第四章 “訖”について
3. 四作品における“訖”のまとめ
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(某年月日、龍禁尉候補侍衛賈蓉をその場で拝命した。)
表4-11 『紅楼夢』に見られる“訖”のタイプ別の用例数と割合
“訖”のタイプ 用例数 割合
Aタイプ 0
Bタイプ 1 100%
合計 1
『紅楼夢』には例(114)の1例のみである。このような用例は現代語でも見られ、“訖”
の用法の名残と考えられる。
2.4.2『紅楼夢』における“訖”と共起する語彙の特徴
表4-12 『紅楼夢』における“訖”と共起する語彙
領訖 1
2.4.3『紅楼夢』における“訖”の地の文と会話文の用例
『紅楼夢』における“訖”は1例であり、地の文の用例である。
2.4.4『紅楼夢』における“訖”のまとめ
① “訖”の用例は1例のみである。
② 地の文の用例である。
2.5『児女英雄伝』における“訖”
A、Bタイプ(0例)
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表4-13 五作品における“訖”の用例数
水滸傳 22/約96万字 西遊記 33/約82万字 金瓶梅詞話 22/約80万字 紅楼夢 1/約107万字 児女英雄傳 0/約57万字
(“訖”の用例数/作品字数)
明清時代においては、“訖”の用例数はそれほど多くない。特に清代になると、“訖”の 用例数は極めて少ない。明代から清代にかけて、“訖”の用例数はかなり減少していたと言 える。
表4-14 五作品における“訖”の用例のタイプ別割合
Aタイプ Bタイプ
水滸傳 0 100%
西遊記 15.15% 84.85%
金瓶梅詞話 0 100%
紅楼夢 0 100%
児女英雄傳 0 0
明代から清代にかけて、“訖”の用例はほとんどBタイプである。『水滸傳』、『金瓶梅詞 話』、『紅楼夢』に見られる“訖”の用例はすべてBタイプの用例である。表4-13と表4
-14からわかるように、明代から清代にかけて、“訖”の用例数は少なく、そのほとんどが Bタイプの用例である。
3.2 「V+O+訖」と「V+訖+O」新旧の語順の対立
“訖”のⅠ型語順とⅡ型語順の用例数の分布は以下表4-15の通りである。
表4-15 “訖”のⅠ型とⅡ型の用例数の分布
Ⅰ型 Ⅱ型
水滸傳 1 0
西遊記 4 0
金瓶梅詞話 0 5
紅楼夢 0 0
児女英雄傳 0 0
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“訖”の用例数が少ない。『紅楼夢』と『児女英雄傳』には“訖”のⅠ型とⅡ型の用例が 見当たらない。『水滸傳』にはⅠ型の用例が1例のみであり、Ⅱ型の用例がないので、比較 しにくい。一方、『西遊記』には、全部Ⅰ型の用例である。それに対して、『金瓶梅詞話』
に見られるのは、全部Ⅱ型の用例である。
3.3“訖”の用例には副詞の挿入がない。
“訖”の用例には副詞の挿入が見られない。
3.4“訖”を含むフレーズの特徴
本研究で取り上げている作品における“訖”と共起する語彙の用例数とタイプ別用例数 は以下の表4-16の通りである。
表4-16 “訖”を含むフレーズの用例数とタイプ別用例数
延べ語数 異なり語数
“訖”を含むフレーズ 78 28
Aタイプ 5 5
Bタイプ 73 23
“訖”と共起する語彙で出現回数が多いのは以下の通りである。
去20;言12;斬8;散6;收5;領命3
“訖”を含むフレーズの用例数は少ない。しかし、“去訖”、“散訖”、“斬訖”、“收訖”な どの用例は比較的頻度が高く、固定化した表現と言える。また、地の文と会話文の境界を 示すマーカーとしての“言訖”も多く見られる。一方、“言”以外の言語を表す動詞は“訖”
と共起する用例はあまり見られない。さらに、“訖”と共起する語彙はほとんど単音節であ る。
(115)“是必記于心者!”言訖挽西門慶相送到家。(『金瓶梅詞話』七十一回)
(「くれぐれも覚えてください。」と言って、西門慶を家まで送った。)
(116)監斬官便道:“斬訖報來!”(『水滸傳』四十回)
(死刑監視官は言った、「死刑を執行し終えたら、報告せよ!」と。)
(117)當下獄卒把經濟、陳安押送監中去訖。(『金瓶梅詞話』九十二回)
(その時、獄卒が経済と陳安を牢屋に送ってから去った。)
3.5明清以前の“訖” について
“訖”は「完了、終了、終わる、終える」などの意味を表し、先秦両漢時代から用例が 見られる。
(118)天既訖我殷命。(『尚書』)
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(天はすでにわが国殷の命を終わらせた。)
(119)亦二子命訖之期也。(『論衡』)
(これも二人の命が終わるときを示すものだ。)
(120)俱乞食讫,还至世尊所。(『増壹阿含経』梅祖麟1981:68)
(皆托鉢を終えてから、また世尊のところへ戻った。)
以下は唐五代の用例である。
(121)惠能領得其銀分付安排老母訖,便辭母親。(『祖堂集』巻二)
(恵能はその銀を受け取り、金の使い方や今後の生活などを母に言い伝え終えて、
母と別れた。)
また、『祖堂集』では例(121)のように、“言訖”は接続用法の用例も見られる。同じ用 法は先述した“畢”にも見られる。
(101)又曰:“吾滅度後七十年末,有二菩薩從東而來,一在家菩薩,同出興化,重修我伽 藍,再建我宗旨。”師言訖,便往新州國恩寺。
(また言った。「私が他界して七十年後、二人の菩薩が東からいらっしゃって、その
うち一人がわがお寺の菩薩様とともに行動し、我らの伽藍を修繕してくれたり、
我らの宗旨も再建してくれたりします。」と、師は言って、新州国恩寺に行かれた。)
(74)“今日所產兒胎,置臨河之岪。”言畢,忽然不見。(『祖堂集』巻十七)
(「今日御産みになった赤ん坊を、河に面した山の中腹の道に置きなさい。」と言っ
て、突然いなくなった。)
『祖堂集』では“訖”を用いた用例は1例で、“畢”を用いた用例は2例である。一方、
“畢”が明清時代の作品には用例が多いのに対して、“訖”は用例が非常に少ない。“訖”
が出現頻度において“畢”・“罷”と相違が見られるのは明清時代である。
3.6小結
“訖”について、以下のようにまとめられる。
① “訖”は南北朝時代からすでに用例が見られるが、形式は「V(+O)+訖」である。
② 本研究で取り上げた明清白話小説においては、“訖”の用例はすべての作品において見 られるわけではない。しかも、全体的には用例数は少ない。
③ 虚化の度合いが比較的高い。
④ 明代と清代においては、虚化の度合いの相違が見られない。元代まで“訖”の多用によ り、“訖”の虚化はすでに完成したと考えられ、明清時代においては、“訖”の使用は衰 退したと思われる。
⑤ 共起する語彙が少なく、ほとんどは固定表現である。単音節の語彙と共起しやすい。
⑥ ほとんどⅡ型の用例である。
⑦ “了”と併用している用例は見られない。
⑧ 副詞挿入の用例は見られない。
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⑨ 接続用法の用例は多く見られる。
⑩ 「V+訖+回数」の形式は、“訖”にのみに見られる。
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