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中学生の科学観形成に向けた実践的研究 : 電気単元に関する科学史事例の教材化を通して

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(1)学位論文題目. 中学生の科学観形成に向けた実践的研究 一電気単元に関する科学史事例の教材化を通して一. 兵新教育大学大学院. 学校教育研究科. 教科・領域教育専攻. 自然薯コ・一ス. M95612A 菅 原 錦 市. 主任指導教官. 指導教官. 佐藤. 光. 教 授. 松本 伸示 助教授. 本研究の一部は、H本教科教育学会第22回全国大会(1996年10月10∼11 H 秋 田県生涯学習センター〉において発表した。.

(2) 一目次一. 第1章序論.......,◆.,............,...,.....,...‘...........の.......4. 第1節問題の所在................................................4. 第2節研究の動機__.__._.__∴___..。_._..5 第3節研究の目的_∴_.___..____.__...__6 第2章研究基盤..........,.......、....:......。.............,........7. 第1節科学観について,______.__..____._7 1近代科学の誕生.............。..,...6..,............。.......7 2近代科学と科学観...............,........................,.9. 3観察の理論負荷性の問題................................。..10 4適切な科学観について...,......。...........,.............,19 第2節科学史事例活用の動向..........................,..、..,.,。,21 1科学史事例活用の意義.................◆..。...........,....21 「科学事例史法」の創案................。..................21 70∼80年代...............,.....t..,,...............,....23 90年代前後.....,...◎..................................,,24. 2科学史事例活用の実際..........i.....。....................27 :第3章研究方法......,..............,...。...の...,.............,,。,.33. 第1節研究の概要____.__.___..___.__33 第2節質問紙の作成.._____.....______._,35. 第3節学習評価___.__....______..___43 1 1学期期末テスト..........................,...........,..43. 2 2学期中間テスト..,......。........。.....。,..........,....43. 第4節調査計画.__._..__.__.__.__.._._44 1科学観調査(授業前).....。.............。....,.......,....44 調査目的.....,....ゆ....◆................,,........,.....の44. 1.

(3) 調査期間.,...,...............................,...........44. 調査対象...,.........、.... ...,..,.....................,...44. 2科学観調査(授業後)...、,. ’’’’’’’’”・・・・・・・・・・・・・・・…. ...,44. 調査目的...,.__....... ,.,.....,,.......,..............44. 調査期間.........。...、.... ................................44. 調査対象.....。.......,..。. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 3期末テスト・中間テスト.... ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 調査目的_._._.._.. ‘・....,.... 44. .......,..45. ................................45. 調査月日............8..... ・‘・・・・・・・・・・・・・・・・…. 調査対象.,一...‘...,....,.. ・・‘・・・…. .・..,....45. e・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 45. 第4章調査結果と考察.......,....... ...,..............,.............46. 第1節授業前調査結果と考察...... ................................46. 1科学と社会........,....... .....,.......................... 46. 2科学・科学者への興味.。.... ....,.......,..............,.... 48. 3実験と理論...。....,....... ................,..,.......,.... 52. 4科学的知識の性質.,,....... ............................,... 55. 5調査結果のまとめ..,..,.... ................................62. 第2節授業実践.,.,......,....,.. . ......魯,.辱じ..、亀.,.........卿.,.63. 1授業の圏標....,....。...... ................,...............63. 2教材の位置づけ......,..,.. ’’’’’’’’’’’’’”. 3授業計画.....,..,......... ・・…. 4授業実践....。.......。..... 秩E・・・・・・・・・・・・…. 一・・・・・・・・・・・・・・…. 63. ........ 64. ...,..,................,.....,.. 81. 授業対象..。............... ......,.........................81. 授業期間.,........,..・.・.. .....,.....,.....,............,81. 第3節授業後調査結果と考察_... ;・・・・・・・・・・・・・・… e・・・・・・・・・・… 82. 1科学・科学者への興味...... .........,........,....,......,,82. 2実験と理論.........・.・.・.. ................................85. 2.

(4) 3科学的知識の性質..,.....。........,............,.........。88. 4期末・中間テストの結果..............。..,...,.......,..... 92. 5生徒の感想にみる授業の成果..............................,94 6調査結果のまとめ....,............,,..................,...98 第5章結論........◎...,.噛,......,......,....,,.........,.■........99. 第6章提言._____....______...._.___100 1鋳寸辞 ...,.,......砂....,.....。..............,..。.........6....,、..6.102. 引用文献・参考文献..,.,..,.。.....,..。....。...................i...,103 巻末資料......9...........,.........。....,.............,..........107. 3.

(5) 第1章 序論 第1節問題の所在 科学は、各国の社会的・文化的な状況の中で制度化され、教えられているが、. 中学生の構成する科学や科学者のイメージは、わが国の「科学教育」が規定し ていると考えられる。. ところで科学観調査ωによれば、 「科学研究の冒的」を「より幸福な生活が. できるような手段を与えること」と考える生徒が4割に達する反面、噛然現 象を原理や理論を使って考察したり説明したりすること」とする生徒が1割足 らずであり、また、生徒がいだく科学者像も「白衣を身につけ、試験管やプラ ス:に囲まれて化学反応実験をする(2)」という固定観念が顕著であるという。. これは、中学校における「科学教育(理科教育)jが、適切な科学観の形成と いう点で不十分であることを物語っている。. わが国の中学校における理科教育は、出来上がった科学知識の体系の=ンパ クトな教授とその修得というパターンが一般的である。そこでは科学の法則や 原理が次々に登揚し、知識の定着や記憶力が間われ、受験のために問題を解け ることが理科学習の動機づけとなっている。したがって、生徒たちが上述の調 査結果に見られるように、科学の世界を例えば、科学者(見知らぬ人)によっ て造られた一般人には手の届かない特別な世界、と見る偏狭な科学観をいだい たまま卒業していくのが現実となっている。. さらに、今後の社会が高度に発達した科学技術力を背景に変容していくこと を考えるならば、生徒たちが歴史の主体者として成長していくために、社会に おける人間と自然とのかかわりや自然科学の営みに関する適切な科学観を育み、 科学や科学技術への関心を持ち続けていくことが大切な要件となる。 指摘されて久しい理科離れの現象(3)をあわせ考えた時、生徒たちの科学観に. 働きかけるとともに、科学への継続的な興味・関心を喚起できる理科教育が求. 4.

(6) められている。. 第2節研究の動機 科学は、人間の歴史的営みの成果であり、そこには汲み尽くせぬほどの人間 くさい喜びや苦悩が横たわっている。現行の教科書においても、科学の探究の. 歴史を知るきっかけとして、また、授業の雰囲気が単調に堅くなるのを和らげ る一助にと科学史的な内容が所々に配置されている。しかし、科学の歴史の表. 層的な断片を、興味づけのためのエピソードとしてスピーチ程度に採り上げて いるのが現状であり、生徒の主体的な活動などが一切組織されないため結果と して、興味を呼び起こすカとなり得ず、人間くさい探究活動とそこに内包する 科学の本質などに気づかずに終わっている。. 「自然という、これほどにもおどろきに満ちた対象について、何のおどろき を覚えることなしに学ぶということほど、おどろくべきことがほかにあるだろ うか。昔の科学者が、嬉々として、生き生きとした探究を通じて獲得した知識. が、今日の青少年にとっては知的拷問の材料となり、成人にとっては若き日の 悪夢となっているとは、何という皮肉、何という悲喜劇であろうか。(4)」. この指摘が、20年たった現在の理科教育にも正確に当てはまると感じているの は筆者だけではないであろう。. これは取りも直さず、従来の理科教育が、科学の結果を重視してそれらを生 み出す過程を軽視したため、生徒は大量の知識を記憶することに気を取られ、 「科学とは何か」とか「科学者はどのように研究するのか」 「理論や法則はど. うのように生み出されるのか」などといった問題について正しい理解をしそこ ねてきた結果である。. こうした現実の中で、科学の本質の理解に迫るような科学史事例を用いた授 業の試みが為されてきた⑤。しかし、中心的には高校や大学での個人的な実践 にとどまり、時間的な制約もあって、中学ではほとんど取り組まれていないの. 5.

(7) が実状である。. 筆者は、中学校の理科カリキュラムの枠内で、科学史事例を活用することに よって、科学に固有の観察や実験の役割を認識したり、科学的知識や理論の性. 質を理解したり、人間の好奇心の妙を知ることが十分可能であり、ひいては適 切な科学観の形成に寄与するものと考え、本研究に取り組んだ。. 第3節研究の目的 前節で指摘してきたように、科学の成果と応用が日常生活に深く浸透し極め て密接な関係にあるにもかかわらず、それとはまさに裏腹に、高度に専門化し た実際の科学研究の場と社会・一・meの意識あるいは日常的生活世界との間のギャ. ップが、ひたすら拡大しているのが実状である。それは、生徒の意識において も例外ではない。. 小野(6)は、高校生以上の人々が持つ科学観を調査分析し、 「科学とは何かに. ついて論理的に考えたことのある人は非常に少なく、科学の本質は一般に理解 されておらず、理解しようとされてもいない」ことを明らかにし、 「今後望ま. れる新しい科学教育プログラムは、…学習者に科学とは何かについて考える機 会を与えられるべきもの」であり「それに基づいて、科学の視点で自然界や社 会的な問題を、捉え評価できる人間の育成を目指すものであることが望ましい」 と結論づけた。. 以上のことから、本研究の圏的を次のように設定した。. (1)現在の中学生が保持する科学緯(科学に関するイメージ)を調査し、. 実態を明らかにする。. (2)適切な科学観の形成に寄与し、同時に学習の動機づけとなる教材(電 気単元に関する科学史事例を用いた教材)を關発し、その有効性を明 らかにする。. 6.

(8) 第2章 研究基盤 第1節科学観について 前章で、現在の理科教育では‘‘適切な科学観の形成”が不十分であり、また. 研究の目的では“適切な科学観の形成”に寄与する教材の開発を掲げたが、本 論を進めるに当たって“適切な科学観”の意味するところを明らかにしておく 必要がある。. 1近代科学の誕生 一般的に、科学観とは、 「科学とは何か」という問いへの答えであり、自. 然科学に対する見方や態度など広範な意味を持っている。ところで、科学観 をめぐる議論は極めて多彩であり、それを包括して簡潔にまとめるのは困難で ある。また、本論の目的を大きく越えるので、ここでは近代科学を中心に二三 を指摘するにとどめたい。. 自然現象や事物についての解釈は、古く古代ギリシアの時代まで遡ることが できるが、二二の祖といわれるアリストテレスに見られるように、古代におけ る自然学は、直接的に日常観察されたことを定性的に解釈し理論化することに よって説明するものであった。しかし、「(7)日常的な経験とはしだいに隔絶す. る傾向をもち、理念的な抽象化の過程では、形式的な論理の一貫性や、対称性 などの体系の美しさが先行した」。アリストテレスの主要な関心は、演繹によ. る論証に向けられているが、生物学の研究で示しているように個々の事実の観 察がもつ意義について考え、それら事実からの結論の重要性を認めてもいる。 さて16,17世紀のヨーロッパに近代科学が誕生した条件として、田中(8)は次 の諸点を指摘している。. ①市民意識の高揚(ギルドに支えられた各種の手工業の発達、地中海沿岸に生 まれる多数の海港諸都市間の自由交易の発展等にともなって、徐々に教会と. 7.

(9) 封建領主の支配をはねかえして自治権を拡大していく自由な市民層が誕生し、. 12世紀後半には各地に教師と学生の知的同業組合とも言うべき「大学 (universitas)」が誕生するなど). ②古代の哲学あるいは自然学(「自然はそれ自体として理解可能である」とい う自然観と、抽象的・普遍的な「数理の世界」や「弁論・論証の方法」を見 出したこと). ③キリスト教神学あるいはス=ラ哲学のはたしたプラスの役割(「科学と宗教 の闘争」のなかで、スコラ哲学自体も鍛えられ、万物の創造主「神が与えた 二つの書物」=「聖=書」と「自然」の考えを産み出し、前者には神が人間に. 課した「掟」が示されているのに対し、後者には神が自然に課した「掟」、 「自然の法則(natural law)」が貫徹するとされる). ④擬似科学のはたしたプラスの役割(古代バビm :・アやエジプトのナイル河口. に栄えた占星術や錬金術を起源とする中世のアラビア科学の伝達) 以上を要約すると、中世を脱して西欧に近代科学が誕生するにあたっては、. その社会的、経済的日常生活の土壌に加えて、少なくとも次の視点、すなわち 「自然には必然の法則がある」、それは「数学や論証の方法」と「実験的手 法」の双方によって、はじめて理解し、解明しうるものであるという視点を、 幸運にもその歴史から学び取る諸条件に恵まれた、とみることができる。. 近代科学者の一人であるガリレイは身をもってこの精神を実践し、定量的研 究ならびに実験的研究の方法を確立した。さらに、ガリレイと同時代を生きた F.べ一謙ンとデカルトは、近代科学の思想を体系化した。. ベーコンは、新しい知識の源泉は、新たに獲得された確実な経験であり、知 識の体系は、経験からの順次の帰納によってっくられねばならないとした。す なわち、経験や実験を重視し帰納法を確立した。. 一方デカルトは、徹底して思考の合理性を重んじ、全てを疑ってその後に残 る明晰で判明なもののみを真実であると認め、明噺で判明なものを一般原理と し、それから演繹して知識の体系をつくることを企て、人間の理性を基礎にし. 8.

(10) た演繹法や数学的方法を提唱した。 以上のような歴史的経過から、「(9)自然科学は、自然の事物・現象を探究し. ていく学問であり、実験を通した実証的な方法、数学的な手法を用いた論理 的な方法によって、矛盾のない合理的な説明が行われるという特徴をもつ」 といえる。. 2近代科学と科学観 現代の科学観は、自然科学の発展とその成果を背景に、ベーコンやデカルト. の科学観を吟味し、その先進性と限界を明らかにしてきた。そこには、さまざ まな潮流がみられるが、自然科学の独自でかっ多様な方法による研究成果と思 想や哲学とをはっきり区別することで、互いの関連を考察することが大切であ る。そうでなければ、近代(科学)主義批判という形で「ao)ポストモダニズム は何よりもデカルト主義の根本的否定を必要とする。j 「モダニズムとは何か。. それはデカルトやベーコンによってつくられた原理であり、世界の中心に人間 あるいは自我をおき、その人間あるいは自我に対立するものとして自然をとら. え、その自然の法則を客観的に認識することによって自然を支配し、人間生活 を便利にし、豊かにしょうとする思想である。」というような見解が堂々と主 張されることとなる。これは、科学に対する明確な不信表明である。こうした 動向に対し、デカルト研究者の野田(11>は「現在の思想の動きをみると、科学に. 対する疑いや不満が現れている。科学の進歩は人間の幸福と善とを必ずしも増 さないのみならず、かえって人問性を分裂させているのではないか、という疑. 惑がある。また科学が非常に分化し専門化して全体としての世界に対する見通 しをかえって困難にしているとも感ぜられる。そこでいろいろの形のロマン主. 義が現れることになる。ここでUマン主義というのは、人間が善を選ぶにあた って、世界を客観的科学的に知るという作業を経ないで、事をなしうる、と信 ずる態度である。…しかしこういう傾向は、現在の人間の運命の全体に対する、. 均衡感を欠いた、偏した見方になりやすい。たとえば科学の生んだ技術の産物. 9.

(11) を日常用いていながら、われわれの生の目標を考えるにあたっては科学的客観 性への考慮をわざと避けている、ということになりやすい。」と指摘している。. 自然科学に対する不信やあるいは過信を産み出す問題が、現代社会に幾つも 存在することから、慎重で正確な科学の捉え方が求められており、そのこと自. 体はきわめて重要な人類史的課題である。しかし、課題の追求が、科学の実証 的、論理的、合理的性格を曖昧にしたり、科学を相対主義で描いたりすること. で行われるとすれば、逆に新たな混乱をもたらすと考えられる。環境問題であ れ、生態系の問題であれ、その問題性を論じ、客観的なデータとともに警告を 発しているのは他ならぬ自然科学であるのだから。. 3観察の理論負荷性の問題 さて、科学観に関するもう一つの論点は、観察の理論負荷性の問題である。 小川〈12)によれば、現代の科学哲学の歴史は「素朴な帰納主義(データを集め. て一般的原理を帰納し、その原理から演繹によって導出された結果を観察する. ことでその原理を検証していく)を克服する歴史であった」とされる。ここで 言われる「素朴な帰納主義」とは、上の説明によれば、科学の方法としての仮 説演繹法を指している。. 観察の理論負荷性の問題とは、個人の知識内容が異なれば、同じ対象につい て違った観察がなされることになり、観察の客観性ということがあり得なくな るという問題である。この観点に立てば、仮説演繹法は、観察される事実や実 験で明らかになった結果から、客観的に結論を導出しているように見えるが、. 実は個人がもつ理論によって様々な解釈が成り立つのだから、常にどのような 場合にでも通じる正しい結論が導かれるわけではない、ということになる。そ れゆえ仮説演繹法は、したがって素朴な帰納主義は、克服の対象とされる。 こうした立場から、例えば松原(13>は「単純に情報を捉えるという時でさえ、. その客観性に問題が生じる」 「歴史においてとられてきた科学的な方法が、実. 証的、論理的、合理的方法であると考えられるのは、その理論の枠の中におい. 10.

(12) てである」と述べている。. さて、観察の理論負荷性の例としてよく引き合いに出されるトピックには、 ゲシュタルト転換図形(“老婆か娘か”“上から見た階段か下から見た階段か”. など様々なだまし絵、かくし絵の類)やX線写真を専門家と素人が見る場合な どいろいろある。しかし、図形に関していえば、それは単なる線の集まりであ り、一本の線はあらゆるものに見えてよいのである。それは絵であって、そこ. に実際に老婆や娘や階段が存在しているわけではなく、どうしてもそれを確認 したければ、絵を描いた本人に何を描いたのか尋ねたら済むことである。また、. X線写真の中にガンの病巣を読みとれない素人が、ガン(客観的事実)から自 由であるわけではない。さらに科学的認識過程では、自然への働きかけが不可 欠だが、この図形の場合には初めから働きかけが封じられているという問題点 が指摘できる。したがって、以上のようなトピックを観察の理論負荷性の根拠 とするのは不適切である。. こうしたゲシュタルト・チェンジにも触れながら、観察の理論負荷性の観点 から、科学的認識の客観性に疑問を投ずる論者の一人に村上がいる。村上は、 「〈14)『客観性』ということをセンス・データ(感覚所与)に求めることは本来. 不可能であり、公共的な(だれがいつどこで見ても、というあの客観性の条件 が成り立つような)場面は、言語活動をぬきにしては考えられない。」として 「(15)お母さんの顔を分別するということはつまり、さまざまな潜性を理解する. ことと同じであり、逆にそうしたさまざまな潜性を理解することはすなわち、. お母さんの顔を分別することになるのだと思います。その意味でわたくしども は、『見る』という行為のなかで『理解する』という行為を同時に行っている のだ、ということができましょう。『理解する』ということぬきの『見る』は、. あの連続多様体を受け取っているだけの『見る』であり、それは写真機の『見 る』、生まれたばかりの赤ん坊の『見る』ではあっても、人間の『見る』では ない、といってよいのではないでしょうか。」と述べている。この文脈で、多 義図形をどう受けとめるかという問題も、どう理解するかという、見る人間の. ll.

(13) 側の見方、理解の仕方によって異なるのだ、という見解となって表現されるの だが、その不適窃さについては前に指摘したとおりである。さらに、「㈹『裸 の事実』というのはむしろあり得ず、あるのはつねに、人間の側のある働きを 媒介として『造り出された事実』」であり「(17)まったく前提となる知識(日常. 的な)をもたない生まれたての赤ん坊が、お母さんの顔を網膜に写していても、. お母さんの顔を見ることができないように、前提となる医学的、物理学的理論 をもたない素人は、写真の影や折れ線を網膜に写しても、ガンの病巣やメソン の飛跡を見ることができないjのだから「理論が『事実』を造る。」のだと主 張する。. しかしながら、生まれたての赤ん坊が母親を認知できない(村上の言う色の 連続多様体という限りにおいて)としても、そこに母親がいることは客観的事 実ではないだろうか。赤ん坊の存在そのものが、母親の存在を前提に成り立つ わけで、 「母親jは「造り出された事実」ではなく、まして理論が「母親」を. 造るわけではない。さらに、村上にあっては、「母親」や「電気スタンド」を 分別するということは、「母親」や「電気スタンド」が持つ様々な潜性(潜在 的性質)を理解することと同義だとされるが、これに関して、次の秋間(18)の指 摘が説得力を持っている。 「物についてのある命題を知覚についての一一一geの命. 題に翻訳する(還元する)ことはできない。やってみればわかる。たとえば、 『ここに机がある』ないし『これは机である』という命題の翻訳は、『何か平. 坦なものが見える』『何か四脚のものが見える』『手になにかすべすべしたも のを感じる』『かたい感じがする』というたぐいの命題を、どこまで精密化し、. いくつ集めれば、終了するのであるか。また、『隣室に机がある』という命題 の翻訳は、『わたしがこれこれの仕方で隣室に入っていってこれこれの方向を 向くならば、これこれの形が見える』というたぐいの仮言命題を、どこまで精 密化し、いくつ集めれば、終了するのであるか。この作業は決して遂行できな い。この翻訳(還元)不可能性にこそ、唯物論が確認する物質の客観性一意識 からの独立性一は示されているのである。」つまり、潜在的な性質(それにつ. 12.

(14) いての認識を知識とすれば、もちろん個人によって知識は異なる)をすべて言 語で表現することは不可能であり、必ずしも「見る」ことの中に言語成分が含 まれていなくてもかまわないのである。したがって、「(王9)言語を越えた『客観. 性』などというものが、なんらかの意味を持ち得ることはありえない」という 村上の見解は、正される必要があると考える。. 確かに、人間はある種の期待や思いこみを持って対象を眺め、受け取ったデ ータを過去の経験(知識)と照らし合わせて解釈している。仮説も理論的前提 もなく、白紙で自然に対することなどないであろう。いわゆる先入観が働くわ けで、その意味で理論負荷的であるが、それは「見る」ことの一部にしかすぎ ない。まして、理論が観察事実を造り出すわけではない。大沼が指摘するよう. に「⑳もともと科学的認識活動は、客観的対象の能動的な反映であって、た んに鏡が対象を映すような受動的模写ではない。対象の認識は、もともと、仮 説の設定、分析・総合など主観的な能動性の働く複雑な発展過程」であり、「え. カミかれた図がどう感じられるか(感覚所与)が問題なのではなく、どんな外. 界をえがいたかが問題なのであって、それは実践溺そのことを証明するあで ある。」そして、この能動性の内に人間の豊かな創造性も内包されている。 実在論の立場をこそとらないが内井は、「(21)科学的探求における観測の『理. 論負荷性』を論証するためには、やはり科学の実例に即した議論でなければ説 得力に乏しい。私は、定量的な測定という科学の基本的な手続きは、注意深く. 行えば十分信頼できる結果を与えるものと考える。」として、テイコ・ブラー エによる観測精度の改善を例に取り上げている。そして「㈱観測データ自体は 地動説、天動説、あるいはブラーエの折衷案(中心に静止する地球のまわりを 太陽と月や恒星天球が回転し、水星から土星までの惑星は太陽のまわりを回転 する)のいずれからも独立である。ケプラーに至る天文学を調べたかぎりでは、. 定量的観測結果の『理論負荷性』などといった事態は認められない。…理論の 目的を道具主義的、実在論的のいずれに理解しようとも、理論と観測とは独立 だとみなしてよい。」と言い切っている。. 13.

(15) 次に、仮説演繹法に関わって、帰納の原理に対する批判を一つだけ見ておこ う。帰納の原理とは、「(23)もし多数のAが、多様な条件下で観察され、観察さ. れたすべてのAが、例外なく性質Bをもっていた時、そのとき、すべてのAは 性質Bをもつ」と説明される。この原理への批判として、A.F.チャルマーズは、 バートランド・ラッセルの寓話伽)を紹介する。. 「帰納主義者だった一一一一X9の七面鳥は、飼育場での最初の朝、9時に餌を与えられたと. いうことがわかった。七面鳥は、よき帰納主義者だったので、性急に結論をだしたり はしなかった。朝9時に餌を与えられるという事実についての多数の観察を集めるま で待った。そして多様な条件のもとでこうした観察を行ったのである。水曜日にも、. 木曜日にも、暖かな日にも寒い日にも、雨の日にも晴れた日にも、毎日、毎日、新し い観察言明をリストにつけ加えた。こうして帰納主義者として満足いくまで思慮深さ を示したら、ついに、帰納的推論を遂行して、“いつも朝9時に餌を与えられる”と 結論した。ああ一、かわいそうに!この結論が誤りであるということは、疑問の余地 なく読明された。クリスマスの前日のことである。七面鳥は餌を与えられる代わりに、. 首を切られてしまった。こうして生なる前提をもった一つの帰納的推論が誤った結論 へと導いたのである。」. この野葬は、帰納の原理が論理的な根拠によって正当化できない例として創 作されたものである。しかし、寓話は次のように批判することが出来る。帰納 主義者であった七面鳥は死んでしまったが、残された七面鳥あるいは新しく飼 育される七面鳥は、きっと毎朝9時に餌を与えられるであろうということ、さ らに、クリスマスの前日には首を切られてしまうであろうということである。. もし、賢い七面鳥がおったなら、首を切られる前に逃走を企てるかもしれない のである。. この寓話の失敗は、帰納による自然認識上の不備は、他の探求者の存在と 彼らと自然との相互作用で乗り越えられていぐという視点の欠如から生じて いると言える。. 14.

(16) そもそも、仮説演繹法自体を、科学の方法としてどう把握するかは決着済み の問題ではない。先に紹介した内井は、f(25)①帰納法を中心にすえた科学方法. 論は単一ではなく、歴史的に変容してきた複数の異なる見解である。②哲学者 の言う『帰納法』だけに注目していたのでは、誤差論、確率論、統計学と言っ. た科学の現場に関わりのある分野で出てくる具体的な『帰納の問題』が見えて こない。これらの分腎での歴史的問題は、それぞれの時代のag一一一一・meの科学者が. 格闘してきた問題だったのである」と指摘している。 また、実験の意義あるいは目的も、一一般に仮説演繹法でいう仮説の検証のた. めだけに行われるわけではなく、事実の新たな形成や変化も含まれている。ラ ッセルの寓話のように、ある一つの局面だけに限定して帰納の問題を考察する. のは非現実的であることも含めて、 「一塾羨しと いう図式は不十分であると考えられる。. 次に、松原が述べた「(26)これまでの理論に当てはまらないような事象が示さ. れても、今までの理論を大きく変更せず、その事象を説明する新たな理由を持 ち込んで解釈」できるのだから、科学的認識の客観性は理論を共有する人々の 間でだけ意味を持つことになる、という第二の論点を考察する。 ここで松原(27)は、事象を説明する新たな解釈の例として、燃焼に関するフロ. ギストン説を紹介している。つまり、物が燃焼するのは、物の中にあるフ三二 ストン(燃素)が逃げ出す現象として捉えられていたが、金属の灰化では、も との重さより重くなることから、負のフロギストン(重さが負)という解釈が. 新たに導入されたという件である。しかし、このフロギストン説も、その後の プリーストリによる「脱フロギストン空気」説も、ラヴォアジェによる燃焼の 本質の解明によって否定されたと考えられている。むしろこの例から引き出さ れる特徴は、データに関する解釈の真理性を検証する認識過程の動的性格であ ろう。つまり、フロギストン理論から酸化理論への変革は、一方でフロギスト. ン理論を堅持しながら、他方でフロギストン理論とは矛盾する定量的方法を駆. 15.

(17) 使した気体化学者たちの成果が、質量保存則に結実することで達成されたもの だからである。. これについて村上は、「㈱フ脚高ストン説の前提のなかに素直に収まってい た例の『事実』が、ある人にとって、あるとき突然収まり悪く感じられるとい うこと自体が、それを見るための何らかの新しい理論的前提の誕生を必然的に. 意味していることになる。その微妙な心理上の変化の過程、意識構造の変質過 程を、何らかの論理的な手続きを使って説明しきる、ということは、わたくし どもの一つの目標であると思いますが、しかし、実のところ、わたくしはその 目標はあきらめなければならないと考えています。」と説明する。しかし、こ の説明では、理論の変革や発展が心理的な問題に解消され、変化の原因は解明 できず不思議な世界をさまようこととなる。この議論も、:事実を観念(理論). の構築物と見ることで、フロギストン理論と事実との問の矛盾が真の変化の原 動力であることを看てとれない結果であると考えられる。. 逆にこの例は、実験・観察を含むすべての実践によって科学的認識が発展し、 客観性が保証されていく過程を示しているのである。肱岡は「(29>科学の実際. の過程では、認識の真理性は、既成の認識を持つ探究者と自然との相互作用そ. のものに、肯定的にも、否定的にも規定されている。限界のある相互作用の結 果として得られた命題が、その時点での科学的認識である。そしてさらに、再 び両者の相互作用を通して、その命題に含まれている“一片の真理”を掴み取 り拡大していくことが現実の科学の現場で行われている」ことであり、ここに こそ「自然の探究とその歴史的発展において機能している真概念が広く実際的. で、そして有効であることの大きなゆえん」があると述べている。自然認識の 誤りは、誤りそのものが自然による容赦ない批判にさらされることで乗り越え られてきたし、人類の実践のすべてによって真理性に近づいていくと考えられ. る。自然科学的認識の客観性もここに生じる。よって、“自然科学的認識の客. 観性は理論を共有する者の間でだけ意味を持つ”という考え方も正されなけ ればならないと考える。. 16.

(18) 総じて、理論負:荷性の議論では、個人による「客観的事実」の受け取り方の. 違いが、個人によって「事実」が違うことに置き換わっている。したがって、 「事実」は感覚の集合となり、観念上の構築物となってしまう。前田(3e)が指摘. するように、「事実は、客観的実在がわれわれの認識に反映することによりそ の客観性が保証される」のであり「真なる認識は対象に働きかけることにより 得られる」のである。われわれは、意識の外にある客観的実在を一一reに全体的. に丸ごと認識することはできないが、実験条件を変え、さまざまな視点からさ. まざまな手段をつくし、手を換え、晶を換えて自然に働きかけ、無数の人々の 永年の実践をとおして、客観的実在の認識へと限りなく接近できるのだと言え る。. 理論負荷性の問題も含めた現代の科学哲学にあっては、形式論理学的決定法 が重要な役割を果たしている。しかし、その落とし穴に注意する必要がある。. 物理学者である佐藤は、物理学者の電子が真理か、単なる模型か、あるいは役 立っ道具かという議論に関して、「(31):有効な知識と考えようとずばり真理と考. えようと、実際の科学の進め方には何の影響もない。もちろん個人的にはいろ. いろな想いがあろうが公的には大した変化がない。ずばり真理だという証明は 絶対にできないし、そのことの正否が科学の実践に何にも影響を持たない。影 響あるとすれば、科学の対外的イメージとそのイメージを利用しようという試 みに対してである」と述べ、「(32)永遠とか、無限とか、真理とかいったことを. 論理記号に載せてやる議論には要注意である。論理学に載せる操作は自然現象 を数学に載せる操作に対応し、それが有効な問題もあるしこの操作のために捨 てられる問題もある。論理記号で扱えるものと扱われないものがあることを忘 れてはいけない」。また「(33)論理や論証を重視した科学論の議論というものが、. いかに実態とかけ離れた世界に導くかがわかる。これは何か視点が適切でない ためと思わざるを得ない。問いかけの仕方自体を現象(この場合科学)から学. 17.

(19) ぶ姿勢がいるのではないかと思う」と語っている。 さらに肱岡は、「(34)科学哲学にあっては、一つの命題が有意味であれば、真. か偽かのいずれかであるとされ、どの命題も真でなければ偽であるとされる。 そして、自然科学における多数の法則や理論は“科学哲学”的には真であるこ とは証明されていない。したがって、その立場から見ると、自然科学は偽の(あ. るいは、せいぜいよくて判断のつかない)命題の集合であることになる。これ があり得ないことは、自然科学的認識に基づく現代の自然のさまざまな巨大な 変革から明らかである」と指摘する。. 以上、科学観に関わって考察を試みてきたが、これより次の点を確認できる。 すなわち、. 自然科学は、客観的実在としての働然を、実謹的、論理的、含理的に 探究する創造的営みであり、ある段階での科学的認識は相対的である. が、そのどの段階で転客観的箋在の真の皮映を含んでいる。. この科学観を堅持することが重要であると考える。. 18.

(20) 4適切な科学観について 最後に、科学観に関わって、忘れてはならない観点を記述したいと思う。. それは、自然の捉え方(自然観)と密接に関係するのだが、これも歴史的に変 遷を繰り返してきた。. 自然界に存在する法則性を意識し、その成り立ちを自然自体に求めたのがギ リシア自然観の特徴といえる。それは、自然自体に内在する生成変化の力に従 って、自然が動的に変動を繰り返す、という動的自然観であった。. この古代的自然観を変貌させたのが、近代科学の誕生である。経験と事実を 重んじる精神が、自然法則を定量的に把握する実験科学の手法に移行していっ たからである。 「㈲『プリンキピア』は、神の存在の信仰のために諸原理を与. えるために著した」とするニュートンの言葉(これは、『プリンキピア』初版 (1678)にたいし、“重力によって世界を説明するのは無神論だ”という有力. な批判を受けたことへの答えとして、第二版一般注解(1713)などで表明され たもの)に見られるように、そこでは「㈲デカルトによって幾何学的に築かれ、 ニュートンによって物理学的に築かれた運動法則という基本原理によって、自 然は厳密に進行するが、そこには一一切の本質的変化はなく、宇宙は創造の始め. から未来に至るまで安定した状態にあるjという静的自然観が主張された。し かしながら、「㈱相似と比に集約される本質的に静的な性格をもつ幾何学に代 わって、種々の関数関係による表現への展開による自然の動的な側面の反映」 など動的自然観との緊張関係を常に胚胎していたと考えられる。. ニュートン的自然観では、自然自体の変化・発展を説明しきれないし、進化 論や熱力学などその後の科学の展開は、自然の変動と発展を動的に把握する動 的自然観を要請し、科学史研究の課題の一つは、この展開・転換の契機を探り 出すことでもある。. このように、自然を動的に捉えることは、変化・発展の諸相を示す自然の反 映であり、科学の探究の成果である科学的理論や科学的知識には、自ずと動的 性格が付与されることとなる。. 19.

(21) SongerとLinn〈38)は、 middle schoo1での科学観調査にあたって、以下のよう. に3種類の科学観に分けて定義し、調査を実施した。. 動的科学観:科学の知識は広がっていくものであり、現在正しいとされてい る事が将来必ずしも正しくないかもしれないなどの、変化しう るダイナミックな科学の概念。. 静的科学観:科学の知識は絶対に変わらないものであり、理科の教科書に書 いてある事は時代が変わっても正しいといった、絶対的な変化 しえない科学の概念。. 混合科学観:動的科学観と静的科学観の両方入り交じっている概念。. 動的科学観に関する上の定義は、どの般階のものであれ、科学的知識を絶対 化することは独断論になるが、絶対的真理の一一粒を含んでいるという意味を付 加して理解したいと考える。. 以上これらすべての議論を踏まえ、本論における“適切な科学観”を次のよ うに定義する。. 適切な科学観}潟然科学は、客観的実在としての蜜然の事物・現象を、実. 読的、論理的、合理的に探究する創造的営みであり、そt で得られる科学的理論や科学的知識は不変ではなく、探究 の過程で変化・灘展しうるものである。. 適切な科学観とはこのような拗的秤学観1を指すものとする。. 20.

(22) 第2節科学史事例活用の動向 1 科学史事例活用の意義 「科学事例史法」の創案 理科教育への科学史導入の意義を考察するにあたり、先ずJ.B. Conantの科学. 事例史法(case history method)創案の目的を概観しておこう。なぜなら、第. 2次大戦直後に、科学史導入に関して最もまとまった議論を展開した一一人であ り、彼の所論はHPP(Harvard Project Physics>やHOSC(History of Science Cases)の原点になっているからである。. 鶴岡(39)によると、コナントが「科学事例三法」を創案するに至った当時の米. 国の大学一一般教育科学ロースの状況は、体系化された高度で厳密な知識を大量. に覚えることが尊重され、形式的・機械的な「科学の方法」観が存在していた。 それが、知識及び絶対的で単純な「科学の方法」の崇拝という傾向を醸成し、 科学に対して極端な期待と不安とを助長することになった、という。. 科学を、動的なものであり、主観的・情意的側面をも持つ「㈹人間の冒険的 な営み」「組織化された社:会的活動と観るコナントは、「(“)最も有能な科学. 者でさえ間違った観察、誤解させやすい一般化(又は法則)、不徹底なまとめ 方、あるいは無意識の偏見等の密林を縫って険しい道と戦わねばならなかった」 のに「(42)学問を進歩させてきたこの道筋を、一組の論理的規則の中にまとめあ. げようと試みることは、多様な学問の生命力を、全く無視するもの」だと批判 した。. そして、科学という人間の営みと他の分野との関連、人類史との関連などを リアルに捉えるために、換言すれば「(43)科学の戦術・戦略の諸原理」と「科学. と社:会との相互作用」という科学理解のために、近代科学の生成期から選んだ 事例史の活用という方法を提案した。. コナントが「科学の戦術・戦略の諸原理」として提示した項目は、例えば以 下のとおりである㈹。. 21.

(23) A.新たな諸概念は実験や観察から生まれ、新たに数多くの実験や観察をも たらす。. B.重要な観察データは、 「統制された実験」や観察によって得られる。. C.新しい技術は、実験の一つの結果として生じ、後の実験に影響を及ぼす。. この上にたってコナントは、事例史の3つの選択規準を挙げている。 ①1世紀ほどの問に、疑いなく十分に進歩した分膨であること。. ②この進歩は、実用面での功績とか単なるデータの集積という観点からの ものではなく、概念の変化・概念的構想の発展という観点からのもので あること。. ③科学の戦術・戦略に共通する1つかそれ以上の原理が例証されること。. 以上少し詳しく、=ナントの科学事例史記創案の目的を見てきたが、ここで 語られた精神を基に、その後の様々なプロジェクトの完成があった。 例えば、高校理科用に1968年に完成したHOSC(History of Science Cases). は、主要な概念の発展を軸にした科学事例史であるが、科学と科学者について. 考えることを最大の目的とした。また、高校及び短大を対象に1970年に完成し たPP(The Project Physics Course,元HPP)は、人文的アブm一回目humanistic. approach)と呼ばれ、文化的・思想史的側面に力点が置かれている。 一一方、国内においては1970年に『理科教育のための科学史』と題して、二化 生地のあゆみシリ 一一ズが出版さ.れた。「生物学のあゆみjを担当した鈴木はそ. の中で、「㈲従来の中学や高等学校では生物学で得られた知識、…情報を教え こまれていただけのような気がする。…情報を自己の血・肉としておいてはじ めて活用しうるのである。そのためには、情報が得られてきた過程をよくとら え理解しておくことが必要である」「(46)生物教育においても、学習しようとす. る知識、情報がどのような過程で得られてきたかを理解するためにも、また、 その中に見られる生物学の研究方法とはどういうものであるかを知るためにも、 さらに生物学という学問の何であるか、人間社会とどう関わり合っているかを 学ぶためにも、生物学の歴史を利用することは有効であるし必要なことである」. 22.

(24) と科学史事例活用の意義を述べている。. これら科学史事例活用の提唱初期における意義についての共通点として、. ①科学を動的な過程の中で理解すること。 ②多様性と変化に富んだものとして科学の方法を理解すること。 ③科学と社会の関係を理解すること。. 以上3点を指摘できる。. 70∼80年代 1970年代から80年代にわたって欧米諸国に登場したSTS教育は、近年の科 学哲学や科学史研究の成果を土台にしているといわれるが、ある意味ではロナ. ントの流れを汲むものと言える。例えば、70年代後半から80年忌かけて完成 をみた英国の中等用教科書SISCO駅Science In Social CONtext)in Schools. の教師用指導書には、シラバスの目標として「㈹一つのプロセスであるという. 科学の本質的性質を学習者に知ってもらう/生徒たちに現代の論争問題に関心 を持つようにさせる/科学が社会的営為であること、また社会のための営為であ ることを示す/大人社会の一員であるという感覚を生徒たちに身につけさせる/. 現在の科学の進展に関する興味を刺激する」などが掲げられ、科学の本質や科 学と社会の相互作用の視点が強調されている。. STS教育に関する議論はさておき、科学を動的過程の中で理解する捉え方には 共通項がみられる。. ほぼ同時期に、科学史事例活用の意義について、伊藤(48)は概ね次の3点を指. 摘した。その一つは、人間中心カリキュラムの開発である。科学研究の過程に 冷られる科学者の試行錯誤や法則発見に至る泥まみれの努力などを知ることで、. 科学とは何か冷たくて、普通の人とはかけ離れたものというイメージに代わっ て、身近で人間的なものとして受けとめることが出来るようになる。二つは、. 23.

(25) 教授法の改善である。科学の概念を理解するうえで、生徒がどこでつまずくか、 実験結果の考察において、どこで誤った考察をするか、豊かな発想の大部分は、. 科学的には誤りであっても教師はその発想の努力をどの点で評価するか、など について科学史は、適切な事例を提供する。三つは、自然観や科学観の形成に. 役立てることである。科学とは何か、科学者はどのような方法や思考によって 研究するのか、科学者の学説や科学的思考が時代思潮と相克しつつ発展してき たのか、科学者はどのような自然観をもっていたのだろうか、など科学者の知 的活動を知ることは有益である。この議論は、我が国の戦後の理科教育史上か つてなく科学史の活用が注目された80年代初頭(49)になされたものとして、注 目に値する。. 90年代前後 さらに、90年代前後の論調を簡単に振り返っておこう。. 1989年11月にフロリダ州立大学で開催された「科学教授における科学史と 科学哲学」の国際会議への参加を呼びかけた1.Winchester(50)は、以下の4つの. 観点から科学史学習の必要性を論じた。. ①科学史上のいくつかの間題を生徒自身が追求し続げることを励ます。 ②新しい椎界と新しい概念、新しい方法の意味を理解する。. ③科学的研究や思考がいかに人証的で、困難で、道徳的苦悩を伴い、創造 的かを理解する。. ④社会や文化と科学の関係を理解する。. そして、開催された国際会議は、以下の特徴を持った(51)。. すなわち、科学の教授と学習の伝統的手法が、科学の事実の暗記や公式を用 いた問題を解くことにあり、教師と教科書が知識の主要な源泉を引き受け、テ ストがカリキュラムの主要な推進力となっている。そこでは、科学は、テスト. 24.

(26) の記憶用として学ぶ真実のカタログとして知覚されるだけであり、ここに科学. 教育の危機があるという認識のもとに、方法としての科学を強調する従来の. カリキュラムから社会の文脈の中で科学を強調するカリキュラムへの変革 が必要であること、その範躊で、学習者がより活動的で共同できる役割を担え るような展開を探究しよう、というコンセンサスに至った。. 社会的文脈のなかで科学を理解するとは、約言すれば、科学や探究を閉じ た世界の中での把握から解放し、様々な社会的相互作用の中で理解すること であり、今のところそう見える結果としてではなく、重要で動的な過程とし て理解することである。歴史的哲学的学習は、この過程がいかに誤りやすく、 人間の弱点を受けやすいか、また、社:会的制度としていかに科学がもろいかと. いうことを教えてくれる。同時に、現代科学に貢献した有名無名な科学者の大 変人間らしい部分(全ての人間的活動に共通するもがきや悲劇)も示してくれ る。以上のような報告に集約される国際会議となった。. このような流れのなかで、最近ではBSCS(Biological Sciences Curriculum Study)とSSEC(Social Science Education Consortiu皿)の共伺プロジェクト によるカリキュラムの枠組みがHNST(52)(Teaching About the History and Nature of Science and Technology:ACurriculun Framework)として提示さ. れた。HNSTの巻頭言は、以下のとおりである。. 「学生は、科学とテクノロジーの概念やプUセスと岡三に、これらの歴史や本質を学 ぶべきである。なぜなら、科学とテクノロジーは、それについて理解し、情報に通じ た判断をしなければならない現代社会と市民である学生につきまとう多くの利益や問 題の一部分であるからである。科学と社会の教育は、科学の本質とテクノロジーの本 質を学生に教えるべきであり、そうすることで、決定的に重要な科学とテクノロジー の類似点と相違点や、人間的で社会的な面や、限界と可能性をはっきり理解すること になる。学生はまた、科学とテクノロジーに関わる文化的遺産に対する評価能力を育 てるべきである;つまり、異なる時代や異なる文化の中で持っていた科学とテクノロ. 25.

(27) ジーの意味についての知識を持つべきである」. このプロジェクトの目的は、科学とテクノロジーの歴史と本質を教授するた めのカリキュラムの枠組みを概念化することであった。その枠組みは、スクー ルサイエンスと社会科のプログラムのための枠組みであり、また、一般市民が、. 人間的で文化的な活動として科学とテクノmジーを理解する必要があるという 認識のもとに、科学と社:会科を結合した学際性のある提案となっている。. 具体的には、以下の6つのテーマが提案されている。. g、科学は世界奪説廃す多方法で南る。.. ○テク/岬rは脚こ幽褐燐で嫉tt ・σ群と懸魚ジーは燗的鰍を巻駆感動聯智.. 蛹於」織馨濃霧1ご騨醐: ○欝欝鍮誰そ醐轟轟開岬騨 ・●. ○群とデタz・ジ「ゆらの爆睡綜瀞噸にわたつ燦 化してきた。. その中で、「科学とテクノロジーとそれらの相互関係は、長い時間にわたっ. て変化してきた」というテーマは、歴史へ関連づけられ、幼稚園から12才まで の科学コースのために重要である、と指摘する。. HNSTは、カリキュラムの枠組みであり、カリキュラムそのものではないが、. 科学史事例から学ぶことが明確に意識された提示としてインパクトを持ってい る。. 以上、1950年代以降語られてきた科学史事例活用の意義について概観してき た。それを筆者なりに構造化すると次のようになる。. 26.

(28) その1:中心となる大爵標は、科学を動的過程の中で理解すること。 そのπ:科学の人間的理解も1との温温で捉えられていること。 その皿 ’:Hを欠いた科学的知識を大量に二三するだけの学習は、科学を 身近なものにしないこと。. そのIV:科学の混乱的理解は、時代を生きる当事者として、よりよき見 通しを持つための必要条件となること、. この精神を実現していくうえで、科学史事例の活用は、優れた方法であるこ とが主張されてきたのだと言える。. 2科学史事例活用の実際 科学史事例を用いた実践は、国際的には、前項でふれたHOSCやPPなどがあ り、STS教育の中での活用としてSISCONなどがある。また、国内的には、大学 や高校でのたくさんの個人的な実践がある。ここでは、国内の代表的な実践を いくつか整理しておく。. はじめに、高校で科学史事例教育に取り組み、その体験を『㈹教師のための 科学史教育入門』という1冊の本にまとめた高橋実践を概括する。. 高橋は、科学史事例の教材化がなかなか広がらない理由として、①科学史のも つ総合的性格から無理がある(時代背:景や思想的背景までかかわる)②教材化. の不十分さ(単なるお話に終わる)③位置づけがカリキュラム上困難④受験と. 結びつかない、などの諸点が考えられるとしたうえで、しかし、だからこそそ の有意義性を次のように指摘する。. ①科学史の総合的性格ゆえに、適切な自然観の確立を促す。 ②科学を完結したものとしてではなく可能性として認識できる。. ③概念形成に有効である(科学史のなかに生徒のつまずきの原因を見るこ とができ、歴史上の論争点は教材精選とその構成に役立つ)。. 27.

(29) ④科学の方法の宝庫である。. ⑤科学の社会的機能とそのあるべき姿を考える素材を提供する。. ⑥学問の尊厳と真理のための闘いなど、科学者の人間像を知ること演出来 る。. さらに、「㈹教育を活気づける手段としては、問題の歴史的おいたちに押し 入ることほど効果的なものはない」というダンネマンの言葉を引きながら、科 学史事例を教材化することは、単なるお話ではなく、その構成の仕方によって、 生徒の興味を引きつけ「考える理科教育」を可能にすると指摘する。. また、中学生や高校生は、自分の外なる世界への強い関心と、その世界に対 するアイデンティティ(自己ff一一性)を確立することへの要求がはたらく年令. であるがゆえに、生徒の自然観や物質観をゆるがす問題として科学史事例を位 置づける必要がある。しかし、経験を積んだ科学者にとって興味深く思われる 歴史的材料が、生徒にとって必ずしも興味があるわけではなく、生徒の素朴な 感性に訴えられる事例を土台にした科学史教育を考える必要もある。さらに、 「子供の自然認識の発達の仕方は科学の歴史における人類の自然認識の発達の. 仕方といくつかの点で著しい違いがあるが、それ以上に多くの類似点が見出さ れる」という板倉㈹の指摘を考慮しながら、理科教育と科学史の対応関係を提 起してもいる。. 高橋は、=ナントの創案やHOSCに見られる科学史事例活用法を高く評価しつ つ、解決しなければならないいくっかの困難や問題点も指摘した。それは、第 一一. ノ、この方法が歴史や地理、自然科学の初歩的知識をある程度前提にしな. いと困難であり、中学以下の理科教育ではほとんど不可能であること、第二 に、高校段階でも初めからその目的で設 した科目でなければ、系統学 を 前提とする物理、化学、生物、地学では困難であること、第三に、しっかり した科学論や歴史観を抜きに構成すると、「何のために、何を」教えるのか がぼけてしまい、昔話の蒸し返しとなり、その意義ぶ生かされないという弱 点を持つことであるとした。. 28.

(30) そして最後に、科学史事例の理科教育への活用法として、次の図で締めくく った。. /i. L 韮更ぐ}錫く)羅馬. 1. 難藻響 堅一噺. ?T, i 1;}’” ”” .7ny: ” tX’;“ ive一 1“ }} 一”1 一r・一一一“一+・”・ri・. u,蠕. 一∴__,. 礁. 教湾課桿再編岬瞼餅:晦醗. 図1科学史の理科教育への活用 高橋 1985より 1970年代に、我が国で以上のような体系的で総合的な科学幹事:例活用の努力 が行われていることは驚きでもある。. 高橋実践とはねらいの異なる科学史事例の活用例を次に考察する。 1991∼92年にかけて同じく高校で取り組まれた池田実践(56)である。池田は、. 近年の科学史や科学哲学の成果に基づき「科学を相対化して、芸術や文学と同 じように人間の文化の1つとして教える」ための方法や授業プログラムの開発 を手がけ、その具体化としてケプラーの法則を教材化し、授業実践における効 果を科学に対するイメージ調査によって検討した。. これは、科学の客観性・合理性に一定の留保をおいて、科学を相対的に見る 立場、すなわち、自然科学に所与のものとされていた客観性や普遍性が、実は ゆらぎを示し、絶対的には保証されない、という考え方に立っての実践である。 これまで、ケプラーの採った研究方法が「帰納的方法」の模;範例としてのみ扱 われてきたことに対置する形で、 「ピタゴラスの三角数」 「ラムダ型数列図」. 「宇宙の調和音」などを教材として積極的に取り入れた。そして、科学理論の. 29.

(31) 形成過程が科学者の個性や社会的、歴史的背景と密接な関係にあることを具体 化したものである。. 実践の成果として池田は、次の点を指摘する。. ①科学に対する生徒のイメージが、物質的・客観的なイメージから、より人 間的・主観的イメージに変化したこと。. ②科学に対する理解・興味・関心に関するイメージが、教育的に好ましい方 向に変化したこと。. ③理解・興味・関心に関して存在していた男女聞の大きな相違が、明らかに 減少したこと。. 以上の結果から、科学を相対的にとらえる授業プログラムは、科学に対する 生徒のイメージに大きなインパクトを与えると結論づけた。. この実践が持つ最大の先進性は、科学理論や法則の発見が、単純な一定の 決まった方法によるものではなく、歴史的社会的背景や、個人的信念などの 相互作用に基づくことを明確に打ちだしている点である。しかしながら、科学 の実証性や論理性・合理性・客観性などが主観的な道筋の中に消滅してしまう のであれば、その実践は一面的なものになってしまうであろう。朝永は、「(57). 三つの法則を見つけるときの彼の手法そのものはまさに近代物理学の方法〔正 確な観測事実、厳密な数学的推論〕なのですが、それに至るまでの彼の思考は、 しばしば神秘の森をさまよい続けるのです」と述べた。神秘主義的宇宙観をも. つケプラーが法則を見つけたことが歴史的事実であったとしても、法則その ものから論理性や客観性が失われるわけではない。その点を留意することが 重要である。. 次に、日本の科学史事例を取り上げた仲岡実践側を見る。. 仲岡は、知識の羅列や記億のみに頼った授業や「問題を解けること」に主眼 をおいた授業では理科離れを防ぐことはできないとして、常に教室では、物理 や自然科学に興味を持ち学ぼうとするための動機づけを心がけなければならな. 30.

(32) いとする。一方、基本的な概念や理論的構成を生徒に教えることは重要であり、 実験を取り入れ興味や関心を刺激することを目的に授業実践に臨んだ。. 授業の意義として、①日本の科学、とくに明治以前の科学史の一面を紹介 し、不十分なぶら我が国の電気学の発展の独自性、特殊性を知らせること② エレキテルの装置:を紹介し、摩擦静電気の発生の原理をより興味深く理解さ. せること③手作り器具を用いることで、細工の仕方、材料・材質の選択など から生徒の発展的な取り組みを期待できること、などを挙げている。 実際の授業は、当時の日本の時代背景とともに、橋本宗吉を中心に人物の特 徴:やエレキテルの探究を跡付けたものである。ここで重要な点は、東(59)が指摘. するように「科学を生み出す場合と違い、科学を受け入れることは、何でもな い事のように思われる」が「江戸時代の人々にとって、それは、それ程簡単な ことではなかった」のであり、 「西洋の科学を受け入れるということは、西洋. の人々が理解している通りに、そのまま、その全てを取り込めば終わり」とい. うことではなく「いったん自分たち二二っている伝統的な考え方の土俵にの せ、改めて再構成していくという手順がどうしても必要だった」のである。 「江戸時代の人々が西洋の科学を受け入れた過程というのは、文化と社会の. 中の科学や技術というものを考える上で、またとない題材の一つである」こ とを位置づけている点である。. 最後に、中学校での実践例を見ておこう。. 鳥山㈹は、中学校の授業で化学史を教える必要はないが、教師が化学史を学 ぶことは大切だとした上で、理科の授業で生徒は、考えたり工夫したりするこ とよりも、習ったことを覚えて使うことに終始している現実を指摘する。そし. て、生徒にとって教科書に記載されている法則は絶対の真理であり、それらの 法則が、過去においてどんなに奇抜なものであったかなどを考えてみることも ないという認識にたって、 「そのような生徒たちの考え方に、ゆさぶりをかけ たい」という思いから化学史教材を活用した。. 31.

(33) 化学史教材作成の観点の一つは、現代の中学生に、過去の化学者達の紆余曲. 折の道をそのままそっくり辿らせるものではないことである。なぜなら、原 理や法則が、観察や実験の結果から必然的に導き出されてくることは少なく、. 化学者の直感による信念が先行する場合が多いため、その論理の飛躍を理解す ることは中学生には難しいからである。二つ目は、かって化学の最先端を支え た実験の中には、中学生の実態にあわせて教材化すると、面白い実験になるも. のがあることである。そのことを通じて、昔の化学者に親近感を抱いたり、 素直に感心する心を育てたりできる利点がある、と指摘する。 実際の授業例として、燃焼と質量保存の法則やCO2の定量実験に取り組み、. その中で、ラヴォアジェの工夫に感動を呼び起こしたり、正しい観察が正しい. 結論のために不可欠であるが、観察した事実を考察する論理は時代の制約を 受けざるを得ないことなどを認識させたりしている。. 中学校のカリキュラムの枠内で、科学史事例活用の位置づけや教材作成上の 工夫など、よく研究された実践である。. 32.

(34) 第3章研究方法 第1節研究の概要 中学生が保持する科学観(科学に関するイメージ)の実態を把握し、適切な 科学観の形成に寄与し、同時に学習の動機づけとなる科学史事例活用教材の作 成とその有効性を明らかにするため、以下の手順で研究を進めた。また、その 概要を図2に示す。. A:最近の科学観調査を踏まえながら、現代の中学生が保持する科学観(特に 科学的知識の性質と科学への興味を中心に)の実態を把握する質問紙を作 成する。. B:Aで作成した質問紙を用いて調査を実施し、分析する。 C:適切な科学観の考察を行い定義を確定し、あわせて科学史事例活用の動向 を概括的に整理する。. D:BとCに基づき、科学史事例の教材化を行い、授業計画を作成する。 E:Dで作成した授業計画に従って授業実践を行う。. F:授業前後での科学観の変容を見るため、Aで作成した質問紙を用いて調査 を実施し、分析する。また、知識の獲得状況を確認するため、定期テスト 用問題を作成し実施する。. G:Fの結果を基に、Dで作成した科学史事例活用教材の有効性を分析検討す る。. H:以上の結果を踏まえ、適切な科学観の形成ならびに学習の動機づけに寄与 する授業実践方略に関して一つの提言を行う。. 33.

参照

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