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カン トの大学論

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(1)

カン トの大学論 ‑ 『 学部の争い』

小 津 幸 夫

はじめに

『学部の争い』 は1

798

年、74歳のカン トが存 命 中に 自ら出版 した最後の著作である。 この書 が近代大学の基 となったベル リン大学の創 立者 フンボル トに影響 を与 えた ことはよく知 られて いることであ り、またカール ・ヤスパース とク ル ト・ロスマ ンの 『大学の理念』で も近代的大 学の原理 を展開 した もの として高い評価 を受 け ているが、なぜかカン ト研究者の間ではこの書物 について論 じられ ることが少 ないよ うである。1) 確 かにカン ト全集の編集者 であ り、カン トにつ いての浩潮 な研究書で知 られ るカール ・フォア レンダーの指摘 に もあ る とお り「彼 の晩年 の著 作に多 く見 られ るよ うに、精神性豊かな老人 に つ き ものの ある種 の冗漫 がみ られ る」 2)のは否 めない。 またカン ト自身が述べているよ うに、

それぞれ成立時期 も書かれた背景 も違 う三つの 論文をま とめて一冊の書物 として刊行 したわけ であるか ら、書 き方 も論点 も統一性 を欠いてい る。 しか し学問の細分化が進んだ反面、知識 が 拡散 して方向づけを失い、その有機的な再統合

‑の道が模索 されてい る21世紀の今 日読んでみ

ても、なお示唆に富む ところも多い。温故知新、

ここで も う一度カン トの大学論 に耳を傾 けてみ るの も意味がない ことではあるまい。

1.

『学部の争

い』

の構成

『学部の争い』 は次の よ うに序文 と三つの論 文か らなってい る。全体の前書 きにあた る序文 (vorrede)の中でカ ン トは次の よ うに述べてい る。

「学部の争い」 とい う一般的題名 の もとに この書には、私によって違 った意図で、ま た違 った時期 に作成せ られ たけれ ども、 し か し一冊の著書 として結合 して体系的統一 をなす ことには適 している三論文が現われ ているが、私は この三論文 については、 こ●● ●●

れ らの論文が下級学部 と三つの上級学部 と の争 い と して(分散 してい るの を防 ぐた め に)しっ く りと一巻 の著作 の うちに集合 し うることにすでにす ぐ後 になって気づいて いたのである。 3)

1) カ ン トの専 門家 で ある創 価大学非 常勤講師伊藤 貴雄 氏の御 教示 で も、簡 単 に入手 で きる参考文献 と しては、牧野 英二 「カ ン トの大学論 『諸学部の争い』の現代的射程」(『現代思想』臨時増刊号第22巻第4号、1994年3月、295‑

305貞) を挙 げ られ たのみ であった。 また牧野の論文で も註 に 「管見す るか ぎ り、邦語 ・欧語 を問わず カ ン トの大 学論 をテーマ として掲 げた研 究論文 は寡聞に して知 らない」 とある。 (上掲書、305頁)。

2)KarlVorlander:ImmanuelKant.DerMannunddasWerk.Sonderausgabemachder3.erweitertenAusgabevon1992.

Wiesbaden:Marix2004,Bd.2,S.279.

なおアカデ ミー版 カ ン ト全集 の 『学部 の争い』 は彼 が編集 を担 当 してい る。

3)lmanuelKant:DerStreitderFacultaten.ln:KantsWerke.Akademie‑Textausgabe,Unveranderterphotomechanischer Abdruck desTextes derYon derPreuBischen Akdemie derWissenschRen 1902 begonnenen Ausgabe Yon Kants gesammeltenSchriften.Berlin:WalterdeGruyter1968,Bd.VII,S.ll.訳 は 『学部 の争 い』小倉志祥訳 、『カ ン ト全 集 第13巻』理想社、1988年、309頁以下によった。

以下カ ン トの著作 か らの引用 は、上記 の全集 に よ り、巻数 を ローマ数字 で表 し、ペー ジ数 をア ラ ビア数字 で表示 す る。 また 『学部の争 い』 の翻訳の該 当箇所 は ( ) 内に入れ て表示 した。

(2)

序文に続 く本文の構成は次のよ うになっている。

第1部 哲学部 と神学部 との争い 序論

学部一般の区分

Ⅰ 学部の関係 について 第1章 上級学部の概念 と区分

A 神学部の特質 B 法学部の特質

C

医学部の特質

第 2章 下級学部 の概念 と区分

3章

上級学部 と下級学部 との違法的な争い について

第 4章 上級学部 と下級学部 との合法的な争い について

成果

Ⅲ 附論 神学部対哲学部の争いの実例 による 学部間の争いの解 明

Ⅰ 争いの実質

Ⅱ 争いの調停のための聖書解釈 の哲学的原 則

Ⅲ 聖書解釈 の原則 に関す る哲学的原則 の反 論 と回答

総註 宗派について

学部間の争いの講和締結 と調停

この聖なる書物の実践的利用 とこの書の継続 の臆測的時間についての聖書的一史学的諸問 題 の補遺

宗教にお ける純粋神秘説 についての補遺

第2部 哲学部 と法学部 との争い

再び始まる問い 人類 はよ り善い ものに向 う 絶 えざる進歩の うちにあるか どうか

結び

4)牧野 、上掲論 文、296頁。

5 )

, 1 0 0 f .

(訳 書

4 3 2

頁)

6 4

国際経営論集 No.35

2 0 0 8

3

部 哲学部 と医学部 との争い

単なる意図によって病的感情の支配者 となる 心意の力について‑フ‑ フェル ラン ト教授殿

‑の返書 養生法の諸原則 結び

後記

一見 して分か るのは第

1

部 が (

1 5‑75

頁)、

第 2部

( 77‑94

頁)、第

3

( 95‑11 6

頁) に比 較 して異様 に長 く、また細か く分かれているこ とである。 これは前述の とお りこの書が本来成 立時期 も書かれた背景 も違 う別 々の論文 をま と めた ことに由来す るが、 「序文」 か らも分か る よ うに、カ ン ト自身はそ こに必ず しも不統一 を 感 じてはいなかった よ うである。 しか し牧野英 二の指摘 に もあるよ うに、 「カ ン ト自身 の説 明 の妥 当性 も含 めて、それが内容的にみて一冊の 書物 として どれだけの統一性 を保持 しえている か、大いに問題 である」 4)と思われ る。

実際、第 2部の標題 は 「哲学部 と法学部 との 争い」 となってい るが、法学部 に対す る言及 は 一切な く、テーマは 「再び始まる問い一人類 は よ り善い ものに向 う絶 え ざる進歩の うちにある か どうか」 とい う歴史哲学の問題 である。 フラ ンス革命 に対す るカ ン トの見解 な ど興味深い箇 所があるが、全体 として 「哲学部 と法学部 との 争い」の問題 を扱 ってい るとは言いがたい。

また第

3

部は主 としてカン ト自身の 「養生法」

について述べた ものであ り、 「●●●●● 養 生法の原理 と してのス トア主義(

s us t i nee ●● ta bs t i ne

耐 えよ、●●

しか して避 けよ)は単に徳論 としての実践哲学●●

のみな らず、また医術 としてのそれ にも必要で ある.‑ 医術 は、 自己 自身 に与え られている 原則 によって 自己の感性 的感情の支配者 である とい う人間に内在す る理性 の力のみが生活様式●●●

を規定す るな らば、 この ときには哲学的であ る」 5)とい うよ うな箇所 も見 られ るが、や は り

(3)

医学部 と哲学部の関係 を前面に出 してい る とは 言 いがたい。 む しろ 「第 1章 上級学部 の概念 と区分

C

医学部 の特質」 の 「この学部 はそ の行動の規則 を、上記 の二つの上級学部 の よ う に統治者 の命令 か らではな く事実その ものの本 性 か ら取 って こな くてはな らぬ とい う特殊性 の ために‑ それ ゆえ医学部 の学説 はまた根源 的に は、最広義 に解すれ ば哲学部 に所属せ ざるをえ ないで あ ろ う

」 6)とい う考察 の ほ うが この書 名 の本質 によ り近い と思われ る。

それ では この書が後世 に影響 を与 えた部分 は どこにあるのであろ うか ? 『学部 の争い』 とい うタイ トルが示す とお り、各学部 の特質 と各学 部 と哲学部 の関係 を扱 った第1部、特 にその前 半である。 この部分 は総論 であ り、それ以下が 各論 といえよ う。 それ では次 にそれ を詳 しく見 てみ よ う。

2.

上級学部 と下級学部の概念 と区分

「序論」に続 く 「学部一般 の区分」ではまず 、

「上級 学部

」 ( o be r e Fa c ul t a t )

と 「下級 学部 」

( un t e r eFa c ul t a t )につ いて語 られ てい る

周知 の よ うに中世 の大学では、大学 は4つの学部 を 持つのが通例 であった。神学部 、法学部 、医学 部そ して哲学部 である。 これ は

1 2

世紀 に創設 さ れたパ リ大学の学部構成 が基 になってお り

、1 4

世 紀 に設 立 され た プ ラハ

( 1 3 4 8

年)、 ウ ィー ン

( 1 3 6 5

年)な ど ドイ ツ (神 聖 ローマ帝 国) の諸 大 学 もこれ に倣 ってい る ハ ブスブル ク家のルー ドル フ 4世がプ ラハ に対抗 して ウィー ンに も大 学 を創設 しよ うとした時、神聖 ローマ帝国皇帝 兼 ボ‑ ミア国王であったル クセ ンブル ク家 のカ レル4世 は ローマ教皇庁 に向って妨害工作 を行 い、新大学の誕 生 を阻止 しよ うとした。大学 を 設立す るには教皇または皇帝の特許状 を貰 うの が慣例になっていたか らである。 このためウイ‑

ン大学 は神学部 な しで、いわば半身不随の形で スター トしなけれ ばな らなかった。 ウィー ン大 学 に神 学部 が認 め られ たのはカ レ

ル4

世 が亡 く なった後の

1 3 8 4

年 の ことであるが、 この一件 を 見 て も、 当時 の神 学部 の優位 が分 か るで あ ろ

う。7)

カ ン トが 2度学長 を務 めたケ ーニ ヒスベル ク 大学

( 1 5 4 4

年創 立) は

、1 5 2 7

年創 立のマールブ ル ク大学 に次 ぐ、プ ロテスタン ト系では 2番 目 に古い大学である。従来の例 にな らって 4学部 制 を とっていたが、宗教改革以前 に創 立 された ドイ ツの大学が神学部 に重点 を置 いていたのに 対 し、人文主義的理念 に基づいたプ ロテスタン ト系の大学 に属す るケーニ ヒスベル ク大学は哲 学部 を重視 した と言われ てい る。 8)

それではなぜ神学部、法学部 、医学部が上級 学部 と呼ばれ 、哲学部が下級学部 と呼ばれ るの であろ うか ?カ ン トによれ ば、その理 由は次の よ うである。

この区分 と名称 のあ り方 について これ ま で質問せ られ て きたのは学者 た ちの仲間で はな く政府 であることは、認 め られ よ う。

けだ し、その学説 が どの よ うな性質である べ きか、公的 に講述せ られ て しか るべ きか ど うか、 これ について政府 自身が関心 を抱 くことにな る学部 のみが上級学部 に数 え ら れてい るか らであ り、 これ に反 して、その 学 問的命題 を思い通 りに取 り扱 って よろ し いので学 問の関心 のみ を配 慮すべ きである 学部 は下級 学部 と名 づ け られているか らで ある。 9'

つ ま り、 この区分 は学問その ものに上級 と下 級 とい う等級 がある とい うこ とを意味 してい る のではな く、その根拠 は国家 に対す る学問の関 与の仕方 にある とい うのである。 もっ ともこれ

6)Ⅶ,26.(訳書329頁)

7)島 田雄 次郎 『ヨー ロ ッパ の大学』 玉川 大学 出版部、1990年、53頁参照。

8)島 田、93頁お よび158頁 、な らび に牧 野、296頁参照。

9)Ⅶ,18f.(訳書319頁)

(4)

はカン ト独 自の見解 であ り、大学史の常識 とは い ささか異なる。

ヨー ロッパの大学は、そ もそ も修道院学校 の 外校 (修道僧 の養成 を 目的 とす る内校 に対 し一 般俗人のため開かれた もの)や本 山学校の一般 俗 人 の教 育 の た め の教 科 で あ っ た 7自由科

( Se pt e m a r t esl i be r a l e s )

、すなわち文法 ・修辞 ・ 論理 (弁証)の

3学 と算術 ・幾何 ・天文 ・音楽

の4科を教えることか ら発展 してきたのである。

時代 とともに大学 も整備 され、パ リ大学では教 師 と学生の ウニ ヴェル シタス (同業組合)は神 学、法学、医学そ して 自由科のそれ に分かれた が、 自由科の課程 は基礎的であ り、他 の学部 に 対す る予科で もあった。 ドイツの諸大学が範 を とったパ リで もやは り神学、法学、医学が上級 学部だったのに対 し自由科 (‑教養学部)は下 級学部であったのである。

ではなぜ カン トが この よ うな独 自の見解 を出 すに至ったか。その答 えは しば らく措 くとして、

本文に戻 ろ う。上級学部 に政府が関心を抱 く理 由について彼 は次の よ うに説明 してい る。

理性 に従 えば (す なわち客観 的 には)、

政府 が(国民 に影響 を及 ぼす とい う)その 目 的のために利用 しうる動機 は次の よ うな配●●

列 になるであろ う、まず第一は各人の永遠● の幸い、次は社会の成員 としての市民的幸 い、最後 は身体 の幸 い(●● 長 く生 きて健康 で あ る こと)。 第一の ものに関す る公 開の学 説 によって政府 自身は臣民の思想 の内なる もの と極 めて閉 ざされた意向 とに対 して、

前者 を見つ け出 し後者 を操縦す るよ うに極●●

めて大 きな影響 を及 ぼ し、また第二のもの に関係す る公開の学説 によって臣民の外的 挙動 を公的な法律の制御 の もとに置 き、ま●●

た第三の公 開の学説 によって、政府 自身の 意図に役 に立ち うる多数の強健 な国民の現 実に存在することを確保 しうるのである。‑●●

‑ それ ゆえ理性 に従 えば上級学部間で普

10)Ⅶ,21f.(訳 書323頁)

66 国際経営論集 No.35 2008

通 に採用せ られてい る序列 は確 かに次の よ うになるであろ う、す なわち、まず第‑に●●● ● 神学部、その次に法学者 の学部、最後に医●● ●●●●

学部。 自然本能 に従 えば、 これ に反 して人 間に とって医者が最 も重要な人物であるで あろ う、なぜ な ら医者 は人間に とってその●●

生命 を延期 して くれ るか らであ り、その後●●●●

ではまず第一に、人間に偶発的な 自分の も● の 〔財〕 を保持す ることを期待 させ て くれ る法律 に明るい人が求め られ、や っ と最後 に、 た とえ浄福 が問題 で あ る と して も、

(ほ とん ど、今 に も死 にそ うになった とき に)聖職者が求め られ るであろ うが、なぜ な ら聖職者 は来世の幸福 を大いに讃美す る けれ ども、実の ところは来世 について何一 つ として 自分の 目で見ていないので、聖職 者 自身 も、医者 によって現世の涙の谷の う ちにいつ も今 しば らくの時間を生 きなが ら えさせて もらうことを渇望 してい るか らで ある。 10)

引用が長 くなったが これ以上の説明は無用で あろ う。最後の軽い皮肉は人間通でもあ り、ユー モ リス トで もあったカン トの面 目躍如 とした文 章だ と思 うのは筆者だけであろ うか。

さて以上見てきた よ うに、上級学部の学問の 内容が政府 の意図 と結びついてい るのに対 し、

哲学部の学問は国家権力 とは何の関わ りも持た ない。

学問共同体のためには是非 とも大学にも う一つ別の学部が存在 しな くてはな らぬの であ り、 この学部はそれみずか らの学説に 関 して政府 の命令か ら独立 してお り、他 に 命令 を与えるべ きではないけれ ども、 しか しすべての命令 を判定す る自由を具 えてお り、 この 自由は、理性 が公然 と発言す る権 利 を どうして も有 さな くてはな らぬ場合に は、学問的関心、す なわち真理‑の関心 と

(5)

かかわ り合 ってい るのであ り、なぜ な ら、

もしかかる自由がないな らば真理が (政府 自身に損害 を与えて も)明るみに出ること はないであろ うが、 しか し理性 なるものは その本性 に従 って 自由であ り、或 るものを 真理 と思 え

( e t was氏i rwa hrz uha l t en)

と い うどんな命令 をも採用 しないか らである。

(信 ぜ よc

r ede

で は な く して 自由に信 ず る

c r edo

ことのみ)ll)

カン トは、政府 の命令 か ら独立 してい る哲学 部 にこそ学問の 自由の場があ り、それが大学に とって必要だ と主張す るのである。 なお、言 う まで もない ことであるが、 ここでい う 「哲学」

とは 自然科学 をも含む ものであ り、現代にお け る狭い意味での哲学ではない。

カン トの区分 に従 えば哲学部は二つの部門に●●●●●●

分かれ る。すなわちこの学部は 「歴史学的認識 の部門 (経験的認識 に関す る自然学の提供す る すべての もの と共に歴 史や地理学や学問的言語 知や人文学な どの所属 してい る部門) とも う一●●●●●●●

つは純粋 な理性認識 (純粋数学 と純粋哲学すな わち 自然の形而上学 と人倫の形而上学)の部門 とを包含 してお り、 これ ら両部門はその学識 に 関 してその間に交互的関係 の うちにある二つの 部分である。哲学はま さにこれ ゆえに、人間知 の全部分 に (したがって歴 史学的には上級諸学 部の上にも)及んでい るが、ただ し哲学部はそ の全部分 (すなわち上級諸学部の固有の学説や 命法) をみずか ら内容 としているのではな く、

諸学の利益 を 目ざして、みずか らによる検証 と 批判 との対象 としてい るのみである」。12)

カン ト自身優れた 自然科学者であ り、宇宙の 星雲説的発生を論 じた 『天体の一般的な 自然史 と理論』 (1755年)は、 「カ ン ト・ラプラス説

として知 られている。 ガ リレオ ・ガ リレイの例

ll)Ⅶ,19f.(訳書320頁以下) 12)Ⅶ,28.(訳書332頁) 13)Ebd.(訳書331頁) 14)Ebd.(同上) 15)Ebd.(同上)

16)vgl

.

Ⅶ,30.(訳書334頁)

を出すまで もな く、真理が世俗的な権力の前で 屈せ ざるをえなかった ことは多い。カン ト自身

『単なる理性 の限界内にお ける宗教』

( 1 7 93

年) で啓示宗教お よび教会 を批判 し道徳的理性信仰 を主張 したため筆禍 を招 き、以後の宗教 に関す る講義な らびに著作活動 を禁止 されて しまった。

この間の事情 は 『学部の争い』の序文で も国王 フ リー ドリヒ ・ヴィル‑ル ム 2世か らの詔令 な らびにそれ に対す るカン トの返書 を引用 して詳 しく述べ られ てい る。『学部の争 い』 が出版 さ れたのはフ リー ドリヒ ・ヴィル‑ル ム2世が亡 くなった翌年であ り、それ までのカン トの密積 した思いが、読み よ うによっては直接本文の内 容 と関わ りのない よ うな、い ささか唐突な印象 を与えるこのよ うな序文を書かせたのであろ う。

カ ン トに とって大学 においては何 よ り 「(学● 識一般 の本質的かつ第一義的条件 としての)真● 理 こそが肝要」 1●●●3)であ り、 「上級学部が政府 のた めに約 束す る有用性 は第 二級 の契機 にす ぎな い」14)のである。 この理念 こそがカ ン トにそれ までの伝統 的 な哲学部 の役割 を再検討 させ 、

「哲学部 は神学部 の侍女 である とい う倣慢 な主 張」 15)を批判 させ る根拠 となったのである。

3.

上級学部 と下級学部の違法的な争いと 合法的な争い

哲学部 の使命 の一つ は他 学部 の学 問内容 を

「検証 と批判 の対象」 とす るこ とであるか ら当 然そ こには対立関係 が生 じる。 それ をカン トは

「違法的な争い」 と「合法的な争 い」に分 けてい るが、その基準は どこにあるのであろ うか。

学部間の争いは国民一般‑の影響か ら生 じる。

前述 した よ うに国民の願 いは 「死後 の浄福」、

「自己の権益の保証

そ して 「生命 それ 自体の 自 然的享楽 (すなわち健康 と長寿)」である。 16)

(6)

●●

国民一般 は指導せ られ ることを欲 してい る、すなわ ち (煽動家の言葉 を使 えば)欺 楠せ られ ることを欲 してい る。 しか し国民 は学部の学者 たちによってではな く (けだ しこれ らの学者 の智慧は国民には高 きに過 ぎる)、学部 と関係 のある、 こ しらえ もの (savoir fair術 策) を心得 てい る実務者 た ち、す なわち聖職者や 司法官や医者たちに よって指導せ られ ることを欲 しているので あ り、これ らの実務者は実践家 として 自分 たちに とって極 めて有益なる予測 を具えて いるのであ り、これ らの事実を介 して次に、

それ らの実務者 によって しか国民に作用 を 及ぼ しえない政府 は学部 に理論 を押 しつ け●●●●●●

るよ うに、みずか らが誘 惑せ られ るのであ るが、その理論たるや学部の学者たちの純 粋な洞察に由来 した理論ではな くして、そ れ らの実務者 たちが国民‑影響 を及 ぼ しう

ることを打算 しているところの理論である。

(中略) ここに こそ上級諸学部 と下級学部 との間の本質的な、決 して調停せ られない 違法的な争いがあるが、なぜ な ら人々が政 府 に委ねているところの、上級諸学部 に対 す る立法の原理 は政府 によって権威づけ ら れている無法性その ものであることになる か らである。 17)

国民は安直な幸せ を求め政府 はそれ に応 えよ うとす る。上級学部は、必ず しも積極的ではな いにせ よ、結果 として実務者 を通 じそれに加担 す ることになる。 一方哲学部は これ ら国民の願 望に 「理性 か ら借用す る指図によってのみ関係 す る」 1R)ことがで きるだけである。 も し政府 が

理性の法則 に反 して、安直に受 け入れ易い提案 を認可す るな らば、その結果上級学部 を哲学部 との争いに陥れ ることになるのであるが、 これ は学者 同士の学問的な論争 ではない。それ ゆえ に 「違法的な争い」なのである。

これ に対 し学 問上 での真理 をめ ぐる争 い は

「合法的な争 い」 とされ る。 これ は学部 間の争 いであって学部 と政府 との争いではないか らで ある。政府 は これ に介入すべ きではな く、ただ 傍観 していればいいのである。そ してそれが学 問の進歩のみな らず、国家の利益 にも適 うので ある。

上級学部の階級 は (学識 の議場の右翼 と して)政府 の規約 を支持す るが、それ にも かかわ らず 、真理が問題 である場合 にはな くてはな らぬ ごとき 自由なる体制 にあって は、 どうして も野党 (左翼) も存在 しな く てはな らず、これは哲学部の議席であるが、

なぜ な ら哲学部の厳密 な検証 と異議がなけ れ ば政府 は、政府 自身 にとって有利 あるい は不利 であるか もしれ ない事柄 について十 分に教授せ られないであろ うか らだ。19)

そ してカン トは次の よ うに結論づ ける。

このよ うにすれ ば、おそ らくいつの 目に か次の よ うな状態 に到達 しうるであろ う、

すなわち、後の ものが先の もの (下級学部 が上級学部) となる ことであ り、20)しか も か くなるのは、みずか らが権力 を所有す る ことによってではな くて も、権力 を所有す るもの (政府) に忠告す ることによってで

17)Ⅶ ,3lr. (訳 書336頁以下) 18)Ⅶ,30.(訳書334頁) 19)Ⅶ,35.(訳書341頁)

20)原 文 ではdaL3die Letzten die Ersten (dleuntere Facultatdieobere)wiirden.これ に対 し未公 刊 の草稿 ではDie untersteFacultaetmuL3 einmaldieOberstewerden,d.i.allesderGesetzgebungderVernunR unterwerfen.(最 下 級学部 はいつの 日にか最上級学部にな らなけれ ばな らない。す なわ ち、すべてが理性 の法則 に従わなけれ ばな ら な い) とい うさ らに強 い調 子 に な って い る。 Z.n.Reinhard Brandt:Zum "Streitder Fakultaten".In:Kant‑

Forschungen,Bd.1,Hamburg:FelixMeiner1987,S.31.

68 国際経営論集 No.35 2008

(7)

あ り、この忠告 によれ ば、 自己 自身の絶対 的権威の うちよ りも、む しろ哲学部の 自由 とこれか ら自己に生ず る洞察 との うちに、

自己の 目的‑到達す るための手段が良 く見 出 され ることになるであろ う。21)

4.

『学部の争 い』の大学史 における意義

『学部の争い』 との関連で常に取 り上げ られ るのは、シェ リングが

1 802

年イエナ大学 におけ る講義の中で行 った次の よ うな批判である。

学部相互の間の関係 について、特 にカン トが 『学部の争い』 とい う書物 において、

この間題 を非常に一面的な観点か ら考察 し た よ うに思 えるので、必要なことを指摘 し てみ ると、神学は、その うちに哲学の中心 が客観化 されてい るもの として、第‑に最 高の学部でな くてはな らぬ ことは明 らかで ある 観念的な ものが実在的なもの よ り高

ポ テ / ツ

い勢位 である限 り、法学部は医学部 に先ん ず ることとなる。 しか し哲学の学部 に関 し ていえば、一般 にそのようなものはない し、

またあ り得ぬ とい うのがわた しの主張であ る。そ してその証明は全 く単純であって、

切 であるものは、またそのゆえに、特殊 な ものではあ り得ぬ とい うこと 〔したがっ て哲学は 自由組合にほかな らぬ とい うこと〕

がその証明なのである。

この三つの事実的な学問の うちに客観化 され るのは哲学その ものであるが、 しか し 哲学はその個 々の どれ によって も総体 とし ては客観化 され ない。総体 としての哲学の 本 当の客観性 は芸術 のみである。それ ゆえ 哲学の学部は決 してあ り得ず、ただ芸術 の

学部があるのみであろ う。22)

これは第

7

講 「哲学の外的な対立の若干 につ いて、 とくに事実的学問の対立について」か ら の引用である。難解 な文章であるが、それ を理 解す るヒン トが第

5

講 「哲学の研究に対す る一 般の論難 について」にある。

哲学は理念 の うちにのみ生 き、個 々の現 実的な事物を扱 うことを物理学や天文学等々 に委ね る。 (中略) それ 自体 もともと哲学 と対立す るよ うな ものは学問ではない、む しろあ らゆる学問は、哲学 によって、また 哲学の うちにおいて こそ‑ となる

。 2 3

)

ここで用語 について若干解説 を加 える必要が あろ う。 まず 「事実的な学問」の原語 はpositive WissenschaRであ る。 これ は普通 「実証科学」

と訳 され るが、 ここではオーギュス ト・コン ト 以来の実証科学 とは意味 を異 にす る。 positivと い うのは positive Religion (歴 史的啓示宗教)

とか positives Recht(実定法) とい う風 に用 い られ る場合 と同 じく、 自然的 ・理性 的に対 し て用い られ てい る。 す なわち純粋理性 的な学 問ではな く、同時に現実的歴史的な意味をもつ 学 問 をpositive Wissenschaftとい う。 も とよ り コン トが用いたpositivの意味 とも関連 がないわ けではないが、 コン トのそれ は もっぱ ら方法的 である。24) 「芸術」の原語 はKunstで、 これ には 術、技法 な どの意味 もあ り、 「芸術 の学部」 は 原語 ではFacultat der KGnsteと複数形 が用い ら れてい る。前述の 7自由科 (septem artesliber ales)は ドイ ツ語 ではdie Sieben Freien Kdnste とい うが、シェ リングは これ を踏 まえているの であろ う。 ここで言われている 「哲学」はカン

21),35.(訳書342頁)

22)FriedrichWilhelm JosephYonSchelling: VorlesungentiberdieMethodedesakademischenStudiums.In:Schellings Werke,hrsg.vonManfredSchr6ter,Mtinchen:C.H.BeckundR.01denbourg1927,dritterHauptband,S.305f. 訳 はシェ リング 『学問論』勝 田守一訳 、岩波書店、2006年 (第12刷 、初版1957年)、102頁に よった。

23)Ebd,S.283. (訳書72頁以下)

24)上掲 シェ リング 『学 問論』 の訳註16、191頁参照。

(8)

トの用法 とは異 な り、現在使 われている意味に 近い よ うに思われ るが、 これ は先に挙げた第

5

講か らの引用 を見て も うなず けよ う。哲学はす べての根源であ り、すべての学部の中に哲学が 存在 してい るとい うのである。

このシェ リングのカン ト批判 について牧野は 次の よ うに解説 している。

大学 にお ける哲学部の存在 をシェ リング が否定す る理 由は、哲学が不要な学問であ るか らではな く、 この学問の もつ全体性 に よる。哲学 は、カン トの理解 とは異な り、

決 して神学 と対立す る学問ではない。 なぜ な ら哲学は、カ ン トが主張 した よ うな諸学 問 と区別 ・対立す るよ うな有限な知識では な く、絶対者 に関す る根源的な知識 だか ら である。 (中略) この よ うに 「同一哲学」 (Identitatsphilosophie) の 立場 に依 拠 して カ ン トの大学論 を批判 したシェ リングの見 解 は、決 して大学か ら哲学 とい う学問を消 去 しよ うとす るものでな く、む しろ 「逆に、

哲学の真 の場所があ らゆる場所であること を承認す るためである」、 と解す るべ きで あろ う

。 2 5 )

シェ リングの後、フィヒテ、シュライア‑マ ッ ハ一、シュテ フェンス等が1807年か ら1809年 に かけて次々 と大学論 を展開す るが、その中でカ ン トの 『学部の争い』はまったく顧み られなかっ た。 この理 由についてプ ラン トは以下の よ うに 考察 してい る。 まずカ ン トの哲学はフィヒテや シェ リングと比べて古臭 くなった こと。つま り 学部の序列 を統一的な原理か ら演緯す るのでは な く、序列の基 になっている人間の三つの関心 事 と真理の探究 とい う対極 を重い事実 と受 け止 め、それ を相互作用 として秩序付 けてはいるも のの、より高い統一体か ら理解 しよ うとした り、

ーnuFれH一pn川1IM̲nut56782222

牧野、303頁。

Vgl.ReinhardBrandt:Zum"StreitderFakult益ten".In:

統一体に還元 した りす ることができない こと。

第二に、認識それ 自体 に専念す る学者たちの開 かれた社会の 自由主義が、閉鎖 されたシステム と商業国家の時代に共感 を得ることができなかっ た こと。すなわち、学部 の争い とい う認識 をめ ぐる公的な闘争の過程の中で徐 々に真理が獲得 されてい くとい う考 えが、 1800年 にはすでに時 代遅れ になって しまった こと。第三に、神学は 医学、法学 とともにただ人間の利益 をつか さど るものであ り、その教 える内容 は政府 に依存 し ているとい う点にある。 この啓蒙主義の理念 も また世紀の変わ り目とともに過去の もの となっ て しまったのである。26)

だが、カン トの大学論 はす っか り忘れ去 られ たわけではなかった。 カール ・ヤスパース とク ル ト・ロスマ ンの共著 『大学の理念』 は参考文 献の中で 『学部の争い』 を挙げ次のよ うに評 し てい る。 「この著作 の中でカ ン トは哲学部の 自 律 とい う彼 の要請で本質的に 自由な研究 と教育 の場 としての近代的大学の原理 を展開 した」 。27)

これ について 『学部の争い』の訳者小倉志祥 は次のよ うに書いている。

ヤスパース ・ロスマ ン共著 『大学の理念』

は 『学部の争

い』

をシェ リングや フィヒテ や シュライエルマ ッハ‑や ウイル‑ル ム ・ フンボル トたちの大学論 に先 き立って第一 の参考文献 として掲 げ、次の よ うに記 して い る。 「カ ン トは この著作 において哲学部 の 自律 とい う彼 の要請 で もって、本質的に 自由なる研究お よび教育の場 としての近代 的大学の原理 を展開 した。28)

「第一の」 とい うのはい ささか誤解 を招 く可 能性 のある表現である。 とい うのは、この文献 表は出版年代順 に並べてあるので、当然カン ト

KantForschungen,Bd.1,Hamburg:FelixMeiner1987,S.39.

KarlJaspersundKurtRossmann:DieldeederUniversitat.Berlin‑G6ttingen‑Heidelberg:Springer1961,S.245.

『カ ン ト全集 第13巻』理想社、1988年、764頁。

70 国際経営論集 No.35 2008

(9)

が ここに挙げ られている他の著者 よ り先に来 る わけである。 しか しこれ は決 してカン トを賠 め ることにはな らない。 この文献表がカン トか ら 始まっているとい うことは、それ以前にこれ に 先立ってカ ン トに影響 を与 えた著作がなかった とい う証明で もあるか らである。 シェ リングの

『学問論』がカン トの影響の下に書かれたのは、

今 まで見てきた よ うに明 らかであ り、カ ン トが 主張 した哲学の重視 とい う基本理念 は時代の変 遷 とともに形 を変 えなが らも脈 々 と生 き続 けて 来たのである。

歴史家の島田雄次郎 は 『学部の争い』 を大学 史の中で次の よ うに位置づ ける。

カン トは 『学部 の争い』 において、 自己 自身の立場 を弁護 しなが ら

、 1 7

世紀以来増 大 して きた 「学問の 自由」 の要求 を、 「大 学の 自由

として定式化 した。それ はあ く まで も大学内部の 自由であ り、市民的 自由 のない専制政治下にお けるギ リギ リの 「自 由」の主張であったが、 しか しカ ン トはそ れ を、 「公 の判断 の 自由に対す る政府 の悉 意的なあ らゆる制限の撤廃 を準備す る」 も の として、未来‑の明るい展望を示 してい るのである。 (中略)哲学部 はカ ン トの時

代 において も自己の学籍登録簿 をもたない あ りさまで、学生 は彼 らの志望す る上級学 部の学籍には じめか ら登録 されたのである。

哲学部教授 は上級学部の教授 となることを その念願 としていた とい う。

この哲学部が 『学部の争い』においては、

む しろ大学の中核 とされ たのである。 (●●● 中 略)哲学部は大学のいわばかなめであ り、

大学 を大学た らしめるものは哲学部であっ た。宗派主義か らの脱皮が神学的大学 を哲 学的大学 にかわ らせたのであるが、この場 合カ ン トが、彼 の主張す る 「大学の 自由」

の保証 として、組合的 自治的な伝統的大学

29)島 田、179頁以下。

とその学部制度 をそのまま支持 してい るこ とは注 目されなければな らないだろ う。 そ れは革命 とナポ レオ ン帝国を通 じてフラン スに定着 した直轄専門学校主義 とはまるで 反対の ものであった。29)

今まで見てきた よ うに 『学部の争い』 は神学 部、法学部、医学部 を上級学部 とし、哲学部 を 下級学部 とす る、中世以来確立 していた大学の 構造の コペルニクス的転回を図ろ うとした もの である。その拠 り所 となる理性‑の全面的な信 頼 と、 (実務家 ではない)学者‑の基本的 な信 頼感 は、多少オプテ ィ ミステ ィック過 ぎる嫌い がないわけではないが、読む者 に希望を与 えて くれ る。そ こには宗教改革以降の大学 をめ ぐる 歴史の流れ もあったであろ うし、フ リー ドリヒ 大王統治下の啓蒙主義、 さらにはアメ リカの独 立、フランス革命 な どの世界史的な時代背景 も あったであろ う。またカン トが生涯 を過 ごした、

海外貿易の拠点であった港町ケ‑ニ ヒスベル ク の 自由な空気 も影響 していたであろ う。

フ リー ドリヒ ・ヴィル‑ル ム 2世の死によっ て宗教問題 に関す る著述 と講義の禁止が解かれ、

この著作が出版できるよ うになった時、カン ト はまた 自由にものが言 えるよ うになった喜びの

うちにやがて来 る理性 の勝利 を確信 したに違い ない。

一見理想論 に しか見えないカ ン トの大学論は やがて近代的大学の模範 となるベル リン大学の 設立の根本原理 になってい くのである。

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