印度學佛敎學硏究第66巻第2号 平成30年3月 (104) ― 871 ―
説一切有部における煩悩群について
―結・縛・随眠・随煩悩・纒―
梶 哲 也
1. はじめに 「結縛随眠随煩悩纒」という様々な煩悩の異名が連ねられたフ レーズは,説一切有部における定型表現としてよく知られている.しかし,この フレーズそのものを研究対象としたものはなく,論考の一部として検討する先行 研究も少ない1).よって,このフレーズの有部煩悩論上での役割や,このフレー ズ内に並ぶ煩悩の異名の選択や順序に関する意図は十分に解明されているとはい えない.数々の煩悩の異名があるなかで,なぜこれら5種の異名が並んで用いら れるのか.この並びの順序の意図は何であるのか.このフレーズによって何を意 味したことになるのか.本論ではこのような問題意識から,この「結縛随眠随煩 悩纒」というフレーズについて検討する. 2. 「結縛随眠随煩悩纒」の使用範囲とその課題 「結縛随眠随煩悩纒」とい うフレーズは,説一切有部の数多くの論書の漢訳を手掛けた玄奘の訳全般をはじ め,求那跋陀羅が訳した『衆事分阿毘曇論』や僧伽跋摩訳の『雑阿毘曇心論』に も見られる2).また梵文『阿毘達磨倶舎論』からは原語も確認することができ3), 『阿毘曇甘露味論』4)では「一切使惱結縛纒」と順序は異なるが同じ煩悩の同義語 が一括りに用いられる.このように,訳者,論書,年代を問わずこのフレーズが 確認されることから,「結縛随眠随煩悩纒」というフレーズは有部最初期からの 定型表現であり,有部にとって周知のものであったと考えられる5).しかし,有 部自身がこのフレーズ内の各語の意味内容やこの並びの意図を解説することはな い.したがって,それらに関しては,有部論書中の用法を検討することによって 解明する必要がある.本論では主に有部の初期論書であるいわゆる六足を検討範 囲とし,このフレーズが定型表現となった最初期の意図は何か考察する. 3. 初期有部論書における「結縛随眠随煩悩纒」の用法 この「結縛随眠随 煩悩纒」という定型フレーズの代表的な用法は,タン[2001b]や青原[2009] が指摘するように,「結縛随眠随煩悩纒」というフレーズ全体をもって煩悩の総(105) 説一切有部における煩悩群について(梶) ― 870 ― 称を示す用法である(用法1とする)6). これとは異なる用例が,『阿毘達磨識身足論』中の三世実有論証に確認できる (用法2とする)7).ここでの解説は三世実有の論証を主題としつつ,経典中に説か れる様々な群に含まれる各法が「不善」等であるか否かを述べ,この区分を説明 する中で「結縛随眠随煩悩纒」を用いる.その際には,先の用法1のようにこの フレーズ全体で何かを示すのではなく,フレーズ内の5つの煩悩の異名を個別に 解説する.つまり,ここに説かれる様々な群がどのような煩悩の異名に該当する かということが述べられる.したがって,この記述を検討することによって,フ レーズ内の各異名の該当範囲に関する差異が明らかになり,その差異から異名間 の関係性や特徴を確認することができる. 実際にその差異からは,後の論書で議論される上界の煩悩法や有身見・辺執見 が「不善」ではないこと8),「九結」中の嫉・慳が「随眠」ではないこと9),煩悩 以外の染汚の心所も「随煩悩」に該当すること10)などが『識身足論』のこの解 説に反映されていることが読み取れる. さらにここで注目されるのがフレーズ内の「縛」に関する解説である.まず, この「縛」はAKBhから煩悩群の代表名称としても定型フレーズとしても同じ bandhanaという語を訳したものであることが確認できる.そして,この解説中に ある 「非結非縛11)」 という分類項目の存在から「結縛」が1単語である可能性が 排除できる.さらに,「縛」によって括られる煩悩群は「貪」「瞋」「痴」の「三縛」 のみである一方で,この解説中ではほぼ全ての煩悩法が定型フレーズ中の「縛」 に該当する.これによって,定型フレーズ中の「縛」(bandhana)は群を括る代表 名称を示していないことが明らかとなる.また「五上分結」中の「掉挙」は 「結」を代表名称とする群に所属しながら,フレーズ内の「結」に配当されな い12).この分類からも,単にフレーズ内の煩悩群に所属するか否かという観点 のみからこの解説がなされていないことが確認できる.以上,この用法2に関す る検討結果から,「結縛随眠随煩悩纒」というフレーズ内の各異名は単なる煩悩 群の代表名称として並ぶのではなく,有部によってそれ以外の意味を付加されて いることが予想される. 4. 「結縛随眠随煩悩纒」の意味範囲 以上,六足論における「結縛随眠随煩 悩纒」という定型フレーズの2種の用法を確認した.結果,このフレーズ全体を もって煩悩の総称を意味し,フレーズ内の各煩悩の異名は群の代表名称として並 ぶのではないこと,また各異名がそれぞれが何かしらの性格を持つ可能性につい
(106) 説一切有部における煩悩群について(梶) ― 869 ― て指摘した. では,個々の煩悩の異名のもつ性格とは何だろうか.「随眠」に関して筆者は 以前,「大マールンキヤ経」中の釈尊の言葉を基にした『婆沙論』の「随眠」解釈 について論じた13).この経典では,「五下分結」に含まれる各煩悩法が「結」とし てのみ解釈される誤りを釈尊が正し,「随眠」としてもそれらの煩悩法を認識す べきであることが語られる.そして『婆沙論』はこの経典解釈として「働いては いないが未断である煩悩が「随眠」である」という「随眠」解釈をする14).これ は,本論で取り上げた「結縛随眠随煩悩纒」の用法2において想定された各煩悩 の異名の持つ固有の性格を検討する際の手がかりになると考えられる15).「随眠」 以外の異名に関しても,群とは独立した語義解釈を探すことが今後の課題とな る. 5. 結論および今後の課題 本論では,説一切有部において最初期から用いら れていた定型フレーズである「結縛随眠随煩悩纒」について,その用法に焦点を あてこのフレーズの意味範囲を検討し,次のことを明らかにした.「結縛随眠随 煩悩纒」は,このフレーズ全体をもって煩悩の総称として用いられるだけでな く,フレーズ内の5つの煩悩の異名が有部煩悩論上では異なった役割を担う.そ の際,「結」「縛」「随眠」「随煩悩」「纒」は煩悩群の代表名称として並ぶのでは ない.そして,それらの異名には有部によって個々に何らかの固有の性格が付加 されていると予想される.今後は,フレーズ内の異名のそれぞれがどのような性 格を持つものとして有部に受け止められていたのかに関して,『婆沙論』や『倶 舎論』中の議論を対象に検討を行う. 1)このフレーズそのものを研究対象としたものは管見の限り確認できないが論考中の一 指摘として検討するものはある.Cf. タン[2001b],青原[2009]. 2)『衆事分阿毘曇論』(T26, 627a16),『雑阿毘曇心論』(T28, 905c18). 3)AKBh p. 308.
4)T28, 970a12前後の文意から「使」がanuśaya(玄奘訳: 随眠)を示し,「惱」はupakleśa
(玄奘訳: 随煩悩)であると確認できる.
5)求那跋陀羅が訳した『雑阿含経』(T99)にも2箇所このフレーズが確認できる(No. 263, 276).パーリの対応部分(SN 1.2.5.9 [PTS p. 155], MN 146 [PTS p. 275])にはこのフ レーズを確認することができない.一方,『雑阿含経』No. 276に対応するトゥルファン 出土断片からは,梵文『雑阿含経』にこのフレーズがあった可能性を確認できる(SHT
(VI) 1226 fragm. 10 R h /// ++ sarvve saṃyo[j]. ++++ ///).
6)単なる煩悩の「総称」として理解するのは不充分であるとも考えられる.『集異門足 論』中の「三漏」や「尽智・無生智」等の項目(T1536, 383a4–9, 376a28–24 etc.)を考慮 すれば,このフレーズが有部煩悩論上で実質として「全ての煩悩法を包摂するもの」と
(107) 説一切有部における煩悩群について(梶) ― 868 ― して位置づけられていることを確認できるからである(この点に関して筆者はXVIIIth IABS Congress[開催地トロント,2017年8月]において発表した.掲載論文未定). 7)この箇所(T1539, 531a25–532c29)はタン[2001b]においても指摘されており「結」 「縛」「随眠」「随煩悩」「纒」が同義語として扱われていないことを指摘するが,タンは「そ れ以上の意味確認は困難である」として検討しない. 8)『識身足論』(T1539, 532c4–5 etc.)とAKBh(pp. 290ff.)が対応. 9)『識身足論』(T1539, 532c21–22)と『婆沙論』(T1545, 258c21ff.)が対応. 10)『識身足論』(T1539, 531c11–12 etc.)とAKBh(pp. 312ff.)が対応. 11)T1539, 531c5 etc. 12)この分類に関して直接言及する議論は,有部論書内に確認することができず,さらな る検討が必要である.今回は,「五蓋」中の「掉挙悪作」との関連を指摘するにとどめ, 詳細な検討は別の機会にあらためて行う. 13)Cf. 梶[2016]. 14)この解釈はブッダゴーサの解釈とも一致し南北に共通した解釈である.またAKBh (pp. 277ff.)で経量部の説として紹介される「眠っている煩悩が「随眠」である」という 説とも関連すると考えられ,興味深い. 15)この例以外にも,『集異門足論』(T1536)にも引用されるAN IV. 10では,「六触処に執 著した無明・無智随眠の隨増」が「無明軛」であるとするなど,群中の煩悩法が他の煩 悩の異名で示される経典はあり,類似した用例をさらに探す必要がある. 〈略号〉
AKBh=Abhidharmakośa-bhāṣya of Vasubandhu. Ed. P. Pradhan. Patna: Kashi Prasad Jayaswal
Re-search Institute, 1967. SHT=Sanskrithandschriften aus den Turfanfunden unter Mitarbeit von
Walter Clawiter und Lore Holzmann; herausgegeben und mit einer Einleitung versehen von Ernst Waldschmidt. Band X, 6. Ed. Heinz Bechert. Wiesbaden: F. Steiner, 1965.
〈参考文献〉
青原令知 2009「 業施設 における煩悩の総称語」『印仏研』58(1): 380–385. 梶哲也
2016「大マールンキヤ経にみる 随眠 」『大谷大学大学院研究紀要』33: 1–21. タン
ソウチャイ 2001a「説一切有部におけるupakleśa・kleśa・paryavasthānaの関係」『仏教文化 研究論集』5: 74–98. ― 2001b「説一切有部におけるanuśaya・kleśa・paryavasthāna
の関係」『インド哲学仏教学研究』8: 57–72.
〈キーワード〉 説一切有部,煩悩,結,縛,随眠,随煩悩,纒