi tshogs la sogs pa ’di dag sems can du ston pa dang / rgyu mthun pa las ...

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Vol.60 , No.3(2012)206八尾 史「チベット語訳『根本説一切有部律』「薬事」におけるトクパレス写本の問題」

Vol.60 , No.3(2012)206八尾 史「チベット語訳『根本説一切有部律』「薬事」におけるトクパレス写本の問題」

... The Japanese Association of Indian and Buddhist Studies.. NII-Electronic Library Service..[r] ...

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佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 41号(20130301) L001清水俊史「説一切有部における表(vijnapti)の構造」

佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 41号(20130301) L001清水俊史「説一切有部における表(vijnapti)の構造」

... “我はある”、私は、他のもの達を納得せよう 、先に決心してから、それから外 門転であり修所断であり伺である発語心によって 我はある 等言葉を語るごと くである。それゆえに 能転同じように 云々〔いう〕。ゆえにこのようにして、必 ず見所断の能転〔心〕の直後には、まさに善、または不善、または無記なる修所断の能転 ...

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駒澤大學佛教學部研究紀要 43 - 012袴谷 憲昭「唯識文献における無分別智」

駒澤大學佛教學部研究紀要 43 - 012袴谷 憲昭「唯識文献における無分別智」

... grub par rnam par rtog paj,) stel rnam par rtog pa de la goms pa'i stobs bskyed pas so so rang giskk) mngon par 'du byed pa med paii) nyid kyis ji lta ba bzhin du spros pa med pa'1' dbyi[r] ...

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Vol.66 , No.3(2018)005渡邉 眞儀「ニヤーヤ学派における三時の理論――中観派および説一切有部との関係を中心に――」

Vol.66 , No.3(2018)005渡邉 眞儀「ニヤーヤ学派における三時の理論――中観派および説一切有部との関係を中心に――」

... Nemoto Hiroshi 根本裕史. 2011. Geruku-ha ni okeru jikanron no kenkyū ゲルク派における時間論の研 究. Kyoto: Heirakujishoten. Tola, Fernando, and Carmen Dragonetti. 1995. Nāgārjuna s Refutation of Logic (Nyāya) Vaidalyaprakaraṇa: Źib ...

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インド哲学仏教学研究 21(201403) 003呉 娟「『根本説一切有部』「衣事」およびジャイナ教白衣派文献におけるビンビサーラ/シュレーニカとアジャータシャトル/クーニカの物語」

インド哲学仏教学研究 21(201403) 003呉 娟「『根本説一切有部』「衣事」およびジャイナ教白衣派文献におけるビンビサーラ/シュレーニカとアジャータシャトル/クーニカの物語」

... 375, where it serves as one of the arguments used by the Buddha to relieve Aj¯ata´satru of his guilt over the patricide.23 The third episode about the birth of Aj¯ata´satru including the[r] ...

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Vol.41 , No.2(1993)098山極 伸之「根本説一切有部律〓度部の研究 (6) -Pandulohitakavastu に見られる修行階梯-」

Vol.41 , No.2(1993)098山極 伸之「根本説一切有部律〓度部の研究 (6) -Pandulohitakavastu に見られる修行階梯-」

... Schmithausen: Beitrage zur Schulzugehorigkeit and Textgeschichte kanonischer and postkanonischer buddhistisches Materialien, Zur Schulzugehorigkeit von Werken der Hinayana-[r] ...

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インド学チベット学研究 No. 21 (2017) 001佐々木閑「 『根本説一切有部毘奈耶』波逸底迦第 21 条におけるチューラパンタカの物語」

インド学チベット学研究 No. 21 (2017) 001佐々木閑「 『根本説一切有部毘奈耶』波逸底迦第 21 条におけるチューラパンタカの物語」

... 何を言 分 . 第 22 条 「日没 説法 波逸 T 1440, vol. 23, 545c.九十事第二十一。僧不差教比丘尼戒初縁。爾時佛告諸比丘。我教化四衆疲極。問曰。 佛得那羅延身。身無疲極。得十力四無所畏大慈大悲。心無疲極何以言疲極耶。答曰。佛無疲極。隨世俗法故。 如父知子。堪理家事。雖自有力以兒堪任故。欲以事業委付兒故。云我氣衰耄家事汝一切知之。佛亦如是。雖不 ...

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インド哲学仏教学研究 08(200103) 005陳, 素彩「説一切有部におけるanusaya・klesa・paryavasthanaの関係 : 『倶舎論』「随眠品」を中心として」

インド哲学仏教学研究 08(200103) 005陳, 素彩「説一切有部におけるanusaya・klesa・paryavasthanaの関係 : 『倶舎論』「随眠品」を中心として」

... 眠の生起をもたらす,④その未来に生起する随眠は,相応に基づいて随増する随眠相応 縛である,⑤「得随眠」と呼ばれる「得」は心相応法ではない,という点から定義され る,と述べられている・このように,五つの理由によって,随眠は随縛と言われるが,上 述の議論における随縛とは,対象因所縁に基づいて随増することと,相応に基づいて 随増することであるので,両箇所の随縛という語の意味に[r] ...

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Vol.54 , No.1(2005)069前田 英一「『婆沙論』における無分別のとらえ方について」

Vol.54 , No.1(2005)069前田 英一「『婆沙論』における無分別のとらえ方について」

... These elements (dhamma) may mean the elements (anga) of dependent origination, or 5 aggregates and 6 (or 12) spheres of perception and cognition, etc., which exist when the causes and[r] ...

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Vol.55 , No.1(2006)073前田 英一「説一切有部における定中の言語に対する考え方の変遷について」

Vol.55 , No.1(2006)073前田 英一「説一切有部における定中の言語に対する考え方の変遷について」

... states that discrimination in meditation is devoid of conceptional construc- tion, and that language exists until at least the first stage of meditation (prathamadhyana).. [r] ...

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インド学チベット学研究 No. 18 (2014) 004清水俊史「説一切有部における業果の理論」

インド学チベット学研究 No. 18 (2014) 004清水俊史「説一切有部における業果の理論」

... 静慮 雑修 、来世 初静慮(梵衆天) 再生 場合 。次 。 AKBh. (p. 359.14–18): sa pluto ’rdhaplutah. sarvacyuta´s ca (6, 38ab) sa punar es.o ’kanis.t.haparama ¯urdhvam.srot¯as trividhah. / plut¯adibhed¯at / tatra pluto n¯ama ya iha ...

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Vol.60 , No.1(2011)069金 敬姫「説一切有部における煩悩説」

Vol.60 , No.1(2011)069金 敬姫「説一切有部における煩悩説」

... The Japanese Association of Indian and Buddhist Studies.. NII-Electronic Library Service..[r] ...

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Vol.62 , No.3(2014)202清水 俊史「説一切有部における与果と得」

Vol.62 , No.3(2014)202清水 俊史「説一切有部における与果と得」

... The Japanese Association of Indian and Buddhist Studies.. NII-Electronic Library Service..[r] ...

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Vol.55 , No.2(2007)002阿部 真也「説一切有部における静慮」

Vol.55 , No.2(2007)002阿部 真也「説一切有部における静慮」

... In order to understand dhyana from a different viewpoint 18 subdi- visions are introduced in the 4 dhydnas.. These, it is said, may be subsumed under eleven.[r] ...

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真宗文化 第24号 006清水 俊史「説一切有部における有漏世間道による断惑」

真宗文化 第24号 006清水 俊史「説一切有部における有漏世間道による断惑」

... 終」あるが、全体の構成からすれば「善色」は「善無色」改めるべきであろう。 その根拠は、次の三点による。まず、(A)この箇所の前後は『甘露味論』『心論』『心 論経』『雑心論』のいずれも「①律儀の成就→②律儀の捨→③→④染汚意業の捨」 いう共通した構成をもち、問題なるこの箇所は③にあたるが、『甘露味論』を除く ...

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Vol.64 , No.3(2016)205高務 祐輝「初期瑜伽行派と説一切有部における「識」の継起」

Vol.64 , No.3(2016)205高務 祐輝「初期瑜伽行派と説一切有部における「識」の継起」

... possibility of the sequential arising of sensory perceptions. the MVi permits that any kind ofvijnNana can arise immediately after another vijnnyana, regardless of type. Further,. there [r] ...

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