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目次 第一章 目的・方法・観点

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1 博士論文

草創期合衆国憲法における「社会」・「思想」・「法学」―ケント、ストーリーと19世紀ア メリカ合衆国憲法秩序の基層

大久保優也

目次

第一章 目的・方法・観点 ... 4

一 本稿の目的・方法 ... 4

二.先行研究と問題意識... 6

1.日本における先行研究と問題意識 ... 6

2.歴史的文脈~19世紀前半における「共和主義」「民主主義」「市場革命」 ... 8

3.19世紀を対象としたアメリカ法制史研究、ストーリー研究、政治思想史 10 三.本稿の観点 ... 15

第二章 コモン・ロー・法の科学・憲法 ... 18

一.イングランドからアメリカにいたる法の「科学的」研究の流れ ... 19

1.イングランドにおける法の科学的研究~ブラックストーンの『イングランド 法釈義』の意義 ... 19

2.アメリカにおける法の「科学的」研究の展開と法学著作物の意義 ... 23

二.ストーリーにおける法の「科学的」研究とコモン・ロー ... 25

三.コモン・ロー、法の科学、憲法~ストーリーにおける「法の科学」・コモン・ ロー・憲法~ストーリーにおける位置 ... 30

1.ストーリーの『アメリカ合衆国憲法釈義』の基本構造 ... 31

2.植民地時代からのコモン・ロー継受のあり方 ... 32

3.合衆国憲法と社会契約理論:憲法の性質は何か ... 33

4.憲法的紛争における最終的な判断権者、解釈権者は誰か ... 36

5.合衆国憲法の解釈のルールとは? ... 38

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四.小括~ストーリーの憲法解釈の意義、コモン・ロー継受・「法の科学」・憲法

解釈の相互関係 ... 43

第三章 コモン・ロー・共和主義・民主主義~Sedition Act論争とLibelの法理 ... 47

一.アメリカ建国期における政治社会の変容と政治社会理解の相克 ... 47

二 アメリカ建国期における政治社会の変容と政治社会理解の相克 ... 47

1.19世紀初頭のアメリカにおける政治・社会の変容 ... 48

2.フェデラリストの政治文化 ... 48

3.リパブリカン派の“ordinary people”に基づく政治文化 ... 49

三 Sedition Actをめぐる相克①~「恭順に基づく政治」と公共性、コモン・ロー による修正第一条解釈 ... 49

1.Sedition Actの内容とその背景 ... 50

2.Sedition Actとコモン・ロー的基礎による修正第一条解釈 ... 53

3.フェデラリストのコモン・ロー継受論と修正第一条解釈 ... 55

四 Sedition Actをめぐる相克②~新しい政治社会、公共性理解と修正1条解釈の端 緒 ... 57

1.リパブリカンのSedition Actに対する反論の意義 ... 57

2.リパブリカンの様々な反論とその背景にある新しい政治社会理解、そして、 修正第一条解釈とコモン・ロー継受への態度 ... 58

五 Sedition Actに関する裁判例... 61

六 Sedition libel法理の残存~ケント、ストーリーにおけるSedition libelの位置 づけ ... 63

七 小括~古典古代的な共和主義からスコットランド啓蒙へ、イングランドのコモ ン・ローと近代憲法 ... 67

第四章 コモン・ロー・憲法・商業 ... 70

一.本章の目的~コモン・ロー継受と共和主義、そしてpropertyの中心性 ... 70

二.アメリカ前史:コモン・ローにおける<「所有」(property)と「商業」(commerce) >~ブラックストーンとマンスフィールドにおける<「所有」と「商業」> ... 71

1.ブラックストーン『イングランド法釈義』(Commentaries on the Laws of England, ... 71

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2.マンスフィールド卿の「商業」と「商事法」 ... 72

三.アメリカにおけるコモン・ローの継受と<土地所有(landed property)と「商 業」(commerce)>~ケント『アメリカ法釈義』 ... 74

1.ケント、ストーリーにおける土地所有 ... 74

(1)James Kent 『Commentaries on American law』(1826-1830)の構成と personal propertyの中心性 ... 74

(2)personal propertyと「文明社会」(civilized world)・「商業」と「共和主義」 ... 75

(3)ケント、ストーリーにおけるreal propertyについての説明~流動性と所有権 ... 78

2.ケント、ストーリーにおける「商業」と商事法 ... 82

3.ストーリーの経済観をめぐって~Charles River Bridge caseに関する議論 ... 84

4.小括 ... 91

四.合衆国「憲法秩序」における<「流通」・「商業」>~Swift v. Tyson事件再 考 ... 92

1.Swift v. Tyson判決の位置づけ~政治経済史的文脈 ... 92

2.Swift v. Tyson事件の概要 ... 95

3.争点 ... 96

4.Story連邦最高裁裁判官による法廷意見 ... 98

5.Swift v. Tyson判決の分析、同判決の意義 ... 101

終章 憲法草創期のアメリカ「憲法秩序」の実相とその意義 ... 105

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第一章 目的・方法・観点

一 本稿の目的・方法

本稿は、19世紀前半に確立したアメリカの「憲法秩序」の検討を目的とする。ここで 言う「憲法秩序」とは、アメリカの憲法学者のマーク・タシュネットの言を借りれば、一 国の根本的な決定(fundamental decision)がなされることになる制度、そういった決定 を導く原理の組み合わせを意味している。 したがって、 この「憲法秩序」という言葉 は、成文憲法の文言や裁判規範を越えて、その背景にある政治的な要素や指導原理を射程 に入れることを含意している。本稿では、19世紀前半のアメリカにおける、成文の憲法 規範やそれに関する裁判規範の背景にあって、それらを形成する基礎となるもの、すなわ ち、「憲法秩序」を形作る原理、制度の構成要素を探ることになる。かかる「憲法秩序」は、

主に政治的意思決定のあり方に関わる「政治秩序」と、経済活動や所有・取引に関する「経 済秩序」に区別することが可能で、この両者を考察する。

さらに、特定の時代の「憲法秩序」の背景にある「社会」、そのような社会を把握し、

法理論の構築や法の注釈を行う前提として必要となる「認識枠組み」「思想」、かかる「認 識枠組み」「思想」を基に構築された法理、準則、原理、そして法解釈という「法」の相互 関係の中で憲法秩序が形成されているという前提に立ち、その相互関係の解明という分析 の方法を採る。

以上の解明のために、本稿が主な検討とする年代は、19世紀初頭、特に政治史的には フェデラリスト政権からジャクソン政権終焉の前後の間、司法的にはマーシャル・コート 期からトーニー・コート期の前半までの時期、すなわち、1790年代を踏まえながら、

特に1820年代からSwift. v Tyson事件(1842)までの1840年代までを射程に入れ る。なぜならば、後の章で検討するように、この時期において、ケント、ストーリーとい うアメリカ法形成期を代表する法学者、法曹が集中的に数々の法学著作物を発表し、アメ リカ法の体系化を図り、アメリカ法をひとつのシステムとして提示し、彼らの著作が19 世紀全般を通じて大きな影響を及ぼしたからである。そして、検討対象としては、その時 期の主要な法学著作物、ジョセフ・ストーリーやジェイムズ・ケントの法学体系書、及び 裁判例であり、特にジョセフ・ストーリーを中心にする。19世紀初頭から中葉という、

「アメリカ法の形成期」に、法学研究、教育、裁判実務において極めて重要な役割を果た したのがジョセフ・ストーリーであり、ジェイムズ・ケントであり、特に、ストーリーは、

法学研究の分野では、『アメリカ合衆国憲法釈義』をはじめ、エクイティ、民事法、商事法 の各分野で、初めて包括的で体系的な書を著した人物であり、 同時に、マーシャル・

コート期からトーニー・コート期において、アメリカの政治、経済、社会の形成に大きな インパクトを与える重要判決において主導的な役割を果たしていた。さらに、ストーリー は、19世紀前半におけるアメリカ連邦最高裁裁判官にして、19世紀から20世紀にい たるまで長い影響力を維持する主要な体系書を著しただけでなく、ハーヴァード大学ロー スクール・デイン講座教授として、今日のハーヴァード・ロースクールの実質的な開祖で あり、その隆盛の礎ともされる。 このジョセフ・ストーリーに関しては、アメリカの 法形成期における法学研究、教育、裁判実務にまたがって、主導的な役割を果たした人物

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であり、また、後に与えた彼の法学体系書の影響力にもかかわらず、我が国では、ストー リーを巡る研究は多いとは言えない。本稿は、ストーリーに関する諸研究を踏まえ、スト ーリーが体現し、抱え込んでいた古典的な政治社会像から近代的な政治社会、経済社会へ の変容の際の葛藤と矛盾の中で、彼のアメリカ憲法理論がいかに形成され、19世紀にお けるアメリカ憲法のひとつの「基層」となったのかを明らかにしたい。

また、ジェイムズ・ケントは、ニューヨーク州大法官として、大きな影響力を有し、ま た法学者としては、後述するように、初めてのアメリカ国産のアメリカ法の体系書を著し、

その点でもアメリカ全体に大きな影響力を及ぼしており、ストーリーとも政治思想、経済 思想、社会に対する認識枠組みを共有していた。ケント、ストーリーという、アメリカ法 形成期に主要な法学者、法曹であった者たちの法理論、学説、そして裁判例の背景にある 政治思想的、経済思想的な認識枠組みを解明し、アメリカ合衆国憲法やアメリカ連邦体制 に大きな影響を与えた法理論、判例法理への影響、相互関係を解明する。そして、そのよ うな法理論、判例法理がどのような社会観、新しいアメリカ社会や国家の構想の上に立脚 していたのかを示し、それが成文憲法の外部にある「憲法秩序」の知的起源であったこと を明らかにする。

具体的には、18世紀末から19世紀前半にかけて、デモクラティックな「政治社会」

への変動、資本主義的な「経済社会」への変容という、「社会」の変動に対して、ケント、

ストーリーらが1800年以前のフェデラリスト政権の政治思想に共感を有しながらも、

社会変動に対応すべく、「商業」や「文明社会」という新時代の社会を前提にした「思想」、

社会の認識枠組みを有していたことを確認する。そして、かかる認識枠組みに基づく「統 治」の思想、憲法思想が存在していたことを、彼らの法学著作物や判例法理の分析を行い 確認する。そして、そのような認識枠組みが彼らの法理論、判例法理の形成の源となり、

アメリカのコモン・ロー継受のあり方や、アメリカにおけるコモン・ローの再編成、すな わち、「法の科学」、アメリカにおけるコモン・ローという用語、法理の「抽象化」に影響 を与えていたことを示す。それから、かかる「法の科学」が、アメリカ合衆国憲法の基礎 となり、また、上述の政治経済思想が憲法における基礎として存在していたこと、すなわ ち、「法」の形成に影響を与えていたことを明らかにする。

こうした目的のために、本稿は、ケント、ストーリーの「人物研究」 を中心にするこ とはしない。本稿が目的とするのは、個々の人物像の解明では無く、テキスト化された彼 らの法理論と判例法理がどのような相互連関を有し、それらを基礎づけ、正当化する社会 認識がいかなるものであったのかをテキスト分析を通じて明らかにすることだからである。

もちろん、彼らの生涯という長期のスパンで彼らの人物像を検討することは、彼らの認識 枠組みを理解する上で重要であり、テキスト分析に必要な限り踏まえることになる。だが、

人物像を検討対象にするのではなく、ケント、ストーリーがその判例法理や法理論の正当 化としてどのような認識枠組みに基づいて、コモン・ローを継受し、それを理論化し、ま た憲法理論を構築したのかをテキストから浮かび上がらせていく。本稿が明らかにしよう とするのは、アメリカの「憲法秩序」の形成に実際に影響を与えた法的な理論、判例法理、

それらの形成過程の解明であって、19世紀全般を通じて大きな影響を及ぼした法学著作 物が出現し、「アメリカ法」をひとつのまとまりとして提示することを志向し始めた182 0年代後半から40年代前半において、「憲法秩序」の形成を支えた法理論、判例法理の思

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考の枠組み、認識枠組み、パラダイムである。その解明に必要な限りで、人物研究や歴史 的コンテクスト、社会経済との相互連関などを踏まえることとする。

そして、「自由主義」、「共和主義」、「社会契約論」など、アメリカ立憲主義の基礎とし て今日まで様々に検討されているが、19世紀前半のアメリカの「憲法秩序」の実相の解 明を通じて、そういった見解が果たして妥当であるのか、アメリカ合衆国憲法草創期にお ける「法の支配」の内実とは何か、その知的起源とは何かを明らかにしたい。

二.先行研究と問題意識

1.日本における先行研究と問題意識

本稿が以上のような検討を行う際の問題意識は以下の通りである。

日本の憲法学における19世紀前半のアメリカ憲法史研究、そして英米法研究における 近時の歴史研究、政治思想史、経済思想史を踏まえた研究の過少である。

これまで、日本における憲法学では、19世紀の合衆国憲法史の叙述について、18世 紀末の合衆国憲法制定から始まり、19世紀初頭の違憲審査制の成立時期か、あるいは、

19世紀末のロックナー期以降を中心に記述されるのが常であった。 また、合衆国憲 法史研究に関しても同様な時期に限定されていると言ってよい。こういった中で例外的に、

奥平康弘はアメリカにおける表現の自由の通史を描く際に、19世紀の表現の自由のあり 方をコモン・ローとの関係を含めて叙述している、 奥平は、超実定法的な「人権」と、

それらを憲法に適合するように飼い馴らすことによって成立する「憲法が保障する権利」

を区別し、その緊張関係の存在と意義を指摘しながら、アメリカにおける「憲法が保障す る権利」の形成と展開を論じている。奥平は、アメリカ憲法史を概観する中で、アメリカ における権利保障の歴史を振り、19世紀全般を通じて、アメリカにおいて実体的な「憲 法上の権利」が析出されることは稀であったとする。アメリカ憲法は、当初、連邦と州な どの統治上の権限配分の問題など、客観法としての側面が強く、憲法典そのものから「憲 法上の権利」として主観的権利の要素を導きだすことが前面に出てくるのは20世紀以降 とする。 また、これに関連する考察として、奥平は、表現の自由において、憲法上の 権利が主観的権利・自由の確立が全面的に展開してくるのも20世紀に入ってからであり、

19世紀全般を通じて、それが憲法上の権利としてではなくコモン・ローの枠組みにおい て処理されており、コモン・ロー上の法理の影響の大きさを指摘している。10 だが、奥 平の研究は、19世紀それ自体を研究対象としている訳ではなく、あくまで、「憲法上の権 利」が欠如、もしくは乏しい状態から、憲法上の権利が立ち現われてくるまでの「助走」

期間として描かれ、19世紀の合衆国憲法の固有の意味、社会経済構造との相互連関につ いての説明はやや乏しいと言える。

憲法学における19世紀合衆国憲法研究についてのこのような状態は、「憲法上の権利」

をもっぱら検討対象とし、「憲法上の権利」の生成により、憲法が確立したとする視点によ ることから生じる問題であると考えられる。「憲法上の権利」というフレーム、または「社 会契約論」というフレーム、あるいは裁判規範という観点からのみ19世紀前半の合衆国

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憲法に着目しただけでは、19世紀前半のアメリカ合衆国憲法解釈の多様な知的背景、知 的構成要素を把握できない。後述するように、ようやく合衆国憲法の規定の意味について 解釈、注釈がなされ始めたものの、アメリカにおいて法学の学問としての「制度化」が進 んでいない中で解釈や理論の対象とされた19世紀前半の合衆国憲法においては、主に裁 判規範、裁判規範における法原理、法準則の集合体としての憲法に尽きない側面が多分に 存在していた。当時の法学者、法実務家、政治家たちは、この憲法解釈の草創期において、

まだ裁判規範として「固定化」されていない憲法に関して 裁判規範としてだけではなく、

環大西洋圏の政治経済思想と、憲法の解釈や注釈とを直結させながら、合衆国憲法を国家 構想、社会構想の文書としての捉え、広い意味を与えていた。この点を見失うことは合衆 国憲法形成の実像、その歴史的文脈、原義を見失うことになると考えられる。したがって、

後述するように、19世紀前半の合衆国憲法の実像を把握するためには、裁判規範や法理 の展開を追うだけではなく、当時の政治、経済、社会構造の中で、当時の法学者や法実務 家たちがどのような政治、経済思想的な認識枠組みを有しながら、法理論や裁判規範の形 成を行ったのかを検討していくことが不可欠となろう。

他方で、英米法学の分野ではどうか。これまでの日本のアメリカ法研究に関する限り、

フランス法やドイツ法研究と較べ11、アメリカ社会の形成期にまでさかのぼり、アメリカ の憲法が前提とした社会像を探り、そこからわが国に何らかの意義を見出そうとする研究 は、管見の限りでは、あまり見られない。だが、日本の戦後憲法対するアメリカ法の影響 や、様々な法制度におけるアメリカ法の有形無形の影響が存在する以上、19世紀前半と いうアメリカ社会の基礎が形成されたと考えられる時期においてアメリカ憲法が形成され た背景と、それが前提とした社会像、その社会を捉えた認識枠組みを探ることは、我が国 にとって少なからぬ意義を有するものと考える。12

そうした中で、田中英夫は、その大著『アメリカ法の歴史 上』において、詳細かつ包 括的に19世紀のアメリカの法史を叙述していた。田中は、『アメリカ法の歴史 上』にお いて、

「法の実際の運営に当たるlegal profession(法律家層)とその教育の問題、法の担い手で ある法律家がその直面する問題を解決する際の素材としての法の歴史的淵源(特にコモ ン・ローの継受)および法の形式的淵源(法源)(法典編纂運動その他)の問題、法の発展 に対する枠という意味での憲法とその解釈(連邦制をとるアメリカでは、憲法の枠は司法 の面でも大きな意味をもっている)並びに法律家の活動の場としての司法制度の問題が、

主たる関心事となる。そして、全体を通じて、アメリカの法曹が、各時代において解決を 迫られた主要な問題を、いかなる技術といかなる理念を持って解決していったか、という 点に焦点を合わせた」13

とし、法制史のみならず、アメリカ政治史、経済史を踏まえながら、そのような政治・

経済の構造と法律家層、コモン・ローの継受、法源の相互連関を憲法も射程に入れながら 詳述することを意図していた。この著作は、19世紀のアメリカ法史、憲法史の全体像を 立体的に把握しようとした数少ない試みあると言ってよい。だが、この著作の初版から4 0数年が経過し、その間にアメリカ建国期をめぐる歴史研究において、19世紀前半のア

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メリカの歴史像が大きな変貌を遂げている。さらに、憲法史、法制史を考察する上で、政 治思想、経済思想が当時の法学者たちの認識枠組みをいかに基礎づけていたのかという点 についての分析は乏しい。また、政治思想、経済思想史の分野では、19世紀前半のアメ リカが、広く環大西洋を射程に入れた思想的枠組みの下にあったことが明らかにされて来 ており、そのような視点抜きにアメリカ憲法やアメリカ法の形成期を分析することは重要 な視座を欠落させることになる。したがって、『アメリカ法の歴史 上』で述べられている 方法論は、19世紀前半のアメリカの「憲法秩序」を把握する上で有益な方法であるが、

19世紀前半のアメリカ法史、憲法史を読み直すフレームの再定位が必要となるものと考 えられる。

そこで、以下では、歴史学、政治思想などの新しい研究成果と、19世紀前半を対象と したアメリカの歴史研究、憲法史研究との関係、その現状について検討する。

2.歴史的文脈~19世紀前半における「共和主義」「民主主義」「市場革命」

ここでは、19世紀アメリカを捉える前提として、欠くことができない歴史学の見地を 確認したい。まず、1960年代から進められ、数多くの政治史、社会史のみならず法学 研究にまで大きなインパクトを与えた、いわゆる「共和主義」研究が挙げられる。わが国 でも多くの紹介や、それを踏まえた研究がなされているので、14 ここでは、その内容の 概略を確認しておく。

アメリカ独立革命後の経済社会の変容(農本主義的社会から市場志向的な社会への変容、

人々の経済観の変容、新興企業家の誕生など)によって、従来の名望家支配による統治が流 動化し、被治者はその分をわきまえ、統治者に「恭順」を示すという政治文化から、人民自 らが政治への参加を求め始め、さらには自己利益の増進を求める党派が政治を担うという 政治文化へと変容した。これに対して、アメリカ建国期の指導層の多くは、このような人 民の自己利益的な「私益の隆盛」と積極的な政治参加を求める、新しいデモクラティックな 政治勢力の出現と、そう言った勢力が前提とする新しい政治社会像に危機感を抱いた。彼 らは、「私益の隆盛」とデモクラティックな政治勢力が、自分たちの有していた古典的「共和 主義」の理想(「公平無私」な「財産と教養」を有する有徳者達が、「公共善」を求めて政治を行 う)ことを脅かすことを恐れたのである。そして、アメリカ革命の指導層の多くは、植民地 有力者としてのジェントリー層であり、彼らが描いた統治の理想像は、「共和主義」研究以 前の歴史研究が示したような、平等主義的、個人主義的世界観ではなく、「財産と教養」を 備えた「有徳」な市民が「公共善」を目指して政治を主導し、平民のこれに対する恭順 (deference)する政治、つまり、「恭順に基づく政治」であった。そして、合衆国憲法の制 定とは、民主政治の台頭に対する防波堤として設計されたもので、古典的な政治社会像で ある「恭順に基づく政治」の理想が込められていた。だが、このような古典的な共和主義 は19世紀前後において、アメリカの社会経済の変容を前にして、その社会的前提は次第 に失われていったとされる。15

以上のような建国期の共和主義思想の影響力を詳細に論じ、その後の研究に大きな影響 を与えたのが、1960年代のバーナード・ベイリン『The Origins of the American

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Revolution』(1967)、ゴードン・ウッド『The Creation of American Republic』(1969)ら の一連の研究である。だが、本稿が特に検討対象とするアメリカの建国期、19世紀前半 の歴史研究(antebellum研究:18世紀末から南北戦争までのアメリカ史研究をこのよう に総称することが多い)は、そこからさらに大きな展開を遂げてきている。以上の「共和 主義研究」対して、1970年代後半から、アメリカ革命の民主的側面、経済社会の発展 とそれに由来する個人主義的世界観の側面を重視するJoyce Applebyによる批判がなされ た。16 その後、「共和主義」研究を巡ってはさまざまな論争、研究が出されたが、建国 期研究は、ウッド、アップルビーの対立軸を基本にして展開されたものと言えよう。とこ ろが、ゴードン・ウッドは、分析対象となる年代が『The Creation』よりも後になる17 90年代から1820年代を含む『The Radicalism of American Revolution』(1991)にお いて、社会史的視点を取り入れながら、アップルビーと同様に、民主化や経済社会の活発 化によるアメリカ社会の構造的な変容、政治文化の変容を指摘し始める。具体的には、平 等意識の拡大、共同体の流動化、市場経済的発想の浸透、労働観の変化などを詳細に分析 し、19世紀前半における旧来からのジェントリー主導の「恭順に基づく政治」の崩壊過 程と‘ordinary people’の台頭を指摘する。

そして、この『The Radicalism』以後、経済史、政治史、社会史の各分野で、19世紀 前半のアメリカ社会の公共性の観念の変容など、建国期アメリカの構造的な変容を検証す る研究が相次ぐことになる。2000年前後から、ウッドやアップルビーの社会史、政治文化 史研究をさらに深化させた一連の研究が出現してくる。17 いずれの研究からも分かるこ とは、建国期の経済史、社会史研究を通じて、1790年代から19世紀前半に社会経済 の大きな変容と、それに伴う政治文化の転換があり、この時期の政治文化の転換(ジェン トリー支配の要素を帯びた政治文化からデモクラティックな政治文化への転換)が、その 後のアメリカの政治社会、経済社会形成の基礎となるものであったということである。そ して、この政治文化の転換によって、アメリカの政治、経済社会の在り方をめぐる転換も 生じたということである。

また、政治思想史研究の分野の成果として、19世紀前半のアメリカを把握する上で、

「富と徳」という問題枠組みも重要である。J.G.Aポーコックなどの様々な政治思想史家18 が70年代以来明らかにしてきた思想の枠組みで、アメリカにおける18世紀末から19 世紀前半において、有徳な市民の自律性を維持する基礎として農本主義的な土地所有を重 視する思想と、新たに登場した商業社会を基礎にする政治思想の相克と相互連関を考察し、

近代社会形成の思想の手掛かりとするものである。

他方で、19世紀前半から中葉にかけてのアメリカ法の形成と経済社会発展の関係を考 察する上で、欠かすことができないのが、「市場革命」の概念である。先に見た「共和主義」

研究が主に独立戦争後から19世紀初頭を検討対象として、社会、経済の変動を射程に入 れつつも、主に政治文化の変容を解明したものとすれば、「市場革命」研究は、経済史の観 点から、19世紀前半の経済変動、社会変動について、特に「土地」、「市場」、「労働」の 観点から検討するものと言えよう。「市場革命」の概念は、主にアメリカ経済史研究におい て近年論じられており19、そのような研究成果の助けを借りて、それを端的に述べるとす れば、南北戦争以後の19世紀後半におけるアメリカの産業革命以前に生じた、市場志向 的社会の形成を指しており、農業生産物、土地の商品化に加えて、最初の労働力商品の市

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場への出現が始まった時期の説明概念ということになる。20 土地の商品化に関しては、

植民地時代末期から農民間の土地売買が急増する。だが、他方で、窮乏化した農民たちが 借金返済や納税のために自分の土地を差し押さえられ、それが「自由」な市場で競売され る事態に直面した際に、彼らはしばしばこれに抵抗し、シェイズの反乱のように武力衝突 が生じることもあった。農民たちは、自らの土地が自由な市場で売買される商品として抵 当権実行の対象となる際には、それを正当な手続きとして納得する心の準備はまだできて おらず、土地の流動化に対する根強い批判も存在した。21 だが、こうした土地の流動化 は西部開拓と共に加速していく。そして、労働力に関しても、「市場革命」研究は、産業革 命における機械化の前段階において、既に市場における労働力の商品化、資本賃労働関係 の成立を、19世紀前半に発見する。ショーン・ウィレンツ『民衆支配の賛歌―ニューヨ ーク市とアメリカ労働者階級の形成』(1984)は、ニューヨークの職人層のうち、当時 の「旅職人」が資本賃労働関係の下にある労働者階級であることを実証し、さらにニュー ヨークにおける全国市場向けの消費財産業の雇い主たちが「中産階級」文化を発展させて いったことを明らかにする。22

このように、従来農本主義的な民主主義像、独立自営農民からなる独立小生産者的なイ メージによって語られてきたジャクソニアン・デモクラシーの時代(19世紀前半から中 葉)を対象とする歴史研究は、大きな転換を遂げていると言えよう。

3.19世紀を対象としたアメリカ法制史研究、ストーリー研究、政治思想史

「共和主義」研究や、それに基づく建国期の政治文化、社会史研究は、1990年代後 半以降、憲法史、法制史にも影響を与えている。こういった、建国期の歴史研究や政治思 想史が憲法史やその他法制史研究に与えた影響として挙げられるのが、合衆国憲法や連邦 制など様々な法制度における思想的起源や、当時の主要な裁判官、法学者なども少なから

ずrepublicanismの影響下にあったことなど、政治思想史研究の成果を踏まえることが前

提になりつつあることである。23 これは、例えば、日本でよく知られている、ローレン ス・フリードマン(Lawrence M. Friedman)のように、「法とは社会の鏡である」を標榜 しながら、無整序な像を提示し、法を方向づける知の相克や、政治思想的影響についての 知見に乏しい研究や24、モートン・ホーウィッツ(Morton Horwitz)が『アメリカ法の 変容 1780-1860』(1978)で描いたような、19世紀のアメリカ法の変容を経済還元論的 に把握しようとする立場に新たな地平を加えるようになっているものと考えられる。

ホーウィッツの大著『アメリカ法の変容1780-1860』では、19世紀前半のア メリカの法曹が、法と政治を区別したが、その背景には経済的権力と結託した法曹が中立 的な法を偽装し、政治を封じ込めようとしたとしたことがその要因であるとし、ストーリ ーもその中心的な位置を占める者として随所に描かれる。ホーウィッツの『アメリカ法の 変容 1780-1860』は、18世紀末から19世紀中葉前までは、アメリカの経済 社会の進展、商業社会の拡大にと共に、法も流動的になり、道具主義的に用いられたが、

これは、商人と法律家との同盟(merchant-lawyer alliance)の下で行われた。そして、

こういった法の変容の受益者、すなわち商人層は、自分たちの利益に望ましい法の変容が

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なされた後は、それを越える法の変容は望まず、今度はそういった法が固定されることを 求め、形式主義、リーガルフォーマリズムに転じたとする。25 ホーウィッツによれば、

ストーリーもこの流れの中にあったとされ、ストーリーはこうした商人層、商業的利益と の結託の下、彼らの要望を満たすべく、19世紀中葉にかけて、私法においては道具主義 的な法の観念を推し進め、社会の要請に柔軟に応えようとする。他方で、公法、憲法の領 域においては、私法の領域とは対照的にリーガルフォーマリズムに基づき、富の再配分を 求めるデモクラティックな立法府の制定法による、既存の商業的利益に対する侵害を防ぐ べく、property rights、vested rightsを手厚く保護するような法理を推し進めたとされる。

こうして、ホーウィッツの著作において描かれるストーリーは、公法の領域においては、

静的な法形式主義、私法の領域においては動的な法道具主義という立場をとるが、これが ともに商業的利益との結託という因果関係によって説明されるのである。26

ホーウィッツの『アメリカ法の変容 1780-1860』の大きな狙いとして、それ までロスコー・パウンドの法史研究において描かれてきた、法実務家と法の「自律性」「中 立性」、すなわち、アメリカ法及び法曹は、legal taught traditionの中で、政治や経済の 力に対して、根本的な部分では変質することなく連綿とその自律性を維持させてきたとい う物語に対して、経済的利害の影響というアメリカ法の変容の要因を指摘することにあっ たと考えられる。そして、「法の中立性」というアメリカの法曹が十九世紀以来主張してき た態度の動機として経済的利害、商業的利害との結託があったと指摘し、その背景にあっ たイデオロギーを暴露する狙いもあったものと考えられる。だが、商業的利益という「階 級的利益」と法学、法理論の形成を直接結びつけ、商人層との結託という単一の「原因」

によってのみ法学者、法実務家の法理論の営為についての説明がなされてしまうおそれが ある。その結果、ストーリーの著作から伺える、法理論、判例法理においてそれを正当化 する際に前提とする、政治経済思想的な認識枠組みが全く検討されていないことになる。

こうして、ホーウィッツの『アメリカ法の変容』では、法学者、法実務家は、彼らの法 理論の形成に際して、商業的利益と法理論が無媒介に接合され、ただ商業的利益に奉仕す る人物として描かれる。法実務家、法学者たちが政治、経済、社会に直面し、彼らが法理 論、判例法理を構築する際に前提となるはずの社会像や政治経済思想的な認識枠組みの存 在とその意義が見落とされてしまうのである。

これに対して、R.ケント・ニューマイヤーによる浩瀚なストーリーの伝記がある(R.

Kent Newmyer, Supreme Court Justice Joseph Story: Statesman of the Old Republic, The University of North Carolina Press (1986))。ニューマイヤーも、ストーリーが市場 経済、経済社会の拡大を志向していたとする点ではホーウィッツのストーリー像と一致す るが、同時に、ストーリーの保守的な側面など、ストーリーに存在する多様な要素にも目 配りを行う。27 そして、ニューマイヤーのストーリー像における新しい側面として、共 和主義に関する思想、歴史研究の成果を踏まえた点も挙げることができる。ストーリーが 共和主義という古典古代的な政治文化の枠内に存在し、28 それをベースとしつつ、アメ リカの国家的統一や商業の拡大の必要性に直面し、また、新しい経済社会やデモクラティ ックな社会の出現に戸惑いながら、数々の憲法解釈や憲法理論、判例法理の構築を行って いったとする点である。ニューマイヤーのストーリー像は、ジェントリーを政治主体とし、

古典古代の政治社会像を理想とする社会から、デモクラティックで、市場志向的な政治社

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12

会への変容の狭間においてコモン・ローを学問的な研究・体系化の対象とする、「法の科学」

を主張し、アメリカ法の体系化に多大なる寄与をした人物として描かれている。

このニューマイヤーのストーリー研究については、マーク・タシュネットが論評してい る。29 タシュネットは、ニューマイヤーの研究を1960年代以降の歴史学の成果であ る「共和主義研究」を踏まえた点は評価しつつも、「共和主義研究」が抱える根本的な問題 である、「共和主義」という思想の意味内容が曖昧で、矛盾を抱えた観念を有しながら、他 方で台頭してくる商業社会、資本主義に対してストーリーが、そのための法整備を行った ことに関して、ストーリー自身の共和主義の観念がその状況においてどのように作用し、

また変化したのか必ずしも明確ではないと指摘する。

このタシュネットの批判は適切である。ニューマイヤーの著作は、青年期、裁判官とし て着任、連邦最高裁裁判官への就任、ハーヴァード・ロースクール教授への就任、重要判 決への関与など、ストーリーの生涯をその節目で区切り、彼の生涯を伝記として描きなが ら、彼の政治思想などにさかのぼって彼の学説や判例法理を説明しようとしており、その 密度はそれまでのストーリー研究と内容的な分厚さで群を抜いている。だが、ニューマイ ヤーは、その生涯を通してのストーリーの、古典古代を理想とする政治文化、「共和主義」

の影響と、他方において「商業」に親和的な思想的側面を指摘するが、そういったストー リーの政治思想が、具体的にいかなる政治経済思想的な系譜の中に位置づけられるのか分 析されておらず、ストーリーが基盤にした政治経済思想の具体的な内容についても同様で ある。さらに、伝記という制約上、ストーリーのテキストの詳細な検討を通じた分析はな されていない。特に、ストーリーが、19世紀前半までに蓄積されていた共和主義、スコ ットランド啓蒙思想などの社会科学的知見を法学にどのように活かしたのか、環大西洋圏 やヨーロッパのいかなる思想家または法律家のいかなる知見に影響を受けたのか詳しい説 明が無いという問題がある。

またホーウィッツと同じく、ストーリー、ケントを直接研究対象としたものではないが、

19世紀前半のアメリカ法の通史を描く際において、彼らの役割を重視しているのがエド ワード・ホワイト『マーシャル・コートと文化変容 1815-1835』である。30 ホ ワイトは、同著において、主にマーシャル・コート期を検討対象とし、また、70年代以 降の「共和主義」研究の成果を踏まえ、様々な裁判例や緒に就いたばかりのアメリカ法研 究の中に、「共和主義」とそれを掘り崩す「商業」の相克を見る。そして、その視点からマ ーシャル・コート期のストーリーやケントが関わった判例や法学著作を網羅的に分析して いる。だが、ホワイトの著作においても、「共和主義」「商業」に関する政治経済思想の背 景、系譜、ヨーロッパの思想との連続性についての具体的な分析はなく、商業社会を捉え た認識枠組み、また、そういった政治経済思想と個々の法学著作物のテキストとの関係に ついて具体的分析がない。さらに、重要なことに、『マーシャル・コートと文化変容』にお いて検討対象とされたのは、題名の通りマーシャル・コート期であって、それ以後、ジャ クソニアン・デモクラシーの影響を被ったトーニー・コート期においてストーリーが関わ った判例、特に19世紀のアメリカ法を考察する上で重要なCharles River Bridge事件、

Swift v. Tyson事件の考察が含まれてないという問題がある。

このようなストーリー研究の動向と、上述の歴史研究の成果とを合わせ見るとき、スト ーリーの法理論、憲法理論を歴史的文脈の中で考察していくためには、以下の点に注意が

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13 必要となる。

まず、ロスコー・パウンドらの古典的な法制史研究、「法律家の法史研究」の弊害とし て指摘された、法や法理論の形成を、政治や経済、社会からまったく隔絶した、自律的な ものという前提に立ってストーリーを描くことには大きな問題がある。法の自律的観点に のみ立脚し、パウンドが描くようなコモン・ローヤー、コモン・ローの宣託者という側面 からのみ当時の法学者、法実務家を理解し、彼らの言説、法理論、判例法理を把握するの ではその実相を把握し損ねることになりかねない。他方で、ホーウィッツの描いたように、

法の理論形成をもっぱら商業的利益のような「階級的利害」と直結させることは、法理論 の背景にある経済以外の思想的な要素や政治文化の影響、さらにはそういった思想的な要 素もまた社会の変容に直面しつつ様々な相克の中で構築されたことを見落としてしまうだ ろう。そこで、その時代の様々な変化に目配りをしつつ、それに対してストーリーがどの ような立場を取り、自らの憲法理論に反映させていったのかを探る必要があるものと考え る。ストーリーを検討対象とするには、当時の政治家、思想家のみならず、法律家にとっ ても多大な影響を与えた、古典古代的を理想とする政治文化からデモクラティックな政治 社会、市場志向的な経済社会への変容の中でそれと直面しながら、ストーリーがいかなる 認識枠組みの下、法理論を構築したのかを考察していくことが不可欠である。

そして、検討対象とする年代として欠かせないのは、ストーリーやケントの法理論、注 釈が提示され、明確な形を採り、彼らの体系書が提示され、重要な裁判例に彼らが関係す る1820年代から1840年代である。前述のように、この年代は、アメリカの政治、

経済、社会において大きな変動を伴っていた。マクロ的には、土地所有を基礎にし「財産 と教養」を有する土地所有層、すなわち、ジェントリーを主な政治主体として想定し理想 化した政治社会像が終焉を迎え、デモクラティックな政治社会像を受け入れ、そして、賃 労働者が本格的に出現し、それを政治主体としても、経済社会においても出現してくる資 本主義的な経済社会への移行期にあった。具体的な事象レベルでは、この年代において、

彼らと政治思想、経済思想において相容れないリパブリカン政権、ジェファソニアン・デ モクラシーの台頭期であり、その後、さらに急進的なジャクソニアン・デモクラシーが全 盛を迎えた時期であり、ジャクソニアン・デモクラシーの下、数々の急進的な政策が採ら れ、ストーリーはそれに対する対応を迫られた。そして、司法においては、ストーリーや ケントと交流関係を保ち、政治思想的にも極めて近い立場にあったジョン・マーシャル

(John Marshall)連邦最高裁首席裁判官がリードするマーシャル・コート期が終焉し、

ジャクソン大統領によって指名を受け、ジャクソン政権の重要閣僚でありジャクソニア ン・デモクラシーの担い手であった、ロジャー・ブルック・トーニー(Roger Brooke Taney)

連邦最高裁首席裁判官の主導するトーニー・コート期が始まり、後述するように、連邦権 限の拡大、経済的活動に関する連邦レベルでのコントロールを確保しようとしたマーシャ ル・コート期の判例は次々と変更を被る。31 こうしたジャクソニアン・デモクラシーの うねりの中で、ストーリーや彼の盟友とも言えるケントは、デモクラシーの弊害を抑制し 安定した政治秩序をもたらし、他方で、州によってバラバラになされていた経済政策に対 して、経済に関する諸判例を整理し、司法部門が安定した経済秩序をもたらすための法理 論や判例法理を模索していた。彼らが法学体系書において提示した注釈は、単なる法の手 引書としての意味だけではなく、このような目的、国家構想を含んでおり、同時に、その

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ような判例法理を法学体系書というテキストの形で普及させる意図も有していたものと考 えられる。32 ストーリーらは商業的権力を代弁したわけでも、ただ、商業への対応から 動いたわけでもなく、明確な政治思想的ヴィジョンを有していた。その認識枠組みとして 考えられるのが、デイビット・ヒューム(David Hume)、アダム・スミス(Adam Smith)

らに代表される、スコットランド啓蒙思想、そして、それに近い位置にいたバーク(Edmund Burke)である。彼らのテキストの随所で、スコットランド啓蒙思想の流れにある思想家 が引用され、法理論、法の注釈とストレートに接続されていた。彼らは、そういった政治 経済思想を社会、国家、時代を見る認識枠組みとし、国家構想を行った。彼らは、スコッ トランド啓蒙思想から、商業こそが国家、アメリカを一体化させるという着想を得る。同 時に、アメリカに継受されたコモン・ローを原理化、抽象化させ、法の継受を容易にさせ、

さらに、国家的統一性の確保と、新しい商業の時代にコモン・ローを適用させることを企 図したものと考えられる。

そして、ストーリー、その盟友のケントは、憲法に関しても、ヒューム、アダム・スミ スらに代表されるスコットランド啓蒙思想を、合衆国憲法の注釈を行う際の前提となる政 治思想的、経済思想的フレームワークとした。彼らは、個人としては、私益に毒された党 派政治を忌避し、古典古代的な共和主義への憧憬を保持しながらも、現実に対応するため の法理論、憲法理論の構築に際してはスコットランド啓蒙思想に依拠しながら、人民の徳 を信頼するのではなく、デモクラティックな社会における人々の「情念」を前提にしなが らそれを制御するシステムを構想すること、市場社会を文明社会の発展段階の到達点とし て受け入れ、それを前提とした法制度を構築することを目指したものと考えられる。

後述するように、スコットランド啓蒙思想の影響は、ストーリーにおいて、その著作物 で数多く引用されるなど特に顕著で、また、ストーリーのみならずケントにおいても同様 であった。

こうして、以上のような本稿の目的からは、当時の法学者、法実務家の果たした役割、

その法理論、憲法理論の背後にある、当時の社会変動、それに対する政治的、経済的立場、

その基礎にある政治経済思想的な認識枠組みを明らかにする必要がある。だが、政治経済 思想的分析と言っても、特定の政治思想の分析枠組のみで、ストーリーやケントらを分析 することは、彼らの多面性を捉え損なってしまうであろう。それは単一の思想で割り切れ るものではない。彼らのテキストには複数の様々な思想が存在している。

本稿の目的のためには、このようなストーリーの多面性を踏まえながらも、ストーリー をはじめとする法学者、法実務家が具体的にどのような課題に直面し、その課題に答える べく、彼らが法解釈や憲法論を展開していく中で、どのような認識枠組み、フレームワー クに立脚していたのかを分析する。それによって、彼らの憲法理論の形成に際して核とな り、実際にアメリカの憲法秩序に影響を与えた政治経済思想的なフレームワークに迫れる ものと考える。とりわけ、19 世紀前半のアメリカにおいては、法実務家、法学者たちは、

新生アメリカの「国家構想」、憲法体制の定着という課題を緊急のものとしており、そのよ うな社会変動期における参照物として、政治思想、経済思想は大きな意味を有していた。

彼らにとっては、古典古代以来の大陸の政治思想や経済思想、18世紀に発展を遂げた、ス コットランド啓蒙などの政治経済思想は、合衆国憲法体制やアメリカ法のグランドデザイ ンを考察する上で、必要不可欠であった。ストーリーをはじめ、主要なアメリカの法実務

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は、このような政治思想的、経済思想的フレームワークに立脚し、伝統的なコモン・ロー の知識を基本にしながら、ローマ法も参照し、憲法論や法解釈を展開していたことを踏ま えなければ、彼らの憲法論、法解釈を「立体的」に把握するのは困難である。

三.本稿の観点

以上の問題意識、先行研究に対する批判に基づき、本稿では、「憲法上の権利」が全面 的に立ち現れる前の、19世紀前半のアメリカにおける憲法とコモン・ローの関係につい て、歴史的文脈を念頭に置きながら、解明することを試みる。その解明のために、本稿は、

三つの観点から建国期からアメリカ法形成期にかけてのアメリカ憲法の「基層」を明らか にする。

まず、①法の継受、すなわち、コモン・ローの継受である。

建国期から 19 世紀にかけての合衆国憲法では、コモン・ローの法理がストレートに憲 法に汲み上げられた時代であり、19世紀の合衆国憲法を考察する上で建国期アメリカに おけるコモン・ローのあり方を考察することは不可欠である。

憲法学者のキャス・サンスティンは、ニューディール以前の19世紀全般を通じて、コ モン・ローが合衆国憲法の解釈や理論に極めて強い影響力を有し、その基礎となったこと を「コモン・ロー秩序」と評している。33 ニューディール以前の司法部、すなわち、ロ ックナー期に代表される、憲法革命以前の司法部は、コモン・ローを通じた資源配分が前 政治的で、自然な経済秩序を反映しており、その結果、これに対して変更を加える行為は 政府の「介入」であるとされ、そのような介入に対しては憲法的な正当性に関して疑義が 表明されていたことを指摘する。これに対して、ニューディールは、このロックナー期ま での司法部の背景にある「現状中立性テーゼ」そのものを変更させ、「コモン・ロー秩序」

の前政治性、自然性を否定した。その変更の意味は、憲法革命以前において、司法部は、

必ずしも「現状中立」であった訳ではなく、むしろ、司法部はコモン・ローを通じて、1 9世紀全般の資源配分や、「市場」に関する法理を積極的に作りだそうとしていたのを明ら かにしたことである、とする。すなわち、ニューディール期以前の司法も、コモン・ロー を憲法のベースライン(baseline)とし、積極的な作為を通じて、ニューディール期以前 の政治・経済秩序を作り出したということを明らかにしたのである。

サンスティンは、こうした、コモン・ローがアメリカ憲法において有する基層、ベース ライン(baseline)として機能する状態を「コモン・ロー秩序」としている。サンスティ ンは、この19世紀を通じて機能したとする「コモン・ロー秩序」のあり方について批判 的な立場ではあるが、サンスティンの規範的な立場に賛同するかどうかは別として、「コモ ン・ロー秩序」という発想、19世紀を通じて、コモン・ローが合衆国憲法の基礎を提供 していたとする認識については、本稿と共有する。だが、サンスティンの理論研究からは、

かかる「コモン・ロー秩序」がいかなる歴史的経路を通じて生じたのか、その起源は明ら かにならない。さらには、同じコモン・ロー圏のイングランドのコモン・ローとどのよう な相違があったのかも明らかにはならない。

アメリカは言うまでもなくイングランドのコモン・ローを継受したが、後述するように、

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アメリカの植民地時代からの固有の事情、建国期アメリカの特殊事情などから、イングラ ンドのコモン・ローをそのまま継受できた訳ではない。したがって、イングランドのコモ ン・ローをいかに「アメリカ的」に継受されたのかを踏まえることが不可欠である。

次に、②法学書(legal treatise)の伝統と「法の科学」である。18世紀より、コモン・

ロー法域において、注釈書が多く現れ始める。それまで、インズオブコート(法曹学院)

において口頭的な伝授が行われていたコモン・ローの知識が、体系化されたテキストブッ クを通じて、広がることが可能となった。とりわけ、インズ・オブ・コートのような、高 度な法曹養成システムを持たないアメリカにおいては、法学書が主要な知識の伝達手段と なり、イングランドからもたらされたブラックストーンの『イングランド法釈義』や、ア メリカ国産のジェイムズ・ケントの『アメリカ法釈義』、ジョセフ・ストーリーの『アメリ カ合衆国憲法釈義』は、法律家の主要な法学の資源となった。特に、ニューヨーク州大法 官であったケントや、連邦最高裁裁判官であったストーリーは、法曹としても主要な役割 を果たしており、実務上の影響力も絶大であった。また、19世紀前半には、彼らが属し ていた、やや国家的で、保守的なフェデラリスト系の政治勢力が、政治部門において力を 失っていたこともあり、司法部での活動や、法学書を通じて、法運用の統一化を目指し、

国家的統一を確保しようとする意図も存在しており、単なる法律書のみならず、「国家構想」

の文書としても読解することが必要になる。また、法学書を通じて、法学を体系化し、原 理に基づかせる「法の科学」の試みがなされ、これがアメリカ法、アメリカ憲法に重大な 影響を与えることになったと考えられる。

そして、後述するが、コモン・ローの継受と法学体系書の伝統という二つの観点は、ア メリカが法継受国であり、連邦制国家であるという点で重要な意味を有し相互に関連して いるものと考えられる。すなわち、かつて植民地であったアメリカでは、イングランドの コモン・ローを継受し、それがアメリカにおける法的知識の基礎とならざるを得なかった が、建国期のアメリカでは、イングランドと異なり、素人にも理解可能な形でテキスト、

法学書によって体系的にコモン・ローの「教授」を行っていく必要があった。そして、連 邦制国家であるために、連邦政府はもとより、連邦司法部は州内部の問題について判例法 理を形成できるのは極めて限定的な場合に限られていた。そこで、権威のある法学体系書 の提示という形で、法の統一化を模索するしかないという側面もあった。

最後に、③政治思想、経済思想的フレームワークである。これまで述べてきたように、

建国期のアメリカでは、政治指導者のみならず、後述するケント、ストーリーなど主要な 法曹においても、「共和主義」と、「商業」社会としての「文明社会」を積極的に受容し、

人々が有する「徳」に対する期待よりも「情念」によって政治が突き動かされる現実を見 つめ、「文明社会」において人々が洗練化されていくのを望む、デイヴィッド・ヒューム、

アダム・スミスら「スコットランド啓蒙思想」や、エドモンド・バークなどを様々な議論 の前提とし、認識枠組みとしていた。また、こういった政治思想や経済思想がコモン・ロ ーや合衆国憲法の注釈書に、法的説明の前提として引用され、法学とストレートに接続さ れた時代であり、同時代の法学研究を解明するには、政治経済思想的な認識枠組みを踏ま えることが不可欠となる。アメリカ法の形成期は、「共和主義」と「スコットランド啓蒙思 想」の狭間の中で、あるべき社会像が設定され、法学者たちは、その社会像を前提に憲法 やコモン・ローに関する法理を整理し、注釈を行っていた。そして、この政治経済思想も、

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アメリカの連邦制の確立との関係でも重要である。具体的には後述していくが、スコット ランド啓蒙思想には「商業」の精神が国家間の敵対心を和らげ、人々の社交性を強化し、

連携を強めるとの発想があった。この発想が、アメリカ国内の諸州間の調和、連邦の統一 性を求めるストーリーにとって大きなバックボーンとなっていたものと考えられる。

本稿は、この三つの観点に基づき、第二章では、ケント、ストーリーがコモン・ローを いかに「科学」としてひとつのまとまりをもったものに再構成しようとしたのか、そして、

かかるコモン・ローがいかに憲法に影響したのか、また、それがいかなる政治経済思想に 基づいていたのかを検討する。第三章では、「出版の自由」という「政治秩序」に関する法 理を巡り、アメリカではいかなる政治文化や政治思想を背景に、コモン・ロー継受との関 係で対立があったのかを確認する。その上で、ケントストーリーらの「政治秩序」の構想 を検討する。第四章では、土地所有と商事法に関するケント、ストーリーの著作、判例法 理を検討し、その政治経済思想的な基礎を検討する。そして、彼らの「経済秩序」の構想 を明らかにする。

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第二章 コモン・ロー・法の科学・憲法

本章の検討に際して、重要な鍵となるのが、当時のアメリカの主要な法実務家、法学者 たちが課題としていた「法の科学」(science of law, legal science)という概念である。こ の「法の科学」という概念を通じて、政治思想的、経済思想的フレームワークと憲法論、

法解釈が結節しており、さらには、アメリカにおいてコモン・ローを継受する際の鍵概念 として存在していた。すなわち、アメリカにおいてイングランのコモン・ローを継受する ためには、イングランドとアメリカの建国の原理の相違、法の適用、それを運用する法曹 の能力、法曹養成、商業的世界の拡大への対応などの観点から体系化、抽象化が必要であ った。この体系化、抽象化のために用いられたのが「法の科学」(science of law, legal science)

という言葉である。「法の科学」を目標にしながら、イングランドからアメリカに継受され たコモン・ローは、アメリカにおいて、アメリカ社会に適合するように変容を遂げ、また、

アメリカの政治・経済社会の進展に伴って改変され、34 とりわけ、ストーリーやケント によって、コモン・ローは「法の科学」として学問的な分析・体系化の対象とされた。こ うしたコモン・ローという概念・用語の抽象化の結果、建国期から19世紀前半にかけて、

当時の法学の著作物においては、コモン・ローという言葉が、裁判管轄権(jurisdiction)

や準則(rules)、判例法理(jurisprudence)など極めて多義的な意味を含み、用いられること になったものと考えられる。35 ストーリーやケントには、抽象化され、多義性を帯びた

「コモン・ロー」を通じて、変容する政治社会に直面し、その緊張関係の下で、あるべき アメリカ社会における憲法理論、憲法解釈を導くという目的が存在していた。

本章では、この「法の科学」の内実を明らかにし分析するが、これにより、上述の政治 経済思想的なフレームワークと憲法論、法解釈論の相互関係を明らかにし、さらにはそれ とアメリカのコモン・ロー継受のあり方の関係について総体的に示すことが可能となると 考えるからである。

以下では、いかなる要素によって、ケント、ストーリーらによって「科学的」(scientific)

と題された、法、コモン・ローの革新が進められたのか、さらに、コモン・ローと憲法は どのような関係にあるものとされたのか。19世紀前半のアメリカの歴史的文脈の中で、

ストーリーの憲法解釈、憲法理論を再検討し、特に、そこでの憲法と「法の科学」の関係、

その背後にある社会認識及び政治経済思想的な認識枠組みを分析する。

まず、イングランドから建国期アメリカにおける法の「科学的」研究の流れを踏まえ、

「科学的」という言葉の下で、いかにコモン・ローの体系化が企図され、また、学問研究 の対象とされるようになったのか検討する。

アメリカにおける憲法理論や解釈、私法に関する様々な注釈書、体系書の形成、さらに は、法曹養成を行う際の基礎となる注釈書、テキストブックの作成においては、コモン・

ローの「科学的」研究が不可欠であった。高度な法曹養成システムは未だ未整備で、コモ ン・ローの習得の点で未熟であったアメリカにおける法曹、法学徒にとって36、テキスト の形において、体系性を持った、法学が教授されることが必要不可欠であった。また、ア メリカとイングランドの国制の相違などを巡り、イングランドのコモン・ローのアメリカ への継受に関する様々な議論があったことや、アメリカの経済社会の急激な変容の中で、

法を新時代に適応させるための理論や、アメリカにおける法曹ないし法学徒への新しい教

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育システムが必要とされた。そのような中で、法を「法学」として学問的に把握する試み、

法の「科学的」研究、「法の科学」(the science of law、legal science)が模索されること になった。だが、このような「法の科学」は、アメリカにおいて独自に模索されたもので はなく、18世紀のイングランドにおいても模索されてきたもので、コモン・ローに関す る注釈書や法学論文(legal treatise)を通じて、アメリカに受け継がれたものであった。

37 そこで、以下では、18世紀イングランドにおける「法の科学」と、そのアメリカへ の影響、アメリカにおける「法の科学」の流れを検討する。

一.イングランドからアメリカにいたる法の「科学的」研究の流れ

1.イングランドにおける法の科学的研究~ブラックストーンの『イングランド法釈義』

の意義

イングランドにおいては、18世紀までは、主に、従来の法曹養成、法の専門的知識の 伝授はインズ・オブ・コートにおいて、閉鎖的な関係の中で行われていた。しかし、18 世紀以降、このような従来のコモン・ロー教育を見直そうとする新しい動きが出てくる。

その大きな画期となる人物が、オックスフォード大学ヴァイナー講座を担当したウィリア ム・ブラックストーン(William Blackstone)である。彼は、その著書、『イングランド 法釈義』において、法の「科学的」研究、あるいは、「法の科学」という考えを提示し、そ れまでの個々の判例の集積、複雑な訴訟方式の集合として主に実務においてのみ伝承され ていたコモン・ローを、「法曹の法」38 からジェントルマンにも開かれた法とすべくコモ ン・ローの体系的な注釈を試みた。ブラックストーンは、後に『釈義』の下敷きとなった、

1753年におけるイギリスの大学での初めてコモン・ローの講義に際して、「法律は実務の 問題であるだけでなく、体系的な法の科学(legal science)の問題」であるとし、その際には、

社会の「実定的な国制(positive constitutions)の基礎」(現に存在している国制)を探究せ ざるを得ないとした。39 さらに、コモン・ローに内在する「一般的な法原理」(general

principles) 40 の探求を法学者がなすべきであり、特に大陸法と比較した場合、従来のコ

モン・ローの注釈書や実務教育が、体系性を欠くことにおいて著しく劣るとし、法実務が 依拠すべき要素や、第一原理(the first principle)に基づいてコモン・ローの在り方が研 究され、教授される必要性を力説した。41 その上で、ブラックストーンは、コモン・ロ ーの研究、教授においては、「しっかりした、科学的方法」に基づいてなすべきことを強調 した。42

ここで、ブラックストーンが、『釈義』において、「科学」(science)、「科学的」(scientific)

と述べる際の意味はいかなるものであっただろうか。また、この時代に現れた法学著作物 においてに、「科学」、「科学的」といわれる際にはどのような意味を含んでいたのだろうか。

この点について、17世紀から18世紀にいたるヨーロッパ大陸とイングランドの法思想 全体を射程に入れ、それらを新しい科学観や宗教改革との関係から考察したハロルド・バ ーマンによれば、ヨーロッパ大陸では、science という言葉の意味は、現代の英語圏で意 味するような自然科学のみを指すのではなく、より広い意味を帯びたものであったという。

参照

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