• 検索結果がありません。

Sedition libel 法理の残存~ケント、ストーリーにおける Sedition libel の位置

ドキュメント内 目次 第一章 目的・方法・観点 (ページ 63-67)

第三章 コモン・ロー・共和主義・民主主義~ Sedition Act 論争と Libel の法理

六 Sedition libel 法理の残存~ケント、ストーリーにおける Sedition libel の位置

1800年にフェデラリストは政権を失い、リパブリカンのジェファソン政権樹立によ り、Alien and Sedition Actは失効し、連邦政府による立法という形ではSedition Actは、

一度も裁判所による審査を受けることなく立法部によって失効された。

だが、Sedition Actの核となった、コモン・ロー上のSedition libelの法理自体は、ケン ト、ストーリーらが著した、19世紀のアメリカで最も影響力のあった主要な体系書にお いて支持された。281

まず、ニューヨーク州最高裁首席裁判官、そして、大法官(chancellor)の地位にあっ たジェイムズ・ケントの『アメリカ法釈義』は、前述のように、法の主要部門を網羅し、

19世紀を通じて主要なアメリカの法学体系書であり続けたが、彼は、この体系書におい

て、Sedition libelの法理を支持し、後代にまで、アメリカにおける出版の自由、修正第一

条についてのコモン・ロー上の定義を伝え続けた。ケントは、ブラックストーンの『釈義』

に大きな影響を受け282、その体系に類似した『アメリカ法釈義』を著したが、出版の自 由に関して、Public Wrongs(不法(違反)行為)の項目に置かれたブラックストーンの『釈義』

64

と異なり、“Of the Absolute Rights of Persons”(人の絶対的権利)の項目に置く。283 こ こで、彼は、個人の名声(good name)の侵害態様としてlibelを論じ、その中で、言論、出 版の自由を論じる。彼は、出版の自由を、自由な討論や感情の伝達(communication of sentiment)を保障するもので、それが社会において重要な役割を果たすことを認め、憲法 上の原理(constitutional principle)であると述べる。284 だが、彼もSedition libelの法 理に基づく、出版の自由に対するコモン・ロー解釈に固執する。彼は、マサチューセッツ 州とルイジアナ州における判例に触れながら、ともに、「コモン・ロー上の原理が、常識と 共通の正義に立脚し、全ての文明国に広がっており」、「イングランドのコモン・ローの

Sedition libelの法理が、この国における原理であることは、憲法や立法による明確なコン

トロールがなくともそうなのある」とする。285 そして、ケントは、ブラックストーン と同様に、自由と放縦の区別を行い、後者の規制の必要性を強調する。286 ケントは、

libelをなす者は、民事訴訟における場合と同様に、直接的に公的な平穏の侵害に対して向

けられた侵害行為について有罪として、侵害者はその責任を負うとし、政府、公職者に対 する名誉毀損的な出版は、私人に対するものと同様に罰せられるとした。287 ケントは、

アメリカの法学におけるSedition libel の理論的基礎をさほど調べることは無く、ただ、

Sedition libelにおける真実性の証明という、コモン・ロー上の手続面に関する論点に集中

する。また、彼は、自身が裁判官として担当したクロスウェル事件への論評を行う。この 事件は、連邦法上のSedition Act失効後、すなわち、「1800年の革命」によるリパブ リカン政権成立後、今度は、フェデラリスト派によるリパブリカン派への批判的言説に対 して、コモン・ロー上のSedition libelが適用されて裁判となった事例である。288 この 事例を引きながら、ケントは、抗弁事由として、出版内容が真実であるという真実性の抗 弁だけでは足りないとし、それが善良な動機によってなされたことが重要であるとし、真 実性の証明だけでは足りないとした。このように、ケントにおいては、出版の自由の意義 についての原理的な考察や、その実体的な権利としての性質についての叙述は、ブラック ストーンよりは触れられてはいるものの、もっぱらコモン・ロー上の libel に対する抗弁 や、準則の問題として処理され、libelにあたらない「残余」の行為の自由としてそれが存 在するものと考えられていたものと言える。

ケントと同じく、もしくはそれ以上に、19世紀を通じて大きな影響力を持った、『アメ リカ合衆国憲法釈義』において289、ストーリーは、主に、言論、出版の自由を修正条項 (Amendment)の項目において論じ、修正第一条に関する注釈を行う。彼は、修正第一条解 釈について、「この修正条項の文言は、事前の規制なしに、ある主題について、人が自らの 意見を話し、書き、出版する権利を有するということ以上は意味せず」、他者の人格、財産、

名誉を害せず、「公共の平穏や政府の転覆をしようとない限りにおいて」存在するとし、ブ ラックストーンにおいてなされていたコモン・ロー上の出版の自由、事前規制の無いこと をその核とする定義に従い、修正条項の解釈を行う。290 そして、ケントと同様に、「そ の偉大な原理は libel のコモン・ローにおいて作動していたもので、人は、善良な動機を 持って、正当化できる目的を持って真実であるものを自由に出版できる権利を有する、と いうこと以上のものでも以下でもない」とし、免責のためには真実性の抗弁だけではなく、

その出版が善良な意図からなされた証明が必要であることを論じた。291

そして、出版の自由に関して、ジョージ・タッカーが主張するような、名誉毀損に対す

65

る私法上の訴訟によって libel を是正するだけは足りず、公共の平穏を害し、政府を不安 定にし、社会を乱す出版に対してSeditionというカテゴリーを設け、政府が規制する必要 がある理由として、

「(出版についての全くの無制限の自由は)すべての市民に対して、その思うままに、名誉、

平穏、財産、他の市民の身体的安全さえも破壊することを認めるものとなるだろう。・・・

(中略)・・・それは、国内のあらゆる平和を覆し、市民の親密な愛情を不和にさせ、弱く、

臆病で、無邪気な人々に最も苦しい罰を与え、その情念(passions)や心の腐敗(corruption)

の望むままに、全ての人間の市民的(civil)、政治的(political)、私的な(private)権利 を侵害し、政府それ自体に対するseditionや反乱、反逆を掻き立てることになるだろう。」

292

と、ここでも社会に存在する「情念」(passions)の制御の必要性が指摘される。

このような出版の自由のあり方に関して、ストーリーが『合衆国憲法釈義』の基礎理論 において政治思想的、経済思想的フレームワークとして負うところが大きいヒュームも『道 徳・政治・文学論集』において論じていた。293 ヒュームは、出版の自由によって

「学問、知性、天性は自由の味方として用いられ、人々は一人残らず自由の擁護に向けて 鼓舞される」とし、専制、混合政体、共和制といったあらゆる政体にとって必要な自由と しながらも、「言論・出版の無制限の自由は、それに対する適切な是正手段を提案すること が難しく、おそらく不可能であろうが、これがこうした混合形態の政体に伴う弊害の一つ であることは認められなければならない」とし、出版の自由の役割を評価している。とこ ろが、ヒュームは、同じ論考において、1770年版以前では、

「アテナイの民衆扇動家やローマの護民官の激烈な演説によって生じたような悪い結果が この自由から生じるのではと危惧する必要はない。人は書物やパンフレットを一人でしか も冷静に読む。影響を受けて激情に感染させられるような人はまったく存在していない。

行動がもつ力と勢力によって急がされるような人もいない」

「言論・出版の自由は、いかに濫用されようとも、それが民衆を扇動して暴動もしくは反 乱を引き起こすことはまずありえない。」

「人間の経験が増大するにしたがい、民衆(people)はこれまで言われてきたような危険 な怪物ではけっしてなく、理性のない動物のように、綱をつけて引っ張ったり、追い立て たりするよりも、理性をもった被造物のように導く方が、いかなる点から見てもよいとい うことも分かってきている」294

としていた箇所を削除し、急進的ジャーナリズムの台頭、政治の急進化、「政治的無秩序の 世紀」に対する警戒を示していた。295

ストーリーもヒュームと同様に、社会の急進化、デモクラティックな社会の無秩序に対 して警戒し、出版の自由を、そのような新しい社会の制御の問題と捉えていた。

66

「要するに、出版とは近代社会における新しい要素なのであって、大部分において、軍隊 の権限、人民主権をコントロールするのと似ている。出版は、沈黙とともに、安っぽさと ともに、悲しみとともに、社会のすべての土台を一瞬で解体させ、渓流のようにその範囲 内のあらゆる物事を荒廃させるように公論(public opinion)を突き動かすのである」296

ストーリーこの指摘において重要なのは、出版とそれが形成する「公論」が新しい近代 社会においてコントロールする対象として挙げられていることである。出版は「情念」を 突き動かし、公論もまた突き動かす。それを適切に管理することが近代社会において出現 した課題とされ、ここでストーリーにおいては、古典古代的な政治文化の中では生じなか った、新しい課題として明確に意識されている。そしてストーリーにおいては、出版の自 由を含む権利章典(Bill of rights)そのものが、移ろいやすい公論を啓蒙し、公論の啓蒙 によって多数者を制御する道具となるものとして位置づけ、297 ここでも「情念」によ って動かされる公論のコントロールが主張されている。

こうして、ストーリーは、デモクラティックな政治社会において、「情念」の制御を重 視する政治想的フレームワークに基づきながら、デモクラシーの社会における公論の形成 にとって自由な言論活動の重要性を指摘しながら、ブラックストーン、ケントと同様に、

彼らを引用しつつ、出版の「自由」と出版の「放縦」の区別を行うことによって、後者は 自由政府に矛盾せず、修正条項による保護に含まれない点を強調する。298 その上で「連 邦政府が出版の自由ではなく、出版の放縦を規制できる法を制定できるかどうかは、(出版 の自由)とはまったく性質の異なるものである」とし、Sedition Actの経緯を説明し、そ れが、出版の「放縦」を規制するものであったかのような示唆を行っている。299

そして、ストーリーは、このような政治経済思想的な社会認識に基づきながら、修正条 項におけるコモン・ロー解釈については、コモン・ロー継受を前提にしたアメリカ法史像 に基づき、新しい政治社会に対応するための法的構成として用いていた。

彼は、アメリカにおけるコモン・ロー継受について、第二章で確認したように、「植民 地への定住以来、アメリカには統一的な原理が存在していた。その統一的な原理(そして、

実務はそれに合うようになっているが)とは、コモン・ローが我々の生来の権利であり、

生得のものであり、わが祖先たちは、移住に際して、適応可能なすべてのものを共にもた らしたということである。現在の我々の法理(jurisprudence)の全体構造は、コモン・ロ ーの本来の基礎に基づいているのである」と論じていた。300 また、市民的権利、自由 といった憲法原理もコモン・ローを基礎にするように論じていた。さらに、そういったコ モン・ローが州の基礎なのか、それとも合衆国レベルで適用可能かどうかに関する問題を 論じ、「(もし合衆国レベルにおいてコモン・ローが適用されないならば)その結果として、

合衆国の裁判所や政府のためのいかなる導き、ルールも存在しないことになるだろう」と し、「契約や権利主張」や、「合衆国憲法」、「合衆国の法」から生じる莫大な量の権利義務 を前に、判決や解釈のルールが存在しないことになるとし、合衆国レベルでのコモン・ロ ーが憲法解釈はもとより法解釈の前提として要求されることを論じていた。アメリカのコ モン・ロー継受から、連邦議会の制定した、制定法の解釈や、統治に関する法の解釈、さ らには、権利や自由と言った憲法に関わる問題に関しても、コモン・ロー解釈の方法、法

ドキュメント内 目次 第一章 目的・方法・観点 (ページ 63-67)