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『九州という思想』

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Academic year: 2022

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

『九州という思想』

長野, 秀樹

長崎純心大学助教授

https://doi.org/10.15017/11035

出版情報:九大日文. 10, pp.68-71, 2007-10-01. 九州大学日本語文学会 バージョン:

権利関係:

(2)

書評◎

書評『九 州という思想』

長 野 秀 樹

NAGANOHideki

『九州という思想』は、全体を大きく二つに分ける。第一部

は「九州という思想」として、七本の論文を収め、第二部とし

て「文学のまなざし忘却されたアジア」として五本の論文

を収める。その目次を示せば、以下のとおりである。

第一部九州という思想戦時期日本の文化・運動・「「」」

、 「 ( 大島

)

地方火野葦平と北九州文化聯盟をめぐって」「九州

( 有馬

)

の記憶としての元寇」「占領期の〈九州〉と密航・

( 畑中

)

密貿易海防からみる移民管理史」「谷川雁の労農

( 挽地

)

同盟論と〈九州」「遡行する思考菊畑茂久馬試〉、

( 小野

俊彦

)

・・

論」「辺境から中心を撃つ礫アフガニスタン難

( 毛利嘉

) つぶ

( 清

民の生存を支援する中村哲医師とペシャワール会の実践」

水展

)

第二部「侵略者は誰か村上龍『半島を出よ」「蒙疆文』

、「

( 石川

)

学」の「蒙古人」歴史、風俗、言語」「失われた記

( 阿莉塔

)

憶/空間安部公房の満洲体験」「暁の寺』の二つ

( 波潟

、『)

の時代三島由紀夫のタイ国取材の足跡から

、 「 「 ( 久保田

)

( 松

ルマの竪琴以前戦時下の高見順から竹山道雄の戦後へ」」

本常

)

こうした内容に、前書きとして「九州が「地滑り」しはじめ

るまで」と「あとがき」が

( 〈九州スタ

ズ〉研究会

)

( 松本常彦

)

つくという構成である。

本書出版の経緯については「九州が「地滑り」しはじめるま

で」と「あとがき」の中で委細が尽くされているが、九州大学

教育研究プログラム・研究拠点形成プロジェクト「

< 九州

> とい

う思想ローカルでグローバルに生きる戦略」の一環として、

・・

九州大学大学院比較社会文化学府に所属する院生が中心となっ

て、二〇〇四年六月に発足させた研究会〈九州スタディーズ〉

、。

、 の

成 果

第一部を占めていると考えられる第二部の論文は

同プロジェクトと福岡市文学館が共催した公開講座「文学のま

なざし忘却されたアジア」で講演された論をもとにして、

執筆されていることが、それぞれの注によって明らかにされて

いる。いわば、二つの企画を纏める形で、本書は成立しているのだ

が、全体のタイトルを『九州という思想』といいながら、第二

部の論の中の多くが九州という視点を一見すると、離れている

ように見えるのは、その所為である。ただ「あとがき」の中、

で、松本常彦氏もことわるように「九州」という概念が「実、

体や地理的対象という以上に、ローカルとグローバルをめぐる

思考の仮説的機能として意識化されて」いるとすれば、同様な

「仮説的機能」としての「アジア」をめぐる諸論が集められて

(3)

いるとみなすことも可能である。

ただ「九州」という呼称が、日本のある一部の地域を総称、

する機能を持ち、歴史的に形成されてきたのも確かなことであ

り、巻頭の大島氏の論が「九州」という用例を漢籍から説き、

起こし、歴史的な変遷を確認していくのも、総論としての性格

を持つ以上、ある意味妥当な意味づけであるとも言えよう。

また、挽地氏が「九州」が「法」によって、規定された例、

として、戦後、占領軍指令によって限定された「九州」の範囲

、 「

を 確

認 す る の も

ある意味九州という概念が形成される

その基盤とならざるを得ない地理的特性を規定する作業の一環

であるとも言えるだろうし、その上に、いわば各論としてその

他の諸論が書かれているとみなすことも許されるだろう。

そこで取り上げられている「思想」は、たとえば、有馬学氏

は敗戦間際の火野葦平と北九州文化聯盟の活動を取り上げて、

翼賛体制下における地方文化運動の「代表例」をその中に見出

、「」、

、 し

また極めて個性的でもあったその運動が本来ならば

戦後の文化運動との間で連続性を持ったはずであるのに、同聯

盟の中心にいた火野葦平が戦後、所謂「戦犯」として、論壇か

ら無視されることで、その連続性の解明が行われていないこと

を指摘している。

小野俊彦氏が論じる谷川雁は、地域的には北九州と隣接する

筑豊を拠点とし、時間的には火野葦平の退場と入れ替わりに、

極めて戦後的な時間に登場してきた。有馬氏がその論の終わり

に、谷川雁の「火野葦平とどこが違うのかという問題にぶつか っちゃう」という言葉を引用し、谷川雁には火野葦平が意識さ

れていたと指摘するように、谷川雁の側からは、火野葦平がそ

の視界の中に入っていたのだろう。もちろん、小野氏の論自体

に、火野が直接関わることはないが「東京へ行くな」とうた、

った谷川雁にとって、炭坑という地域性に縛られざるを得ない

〈領土〉に根拠を置く以上、地縁としての九州は必然の前提で

ある。

地縁という言葉を使ったが、その言葉に引きずられて「血、

縁」という言葉によって、火野葦平と清水氏が論じる中村哲の

。、間には補助線を引くことが可能である火野と中村が実の叔父

甥の関係にあるのは有名な話であり、清水氏も中村の人格形成

に火野の両親であり「花と龍」のモデルである玉井金五郎と、

マンからの影響を語っている。ただ、もちろん、それも清水氏

の論の中心的なテーマではない「ローカリズム」と「グロー。

バリズム」という視点からいえば、アフガンという世界の「ロ

ーカル」で「グローバリズム」に抗して奮闘する中村の姿に、

文化人類学者としての自己省察を加えながら、その行動と思考

の論理を検証する趣旨だからである。そして、その論は実践者

として戦う中村の姿を見事に浮き彫りにしている。

ただ、わたしがここで確認したいのは地縁や血縁という、あ

る意味で、前時代的な概念が第一部の諸論を結ぶ補助線の一つ

としてあるというだけである。おそらく第一部に収められた諸

論の間にひくべき補助線は無数にあるのだろう。近代に於ける

元寇の語られ方を論じる畑中氏の論と火野葦平との間に同時代

(4)

性 と

そ の 政 治

性 に

よ っ て

補助線を引くことは可能であろうし

「九州派」を標榜し、炭坑画家山本作兵衛に私淑して「じい、

さんから反時代的違和の思想の何たるかを徹底的にたたき込ま

れ」たという菊畑茂久馬と、谷川雁との間に

( 「

九州派」と私」

)

補助線を引くことも可能であろう。このような、単純な補助線

しか、いまのわたしには提示出来ないのが残念だが、こうした

補助線の絡まり合いの中から「九州という思想」は立ち上がっ

。 「

て 来

る の だ ろ

う と

思 う

それは読者の側の作業である九州

という概念が仮構されたものであるなら、九州に生まれた思想

を素材として「九州という思想」を作り上げる責は、筆者と、

共に読者にもあると思うからである。

第一部について最後に、言わずもがなではあるが「九州」、

という「地域」を論じながら、その中でも地域的な偏りがみら

れたのは、やや残念ではある。論の対象が北部九州、特に福岡

県に限定されているのは、一目瞭然であり、西九州に住むわた

しにとって、これも九州における一極集中化の表れなのかとと

りあえず自嘲しておきたい。

さて、第二部については、その内容は第一部とやや、異なる

面がみられる。まず、第一部では、旧来の「学問区分」に従え

ば、歴史や美術あるいは、中村哲とペシャワール会の「実践」

を論ずるというように、多方面に関わる論が収録されているの

に対し、第二部では、狭義の「近代文学」について論じられて

いるのがその特色である。そもそも、先に述べたように、同じ

プロジェクトの中であっても、独自に進められた二つの企画を ドッキングさせる形で、本書が成立しているからであるが、必

ずしも木に竹を接いだという印象を受けるわけではない。それ

は第二部の冒頭に置かれた石川氏の論が福岡を舞台する村上龍

『半島を出よ』を論じているからでもあろうが、アジアに向か

って開かれた九州というキャッチコピーが、様々な形で

( 福岡 )

流布しているからでもあろう。

第二部に纏められた諸論を一読して感じられたのは、阿莉塔

氏、久保田氏、松本氏の論に共通する資料性の高さである。阿

莉塔氏はこれまでも、ほぼ論じられることのなかった雑誌「蒙

疆文学」に注目し、研究を進めているが、本論では石塚喜久三

の「纏足の頃「花の海」と橋口三郎「歪められた部落民」の」、

三作品を中心に論じている「花の海」がスウェーデン人のモ。

ンゴル学者ラルソン著の『蒙古風俗誌』に依っている部分があ

ることを指摘し「歪められた部落民」も自身の「チャハル廟、

白旗のヤマタ部落」という調査報告が元になっていることが論

じられている。こうした地道な資料の発掘と、比較の積み重ね

が作品の読みに与える影響は大きいだろうし、今後にも期待し

たいが、一点だけ、気になったのは橋口三郎が「橋本三郎」と

誤記されてしまっている箇所があることである。単純なケアレ

スミスとはいうものの、注意が必要である。

久保田氏の論も三島由紀夫の『暁の寺』の記述の根拠を、三

島の取材メモ、創作ノートや著者の現地調査による関係者への

インタビューや現場の写真を利用して明らめようとする論であ

る。すでに創作ノートのなかで、詳細に語られる建造物の様子

(5)

が、実際の現場を再現するかのようである点など、如何にも三

島らしく感じられるし、創作ノートで「すべてにバラの模様く

りかえされ」と述べられている部分が、実際の建物には蓮の図

が描かれているという指摘も興味深い。これが「詳細に視角情

報を言語化した」はずの三島のミスであるならば、久保田氏が

ドナルド・キーンを引用して指摘する、動植物に関する極端な

知識不足の証左ともなるだろうし、こうしたアンバランスは三

島本人とその文学のアンバランスさと通底しているような気が

するのである。

松本氏の「ビルマの竪琴」以前」は現在まで、われわれの「

ビルマのイメージを作り上げるのに、大きな影響を

( ミャ

ンマ

)

与え、戦争が終わっても、戦友の遺骨を弔うために現地に残る

水島上等兵を描き出すことで、極めて戦後的な作品だと考えら

れている同作が、戦前のアジア政策の一環として多く書かれた

ビルマに関する著作の影響下にあることを指摘する。こうした

指摘を可能にする松本氏の資料の博捜ぶりには、いつも驚かさ

れるが、それのみならず、そうした事実を等閑視してきたわれ

われを含めた社会への問いかけとなっている。

このように三氏の論は、それぞれに研究者が怠慢ゆえに

( ? )

手をつけなかった重要な点を資料という点から掘り起こしてい

。「

」 る

それは第二章の副題として付けられた忘却されたアジア

。「

そ の

も の で あ る

その意味では波潟氏の失われた記憶/空間

も従来仮構の空間を舞台とすると考えられてきた安部公房

い繭」が作者の満洲体験と分かちがたく結びついていることを 論じている。ここにも「満洲」という、長い間タブーとされな

がら、ようやく資料の上からも検証が始まったアジアが描かれ

ている。

石川氏の「侵略者は誰か」は、近未来小説として北朝鮮に福

岡が侵略された設定で始まる『半島を出よ』を魯迅の「賢人と

愚者と奴隷」を検討するところから始めている。現実の福岡と

いう街と密接に対応しながら、極めてレトリカルに展開する作

品に対して、石川氏のとる戦略は見事である。宮崎哲弥を引用

しながら『半島を出よ』の根底に「パラサイト・ナショナリ、

ズム」を指摘し、注とは別に、同作の結末が意味のない

< 救済

>

になっていることを指摘しているが、その点でも全く同感であ

る。最後にわたしの力不足から、全ての論に言及することが叶わ

なかったことを申し訳なく思う。ただ、文学プロパーの人間と

して、第二部に纏められた「文学」に関わる諸論と第一部の他

の分野の論を同一のレベルで読むことが出来たのは幸福な機会

であった。個人的には中村哲という強靱な個性の一端に触れ得

たのは特に感謝したい。青臭い言い方になると思うが、飢えた

子を前にしての文学とは何か、という命題をひきうける覚悟の

問題である。

( 松本

常彦・大島編『九という思二〇〇七年五月花書三〇

五頁二八〇〇円+

)

( 長崎

大学

)

(6)

参照

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