九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
[11]文學研究表紙奥付等
http://hdl.handle.net/2324/2557077
出版情報:文學研究. 11, 1935-04-10. 九州文學會 バージョン:
権利関係:
雑
日本 漢 字 學 史
録
岡 井 恨 吾 栂 士
のこの署成る︑待っこと
久しかリし
もの
なり︒露 に出
. つ
ぺくして未だ一
部 の 類 祁 だ に無かりしは︑以てその労述の
雅
き を 證 す る も
のなるか︒
絃 に 漸 く 刊 行 せ ら る る 時
の
おそき憾
こ
そあれ︑来者にしてその人を得たる誠に至賞
なるを伐ゆ
︒この類
初出唯一の労述な
りといふそれ
の み に て も 本
沢いの
但 値 こ よ な き を 認むぺく︑油究
再 酌 命その秀でたるを知り既へし︒
漢 字 渡
りてよ
り 今 に 至 る 脈 史 を か か る 芯 に
郡
めらるる
に︑拙敲によ
る珠玉の秘 捨 て ら
れたる伺多
からむを情
しむ︒
尿未だその
結にも就かぬ
門 外 者流の非
オ︑こ
の
i " 屈名を一云総するをまづ長る︒
初に
緒咬
" リあ 次いで本
文全巻
を 三 筒 に 分 た る
︑
痰︐
古偲
来の
質初
よ
り承 平の頃までを上世とし独川柾府
成 り て よ り 現 代 に 至 る を 近 泄 と し そ
の
間を巾世と
せらる︒
前 を こ
の
二 期 に 割 す る は 一 見 大 き
に
失 す る や ら なるが宜は然らず︑上批を終るに承
平の末を
以てせ
るは︑9恥個名表記になる倭名抄の
出 で し は即ち承平
の
頃 に し て 以
後の
文 献 概 ね注するに
略 船 恨 名 を
以てせる
故な
り
と説かる︒これ
至甘にしてこの時代
の腐憫
たる︑
従 来 の い づ
れにも
患 は さ れ ぬ 所 断 こ れ 冴 えたり︒
各節そ
の
初 に 賞 該 時 代 の渓 字 學 を 中心.とする概
維 録
五
説あり
︑
よ く そ の 時 代 文 化 岬 と 聯 胤
し
て明快に述ぺらる
︒
H
本 渓
字根を繰る
概史を知らんとせばこ
の三節の
概 説 を 池 詔する
に て 大 骰を察するに足らざるなし
︒ 各 説 は 各 節
に分
た れ 誦 じ て は す べ て
︱︱五項を数ふ︑恨
りに
夫々 の分批を
比ぶ
れ ば 上 世 巾 他 に 略 々 相 同 じ く 近
世にてはそ
れに倍
せり
︒ 項 目 を 概 談 す る に
︑
上 世 は 賭 事 項主た
り中批 は忠莉を
巾心に
述 べ 近 世 は
小
駆 杏 の 刊 行
と
諸 堺 者
と
その 署とを論じ
て時代の
欣 況 を 説 か る
︒ こ の 態 炭 そ の ま ま 各 時
代
の概 欣をおほよそうかがはしむるに足
るべきも
の
な る が 如
し︒こ
れらは本肉の輪廓に就いてなリ︒
上枇
の節には
早 く 渓
字屈
千と
上 古 の 文
化
と の 相 瀾 朕
態
を 猥 らる︒ 悌 字
の他来
に始ま
リ倭名抄に
終
る と 雖 も 自 ら 時 代 に 差 見 ゆ る は
︑
内
容 同 じ か る べ き を 題
し
て 一 は 崩 誦 抄 と 呼 び ー は 倭 名 抄 と 稲 す る
に
奈良朝と平安朝との
別
あるを認むべ
しなど
の品秤邸に餘あ
り︒
説 き
て
は 漢 字 の み の 狭 き に 失 せ ず 恨 名 の 唆 生 及 び ヲ
コト
貼のこ
と
にまで及
ぽされ
た る
︑ 全 く 周 く し て 到
れリ︒
中泄 に移れば上泄の 尿 究 的 な る
に到
して
一 般に成品釈的なる来し︑
倭 名 抄 と 色 染 字 頻 抄
と︑
東 店 切 糾 と 窟 裟 頌 韻 と
︑
秘 府 略 と 枇 俗
諺
文 と
︑ こ れ ら
の到立
にても一斑を察し得︒而も
巾 泄 と て も 後 期 に 入 る や 昔 義 函 俗 字 杏 類 族
出の傾向
を示せり
︒かくの
如 き はこの節に指摘せられたる油 見なる が︑数に
は 訓 貼 物 の 類 を も
染
げ て 漢 字 に 到 す る 時 代 思 潮 等 を ら か が は れ 國
咄叩に訓ずる
楊 合 の 例 を も 洩 ら されぬは特に注窓す
べきな
らん︒近
批にて
は在来
の 國 語 尿 史 の 類 と 相伴ふこ
と少から
ねど︑本杏自らその
陳度 媒 な る を 認 め ら る
︒
賭種の刊行
小
屈茶
ビ
及
(‑
==
二五
︶
び他 窃 本 等 を 適 宜
に
分 類 し ︑ 應 接
に辿なきに
近きう
ちょリ
注目
す
べ き を 採
りて
狛 荒
くべく多
きボ
い
を一々親しく
説き評せ
られ︑また
諾 學 者 を
殺げてその署
述を論
ぜ ら
れたリ︒明治以降の一般時潮と
は逆行せ
る餌訟なる語研究は勿論
︑現代
の今日に至る努作
論 評
に
ま で 及 ぽ
さる
︒
研
究の多端
にして 茫洋たるに
近きままに捨ておか
れたるが如き近枇斯年の状態も︑互細に亘
りて而も
節明
に 説 き 去 ら れ 今 に
して漸く公を彿ふの惑あリ︒栂く卑
んで深く
識られたる
全< r
n 空るるのみ︒
^孟
巻
不要冗品
なる文字一と
して存する無きはさリ
な が ら
︑我等
が訊先如何にして洗字を受入れ
限び或
は
消化し且
又 研 究もし 末リ
たるかをよく問明せられあり︒各解説の飾短に
し て 要 を 得
︑ 而 も 箪
なる祁
F l 解 姐 の 類 と は 稼 無 き
なる
を戟
よ
︒尤も
所
見 を 媒
にす
るものいささか存すれども︑そは淡字彬の
脈 史 よ リ は 傍 系 に
凪す
るにすぎず
︒ 詔 み 去 り頌み来リ唯諾々として
数へ
らるヽこと多き
のみ
︒さ
るにても
湘後
に﹁
序文や
次F l を 摘 記
してそ
の渾
りの
内
容 と して片
附 け て 居る者を往々
にして見る時の平索の
不 滴
がJ
重 な 記 載 書
に到
する批
評がましき語
となリし
と翔ぜられては世の多くの 箸 者
一言も
無 か る べ く
︑この署を
﹁村
卑究の片手間
﹂ に 成 る と 申
さる
るには自ら
の怠
栴 に 我 ら
何を以てか
毀めん
︒その卑よく
利 漢
に油じ給ふ
︑
先生
にして初てこの労出
づ︒
渓.筈
咄は
りて
餃 久
一千
有 数
百年︑斯卑漸
く 明 かと
なる︑即ち
喜び鏃き
ざるままにこの拙
き
節を
執ると云︒︵平井秀文︶ 文尿研究.,91
r F
M41
‑ i l i
濡末歌培
の
研究本渾い
は平
菜れ
森敬
︱︱
︱ 氏
がその結i. .
りに
述べ
てゐられるやうに︑既に
賭雑
誌 で 疲 よ せられた泊文をそのまヽ郷め
てこ
の一巻とし上梓せ
られた
もの
である︒
以 つ て 載
する十二節すべて新しく泄に間はれ
る研究ではないが︑
殷 く は
訳まれぬ雑誌に見えた
のもあ
リ又かく
部
まっては
硲末歌柑の朕態
を通じて
知
る便もあっ
て︑本祁
刊 行
の
窓
義は 認められ
そ の 情 値 も
存
する
︒ 初の三節は粕括的な
も の で 殊
に
n
頭の
﹁硲末
歌泣の諮相﹂
は純
論
に賞る︑
次 い で 欧
時歌机の恩想的特
例を説か
れては﹁絲末
歌 坑
に
あらはれた
る日本精紳﹂
がある
︑又従
来も
佃々に就い
ては研究せ
られてゐたがそ
れ ら に 瀾 するものを一
括し且つ
貨 昨 の歌地
に於け
る
地 位
を論ぜ
ら れ た
﹁
硲末
歌泣
における部
菊 岡 歌
人
﹂ が 見 え
る︑
堺げられてゐる
人々は既に認め
られてはゐるが
所説よく彼等の地
位を明かにし鎚括の目的も呆されてゐる︒この三
節は
脳く談ての
論であるが以下
九節は各
個 人 を 詳 説 せ ら
れた
もの
で即ち︑
諸平
・
命麿・幸典・光平・
文 雄
・幽飼・
千脳
︒定沌・
芳 樹
に及び
夫 々 研
究と題する︒既矧のこと
は 勿 論 新
し
く知ら
れた
ことども
な
どを行
文巧に氾され︑全
節 典 深
く
賠 む
に飽かヤ︑
要する
に斯昇に
共き努
作と評ひ
得よう
︒︵平井秀文︶ 五四︵
一三
二六︶
雑
録
﹃大
伴 家 持 の 研 究
﹄
古 瀬 確
著
古
瀬 氏 自
共こ
の祁の絡行に甘つてゐるやう
に︑
大伴家持
の研究
は泌策染に瀾する大きた
問
題 の 解 明を叙味する︒何となれば︑彼 は 泌 策 氏 後 期 の 作 風 を 代 表 す る 人 で
︑かつ古来
︑集の隈
未だと
行は
れてゐる人
だ か ら
︒ さ て こ の 祁 は 家 持 及 び 彼 を
挽
るそれらのあら ゆる問題を入ふ而的に取上げて剃す所がない︒第i
ふ ぃ 辛
jは﹁
人とし
て
の家持
﹂
に就てその生餅を
叙
述し周間の
人々を見︑琳ら
彼に於け
る琺術
活帥
の可能性を探求
してゐる︒
そして第二窪で﹁歌
人としての家持﹂を論じ︑
他 統 と 哀 袋 と
の中
にあって彼がどんな歌
人
となったかを述べる
︒皿ち︑
始めに
泌
浜集の歌を
叙妍詩・叙
批 時
・叙
猷 詩
の三つに大別し
て各々の作凪
の焚溢を大戦し︑それによっ
て
家 持
の
歌の特代を浮び
上
らせようとする
︒次ぎに表
現形式や索 材 な
どの
湖 森 に よ っ て 古 今 珀への
脈史的なつながリを見
︑最後に彼の作
家的成品を跡づけて
︑﹁天平戌蕊4五年二月
二十
︱︱
‑1 1
典に依
って作ったと云ふ︵
中略︶ニヅ
1 1の
如きは箭寂な自然の
中から徴か
な 息 衡 を も 見 逃 さ 干 捕 へ て
ゐるもの
と . . .
" ふ
ぺ く ︑ 彼の希求し
た繊
細 袋 美 な る 歌 控
の頂勘に立つもの
であって
︑人
府に於ける雄大
韮
珀 な 匂 も な く
︑
赤人に且え
る
餅 朗
透徹の趣
もないけれども
︑赤人によって純客戟化せられた放卦詩の
上に再 び主戦を投彩する事
に
よってよ
く細
かな脱
し
い枇界を展開する小の
1 1 1 来たのは彼に於け る※
しい
成功と評ふべきである︒﹂と
t ." ふ︒これは全く至行であ
る︒第三心いは﹁
家持と泌葉梨﹂で
︑こ4 では雨者の脳係を論證確
義経博腕
と 文
學
﹄五五
(
‑ = 三 七 ︶
定しようと根齢
の探求に
努 め
てゐる︒
署者は我が
九州
帝 大 法 文 駆 部 出●
の部
葉 梨 導 攻 學 徒
で
ある
°
'紺
茅を傾けたこ
の渾
いの所説比
宜 證 的 で 穏 促 で
あ
り︑
然か
も行文平
朋
で一般の歌物と
して も 適 切 な 典 趣 に 富 ん で ゐ る
︒
︵ 東 京
・将 々 館 痰 行
︑
定 飢
武
闘︶
︵笹月糾染︶
島 津 久 基
著
義 恕 の 佃 説 と 文 尿 と に 幽 す る 投 料 は 聘 しい
数に上
る ︒
こ
の祁は それらの衣料を縦横に
駆
仙 し
︑
のみならず内誌象的に詳
し
く 説 朋 してゐる︒その丹念な記述はこの津口の一特例であるが︑
韮要なの
は研究
の方法と糾紐とである
0又︑
史宜と他説と
文
賂 と の 本 団 が 如
何に
把拙され
︑
その利互測係が如何に認
識
されてゐる
かで
ある
︒ それら の勘は︑
初 め に 冴 者 が そ の窓閻と
して
述 べ て ゐ る 次 の 芥 梨 で 汲 も よ く脱明 することが
1 1 1 来る︒即ち
︑
武 勇 佃 説 の 論 究 に 微 つては︑﹁先
づ 我 が 國 の 武 勇 佃 説 を 代 表し 得べき
中
心人物を
箕 め
て︑その周閲に
結びつけられ
てゐる諮低説に就いて考察を加へる のが︑汲も緊要で且有窓義な労作であると考︵るのである︒その
鯰に
準 備
として︑
我 が 國 に 於 け る 武 功 他 説 の 展 開 の 跡 を 一 通 り 眺 めて戦たいし︑そして
その
中からその中心人
物を検
出 し て 何
故に
武勇他説の
中心人 物となるに至ったかを討ね
︑
その
人
物を主
人公
とする数々の他説の浚生・
成 形
・辿股
・拙
布
・棘化
的 の 賭 税 体 を 籾 査
し︑そしてその他説
に 反 映 し て ゐ る 國 民 的
或
は 時 代 的 若 し く
は地方的
節 の 牡 烈 或 は 滸 色を吟昧し
て ︑
民衆
と他説と
の
相 互 的
彩
唸感 化について
究
明を
試み
︑他而では
︑
各 他 説 が ど ん な 文 駆 を 生
んだか︑
作品
の素
材としてど
ういふ取扱は
れ方を受けてゐ
るか︑ 作品化
せられた後
に於
て如何な
る姿に成
長焚容
を 途 げたか︑それ らの作品の文
松
値 は ど う で あ る か 統 の 問 題 に 亘りたい︒﹂
この
店を見ると署者のこの
一1"
葉のすべ
ての部分が
︑仲 際 の 衣 科 に 就 て 細 か に 箕 行 さ れ て ゐ る
︒そして換丑
"す
れば
次 のやう
にな
る︒先づ第一段が
︑
義 純 他 説
に
幽 す る あ ら ゆ る 投 料 の 世 誌 序 的 な 記述
︵主
と
して
序 節 第
二部
︶ ︒
次 ぎ
に
第二段と
して
他 説 界 的 な 研
究
︵ 主 として︑
本 節 第
一部
︒ 殊 に 第
二ふ品に
︑
す べ て の 義 純 他 説 が 集められ、内容•出梃・型式・成分。性烈•本採。解秤・成長・彩狩・
文
卑等の要項に分つ
ての詳
細 な 研 究がある
︶︒
こ
4
で 史 箕 と 他 説 との間の瀾係が明かにされて
ゐる
︒ n l l i 後に 第 三 段 と
して
義 親
文彬
の研究︵
本 節 第 二 部
︒ こ の 部 には︑先
づ 全 作
品
の概観があ
り︑次
ぎに﹁義純偲説の簗成﹂と
しての
﹁義
純 記
﹂ 及 び
﹁ 義 親 他 説 の 雌 成﹂として
の﹁安宅﹂と﹁勤進板﹂の
研
究があ
り ︑
政
く こ
の料の
終りを占めて
ゐる︶︒こ
A
に 到 つ て 佃 説 が 如 何にして
' 又尿となっ たかゞ明
かにされ
てゐ
るのである︒
以上は部に
描 成 だ け の 紹 介 に 過 ぎ な い が
︑ こ の 祁 は 到 象 に 到 す
る
あらゆる祗角
・論
貼 を 盛
し︑文献
屎 的 研 究 と 他 説 尿 的
乃
至 文 毯 學的研究
とをしつかり組
合せ
て︑すぐれた
怜 系 的 研 究 を な し 途 げ
て
ゐる︒︵束京
・明治
祁 院 疲
行︑
定 頒
参
闘七拾
錢︶
︵笹H箭美︶
文
蒻し
研 究
第 十 一 輯
五
ブて
(
‑ =ニ
ニ八︶