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Sedition Act の内容とその背景

ドキュメント内 目次 第一章 目的・方法・観点 (ページ 50-57)

第三章 コモン・ロー・共和主義・民主主義~ Sedition Act 論争と Libel の法理

1. Sedition Act の内容とその背景

フェデラリスト政権は、以上のような自発的結社や新聞を通じてなされる自らの批判に 対して、危機感を抱き、様々な策を講じた。その代表的なものが1798年のいわゆる Sedition Actであった。

Sedition Actとは、正式名称を「「合衆国に対する特定の犯罪を罰するための制定法」と

題される、前三法に付加される法」(An Act in addition to the act, entitled “ An act for the punishment of certain crimes against the United States “)(以下Sedition Actとする)

といい、フェデラリストのジョン・アダムズ政権の主導の下で1798年7月に制定され た。Sedition Act は同年に制定され、親仏派、政府批判を行う外国人を対象とした The Naturalization Act(帰化法)、The Alien Act (外国人法)、The Alien Enemies(敵性外国人 法)194と同時に制定され、政府および政府要人への批判の封じ込めを狙ったものであった。

以下、その条文を検討する。

連邦議会におけるアメリカ合衆国上院、下院による法律で以下のように定めるものとする。

第一条

正当な権限に基づいて既に指揮されているか、もしくは、指揮される予定となっている 連邦政府の施策に反対する目的であるか、連邦政府の法律の適用を妨害する目的、もしく は連邦政府の内部かその下で何らかの地位や公職を有する者が、その責任においてである か、義務の遂行もしくは執行を行うについて、これを脅迫または阻止するためにかかる目 的をもって不法に結合するか共謀する者、及び、同様の目的をもって反逆・暴動・不法な 集会を行うか、団結を協議・助言しもしくはその実現を企図する者は、たとえその共謀、

威嚇、協議、勧告もしくは企図がその予定した結果に達しなかったとしても、その者もし くはその者たちは高度の軽罪を犯したものとみなされるものとする。また、管轄権のある 連邦裁判所の判決によって有罪とされた場合、五千ドル以下の罰金及び六ヶ月以上五年以 下の禁固に処するものとする。並びに、裁判所の裁量において、裁判所が指示する量刑、

期間内における失行がないことについての保証がある旨の判示をすることができる。

第二条

連邦政府、連邦議会の両院もしくは大統領を中傷せんとし、もしくは、これらのうちのひ とつを侮辱もしくは不評にさせる目的で、虚偽・誹謗もしくは悪意のある文書、言論を印 刷、発表、公刊する者、そのような行為を誘発し、もしくは知りながら進んで援助する者、

連邦の法律もしくは大統領が連邦法を執行し、もしくはその者が憲法上の権限を行うこと に反対するために、連邦政府・連邦議会の両院・大統領などのすべてもしくはその一に対 して、アメリカの善良な市民の憎悪を煽り、アメリカ国内に暴動を起こさせ、もしくは不 法な結合をすることをすすめる者、連邦の法律または前述の大統領の行為に反抗もしくは 反対する者、または、連邦、合衆国国民、その政府に対する外国の悪意ある企みを援助、

助長、幇助する者、以上の者で、管轄権のある連邦裁判所の裁判によって有罪とされた者 は、二千ドル以下の罰金および二年以下の禁固に処す。

51 第三条

及び、下記の通り法律で定め、宣言するものとする。前条で規定された文書誹毀となる文 書を著し、もしくは出版したために本法によって訴追される者は、文書誹毀として起訴さ れた印刷物に含まれている事実の真実性を、訴訟原因に関する正式事実審理において、自 己の防御のために証拠として主張することが許されるものとする。並びに、正式事実審理 を行う陪審は、他の裁判と同様、裁判所の指揮の下、法と事実の問題を決する権利を有す るものとする。

第四条

本法の有効期間は、1801 年3月 3日までとする。本法の失効は、本法が効力を有するも のとする期間になされた侵害行為に対して、訴追および処罰をなんら妨げてはならない。

195

Sedition Actは、第一条がコモン・ローの共謀、いわゆるコンスピラシー法理を基礎に

していた。そして、第二条がコモン・ローのSedition libel(文書扇動罪)の法理を基礎に しているものであり、連邦憲法の修正第一条が保障する出版の自由との関係で問題となる ものであった。第三条は、第二条において起訴された者の審理に際して、文書において摘 示した内容が真実であることを被告人の抗弁事由として認めるものであった。後述するよ うに、コモン・ローにおけるSedition libel では、文書の内容の真実性は抗弁事由とされ ておらず、Sedition libelよりは抗弁がより広く認められていたものであるが、196 政府 批判に関して市民そのものを直接の対象とするものであり、また、条文の規定が極めてあ いまいかつ包括的なものであり、当時激化していた党派対立の中で活発に行われていた言 論活動を対象にし、言論・出版・結社の自由という統治の根幹に関わる法律であった。

Sedition Actの基礎となった法理であるSedition、Seditious とは、法によって確立し ている統治構造(Constitution)に対する不満を掻き立てるように意図され、法的に認め られたものとは別の手段によって統治構造の変革を行おうとするか、あるいは、平和をか き乱すように人々を誘うこと、人々の不満を掻き立てること、共同体の様々な階級間の敵 対心を煽ることを意図してなされた口頭または文書によるものとして定義され得るもので、

王室や政府要人への批判もその中に含まれ、イングランドにおいては、敵対的な批判者を 弾圧しようとする際に政府が用いた主要な手段でもあった。197 そして、これは、「裁判 官のひとひねりで伸縮自在なアコーディオンのような概念」とも言われ、共同体の宗教や 風俗、統治のあり方に批判的な言説に容易に適用され得るものであった。198 Sedition

libelは、文書を用いて社会公共の秩序を乱す行為として、コモン・ロー上の公的不法(違

反)行為(Public Wrongs)の範疇に組み入れられ、199 このSedition libelの法理は、

イギリス植民地時代のアメリカにも継受され適用されていた。200

そして、Sedition Actおよびその基礎にあるSedition libelの法理は、コモン・ローの母 国・イングランドにおいては、クラウンに対して土地貴族の集合体である議会の優位を確 定した、名誉革命体制の成果としてのBill of Rightsは、<人民と国家権力>という対抗 図式を前提にしたものではなく、デモクラシーが支配的となる社会において多数者および それと結びついた議会それ自体から個人を守り、さらに自由の原理に基礎付けられた権利

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の規定それ自体が多数の専制に陥りがちな人民に自由の教育的効果をもたらすという期待 を、その起草者によって持たれていたアメリカ連邦憲法のBill of Rightsとでは、そこに 期待された役割のみならず、その背景となる国家体制、社会において大きな相違があった。

201 イングランドでは、土地貴族の決定的優位が確立し、議会を中心としたジェントリ ーによる支配が確立した結果、<憲法―国家―権利主体としての人民>という近代憲法の フレームワークおよび近代的な公法の概念というよりも、コモン・ローをベースにした統 治が機能していた。202 また、アメリカ法にも多大な影響を与え、それまでの訴権の体系 としてのコモン・ローから、近代自然法を軸とした実体的な権利概念の体系を導入しつつ あったブラックストーン203 の『釈義』の体系は、このようなジェントリー支配と深く結 び付いた「国会主権」と「古来の国制」論の混合という名誉革命体制のロジックの擁護者 として、近代憲法の理念にとって重要なメルクマールとなる、「市民の基本的権利を「根本 法の中に書き込むことを求める、自然法に基づく根拠づけ」と、そのような根拠づけに基 づく「より射程の広い政治的な言説」にとっては、それを阻害する、「死を告げる鐘」とな るものであった。204

このような近代憲法にとって基礎となる<憲法―国家―個人>を前提とする公法概念 を持たない社会における支配システムである、ジェントリー支配の中で機能していたコモ ン・ローと、新たに成立した成文憲法たるアメリカ連邦憲法とは、その背景となる国家制 度、社会制度の理念において大きな齟齬があった。

また、このSedition Actには、憲法とコモン・ローという対立のみならず、その背景に は、建国以来のアメリカの政治文化の相克が存在していた。フェデラリスト勢力にとって、

Sedition Actの主眼とは、①組織された反対勢力を非合法化する、②人民と政府を隔てよ

うとする行為、政府批判を犯罪とすることにあった。そして、何よりSedition Actは、フ ェデラリストの「統治」の思想を示していた。その思想は、Sedition Act制定の伏線とな った、1790年代中葉から各地で出現した自発的結社である民主共和協会へのフェデラ リストたちの批判の中に端的に表現されていた。

初代大統領ワシントンをはじめとして、フェデラリストは、民主共和協会に対する厳し い批判を行った。その批判の1つが、民主共和協会のような公的な権威によって設立され ていない私的結社が政治活動を行うことへの批判であった205。とりわけ、ワシントンは、

「党派」がもたらす「腐敗」の危惧を様々な言説の中に残している。ワシントンは、この

「共和政」にとって腐敗を導く「党派」として民主共和協会を見ていた。

「もしこれらのself-createdな結社(societies)が抑制されなければ、それらはこの国の政府 を破壊してしまうだろうと今や心底から確信している次第である。」206

ワシントンは、民主共和協会が「人民に由来する権威を全く有さずに、公的な問題の方向 性を乱そうとする」集団として、議会演説において非難していた。207

また、あるフェデラリストは、政治的な問題を決するのは、公的な議論(具体的には議会 における討論)によってであって、私的結社が政治的な問題を論じるのは、立法府の権限に 対する侵害である、とする。

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