『金瓶梅詞話』における“畢” ・“罷” ・“訖”の研究
首都大学東京人文科学研究科 文化関係論専攻
劉淼
序論 ... 1
第一章 はじめに ... 1
1. 本研究の目的 ... 1
2. 本研究の対象である“畢”・“罷”・“訖”とは ... 1
3. 本研究の方法 ... 4
4. 本研究の資料 ... 5
5. 先行研究のまとめと再検討 ... 6
本論 ... 16
第二章 “畢”について ... 16
1.“畢”についての先行研究 ... 16
2.明清白話小説における“畢” ... 17
3. 五作品における“畢”のまとめ ... 48
第三章 “罷”について ... 53
1.“罷”についての先行研究 ... 53
2.明清白話小説における“罷” ... 54
3. 五作品における“罷”のまとめ ... 74
第四章 “訖”について ... 78
1. “訖”についての先行研究 ... 78
2. 明清白話小説における“訖” ... 79
3. 四作品における“訖”のまとめ ... 86
第五章 “畢”・“罷”・“訖”の接続用法 ... 91
1.接続用法とは ... 91
2. 接続用法の歴史 ... 91
3.新旧接続用法の比較 ... 92
4.五作品における“畢”・“罷”・“訖”の接続用法のまとめ ... 94
5.小結 ... 94
第六章 “畢”・“罷”・“訖”から見た『金瓶梅詞話』の特徴 ... 95
1.『金瓶梅詞話』の特殊性 ... 95
2.『金瓶梅詞話』の特殊性のまとめ ... 95
3.今後の課題 ... 96
第七章 余論――“完” について ... 97
1.“完”の用法の通時的変化 ... 97
2.調査対象 ... 98
3.調査結果と分析 ... 99
4.まとめ ... 110
5.小結 ... 111
結論 ... 113
第八章 まとめ ... 113
参考文献 ... 116
“畢”・“罷”・“訖”の用例一覧 ... 118
初出一覧 ... 245
1
序論
第一章 はじめに
1.
本研究の目的
本研究では、『金瓶梅詞話』における特徴的な文法現象のうち、“畢”・“罷”・“訖”につ いて、そのほか五つの明清白話小説と比較しながら考察する。
主に論ずるのは次の四つの課題である。
ア 五つの作品の“畢”・“罷”・“訖”それぞれの用例における特徴を明らかにする。三 者を用いた形式における語順のみならず、共起する語彙や、文体の差異などについ ても検討する。
イ 明清白話小説に非常に多く見られる“畢”・“罷”・“訖”の会話文(実際に口に出し たもののほか心で思ったことも含む)の後ろにおける用法を本論では接続用法と定 義する。各作品における“畢”・“罷”・“訖”の接続用法の用例を検討する。
ウ “畢”・“罷”・“訖”の用例に注目して『金瓶梅詞話』とその他の明清白話小説を比 較し、『金瓶梅詞話』における“畢”・“罷”・“訖”の特徴を明らかにする。
エ “畢”・“罷”・“訖”を用いた形式の語順を、“了”を用いた形式の語順と比較する。
“了”を用いた形式の変化については、先行研究では「前移説」、「後加説」が提示 されている。“畢”・“罷”・“訖”を用いた形式は“了”と同様な変化を辿ったのかど うか検討する。
2.
本研究の対象である“畢”・ “罷” ・“訖”とは
2.1“畢”
“畢”は動詞1として「終わる、終える、終わらせる、完結する、完成する、完了する」
などの意味を表す。『中国語大辞典』の記述は以下の通りである。
①終える、終わる、終わらせる、完結する
<话犹未~>話がまだ終わっていない。
<说~关着门进去了>言い終わると、戸を閉めて引っ込んだ。(『儒林』)
②すっかり、すべて、ことごとく
1 現代漢語では、“畢”は副詞として「すっかり、すべて、ことごとく」の意味を表す用例
が多いが、本研究の対象外である。
2
<真相~露>真相がすっかり暴露された。
<每至是日,万乐具举,六宫~从>この日が来るたびに、あらゆる娯楽を用意して、後宮 の女宮たちもことごとく付き従っていくのであった(『老父』)
先秦両漢時代からすでに“畢”の用例が見られ、古代漢語から近代漢語まで長い間使用さ れていた。一方、現代漢語では軍事の号令として“礼畢(敬礼の後の「直れ」)”などの特 殊な文脈以外にはあまり用いられていない。本研究は、明清白話小説に見られる動詞とし ての“畢”(①)の用例を対象とする。
2.2“罷”
“罷”は動詞2として“畢”と同じ意味を表す。一方、「終わる、終える」などの意味以外 には、「止める、停止する、解除する、官職を免ずる、やめさせる」の意味も含まれている。
現代漢語においては、後者の方が良く使用されている。『中国語大辞典』の記述は以下の通 りである。
① やめる、休む。
<欲~不能>やめようにもやめられない。
② 官職を解く。官職を免ずる。罷免する。やめさせる。
<~官>官職をやめさせる。
③ 終わる、終える;多くの動詞の後におき、終わることを表す。(方言・白話文)
<吃~饭>食事をし終わる
<说~洋洋的自去了>言い終わると、そ知らぬ顔で行ってしまった。(『古今』)
『中国語大辞典』によると、“罷”の③の用法は方言であると記述されているが、具体的 にはどの地域の方言であるかは明記されていない。この用法は“畢”の①の用法と同じで ある。“罷”も先秦両漢時代からすでに用いられるが、“畢”ほど広く、多くは使用されて いない。また、現代漢語においてはあまり使われていない。本研究は、明清白話小説に見 られる動詞としての“罷”(③)の用例を対象とする。
2.3“訖”
“訖”は動詞として“畢”・“罷”と同じ意味を表す。“訖”には「終わる、終える」の意 味以外の用法は見当たらない。『中国語大辞典』の記述は以下の通りである。
① 終える
<付~>支払い済み
<验~>検査済み
2 “罷”は間投詞として使われたり、“了”と結合して、“罷了”が使われたりする例もよく
見られるが、本研究の対象外である。
3
<~了liao33>終わる
<期中考试考~了>中間試験が終わった。
<他还没有死~哩>あいつはまだ死なないよ。
<你看,马上就包~了>ほら、もうすぐ包み終えるよ。
<将五个尸首一一检验~>5人の死体をひとつひとつ調べ終わりました。(『古今』)
<许武等三人亦各饮~>許武ら3人もまた飲み干した。(『醒世』)
② 終わり
<起~>始めと終わり
“訖”も先秦両漢時代からすでに用いられるが、現代漢語においては、ビジネス公文書 などでは“收讫”(領収済み)、“验讫”(検査済み)などの慣用表現は見られるものの、日 常生活にはあまり馴染まない。本研究は、明清白話小説に見られる動詞としての“訖”(①
②)の用例を研究の対象とする。
2.4“完”
”畢”・“罷”・“訖”と比較するため、余論として現代語においても使われ続けている“完”
も取り上げる。“完”は現代漢語において、非常に多く使用されている。その意味・用法も 多岐にわたっている。『中国語大辞典』の記述は以下の通りである。
① 形容詞 すっかりそろっている。完璧である。
<体无~肤>全身傷だらけである。
<准备得很~善>申し分なく準備が整っている。
② 動詞 尽きる、なくなる;補語として用いられ、多く“了”を伴う
<用~了>使いつくした
<卖~了>売りつくした
<事情做~了>用事はすっかり済んだ
③ 動詞 仕上げる。し終わる。終える。
<~工>仕事を終える。工事が終わる。
④ 動詞 納付する。
<~税>
⑤ 動詞 (“~了”として)だめになる。おしまいになる。おだぶつになる。
<他们的工厂全~了!>彼らの工場はすっかりだめになった。
<~了,只好从头儿做吧!>しまった、初めからやり直すより仕方がない。
⑥ 名詞 終わり、きり;多く“没个~”として。
<他说起话来没个~>彼は話し出したらきりがない。
<我跟他没~>私は彼と仲直りすることはできない。
3 数字は声調を表す。
4
<怎么算个~?>どうしてけりがついたといえようか。
⑦ 四川方言 形容詞の後に用い、程度が甚だしいことを表す;多く“了”を伴う
<你哥子平时精灵~了>きみの兄さんはいつもとても利口だ。
“完”の意味は多くあるが、②~⑥は本質的には同じ「終わる、終える」の意味であり、
①はそれらと違う意味である。⑦は方言的な表現であり、本研究の対象外とする。本研究 では、主に②~⑤の動詞としての用例を対象とする。古代漢語では、主に①の意味として の用例しか見られない。動詞としての用例がいつ、どのように使われているかを分析する。
“畢”・“罷”・“訖”及び“完”四者に共通しているのは「終わる、終える」という意味 である。この共通した意味が本研究の中心的対象である。
3.
本研究の方法
3.1データ収集の仕方
本研究で取り上げた資料に見られる“畢”・“罷”・“訖”の用例を全部収集し、使用頻度、
使用されている文体、共起する語彙、用いられている形式などを分析し、それぞれ独自の 意味・用法及び性質を明らかにする。また、各項目の比較を通して、共通点も解明する。
3.2データの分類基準
本研究では、“畢”・“罷”・“訖”が用いられる形式を、これらの性質から以下の二つに分 ける。
Aタイプ:“畢”・“罷”・“訖”が本動詞として用いられる場合 例:飯罷(食事が終わった)、
吃茶畢(お茶が終わった)
Bタイプ:“畢”・“罷”・“訖”が述語動詞の後ろにつき、述語動詞の目的語が文中で確認で きる場合 例:吃畢茶(お茶を飲み終えた)目的語が述語動詞より前に置かれ る場合も含む 例:把房盖罷(家を建て終えた)
3.3例文の訳し方
本研究は、“畢”・“罷”・“訖”の用例を分析するので、例文の解釈が重要である。特に断 りのない限り、筆者による訳である4。地の文と会話文の境界を示すマーカーとしての用例
(本研究では、接続用法と呼ぶ)例えば、「“……”説罷,……。」の訳は、以下の三種類が 考えられる。
① 「……」と言い終えて、……した。
② 「……」と言って、……した。/と言うと、……した。
③ 「……」と、……した。
本研究では、②の訳し方を採用する。
4既存の邦訳を参考にし、必要に応じて逐語訳をした。
5
3.4『金瓶梅詞話』における“畢”・“罷”・“訖”の特徴の見出し方
本研究では、『金瓶梅詞話』の“畢”・“罷”・“訖”の特徴を見出すため、ほぼ同時代の他 の白話小説と比較する。具体的には、以下の部分から比較対照を行う。
㈠ 接続用法の比較
本研究においては、白話小説によく見られるの地の文と会話文の境界を示すマーカーと しての用例(“説畢”、“看罷”など)を接続用法と呼ぶ。これらの接続用法の用例に用いら れる語彙の特徴に着目し、分析を行う。
㈡ 「V+O+Vw」と「V+Vw+O」
“畢”・“罷”・“訖”を用いた形式には「V+O+Vw」と「V+Vw+O」5の二つの語順が見られ、
両者の割合は作品により、異なっている(前者はⅠ型語順とし、後者はⅡ型語順とする)
本研究では、『金瓶梅詞話』とその他の白話小説における両者の用例の割合の違いに注目す る。
㈢ 新しい“完”の使用
“畢”・“罷”・“訖”などに加え、明代から“完”が使われるようになった。『金瓶梅詞 話』においては、“完”がどのように使われているか、そして、他の白話小説とどう異なっ ているかを分析し、“完”と“畢”・“罷”・“訖” の相違を明らかにすることにより、“畢”・
“罷”・“訖”の特徴を浮き彫りにすることが期待できる。
4.
本研究の資料
本研究では言語資料として、明清白話小説を用いる。漢語史において、通時的な変化が 大きいのは文言よりも口頭語である白話である。本研究では白話における動詞の後置成分 の歴史を調べることを目的としているので、白話小説を調査資料とする。ただし、作品に よっては文言への傾斜が強いものもあり、注意が必要である。また、白話小説とはいえ読 み物であるので、口頭語そのものではなく口頭語に近い文体という認識で臨む。主に調査 する資料は、版本の成立年代が比較的確定していて、まとまった量がある作品を選定した。
調査資料は主に以下の通りである。
『忠義水滸全傳』(底本:楊定見・袁無涯本 明万暦四十二年)(排印本:『一百二十囘的 水滸』1929年初版1957年11月第3次印刷商務印書館出版)6以下『水 滸傳』と略する。
5 「Vw」は“畢”・“罷”・“訖”を総括する語として用いる。
6 本研究の資料である白話小説にはいくつかの版本が存在している。『忠義水滸全傳』以外
には『明容与堂刻水滸傳』も知られている。また、『金瓶梅詞話』以外には改訂本とされる 崇禎本『金瓶梅』や張竹坡本『金瓶梅』もある。しかし、本研究の対象である“畢”・“罷”・
“訖”の版本間の有意義な差が見当たらない(用例数の多寡は存在するものの、大きな変 化はない)。それに、“畢”・“罷”・“訖”の用例については、『紅楼夢』の前八十回と後四十 回の間にも大きな変化が見られない。
6
『新刻出像官板大字西遊記』(明万暦世徳堂本)(上海古籍出版社1994年『古本小説集成』
所収)以下『西遊記』と略する。
『金瓶梅詞話』日光山輪王寺慈眼堂所蔵本徳山毛利氏棲息堂所蔵本(株式会社大安1963 年影印版)
『程甲本紅楼夢』(影印本1992年書目文献出版社)以下『紅楼夢』と略する。
『児女英雄傳』清光緒四年聚珍堂本(上海古籍出版社1994年『古本小説集成』所収)
その他、比較するため、他の資料も適宜参照する。
4.1『金瓶梅詞話』について
本研究で取り上げた『金瓶梅詞話』は「中国小説史上初めて一人の作者によって書かれ た創作小説」と評価されている。しかし、その成立年代はいまだに不詳である。また、作 者は誰であるかについてもまだ結論が得られていない。基礎方言もまだ解明されていない。
山東方言という説がある一方、第五十三回から第五十七回までは呉方言が混在していると も言われている7。北方方言を用いて書かれているように見えるものの、南方方言の要素も 散見されている。
4.2その他の白話資料について
『金瓶梅詞話』と比較するため、他の明清白話小説の代表的な作品も取り上げる。明代 の四大奇書の『水滸傳』と『西遊記』を、清代の白話小説『紅楼夢』と『児女英雄傳』を 選んだ。
5.
先行研究のまとめと再検討
5.1完了相に関する先行研究
完了相に関する先行研究は数多く存在している。龔千炎(1991)は完了相・実現相のア スペクトは、動作・行為・変化がその前にすでに発生し、進行し、完了したこと、或いは 状況・状態がその前にすでに存在し、実現したことを表す。中国語においてこの種のアス ペクトは主にアスペクト助詞“了1”とアスペクト語気詞“了2”によって表されるが、副 詞“已经”もしばしばアスペクトの表現に用いられる。“了1”は主に完了相を表すが、時
7 沈徳符の『万暦野獲編』は『金瓶梅詞話』の第五十三回から第五十七回については、以下
のように述べている。然原本實少五十三回至五十七回,遍覓不得,有陋儒補以入刻,無論 膚淺鄙俚,時作呉語,即前後血脈,亦絶不貫穿,一見知其贗作。また、地蔵堂(2002)で も『金瓶梅詞話』の第五十三回から第五十七回に見られる呉語について論じている。
7
には実現相を表すこともある。完了と実現は本来密接な相関関係にあり、1つの動作の完 了は、1つの状態の実現(存在)でもあるからと述べている8。
また、石毓智(1992)は中国語のアスペクトは、それぞれ3つの動態助詞、“了”・“着”・
“过”によって表される。この“了”・“着”・“过”についての研究は、言語学界において 最もよく論じられているテーマであると説明している9。
先行研究では“了”の重要性を示しているが、本研究の対象である“畢”・“罷”・“訖”
も“了”と関連している。
5.2先行研究における「V+O+了」と「V+了+O」についての検討
先述した通り、“了”を用いた形式には「V+O+了」と「V+了+O」の二つの語順があ る。「V+O+了」は古い語順であり、以下Ⅰ型語順と呼ぶ。蔣紹愚(2005:137)は、以下 のように述べている。
“了”最初是一个义为了结的完成动词,这种“了”最早见于晋宋时期。
(“了”は当初「けりがつく、決着がつく」という意味の動詞であった。このような“了”
の最も早い例は晋宋時期に見られる。)
曹広順(1995:16‐17)は以下のように述べている。
大约在汉代以后,动词“了”有了“终了”“完毕”的意思,并同意义相近的动词“已”
“讫”“毕”“竟”10等一起,构成了汉语中表示完成状态的句式“动词+宾语+ 完成 动词”。
(およそ漢代以降に、動詞“了”は「終了」、「完成」の意味を表すようになり、同じ 意味を表す“已”“讫”“毕”“竟”などと同様、漢語の中で完成状態の形式「V+O+完 成動詞」を成している。)
以下、先行研究で挙げた「V+O+了」の例をいくつか紹介する。
(1)公留我了11矣,明府不能止。(『三国志』,蜀,杨洪传,卷四一)曹広順(1995: 16)
(丞相は私を残した。明府は止められない。)
(2)杀人了,即曰我有事而杀,非故杀也。(「论姚文秀打杀妻状」,『全唐文』,卷六六八)
曹広順(1995: 17)
(人を殺した。即ちこう言う。自分には訳があって殺したのであり、理由もなく殺し たわけではない。)
(3)子胥解梦了,见吴王嗔之,遂从殿上褰衣而下。(『敦煌变文集』26)梅祖麟(1981:65)
(子胥は夢を解釈した。呉王がそれで怒り出し、彼を責めていたのを見て、宮殿から 服を持って下がっていった。)
8 訳文は森宏子・于康(2000)による。
9 訳文は伊藤さとみ・于康(2000)による。
10 原文を引用する際、簡体字の場合、原文のままにする。
11 下線と太字は筆者による。以下同。
8
(4)臣松之以为,权愎谏违众,信渊意了,非有攻伐之规,重复之虑。(《三国志》,吴,吴主 传裴注,卷一七) 曹広順(1995:16)
(臣下の松之はこのように考えている。孫権は他の人の意見を聞き入れず、公孫渊の 意見を信頼してしまい、彼が謀反の計画を立てることなどあり得ない。[と思ってい た])
一方、「V+了+O」の形式は新しい語順であり、以下Ⅱ型語順と呼ぶ。「V+了+O」の 形式の用例については、多くの先行研究でも論じている。王力(1958)、太田辰夫(1958)、
趙金銘(1979)、梅祖麟(1981)、曹広順(1995)、呉福祥(1996)、蔣紹愚(2005)などが ある。蔣紹愚(2005:137)は、以下のように述べている。
到了晚唐五代,“了”的位置出现了变化,出现了“V+了+O”的格式,“了”从处于宾 语后变到紧贴在动词后,研究者就把这种“了”看作词尾或动态助词。
(晩唐五代になると、“了”の位置の変化が見られ、「V+了+O」の形式が現れ、“了”は 目的語の後ろから動詞の後ろへと移動し、研究者はこの種の“了”を語尾ないし動態 助詞と見なす。)
以下、先行研究で挙げた「V+了+O」の例をいくつか紹介する。
(5)林花谢了春红,太匆匆。(李煜「乌夜啼」)王力(1958:306)、曹広順(1995:18)
(木が花を落としてしまった[咲いている期間が]短すぎる。)
(6)鬒鬓亸轻松,凝了一双秋水。(白居易「如梦令」『全唐诗』) 曹広順(1995:18)
(鬢の毛がゆるやかに垂れ下がっている。美しい人が両眼を凝らしじっと見ている。)
「V+了+O」の形式が現れる以前に、すでに「V+O+了」と「V+了」の二通りの形式 が存在している。「V+了+O」の形式が果たして、「V+O+了」の“了”が前へ移動するこ とで、できたのか、それとも目的語が付加されたことによりこの形式になったのか、先行 研究で意見が分かれている。以下“了”が前へ移動することを「前移説」と呼び、後者を
「後加説」と呼ぶ。
5.2.1前移説
前移説には、梅祖麟(1981)(1994)(1999)、曹広順(1986)(1999)、蔣紹愚(1994)な どがある。“了”が前へ移動された理由、そして後述した「後加説」についての反論も見ら れる。
5.2.1.1梅祖麟(1981)(1994)(1999)
梅祖麟(1981)は、南北朝時代には、「V+O+完成动词12」の形式はすでに見られ、その 時は“毕、讫、已、竟”らを用い、完成を表す。「V+O+讫/已/毕」の形式は南北朝にも使 われており、唐代でも使われている、としている。
12 梅祖麟(1981)などは、「“终了、完毕”(終了、完成)」の意味を表す動詞“毕、讫、竟、
已、了”のことを“完成动词”と呼ぶ。
9
(7)王饮酒毕,因得自解去。(『世説新語』) 梅(1981:69)
(王恭は酒を飲み終わり、それでトイレに行った。)
また、南北朝時代から唐代まで「V+O+完成动词」の形式は変化が見られず、“了”がそ の他の完了動詞に取って代わり、最もよく使われている完了動詞になったと述べている。
“讫、已、毕、”は唐代でもまだ使用されているが、次第に“了”に淘汰されていったとし た。敦煌変文とその他の唐代の文献には「V+O+了」の形式が見られるが、晩唐から宋代 になると、“了”は前へ移動し、動詞と目的語の間に置かれるようになっていると論じてい る。完成相の語尾は南北朝時代から現代までの間に二つの段階を経ていると述べ、前半で は形式は同じであるが、語彙の上で変化が生じたとしている。また、後半では語彙の変化 は見られず、語順の上で変化が生じたと述べている。唐代の中期から宋代までの間に完了 相“了”は動詞と目的語の間に移動していると考えられる。
(8)几时献了相如赋,共向嵩山采茯苓。(敦煌本『六祖坛经』)太田(1958:226)梅(1981:
66)
(いつの日か相如の賦を献じ、共に嵩山にて茯芩をとらん。13)
(9)绣阁数行题了壁(孙光宪「浣溪沙」) 梅(1981:67)
(部屋の壁には数行の詞を書いた。)
(10)见了师兄便入来。(『難陀』) 梅(1981:66)
(兄弟子に会ってから、入った。)
“了”が前へ移動した理由は同じ形式の“(不)得”の用例の影響であると説明している。
南北朝から唐代の間では、動補構造として「V+O+C(Cは補語を表す:筆者注)」と「V
+C+O」の二つの形式が存在した。一方、“了”が「V+O+了」のみに使われていた。「V
+C+O」の多用により、「V+了+O」の用例も使われるようになった。また、「V+O+(不)
得」と「V+O+了」の形式が存在し、“(不)得”と“了”は共に目的語の後ろに置かれて いた。しかし、宋代になると、“(不)得”が前に移動、「V+(不)得+O」の形式の用例の 多用により、「V+了+O」の形式の用例も増えている。
(11)吾不自知,代汝迷不得;汝若自见,代得吾迷。14『六祖坛经』 太田(1958:232)
(われは自ら知らないから汝の迷いに代わることはできない、汝がもし自ら見たなら ばわが迷いに代わることができよう15)
(12)谁言寸草心,报得三春晖? (『游子吟』) 太田(1958:231)、梅(1981:75)
(誰が言ったのか、小さな草[息子]は、春(母)に恩返しできる、と。)
梅祖麟(1994)は、梅祖麟(1981)の論点を修正した。閩南語は「V+RC(結果補語)
+O」の形式は存在しているが、閩南語には完了相の語尾は存在していない。したがって、
梅祖麟(1981)は、「V+RC+O」形式の出現は「V+完了相語尾+O」の形式の誕生の原因
13 太田(1958:226)の訳語を参照している。
14 “汝若自见,代得吾迷”は反語である。
15 太田(1958:232)の訳語を参照している。
10
であるとは言えないと考えている。「V+了+O」形式における“了”の移動の理由は晩唐と それ以前には、「V却O」、「V着O」、「V得O」などの形式がすでに現れ、これらの語順は
「V了O」の誕生を促したためである。閩南語の分析を通して、「VO了」から「V了O」
へと変化したのは類推による影響であるという観点を支持するようになっている。
(13) 〇代志犹未做煞(事情还没有做完)
(ことはまだやり終わってない)
×犹未做煞代志(还没有做完事情)
〇亲情一定会做成(婚事一定能谈成)
(縁談は必ず成功する)
×一定会做成亲情(一定能谈成婚事)
〇阿英衫洗了也(阿英衣服洗完了)
(英ちゃんは服を洗濯し終わった)
×阿英洗了衫也(阿英洗完了衣服) 梅祖麟(1994:26)
梅祖麟(1994:26)は、次のように述べている。閩南語にはV-RCOの用例が存在してい る(例:“拍死伊(打死他)”)が、完了相語尾はない。つまり、V‐RCO形式の存在は必ず しも「V+完了相語尾+O」の形式の出現の必然的な原因とはいえない。閩南語には「V+
PC(状態補語)+O」の形式がない。状態補語と目的語が同時に出現する時、目的語が必ず 前へ移動される。「O+V+PC」の形式でなければならない。例えば、「“代志犹未做煞”(事情 还没有做完),“亲情一定会做成”(婚事一定能谈成),“阿英衫洗了也”(阿英衣服洗完了),
“电影看完也”(电影看完了)」これらの表現は成り立つが、それに対して、「“犹未做煞代 志”、“一定会做成亲情”、“阿英洗了衫也”、“看完电影也”」の表現は閩南語では成り立たな い。仮に晩唐の「V+O+了」の中の“了”が結果補語の影響で前へ移動したのであれば、
閩南語には「V+RC+O」も、「V+了+O」も存在しているはずである。しかし、閩南語に は「V+了+O」が見られず、「V+O+了」のみである。したがって、“了”が前へ移動した 理由は“(不)得”が前に移動したとは言い切れない。
梅祖麟(1999)は、梅祖麟(1981)の論点を修正したことに再び言及している。曹広順
(1986)の指摘を認め、動補構造は「V+了+O」形式が出現したことの間接的な原因で、
「V+却+O」の形式は「V+了+O」形式が出現した直接的な理由と改めた。
5.2.1.2曹広順(1986)(1999)
曹広順(1986)は、晩唐から完了の意味を表す動詞“了”は虚化し始め、場所も「V+O
+了」から「V+了+O」へと変化し、つまり「V+却+O」の“却”の場所へと移動した。
晩唐から“却、了”は助詞として併存し、宋以降は次第に衰退した。南宋中後期以前の作
11
品の“却”を“了”と改めた例も見られる。16要するに、“了”が前へ移動する理由は「V
+却+O」の影響であると述べている。
曹広順(1999)によると、古代漢語において、「Vt1+Vt2+……Vtx+O」形式の中の動詞 はすべて他動詞である。
(14)射杀一鱼。『史记』秦始皇本纪 曹広順(1999:30)
(魚を射て殺した。)
(15)以天降之福,吏足良,马疆力,以夷灭月氏,尽斩杀降下之。(同上,匈奴列传)
曹広順(1999:31)
(天の恵みが降り注ぎ、兵士は優秀であり、馬も持続力がある。これで月氏を滅ぼし、
投降した者すべて斬殺した。)
その後、Vt2には自動詞である場合も見られる。
(16)管叔鲜作乱诛死。(同上) 曹広順(1999:31)
(管叔鮮は謀反を企んで、[結局]殺され死んでしまった。)
(17)祥尝在别床眠,母自往闇之,值祥私起,空斫得被。『世说新语』德行
曹広順(1999:32)
(祥は嘗て別のベッドで寝て、継母は一人で彼を殺しに行き、ちょうど祥はトイレに 行っていたので、ただ布団を切りつけただけだった。)
(18)修饰园林,除却沙石及诸粪垢。『佛本行集经』卷一四 曹広順(1999:32)
(園林を飾り、沙石や糞等を片付けた。)
(19)白杨多悲风,萧萧愁杀人。『古诗十九首』一四 梅祖麟(1991:228)
(白楊は強い風の影響で動き、人々の心を悲しませた。)
一部のVtはViへと変化した。上記の“得、却、杀”はこの例である。すなわち、「Vt1
+Vt2+O→Vt+Vti+O」になっている。Vtiは漢語の中で新な成分―補語を生み出した。「Vt
+Vti+O」の誕生はVtとOの間にその他の成分を入れられるようになり、動態助詞の誕生 には文法的な位置を提供した。“了”はもともと完了を表す自動詞であり、本来の文法ルー ルにより、「V+O+了」と「V+了」の形式しか存在していない。唐五代になると、「Vt+
Vti+O」が出現後、“却”が完了の意味を表す助詞として出現し、「Vt+O」の間に現れ、Vi
も補語として同じ位置に置かれ、したがって、“了”も「V+O+了」から「V+了+O」へ と変化したこともできた。わざわざ「V+了」の形式において、先に“了”が虚化し、さら に後ろにOを付ける過程は必須ではないと指摘している。
16 曹広順(1986:25)は「南宋中晚期,甚至出现了把前人作品中的“却”改作“了”的例
子。《续古尊宿语要•白云端和尚语录》中收了洞山和尚的一首诗:“天晴盖却屋,乘时刈却禾,
输赋皇租了,鼓腹唱讴歌。”到了《灵隐大川济禅师语录》,其中“却”均被改作“了”,变为:
“趁晴盖了屋,乘时刈了禾,输赋皇租了,鼓腹唱讴歌。”」と指摘している。
12 5.2.1.3蔣紹愚(1994)
蔣紹愚(1994)は、梅祖麟(1981)で挙げた“了”の前移の理由について、反論してい る。「V+不得+O」は宋代以降に現れていたが、「V+了+O」の用例は晩唐五代にはすでに 見られるので、“不得”が前に移動したことは“了”の前移の理由にはなれないはずである と指摘している。また、曹広順(1986)で挙げている“了”の前への移動は動態助詞“卻”
の影響であることにおおむね賛同している。
5.2.2後加説
5.2.2.1呉福祥(1996)(1998)
呉福祥(1996)は、「V+O+了」の“了”は前へ移動したのではなく、「V+了」17の形式 において、“了”が虚化し、動態助詞になってから目的語を伴い、「V+了+O」の形式にな っているとしている。また、「V+O+了」の“了”は後の語末助詞の“了”に変化したと述 べている。呉福祥(1998)は、呉福祥(1996)を修正・加筆の上、「“了”はまず“V+了”
の形式の中で動相補語に変化し、その後、目的語がつき、“V+了+O”の形式になった。“V
+了+O”の形式の中の“了”はさらに変化し、完了相の助詞になっている。」18としている。
5.2.2.2李訥・石毓智(1997)
李訥・石毓智(1997)は、アスペクトマーカーが誕生のメカニズムを検討し、唐五代の
“了”の形式には「V+了」と「V+O+了」の二通りあると述べた上で、“了”がアスペク トマーカーとして使われると、動詞と密着し一つの文法単位を成すので、目的語を“了”
の後ろに置くことができると述べている。「V+O+了」においては、“了”と動詞の関係が
17 呉福祥(1996)の動詞の種類は「瞬間動詞」、「状態動詞」、「形容詞」、「動補構造」、否定 形式「未V了」に限定されている。
18 “了”先在“V+了”格式里虚化为动相补语(phase complement),然后带上宾语就形成了
“动+了+宾”格式,即[动+了]+[宾]>[动+了+宾],最后,“动+了+宾”格式中的动相补 语“了”进一步虚化变成完成体助词。
13
疎遠である。目的語によって、引き離される他、様々な修飾語も挿入することもできるか らだ19。
5.2.2.3 梁銀峰(2006)
梁銀峰(2006)は、「後加説」に賛同している。つまり、“畢”および“罷”も“了”と 同様、まず前接する動詞と結合し、さらに目的語を伴うという考え方を示している。「一見 A式「Vt+毕」とB式「Vt+O+毕」における“毕”の意義と性質は同じであるが、実際に は用法と機能が異なっている。A式においては、“毕”とVtの文法的役割は平等ではない。
“毕”の文法的意義は「Vt」という動作自身の完成、完結を表すことであり、両者は動補 構造を成している。B式においては、動賓構造の「Vt+O」は事柄を述べ、“毕”は事柄の 変化実現、完成を表しており、「Vt+O」と“毕”は主述関係を成している。(中略)「Vw」
が補語に変化し、前の「Vt」と動補構造を形成してから、すぐには目的語をともなう例が 見られない。長期間の使用を経て、ようやく目的語を伴うことができた。「Vt+毕+O」と
「Vt+罢+O」は典型的な例である。新しい形式「Vt+Vw+O」が形成された後B式「Vt
+O+毕」、すぐには消滅せず、古い形式と新しい形式が共存する時期があった」と述べて いる。
5.2.3中立説
蔣紹愚(2005)20曹広順(2005)21には前移説と後加説両方を検討している。
5.2.3.1蔣紹愚(2005)
蔣紹愚(2005:150)は、まず前移説について、以下のように定義している。
19 唐五代时期,“了”取代了其余四个词而在这个格式中占据了主导地位(详见刘坚、曹广顺
等1992)。在唐五代时期“了”还只能出现于以下两种格式中:(一)动+了(二)动+宾+
了根据上文对指动补语的分析,“了”形态化的句法环境是格式(一),一旦变成体标记后,
就与动词形成一个句法单位,这时宾语就可以出现在“了”之后。经过一个新旧格式互相竞 争时期,“了”最后就完全挪前了。下面我们用材料来证明这一分析。首先我们看“了”为什 么不能在格式(二)中形态化(虚化)的原因。在格式(二)中,“了”与动词的关系很远,
除被宾语隔开外,还可以插入各种修饰语。我们从刘坚、蒋绍愚主编的约40万字的唐五代白 话文资料中,共收集到69个格式(二)的用例,其中有41例中紧挨“了”之前有修饰语,
约占70%,(中略)说明格式(二)的“了”还是动词,因为它还可以被各种副词修饰。
20 蔣紹愚(2005)は、蔣紹愚(1994)を改めたものである。蔣紹愚(2005)は「V+O+了」
から「V+了+O」へと変化したのは“了”が前移したためか、それとも後加によるかを検 討している。
21 蔣紹愚・曹広順主編(2005)第六章「動態助詞」の執筆者は曹広順である。
14
所谓“前移”,是指这样一种语法的发展:当动词、宾语和“了”同时出现的时候,原先
“了”只能处在宾语的后面,后来“了”可以处在宾语的前面。这是由于“了”的语法 化程度加深了,所以它越过宾语,紧跟在动词后面。如果这样来理解“前移”说,那么,
应该说“前移”说是符合语法演变的事实的。“前移”说不能理解为这样一种意思:任何 一个“V+了+O”的句子,都是先有“V+O+了”这样的原型,然后把原型句中的“了”移 到前面而形成的。那样的理解当然是与事实不符的。
(いわゆる「前移」は、次のような語法的変化である。動詞、目的語、及び“了”が同時 に出現する場合、以前は “了”は目的語の後ろしか置かれなかった。次第に、“了”は目 的語の前に置かれることも可能になる。これは“了”の文法化の度合いが高まったため、
目的語を越え、動詞のすぐ後ろに位置したのである。このような解釈で「前移」説を理解 するならば、この説は文法変化の事実と一致している。なお、「前移」説は以下のように理 解してはいけない:どの「V+了+O」の文でも、すべて先に「V+了+O」という原形が存 在し、この原形の中の“了”を前へ移動させ、形成した。このような理解は事実と異なる。)
(20)补了三日不肯归婿家。(卢仝「与马异结交待」)
(三日かけて補い、婿の家には帰らない。)
(21)前皇后帝万千年,死了不知多与少。(『维摩碎金』)
(何万何千年もの間、何人もの皇帝が死んでいたのだろう。)
(22)白了人头。(欧阳修「浪淘沙」) (白髪だらけになった。)
(23)万秀娘死了丈夫。(『清平山堂话本』)
(万秀娘は夫に死なれた。) 蔣紹愚(2005:150)
「仮に呉福祥(1998)に従えば、“了”はまず「V+了」の形式の中で動相補語に虚化し、
さらに目的語がつけられるようになり、「V+了+O」の形式になったということになる。上 記の例(21)~(23)22ならばこのような解釈が可能である。この形式には「Vi+O+了」
の原形には存在しないからだ。一方、「Vt+O+了」の形式の用例も数多く見られる。これ らの用例の中の“了”はほとんど動詞であるが、一部動相補語に虚化したものも見られる。
この形式において“了”の虚化が進み、前接する動詞に対する付属性が強まり、文法的位 置を変えることができた。前へ移動し、「Vt+了+O」の形式になっていると指摘している。
つまり、Vtの場合は前移の可能性が高く、Viの場合は後加の可能性が高い。動詞の性質に より、前移説と後加説どちらが原因なのか異なる」と論じている。
22 蔣紹愚(2005)はこの三例は特殊例であると触れている。
15
5.2.3.2蔣紹愚・曹広順主編(2005)
蔣紹愚・曹広順主編(2005)は、後加説である呉福祥(1996)、李訥・石毓智(1997)の 論点に対する曹広順(1999)の反論を述べ、「Vt+Vi+O」の形式において、「Vt+Vi」が先 に結合したことは証明できないとしている。
5.2.4本研究の立場
本研究は基本的には蔣紹愚(2005)に賛同する。つまり、前節する動詞の性質により、“了”
が前移または後加したと考えている。梁銀峰(2006)、呉福祥(1996)、李訥・石毓智(1997)
は、本来数多く存在している「V+O+Vw」の形式の用例を軽視しているようである。“畢”
と“罷”については「V+Vw+O」の用例が見られる前にすでに、「V+O+Vw」の用例が多 く存在している。また、今回調査した限りにおいては“畢”・“罷”・“訖”には「Vi+Vw」
の用例は見当たらない。ゆえに、「後加説」の解釈は適用できない。それに、“畢”と“罷”
が圧倒的に多く存在している「V+了+O」の用例の影響を受けずに、単独で変化したとは 考えられない。“畢”と“罷”の虚化の過程においては、多かれ少なかれ“了”の影響を受 けているはずである。類推により、“了”の位置に“畢”と “罷”なども入れるようにな っていると考えられる。
16
本論
第二章 “畢”について
1
.“畢”についての先行研究
1.1梅祖麟(1981)
梅祖麟(1981)は、管見の限り初めて“畢”について言及したものである。「V+O+完成 動詞」という形式が最初に見られたのが戦国晩期であり、漢代においては、この形式によ く見られる完了動詞は“已”であり、その次は“訖”・“竟”・“畢”である、と述べている。
南北朝に見られる“畢”の用例も挙げている。
1.2蔣紹愚(2001)
蔣紹愚(2001)は、『世説新語』、『斉民要術』、『洛陽伽藍記』、『賢愚経』、『百喩経』に見 られる“畢”・“訖”・“竟”・“已”の用例を挙げ、“已”と“畢”・“訖”・“竟”の三者は性質 が異なるとしている。
1.3柳士鎮(1992)
柳士鎮(1992)は、完了動詞“畢”・“竟”・“訖”・“已”・“罷”・“了”などは魏晋南北朝 時代にすでに現れ、「V+完了動詞」ないし「V+O+完了動詞」の形式が見られると述べて いる。
1.4丁建川(2013)
丁建川(2013)は、『世説新語』に見られる完了動詞“畢”・“竟”・“訖”の用例数を統計 し、『史記』における“畢”・“竟”・“訖”の用例数と比較し、完了動詞の使用数は『史記』
より『世説新語』の方が多いと述べている。
1.5梁銀峰(2006)
梁銀峰(2006)は、先秦両漢時代には完了動詞“已”・“畢”・“卒”・“罷”が見られ、「V
+畢」と「V+O+畢」両形式の用例が見られ、さらに、『金瓶梅詞話』には「V+畢+O」
の形式の用例も見られると指摘している。
1.6 高育花(2007)
高育花(2007)は、元刊『全相平話五種』における完了動詞として“罷”・“畢”・“了”・
“了畢”・“訖”・“卻”を挙げ、それぞれと共起する語彙も挙げている。
17 1.7“畢”についての先行研究からわかること
先行研究は以下のことを指摘している。
・南北朝時代から“畢”はすでに使われ、「終わる、終える」の意味を表した。
・“畢”と同様に「終わる、終える」の意味を表す動詞は他にもある。
・明代には「V+畢+O」の形式の用例も見られる。
先行研究の不足点は以下の通りである。
・明代以降に見られる“畢”の用例についての記述、分析が足りない。
・明代になって見られる「V+畢+O」の形式の用例における“畢”の位置の変化の理由な どについての検討が不十分である。
本章では、先行研究を踏まえ、五作品の明清白話小説に見られる“畢”を取り上げ、特 に「V+畢+O」の形式の用例に焦点を当て、“畢”の性質(虚化の度合い)の変化、形式、
共起する語彙、使われている文体などの面から検討していく。
2
.明清白話小説における“畢”
2.1『水滸傳』における“畢”
2.1.1『水滸傳』における“畢”の形式とタイプ別割合
『水滸傳』に見られる“畢”を用いた形式は以下の通りである。
Aタイプ(81例)
◎名詞+畢
(24)“……若事畢之後,則當重酬。”(八十二回)
(「……ことが終わったら、必ずお礼をします。」)
◎名詞+副詞+畢
(25)“……今既大事已畢,欲同主人納還原受官誥,私去隱跡埋名,(……)”(八十二回)
(「……今や大事も終わったので、某はご主人様と一緒に官職を退き、痕跡を消して、
名前を伏せて、……」)
(26)上皇設宴,慶賀太平,御筵已畢,衆將謝恩。(九十九回)
(上皇は宴を設け、平和を祝った。宴が終わったところで、諸将軍はお礼を申し上げ た。)
◎動詞+否定副詞+畢
(27)田虎道:“國師恁般替寡人分憂”說還未畢,又見殿帥孫安,上殿啟奏(……)(九十 四回)
18
(田虎が言った。「国師はこんなにも私のために憂えてくだされるのか。」と、まだ言 い終わらないうちに、また殿帥孫安が来て、申し上げようとした。)
◎動詞+目的語+畢
(28)魯智深說姓名畢。那漢撇了朴刀,翻身便剪拂(……)(六回)
(魯智深は名乗り終えた。その男は朴刀を投げ出して、向きなおって挨拶をした。)
◎“畢”が単独で使われている
(29)蔡九佑府卻出來,與黃文炳敘罷寒溫,已畢,送了禮物,分賓坐下。(三十八回)23
(蔡九佑府は出てきて、黄文炳と挨拶をした。挨拶がすでに終わり、お礼の品物を送 り、それぞれ主賓の席についた。)
Bタイプ(23例)
◎述語動詞+畢+目的語
(30)蕭讓寫畢告示,差人去附近州郡及四散村坊。(八十二回)
(萧譲は通知書を書き終えると、使者に近くの州郡および点在する村に配布させた。)
◎述語動詞+畢
(31)蕭憺道:“王尊欲以身塞河,我獨何心哉”言畢而水退堤立。(百八回)
(蕭憺が言った。「王は自分の体で河を防ぎとめようとしているのに、某一人で身を守 るわけにはいかない。」と言って、洪水は引き、堤も出来た。)
表2-1 『水滸傳』に見られる“畢”のタイプ別の用例数と割合
“畢”のタイプ 用例数 割合
Aタイプ 81(6724) 78.64%
Bタイプ 22 21.36%
合計 103
上記の例(24)と(25)は共に会話文である。『水滸傳』では“畢”はほとんど地の文に 用いられるので、この2例は珍しい例と言える。また、例(24)(25)の引用部分も含めて さらに前後の広い文脈を見てみよう。
(24)′宋江道:“些少微物,何故推卻,未足以為報謝,聊表寸心。若事畢之后,則當重酬。”
張叔夜道:“深感義士厚意,且留於大寨,卻來請領,未為晚矣。”
(宋江は言った。「つまらないものですのに、なぜ受け取らないのですか。お礼を表
すにはまだ足りなくて、只の気持ちでございます。もしことが終わったら、必ず それなりのお礼をいたします。」)
23 影印本には句読点がないため、「敘罷寒溫已畢」と「敘罷寒溫,已畢,」の二通りの区切り
方ができる。前者は“畢”と“罷”が併用されている例とも取られ、後者は排印本の句読 点の付け方である。ここでは、排印本の付け方を参照する。
24 副詞の数を表す。そのうち、否定副詞が挿入する例として“說還未畢”が6例見られる。
19
例(24)′の場合、宋江が張叔夜に礼を申し上げる場面が描写されている。言葉遣いは 非常に丁寧であり、かなりフォーマルな場面なので、会話の内容から真剣さが伺える。
(25)′只見浪子燕青私自來勸主人盧俊義道:“小乙自幼隨侍主人,蒙恩感德,一言難盡。今 既大事已畢,欲同主人納還原受官誥,私去隱跡埋名,尋個僻靜去處,以終天年。未知 主人意下若何。”
(浪士燕青がこっそり主である盧俊義のところへ来て、申した。「わたくしは小さい
ときご主人につき、恩恵を受け、御主人の道徳に感銘しています。一言には尽く せません。今や大事も終わったので、某はご主人様と一緒に官職を退き、痕跡を 消して、名前を伏せて、静かなところを探し、暮らしたいです。それで残りの人 生を過ごします。ご主人様の御意向はいかがでしょうか。)
例(25)′も同様である。燕青が主である盧俊義に向かって語っている場面が書かれて いる。
上記の例(24)′(25)′は会話文とは言え、普段の日常生活での会話ではないことが 明確である。
ところで、例(27)は否定副詞“未”が使われている。『水滸傳』に見られる否定副詞は すべて“未”であり、全部“說還未畢”という表現である。
例(27)(31)は接続用法の用例である。
また、『水滸傳』には副詞が介入する用例が多く見られ、全体の半数以上を占めている。
動詞と“畢”の間に副詞が挿入されることにより、“畢”自身は述語動詞であることが明確 である。それに対して、Bタイプの“畢”は前接する動詞と密接し、補語として使われてい る。このAタイプとBタイプの割合の対立は、“畢”の動詞用法と補語用法の対立でもある。
『水滸傳』では、まだAタイプの用例が多くを占め、Bタイプの用例は少ない。つまり、『水 滸傳』の “畢”はある程度虚化しているが、まだ本動詞としての性質はまだ強く残ってい る。
2.1.2『水滸傳』における“畢”と共起する語彙の特徴
本研究では、五作品に見られるすべての“畢”と共起する語彙を意味範疇によって、分 類した。具体的には、意味カテゴリーにより、「葬儀」、「事業・用事・仕事」、「飲食」、「接 続用法・言語」、「挨拶・礼儀作法」、「日常生活」、「医療」、「政治」、「風水仏教」、「軍事」
などに分けられる。
『水滸傳』に見られる“畢”と共起する語彙の一覧表は以下の通りである。
表2-2 『水滸傳』に見られる“畢”と共起する語彙
祭典・儀式
用禮祭奠畢 1
祭祀已畢 1
20 事業・政治・仕事
事畢 5(1)25
剖斷政事已畢 1
御覽表文已畢 1
鐫石已畢 1
做了好事已畢 1
講武已畢 1
飲食
飲畢 1
早膳已畢 1
把盞已畢 1
筵宴已畢 1
安撫飲畢 1
御筵已畢 3(2)
接続表現・言語
看畢 1
言畢 1
誓畢 1
寫畢 5(1)
聽畢 1
稱謝已畢 1
說還未畢 6
敘罷寒溫已畢 1
敘問寒溫已畢 1
禱告已畢 1
說姓名畢 1
說偈已畢 1
挨拶・礼儀作法
行君臣禮畢 1
行五拜三叩頭禮已畢 1
講禮已畢 1
25 副詞や目的語がつく場合、あるいは前後に修飾した語がある場合、省略した形式で表す
場合がある。また、「V+O+Vw」と「V+Vw+O」括弧の中の数字はこれらの例の数を表 す。
21
施禮已畢 2
謝恩受賞已畢 1
謝恩畢 5(4)
山呼萬歲已畢 2
相見畢 5(4)
朝見拜舞已畢 1
朝參已畢 1
太守起居宿太尉已畢 1
參賀新頭領已畢 1
參見畢 9(6)
禮畢 3(2)
拜舞畢 6(5)
伏俯拜舞畢 1
敘禮畢 4(1)
聲喏已畢 1
問慰已畢 1
日常生活
梳洗畢 2(1)
医療
敷治已畢 1
軍事
傳遍軍帖已畢 1
傳令畢 3(2)
招撫賑濟淮西諸郡軍民已畢 1
賞勞畢 1
賞勞將佐軍兵已畢 1
料理諸項軍務已畢 1
遣調水陸諸將畢 1
撫慰已畢 1
撫賞慰勞畢 1
俵散已畢 2(1)
『水滸傳』における“畢”と共起する語彙の特徴は以下のようにまとめられる。
22
① 『水滸傳』では“畢”と共起する語彙は様々なものがある。特定の語彙と共起し固定表 現として頻繁に使用されている語彙は特に見当たらない。この点は、その他の白話小説 と異なっている。
② 軍事、挨拶や礼儀作法を表す語彙が比較的多く見られる。そのうち、軍事の語彙は他の 白話小説には見られない。
③ 言語関係の語彙の用例数はその他の白話小説における用例数よりやや少ない。
2.1.3『水滸傳』における“畢”の地の文と会話文の用例
2.1.1節では、会話文に見られる“畢”の用例について論じているが、ほとんどの場合、
“畢”は地の文で使用されている。以下、地の文と会話文に用いられる“畢”の用例数と 割合を見る。
表2-3 『水滸傳』における“畢”の地の文と会話文の用例数と割合
地の文 100(2026) 97.09%
会話文 3 2.91%
『水滸傳』では、“畢”がほとんど地の文の用例として用いられ、会話文の用例は極め て少ない。少数の会話文でも、会話の内容はかなりフォーマルである。2.1.1節で挙げた用 例以外例(32)も会話文の用例である。
(32)施恩道:“卻不知哥哥是恁地。家下有的是好酒,只恐哥哥醉了失事,因此夜來不敢 將酒出來,請哥哥深飲。待事畢時,盡醉方休。既是哥哥酒後愈有本事時,恁地先教兩 個僕人,自將了家裏的好酒、果品、殽饌,去前路等候,卻和哥哥慢慢地飲將去。”(二 十九回)
(施恩は言った。「兄貴はどうしたのだろう。家にはうまい酒がたくさんあるから、た だ、兄貴は酔ったら、仕事に支障の恐れがあるから、兄貴を招待しようと思ったのに、
夜には酒を持ってこなかったわけだ。ことが終わったら、ぜひ酔いつぶれるまで飲も う。兄貴は酒を飲んだら、ますますすごいなら、下人二人に頼んで、家のうまい酒、
果物、おつまみ、前持って待たせて、兄貴とゆっくり酒を飲みましょう。」と。) 例(32)は施恩が武松に話している場面である。先述した例(24)′と(25)′と同様、
はかなり改まった場面であり、硬い表現である。例(24)′と(25)′及び例(32)は『水 滸傳』に見られるすべての会話文の“畢”の用例である。
また、『水滸傳』における接続用法の用例がまだ少数である。
26 地の文の用例のうち、接続用法の用例数である。
23
表2-4 『水滸傳』における“畢”の接続用法の語彙
說還未畢 6
禱告已畢 1
說偈已畢 1
傳令方畢 1
傳令已畢 1
稱謝已畢 1
敘禮畢 1
說姓名畢 1
寫畢告示 1
言畢 1
誓畢 1
寫畢 3
聽畢 1
『水滸傳』には、接続用法の用例は先述した例(27)の“說還未畢”の表現(6例)が繰 り返し出現している。その次は“寫畢”が3例見られる。その他の表現は1回しか見当た らない。つまり、『水滸傳』には接続用法の表現はまだ慣用化されていない。
2.1.4『水滸傳』における“畢”のまとめ
『水滸傳』における“畢”の用法と特徴について、以下のようにまとめる。
① Aタイプ(動詞)としての用例が多く見られ(81例)、そのうち、副詞の挿入の用例が 多数を占めている。それに対して、Bタイプ(動詞の補語)の用例は少数に留まる(22 例)。『水滸傳』の“畢”は虚化の度合いが低いと言える。
② 軍事の語彙が“畢”と共起している(その他の白話小説には見られない)。
③ 地の文の用例がほとんどであり、会話文の用例が極めて少ない。しかも会話文の用例は 改まった場面にしか見られなく、硬い表現のみである。
④ 接続用法の用例はある程度見られるが、まだ慣用化されていない。
2.2『西遊記』における“畢”
2.2.1『西遊記』における“畢”の形式とタイプ別割合
『西遊記』に見られる“畢”を用いた形式は以下の通りである。
Aタイプ(62例)
◎名詞+畢
(33)此時各各事畢,師徒與那老兒,亦各歸寢。(十四回)
24
(この時、それぞれ用事が済むと、師弟とその老人もそれぞれ就寝した。)
◎名詞+副詞+畢
(34)佛事已畢,又各安寢。(十三回)
(法事も終わり、それぞれ就寝した。)
◎動詞+副詞+畢
(35)一時都到相見已畢。(十八回)
(すぐに、皆到着し、挨拶なども終わった。)
◎動詞+否定副詞+畢
(36)言未畢,觀音合掌啟奏(六回)
(言い終えないうちに、観音様が手を合わせて、奏上する。)
◎動詞+目的語+畢
(37)上坐獻茶畢,問道:“上仙幾時得道,授何仙術?”(三回)
(座につきお茶を出し終わり、尋ねた。「仙人はいつ悟りを開き、どんな仙術を授けら れたのか。」と。)
◎動詞+副詞+畢+了
(38)那道人道:“拜已畢了,還撞鐘怎麼?”(十六回)
(その道人は言った。「すでに参拝し終わったのに、また鐘なんかを鳴らしてどうする のか」と。)
Bタイプ(113例)
◎述語動詞+畢+目的語
(39)美猴王言畢前事,四健將報知各洞妖王。(三回)
(美猿王が以前のことを話し終わると、四健将は各洞の妖王に伝えた。)
◎述語動詞+畢
(40)在那中間柱子上寫一行大字云:“齊天大聖,到此一遊。”寫畢,收了毫毛。(七回)
(真ん中の柱に大きな字で、「斉天大聖がここまでやってきた」と書いて、毛を収めた。)
表2-5 『西遊記』に見られる“畢”のタイプ別の用例数と割合
“畢”のタイプ 用例数 割合
Aタイプ 62(3027) 35.43%
Bタイプ 113 64.57%
合計 175
27 副詞が挿入される例のうち、否定副詞が用いられる例が9例見られ、全部“未”が使わ
れている。
25
例(38)は“畢”と“了”が併用されている用例である。『西遊記』にはこの1例しかな い。しかも、例(37)の“畢”は会話文における用例である。例(37)の“了”は現代漢 語の“了2”に近い。例(40)は接続用法の用例である。
また、AタイプとBタイプの割合から見ると、Bタイプの方が半数以上を占めている。A タイプとBタイプの割合は、『西遊記』と『水滸傳』で大きく異なっている。Aタイプの用 例のうち、副詞が挿入する例は半数近くを占めている。割合には『水滸傳』より低い。
2.2.2『西遊記』における“畢” と共起する語彙の特徴
『西遊記』における“畢” と共起する語彙の一覧表は以下の通りである。
表2-6 『西遊記』における“畢” と共起する語彙
祭典・儀式
佛事已畢 1
道場已畢 1
三匝已畢 1
事業・用事・仕事
事畢 5
獻畢 1
四聲令牌已畢 1
吹打已畢 1
點畢 1
查勘畢 1
響畢 1
考畢 1
出死囚已畢 1
飲食
飲畢 1
喫畢 4
享畢 1
四食畢 1
膳畢 1
早齋已畢 1
三齋已畢 1
茶畢 5