中国における技術移転政策の史的展開
同志社大学大学院
経済学研究科博士課程(後期)
経済政策専攻
2013 年度 1102 番
卫 娣
i 目次
はじめに ... 1
1 先行研究と本研究の分析視点 ... 4
1.1 技術移転に関する先行研究 ... 4
1.1.1 開発経済における理論 ... 4
1.1.2 国際貿易および直接投資における技術移転論 ... 9
1.1.3 中国の技術移転に関する研究 ... 13
1.2 技術移転論をふまえた本研究の分析視点 ... 14
2 中国における技術移転政策の原点―ソ連からの技術援助を中心に― 20
2.1 中ソ間技術移転の背景 ... 212.2 経済回復期 (1950〜1952年) ... 24
2.3 第一次五ヵ年計画(1953〜1957年) ... 27
2.4 大躍進期 ... 31
2.5 中ソ技術移転の枠組み ... 34
2.5.1 ハード技術——プラントと設備の導入 ... 35
2.5.2 ソフト技術——ソ連から技術資料の提供 ... 37
2.5.3 ソフト技術——ソ連技術専門家の派遣 ... 39
2.5.4 鞍山鋼鉄所の事例 ... 40
2.6 技術移転政策の原点としてのソ連からの技術移転 ... 42
3 中国の外資導入政策と技術移転政策の展開 ... 45
3.1 試験段階——経済特区における技術移転 ... 46
3.1.1 外資導入政策の特徴 ... 46
3.1.2 技術移転の主体と対象 ... 47
3.2 沿海地域開放段階——経済技術開発区における技術移転 ... 48
3.2.1 外資導入政策の特徴 ... 48
3.2.2 技術移転の主体と対象 ... 49
ii
3.3 全方位開放段階——「三沿」開放都市における技術移転 ... 51
3.3.1 外資導入政策の特徴 ... 51
3.3.2 技術移転の主体と対象 ... 53
3.4 「地域」から「産業」への移行段階——高新技術産業開発区における技術移転54 3.5 カメラ産業の事例 ... 57
3.6 新たな技術移転政策への転換 ... 59
4 中国における経済発展と技術移転政策の戦略的転換 ——新たな技術移転戦略の構築—— ... 62
4.1 科学研究政策 ... 64
4.2 外資政策 ... 68
4.3 地域政策 ... 72
4.4 人材政策 ... 74
4.5 「自主創新」の検証 ... 77
おわりに ... 80
補足資料 ... 86
参考文献 ... 87
1 はじめに
中国が強力な政策によって,経済の発展を推進し始めてからはや半世紀が経過し,世界 第 2 の経済大国となった.特に,計画経済初期のソ連への「一辺倒」による中ソ間の技術 協力と,1979 年の改革・開放以降の外資の導入による技術移転によって, 2 回の飛躍的 な経済発展を経験した.いまや,「世界の工場」「世界の市場」などともよばれ,中国は 世界の注目を集めている.
しかし,“Made in China”といってもそれは中国に進出した外国資本の製品であり,国 内の市場もその外国資本のブランドの寡占状態である.これまでの発展モデルの転換点に さしかかりつつある中国が経済発展を維持するためには,中国企業が技術を向上させなけ ればならない.
経済発展の源泉となる技術革新(イノベーション)をいかに生み出すか,イノベーショ ン政策の戦略的な展開が必要である.それは,技術革新というものが,単なる技術者や企 業だけでは形成できず,その国の独自なシステムが必要であることを意味する.そこで中 国は,政府の政策によって,企業の誘致あるいは研究機関との協力などを通じて,技術革 新の力を自国に導入し,積極的に国内のなかで技術開発能力を形成してきた1).
中国の近代化過程は外国からの先進技術の移転に直接関連してきた.つまり,中国の技 術発展も,主に外来技術の導入とその受容によるものであった.
経済発展モデルを変換しようとしている中国にとっても,技術移転によって競争力を高 めることは,経済発展にとって重要な課題の1つである.
中国は技術移転を他国と違うかたちで促した.筆者の研究課題は,独自の技術移転政策 の戦略的枠組みを歴史的に明らかにすることである.この課題に接近するため,まず建国 直後の計画経済期にさかのぼって,中国における技術移転政策の出発点を明らかにした.
そして改革・開放期の各段階において技術移転の主体・対象がいかに変遷して現在にい たったのかを,現実の経済状況をふまえた経済発展戦略にしたがって明らかにし,政府が 構築してきた政策の枠組みを考察した.
1) ハーバート大学の経済史学者デビット・ランデスは比較研究によって,新しい技術を発明し採用する 能力が各国の貧富の差をもたらしている最も主要な原因であることを発見した.明らかに,新しい技 術をできるだけ多く使用することは,イノベーションの成果を享受し,国の経済を振興させる重要な 手段である.だが,技術成果を産業分野に移転して応用を行うのは 1 つの複雑なシステム工学であり,
そこに内在する特殊な法則とメカニズムがある(張,2009,107ページ).
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本研究は,これまでのささやかな成果を集成・加筆し,上述の研究課題の解決をめざし たものである.その構成は,以下のとおりである2).
第 1 章では,技術移転についての理論的先行研究を整理し,本研究の分析視点を明確に する.
第 2 章では,計画経済期をソ連との関係と経済発展戦略に沿って時期区分し,改革・開 放前の計画経済期段階におけるソ連からの援助による技術移転の促進から,自力更生期で の技術移転の停滞にいたる経過を説明する.そこから,ソ連の援助によって構築された技 術移転政策を明らかにする.こうした歴史的検討から,①政府が意図的に選別した技術の 導入,②ハード技術とソフト技術の両立した導入,③技術の共有化,④重工業製品の生産 財の補足による工業基盤の形成,の 4 つの点を技術移転政策の原点と結論付け,さらにこ の段階の技術移転が改革・開放期における技術移転に与えた影響について明らかにする.
第 3 章では,1979 年からの改革・開放政策の展開による経済発展戦略と,それに伴う 中国への技術移転の形態の変化とその限界を体系的に明らかにする.すなわち,経済特区 から経済技術開発区,そして「三沿」開放都市,高新技術開発区という特定地域への外資 導入政策の変遷に伴い,技術移転の主体となる企業の形態も合作企業から合弁企業さらに は独資企業へと変化したこと,さらに移転の対象も機械・設備から管理ノウハウ,研究開 発技術と変化してきたことを明らかににする.さらにそれにしたがって中国の技術移転が 促進から停滞の局面にいたったことを示す.
第4章では,第2章と第3章をふまえて,中国国内外の経済環境の変化にしたがって新 たな経済発展戦略が模索される中で,技術移転の政策的枠組みも大きく転換したことを明 らかにする.近年の中国国内における技術移転に関する議論でさかんな技術移転市場につ いての研究は,中国国内の技術をうまく経済活動に転化しようとする研究であるといえ る.すなわち経済環境の変化に応じて,「自主創新」という科学研究政策が中国における 技術移転の政策的枠組みのなかで,ますます重要となっていることを表している.科学研 究政策が「自主創新」を旗印に戦略的に大転換したことによって,計画経済期以来これま
2) 第 2章:卫娣(2015)「中国における技術移転戦略—ソ連からの技術援助を中心に—」『経済学 論叢』(同志社大学経済学会)第67巻第1号,215−250ページ.
第 3章:卫娣(2014)「中国における外資導入政策と技術移転」『経済学論叢』(同志社大学経済学 会)第66巻第2号,223−254ページ.
第 4章:卫娣(2015)「中国における経済発展と技術移転政策の戦略的転換—新たな技術移転戦略 の構築—」『比較経営研究』(日本比較経営学会)第40号近刊.
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で技術移転政策の中心であった外資政策(あるいは対外政策)3)・地域政策・人材政策も 転換させたのである.中国が自主・自立的な技術力を持ち,経済の発展を支えるために新 たに構築しようとしている経済発展戦略における技術移転政策とは,科学研究政策・外資 政策・地域政策・人材政策の4つの政策から構築されると考えられるのである.
最後に,終章においては,以上のような考察からえられた手がかりをもとに,中国の経 済発展の持続可能性を目指す,技術移転政策の構築について筆者の展望を試み,まとめと する.
3) 計画経済期においてはソ連との外交関係が技術移転に大きな影響を与えたので,それを対外政策とし て取り扱う.改革・開放以後は,外資系企業を中心に技術移転について検討するので,外資政策とし て取り扱う.
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1 先行研究と本研究の分析視点
菰田(1982)によると,技術移転の本質とは「技術の秘匿と技術市場の競争という,対 立する2つの経済理論が作用し,拮抗するなかで進行するのであり,新しい技術は当初は 秘匿され独占されるが,一定の期間を経た後に技術市場が成立し,それが次第に競争的に なるプロセスを通して進行するのである」4).
中国における技術移転においても,決してこのような技術移転プロセスの本質自体が変 わるわけではない.
技術移転の際には,外資による市場の独占・寡占,あるいは技術の内部化という問題が ある.中国は,独自なやり方でこれらの問題をある程度抑えようとした.すなわち,中国 では,社会主義市場経済という体制のもとで,政府の経済に対する干渉と関与がより強い のである.
中国の経済発展は,政府が重要な制度的要因となって,後発性の優位を発揮したもので ある.どのような経済開発戦略や「適正技術」を選択するかによって,技術移転の効果は 大きく変わる.そのため,経済発展に必要な技術がいかなるものであり,いかにそれを移 転してくるかを,中国は政策によって決めようとしたのである.
このような分析視点を確認したうえで,技術移転政策の戦略的枠組みをどのように構築 したのかを考察するために,本章では,技術移転に関する先行研究を整理する.
1.1 技術移転に関する先行研究
1.1.1 開発経済における理論
中国は技術移転を行う際に,常に自国の経済発展を目的にしている.この目的を達成す るため,技術移転は政府の関与のもとで行われた.それによって,技術移転の効果が大き く左右された.このように国を技術移転の主体として扱うのは,開発経済の視点によるも のである.
開発経済における技術移転論は,後進国(技術の受入国)の立場を重視し,技術の適応 性から考えられた理論である.これらの理論的基礎を十分検討したうえで,中国が技術移
4) 菰田(1982)2ページ.
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転の際に,経済発展に必要な技術をいかに選択するのか,いかにそれを移転させるのか,
という分析視点を明確にする.
開発経済学を検討する際に,最初にあげられるのは,ロストウの経済発展段階説である.
ロストウ(Rostow)は近代の経済発展のプロセスを,①伝統社会,②離陸の先行条件期,
③離陸期(take off),④成熟期,⑤高度大衆消費社会,の5つの段階に分けた5). この段階論の中心になるのが「離陸」という概念である.「離陸」する先行条件として は,産業資本の形成と比較的高い投資率,産業基盤の形成,私有財産制度などの市場経済 制度の形成,主導的産業の発展がある6).以上の先行条件が備われるにつれ,衝撃7)をうけ,
経済は離陸する.離陸期において,経済は,衝撃に対する積極的・持続的自己強化反応す る.衝撃は,潜在的技術革新の流れを受け入れ,投資率の上昇を導く経済効果をもってい る8).
また,アメリカの経済史学者ガーシェンクロン(Gerschenkron)9)は,ソ連とドイツ,
イギリス,フランスの工業化過程の比較研究によって,経済の近代化のプロセスを農業経 済から工業経済への産業構造の転換として捉えた.この転換の過程で,後進国は先進国か ら容易に先進技術を導入し,生産技術を改善でき,工業製品を先進国市場に輸出すること が可能である.この後進国と先進国の間のギャップによって生じる優位性を,「後発性の 利益(advantage of backwardness)」と命名した10).
ガーシェンクロンの論議では,後発国の工業化には,4 つの特徴がみられると指摘され ている11).
第 1 に,遅れて工業化をスタートさせる国は,先発国の技術と資本が利用できるので,
先進国よりも工業化のスピードが速い.
第 2 に,後発国の産業構造は先発国に比べて早くから重化学工業化する.それは後発国 では工業に適した熟練労働者が不足しており,最新技術を輸入によって導入することが可 能になるからである.また先発国では旧来の工場を廃棄しにくく,一方で後発国は新たに
5) Rostow(1960)pp.17−35.
6) 稲葉(2013)237ページ.
7) 離陸の衝撃には,①政治的革命,②工学的技術革新,③有利な国際環境(資本輸入効果),④不利な 国際環境(輸入代替効果),の4つの型がある(後藤,1964,84ページ).
8) 後藤(1964)84ページ.
9) ガーシェンクロンは経済史家としてばかりではなく,ソ連経済の研究者として名を馳せた,ソ連が推進 した「社会主義工業化」政策を歴史的文脈の中で見事に把握していたと評価されている(斉藤,2008,
253ページ).
10) Gerschenkron(1962)pp.5−30.
11) 玉木(2005)85ページ.
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巨大な資本投資が可能なので,資本集約的で最新技術を持つ巨大設備産業が建設されるよ うになる.
第 3 に,重化学工業は大規模経営が求められるが,後発国では資本投入に応じて大企業 化が進みやすいので,独占やカルテルなども形成されやすい.
第 4 に,後発国では資本も企業者も不足している.しかも企業に対する不信があり,大 規模経営への要請が強い.したがって工業化の担い手である企業は,投資銀行や政府に よって「上から」形成されることになる.その際,重化学工業と大企業が重視される.
アムスデン(Amsden)は,この「後発性の利益」の命題を発展途上国が先進国にキャ チアップする要因の 1 つとして援用し,韓国の工業化プロセスを検証した12).さらに,末 廣は同様に,タイの工業化プロセスを検証した.13)
その後,社会科学の発達の影響を受けて社会学理論を取り入れ,ウェーバー(Weber)
は資本主義の近代化と宗教の論理の文化的背景を関連づけた14).すなわち,資本主義経済 体制の形成には,私有財産制度,自由競争市場などの基本構造以外に,「資本主義の精神」
15)を体現する企業家や労働者が不可欠である.
この理論に基づき,シュンペーター(Schumpeter)は,革新的な企業者の活動が経済 発展の原動力とした「創造的破壊」16)(Creative Deconstruction)の過程こそが資本主義 の本質的事実であると指摘した.
シュンペーターの思想の影響を受け,教え子だったソロー(Solow)が経済成長理論を モデル化したのが,内生的成長理論(endogenous growth theory)である.それは,新古 典派経済成長論の補強に使われる.
12) Amsden(1989).
13) 末廣(2000).
14) ウェーバー(1955)119−258ページ.
15) 労働は,「厳密な計数的打算の基盤の上にすべてを合理化しまた経済的成果を目標として計画的かつ 冷厳に整理していく」という資本主義的考え方(ウェーバー,1955,92ページ).
16) 「内外の新市場の開拓および手工場の店舗や工場から U.S.スティルのごとき企業にいたる組織上の発 展は,不断に古きものを破壊し新しきものを創造して,たえず内部から経済構造を革命化する産業上 の突然変異――生物学用語を用いることが許されるとすれば――の同じ過程を例証する.この過程は,
『創造的破壊』である」「厳密にいえば,これらの革命は不断に行なわれるものではない.それらは,
比較的平穏な期間の介在によって相互に分離された不連続的な突進として起こる.しかしつねに革命 があるか,もしくは革命の結果の吸収がある――これら2つのものが一緒になっていわゆる景気循環を 形成する――という意味では,全体としての過程は不断に動いているといえる.」(坪井,2010) .
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第 1 表 構造理論と従属論の比較
構造理論 従属論
理論のツール 資本制部門(限界性) マルクス主義的弁証法 貿易構造 二重構造(モノカルチャー) 周辺国が中核国への従属関係 問題提起 先進国への所得移転 低開発の発展
結論 保護主義(輸入代替工業化) デリンキング(自力更生)
出所)宮川(2012)7ページより作成.
以上のような近代化論は,経済発展のプロセスを内生的に体系化したものである.技術 移転の側面から考えると,市場の選択に任せれば,技術はいくらでも次第に移転され,経 済発展を促していく.
これらの内生的成長は別にして,国際機関によって先進国から発展途上国に対する技術 移転の重要性について問題が提起されるのは,1960年代になってからのことである.
1961年の第16回国連総会で,南北問題を解決するために1961年から1970年までを「国 連開発の十年」とする決議がなされた.そこで,先進国から発展途上国に対する技術移転 の重要性について問題が提起された.1964年のUNCTAD(国連貿易開発会議)の第1回会 議においても,技術移転に関する決議が行われた.これらの決議に基づき,1960年代の技 術移転に関しては,国連を中心に発展途上国への援助というかたちで議論されたが,具体 的な進展は見られなかった17).
1970年代には,国連で1971年から1980年までを「第二次国連開発の十年」とする決議 がなされた.そこでは,科学技術の重要性を認識した上で,技術移転が実行されはじめて いた18).
こうして国連をはじめとした国際機関は,技術移転に関する調査・研究や国際的な枠組 み作りに精力的に関与していった.
1975年に,UNCTADが発表した技術移転に関する報告書では,発展途上国の先進国へ の「技術依存性」について述べられている19).
技術依存に基づく理論としては次の2つがあげられる.それは,発展途上国の経済開発 政策における「構造主義」,および「従属論」の影響である(第1表).
「構造主義」は1940年代後半から1960年代前半にかけて支配的であった開発経済学の論 理である.それは,発展途上国の経済はモノカルチャー経済構造を持ち,先進国に一次製
17) 安藤(1989)3−4ページ.
18) 同上書,4ページ.
19) 同上書,4ページ.
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品を輸出し,先進国から経済発展に不可欠な工業製品を輸入するという構造的特徴を持つ
20).
しかしこのような貿易構造が長く続くと,途上国にとって不利である.発展途上国にお ける技術の進歩につれて,貿易条件が不利となり,発展途上国から先進国への所得移転が 生じるのである.
そこで,途上国経済の構造的弱点を克服するためには先進国からの工業製品の輸入を制 限して,自国内でこれら工業製品を保護育成することが必要で,「輸入代替工業化政策」
を実施すべきであると主張された21).
この構造上の欠点を克服するために,中国は外部からの援助・投資を導入する際に,政 府の計画に基づく,大規模な工業化戦略を採ったと考えられるのである.
「従属論」は,1970年代に,それまでの開発戦略が途上国の歴史的経験や経済の現状か ら乖離していることへの反省として出てきた理論である.それは,発展途上国(周辺国)
は先進国(中核国)との貿易関係を通じて非可逆的に搾取される立場であって,貿易から 得られる利益はいっさいなく,ますます貧困化が深化するとみる(「低開発の発展」)22). 発展途上国の経済は先進国に対する従属性を強く持つと主張したのである.特に,70年代 前半のラテンアメリカ諸国の外資政策には従属論の影響がうかがえる.そのため,周辺国 は中核国との関係を絶ってしまえ(デリンキング)と主張する23).
このデリンキングは毛沢東が提起した「自力更生」と同じ意味ととらえられる.それは,
ソ連の援助に依存して発展し始めた中国がソ連と従属関係にならないようにするためで あったと考えられるのである.
それらと同じく政府の市場介入が経済発展に一定の役割を果たしていると主張したのは,
「均衡発展理論」と「不均衡発展理論」である.
フィンランドの経済学者ネルクス(Nurkse)は,経済発展を促進するために,発展途上 国政府の介入によって,限られた生産要素を選別された産業に優先的に配分し発展させる ことを主張した.そして同時に,これらの産業に関連する産業も並行的に発展させる必要 があると主張した.この経済発展のアプローチは,「均衡発展理論」と呼ばれる24).
20) 稲葉(2013)241ページ.
21) Prebisch(2009)p.260.
22) 宮川(2012)4ページ.
23) 同上書,5ページ.
24) Nurkse(1973)pp.4−31.
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このような並行的発展は発展途上国に対して,非現実的で,実効性に乏しいと批判した の は , 「 不 均 衡 発 展 理 論 」 で あ る . ス ト リ ー ロ ン (Streton) や ヒ ル シ ュ マ ン
(Hirschman)などは,発展途上国の限られた資源,人材,資本を主導的産業(産業波及 効果が強い,関連効果が高い産業)に集中して投資することが最適であると主張する25). さらに,シューマッハー(Schumacher)をはじめとした経済学者たちは,発展途上国 の状況に適した技術,いわゆる「中間技術」と呼ばれる技術の移転が必要であると主張し た.
つまり,技術を移転する際に,現地のマクロ環境,労働者の素質,インフラの整備など 様々な要因が,技術移転を阻害する可能性がある.技術を定着させるため,単に先進・先 端の技術を望むのではなく,現地の状況に合わせた技術を移転した方が望ましいという理 論的な考え方である.
シューマッハーの中間技術論は,雇用の創出を優先する技術の移転を強調している.す なわち,技術の適応性も考えたうえで,先端的技術より,比較的容易に導入できるコスト の低い技術を移転するほうが,短時間に多くの雇用が創出でき,後進国に対して受入れや すいというのである26).
この中間技術論の批判27)から,次に適正技術論という考え方が現れた.国連工業開発機 関(UNIDO)は,比較的低コストで,先端技術と伝統技術の有機的組み合わせによって,
生産性が増大するような技術を適正技術とした.また,OECDの適正技術論は,先進国の 先進技術を最大限に利用し,市場にも対応しうるような技術の移転を主張する28).
1.1.2 国際貿易および直接投資における技術移転論
現在,国境を越えた資本や労働力の移動は世界貿易や投資を活発化させている.そして 企業の海外直接投資が経済のグローバル化の中心になっている.直接投資の 1 つの重要な
25) Streton(1959)pp.167−190.Hirschman(1958)pp.50−75.
26) シューマッハー(1973)236−238ページ.
27) ①最新のものではなく,わざわざ中間技術を学ぶのには抵抗がある.②中間技術を利用するプラント
は,雇用増大には役立つかもしれないが,製品の品質低下やメンテナンス・コストが高くついて最 終コストは結局高くなる.③最新技術は労働を単純作業化しているが,中間技術はむしろ労働者に 高い技能を要求する場合が少なくない.④中間技術の生産性は低い,などの批判が挙げられている.
(斎藤優,1979,469−470ページ).
28) 綾部(2006)206ページ.
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側面は,受入れ国側に様々な経済効果を及ばすということである.そのなかでも技術移転 の効果が大きい.
そのため,ここでは国際貿易および直接投資に関する技術移転論を整理することによっ て,先進国の立場から外資系企業を主体とした技術移転が行われる要因を明らかにする.
それによって,技術を提供する側の需要が把握でき,中国が技術移転の際の障害を抑える ことができると考えるからである.
技術移転を行う前提条件としては,技術のギャップが存在することである.アメリカの 学者のポズナー(Posner)は,リカードの比較優位の視点から,技術ギャップが国際貿易 を行う要因として解釈した29).ポズナーの技術格差論では,技術に比較優位を持つ国(イ ノベーション国)は,技術集約型製品をイミテーション国(比較優位を持たない国)に輸 出し,国際貿易を行う.国際貿易の拡大にしたがって,さらに利潤を追求するため,イノ ベーション国は多様なルートを通じて,イミテーション国への技術移転を行う.イミテー ション国は,移転した技術に基づき,模倣を行い,低い労働コストの優位性・独自の生産 などによって代替製品を生産できる.こうして次第に,技術ギャップが失われ,国際貿易 は中止される.
アメリカの政治経済学者バーノン(Vernon)が唱えた個別商品にかかわる動態的国際分 業理論が,プロダクト・サイクル論である30).それは,生産技術の優位性と市場ニーズに 基づいた合理的な生産拠点の立地を取り扱う仮説である.①新製品新製品が投入された初 期の導入段階において,新たな市場を開拓しながら,技術的な改良が加えられていく.こ の段階では先進国での立地が合理的である.それは,先進国には技術と洗練された消費者 が存在しており,この両者の間のコミュニケーションが円滑な地域の方が製品の開発・生 産・販売に有利である.まだ目立った売上増は示さず,価格も不安定な場合が多い.②製 品の売上が急激な増加傾向を示すと,このサイクルは成長期に入る.生産技術の蓄積と世 界市場の拡大によって,多くの企業が参入することができるようになり,生産技術が安定 することで大量生産が行われる.また,競合他社が当該市場に参入することで競争が激化 し,価格は低下する.次第に,生産拠点が他の先進国にも配置されるようになる.③さら に成熟期に入ると,同一市場における販売量は安定し,競争力を失った企業は淘汰される.
29) Posner.M(1961)pp.323−341.
30) Vernon(1966)pp.190−207.
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同時に製品設計と生産工程の標準化が進むようになると,一層のコスト削減のために投入 資源の安い国での生産が有利になり,後発国へと生産技術および設備は移転される31).
このように,新製品は導入期から成長期,成熟期,そして衰退期へと S 字曲線を描きな がら,必要な生産拠点数とその理想的な立地は技術と市場の状況に応じて変化する(第 1 図).
こうした,先進国の製品開発より始まったプロダクト・サイクル論に対して,後進国の 製品輸入から捉えた理論が,雁行形態論である.
雁行形態論の国際伝播プロセス(第 2 図)は,「あたかも天気図における温暖前線と同 じ様に,産業別には左から右へ水平的に,地域的(相手国別)には下から上へ垂直的に,
日本の雁行型産業発展が,東アジア地域に,over-time に伝播・拡延していったことを示 している」32).
これらの理論に基づき,クルーグマンは技術と貿易との関係を示す単純なモデルを展開 し,国際貿易の技術格差モデルを提起した.そこでは 2 つのケースに分けて議論している.
先進国の技術進歩によって後進国との技術ギャップを拡大する場合には,より大きな貿易 機会が創出されるため,両国における実質所得は上昇する.これに対して,後進国の技術 進歩によって先進国との技術ギャップが縮小する場合には,先進国の輸出との競争を生み 出すことになり,先進国に打撃を与える傾向がある.このように先進国の実質所得はその 優位の差をどれだけ維持できるかに依存することになる.したがって,これが技術保護主 義の経済学的論拠になる33).
第 1 図 プロダクト・サイクルの概念図 第 2 図 直接投資前線の拡延 出所)高中(2001)110ページ. 出所)小島(2004)214ページ.
31) 金間(2009)とHiguchi & Troutt(2008)を参照.
32) 小島(2004)214ページ.
33) クルーグマン(2001)190−191ページ.
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この技術保護主義は,先進国の優位性を保つためである.これと同じ目的で,先進国企 業の利益を最大化するために,多国籍企業の行動を考察するものとして,以下の理論があ る.
ハイマー(Hymer)は,国際的な資本移動をポートフォリオ投資と直接投資に分類し,
多国籍企業の行動を輸出,ライセンシング,海外直接投資の3つに分けている.
輸出は,企業が何らかの優位性を所有している場合に行う.したがって,輸出先国の企 業との競争を生む.この競争を回避する場合に,または,コスト要件などの変化によって 輸出先国での生産が本国での生産よりも優位になった際に,企業は輸出から海外直接投資 に転換する34).
ライセンシングにおいては,ライセンスに対する認識のギャップが存在しており,市場 の機能が発揮できないため,取引価格や数を調節することが困難である.ライセンスを提 供する企業に十分な利益を獲得できない.したがって,企業はライセンシングよりも海外 直接投資を選択することになる35).
海外直接投資を誘発する理由について,ハイマーは 2 つの命題によって解釈している.
1 つは,「優位性」命題である.技術ギャップが存在したうえで,投資先国市場において 投資先国企業のほうが優位な状況にある場合には,企業は利益を確保するため,海外直接 投資によって競争を排除する.もう 1 つは,「市場の不完全性」命題である.市場の不完 全性によって,企業が所有する優位性の取引は困難である.また,企業の優位性によって,
市場に対する独占あるいは寡占的支配力がある.したがって,企業が優位性から生じる利 益を占有する行動とは,海外直接投資である36).
ハイマー理論に基づき,企業内技術移転(いわゆる内部化)が選好される理由にいて整 理したのが,バックレイ=カソン(Buckley & Casson)である.バックレイ=カソンの内 部化論では,内部化の理由として次の5つを取り上げた37).
① 業内技術移転であれば技術の独占にもとづく差別的な製品価格の設定が可能とな る.
② 技術が競争企業に移転し,競争力を失うことを防止する.
③ R&D プロジェクトは長期的なものであり,内部化によって,一体化された企業の
資源を最大に活用でき,各部門間の長期的な協力もできる.
34) Hymer(1976)p.81.
35) 同上書,pp.49−51.
36) Hymer(1976)p.25,p.41,山口(1999)34−35ページ,高中(2001)54−56ページを参照.
37) Buckley & Casson(1976)pp.36−39.
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④ 企業間の技術移転においてはしばしば適正な技術料の決定が困難である.
⑤ 技術優位を持つ企業による直接投資の方式によって,進出国の政策関与の影響を減 らせる.
ダニング(Dunning)は,企業が海外直接投資を行う際の条件として重視されてきた諸 理論を,折衷理論としてまとめている38).①所有の優位性(Ownership advantages),
② 内 部 化 の 優 位 性 (Internalization advantages) , ③ 立 地 の 優 位 性 (Location
advantages)である. 特に,内部の優位性を保つためには,企業は保有する技術を他企
業に譲渡しないで,自社グループ内での占有を選好し内部化することを選択する.
また,ダニングは,企業特殊優位性の創出・支持する国家特殊特性(country specific characteristics)の存在を指摘し,国家特殊特性があれば,企業はそれぞれの特性に対応 している企業優位性を創出することができ,また立地要因と国家特殊特性にも同様の因果 関係が成立すると指摘している39).
一方,企業が資本関係を持たない外国企業に対して,市場を介して技術を移転しようと する場合,適切な契約相手を探し,契約を作成・締結し,契約条件が遵守されているかを 監視するといった一連のプロセスが必要となる.それは技術輸出企業にとって高い取引費 用を形成する.
近年の「ICT(情報通信技術)革命」によって,技術移転において新たな展開がみられ るようになった.関下は,技術支配の仕組みを戦略として,中核(コア)技術の「秘匿」
によって独占・寡占 (市場支配) する一方,一般化した技術を商品化(コモディティ 化)して,販売・貸与する「伝播」(R&F40)の獲得)になったと主張した41).
1.1.3 中国の技術移転に関する研究
上述した一般論に対して,中国の技術移転に関しても,多くの研究がなされてきた.し かし,改革・開放以後の外資導入による技術移転の研究が中心となっている.
その多くは,個別的,つまり改革・開放期における産業別の研究である.たとえば,郝
(1999),丸山(2001),韓(2003),範(2004),陳(2010),藤本(2011),丸川
(2013),渡辺(2013)などがあげられる.それらは,テレビ産業・自動車産業・一般機
38) Dunning(1979)pp.269−295.
39) 高中(2001)92ページ.
40) R&Fとは,技術特許料収入(ロイヤルテーズ&ライセンスフィーズ)のことである.
41) 関下(2011)1ページ.
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械工業・電子産業・家電製品・人工皮革・携帯電話・冷蔵庫などの個別産業に対する研究 である.
また,上野(1993),中国総合研究センター(2001)などは,計画経済期と改革・開放 後の社会主義市場経済期を分けて,各時期の技術移転の状況または特徴をまとめた研究で ある(第 2 表).山極・毛利(1987),瀋(2002,2003,2010),張など(2005)は,
中ソ間技術移転についての研究である.これらの研究は,政治的視点からの史料的研究で あり,本研究にとっては,史料として貴重な先行研究である.
民間レベルでの技術交流・協力も経済発展に不可欠な役割を果たしている.このような 民間の技術交流・協力については,明(2013),岡田(2015),丸川(2015)などの研 究によって検証されている.しかし,本研究は,政策を主因にして,中国における技術移 転を考察するものである.すなわち,これら民間レベルでの技術交流・協力の役割を認識 したうえで,政府の戦略や指導による国家レベルの技術移転政策について研究しようとす るものなのである.
本研究の視点の 1 つである計画経済期から次段階への影響についての研究は,林
(1997),中兼(2012)があげられる.それは,計画経済体制に内在するロジックから中 国の経済改革について検討した研究である.宮下・上野(1995),八塚(2014)などは,
計画経済期の政策・方針の対外開放政策への影響についての研究である.このような政治 的検討は,本研究において政策的主因を強調する根拠となっている.
1.2 技術移転論をふまえた本研究の分析視点
中国の経済発展の過程は,簡単にいうと,計画経済から次第に市場を導入していった過 程といえるであろう.この過程のなかで,技術移転については,活発に行う時期と停滞し ていく時期の2つの状況が交互に訪れていると考えられる.
第 2 表 中国における技術移転の歴史的変遷
年代 段階 備考
改 革 ・ 開放前
1950−1959 旧ソ連からの技術移転(導入) 国家間の技術移転
1960−1969 自主改良による国内移転 国産化による改良
1970−1977 西欧や日本からの技術移転(導入) 導入範囲の拡大
改 革 ・ 開放後
1978−1984 発想の転換と技術市場の胎動 技術は商品である
1985−1996 市場の発展と企業の台頭 産官学の連携推進
1997−現在 体系的な技術移転の成熟へ 国際的技術輸出も
出所)中国総合研究センター(2001)17ページ.
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近代化論的には,市場の開放を条件にしたうえで,市場に任せれば,技術のギャップに よって次第に技術は移転され,経済成長を促すという考え方が一般的である.
しかし,計画経済から次第に市場経済化してく過程では,技術移転は自動的に進むので はなく,中国内部の政治的な影響を受け,非常に積極的になされる時期とそうではない時 期があるのである(第3図).
いったいどのような要因によって,技術移転が活発に行われ,なぜそれが逆転してしま うのか.計画経済期を経て市場を導入するにつれて,技術移転はどのように意識されたの か.政府の戦略のなかで,技術移転どうのように取り込むのか.それらによって,経済発 展にどの影響をあたえるのか.
本研究は,これらのように近代化論的な単純な市場経済を導入すれば済むとはいえない 問題を,明らかにすることを目指す.
そこで,本研究はこれまでの理論的サーベイをふまえて第3図のように展開される.
まず,建国後計画経済体制のもとで,ソ連の援助によって技術が移転された時期である.
中ソの友好関係によって,中国は積極的にソ連に技術移転を要求し,技術移転がうまく進 んだ時期である.しかし,大躍進後の自力更生期には中ソは国交を断絶し,ソ連からの技 術移転も中止された.さらに,文化大革命によってほぼ鎖国の状態となり中国の技術移転 は滞った.そこで,中国政府は「自力更生」という,外国に頼らず,自国の力で発展する 政策を採用した.しかし,急に自力で技術を発展させようとしても,技術基盤が不十分で あった中国では,それはかなり困難であった(軍事技術を除く).
第3図 本研究の論理展開 出所)筆者作成.
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その後,政治的,経済的環境の変化を受け,1970年末から外資の導入によって技術移転 を進める改革・開放期に入った.しかし,WTO加盟後,外資に対する制限が緩和されると,
独資企業(100%外資の企業)の台頭によって,技術が秘匿される傾向が強まり,中国企 業への技術移転は再び落ち込んだ.そのため,現在中国政府は「自主創新」という独創的 な技術による技術革新(自主イノベーション)を推進しているのである.
第 2 章は,計画経済期の中国における技術移転政策の展開を,ソ連との関係と経済発展 戦略の変化に沿って時期を区分してまとめたものである.中ソ両国間の技術移転はすべて 政府の関与のもとで行われた.
中国がソ連の技術援助に基づいて技術移転をした最大の目的は,自国の経済開発である
42).また,この中ソ間の技術移転は国レベルでのものである.ここではまず開発経済の理 論を中心に,第2章の分析視点を明確にする.
林(2012)によると,「建国後の中国は,資本,外貨,原材料,技術者(人的資本)な ど生産要素の供給が不足している.限られた生産要素が優先的に発展しようとする産業に 投入されることを保証するために,政府は市場の力を利用することはできない.このよう な状況のもとで,各産業,そして,各産業内における各プロジェクトに優先順位をつける 国家計画が必要となる.計画をサポートするために,政府は乏しい生産要素を行政的手段 で割り当てなければない」43) と述べている.このような指摘からは,計画経済期の中国 は,「不均衡発展理論」による経済発展を促進してきたということができよう.
このような発展方式は,中兼(2012)が述べたように,「1949年以後の各種の社会主義 的制度は決して漸次的に,技術や制度の経路依存性によって生まれたわけではなく,共産 党政権がソ連を模倣して,国家計画委員会制度(ソ連のゴスプラン)をはじめ,社会主義 経済(計画経済)の制度一式をほぼそっくり1952年から中国に導入したのである」44).つ まり,ソ連の方式をそのまま模倣することによって,発展したといえよう.そのため,ソ 連の発展方式をある程度理解する必要がある.そこでとりあげるべき理論は,ガーシェン クロンの「後発性の利益」という命題である.
42) 「中ソ友好同盟相互援助条約」第五条(日本国際問題研究所・中国部会編,1969,55ページ).
43) 林(2012)68ページ.
44) 中兼(2012)31ページ.
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ガーシェンクロンが強調したのは,「後発性の利益」を利用し,単なる先進国から借用 できる「技術革新の備蓄」の役割だけではなく,後発国が制度を活用し,キャッチアップ しようとしたことである45).
建国したばかりの中国は,ソ連の発展方式を模倣し,重工業優先発展方式を採用し,ソ 連の技術を積極的に受け入れた.ソ連と同様に,国家が重要な制度的要因となって,後発 性の優位を発揮しようとしたのである.
玉木(2005)によると,ソ連が「上から」の工業化をするためには,非常に強力なリー ダーシップを発揮する人物が必要であった46). つまり,ガーシェンクロンは後発国が工業 化を推進する際,国家的な指導者の存在の必要性を強く主張しているのである.この主張 は,当時の中国だけではなく,現在の中国にもあてはまる.
張など(2005)47)は中兼がいう模倣と導入の流れを整理した.そこで事例別に,ソ連か らの援助による工業化基盤と工業体系の形成,科学研究の発展を検証している.さらに,
ソ連から中国への技術移転はプロダクト・サイクル論や雁行形態論のように進行したので はなく,後進技術から先端技術まで,一括して移転したと主張している.
Nicholas R.Lardy はソ連からの技術移転を評価して次のように述べている.「Its
effort to transfer design capability has been characterized as unprecedented in the history of the transfer of technology(設計能力を移転する努力は,技術移転の歴史上前 例のないことである)」48).この設計能力は,現在の中国にとって最も不足している部分 である.
そのため,第 2 章では,開発経済論に関する先行研究をふまえて,改革・開放前の中国 における技術移転が,いったいどのような枠組みによってもたらされたのか,を考察す る.
このように,改革・開放後の技術移転政策の展開に加えて,ソ連からの技術移転という 歴史的検討をすることによって,なぜ現在設計能力が不足しているのかを明らかにし,改 革・開放後の技術移転政策を展望する足がかりが得られると考えている.
第 3 章では,外資導入政策とそれに伴う技術移転を中心に論じるため,国際貿易および 直接投資に関する先行研究に基づき考察する.
45) 中兼(2012)28ページ.
46) 玉木(2005)95ページ.
47) 張,姚,張,蔣(2005)401−402ページ.
48) Lardy(1987)p.178.
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第 3 表 本研究における技術移転の対象
技術のタイプ 技術の内容 中国における技術 移転の対象 製品技術
Products technology
製品の性能(容量,熱消費量,効率 など),機能(構造,強度)を作り 出す設計・開発技術(R&D)
R&D
生産技術
Production technology
設計図や製造指示書に従い製品を作 り出す加工・組立技術,もしくはオ ペレーション技術(装置産業)
加工・組立技術
製造技術
Production management know-how
製品を作り出すための生産設備,原 材料,部品,ひと(生産労働者),
情報の組み合わせを考える,職場で の生産管理技術
管理ノウハウ
出所)末廣(2000)228ページより作成.
国際貿易および直接投資に関する理論は,すべて市場経済体制のもとで,利潤最大化を 追求する企業の行動に関する研究である.それに対して,「社会主義市場経済」という体 制を標榜する中国では,経済活動が政府の強い影響を受けている.政府が重要な制度的要 因となって,後発性の優位を発揮したと考える.
つまり,中国のような体制のもとでは,政府の経済に対する干渉と関与がより強いので,
技術移転政策の戦略的枠組みをどのように構築するのかによって,現実の技術移転は大き く左右されることになるのである.すなわち,ガーシェンクロンの「後発性の利益」を利 用して,中国は,単なる先進国から借用できる「技術革新の備蓄」の役割だけではなく,
制度を活用し,キャッチアップしようとしたというべきである49).
どのような経済開発戦略や「適正技術」を選択するかによって,技術移転の効果が大き く変わると考えられる.そのため,直接投資を通じた技術移転によって移転される「技 術」も,政策によって定められてきたといえるのである.
そこで,以上で整理した適正技術論をより深く理解することによって,中国が技術移 転の際に,対象となる技術をどのように選別したかを把握できるであろう.これによって,
中国が単に適正技術を受け入れてきたのではなく,政策によって自ら必要となる技術の移 転を求め,導入してきたことが示されるであろう.だからこそ,一定の経済成長が見られ たのである.
本研究では,中国における技術移転を求める対象は,末廣の分類に基づいて分析する.
末 廣 の 分 類 によ る と ,技 術 は 「 製 品技 術 (Products technology)」 と「 生 産 技 術
49) 中兼(2012)28ページ.
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(Production technology)」と「製造技術(Production management know - how)」の 3つに分けている(第3表)50).
この分類を使って,中国における「適正技術」あるいは中国が求める技術を最も適切に 説明できると考える.
以上をふまえて,第3章では,外資導入政策の変遷に伴う技術移転政策の変遷を分析す る.すなわち,外資導入政策の展開を試験段階,沿海地域開放段階,全方位開放段階,移 行段階の4つに分けて,各段階の中心となる政策にしたがって,技術移転の主体となる企 業形態が変化していくこと,そして,各段階において求められた「技術」も変化していっ たことを検証していく.
さらに,WTO加盟によって,独資企業が抬頭するにしたがって,内部化問題が深刻に なった. 国際貿易および直接投資の理論によると,外資企業における技術の秘匿傾向に よって,市場独占・寡占に至り,技術移転は阻害されると考えられるのである.
中国の現状から見ると,知的財産保護の不完備や,技術移転の潜在リスクが存在してお り,企業は利潤の最大化を追求するために,さらに内部化が進むとも考えられる.これら の理論を整理することによって,技術を移転する際,多国籍企業がいったい何を求めてい るか把握することができ,中国が正確な政策と移転方式を選択するにあたって,重要であ ると考えられる.
これらの理論を理解したうえで,第4章では,外資企業が技術を秘匿する問題を解決す るために,中国に技術の研究・開発の能力を移転しようとした中国政府が構築した新たな 技術移転政策の戦略的枠組みについて考察する.
50) 「製品技術」とは,商品化にあたって容量や熱消費量で示される製品の性能と,構造や強度などで示 される製品の機能の 2つを商品化するための設計並びに開発技術をさす.「生産技術」とは,設計図 や作業(製造)指図書にしたがって特定の製品をつくりだす組立て加工技術や操作技術(オペレー ション技術)を指す.そして,「製造技術」とは,設備機械を直接扱う技術ではなく,製品の品質や 生産の効率性を向上させるために,生産設備,部品,補助具,原材料と労働者・技能者の間の組み合 わせを工夫したり,生産の手順・段取りを改善したりするノウハウをさす.いわゆる職場での生産管 理技術がこれに該当する(末廣,2000,227−228ページ).
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2 中国における技術移転政策の原点
―ソ連からの技術援助を中心に―
中国の近代化過程は外国からの先進技術の移転に直接関連してきた.つまり,中国の近 現代技術の発展は,主に外来技術の導入とその受容によるものであった.
近代中国における技術移転は主に 4 つの段階に分けられる(第 4 図).1860 年代の
「中体西用」をスローガンにした「洋務運動」以来,軍事力の強化,工業化の実現のため,
中国は外国から技術を導入し始めた.国民党政権の中華民国政府も,1930年代に「外資を 利用した工業化政策」を立案し,欧米諸国から技術を導入した.そして,中華人民共和国 成立後,中国政府も1950年代から60年代にかけて社会主義陣営の助け合いというソ連の 援助(主に有償)によって,技術移転を活発に行った.最後に,1970年代末からの改革・
開放によって,政府は外資の導入とともに技術移転を求めた.
戦前の民国時代から,中国は積極的に先進国から新しい技術を受け入れてきた.中華人 民共和国の成立まで,政権の不安定性や戦争など様々な要因によって,中国における技術 移転はうまく進展しなかった51). したがって,本研究では,中華人民共和国成立以後を対 象として考察する.
第 4 図 近代中国技術移転の段階 出所)筆者作成.
51) Rawki (1988)は,民国時代に中国経済を牽引したのは,決して外国資本ではなく,国内の民族資本
だったと述べている.
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本章では,計画経済期をソ連との関係と経済発展戦略に沿って時期区分し,改革・開放 前の計画経済期段階におけるソ連からの援助による技術移転の促進から,自力更生期にお ける技術移転の停滞にいたる経過を明らかにする.
その際,鉄山鋼鉄所を事例としてとりあげる.なせなら,鋼鉄の生産は,生産量を経済 成長の尺度と考えられており,重工業優先発展戦略によって経済を回復しようとした中国 にとって,不可欠な生産財であったからである.そのため,ここでは中ソ技術移転の重点 である国家「156 重点プロジェクト」においても,投資額がもっとも多く,建設期間が もっとも長いプロジェクトである鞍山鋼鉄所を例として,中ソ間の技術移転の方式につい て検討する.
さらに,計画経済期の技術移転が改革・開放期における技術移転に与えた影響について 明らかにする.
このように技術移転政策を歴史的に検討することによって,今日停滞している中国にお ける技術移転の今後を展望する足掛かりとなろう.
2.1 中ソ間技術移転の背景
建国したばかりの中国はソ連からの技術移転援助に依拠した技術移転政策を構築した.
その要因としては,まず工業水準の低さがあげられる.
社会主義革命が起こる前の中国では,近代的な工業生産額は工農業生産総額の 12.3%し か占めておらず52),社会主義諸国の中でも最も低い国であった53).それでも,日本の植民 地であった東北地域には重工業の基礎が形成され,東南沿海部には民族資本中心の繊維産 業が発達していた.
国民党政権期の工業生産において,国民政府が経営する企業が占める割合は,石炭,石 油,電力,鉄鋼,セメント,硫酸がそれぞれ 80%,100%,78%,98%,67%,80%で あった54).
戦争により中国の主な工業生産力は破壊されていた.電力は50%,鉄鋼は90%,東北に 集中していた工業も 50%~70%が破壊された.工業施設の不完備や,物流調達ができない
52) 中国社会科学中央档案館編(1990a)63−64ページ.
53) 社会主義革命の前のソ連,ハンガリー,ルーマニア,ブルガリア,中国の工農業生産総額における工 業生産額の割合は,それぞれ42.1%,38% ,30% ,20% ,12.3%である.
54) 陳,姚(1957)1445−1446ページ.
22
などの問題によって,残された工業の設備の利用率も45%しかなかった55). 工業製品の産 出量は,アメリカとの差の大きさはもとより,インドに対しても相当な差があった(第 4 表).
第 4 表 1949年主要な工業製品の産出量(中米印の比較)
製品名 単位
中国 アメリカ インド
産出量 産出量 対中国比 産出量 対中国比
原炭 億トン 0.32 4.36 13.63 0.32 1
原油 万トン 12 24892 2074.33 25 2.08
発電量 億キロワット 43 3451 80.26 49 1.14
鋼 万トン 15.8 7074 447.73 137 8.67
銑鉄 万トン 25 4982 199.28 164 6.56
セメント 万トン 66 3594 54.45 214 3.24
硫酸 万トン 4 1037 259.25 10 2.5
紗 万トン 32.7 171 5.23 62 1.9
布 億メートル 18.9 76.8 4.05 34.6 1.83
塩 万トン 299 1413 4.73 202 0.68
砂糖 万トン 20 199 9.95 118 5.9
出所) 張,姚,張,蔣(2004)30ページより作成.
55) 中国社会科学中央档案館編(1990a)40,65ページ.
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戦後の中国は,工業レベルがかなり低く,国民経済のなかで農業のほうが重要な位置を 占めていた.国民総生産のうち,工業生産はわずか 1/5 しか占めていなかった.そして,
その多くは伝統的手工業産品であり,90%以上が労働力依存の伝統技術を用いていた.
当時の中国にとって,経済を回復し重工業の発展によって軍事力を強化するためには,
外部からの技術移転が急務であった.
しかし,冷戦という国際環境によって,社会主義諸国と資本主義諸国は対立関係にあっ た.特に朝鮮戦争の勃発以後,対中国輸出統制委員会(CHINCOM)によって,対中輸出 禁止リストが形成された.つまり,先進技術を持つアメリカをはじめとする欧米諸国から の導入には期待できなかった.中国には,ソ連をはじめとした社会主義諸国から先進技術 を導入する選択肢しかなかったのである.
政府の計画によって,限られた生産要素を優先的に重工業に投入する.すなわち,消費 財をまず優先発展させて輸出し,その代わりに,海外から生産材を輸入するという比較優 位原則が働かない環境で行われたソ連の重工業化モデルを導入することは,中国にとって ふさわしかったである56).
それでは,なぜソ連は中国に援助を提供したのだろうか,以下 3 つの要因があげられる
57).
①社会主義陣営の助け合い.アメリカをはじめとした資本主義陣営に対抗するために,
アジアでもっとも重要な国である中国を確保しなければならない.
②戦争の回避.中国の朝鮮戦争への参戦によって,ソ連は参戦を回避できる.そのた め,ソ連は,主戦力になった中国に必要となる軍需産業に関連する技術援助を提供した.
③資源の獲得.1950年に,中ソ両国は,中国の新疆において中ソ非鉄金属合弁公司と中 ソ石油合弁公司を設立する協定を締結した.それによって,中国は資源を採掘する能力を 習得した一方,ソ連は自国に必要な資源を低コストで獲得することもできた.
このような背景によってソ連から中国への技術移転がすすめられたのである.以下では その展開を検証していく.
56) 中兼(2012 )57ページ.
57) 瀋(2003)を参照.
24
2.2 経済回復期 (1950〜1952年)
建国したばかりの中国は,近代経済を管理する経験もなく,技術レベルも低かった.自 国の経済を回復するためには,ソ連からの援助に頼るしかなかった.
中国の政治的指導者はソ連への「一辺倒」を選択し58),ソ連大使ローシン(Николай Васильевич Рощин)を通じて自国の困難な状況をソ連に伝えた.その後,毛沢東と周恩 来がソ連に2ヵ月間訪問する際に,ソ連との『中ソ友好同盟互助条約』を締結した.
中国の経済回復と朝鮮戦争はほぼ同時に進行した.中ソ間は軍事と外交の協力だけでな く,経済面もお互いに協力し,援助は順調に進んだ.この時期,ソ連の対中援助は重点プ ロジェクトの建設,補償貿易59)の展開,技術資料の提供,ソ連技術者の派遣などがあっ た.
経済回復期における中国の工業化でもっとも重要なものは,「156 国家重点プロジェク ト」60)のうちの初期の50項目(実質47項目61))である.それは1950年2月に中ソ政府 会談によって,戦争または中国の生産回復に必要となる軍需産業と重工業について,合意 したものである.この合意にしたがって,ソ連政府は中国が要求した石炭,電力,鉄鋼,
化学,機械,軍事工業などの 47 の国家重点プロジェクトを援助した(第 5 表).そのう ちエネルギー関係は21項目で,全体の44.7%を占めた.非軍事工業は40項目で,全体の 85.1%を占めた.つまり,中国はエネルギー部門を中心とした民生部門の回復を重視し た.一部の項目は一期,二期というように段階を分けて建設した.1953年に完成した項目 は,撫順発電所(一期),阜新発電所(一期),西安発電所(一期),鄭州発電所,ウル ムチ発電所,豊満水力発電所(一,二期),重慶発電所,瀋陽工作機械工場の 8 項目であ る.80%以上進展したのは,鞍山鉄鋼所(旧昭和製鉄所),撫順アルミ工場(一期),ハ
58) 『人民日報』(1949 年 7 月 1 日付)掲載の毛沢東の『論人民民主専政』で,中国共産党はソ連への
「一辺倒」を明確に表明した.「一辺倒は,孫文の四十年の経験と共産党二十八年の経験がわれわれ に教えるところであり,勝利に到着し勝利をかためようとすれば,どうしても一辺倒でなければなら ないことをふかくしったのである.四十年間と二十八年間の経験からして,中国人は帝国主義一辺倒 か,あるいは社会主義一辺倒かのどちらかであり,ぜったいに例外はないのである.騎墻(中立の立 場)は通用せず,第三の道はない.我々はソ連をはじめとした反帝国主義戦線の一方に所属してい る,真の友情の援助はこの一方から見つけるしかできない……」(浅川ほか,1973,322ページ).
59) 外国側が機械設備を提供し,中国側は製品を製造する.その機械設備の輸入代金は,製造した製品で 支払うという貿易方式が,補償貿易である.
60) 実際に実施された数は150項目である.
61) 実施中さまざまな状況によって,これらのプロジェクトのうち,1 つを取り消し,2 つを他と合併さ せたので,実質は47項目しか実行していなかった.