第三章 コモン・ロー・共和主義・民主主義~ Sedition Act 論争と Libel の法理
四 Sedition Act をめぐる相克②~新しい政治社会、公共性理解と修正1条解釈の端
1.リパブリカンのSedition Actに対する反論の意義
以上のフェデラリストのSedition Actに対して、リパブリカンは様々な反論を加える。
Sedition Actに関する古典的な先行研究では、主に、連邦憲法を根拠とするリパブリカン
のSedition Actへの批判は、連邦が不当に州の権限を侵害しているとする州権論に基づく
ものであるとするものがある。例えば、Sedition Actを検討する際に、頻繁に依拠される ウォルター・バーンズは、Sedition Act論争の主要争点とは、をフェデラリズム(連邦主 義)に対する、フェデラリストとリパブリカンの立場の相克であったと考える。230 こ れに対して、植民地時代から19世紀初頭までの「出版の自由」の概念の出現と、そのあ り様を分析し、これまた建国期の「出版の自由」研究に欠かすことができないレヴィー・
レオナルドの一連の研究は、コモン・ローという「出版の自由」に対する抑圧の法と、1 9世紀前後に初めて登場してきた自由主義的(libertarian)な「出版の自由」の観念がぶ つかり合ったのがSedition Act論争であるとする。231 そして、リパブリカンの数々の 主張に、アド・ホックな政治的主張という評価を一部で下しながらも、コモン・ローに対 する自由主義的理論の出現を指摘している。232 また、近年では、これまで1798年 のSedition Act、Sedition libel研究を踏まえながら、Sedition Act論争に修正第一条解釈 へのコモン・ローの法理の編入を主要な検討対象とし、フェデラリスト、リパブリカンの 対立をその視座で捉え直して、憲法史におけるその意義を読み解く研究がある。233
Sedition Actに対する当時のリパブリカンの主張を見れば、フェデラリズムの在り方を
論拠として、一方で、Sedition Actの制定を州権に対する侵害として捉え、他方で、修正 第一条の「出版の自由」の解釈をめぐる問題として捉えているのがよく理解できる。例え ば、後述するが、この時期にリパブリカン派のリーダーのひとりに転じ、Sedition Actへ の理論的な主要な反論の文書といえる『ヴァージニア・レポート』を書いたジェイムズ・
マディソンは、『ヴァージニア・レポート』において、連邦憲法の契約主体を州と捉える、
フェデラリズムに関する論点と、連邦憲法の修正第一条解釈を論拠とする部分が存在して いた。234 また、ブラックストーンの『イングランド法釈義』の注釈や批判的検討を通 じて、アメリカにおける「言論・出版の自由」を定位しようとした、ジョージ・タッカー も同様に、連邦権限の問題、修正第一条解釈の問題の双方の論点を論じていた。235 そ して、彼らがそれを論じる際には、前提として、アメリカにおけるイングランドのコモン・
ローの継受の問題が存在しており、そこにまた多くの論が費やされおり、連邦と州の権限 の問題は、コモン・ローの継受の問題と関連して扱われており、コモン・ローの継受の範
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囲の問題、すなわち、州レベルでの選択的な継受か、連邦レベルの連邦コモン・ローの存 在を認めるのかという問題と関連して論じられていた。また、この時期から19世紀中葉 にいたるまで、代表的な法学著作物において、コモン・ローの継受の問題が大きな論点と して数多くのページを割かれ、それを通じて新生アメリカの憲法とイングランドの国制と の激しい緊張が展開されていた。236 さらに後述するように、マディソンやジョージ・
ヘイといったリパブリカンの論者たちの中には、コモン・ローに基礎づけられたものから 離れた「出版の自由」概念を、連邦と州の双方に貫徹させる議論を展開させており、その 点においても、フェデラリズムを越えた視点において、それが論じられていたことが分か る。
したがって、フェデラリスト、リパブリカンの主張を<州権 対 連邦>という権限配分 の枠組や、「抑圧の遺制」に対する自由概念の成長と言う枠組のみで捉えることは、Sedition Act 論争のアメリカの法形成や憲法に対する深いインパクトを見落とすことになるように 思われる。そこで、近年の歴史学の成果を踏まえ、<州権 対 連邦>という権限問題の枠 組や実体的な自由概念の成長という枠組の背後にある思想や、政治文化の対立を考慮に入 れ、Sedition Act論争がなされた19世紀の政治文化の変容、社会変動を見据えつつ、コ モン・ロー継受論への彼らの対応を視座に取り込むことが必要であると考える。そして、
政治文化の変容、政治社会の変容というフレームを基礎にしながら、フェデラリズムの在 り方をめぐる問題、修正第一条解釈の在り方をめぐる問題、その二つの問題のメタ・レベ ルの問題として、新たに創生したアメリカ社会におけるイングランドのコモン・ロー継受 の問題が背景にあったことを踏まえる必要がある。そして、その視角においてSedition Act 論争を捉えることによって、Sedition Act論争を当時の文脈において把握しつつ、その意 味や射程を広く把握することが可能になるものと考える。
2.リパブリカンの様々な反論とその背景にある新しい政治社会理解、そして、修正第一 条解釈とコモン・ロー継受への態度
前述のフェデラリストの主張に対して、リパブリカンは、様々な角度から批判を加える。
ここでは、リパブリカンの様々な論者の主張を見て、彼らの反論の要点を踏まえ、その意 味を検討する。
まず、主要な論者として、チュニス・ウォートマンが挙げられる。彼は、『Treatise concerning the political Enquiry, and the liberty of the press』(1800)を著し、Sedition Act に対する理論的な批判を行う。言論・出版の自由に基づく知的交流の拡大は、理性や 科学、真理および文明の進歩につながるという進歩主義的な観点に立脚する。237 そし て、そこには、超越的な公共善を否定し、個人の差異を前提にしながらその調和を行う公 論の形成によって社会の維持・発展がなされていくという社会イメージがあった。238 こ の新しい社会イメージに基づき、彼は、特に政治社会における公論の形成の重要性から出 版の自由を基礎づける。彼は、あらゆる種の政治制度を支えるのは公論(public opinion) であるとする。239 そして、選挙権についての財産所有要件に疑問を呈し、選挙権の拡 大を主張したうえで、社会における人民の討議の重要性を力説する。240 出版は、まさ
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に討議の「乗り物」(vehicle)241となるものであり、その点から、修正第一条によって、
Sedition libelに基づく事後的な規制から守られるべきであるとする。デモクラシーの社会
における政治的な言論では、ただ討議によって真実を発見していくことだけが、誹謗を防 ぐものであるとした。242 そして、このような政治理論に依拠したうえで、コモン・ロ
ーの Sedition libel の法理によって修正第一条解釈を行うことを否定する。そして、
Sedition Act制定についての連邦の権限に関しては、連邦憲法の最終的な契約主体は人民
により近い州であるとし、連邦憲法は、限定された特定の権限を連邦政府に委託したに過 ぎないとする。243 ここから、連邦コモン・ローの存在が否定され、同時に、Sedition Act についての立法権限も否定されることになる。さらに、彼は、ブラックストーンにおいて 定式化されていた「自由」と「放縦」の区別にも言及し、「放縦」の是正は、あくまで人々 の公論においてなされるべきとする。244 加えて、libel に対する刑事訴追は、「放縦」
の是正には不要であって個人への侵害としてなされた場合に民事訴訟において処理される べきであるとする。245
ジェイムズ・マディソンは、連邦憲法制定時において連邦政府設立を目指すフェデラ リストであったが、同時に、連邦憲法に修正条項を導入することに関しての最も熱心な主 張者であった。しかし、1780年代において、マディソンが修正条項に対してどのよう な意義をどれほど見出していたのかは不明である。当初、連邦憲法に権利章典を導入する のに反対していたマディソンが、後に修正条項導入を強く主張した動機は、①連邦憲法反 対派の反対理由を奪うこと、②彼自身の下院議員選挙の際に争点として浮上し、選挙戦を 有利に闘うため、修正条項導入を選挙公約とせざるを得なかったということにある、とさ れている。246 また彼は、制憲時において、修正第一条がいかなる法的性質のものか(コ モン・ローを継受したものなのか)、言論・出版の自由は何を意味するのか明確に語ってい なかった。247 一方で、1789年の憲法起草段階において、修正条項のうち、特に、
良心・出版の自由については、州に対してその侵害を禁ずる提案をしており、フェデラリ ズムを越えて、いかなる権力からも守られるべき権利としての性質が構想されていたのが 見てとれる。248
1790年代に入り、マディソンはフェデラリストと袂を分かち、その政策を批判し始 めた。そして、この時から、言論・出版の自由の意味を明確にし始め、249 Sedition Act 制定に対する反論の書である『ヴァージニア・レポート』において、その解釈論を示して いる。
マディソンは、『ヴァージニア・レポート』において、連邦憲法の契約主体は州にある という州権論の立場を取りつつ、連邦憲法の修正条項解釈を行う。すなわち、修正第一条 を信教の自由条項と一体的に捉えて、信教の自由と言論・出版の自由を結びつけ共に政府 の権力によって侵害できないものとした。修正条項が、信教の自由と言論・出版の自由が 同じ条項に規定されている趣旨を読み解き「信教の自由」によって、アメリカは国教会体 制を敷くイングランドとは法的にも政治的にも断絶をしたのであり、修正第一条がコモ ン・ローを継受したものとすることはできない、と論じる。250 マディソンは、信教の自 由条項については、早くから政治社会(civil society)によっても規制し得ない、絶対的な 権利として構成していた。251 マディソンは、修正第一条解釈を信教の自由と言論・出 版の自由と一体的に構成し、その範疇に言論・出版の自由を組み込んだのである。