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中ソ技術移転の枠組み

2 中国における技術移転政策の原点―ソ連からの技術援助を中心に― 0

2.5 中ソ技術移転の枠組み

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①包頭鉄鋼冶金連合企業を中心に,包頭,フフホト(呼呼浩特),河套地区(寧夏回族 自治区横城から陝西省府谷にいたるまでの黄河に囲まれた地域),大同を含む工業 区.

②武漢鉄鋼冶金連合企業と丹江口水力発電所を中心に,湖南,湖北の襄樊と湘潭地区を 含む工業区.

③三門峡水力発電所を中心に,晋南(山西省の西南部),豫西(河南省鄭州市から西方 面の地域),陝西,西安地区の工業区.

④劉家峡水力発電所を中心に,西寧,蘭州,河西回廊(中国甘粛省の黄河から西,祁連 山脈の北側にそった狭長な地域 )の工業区.

⑤四川馬辺河水力発電所(岷江)を中心に,重慶,成都,宜賓,内江などの都市を含む 四川工業区.

⑥会理鉄鋼冶金連合企業を中心に,西昌,会理,昆明など地域の工業区.

⑦貴州(あるいは広西)鉄鋼冶金連合企業を中心に,湘桂鉄道沿線と広西,貴州両省の 工業区.

⑧ウルムチと南疆(新疆の南部地区)を中心とした新疆工業区.

大躍進期(1958年〜1960年)にかけて,ソ連の援助によって,2150項目の大中型工業 プロジェクトが実施された.第一次五ヵ年計画期より 55%増加した.第一次五ヵ年計画期 から建設し始めた「156 重点プロジェクト」も(三門峡水力工程と 1 つの軍事工業以外)

もすべて完了した.これらの工業プロジェクトを工業生産に投入することによって,第一 次五ヵ年計画期に比べて,工業生産能力が倍増した.

また,「自力更生」という思想への転換にしたがって,工業技術の革新(外来技術と伝 統技術の結合)が推進され始めた.これは,中華人民共和国の成立以来,初めて導入した 技術を吸収しようという試行であったといえるのである.

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第 6 図 中ソ技術移転の枠組み 出所)筆者作成.

1950年に中国とソ連は『中ソ友好同盟互助条約』を締結して以降,一連の経済貿易協定 にも調印した.それらによって,ソ連政府は中国に計画の制定,プロジェクトの建設,設 備の提供,技術の供与,技術者と技術顧問の派遣,技術と人材の育成など様々な援助を 行った.

「156 国家重点プロジェクト」をはじめとする,ソ連からのプラント・設備などのハー ド技術を受け,中国は一定の工業化基盤を作りあげた.また,ソ連からの技術資料の提供 と技術者の派遣というかたちで,中国にソフト技術も移転された.

このように,国家間の協定の締結によって,ハード技術からソフト技術までを積極的に 導入することが,ソ連からの技術移転の枠組みであるといえる(第 6 図).

2.5.1 ハード技術——プラントと設備の導入

中ソ間で援助協定を締結した後,ソ連から中国へ提供されたプラントと設備の数は,

年々増加した.1951年に3090万旧ルーブル(2935.5万元)相当のプラントと設備が提供 され,1952年には 3660万旧ルーブル(3477万元)に増えた.1953年には 1952年に提 供した数のほぼ倍以上増加し,1954年には1953年の約 2 倍増えた86).『当代中国的基本 建設』のデータによると,1950 年代,中国はソ連と東欧諸国から 572 項目のプラントと 設備を導入した.そのうち367項目が完成,139項目が中止,66項目が継続していた87)

合計107.7億旧ルーブル(約102.3億元)相当のプラントと設備を導入した(第 9 表).

86) 奥·鮑·鮑里索,鮑·特·科洛斯科夫(1982)42,54,56ページ.

87) 彭(1989)53−55ページ.

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第 9 表 50年代におけるソ連から導入したプラントと設備

導入先 設備 数量 完成数 中止数 継続建設数 金額88) ソ連 設備(連結) 304 149 89 66 76.9億

旧ルーブル

(73億元)

ソ連 プラント・設備装置 64 29 35 ―

東欧 設備(連結) 116 108 8 ― 30.8億 旧ルーブル

(29.3億元)

東欧 設備(単体) 88 51 7 ― 出所)彭(1989)53−55ページより作成.

第 10 表 重点プロジェクト一部項目の進展状況

建設項目名 建設開 始時期

操業開 始時期

累計投資額

(万元)

増加した生産能力

製品 単位 数量

遼源中央立井 1950 1955 5770 石炭 万トン 90 阜新平安立井 1952 1957 8334 石炭 万トン 150 阜新海州露天鉱 1950 1957 19472 石炭 万トン 300

鶴岡東山1号立井 1950 1955 6512 石炭 万トン 90

鶴岡興安台10号立井 1950 1956 7178 石炭 万トン 150

阜新地熱発電所 1951 1958 7450 発電量 万キロワット 15 撫順発電所 1952 1957 8734 発電量 万キロワット 15 豊満水力発電所 1951 1959 9634 発電量 万キロワット 42 フラエルギ地熱発電所 1952 1955 6870 発電量 万キロワット 5 鄭州第二地熱発電所 1952 1953 1971 発電量 万キロワット 1.2 重慶発電所 1952 1954 3561 発電量 万キロワット 2.4

88) 『中ソ友好同盟互助条約』の協定によって制定した為替レートは,1旧ルーブル対9500旧人民元(東

北地域は例外で,17500)である.1955年の人民元改革によって,新旧人民元の為替レートは 1

10000と規定された.そのため,括弧内の金額は 1旧ルーブル:0.95 人民元で換算した.1950年代

には,1ドル 2.46人民元という固定為替レートが規定された.当時の旧ルーブルの対ドル固定為替 レートは,1950年に4:1,1957年に10:12回調整が行われた.そのため, ドル金額とは適切 に換算できない.

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建設項目名 建設開 始時期

操業開 始時期

累計投資額

(万元)

増加した生産能力

製品 単位 数量 西安地熱発電所 1952 1957 6449 発電量 万キロワット 4.8 ウルムチ地熱発電所 1952 1959 3275 発電量 万キロワット 1.9

鞍山鉄鋼所 1952 1960 268500

銑鉄 万トン 250

万トン 570

撫順アルミ工場 1952 1957 15619

アルミ 万トン 3.9 マグネシウム 万トン 0.12 ハルビンアルミ加工場 1952 1958 32681 アルミ 万トン 3

瀋陽工作機械工場 1952 1954 1893 ニューマチック ツール

万台 2

トン 554

出所)中国社会科学院中央档案館編(1990b)270ページより作成.

これらのプラント・設備それぞれは,鉄鋼・冶金製造所,鉱山の立井,発電所,大型機 械製造工場,自動車工場,化学工業工場,工作機械製造工場などのプロジェクトに設置さ れた.これらのプロジェクトを操業することによって,中国で工業製品の生産能力が大幅 に引き上げられた(第 10 表).

2.5.2 ソフト技術——ソ連から技術資料の提供

1949年ソフィア(ブルガリア)における経済相互援助会議(コメコン)89)第2次会議に おいて,コメコンメンバーの間で,科学技術資料を無料交換することが決まった.ソ連は この決定にしたがって,交換の方式で当時メンバーではなかった中国へ大量の技術資料を 提供した90)

89) 経済相互援助会議は,19494月に,ソ連をはじめとして設立された社会主義国で構成された政治経

済の協力組織である.通称はコメコン(COMECON – Council for Mutual Economic Assistance 略).

90) 瀋(2003)431ページ.

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第 11 表 中ソ科学技術委員会により規定した技術資料の交換状況 会議

回数 場所 時間 ソ連から提供する

技術資料数 中国が交換する数 1 モスクワ 1954年12月 169 17

2 北京 1955年6月 159 29

3 モスクワ 1955年12月 570 41

4 北京 1956年6月 540 66

5 モスクワ 1956年12月 480 48

6 北京 1957年7月 1176 114

7 モスクワ 1958年7月 1782 284

8 北京 1959年1月 478 88

9 モスクワ 1959年7月 429 109

10 北京 1959年10月 259 100

11 北京 1961年9月 376 246

12 モスクワ 1962年6月 72 45

13 北京 1963年6月 51 36

14 モスクワ 1965年6月 12 12

15 北京 1966年11月 3 3

合計 6536 1238

出所)張,姚,張,蔣(2004)78ページ.

第 12 表 中ソ技術資料の交換(1949−1957)

交換した技術資料 ソ連から提供された 技術資料数

中国より交換された 技術資料数

基礎建設の設計 751 1

機械設備の設計図 2207 28

工程の説明図 688 55

合 計 3646 84 出所)彭(1989)56−57ページ.

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さらに 1953年5月15日に締結した『中ソ経済合作協定』によって,無償で中国へ技術 資料を提供することが決まった91). 1954年10月に,『中ソ科学技術協力協定』の締結に よって設立された中ソ科学技術委員会は,技術資料の交換をさらに促進した.モスクワと 北京に交代で行われた会議では,技術資料を交換する数を規定した(第 11 表).

1959 年まで,中国はソ連からおよそ6000部の技術資料を獲得した.ソ連から提供され た技術資料は,主に冶金,石油, 発電など基礎工程建設の設計資料,工作機械製造など機 械設備の設計図,また,それらの工程建設に関する説明図である(第 12 表).

2.5.3 ソフト技術——ソ連技術専門家の派遣

中華人民共和国の成立後,国内の経済建設には,技術者が大変不足していた.当時の中 国では,技術者はおよそ 6 万人で,そのうち技術専門家はわずか 600 人しかいなかった

92).中国の統計資料によると,日本人を送還させたあと,東北にいる重工業を中心とした 技術者数は従業員数の0.24%しか占めていなかった93).専門家の不足によって,中国は ソ 連へ要請する援助商品リストさえも独自で作れなかった.そこで,毛沢東は,中ソ共同委 員会の設立を提案し,中国へ来たソ連の専門家と協議しながら,全部あるいは重要な部分 の援助リストを決めることになった94)

1952 年 2 月の中国中央財政経済委員会の報告では,「2 年(1949~1951)の経験に よって証明されたことは,中国の技術者が設計した小型工場あるいは小規模での工場回復 と改築,その設計技術上に欠点が多く,無駄が多いことである.また,大規模な,複雑な 工場設計は,1 つも成功しなかったことである.すべて途中からソ連の設計を必要とし た.したがって,中国で高級技術者を養成できない若干年の間は,ソ連の設計チームを招 聘することが一種の節約,そして安定的な方法である」95) と述べた.

ソ連は 1948 年にも東北地区の鉄道を修復するために,技術専門家を派遣しており,中 華人民共和国が成立するまでに,派遣された専門家はすでに約600人であった96)

91) 同上書,432ページ(原典:Л.В.Филатoв,Научно – техническое сотрудничество между ССР и КНР(1949−1966) ,Информационный Бюллетень Советско – китайские Отношения 1975г. ,Ио65,сс.7−8.).

92) 武,楊主編(1992)4ページ.

93) 中国社会科学院中央档案館編(1990a46ページ.

94) 金(1998)647ページ.

95) 中国社会科学院中央档案館編(1998)370ページ.

96) 瀋(2003)434ページ.(原典:И.В.Ковалев Диалог Сталина с Мао Цзэдуном,Проблемы Дальнего Востока,1991г. ,Ио6,с.84.)