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第 4 章 「生活」と流行色

4.4 社会情勢と流行色

前節を考察してきたように、流行色は季節ごとに現われて くるが、ときには社会情勢の影響で意外な変化が生まれる、

という場合もある。大正時代の『讀賣新聞』から見ると、流 行色に影響した大きな事件といえば、1912 年の大喪、1914 年から 1919 年にかけての第 1 次世界大戦、それから、1923 年の関東大震災があげられよう。

1912 年の流行色といえば、「黒」といってよかろう。『明 治・大正家庭史年表』(2000)を基に、大喪前後の社会状況 を表 4-4-1 にまとめてみた。

表 4-4-1

1912.7.20 宮内省が尿毒症で天皇重態と発表。東京株式 市場は大暴落。娯楽場は休業。

1912.7.30 明治天皇死去、61 歳。嘉仁皇太子が即位、明 治を大正と改元した。天皇崩御のため主要新 聞が 9.17 まで全ページを黒枠で囲む。

1912.9.13 東京・青山葬場殿で明治天皇の大葬が行われ る。

1912.9.14 明治天皇大喪列車運転のため、午前 0 時を期 して 3 分間、全線全列車の運行停止。

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ここから、当時の人々は悲しみの気持であふれており、流 行色に目を向くところではなかったと考えられる。流行色と いうものをしいて言えば、「黒」ではないかと思われる。表 4-4-2 は 1912 年の『讀賣新聞』の見出しにみた「黒」をまと めたものである。

表 4-4-2

1912.8.3 皇室 喪紗と黑リボン 黑い櫛もよく賣れる 1912.8.8 皇室 黑紗のカーテン 柩車に無裝飾

1912.8.25 皇室 市は女子供の為め遥拜所を設く 黑幕 は警戒不便

1912.9.13 皇室 大葬日の東京 全市黑布を懸け 市民 謹んで奉送

1912.9.14 皇室 大葬儀の夜 黑幕に包まれたる東京 市民粛として奉送

ここから、「黒幕」「黒紗」「黒い櫛」「黒布」「黒リボ ン」といった表現が多く用いられていたことがわかった。そ れから、当時の流行色をめぐる記事について表 4-4-3 のよう にあげてみた。

50 下川耿史他編(2000)『明治・大正家庭史年表』河出書房新社 p.379

表 4-4-3

1912.8.25 <流行界の變調 凡て地味好み>

今迄の流行界は所謂澁いもの好みでそれが、

餘長く續いたから今年の春以来既に別趣味が 現れそうであつた處へ突然大喪の事に接した 為め凡ての色は悉く黑を中心として渦巻いて 来た、若い婦人の裝身具も多くは此黑色が浸 して来た…男物も同じく黑の世界である 1912.9.6 <黑色の勢力 今秋の流行界>

御大喪中は喪服、喪章を始め種々服飾、所持 品に至るまで多く黑色を用ひるる所から、早 くも今秋の流行界の變調が唱へられてゐる。

一方では黑色を中心として沈んだ、地味な、

澁い色を用ふると共に、他方では派手な色を 御遠慮する。乃ち此兩方面から今秋の流行界 は、從來の潮流と全く違た状態を呈するだら うと云ふのである…併し果たしてこれで今秋 の流行界に一大變調を来すであらうか。派手 一方に進む傾向に對して、今回の黑色を中心 とした色や模様は全然反對のものである。…

黑色の有する表現は嚴肅、莊重、深刻と云ふ 様な性質である、だから西洋でも日本でも禮 服の色として用ひられてゐる

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ここからは、当時は女性や男性の服から小物まで、すべて

「黒」であることがわかった。大正時代において、「黒」の 意味を表 4-4-4 にまとめてみた。

表 4-4-4

出典 黑 黑色

『大日本國語 辭典』

(1919)

(一)光の全く無 き色。白みの全く 無き色。暗き色。

(二)くろいし

(黑石)二の略。

くろき色。こくし ょく。

『言泉:日本 大辭典』

(1922)

(一)墨の如き 色。

(二)くろいし

(黑石)(二)の 略。(白に對し て)

黑き色。くろ。こ くしょく。

51 <流行界の變調 凡て地味好み>『讀賣新聞』1912 年 8 月 25 日 <黑色の勢力 今秋の流行界>『讀賣新聞』1912 年 9 月 6 日

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ここから、「黒」の基本義は暗い色、光りのない色、墨の ような色といった意味が主であることがわかった。一方、記 事内容から見ると、大正時代の「黒」は悲しみの意味を表わ すほかに、厳粛、莊重、深刻といった感情も含まれていると 考えられる。「黒」に対する感情を『教育圖案集誌』

(1914)によれば、次のようになる。

黑 壯嚴、沉痛の色なり。多量に用ふるときは冷色の極 なる故凄味を與ふれども少しきごきは威嚴を添ふ。支那 人は是を北に譬ふ。北は陰暗の相ありと。佛家は染習 (即ち修業)の極即ち最後の色。又死(涅槃)の色なりと 云へり53

ここから、大正時代の「黒」は多義的であることがわかる。

また、「黒」は「暗い」と語源が共通で、「何かを隠すもの がある暗さ」を意味する54。語源から見ると、「暗い」「暮 れる」に通じるため、夜の暗闇から連想された死の色である

52 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/954646 p.126 http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/gensen/ p.1185

53 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946050 p.85

54 柴田武(1988)「色名の語彙システム」『日本語学』明治書院 1 月 号『「日本語学」特集テーマ別ファイル普及版 意味 4』pp.70~74

と考えられる。それから、長崎(1974)は平安時代になって から、「黒」には悲哀、絶望などの感情的なものが加えられ、

喪服の黒は哀悼のしるしとなったと指摘している55。次は第 1 次世界大戦の流行色について述べてみたい。表 4-4-5 は『明 治・大正家庭史年表』(2000)を基に、第 1 次世界大戦の様 子をまとめてみたものである。

表 4-4-5

55 長崎盛輝(1974)『色の日本史』淡交社 p.102

1914.7.28 オーストラリア皇太子がセルビア青年に暗 殺されたことから、オーストラリアがセル ビアに宣戦布告。第 1 次世界大戦ぼっ発。

ヨーロッパからの染料・医薬品の輸入途 絶。

1914.8.1 ドイツがロシアに宣戦布告。3 日、フランス にも。

1914.8.23 日本がドイツに宣戦布告。

1914.8.30 ドイツの飛行機がパリに爆弾を投下。世界 初の空襲。

1914.9.5 海軍のモーリス・ファルマン式水上飛行機 が青島攻略戦に参加。日本の軍用機が実戦 に使用された初め。

1914.10.14 日本海軍、赤道以北のドイツ領南洋諸島を

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56 下川耿史他編(2000)『明治・大正家庭史年表』河出書房新社

占領。11.7 日本軍、青島を占領。

1914.11.8 日本初の青島占領(7 日)を祝って、皇居前、

英大使館前で祝賀の提灯行列が行われて、

祝賀福引つき大安売りをする店もあった。

1915.6 染料医薬品製造奨励法が公布される。

1915.11.22 世界大戦の影響で外国薬品の輸入が途絶 し、不良薬品が横行。輸入が途絶した薬品 の原料を生産するため内国製薬が設立され る。

1916.1 第 1 次世界大戦でドイツからの染料の輸入 が止まり、国内の染料の値段が高騰、桃色 染料ローダシンは普通なら 100 円が 2,800 円。

1916.2.25 染料の国産化を目指し日本染料製造が設立 される。

1916.5 この頃東京・丸善で、洋書では薬品・染料 に関する化学、工学関係の書物が売れ行き 好調。

1918.11.11 ドイツ・連合国との休戦協定に調印。第 1 次世界大戦終わる。死者 1,000 万人。負傷 者 2,000 万人、捕虜 650 万人。

第 1 次世界大戦の流行色は、1914 年の「青島色」「オリ

(ー)ブ色」や 1919 年の「新勝色」「平和緑」があげられ る。次は『讀賣新聞』にみる第 1 次世界大戦の流行色をめぐ る記事をあげてみる。

○戰争は總ての物に影響してきた、色々の流行品には青島や 征島など云ふ文字が冠されて、軍國の流行界を風彌してい る、總ての流行色の魁なりと云はれる半襟にも此青島色せいたういろの 半襟が流行の随一となつて来た。青島色せいたういろは松葉色ま つ ば い ろとも云ひ 青柳色せいりういろとも稱へられて、日清戰争當時非常に流行したオリ ブ色である、此オリブ色は不思議な程戰争と深い因縁をも つてゐて、日清戰争當時には四五年間流行し又日露戰役當 時には二三年間流行つた事は世人の知る通りであるが、日 獨交戰の今日には又々流行出したのである。(<戰争に因 んだ半襟の流行 青島色が大流行で模様はエジプト式 >1914.10.31)

青島の占領に因んで、「青島」や「征島」と名づけるもの が多かったという記事内容から、日本人の新奇性を求める心 理が反映される。また、色彩に対する敏感性や流行色の名づ けが自由であることもわかった。それから、次の記事には

「オリーブ」という色が現われてきた。

p.394・p.397・p.399・p.403・p.404・p.406・p.408・p.411・p.429

○半襟は諒闇以來大した色の變遷はありませんでしたが、模 様のない無地物が多い様です、色合は松葉色ま つ ば い ろ即ちオリーブ や藤色ふぢいろ、生臙脂色しやうゑんじいろが重で、上流社會では軍服のカーキー色 が持て囃されて居ますが、花柳界では淺黃あ さ ぎの薄い新橋色しんばしいろと 云ふのが流行し出しました。松葉色ま つ ば い ろの流行は絶えず循環し て是が戰争と關連して流行ますのは面白い現象だと思ひま す。日清日露及び今回の戰爭などで此色が一番多く見掛け ます。…洋傘もオリーブ色を見ますが、一昨年の 鼠 色ねずみいろ 、青磁色せ い じ い ろ、去年の絹紬白麻などから梢々變つて本年はグリ ーン色で矢張り棒縞が澤山見られるだらうと思はれます。

(<襟と傘と袴 戰時に流行色合>1915.1.28)

ここでは、「オリーブ色」や「松葉色」という色が現われ てきた。記事内容によると、「オリーブ色」は戦争と関連し て絶えず現われるとのことである。それは、人々の平和を求 めるという心理の表現ではないかと考えられる。旧約聖書

『創世記』では、ノアに洪水がひいたことを知らせる鳩がオ リーブの枝をくわえて箱船に帰ってくる。それ以来、「オリ ーブ」は平和と和解の普遍的なシンボルになったという記載 が見られる。要するに、「オリーブ色」の出現は戦時の人々 を慰める色であるといえよう。表 4-4-6 は「オリーブ色」と

「松葉色」の意味をまとめてみたものである。

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