• 検索結果がありません。

沿海地域開放段階——経済技術開発区における技術移転

3 中国の外資導入政策と技術移転政策の展開

3.2 沿海地域開放段階——経済技術開発区における技術移転

3.2.1 外資導入政策の特徴

1986 年 10 月に中国国務院は外国投資指導グループを設置した.ほぼ同時に,国務院は

『外国投資の奨励に関する規定』すなわち『国務院二十二ヵ条』を発表した.この『国務 院二十二ヵ条』で肝心な点は,初めて外資導入の重点を輸出型,技術先進型,およびエネ ルギー開発,交通と素材生産などのインフラ施設と基礎産業に置いたことである.更に,

1987年,国家計画委員会(現国家発展改革委員会)計画経済研究所の王建副研究員が国際 大循環論を打ち出し,「両頭在外,大進大出」(輸入と輸出という 2 つの太いパイプを外国

自動車企業(AMC)が北京ジープを設立し,フランスのプジョー社と国際金融会社が共同で広州プ ジョーを設立し,日本のいすゞが重慶で慶鈴トラックを設立した.このように,自動車産業では,合 弁の形で生産設備を導入した.また,日立は早速北京に事務所を設立し,中国に進出した最初の日系 製造業企業になった.その間,日立は中国に大量の機械・設備を輸出した.例えば,火力発電設備,

気象測定用コンピューター及びテレビ組立設備などである(樊,1992,28ページ).

49

市場と繋ぎ,輸出入の大突進をすすめる)を主張した.これによって,中国の外資導入政 策が,輸出志向と輸入代替の結合型工業化戦略であることが明確となった.

この戦略に基づいて,経済特区設立の経験をふまえて,経済技術開発区の設立が決定さ れた.それは,経済特区を主体とする広東,福建省などの華南地方の外資導入に対して,

上海,天津,大連などの従来の工業基地を中心とする華東・東北地方に,先進技術を持つ 生産型外資企業を重点的に導入することによって,南北相互補完を図ることをめざしてい た.

3.2.2 技術移転の主体と対象

経済技術開発区とは,1984 年に設立した14の開放都市109)が主体となって,所在都市の 機能を利用して郊外に設立されたものである.国の批准を受けた特定地域で,特殊な政策 を実施し,比較的狭域で国際レベルの投資環境を作り上げ,先進技術の導入や生産型企業 を誘致することが,その目的である.ここでの技術導入を支えるため,旧国家経済貿易委 員会,財政部,税関総署は 1986 年に『導入技術の消化吸収を推進することについての若 干の規定』を制定し,企業が導入技術の消化,吸収を行い,技術の国内企業への移転を実 現すべく努めることを奨励した.

また,『国務院二十二ヵ条』の「外引内連」(開放地域は外国先進技術の導入と国内伝 統産業改造の橋渡しの役を果たすべきである)という方針に基づいて,古い工業基地と中 心都市にある国有企業の優位性を発揮させ,技術水準の高い外国投資をより多く導入する ことをめざしたことが,経済技術開発区の特徴である.ここでは主に国有企業の生産力の 上昇を目的として,先進国企業との合弁企業が設立された.

例えば,有名な宝山鋼鉄公司,煙台万華ウレタン股份有限公司などはすべて日本企業の 生産ラインの導入によって設立され,発展したものである.アメリカコンピューター企業 ワング社は上海市計算機開発公司と合弁で上海王安コンピューター発展公司を設立し,

1980 年代の先進レベルを有する王安コンピューターVS 系列のスーパーミニコンピュー ターを中国で生産し始めた.日系企業の東芝もこの時期に,長虹や TCL など有力な国有 企業と提携し,家電生産,設備導入,半導体などの技術が移転された110)

109) 14の開放都市は天津,大連,秦皇島,煙台,青島,連雲港,南通,上海,寧波,温州,福州,広州,

湛江,北海である.

110) 樊(1992)33ページ.

50

第 14 表 企業形態別外資利用状況(実行ベース) (単位:億米ドル)

合弁企業 合作企業 独資企業 契約件数 投資金額 契約件数 投資金額 契約件数 投資金額

1985 1412 5.82 1611 5.85 46 0.13

1986 895 8.04 582 7.94 18 0.16

1987 1395 14.86 789 6.20 46 0.25

1988 3909 19.75 1621 7.80 410 2.26

1989 3659 20.37 1179 7.52 931 3.71

1990 4091 18.86 1317 6.74 1860 6.83

1991 8395 22.99 1778 7.63 2795 11.35 合計 23753 110.69 8877 49.68 6106 24.69 出所)中国対外貿易経済合作部HP統計データより作成.

さらに,1986 年,松下電器は北京市との間でカラーテレビ用ブラウン管製造に関する 1 億米ドル以上を投資する合弁企業の設立に合意し,日立製作所は福建省でカラーテレビ製 造合弁企業を設立した.この一連の動きは,中国がカラーテレビ生産大国となる基礎に なった「カラーテレビ国産化プロジェクト」の一環であった.この「カラーテレビ国産化 プロジェクト」は,カラーテレビを構成する 5 つの部品(中国では「五大部品」とよば れ,ブラウン管,集積回路,チューナー,フライバックトランス,プリント基板を指す)

の生産ラインを,1 社もしくは複数の外資企業(特に日系企業)から中国国有企業の大型 工場に導入することをめざし,部品製造から完成品まで,中国国内で一貫した生産体制を 構築し,以後の中国テレビ産業の国際競争力を高める上で大きな役割を果たした111) . この「国有+外資」というかたちで,大型機械・設備の導入によって先進の組立生産ラ インを揃え,生産過程に関連する生産プロセスや経営管理などの技術を導入した.

しかし,このように評価できる技術移転は多くなかった.アンバランスな状況であっ た.

特に,外国企業から移転された技術の多数は,国内企業と比べて相対的に先進的である にとどまり,すでに使いこなされた実用技術であった.設備が 1980 年代の水準に達する

ものは50%にも満たなかった.

また,技術導入に関する規制措置が不完備であったため,輸入した設備の一部は中古の もので,稼働中よく故障が発生することがあった.江蘇省無錫市のある合弁企業は外国側

111) JETRO(2011)7ページ.

51

の投資のすべてが 3 台の車に充てられ,設備もしくは技術での投資はまったくなかった

112)

さらに,1989 年 6 月の「天安門事件」の発生によって,外資直接投資が激減するにし たがって,技術の導入も冷え込んでいった.

ここまでの海外直接投資の導入は,貿易促進による外向型経済発展戦略と結合する形で 行なわれた.その意味においては,経済技術開発区で活動する外資企業に対する優遇政策 は製品の輸出を主とする生産型企業に限定されていた.

また,『中外合弁企業の外貨収支バランス問題に関する規定(第 4 条)』には,「外資 企業は一旦技術先進企業として指定されると,その製品を外貨建ての価格で国内販売する ことができ,国は同種類の製品の輸入を禁止する」と規定した.これは,外資による中国 市場の独占・寡占をもたらす伏線となった.