2 中国における技術移転政策の原点―ソ連からの技術援助を中心に― 0
2.6 技術移転政策の原点としてのソ連からの技術移転
以上のように 1950 年代には,中ソ両国の協定によって,ソ連から 304 の機械・設備と 64 のプラントが中国に提供された.総価値はおよそ 73 億元であった.また,中ソ技術科 学委員会は技術資料の交換に関する規定にしたがって,ソ連の6563件と中国の1238件の 技術資料を交換した.さらに,ソ連は1万人以上の技術専門家・顧問を派遣し,約2万人 の中国人技術者・留学生を受け入れた.これらの技術移転によって,中国の技術力,工業 生産力は大幅に上昇した.
中ソ友好期であった経済回復期・第一次五ヵ年計画期における中国は,国内外の環境に 応じて,ソ連への「一辺倒」を選択し,資金・資源を集中させ,重点を置いた産業・地域 から発展するという重工業優先発展戦略を導入した.これによって,積極的にソ連の発展 モデルを学び,ソ連の技術を導入した.中ソ両国は,中国の発展の需要に応じて,まず
『中ソ友好同盟互助条約』をはじめとした一連の条約・協定を締結した.これらにした がって,ソ連は主に工業プロジェクトの建設に関する設備・プラントなどを中国に供与し た.また,中ソ科学技術委員会を中心に,技術資料の提供と交換を頻繁に行った.さら に,ソ連から派遣された技術専門家・顧問の指導とソ連で受けた技術訓練や教育によっ て,中国の技術者達は,工業生産に必要な経験知を習得できた.
事例としてあげた鞍山鋼鉄所のように,ソ連は中国と協定を結んだ上で,機械・設備・
プラントなどハード技術から,技術資料,技術者の養成,管理制度などソフト技術までを 中国へ移転した.つまり,①政府が意図的に選別した技術の導入,②ハード技術とソフト 技術の両立した導入,③技術の共有化,④重工業製品の生産財の補足による,工業基盤の 形成,この 4 つの点が,ソ連からの技術援助に依存した中国最初の技術移転政策であった
(第 8 図).
要するに,この時期の中国は政治的指導と経済発展の方向が一致していた.中ソ間の技 術移転は,政策・主体・対象を一体化することができ,その結果として第5表と第 8表に 表したように中国の工業製品の生産能力を大幅に引き上げることができたのである.
43
第 8 図 ソ連の援助により構築した技術移転政策 出所)筆者作成.
しかし,毛沢東がソ連に対する反抗から提起した「自力更生」方針によって,この戦略 は変化した.大躍進期においては,工業生産の急速な発展を目指すため,工業建設では,
前の時期より多くのソ連技術が導入された.そして,鉄鋼業をはじめ,導入した技術と伝 統技術の結合という工業技術革命を推進した.しかし,生産技術に関しては,生産量ばか りを強調し,品質の問題が無視された.また,前の時期の重点を置いた地域に集中して工 業建設を行う方針とは異なり,大躍進期からは全国各地に分散して,新工業地区が次々に 設置された.こうした,過度な生産と分散によって,重複生産と重複建設が深刻な問題に なった.
1960年代の初めから,中ソの関係はさらに悪化した.1960年7月に,1400人以上のソ 連技術者が本国に引き上げ,数百件の契約が破棄された.プラントの建設はほとんど停止 状態に陥った.それは,中国の経済建設に大きな打撃を与えた.
中ソの離反にしたがって,中国はソ連の技術援助に依存することをやめた.その反動と して,「自力更生」の方針がより強く打ち出された.そこで,自国の技術力と経済成長を 高めるために,大衆の創造力を発揮させるという「大衆路線」が提出された.この
「大衆路線」の実行によって,技術者・専門家たちの意見が無視されて,生産秩序と管理 が混乱した.
1966年から始まった「文化大革命」の期間には,技術移転についても林彪,「四人組」
から重大な干渉を受けた.こうした政治的な混乱によって,中国への技術移転は停滞状態 に陥った.
44
そのような状況から脱出しようとした中国は,洋躍進政策を経て,改革・開放政策に転 ずることとなった.それから,中国における技術移転の受け入れは再び促進されることに なるのである.
こうした歴史的検討から,計画経済期から改革・開放に継承されたものとしては以下の 点があげられよう.
まず,中国政府の意図的な協定・政策が技術移転を大きく左右したことと,政府の主導 で技術を選別して移転することである.改革・開放後,外資を利用する際にも,中国政府 はつねに技術移転の主導権を握っていた.これらは,第 3 章で検討するように,欧米,日 本といった先進国からの技術移転の際に,主体となる企業を合作,合弁,独資と企業形態 を変化させ,これに合わせて技術移転の対象となる技術も変化させた外資導入政策にも当 てはまる.
また,ソ連からの技術移転による工業プロジェクトの建設によって,重工業製品の生産 財を補足できた.これによって,中国工業の産業基盤が形成され,改革・開放期に急速に 経済発展ができたのである.
そして,社会主義という理念から,移転された技術は国内企業で共有された.それに よって,技術が急速に普及し,中国の工業化の発展を促進したのである.現在,中国では 模倣品の問題が深刻となっているが,その背景にはこのことが関係している.
最後に,鞍山鋼鉄所にみられるような枠組みで,ハード技術とソフト技術が両立して移 転されたことである.この枠組みによって,中国企業は導入した技術を消化し,自己設計 まで移行できた.これを中国における技術移転の現状と比較すると,合作・合弁企業では この枠組みによる技術移転がなされたが,独資企業の台頭によって現在では技術が秘匿さ れており,移転が難しくなっているのである.そこで,第 4 章ではこのようなハード技術 とソフト技術が両立できるような取組に形成する「自主創新」戦略について検討する.