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大 正 時 代 之 讀 賣 新 聞 所 見 的 色 彩 用 語 中 文 摘 要 日 本 色 彩 語 的 特 質 在 於 隨 著 生 活 形 態 的 改 變 及 產 業 的 發 達, 形 成 不 同 的 色 彩 語 色 彩 語 的 由 來 則 大 多 源 自 於 植 物 動 物 礦 物 食 物 人 名

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東吳大學日本語文學系碩士論文

指導教授:陳艷紅 教授

大正時代の『讀賣新聞』にみる色彩用語

The Term of Colors in Yomiuri Shimbun of Taisho period

研究生:李曉雯 撰

中華民國 102 年 7 月

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大正時代之『讀賣新聞』所見的色彩用語

中文摘要 日本色彩語的特質在於隨著生活形態的改變及產業的發 達,形成不同的色彩語。色彩語的由來則大多源自於植物、動 物、礦物、食物、人名、地名、自然現象等。色彩語的豐富程 度也說明了日本是一個對色彩敏感度很高的民族,它反映出日 本民族對色彩的感覺及認知,同時也顯示出日本社會及文化的 特質。在化學染料及顏料發明以前,日本人將天然的染料及顏 料運用至生活當中。或是運用模仿的概念呈現出四季變化的感 覺,也因此色彩語的呈現也是取自生活中的事物。但是到了現 代,日本在色彩語的使用上,則多以白、黑、赤、黄、緑、 青、紫、灰色、茶色、pink、orange 等基本色彩語為主。因此, 筆者認為 19 世紀後半,西方發明了化學染料,隨著西方文化的 流入,也日漸影響了日本人對色彩的認知,大正時期染料的普 及正是產生變化的關鍵。 本論文以大正時期(1912 年 7 月 30 日~1926 年 12 月 25 日)的『讀賣新聞』為研究資料,旨在探討大正時期色彩用語 的特徵、呈現的義涵,以及與社會文化的關係。本論文第 1 章 為序論,旨在說明研究背景、目的、範圍及方法。第 2 章介紹 『讀賣新聞』從明治時期創刊到大正時期的過程。第 3 章先將 『讀賣新聞』標題所出現的色彩語依據出現次數,以及在不同 欄位使用上的特徵,進行概要性的分析。第 4 章以色彩語出現

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最多的欄位[生活欄]為研究對象,再分為服裝與流行色、社會 情勢與流行色兩大主軸,探討流行色的特徵。第 5 章以不分欄 位出現次數很高的赤色系為分析對象,探討赤、紅、緋、朱的 義涵及使用上的差異性。第 6 章則是統整前述的考察結果,並 闡述今後的研究課題。

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The Term of Colors in Yomiuri Shimbun of Taisho period

Abstract

The characteristic of Japanese terms of colors lies in the changes of lifestyle and prosperity of industries, which have outputted different terms of colors. The origins of the terms are mostly from animals, mines, food, name of people and places, natural

phenomenon, and so on. The level of abundance in the terms

explains that Japanese is a race that is highly sensitive to colors. The terms of colors reflect Japanese people's feeling and recognition to colors; it also reveals the characteristics of Japanese society and culture. Before the invention of chemical dyes and pigments, Japanese used natural dyes and pigments in daily life or used the concept of imitation to present the feeling of seasons' changes. Therefore, the presentation of the terms of colors is also from things in daily life. However, the usage of the terms focuses on the basic ones, such as white, black, red, yellow, green, cyan, purple, grey, dark brown, pink, orange, and so on. I think the invention of chemical dyes by Western countries in the second half of the 19th century has affected the original colors in Japan as they were imported with Western culture. The common use of dyes in Taisho period is the key to the changes.

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Yomiuri Shimbun in Taisho period ( July 30, 1912 – December 25, 1926) is used as the reference of this thesis to analyze the

characteristics of the terms of colors, the presented meaning, and the relation of to the social culture. The first chapter of the thesis is an introduction to explain the background, purposes, methods, and limits of the research. Chapter two is about the development of Yomiuri Shimbun from Meiji period, in which was first published, to Taisho period. Chapter three generally analyses the terms by the frequency of the terms of colors are shown in the titles on the

newspapers of Yomiuri Shimbun and the characteristics of the terms used in different columns. The research subject of Chapter four is the column which has the most shown terms of colors. It is divided into two main cores: Clothing and popular colors, and Social situation and popular colors. They are used to analyze the characteristics of popular colors. In Chapter five, the analyzed subject is the system of 赤色, which is shown the most without differentiating the columns. It analyzes the meaning of 赤, 紅, 緋, 朱, and the differences of their usages. Chapter six is an overall organization of pervious inspection. It also elaborates the research issues afterwards.

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目次 第1章 序論...1 1.1 研究背景...1 1.2 研究目的...2 1.3 先行研究と問題提起...4 1.4 研究範囲...10 1.5 研究方法...10 第 2 章 『讀賣新聞』についての基礎調査...12 2.1 はじめに...12 2.2 明治時代初期の「大新聞」と「小新聞」...12 2.3 『讀賣新聞』の刊行経緯...16 2.4 大正時代の『讀賣新聞』...19 2.5 『讀賣新聞』の記事分類...22 2.6 おわりに...24 第 3 章 大正時代の『讀賣新聞』の見出しにみる色彩語...25 3.1 はじめに...25 3.2 色彩語とは...25 3.3 見出しにみる色彩語の特質... .... ...26 3.4 おわりに...32 第 4 章 「生活」と流行色...34 4.1 はじめに...34 4.2 流行色とは...35 4.3 服装と流行色...38 4.3.1 半襟...38

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4.3.1.1 「生活」にみる半襟の特質...38 4.3.1.2 「生活」にみる半襟の流行色...40 4.3.2 洋傘...48 4.3.2.1 「生活」にみる洋傘の特質...48 4.3.2.2 「生活」にみる洋傘の流行色...50 4.4 社会情勢と流行色...64 4.5 おわりに...83 第 5 章 大正時代の『讀賣新聞』の見出しにみる「赤系統」85 5.1 はじめに...85 5.2 「赤系統」の意味...90 5.3 見出しにみる「赤系統」... ...99 5.3.1 「赤」...99 5.3.2 「紅」「緋」「朱」...118 5.4 おわりに...127 第 6 章 結論...130 6.1 まとめ...130 6.2 今後の展望...133 参考文献...134 誌謝...139

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第 1 章 序論 1.1 研究背景 日本の色彩語の特質といえば、生活様式の変化や産業の発 達にともない、新しい色彩語を生み出すというところである。 身近な存在の植物、それから、動物、鉱物、飲食物、人名、 地名、自然現象などを由来とするものは、日本の色彩語の大 半を占めている。 自然のなかで暮らしていた時代には植物は身近なもので、 衣服の染色が草木染めで行われていた。染め上がりの色をそ の材料の名で表わして色彩語となる。そして、平安時代の重 色目には桜、柳、桔梗、紅葉など、自然の色を模倣した優雅 な色彩語が残っている。また、壁画や道具の彩色に用いられ た顔料の名に由来する色彩語も多く見られる。動物に由来す る色彩語の中、色のバラエティが豊富な鳥の羽の色からのも のや、虫を乾燥してとる染料から派生した色彩語もある。暮 しの中の身近なものの飲食物に由来する色彩語も少なくない。 このほか、江戸時代の歌舞伎役者の名からとるもの、つまり、 人名を冠した色彩語も見られる。顔料や染料の産地、または 特定の地域で染められる、流行する、すなわち、地名のつい た色彩語も存在している。 以上から、日本の色彩語が多種多様であることがうかがえ る。これは日本人が色彩に敏感な民族であることを意味して いる。言い換えると、色彩語は日本民族の色彩感覚や認識を

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反映するものと同時に、日本の社会及び文化の特質の一側面 を表わしているものである。要するに、色彩語は孤立した存 在ではなく、社会文化と深く関わっているものであるため、 文化の索引の一つとみることもできる。そこで、本稿は従来 の研究を踏まえつつ、日本の色彩語を研究対象とする。 1.2 研究目的 現代の日本人は白、黒、赤、黄、緑、青、紫、灰色、ピン ク、オレンジ、茶色などが基本色彩語としている1。そして、 必要に応じ、くすんだ、うすいといった色調の言葉を組み合 わせて色を伝える。これは、日本古来の色彩語が日本人の生 活の中では、徐々に消えていたということを示している。い つこの変化が始まったのかというと、西洋文化が流入し、化 学染料が一般化になってからの大正時代が最も可能性が高い と思われる。 化学染料が発明されるまで、日本の染色は植物系を主とし ていた。植物染料から得られる色は、たいていの場合、高彩 度の強い色調が現われず、彩度が低いグレイッシュ・トーン に偏向し集中している。しかし、19 世紀後半から西洋では化 学染料が次々に発見され、社会全般の欧風化とともに、西洋 の風物が流入され、日本在来の色彩にも影響を及ぼすように なった。新しい化学染料や顔料の出現により、日本の色は天 1 福田邦夫(2005)『すぐわかる日本の伝統色』東京美術 p.150

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然材料特有の渋さから、華やかさや鮮やかさ、強さを主体と するものになった。 さらに、1916 年は第 1 次世界大戦の影響で、ドイツからの 染料の輸入が止まり、日本国内の染料の値段が高まる一方で である。そのため、染料の国産化を目指し、日本染料製造が 設立されるようになった2。その後、日本の化学染料が本格的 な発展を遂げ、ついに一般化になった。そこで、大正時代は 色彩語の意味変化という観点から見ると、重要な時代である と思われる。そこで、大正時代を中心に色彩語を考察してい きたい。 また、大正時代の文学作品ではなく、新聞紙を研究対象と する理由は、テレビやラジオがまだない3大正時代では、第一 の情報メディアは新聞であった。新聞は広い読者を対象に、 社会の出来事の報道、解説、論評などを中心に、さらに、知 識、娯楽、広告といった大衆が関心を持つ情報を提供する定 期刊行物である。そのため、新聞紙を糸口とすれば、当時の 社会文化を把握することができると思われる。 『讀賣新聞』は 1874 年に創刊され、最初から婦人及び一 般大衆を読者層として、総ふりがなの平易な文章で書かれた 新聞紙である。そして、1914 年に日本初の新聞婦人欄「婦人 付録」や相談欄「身の上相談」を新設した。1915 年には婦人 面の専任記者 2 人を採用した。これらの事例から、『讀賣新 2 下川耿史他編(2000)『明治・大正家庭史年表』河出書房新社 p.408 3 日本では 1925 年にラジオの放送開始、1928 年にテレビの放送開始。

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聞』の読者は一般庶民や女性を中心とすることがわかった。 それから、大正時代の『讀賣新聞』を見てみると、社会全体 及び生活全般の記事が掲載されており、言葉づかいがやさし く、すべて振り仮名がつけられていた。さらに、大正時代の 『讀賣新聞』では、女性の読者を対象に、着物や小物に関す る情報、流行の色といった内容が季節ごとに掲載されていた。 以上のことから、大正時代の色彩語を研究するには、『讀 賣新聞』は適であると思われる。そこで、筆者は大正時代の 『讀賣新聞』にみる色彩語を手がかりとして、当時の色彩語 の特徴や意味、社会文化とのかかわりについて究明したい。 1.3 先行研究と問題提起 色彩語と社会文化の研究についてはこれまで多くなされて いる。例えば長崎(1974)は、日本の色と社会文化とのかか わりについて、古代から昭和時代まで、「初期の古代色名と 色調」、「尊卑の色分け」、「古代の色彩観」、「化粧と色 彩」、「平安貴族の色彩感覚」、「源氏の白旗・平家の赤 旗」、「さびの色感」、「時代色から流行色へ」の八つの部 分で、日本の色彩文化に関して、多方面な観点から考察を行 った。そのうち、明治以降の色については次のように指摘し ている。 江戸から明治、大正、昭和へと、世情の移り変わりに伴 って日本の色は目まぐるしく表情を変えて今日に至った。

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その色調は明治を境にして急速に西欧的傾向を強め、江 戸末期まで主流の座を占め続けてきた茶系統の色はその 内向的な渋さ、暗さが開放的な世情に適合せず、ついに 明治末期には流行の主流から姿を消し、それに代わって 化学染料による透明で華やかな色彩が登場してきた。そ して、大正に入ると江戸時代まで禁制となっていた紫と 紅がその名をパープルとローズに改めて、ほかの新色の 中で新奇性をきわだてた。このような外国名の新色は年 と共にその数を増し、流行色の大半を占めるに至ったの である4 氏の研究では、上述のように、明治以降の色彩語は西欧文 化の影響により、大きく変化してきたと指摘している。しか し、染料の変化や新出の色彩語を概要的に紹介するに止まっ ており、色彩語の使用については実例を挙げていない。した がって、明治以降の社会文化と色彩語に関する考察が十分で あるとは言いがたい。 水尾比呂志(1980)は、「時代、時代の色」において、日 本の色と時代のかかわりについて、「原始時代は“赤”の時 代」、「古代は絢爛たる“多色の時代”」、「王朝時代の “新しい色調”」、「鎌倉時代は“黒みの時代“」、「近世 日本人の色彩感覚」の五つの部分で、日本の色彩語に関する 4 長崎盛輝(1974)『色の日本史』淡交社 p.187

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多方面な視点から考察を行った5。しかし、明治開国以降の染 料変化については簡単にふれているだけである。従来の色彩 語はどのように影響されているのかについては明らかでない。 細野尚志(1984)は、古代から現代までの色彩文化につい て、「いろ・色の多様性」、「しろ・くろ、あか・あお」、 「色彩の仕分け」、「現代人の色名実用実態」、「庶民文化 と色彩語」、「王朝の色彩」、「武家の色彩」の七つの項目 で概要的に考察した。明治時代から昭和時代の色について、 次のように指摘している。 イギリスの H・パーキンが合成染料のモープを発見 (1856)、ドイツの A・F・バイエルが合成藍を発明 (1881)、植物染料にかわる人工染料を作り出したこ とによる色彩革命は画期的なことであった。明治後期か らこれら化学染料が輸入され、そのはなやかな色調が登 場し、植物染料による古典的色調の退潮が目立った。色 名にも外来語が多くなる。…明治・大正・昭和前期まで 色名の出現は和洋合わせて多かった時代である6 5 大岡信他(1980)「時代、時代の色」『歴史と文化を彩る日本の色』 講談社 pp.145~180 6 細野尚志(1984)「色彩言語の文化史雑感」『言語生活』筑摩書房 pp.16~24

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しかし、氏の研究では、明治・大正・昭和前期に生まれた 新しい色彩語を羅列するだけに止まっている。色彩語の使用 については、実例があげられていない。 木原茂(1988)は、まず、色彩語の分類を述べ、そして、 植物名や鳥の名など自然物の名による日本の色彩語が圧倒的 に多いということは、日本人が自然を愛する生活の反映であ るとしている。それから、自然物以外にも人間の生活や文化 を反映している色彩語が多いということは、日本の染色文化 や醸造文化、宮廷文化などの反映であると指摘している。ま た、明治後期から大正時代にかけての人々が使っていた色彩 語の特徴を次のように述べている。 色彩語は時代とともに変わっていく。今から僅か百年足 らず前の明治末から大正にかけての頃の人は、瓶覗、浅 黄、萌黄というような色彩語を特別なことばとしてでは なく、日常の色彩語として使っていた7 氏は樋口一葉「われから」、徳富蘆花「自然と人生」、、、、森 鴎外「桟橋」などの文学作品を例として取り上げ、瓶覗き、 浅黄、萌黄といった色彩語の使用について簡単に説明したが、 新聞からの用例はあげていない。 7 木原茂(1988)「日本文学と色彩語」『日本語学』明治書院 1 月号 『「日本語学」特集テーマ別ファイル普及版 意味 4』pp.56~59

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福田邦夫(2005)は、日本の伝統色の名前を時代の流れを 追い、「色彩文化の原形(先史から古墳時代)」、「日本的 色名の登場(飛鳥・奈良時代)」、「優美典雅な色彩観の確 立(平安時代)」、「簡潔でリアルな色彩の時代(鎌倉・室 町時代」、「権力を象徴する華麗な色彩(安土・桃山時 代)」、「色彩の庶民化(江戸時代)」、「近代の伝統色」 と、特徴的なテーマで分類・整理した。それから、近代の伝 統色の特徴については、次のように指摘している。 明治の文明開化は日本の伝統的な色彩にも相応の変化を もたらした。社会全般の欧風化とともに西洋の風物が流 入し、新感覚の色彩には新しい語感の色名が要求される ようになった。十九世紀後半から西洋では化学染料や合 成無機顔料が次々に発見され、たちまち天然染料や顔料 にとってかわるようになったが、それらは日本在来の色 彩にも影響を及ぼすようになった。その結果、翻訳語の 新色名が登場する。一方では洋風の流行色に対する反動 として、日本の伝統色を見直す復古調の色名が装いを新 たに考案されたりした8 8 福田邦夫(2005)『すぐわかる日本の伝統色』東京美術 pp.2~4

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しかし、氏は近代の新色名をいくつか取り上げ、それを紹 介するに止まっている。社会文化との関わりについての考察 は深く探求されていない。 長崎巌(2010)は、飛鳥・奈良時代から、明治・大正・昭 和時代にかけて、配色を中心に考察してきた。そして、明治 時代の色と社会文化の関係については、次のように指摘して いる。 日本の明治時代になると、世相とともに色みも洋風化に なった。染料や顔料が人工材料に代わって、華やかで鮮 やか透明な発色になり、古代以来の伝統的色感は失わ れていく9 しかし、氏の研究では古代から明治時代を中心に行われて きたが、大正時代の色については言及されていない。 以上、色彩語と社会文化のかかわりについて、古代から近 世までのものが多いことがわかった。そして、明治時代の色 彩語の研究については、化学染料の流入による変化に着目す るものが多く見られる。しかし、化学染料が一般化になった 大正時代の色彩語と社会文化との関係について、これまでの 9 長崎巌(2010)『日本の伝統色 配色とかさねの事典』ナツメ社 p.125

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研究ではあまり言及されていない。特に新聞から色彩用語の 特徴、意味を論じるものはあまり見られないようである。そ こで、本稿は『讀賣新聞』にみる色彩語を通し、大正時代に おける色彩語の特徴及び社会文化とのかかわりについて考察 していきたい。 1.4 研究範囲 1.本稿は大正時代の『讀賣新聞』を研究対象とする。資料と しては「ヨミダス歴史館」 (http://www.yomiuri.co.jp/rekishikan/)を利用する。大 正時代(1912 年 7 月 30 日~1926 年 12 月 25 日)の朝刊 (広告を除く)を用いる。 2.大正時代の文献及び辞書については、近代デジタルライブ ラリー(http://kindai.ndl.go.jp/)を利用する。 3.色彩語を抽出する基準は色名辞典を参照する10 1.5 研究方法 本稿は、まず、『讀賣新聞」の刊行背景、内容構成、記事 分類について説明する。次に大正時代の『讀賣新聞』(「ヨ 10 小学館辞典編集部編(2002)『色の手帖』小学館 財団法人日本色彩研究所(2007)『改訂版 色名小事典』日本色研 事業株式会社

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ミダス歴史館」(http://www.yomiuri.co.jp/rekishikan/を 利用する)の見出しを対象に、色彩語を検索・抽出し、デー タを集める。集めたデータに基づき、記事分類ごとにみる色 彩語の使用を整理する。「生活」における色彩語の種類数が 上位であるため、「生活」を取り上げ、考察の対象とする。 それから、「生活」には、流行色の表現が多く見られるため、 流行色を中心に、考察していく。さらに、「服装と流行色」 「社会情勢と流行色」の二つに分け、流行色の特徴を究明し ていく。それから、大正時代の『讀賣新聞』の見出しにみる 出現頻度上位の「赤系統」の意味を分析している。すなわち、 「赤」のみならず、「紅」「緋」「朱」も含まれる。さらに、 集めてきた資料や文献の考察を参照しつつ、色彩語の特徴及 び意味、社会文化とのかかわりを探ってみようとする。最後 に、本稿の考察から大正時代の『讀賣新聞』にみる色彩用語 の特徴をまとめ、それに今後の課題も合わせて述べていきた い。

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第 2 章 『讀賣新聞』についての基礎調査 2.1 はじめに 江戸時代では、幕府の禁制のため、政治的なニュースを扱 ったものは数少なかった。市井のニュースを庶民に伝える印 刷ニュースの媒体としては、大小様々の木版、あるいは粘土 に文字・絵画などを彫刻し、瓦のように焼いたものが用いら れる。火事、地震などの災害、殺人、心中、刑死、敵討ちな どの事件や珍談奇聞といった内容を絵入りで速報した一、二 枚刷りの印刷物である。売り手が大声で読みながら売ったと ころから、読売りと呼ばれた。1862 年 1 月に江戸幕府の藩書 調所によって発行されたオランダ語翻訳新聞、『官板バタビ ヤ新聞』が日本最初の新聞といわれる。創成期の新聞のほと んどは外字紙や小冊紙形式の翻訳紙であった。1870 年 10 月 8 日に日本最初の日刊紙、≪横浜新聞≫が創刊され、1871 年 に≪横浜毎日新聞≫に改題した。本章はまず、明治時代初期 における新聞の概要を述べ、そして、『讀賣新聞』の歴史、 内容構成という順に説明していきたい。 2.2 明治時代初期の「大新聞」と「小新聞」 明治時代初期の新聞は大別して 2 種類ある。大新聞(おお しんぶん)と小新聞(こしんぶん)である。大新聞は比較的 に紙面の大きなもので、挿絵がなく、論説を掲げたものであ

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る。特に明治時代において、有力な新聞の通称であった。大 新聞は、一面には漢文調の社説が掲載され、内容的には文語 体で書かれた政論中心の新聞であった。購読料は高く、読者 層は政治的関心の高い士族、豪農層であった。記者は旧幕臣 を中心とする士族出身者が多い。 それに対し、小新聞は紙面の小さな新聞で、婦人や一般大 衆を対象する総ふりがなの平易な文章で書かれた大衆紙であ る。小新聞の起源は 1869 年 4 月 29 日、内外新報の編者であ った橋爪貫一が東京で出版した『開一新報』である11。小新 聞とは、雑報記事を主とする大衆紙でタブロイド版で刊行さ れたものである12。市井の出来事や花柳界の艶聞、通俗的読 み物などを中心とした。土屋(1992)は小新聞は「総ふりが なという技術を基盤に新たな文体を開発し、独自の啓蒙的な 言語運動を展開することにより、仮名が読めるが漢字は読め ないという準文盲層に対する最前線のメディアとなった」13 と指摘している。言い換えると、明治時代においては、一般 大衆は政論を中心とする大新聞ではなく、小新聞を中心とし 11 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971421 p.100 12 本田康雄(2004)「報知から雑報へ-明治初期の新聞記事」『学校 法人佐藤栄学園埼玉短期大学研究紀要』埼玉短期大学 13 pp.152~ 160 13 土屋礼子(1992)「明治初期小新聞にみる投書とコミュニケーショ ン」『新聞学評論』日本マス・コミュニケーション学会 41 pp.184~ 199

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て読んでいたことを示している。表 2-2-1 は原文のままを引 用した明治 10 年頃の「大新聞」と「小新聞」の相違を表わ すものである。 表 2-2-1 項目 大新聞 小新聞 新聞紙 東京日日新聞、郵便 報知新聞、朝野新 聞、曙新聞、大阪日 報 讀賣新聞、東京繪入 新聞、かなよみ新 聞、浪華新聞 體裁 四頁大型 四頁小型(大新聞の 半ば位) 文體 漢文口調多く、社會 雜報以外はルビ無し で片假名を用ひ、社 會雜報はバラルビ片 假名を用ふ 口語體で平假名、總 振假名を用ふ、官令 には片假名を用ふる ものなり 官令 掲載の項數多く、原 文のままなり 民衆と直接関係ある もののみをとる 論説 有 無 雜報 政治經濟海外種を重 んず 花柳種、警察種、演 藝、角力を重んず (讀賣には花柳演芸

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種無し) 讀物 時事問題、海外知識 に關するもの 雑報まがひの讀物小 説を繪入りで掲載 (讀賣のみは然ら ず) 投書 政治に關するもの多 し 社會雜事に關するも の多し 記者 洋學者、漢學者、政 治論者、學生多し 國學者、戲作者、狂 歌師多し 讀者 中流以上の紳士に多 し 中流以下の者、婦 人、藝人等 販賣法 販賣法を講せず、書 店に賣捌かしめ、郵 送直接配達をもなす 種種の廣告法を用 ひ、讀賣をなす、但 十二年十二月頃より 禁令により讀賣りを 廢す 條例 政治關係の違反者多 無し、但し十年以後 は風俗壞亂、讒謗律 に問はるるものあり 部數 各紙大差なし 各紙整頓せず 14 14 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971421 pp.109~110

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2.3 『讀賣新聞』の刊行経緯 『讀賣新聞』は 1874 年 11 月 2 日、東京芝琴町にある日就 社によって創刊された。1891 年 5 月 15 日の<讀賣新聞沿革略 >には、発刊の目的について、次のように掲載されていた。 是時に當り、東京には既に二三の新聞紙あり、然れとも 其の載する所の論説雜報、多くは漢文に類似し、兒童婦 女子の如きは之を解する能はず、而して讀賣新聞は獨り 教訓開發を主ひ、平易なる文章を以て平易なる事實を記 し、猶且之を説明する目的を以て坊間に讀賣りす、斯の 如くにして讀賣新聞は、遂に徬訓新聞の鼻祖となれり15 ここから、当時の新聞紙の状況がうかがえる。日本の新聞 のさきがけである『讀み賣りかわら版』にゆかりを求めたこ の題号には、大衆のだれもが読めるやさしい文章のニュース 紙という願いがこめられていた16。初代社長は子安峻で、神 奈川裁判所の通訳翻訳方出身の洋学者で、日本銀行の監事な どをしていた。本野盛亨は子安峻の友人で、横浜の税関長な どに勤めた人であった。最初は『英和辭彙』という辞書を作 るために、活字を買い入れ、のちにはその活字で新聞を始め るという相談ができ、ついに『讀賣新聞』の発刊になったと 15 <讀賣新聞沿革略>『讀賣新聞』1891 年 5 月 15 日別刷 1 面 16 <読者とともの 90 年>『讀賣新聞』1964 年 11 月 2 日朝刊 21 面

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いう17。初代編集長は鈴木田正雄、その下に二人の編集者、 饗庭篁村、加藤瓢乎が置かれた。 『讀賣新聞』の創刊号は、半紙大で横長の 2 ページ、第一 面には官報をやさしく解説した「布告(おふれ)」や社会雑 報欄の「新聞(しんぶん)」があって、第二面は解説記事の 「説話(はなし)」、「稟告(しらせ)」から構成された。 記事も口語体でわかりやすく、漢字にはすべて振り仮名をつ けていた。『讀賣新聞』創刊号の「稟告」(社告)には次のよ うに記されている。 此 この 新 しん ぶん紙 し は 女 童 おんなこども のおしへにとて為 ため になる事柄ことがらを 誰 だれ にでも分 わか るやうに書 かい てだす旨趣 つ も り でござりますから耳近 みみちか い 有 益 ためになる ことは文 ぶん と談話 は な し のやうに 認 したため て御名 お な まへ 所 ところ がき をしるし投書 よせがみ を 遍 ひとへ に願 ねが ひます18 また、『讀賣新聞』が創刊に当たってとった方法は次の通 りである。 一、記事の書き方が平易にして總ルビを用ひたこと (官令にも全部振假名をつけ、官令に「おふれ」とル ビを振りたり) 二、官令の外は全部言文一致を用ひたと(異例をとして 17 <第二万号記念特集>『讀賣新聞』1932 年 10 月 24 日朝刊 4 面 18 <稟告>『讀賣新聞』1874 年 11 月 2 日朝刊 2 面

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通信文には文章體もあり) 三、政治に關する論説及海外記事をのせぬこと 四、記事は社會雜事を主とし、其書き方教訓的なること 五、記者は國學者、戲作者を中樞とすること 六、舊幕時代のよみうりに仿ひ市中を呼賣したこと19 それから、1889 年 12 月 23 日、坪内逍遥を文学主筆に、尾 崎紅葉、幸田露伴が入社した。1897 年 1 月 1 日、尾崎紅葉の 「金色夜叉」の連載が始まり、文芸新聞・文学新聞としての 色彩を強めた。1906 年 10 月 2 日、スポーツ面の前身である 「運動界」欄を新設した。表 2-3-1 は明治時代における『讀 賣新聞』の主な歴史をまとめたものである。 表 2-3-1 1874.11.2 合名会社「日就社」が『讀賣新聞』を創刊。 初代社長子安峻。部数約 200 部の 日刊。題 号は「讀みながら賣る」瓦版に由来。 1879.1.4 社説の初期形態「雑譚(ぞうだん)」欄を 1 面に掲載し、時事問題を論じる。 1888.2.29 鶏卵の栄養価に関する記事を連載。鶏卵が関 心を呼ぶ。 1888.8.7 写真師吉原秀雄撮影の磐梯山噴火現地写真を 19 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971421 p.105

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銅版写真にして掲載。新聞に写真掲載の初 め。 1889.12.23 坪内逍遥を文学主筆に。尾崎紅葉、幸田露伴 が入社。 1897.1.1 尾崎紅葉の「金色夜叉」を連載開始。明治期 に文学新聞としての声価を確定的にした。 1906.10.2 スポーツ面の前身「運動界」欄を新設。 20 2.4 大正時代の『讀賣新聞』 大正時代は 1912 年 7 月 30 日から 1926 年 12 月 25 日まで、 わずか 15 年で幕を閉じるが、日本の近代にとって大きな転 換期であるという通説がある。日露戦争後から大正末年まで、 大正デモクラシーを背景に、個人の精神を尊重し、自由を謳 歌する風潮が強くなった。憲政擁護運動、普通選挙運動、各 種の社会運動の進展、一連の自由主義・社会主義の思想の昂 揚などがあり、従来の諸制度、諸思想の改革が試みられた。 さらに西欧文化の影響をはじめ、近代化の波は日常生活にも 及び、文化的な生活様式が人々の間に行き渡った。 20 <読売新聞小史> http://info.yomiuri.co.jp/company/history.html 下川耿史他編(2000)『明治・大正家庭史年表』河出書房新社 p.178・p.181

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明治時代後期から大正時代にかけて、『婦人画報』(1905)、 『婦女界』(1910)、『婦人公論』(1916)、『主婦之友』 (1917)、『婦人倶楽部』(1920)など、婦人向けの雑誌が次々 と創刊されていた。それらの内容には、夫婦、家事、育児、 美容、健康衛生、娯楽、流行などの解説、有名人や上流夫人 の風俗などが記載されていた。『讀賣新聞』はこのような時 代変化に応じ、1914 年 4 月 3 日、日本の新聞界で最初に婦人 のため、1ページ大の婦人欄である<よみうり婦人附録>を新 設した。1932 年 10 月 23 日の『讀賣新聞』の社史、<紙齢二 万號に輝く六十年史我讀賣新聞の創刊から今日まで>が掲載 されていた。小見出しの<婦人附録の創設>には、次のような 内容が書かれていた。 翌大正三年、讀賣新聞改革の時機に際し、當時伯林留學 中の五來欣造(素川)を呼び戻して主筆となし、同年四月 初めて婦人附錄を創設、本邦新聞界に一新機軸を出た小 橋三四子、前田晁、窪田空穗などこれに當つた。ここに 於て本紙は從來の文藝欄と相俟つて、二大特色とし、趣 味知識の普及と共に唯一無二の婦人の味方として初期啟 蒙運動に盡し、一方五年秋には第一回婦人子供博覽會を、 七年夏にはその第二回を開催、聲價は益す高まつた21 21 <紙齢二万號に輝く六十年史我讀賣新聞の創刊から今日まで>『讀賣 新聞』1932 年 10 月 23 日朝刊 2 面

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『讀賣新聞』は、婦人附録を始めてから発行部数を増加し た。婦人附録の編集主任には日本女子大学校国文学部卒の小 橋三四子であった。与謝野晶子も入社し、社会を風刺する詩 や社会評論を執筆した。1914 年 5 月 2 日には身の上相談欄を 開設し、新聞の身の上相談のさきがけとなる。婦人付録は当 時としては珍しい女性言論人の活躍する場所となった。 1924 年正力松太郎が社長となり、ラジオ版を創設、日曜夕 刊や大日本東京野球倶楽部など、紙面、事業面で積極的な企 画を打ち出し、朝日、毎日につぐ新聞になった。大正時代の 『讀賣新聞』は大衆向きの新聞と同時に、女性読者を対象に 新しい知識を与えて、ものの道理がわかるように導くことが 目的としている。表 2-4-1 は大正時代における『讀賣新聞』 の主な歴史をまとめたものである。 表 2-4-1 1914.4.3 小橋三四子を主筆として「婦人附録」新 設。日本で初めて、女性向けに毎日 1 ペー ジ編集。与謝野晶子も入社し、詩や評論を 執筆。 1914.5.2 身の上相談欄を開設し、新聞の身の上相談 のさきがけとなる。 1915.2.24 婦人面専任記者 2 人を採用。 1916.5.10 新案服装展覧会を開催。 1917.12.1 『讀賣新聞』を発行する「日就社」を「讀

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賣新聞社」と改称。 1923.9.1 関東大震災発生。落成祝賀会当日だった東 京・銀座の新社屋は全焼、4 日間発行不能 に。 1924.2.25 正力松太郎、第 7 代社長に就任。 1925.11.15 「よみうりラヂオ版」を発行。テレビラジ オ欄の前身。東京紙では初。 22 2.5 『讀賣新聞』の記事分類 「ヨミダス歴史館」 (https://163.14.136.82:2402/rekishikan/)は 1874 年の 創刊号から 1989 年までの『讀賣新聞』紙面イメージを収録 する、記事を 1200 万件以上がネットで読めるデータベース である。「ヨミダス歴史館」の記事は、「政治」「経済」 「社会」「スポーツ」「文化」「生活」「事件・事故」「科 学」「国際」「皇室」「社説」の 11 項目に分けられている。 それぞれの下位分類は 2-5-1 のとおりである。 22 <読売新聞小史>http://info.yomiuri.co.jp/company/history.html 下川耿史他編(2000)『明治・大正家庭史年表』河出書房新社 p.392・p.394・p.400・p.408

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表 2-5-1 分類 下位分類 「政治」 「政治」「右翼左翼」「選挙」「行政」 「地方」「司法」「警察」「日本外交」 「軍事」「戦争」 「経済」 「経済」「財政」「金融」「企業」「中 小企業」「技術」「情報」「サービス」 「貿易」「国土・都市計画」「鉱工業」 「資源・エネルギー」「農林水産」 「社会」 「市民運動」「社会保障」「環境」「婦 人」「子供」「中高年」「勲章」「労 働」「教育」 「スポーツ」 「スポーツ」「巨人軍」 「文化」 「文化」「美術」「映像」「文字」「音 楽」「演劇」「芸能」「舞踊」「宗教」 「生活」 「生活」「健康」「衣」「食」「住宅」 「余暇」「行事」 「事件・事故」 「犯罪・事件」「事故」「災害」 「科学」 「科学」「宇宙」「地球」「理工学」 「生命工学」「動植物」 「国際」 「国際」「アジア」「アメリカ」「西 欧」「旧ソ連・東欧」「中東」「アフリ カ」

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「皇室」 「皇室」 「社説」 「社説」 23 2.6 おわりに 「新聞は社會の木鐸たり、輿論の指導者たり。本社は元よ り此の使命を完うせんとし、廣く知識の普及趣味の涵養に勉 めし結果、教育新聞たり、趣味新聞たり、文藝新聞たり、家 庭新聞たるの定評を受くるに至れり、是れ本社の過去より現 在に貫ける特色なりとす」24と『讀賣新聞』の<本社発達小史 >というように、『讀賣新聞』は明治時代の創刊から女性や 庶民を対象とし、知識の普及や教育の涵養など、教育、趣味、 文芸、家庭などの情報を提供する新聞紙である。大正時代に なると、さらに女性読者を中心に、ファッションから社会全 般のことをわかりやすく伝えようとする新聞紙になった。 23 「ヨミダス歴史館」https://163.14.136.82:2402/rekishikan/ 24 <本社發達小史>『讀賣新聞』1919 年 1 月 5 日朝刊 2 面

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第 3 章 大正時代の『讀賣新聞』の見出しにみる色彩語 3.1 はじめに 色彩語とは、簡単に言えば、「色彩を表わす単語」という ことになるが、実際に取り調べてみると、色の表し方は、 色々あるため、区別することの難しい場合がある。そこで、 筆者の判断だけで色彩語の定義を行うと、主観が入ることに なるので、色名辞典を参照しながら、『讀賣新聞』の見出し を中心に、色彩語の使用を考察していく。そして、それに基 づき、筆者の整理による『讀賣新聞』の見出しに現れた色彩 語を表にまとめる。それから、分類ごとにみる色彩語の特徴 を概要的に分析する。最後に、まとめられたものについて考 察していきたい。 3.2 色彩語とは 考察に入るに先だって、まず、色彩語を定義しておきたい。 伊藤雅光(1997)は、松任谷由実の作品に見られる色彩関係の 単語を集め、以下の四つのグループに分類した。 1.純粋に色彩だけを意味している単語、例えば、赤、青、金 色などである。 2.物質名がそのまま色彩名ともなる単語のうち、文脈から、 色彩よりも物質そのものを表わしていると判断されるグル

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ープ、例えば金の砂、銀の砂などである。 3.色彩だけでなく、色彩以外の概念も入っている複合語、例 えば、銀河、青春などである。 4.漢字表記の中には、色彩を表わす漢字が使われているが、 語形自体には、色彩を表わす部分がない単語、例えば、黄 昏、銀杏などである25 氏は研究の目的や言葉に対する考え方により、以上のすべ てを「色彩語」と見る立場や、1.だけに限定する立場など、 色々な立場があり得ると述べている。そこで、本稿はもっと も広い意味の「色彩語」を扱いたいと思う。一例をあげると、 色を表わす「赤」、共産主義の象徴を表わす「赤」、まった く、明らかな意味を表わす「赤」など、色のほかに、色々な 物事を表わす「赤」は広義の色彩語として考察範囲にしたい。 3.3 見出しにみる色彩語の特質 大正時代の『讀賣新聞』の見出しにみる色彩語の使用を分 類ごとに表 3-3-1 にまとめてみた。 表 3-3-1 記事分類 種類数 色彩語(出現頻度) 25 伊藤雅光(1997)「ユ-ミンの言語学-6-ユ-ミンの色彩(1)」『日本 語学』明治書院 16-9 p.64

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生活 44 白白白白(428)(428)(428)(428)赤赤(384)赤赤(384)(384)青(384)青青(295)青(295)(295)(295)黒(161)紅 (121)紫(108)緑(43)黄(38)紺(17)藍 (7)納戸(7)緋(5)ホワイト(4)鼠色 (3)灰色(2)金色(2)青磁色(2)藤色 (2)草色(2)萌黄色(2)茄子紺(2)古代 紫(1)鶯色(1)鳶色(1)出藍色(1)小花 色(1)青島色(1)牡丹色(1)紅梅色(1) 焦茶(1)金茶(1)水浅黄(1)瑠璃紺(1) ミルク色(1)ピンク色(1)茶色(1)水 色(1)海老茶色(1)青竹色(1)浅黄(1) 縹色(1)ローズ(1)朱(1)春潮色 (1) 文化 23 白白白白(1,493)(1,493)(1,493)(1,493)紅紅(1,364)紅紅(1,364)(1,364)緑(1,364)緑緑緑(1,249)(1,249)(1,249)(1,249)青 (1,050)黒(869)紫(428)赤(395)黄 (254)灰色(33)金色(23)藍(17)緋 (16)紺(11)朱(9)桃色(3)茶色(2)金 銀色(2)紫紺(2)水色(1)褐色(1)藤色 (1)古代紫(1)黄橙色(1) 社会 22 青青青青(674)(674)(674)(674)紫紫(439)紫紫(439)(439)白(439)白白(436)白(436)(436)(436)赤(388)黒 (238)紅(95)緑(73)藍(36)黄(17)紺 (10)緋(5)灰色(3)金色(3)桃色(3)ブ ラック(3)海老茶色(2)納戸(1)水色 (1)藤色(1)茶褐色(1)浅黄(1)青竹色

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(1) 経済 18 白白白白(618)(618)(618)(618)青青(564)青青(564)(564)紫(564)紫紫(226)紫(226)(226)(226)黒(194)赤 (174)紅(105)緑(80)黄(58)藍(18)朱 (9)紺(4)金色(4)灰色(3)桃色(3)茶 色(2)緋(1)褐色(1)ブラック(1) 国際 18 赤赤赤赤(461)(461)(461)(461)青青(419)青青(419)(419)白(419)白白(256)白(256)(256)(256)黒(220)黄 (110)緑(45)紫(42)紅(27)桃色(11) ホワイト(9)藍(7)紫紺(2)金色(1)緋 (1)褐色(1)茶色(1)濃藍色(1) 皇室 17 白白白白(314)(314)(314)(314)青青(231)青青(231)(231)赤(231)赤赤(142)赤(142)(142)(142)紫(61)黒 (56)緑(20)紅(19)黄(11)褐色(11)黄 櫨染(4)青磁色(2)茶褐色(2)金色(1) 緋(1)鈍色(1)黄卵色(1)水浅黄(1)朱 (1) 政治 16 青青青青(844)(844)(844)(844)白白(415)白白(415)(415)紫(415)紫紫(386)紫(386)(386)(386)黒(316)赤 (303)紅(36)緑(34)黄(34)藍(7)紺 (7)ブラック(5)灰色(1)桃色(1)鼠色 (1)水色(1)カーキー色(1) 事件・事故 13 白白白白(396)(396)(396)(396)青青(381)青青(381)(381)赤(381)赤赤(306)赤(306)(306)(306)黒(175)紫 (97)黄(20)紅(14)紺(14)緑(13)藍 (4)緋(3)金色(1)ブラック(1) 科学 13 白白白白(53)(53)(53)(53)赤赤(26)赤赤(26)(26)(26)紫紫紫(26)紫(26)(26)黒(20)黄(12)紅(26) (12)緑(7)藍(1)灰色(1)金色(1)桃色

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(1)茶褐色(1)黄褐色(1) スポーツ 11 白白白白(61)(61)(61)(61)青青(59)青青(59)(59)(59)黒黒黒(51)黒(51)(51)紫(45)紅(20)赤(51) (20)緑(7)黄(5)紫紺(1)水色(1)草色 (1) 社説 3 紫(13)白(3)青(1) 以上の表からわかるように、色彩語の種類数を分類ごとを 見てみる、、最上位は「生活」、最下位は「社説」となって いる。すなわち、全体としては、「生活」において、色彩語 の使用が最も豊富であるということを意味している。次は分 類ごとに色彩語の使用を概要的に説明したい。 「生活」の下位分類は、「健康」「衣」「食」「住宅」 「余暇」「行事」からなっている。「生活」にみる出現頻度 が高い色彩語は、「白」「赤」「青」、出現頻度が低い色彩 語は、「鶯色」「鳶色」「出藍色」「小花色」「青島色」 「牡丹色」「紅梅色」」「ミルク色」「ピンク色」「春潮 色」「茶色」「水色」「海老茶色」「青竹色」「縹色」「焦 茶」「金茶」「古代紫」「水浅黄」「瑠璃紺」「ローズ」 「朱」「浅黄」である。 「生活」にみる色彩語の使用をまとめてみると、色を直接 指示するものが多く見られ、象徴的な意味を表わす色彩語は 少ない。例をあげると、「白酒」「白米」「白魚」「赤貝」 「赤糖」「黒豆」「黒胡麻」「黒鯛」「青ソース」「青豆」 「緑大根」「紅鮭」「ピンク色の林檎」などの飲食物と、

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「白孔雀」「青芝」「青葉」「青草」「緑蔭」「緑葉」「黄 菊」「白菊」など、自然、動植物の色を指示する例が多く見 られる。それから、服装の色を描写する、流行の色を紹介す るなどの表現が多い。具体例をあげると、「肉色の絹靴下」 「流行の草色縮緬」「金茶と草色の袴」「鼠色と鶯色の流 行」「お納戸の羽二重」「色合は茄子紺」「色合は茶と青 磁」「今春東京の流行は紫京大阪は茶」などがある。 「社会」の下位分類は、「市民運動」「社会保障」「環 境」「婦人」「子供」「中高年」「勲章」「労働」「教育」 からなっている。つまり、社会の出来事などが「社会」に収 められているのである。「社会」にみる出現頻度が高い色彩 語は、「青」「紫」「白」、出現頻度が低い色彩語は、「納 戸」「水色」「藤色」「茶褐色」「浅黄」「青竹色」である。 「社会」にみる色彩語の特徴については、「紅い気炎(女性 の盛んな意気)」「万緑叢中の紅一点・紅一点・紅三点・紅 八十点(多くの男性の中に一人の女性がいること)」「丑紅 (寒の丑の日に売る紅)」「紅灯の巷(花柳街)」「紅い叫 び」「黄色い声(女性のかん高い声)」「新興女性の黄色な 気焔」「黄色な顔の婦人」「色の黒く写る婦人」など、女性 を描写する表現が多いことである。ここから、当時の女性の 社会進出の様子が反映されていると思われる。 「政治」の下位分類は、「右翼左翼」「選挙」「行政」 「地方」「司法」「警察」「日本外交」「軍事」「戦争」か らなっている。すなわち、これらに関わる記事が収められて いるのである。「政治」にみる出現頻度が高い色彩語は、

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「青」「白」「紫」、出現頻度が低い色彩語は、「灰色」 「桃色」「鼠色」「水色」「カーキー色」である。「政治」 にみる色彩語の使用は、「潔白」「建白」「白票」「白熱 戦」「明白」「白紙」「白露」「黒白が決まる」「対議会策 鼠色か」「暗黒面」「赤軍」「赤毛布」「赤化」(社会主義 化・左翼化)「赤誠」(真心)「青軍」といった象徴的な表 現が多く見られる。 「皇室」にみる出現頻度が高い色彩語は、「白」「青」 「赤」、出現頻度が低い色彩語は、「金色」「緋」「鈍色」 「黄卵色」「水浅黄」「朱」である。「皇室」にみる色彩語 の使用は、「白麻」「白き絹」「白衣」「白斑の美鳥」「白 砂」「白木造り(木地のままの木材でつくること)」「黒リ ボン」「黒章」「黒紗」「黒布」「黒幕」「黒塗(車体を黒 く塗った自動車など)」「黒犬(毛の黒い犬)」「黒木造り (皮つきの丸太のままの材で造った建物)」「白酒黒酒」 「紅白の水引」「紅白の提灯」「紅白の餅」など、白、黒、 紅白に集中し、直接色を指示する例が多い。 「科学」の下位分類は、「宇宙」「地球」「理工学」「生 命工学」「動植物」からなっている。「科学」にみる出現頻 度が高い色彩語は、「白」「赤」「紫」で、出現頻度が低い 色彩語は、「藍」「灰色」「金色」「桃色」「茶褐色」「黄 褐色」である。「科学」にみる色彩語の使用は、ほとんど自 然、動植物の色を表わす。具体例をあげると、「白色の名 花」、「白熊」、白蛇」「黒黴」「黒虎」「赤蟻」「黄砂」

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「紅梅」「桃色や黄金色の繭」「黄褐色の日月」「翠緑」 「葉緑素」などがある。 「スポーツ」にみる色彩語の種類が少なく、「白軍」「紅 軍」「紅白試合」といった表現しか現われなかった。 全体から見ると、大正時代の『讀賣新聞』の見出しにみる 色彩語の出現頻度については、最も多いのは青(4,630)で ある。その次は、白(4,559)、赤(2,649)、黒(2,369)、紅 (2,134)、紫(1,897)という順になっている。また、色彩語の 複合的な表現から見ると、「青年」の出現頻度が上位で、 「赤十字」「赤化」「赤ん坊」「青物」「告白」「白昼」 「赤旗」「黒幕」などの出現頻度も高かったことがわかった。 一方、出現頻度から見れば、大正時代の『讀賣新聞』の見 出しにみる色彩語の種類数は豊富のようにみえるが、必ずと いって色彩を指示するとは限らない。それは、色彩語だけで なく、色彩語と他の言葉と組み合わせ、すなわち複合語とし て現われる場合が多いためである。複合語になる場合は、色 彩語本来の意味がなくなり、象徴的な概念になったというこ とが多い。例えば「青年」は若さや未熟を表わす意味で、 「青春」は中国伝来の五行説と深い関係をもつなど、色とは 必然的な関係は読み取りにくいのである。このほか、地名、 人名、雑誌、書籍、連載小説など、色彩語からの複合語が多 く使われている。例えば、「青森」「青島」「青山」「黒竜 江」「黒海」「黄河」「紅瓦店」「紅河」などの例がある。 3.4 おわりに

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以上、大正時代の『讀賣新聞』の見出しを対象に、色彩語 の使用の特徴を概要的に整理してみた。全体として、色彩語 を用い、物事を描写する表現が多いといってよかろう。それ から、色彩語の使用については、いくつかの特徴が現われた。 まず、分類ごとに色彩語の使用については、差が見られると いうことである。たとえば、「スポーツ」の「赤軍」は「白 組に対する赤組」の意味であるが、「国際」の「赤軍」は 「共産主義」の「赤」を示している。これは、色彩語の意味 が多様化していることを意味している。それから、分類を問 わず、全体としては「青」「白」「赤」「黒」「紅」「紫」 に集中ている傾向が見られる。ここから、これらの色がこの 時代の基本色彩語を示唆していると考えられる。さらに、 「生活」においては、生活の事物の表現や服の流行色の表現 が多く、色彩語の種類数が最も豊富である。これは、日本の 四季がはっきりしており、日本人は季節の移り変わりを気に かけながら暮らしているため、色彩感覚も敏感であることを 意味している。以上、一般大衆及び女性を対象とする新聞紙 である大正時代の『讀賣新聞』は、色彩語を伝達手段の一つ として、読者とのコミュニケーションの向上を図ろうとして いると思われる。

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第 4 章 「生活」と流行色 4.1 はじめに 本章は、分類ごとにみる色彩語の種類数が上位の「生活」 と取り上げ、考察していきたい。「生活」では、「生活」 「健康」「衣」「食」「住宅」「余暇」「行事」に関わる記 事が掲載される。そのうち、「衣」をめぐる記事の内容に関 して、色彩語の使用がもっとも多いところから、大正時代の 人々は、着装と色彩のかかわりへの関心が高いということを 示唆している。服装の色を描写するほか、特に季節ごとに流 行色を紹介する見出しが数多く見られる。次は、「生活」の 見出しから、流行色の用例をいくつかあげてみよう。 ○<春の流行 依然「紫」の全盛>(1913.2.23) ○<美しく見せる夏の装い どういう色と模様が調和するか> (1916.6.22) ○<「秋の流行色は何か 華美になり行く傾向>(1913.9.6)、 ○<男の冬洋服は幾分青味が流行色 値段は昨年より二割安> (1922.10.12) そのなか、「半襟」や「洋傘」の色を紹介する見出しの数 が多いという傾向が見られる。具体例を次のようにあげてみ る。

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○<戰爭に因んだ半襟の流行 青島色が大流行で模様はエジ プト式>(1914.10.31) ○<新秋の半襟 色の濃くなる傾き>(1916.8.20) ○<半襟の色と模様 地は縮緬が全滅>(1916.10.19) ○<藤色と鼠と茶と紺 新しい半襟の好み總べての流行色> (1917.11.23) ○<春の流行 半襟に見える 色彩と模様の進步>(1920.5.4) ○<ふくざつな色彩で 明るい色の半襟 縫と染とで陰影を つけて柔らかい感じのもの>(1924.3.31) ○<夏を飾る洋傘 色は茶か紺の系統>(1915.5.6) ○<洋傘の秋仕度 色は紫と茶の系統 模様は刺繍が全盛> (1915.8.8) ○<今年の洋傘 色は皆な茶系統>(1916.3.8) これらの例、「半襟」や「洋傘」は大正時代において、お しゃれのポイントであることを示すよい例であろう。そこで、 服装と流行色の考察にあたっては、「半襟」や「洋傘」を対 象に研究していく。それから、社会情勢による流行色の変化 も考察していきたい。 4.2 流行色とは 流行色を考察する際、まず流行色の定義を把握しておきた い。『色彩常識』(1926)では、流行色について、次のよう に定義されている。

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婦人の使用する着物・帯・肩掛・洋傘等にあらはれる色 彩に毎年或は流行色なるものがある。人は元来變化と新 奇を愛し、又一方には社會的生活をなす上より一般の傾 向を順應せんとする本性を持つてゐる。流行色も此の本 性より生ずるもので、從つて同一社會に生活するものは 自然的にある特定の色彩に向つて同時に嗜好が赴くもの である26 ここから、流行色の発生は女性からなることが多いという ことを示唆している。また、流行色というものは、同一社会 で生活していくうちに、自然的に特定の色彩に目をむくとい う特性が生まれるのである。それから、長崎(1974)は流行 色の出現について、次のように述べている。 色彩文化史上、時代色に対して流行色が現われるのは江 戸時代からとされているが、それは上述の江戸初期では なく、だいたい元禄時代以後のことである。それまでの 時代の色は、いずれも貴族あるいは寺院、武家などの特 権階級を中心としたもので、色彩はすべてそれらの上 層階級の占有物であり、社会の大部分を占める庶民には 無縁に近いものであった。したがって、そいう時代では、 社会大衆の趣味嗜好を反映する、いわゆる流行色の現象 26 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/925070 p.169

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は起こらない27 要するに、色彩の使用が自由になってからこそ、流行色と いうものが成立したのである。伊原(1994)は流行色の特質 について、次のように述べている。 色の「流行」というのは大体、それぞれの年代年代の人 びとの感情にかかわりながら消長を繰り返していくもの のようである。すなわち、息長く「流行」し続ける色も あり、逆にすぐ廃れてしまう色もあり、あるいは、一度 は忘れ去られても、また復活して再「流行」する色もあ る、といった具合である28 以上の内容をまとめてみると、流行色というものは、次の ような特質を持っていると考えられる。 1.女性の流行、そして、同一社会から発生しやすいというと ころである。 2.一時的な現象として広く世間でもてはやされ、長続き はしないものであるが、循環性がある。 3.他人の主張、意見、態度などに合わせ、社会的に同調行 動をとると同時に、その同一心理の反映であるという現象 である。 27 長崎盛輝(1974)『色の日本史』淡交社 p.171 28 伊原昭(1994)『文学にみる日本の色』朝日新聞社 p.167

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4.3 服装と流行色 4.3.1 半襟 半襟の基本義を調べてみると、「襦袢・胴着、又は婦人の 衣裳の襟を被ひて縫ひつくる布帛。長さは、下の襟よりは短 く、襦袢及び胴着のは二尺五寸、婦人の衣裳のは三尺なるを 普通とす。そぎえり。」29というものである。辞書の説明か らわかるように、半襟は主に女性用の着物用の肌着の上に掛 け、削襟(そぎえり)ともいうものである。 大正時代の女性は、外出着、室内着ともに着物が中心であ った30。着物は全体に、黒、濃紺、日蔭鼠、お召鼠といった 地味な色が主流であった31が、半襟の色は華やかであった。 そして、季節により、半襟の素材が変わってくる。6 月から 8 月にかけては絽や麻が用いられ、9 月から 5 月にかけては 塩瀬や縮緬が利用される。 4.3.1.1 「生活」にみる半襟の特質 29 http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/gensen/ p.3742 30 1923 年の関東大震災に和装女性の遭難が多く服装改造論が起こる。 31 城一夫他(2009)『日本のファッション明治・大正・昭和・平成』 青幻舍 p.263

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「生活」の見出しから、<お歳暮の選擇(七)半襟> (1916.12.12)、<今年の中元贈答品 砂糖は高い 半襟、 洋酒、文房具、その他の値段調べ>(1920.6.28)などの表現 から、大正時代では、半襟はお中元やお歳暮の贈答品にもさ れていた。それは、高価な着物に対し、半襟は比較的に購入 しやすいためであると考えられる。次は、「生活」にみる半 襟の記事例を二つあげてみよう。 ○半襟は衣裳の中心になるもので、この襟一つですべてがぐ つと引立つ来るのです。色は其の人の顔色によつて定めね ばなりませんが、猶着物が濃い色の時は反對に薄く着物の 色が薄い時には襟の方は濃く又着物の色と似通つた色とか 調和のよい色とかを見定めねばなりません之が流行の色だ からといつて、何でもかでもとそれをおすすめする事は出 来ないのです。(<今秋流行の半襟 戰爭の影響はない >1914.8.31) ○現在の婦人服に就いて申しますと、美の焦點は半襟と帶と にあるやうです。(中略)帶が主として背後から見て、美 を形づくるのに對して、前面から婦人美の焦點を成すもの は、半襟であります。(<半襟と帶と 色彩の調和 >1918.4.2) ここから、大正時代の美という基準は、半襟と帯からなっ ているのである。そして、半襟は正面から見る着装の中心で あるため、半襟の着用には、顔色や着物の色との調和が重要

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視されていることがわかった。それは、半襟は本襟の半分し かないが、顔のすぐ下なので、人と向き合ったときに、お相 手の目線も襟元に行くため、半襟は着物を引き立て、顔映り を左右する重要なおしゃれの要素であると考えられる。それ から、着物と半襟の色合については、着物の色が濃い場合は、 半襟の色を薄くする、着物の色が薄い場合は、半襟の色を濃 くする、着物の色と似たような色を選ぶ、といった基準がな されている。要するに、半襟の着用には、色彩の使用が大切 であることといえよう。次は大正時代の『讀賣新聞』の「生 活」にみる半襟の流行色を対象に考察していきたい。 4.3.1.2 「生活」にみる半襟の流行色 1.半襟の流行色の特徴 「生活」にみる半襟の流行色をまとめてみると、黄色、藤 (色)、青磁(色)、新橋(色)、小豆(色)、空色、薄青 磁、錆青磁、浅黄、水浅黄、薄藤、小町藤、納戸、薄納戸、 錆納戸、茶、白茶、濃鼠、紺、古代紫、古代桔梗、鶴羽納戸、 など、数多くの流行色が現われてきた。半襟にみる流行色の 特徴は、次のようにまとめられる。 ①「藤」「牡丹」(植物)、「青磁」(磁器)、「鼠」「鳩 羽」(動物)、「小豆」(飲食物)、「水色」「空色」(自 然)などからとった流行色が多く見られる。それから、色」

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をつけなくても、流行色として表現することができる(次の 記事例を参照されたい)。 ○色は若い人には相變らず青磁せ い じ、新橋しんばし、 藤 紫ふぢむらさき、…などが 歡迎され、年増の地味なものは 鼠ねずみ一色だけです。(<夏 の半えり 附、帯揚の流行品>1916.6.26) ○今年の冬は先づ色は青磁せ い じ、藤ふぢ、臙脂、納戸な ん ど、…もの で(<はんえり 冬の流行>1924.11.21) ○地色は…小豆あ づ き、青磁せ い じ、空色そらいろ、水色みづいろといつた調子の千種 萬樣(<半襟に見える 色彩と模様の進步>1920.5.4) 以上現われた流行色の由来を見てみると、次のようにな る。「藤」は、藤の花からきた色で、紫の薄い色として古く から使われてきた32。「藤紫」は、明治になって化学染料に よって出されるようになった彩度の高い色である。「牡丹」 は、牡丹の花の色からきた冴えた紫みの赤で、明治後期に化 学染料が普及すると、きれいな色が嗜好され、広く流行した 色である33。「小豆」は古くから食用として栽培され、色と して用いられるのは江戸時代になってからといわれている34 「新橋」は地名で、東京の新橋のことである。明治時代中期 に西洋から輸入された化学染料による明るい青緑色は、ハイ 32 川崎秀昭他編(1984)『日本伝統色色名事典』日本色研事業株式会 社 p.56 33 川崎秀昭他編(1984)『日本伝統色色名事典』日本色研事業株式会 社 p.17 34 吉岡幸雄(2000)『日本の色辞典』紫紅社 p.59

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カラな雰囲気の色として広く人気を集め、新橋の芸者が愛用 したことから「新橋色」と呼ばれ、明治時代から大正時代に かけて流行した35。「納戸」の由来については、諸説があり、 いずれも定めではない。納戸(物置)の入り口にかける垂れ 幕の色、納戸(物置)の暗がりをあらわすような色、将軍の 金銀や衣服、調度出納を担当したお納戸役の制服の色から来 ているといわれている36。「臙脂」は、紅花を染料とする植 物の正臙脂と、赤い色素を含む小虫から製した動物性の生臙 脂がある。「水色」は、「水浅葱」「水縹」ともいい、藍染 の初期の段階で染め出される色「瓶覗」に次ぐ段階ぐらいの 明るい色である37 ②「薄」「素」「濃」「錆」「古代」といった修飾語、もし くは「系統」という表現で、一色のみならず、色の濃淡を 表わすものが多く見られる。これは、日本の染色文化を反映 するものであると思われる(次の記事例を参照されたい)。 ○色は…薄紅梅う す べ に、…などは若向きで(<新秋の半襟 色の 濃くなる傾き>1916.8.20) ○色調は二十歳前後が…薄納戸う す な ん どなど凡て薄い藍氣を含ん だもので(<涼しさうな半襟 夏の女の美しさは凡て襟 35 丸山伸彦編(2012)『日本史色彩事典』吉川弘文館 p.92 36 吉岡幸雄(2000)『日本の色辞典』紫紅社 p.143 37 川崎秀昭他編(1984)『日本伝統色色名事典』日本色研事業株式会 社 p.50

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元より>1914.7.9) ○二十歳から二十か五六歳までのお若い方には 薄 鶯すすうぐいすや …薄藤うすふぢなどの地色(<明るく爽やかな 春の半襟 地は 金紗と縮緬とを混ぜたやう>1918.4.4) ○この夏流行の半襟をゑり治で覗いて見ますと色氣は 薄淺黃う す あ さ ぎが第一でそれから…薄藤色うすふぢいろ…などです。(<この 夏の半襟>1918.5.28) ○今年の流行色といふのはありませんが、春に相應はしい 素すねずみ鼠、薄うす鳩はと羽ば、…薄藍うすあゐなど好みに應じた物となつて來 ました(<春の流行 いろいろ(三)半襟と手提げ >1921.3.12) ○地味向は錆さび青せい磁じ、… 濃 鼠こいねずみ、…などでございますが、(< 今夏の半襟 涼しさを織り方に 現はした新趣向 >1915.5.18) ○若向きとして古代こ だ いがかった 紫むらさきが出るやうな傾向がある さうです。<これからの半襟と履物 新春の新傾向 >1918.1.5) ○今秋の傾向として目に立つのは…古こ代だい桔ききゃう梗といつたや うなクラシカルなものが喜ばれて來たことです。(<秋 のはんえり 黃色がすたれて 昔風の古代桔梗 >1926.9.16) ○中年以上には矢張 鼠ねずみ系統と茶ちゃ系統でございます。(< 秋の半襟 御大典記念のため 異彩を放てる模様 >1915.8.18) ○今年の冬は先づ色は… 紫むらさき系統もので(<はんえり 冬

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の流行>1924.11.21) ○色はねずみ、藤色ふぢいろ系統で(<初夏着の一揃ひ 若葉に映 る色とりどり 着物、羽織、帯、半襟、長襦袢など 向々の種々>1923.5.18) ③植物からとった流行色のうち、「若竹」「裏葉」「萌葉」 「朽葉色」など、植物の様子を繊細に描写する表現が見られ る(次の記事例を参照されたい)。 ○地色は…萌葉も ね ば、若竹わかたけ、…などの強い明るい色が好まれて 來ました。…萌葉も ね ばは青せい磁じに黄味をもたせたもので、若竹わかたけ は萌葉も ね ばより心持もち錆た色合です。茶ちゃ系統には…朽くち葉ば 色いろ、などがありますが、(<流行の夏襟 粋向と上品向 き>1917.5.12) ○中年は銀ぎん裏うら葉は、…年配向としてはねずみの少し茶ちゃを持た ものさび裏葉などです、(<はんえり=春の流行 地質 は紋織が多く 盛装には櫻の縫をしたもの>1925.2.15) 「裏葉」は「裏葉柳」「裏柳」ともいい、柳葉の裏の色が 表の色よりも薄いことから生まれた色である38。「若竹」の 「若」は若々しい、新しいという意味から、鮮やかさの形容 として用いられる39 38 丸山伸彦編(2012)『日本史色彩事典』吉川弘文館 p.33 39 川崎秀昭他編(1984)『日本伝統色色名事典』日本色研事業株式会 社 p.44

表 2-5-1  分類  下位分類  「政治」  「政治」「右翼左翼」「選挙」「行政」  「地方」「司法」「警察」「日本外交」 「軍事」「戦争」  「経済」  「経済」「財政」「金融」「企業」「中 小企業」「技術」「情報」「サービス」 「貿易」「国土・都市計画」「鉱工業」 「資源・エネルギー」「農林水産」  「社会」  「市民運動」「社会保障」「環境」「婦 人」「子供」「中高年」「勲章」「労 働」「教育」  「スポーツ」  「スポーツ」「巨人軍」  「文化」  「文化」「美術」「映像」「文字」「音 楽」「演
表  4-4-3  1912.8.25  &lt;流行界の變調  凡て地味好み&gt;  今迄の流行界は所謂澁いもの好みでそれが、 餘長く續いたから今年の春以来既に別趣味が 現れそうであつた處へ突然大喪の事に接した 為め凡ての色は悉く黑を中心として渦巻いて 来た、若い婦人の裝身具も多くは此黑色が浸 して来た…男物も同じく黑の世界である  1912.9.6  &lt;黑色の勢力  今秋の流行界&gt;  御大喪中は喪服、喪章を始め種々服飾、所持 品に至るまで多く黑色を用ひるる所から、早 くも今秋の流行界の變調
表  4-4-6  出典  オリーブ色  松葉色  『大日本國語 辭典』 (1919)  黄がちなる緑色 の、ややくすみたるもの。  松の葉の如き色。深緑色。松葉。  『言泉:日本 大辭典』 (1922)  鼠色と茶色とを含みたる緑色。橄欖色。おりいふ。お りぶ。おれえぶ。  松の葉のごとき 色。深緑色。まつば。  57   ここから、流行色の特質は、「同色異名」というところで はないかと考えられる。つまり、同じ色あるいは色調が似た ような色でも時代や社会状況により、色の名前や意味が変わ っていくというもの

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