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離島の 自然 と生活 (

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(1)

同 大 教 育 社 合 地 理

巡検 シリーズ第

8輯

離島の 自然 と生活 ( Ⅰ)

‑ 目板島・ a 由倉島・ 姫島・ 沖永良部島巡検記‑

象雷か ら肘世へ

響 建 株 68.4. 1

岡山大学教 育学部社会科

地 理 学 教 室 編 著

(2)

4 c D宵も 河原書店

は し

地理 巡換記 も迎えて第8位 とな った。 この地理 巡検記 シ リーズをは じめ られ た石 田策先生 には 今年 お元気 でめでた く滋暦を迎え られた。生みの親であ り,育ての親 で もあ る先生 に心か らお手 びを申 し上 げる次第 であ る。当時の くみ川の水 も放牧の牛 のあ り方 も岡山県下 とこれに収録 され た県外のそれ とではか な り連 ってい るが,足 でた しかめ,足で甘 く地理 であ る点 では変 りがないo その意味 で初志 はrIかれてい るわけであ る.

本栂 は昭和48年度の 日振 島,昭和49年度 の能登 ・加倉 島,昭和50年度の姫 島,昭和51年度の沖 永良部島の4ケ年間の報告雷 を収録 す ることとな った。沖永良部島は アイル ラン ドに出張中の

ととて高橋達郎先生 に全面的 にお世話 にな った。記 して軒恵を表 したい 。これ ら4ヶ年 の巡検 は ともに船 の デ ッキに寄 りまだ見 ぬ島の見聞 にひそかに心を おど らせ,島の浜辺 で潮騒 にひた りな が ら梅 に生 きる人 々の生活 に耳を傾 け る,そん な巡検であ った。そ こには赤銅色の力強い生活 が あ った し,それだけに受止め方 はい ろいろと違 っていたに して も, これ までに学ぶ ことがで きな か った多 くのものを学んだに遵 いない0第8特 は この よ うな瀬 も典型的 なわが国の離島の生活 が 戦 いを知 らない若人 の フレッシュな感覚 で とらえ られ,語 られてい るとい って も過言で はなか ろ う。未熟 さは将来 の限 りlj:い成長のために許 されて よいであ ろ う。発 刊が財政上 の理 由か ら延 引 し,参加 した学生はすでにそれぞれの職場 で,或いは家庭で それぞれの 声が道をみつ け歩を早 め つつあるであ ろうが,若 き日の思 出 としてだけでな く.Field SclenCe‑の第一歩 の記軽 と

し,大切 に育 てる努力を お願 い したい。

いつ もの ことなが ら原櫛金型 やゲ ラの校正の時点で恩 出す ことは,は じめてたづねてい った時 の島の印象 と教育萎月食 ,市町村役場 ,出張所 ,各村某所, そ して聴取 りでおたずね した家 々の の方 々の ことであ る。一 々の お名前 は略 させていただ くが感謝の心で一杯 であ る。恐 ら く参加の 学生 も同 じ気持であろ う。一同に代 って改めてお礼を申 しのペたい。

最後 にこの巡検記 にもまた山川婿仁 氏をは じめ幾人 かの卒糞生 の御協力を いただいた.民 らの 御協力 がな くては 日の 目をみなか ったであろ う.感曲 の恵を 表 したい。

昭和54年5月 23日

岡 山大学教育学部 地理学研究室

高 重 進

(3)

は し が き

一 昭和48年度巡検 レポー ト (愛媛娯 目板島) 1. 日蔽 島の 自然 の概要

2,人 口 3. 粗 茶L 4. 日振 島の漁黄 ‑‑‑

5. 集 落 6. 民 俗

目 名 和 子 ‑,・・・ 3 小 川 典 子 ‑・・・ 6 小 川 典 子 ‑‑‑ 14

‑ 定 金 和 子 ・杭 田 翠 ・‑= 15 大 西 晴 子 ・‑・21 大 西 晴 子 ‑‑・・27

二 昭和49年度巡検 レポ‑ 卜 (石川県 触倉 島,能登半 島) I. 仙倉 島の 自然

仙企 島の独英 3, 触分 包の社会 と海女 4.人 ロ と生活

巳 観光 ・民宿

6. 大川 の漁業

7.時田村 と大川村の択地争論

i 時国 の山林 について ‑その歴史 的背栄 一 9.林 業 ‑・・‑‑‑‑‑‑・・・・・

中 嶋 玲 子 ‑・‑ 33 山 根 順 子 ・・・・・・42 山 本 由美子 ‑‑‑ 49

定 節 子 ・池 田 裕 子 ・.・.・152 国 定 節 子 ・池 田 裕 子 ‑‑‑ 58 治郎丸 彰 子 ・‑‑59

生 木 季太郎 ・‑‑62

‑ 藤 沢 永 三 ・‥‑ 67 井 上 悦 子 ・西 山 ひ とみ ・・・‑・74

三 昭和50年 度巡検 レポー ト (福岡県平尾台 ・大分県姫 島)

1・ 自 然 仙 川・‑‑・ 中 村 由英子 ・合 田 兼寿保 ・山 野 雅 代 ‑‑・83 2・ 漁姓 と漁村 ・・‑‑‑‑・‑ 岡 田 英 三 ・舶 岳 つか さ ・藤 原 久美子 ・・・・・・93 3・離 島 振 興 ‑・.=・・ ‑・・‑・・・‑‑‑‑=‑‑‑・ 赤 木 由理子 ・太 田 椅 子 ‑・・・・107

′f■ lr; 、 四 昭和514l=・皮巡検 レポー ト (鹿児J;‑L県沖永良部 島)

1・ 自 然 .・・・・・・・.・・・ 赤 木 啓 千 ・二 間 潤 一 ・城井 田 二 郎 ・・‑1117 2.知名町 におけ る人 口別象

‑‑‑‑・・・‑ 浮 田 玲 子 ・高 田 雅 子 ・原 簡 章 .‑124

(4)

31 沖永良部 島の漁並 の実態 ‑・.・・・・・・・‑・・・・・・・ 伊 丹 恭 子 ・洲 本 いづみ ・‑・1133 4・ 大 ∠誌 紬 ・・‑.・・‑‑ 本 多 洋 子 ・山 崎 敏 江 ・山 崎 泰 代 ・・‑‥14

0

5. 沖永良部 島の亜熱帯植物 とその利用 について

‑・・‑‑・‑‑ 赤 松 弘 子 ・新

和 美 ・宗 時 千虚子 ・・‑ 147 6. エ ラブユ リとフ リー ジアの栽培 について

塾 長 碍 子 ・尾 崎 早 苗 ・・・・‑158 良 材 祐 子 ・高 松 小百合 .・・・‑171 浅 井 宏 史 ・片 岡 俊 之 ・‑‑ 188

‑‑・‑‑・‑‑・ 角 南 み ど り ・‑‑ 191 7. さとうき

栽培について ‑

a

柏 葉 ・.‑ ‑・・‑・‑‑

9.名実群 島における民家 の形態

川.祉 全 構 造 ‑‑‑ =‑・ 山 川 イ言 恵 ・大 角 百合子 ・岡 田 英 三 ‑・・・194

五 卒某生寄稿

トル コ寿己行 (その1)

編 幼 後 記

山 川 噂 仁 ‑・‑・207

(5)

一 昭 和 4 8 年 度 巡 検 レ ポ ー ト

(愛 媛 県 ・日振 島 )

(6)

1 . 日振 島の 自然 の概要

=) 位置 :四国との関係

r二 J;iは,愛 煙凧 の南予

1 1 u

J'

.

北宇和叩宇和神村 に揃す るJ.'占で ,Eiq,後 水皿を 隔てて ,西 には 人分肘 があ る. 'r/i̲後水 道に浮ぶrf相山 T7]‑か ら山 も追

払で ,芋・M.I:.1港か ら毎 H l回定 軌俊 があ るが.海上3時間を要す るところにあ る。

(2) 外 形

i

hlflli5kdで

,

付踊場 に lhnT南 に卸fL抑JJl(おい つかみ じま) があ る。 地形 区分す る と山地に 分類 され .やせ た骸竹 の よ うな

J

;‑

3

で ,耕作放 東 されて荒 廃 され た段 々畑 が山腹 まで見 られ るO 災削 ま

.

北か ら縫登 (の と),明和 (あ こ)

,寸 , .

掛 (きろ)の3つで .それぞれ4fm離れて , 島の如側の杓u別こ発達 してい るo

明 海娼

薪の

引受の山 の成 さ紘. 158.67m,宮路 某 蕗の北 西の 山の砧 さは. 194.7mで あ る。 山のDA=仙 ま.ほとん ど急崖で ,砂浜 は見 られず ,荒 波が打 ち耕 せ る

1

ll・石 海岸であ る.束

に も抄涙は見 られ ないが .政の帝 やかな ポケ ッ ト状 の入 り江 が見 ら れ.i'J.'珠腰椎 な とに

用 され てい る。

3災落を結ぶ交通(LEは,tl.lj間的に も短い0)で ,伽 かよ く利用 されてい るが

,l

L

J

の 中をぬ って 幅1m足 らずの ,の ぽ った り,お りた りの細inがあ る。 明 海か ら能 登に向 けて ,梅岸 沿 いに , 広 いiEf路が途中 まで辿設 され てい る。 明布か ら宙掛 こ向か う途 中 ,堺 とい うところは .砂州 に よ りつ なが ってい る.全 l?Uで戸数218戸であ る。 ひ っそ りと した執村 といえ る。 瀬戸 内海 と輿 な り.この あた りの軸 は まだまだR しい.

(3)地 質

中生rFlの 白雅紀層で ,断掛 ⊂支配 されてい て ,あち こちに斬JF7線 が見 られ る。 砂岩 と頁岩の

‑3‑

(7)

写1‑ 2 日振島明海 〜能登裏 の断崖 明海か ら宮路 に向か う途中 の堺で,北をrnJいて 1‑[.ち.鳥の西側をilる と断桝 に支配 され た傾 斜500‑ 550 の切 り立 った塊 が ある. LnJ馴 ま砂岩で ,凹部 は貰端であ るO‑椛のケス タ地形 を な してい るが,海岸線 と斜めにな っているので ,Wjl者 とは言えない. その付近

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追桝沿いの地 JRは,走向N60oE.傾斜75oNで.砂岩 ,更 岩oJ互屑であ る。

能登 の灯 台の下の防波擬の あた りに は ,よ く削解 され た円康 が多 い。 越路CL)JJil(‑t,の北側のは ずれ の海岸 には.蜂の娼構造 が見 られ る。 全休 と して ,観光地 と してもてはやされ る杓の侮岸

(8)

(4)気 候

四国 は,四国山脈によ り,北半部 と由学部 とlこ分け られ てお り,かな り臭 った気供が見 られ る。北凹国 は小 雨地域で .年 雨足 1

.

000mm以下のと ころ もある. 繭四国は, 日本 の中で も非常 に雨の多い地域で年 雨王止3,000打爪を越 えるところ もある。

日最良の年 間月別降 雨班 (宇和島則候所 .Wベ) はJ,次のよ うであ るD

式1 .

1 月 17.9 5 月 180.5

9 月

576.0 2 月 45,4 6 月 230.4 to 月 75.8 3 月 31.3 7 月 256.8 l上 月 118.g

(単位 7Tm )

宇和以Fh水jE局 では,年降水13を 1.600‑ 1.昆00m とみているo 飲料水 は曹 なが らの井戸/.k を使用 してい るが,塩分が多いよ うであ る。

人 中

洋側の気温特性を もち,砥HL唖 なziqTt快で あ る。台風の進路 に位思 し,台瓜時 には虚根 が と ぶほどの強い風が吹 くが,波は こないの でそれによる家屋の損失 はない との ことであ る。 が, 前柏の東棟 ,早鐘の品では,30mもの高波が帯せることもあるそ うだo

ふたんで も風は強い ところのよ うにみ られ る。防風のための石 垣はなか ったが ,屋根を鵜 で おお って石をのせ .瓦がとはないよ うに してい るところもあ った.

衷 lの グ ラ フ 化

‑5‑

(9)

(5)植 物

p̲q掛 ま, 日本の植物 区系で は ,境地柑地物

, 掛

こ舶す るO この 日渡島に も親指性 地物 が見 られ る。確登の北西 の

i

FI 鳥の マユ ウの群落は ,天然 記 念物 に指定 され てい る。

強 風 と塩害の ため に柑橘実削ま,ほ とん ど止 られな いo段 々畑 の あとに群生 してい るの は ,ダ ンテ ク (噴竹 )であ るD ウバ メガ シは沿 岸の特徴 あ る植物 であ る。 トキ ワススキ (常械)は , FLl国の楯徴 あ る植物 の一 つであ る。

急崖の樹柏 は強 い海風の ため に,幹が斜め に傾 き.岩肌をは うよ うに

に広が ってい る。

以 下 ,浜や 山lLjIを少 いて見 られ た臓物 のい くつかをあ げ よ う。 アシタバ ,ヤ ブツバ キ , マ ヒ サ カキ , トベ ラ,クチ ナシ ,二 ツケ ,タブ, ヒル カ、ォ ,ネム ノう㍉ クズ ,セキテ ク,ツバ ブキ イ ヌ ビワ, タイ ミンタチバ ナ. クサギ ,セ ンダ ン,エ ノキ ,ム ラサキ シキ 7,ヤ ツデ ,カ ク レ ミ/,定 家 カズ ラ. ウバ ユ リ, リュウノウギク ,メダケ ,二 レ,ヤ?ブ ドウ,ア プ ラス スキ . アキ グ ミ, イタ ドリ,チ ョマ,イヌタデ,ヤ ノカ ンゾ ウ,コ ウモ リカズ ラ.カワ ラマ ツバ ,ヤ ブマオ ウ,オ 二ユ リ,ヤブソテツ.ヤ ブ ラン, 1‑.1・コ ソニ ャ/),‑ チク,小 シダ, シ ャクナケ アケ ビ,サ ネ カズ ラ,′こう々。

松や‡3,(′)瓶は ,iJとん となか ったが杉の植林i‑した ところがあ ,た。 それ も,塩害で うま く い か ない よ うであ るC

能登 にイヌ ビワの大 木があ ったo この実は小 さいが , イチ ジ クと同 じよ うに企べ られ る。

(日名 和 +)

2 . 人 口

日坂 出の総 人 口は昭和48年4月 1日現在 ,住民登録人 口よ り708人であ り, うち男358人 ,女 350人 ,総出席 数218であ る。 (去1参順) しか し.総 人 口 ,総ill:ir.1数 とも陰JA,Bか らもわか るよ うに.年 伝に減少を しめ してい るO

次に総人 口,絶世招致 の動 きを ,役以ff料 の11比登録 人 口 (配給 人 Lコ)を もとにみ てい こ うo

(l) 総 人 口, 総 世 帯 数 の 推 移

E川三晶の総人 口 ,総世席数 とも昭和28年以降‑ fIして 減少 を示 し,その激 しさは昭和48年 の 総人 口708人 は,柵 3岬 の総人 口2.181人の約 ‡ 以下 であ り,総 此指 数 も的 ‡ 近 くであ る。 昭和28‑ 30年 は.凶A.Bか らもわか るよ うに .人口 .世 帯数 と も伸 輔を示 してい る。

しか し,全鯛的 にい って も高圧縫済蚊 技 の如 肋 ともな る雌和30年代 に入 る と,昭和33年 に人

(10)

口減少率10.1% .世指数減少率10.5% と,急激には少 してい るO 袈 1 住民登録人 口 (配給人 口)

世 帯 数 人 口 fJj 女 世 描 数増 減 率 人増 減 率

S28 3月末 430 2.178

29 429 乙190

ゝ 0.1 0.5

30 430 2.181 0.1 0.4

33 385 1.960 ∠ゝ10.5 ∠ゝ10.1 36 375 I.828 ゝ 2.6 ゝ 6.7 37 365 1.724 857 867 ゝ 2.7 ゝ 6

. 0

38 ′′ 1.674 825 849 0 ゝ 2.9 39 353 L540 759 781 ゝ 2.3 ∠ゝ aO 40 341 1.438 708 730 ゝ 3.4 ゝ 6.6 41 331 I,388 6且2 706

ゝ 2.9 △ 3.5 42 318 1.330 66‡ 662 a9 ゝ 4.2 43 314 L224 615 609 1.3 aO 44 289 1.054 522 532 &0 △13,9 45 268 897 440 457 ゝ 7.3 ∠ゝ14.9 46 246 789 392 397 ∠ゝla0 ∠ゝ12.0 12月末 236 770 383 387 ∠ゝ2.4 47 3 " 232 746 37l 375 ゝaO ゝ 3.1

6" 229 731 368 363 ゝ 2.0

9 227 729 36名 361 ゝ 0.3 12 .1 227 728 36甚 360 ゝ 0.1

48 1 1 226 729 367 362 0.1

△減少

昭和3)年代 後半に入 ると減少率 もはげ しくな り.とくに網元の倒産 のあ った昭和38年〜39年に は 1年間に102人, 48.0%の減少 ,世 帯数 は12戸 .化3%の減 少 を示 してい る。役勘の人の 語によ ると.ひとつの術元が倒産す ると30戸の頼 子 に血接 影響 があるそ うであ る。 昭和42年 に ひ とつの縄元が倒産 し,昭和43年 までのl年間 に人 口, 106人 .4a0%の減少 , 世帯数4戸 1.3%の減少 とな ってい る。又 .昭和43年 にも槻元の倒産 が続 き.昭和44年 までの 1年間 に 人 口170人 .13.9% ,tk・箭敏 25戸, a0%の 減少 を示 した。 その後 ,昭和46年 まで急激な人 口減少を示 し,この間 ,昭和40‑ 45年 の5年 間の人 口減少率は,37,6%‥世 帯数 減少率は ,

21.4%であ り,同 じ時期の岡山県で一番人 口姫少 のはげ しいE!山村 よ り.約10%も目顔 島の方

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(11)
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(13)

が率 が高 いo これは ,目板 島では,全国 的戯 山漁村の うけ る高圧経 済成長 の波 を大 き くうけて い ることで あ り,住民の ほ とん どが小規模 の網元 の網子であ り,工糞 間格 差の あ る第‑ 次産 濃 で しか も,資本の 娘松 の激 しい と思 われ る漁炎 であ り,生活 や数百等 の不便 な孤 島で あ るとい

う不利 な条件 に加え て三 つ の胸元が倒産 した とい うことが加わ った こ とによる と思われ る.

世端数 の滅少 は ,昭和30年〜 33年 と.昭和43年〜 48年 までが高 い率を示 してい るO これ は,昭和 43年 頃 までは ,老 人 ,+ど も,主 軸 等が家 に残 りつ つ ,他 は 出稼 ぎを してい くとい っ た形 態が多か ったのが ,それ 以降 は ,残 った人 た ちを も含めて の禅家離村 がす すんでい った と 思われ る。 表lよ り,男女 別人 口でみ てい って も.昭 和 41年 まで は女の 方が数 が多い が,昭 和 42年 以降 は,男が多い年 も含め て男女間の差 のひ らさはない。

( 2)

男女別,年齢別人 口

役場 缶料の関係 で .昭和46年8月31日現在 にお け る男女別年 齢別人 口をみてい こ う。

(図C,表2参照)

衰 2 S46年8月31日現在 調

年 令 輿. 女 汁 年 令 男 女 計 年代割

90一一94 2 2 90以上 2 2 0.3

85‑ 89 1 5 6

80‑ 84 1 3 4 80‑ 89 2 8 lO 1.3 75‑‑79 ll 17 28

70‑74 10 23 33 70‑ 79 21 40 61 &0 65‑ 69 19 25 44

60‑ 64 22 25 47 60‑‑69 41 50 91 l2.0 55‑ 59 24 21 45

50‑‑54 21 34 55 50‑ 59 45 55 100 13.1 45‑ 49 34 36 70

40‑44 23 27 50 40.‑49 57 63 120 l5.8 35‑ 39 25 20 45

30‑ 34 18 17 35 30‑ 39 43 37 80 10.5 25一一29 15 14 29

20‑ 24 24 13 37 20‑ 29 39 27 66 &7 15‑‑19 28 21 49

10一‑14 49 40 89 10‑‑19 77 61 138 18.1 5‑ 9 24 29 53

1‑ 4 21 14 35 1一一 9 45 43 88 ll.6

0 4 1 5

(14)

昭糾 6年 8月現在 におい ては,女の方が男 よりわずかに7人多い だけであ るo Lか し若壮年 屑,40才未満 までは,男の方が数が多 く,ここに侵山村 との超 いが明 らかに 出てい る。 と くに 10代・20代の93カ攻に比 して多い年代 とな ってい る○一 方,40代 以上 は女が多 く,と くに70 才以上の老人は女の方が男の2倍以上の数 とな ってい る これは,女の平均寿命の方か長い と い うことと,男の方が独英等で危険な場合 が多い ことや .戦争の杉 等等によ るので あろ う

阻Cか らもわか るよ うに,基幹労働力であ ると くに20化 30代 の流出が激 しく,それぞれ 60代の割合12%よ り低い &7%, 10,5% しか全休の中で しめていないO

(3)産 業 別 人 口

産菜別人 口の統計資料がな く,役場の人か らの ききと りによ るが ,漁家 が7‑ 8割を 占め , その他の虚業 は明海にあ るが,専業農家はl戸 ,出稼 ぎによるのが3戸 (大阪2戸 .岡山 1戸) あと公務員だそ うであ るo

表3 部落別戸数及 び人口

H 42 43 44 45 46 47 錆 温墓

脇 0

△ 9.3 6.8 ゝ9.2 ∠ゝ10.1 ゝ3.4 ゝ33.3

男 286 279 228 200 166 154 149 女 273 272 239 205 171 152 146 計 559 551 467 405 337 306 295

増減率脚 △ 1.4 ∠ゝ15.2 ∠ゝ13.3 ∠ゝ16.8 ∠ゝ9.2 ∠ゝ3.6 ∠ゝ47.2

増減率l期 ∠ゝ87 エゝ2.4 ∠ゝ4.7 ∠ゝ2.4 ∠ゝ&8 ∠ゝ 1.4 ∠ゝ21,7 男 140 141 139 120 166 110 107

女 160 146 138 127 171 102 100 計 300 287 277 247 337 212 207

増減率醐 ∠ゝ4.3 ∠ゝ3.5 ∠ゝ10.8 4.0 ∠ゝ7.4 ∠ゝ乙4 △ 31.0

】能登 (戸数) 100 101 98 83 75 74 68

増減率働 ⊥0 ∠ゝ3.0 ∠ゝ15.3 ∠ゝ9.6 ∠ゝ1.3 ∠\&1 ∠ゝ3aO 盟 243 2.27 209 154 166 119 111

女 232 221 209 161 171 133 116 計 り5 448 418 315 337 252 227

役 似鹿 簿 より

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(15)

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(16)

壷 6 地域 別転 出者数 (役儀 転 出入綴 りよ り恥 荘)

昭和 29年 昭細 35年 昭和 40年 昭和45年 昭和47年

宇 和 島 市 55 26 26 44 58

その他の愛校県内 4l 34 21 10 30

大 阪 府 50 19 50 69 58

兵 庫 県 16 13 15 8

Lo 2 4 8 2

京 都 府 3

0

4

舟 30 r 1

地域 別転 入者 数

昭和31年 昭和 35年 昭和40年 昭和 45年 昭和47年

宇 和 良 市 川 li 5

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8 9

その他の愛媛県内 22 18 7 7 6

大 阪 貯 9 15

1 10 6

兵 庫 県

1

4

8

4 4

東 京 都

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京 都 府

0

0

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そ の 他

6

2

( 4

) 部 落 別 人 口

日鹿 島は三 つの 部落 ,音路 ,明 海 ,能登 か らな り .現 在 .音 路 ,能 登 に ひ とつ ず つ網 元 があ り .部 落別 人ロ も多 い順 か らな らべ る と首 路295人 .畦登227人 ,明海207人 とな ってい る。

(表3参照)

この うちで 昭和 41‑ 47年の人 口減少 の一 番激 しい と ころは ,経費 52.2% と単 分 以下 に減 ってい るo 次は ,沓絡 47.2先;であ る。 明海 は この うちで は人 口減少 率 ,世 帯数 減少 率 と も‑

番低 く, 31.0%, 21.7%であ る。 これ は ,公 有見 や 鹿家 があ るか らで あ ろ う。

‑19‑

(17)

(5)転 出 入 人 口

役場資料 よ り,転 出入人 口年 齢別 と地域別に作成 したの が表4, 5, 6であ る。

これによ ると,転 出者数 は ,昭和29年の232人を ピー クに,昭和40年 の141人を谷に して 昭和47年 には192人 と上昇 してい る。 初期の方 は男の転 出が女の転 出を上 回ってい るが ,昭和 45年以降 .挙家離村の形態にな って ,女の方 がわずか に上回 って くる。

転 出者の年 齢層 は圧倒的に40才未満屑 が多 く,と くIこ15‑ 39才

J

dで全体 の6割前後 に連 し てい る。

転入者数 は転出者数 に比べ て少 ない が,と くに ,昭和45年以降 は少 な くな って きてい る。転 入者総数の 中で は20才層が多 く,3苦り前後 を 占め ,昭和45年, 47年 は, 4割前後 にな ってい る.他の眉 に比 して女の割合 が このIrliにおいて多いの は,結婚 による転 入 と思 われ るO

転 出入を地域 との結 びつ きでみてみ ると (表

6

参 照)初期 の ころは,宇和島 市を含 めて愛媛 県 内との結 びつ きの方が ,県外 よ り強か ったが,昭和 45年 .47年にな ると,転 出入 とも県外 との結びつ きの方が強 くな る傾向にあ る.県 内では,中学校の統合 や高校 などで教育的に も宇 和 島市が他 の県内の市町村合 計 より転 出者数で は多 い。県外 で は.転 出入 ともに阪神 との結 び つ きが強 く,と くに大阪府 との結 びつ きは宇和島市 と同 じくらい強 く.それ も転 出の方は昭和

45年 .47年 と多い。昭和29年 の転 出入 にある舟とは ,長期航路 にの り くむ場合 であろ う。

3. 農 業

瀬戸内海の出などに さかんであ る柑 きつ類の栽培を期待 してい ったのであ るが, 目板島は,ど ちらか とい うと外洋に捕 してお り,昭和30年 頃に栽 培を試みたのであ るが ,塩害 でかれ ,他 の腰 米生産 も短 くわずかであ るo上詣漢 の統計̲fl料 はな く,以下すべて聞き取 りによ るものであ るO

水 EElはない。 これは ,水や,大風 .塩害 ,耕地の少 な さか らであろ うo

鵬 は主に 日常生活品の販売を してい るのであ るが‑加入戸数 は270戸 で あ り・この うち † が多 い家では1‑2反 の畑をつ くってお り.自給用 野菜やい も類であ る。

他 に特産物 と してのつわがあ り.山か ら採取 して くるそ うであ るか ,値 がい い との ことで あ る。

腰産物 と して販売 されてい るの は .あ と.きりば Lであ るD

避豚 が明海に 3戸 あ り,それ ぞれ10頭, 25頑. 100頑の飼育をしている.音路に l戸ある. この うち明海で25東飼育しているところをたずねた。

昭和5年から,畑地を利用して飼育しているo子豚を貝って飼育して販売するそうである.昭和46年に一 番多く,200戯 司っていたが .価格の変動が激 しく,飼料代 が高 く,設備を よ くす るのが も った

(18)

いないとい う声か きかれた。年 丁相 10‑ 15jJ‑†1印 度の加 筆である焼 蛤を経営 してい る.子豚 は, 竿lqJ由比脇経由で出荷 している。 赤字 が続 き,先 の lA過 しか つかない そ うであ る。50才代の主姑 が経営 していたo

養鶏 は明海に 1戸 .宮路に 1戸飼遜 してい るところがあ る.明海の方は,60才代の老人がや って お り,15年 ほど前か らは じめ ,一番多い ときで .5.600羽 ,現在 は2,OOO;i:Jを飼 養 してい る。 農 協を通 じて京阪神の方へい くもの と.宇和島市内のSE笠へい くもの と,あ と局内が15割 ほどの 流通 になるそ うである。 しか し,飼料代 が痛 くIiる し

.

又 ,輸送敬 か高 く,この島での 見通 しは 暗い。

藩緒のl戸では,70才代の老人夫妻 が,隠居のかたて まにや ってお り,現在200羽であ るが , 飼料 が昨年の12月か ら 4割 は ど高 くな り.廃字削こして しま ったの もあるとの ことであ る。

柑 きつ類 は 能登 で , 倒産 した元網元 の人が 10年 ほど前に20体 夏かんを栽 培 したそ うで あるO しか し, 日横 島は風 が強 く,育 ちがわる く,風o)臥 ,ところはあま りIj:い ことや ,消磁剤の散布 がたいへんであ ること,紙業の方 でたべていけること.人手がない ことな どか ら,ほ とん ど手 入 れを しないそ うであ る。 2年ほど前か ら小学校 の給 食へ 出 してい る (1週間に 2[司ほ ど) はかは,

京阪神にいる孫のところへ送 る程度 だそ うであ るO 又 .他 か ら入 る柑 きつ類 が安 くな った ことも あ り,自給的栽培 であ るO

以上のよ うに,戯業は養豚 ,養鶏の数 戸をの ぞき,従事 してい る人 もわずかであ り, しか も自 給的な ものである.農産物はほ とん ど島外 か らの ものを ,脇胞などで販売 してい るのを購入 して い るにす ぎない. これは ,はとん ど漁溝で ど うにか食べて いけ るとい うこと.土地の挟少 さ,気 候 (と くに凪 が強い こと) ,人手不足な どによるものと皿われ る。 段 々畑 も多 くは*'i地 とな って いた。 塵豚

,

養鶏に して も,迎'filが前 くつ くとい うL.,の特殊性 も加わ り,全国的にjt・並す る問 題 と しての飼料代価格の不安定 さと,人手不 足によ り.将来性 は乏 しい とい うのが現状であ る。

(小 川 娘子)

4. 日振 島 の 漁 業

( 1) は じ め に

日夜島 は宇和島か ら沖へ船 で1時間半の所に也故す る面恐 5.48ki,人 口690人樫の誠に小 さ な島で ある。 この島には明軌 能 登 .鞍掛 とい った3つの娼港 があ るO今か らこの良の曲射 こ ついて述べたい と思 う。

激浪就業者 が労働者の7割親を 占め , しか もほ とん どが専業 であ り,l誌の産卦 ま漁連 とその

‑川]→

(19)

関係だけで あると言 ってもよいだろ うC 目板島の漁濃を大 きく分けると ,能登 と首跡 こ一 統 づ つある雀鯛 漁風 個人の零細 な一本づ り及び鵡 たて柵漁遊 ,それに最近盛んにIj:りだ したfi珠 やハ マチの

儀である。 なお ,脚 を取 り諏壷は主に .明海の役場支所で行 な ったO

( 2) 巻 網 漁 業

巻鵜漁菜の変遷

現在 .El坂島の巻網漁糞 は本船一隻 ,火船 ,運搬船 数貨が一統を組 んで ,巾着綿を使 って 漁をお こない ,一統に約40名の人 が従 *‑してい る。 船及 び設僻 について少 し触 れよ うo搬 前 は20‑30卜t/の木船2隻 が木船 であ った。 しか し今は鋼鉄船にな り,70トンぐらいの本船 が一袋でおこなうようにな った.火船は ,大正初め松 をたいて魚を娼めていたが ,大正 LO年頃 にはカーバ イ トに変わ り.昭和17,8年 頃には'lr窪地 に変わ り.昭和24‑ 5年 には発屯機に変 に変わ ったo そ して今では頂 気探 知器を備 えていて ,雄物がい るかい ないかす ぐわか るよ う にな ったO このよ うに .榊 岸漁業 とはいえ近代化の波 にそ って漁法 も徐 々に改良 されてきた。

日収島の啓網漁美にと って ,庇 も大 きな変 化は昭和24年6月の デ ラ台風以後 にお こった。

昭和24年の時点で ,巷桐 は9統あ った。 しか し.一 つ倒産 ,又一つ倒産 とい った具合に減 っ てい き,現在 では2枕か凍 藁 してい るだけにな った。 そのk.過 は次のよ うに表わ される。

蓑 1.

網 名 船 名 細 元 名 経 過

音明 路米田網笠間網高鍋 柵海 節‑‑避 丸 笠 間米田長三 郎高鍋 英 雄正人 S24第‑‑進 丸は廃垂 され ,第二一 進 丸は現在 も

第二‑ 進九 続 いているC

解‑大国丸 S46第‑ ,第二大国 丸 ともに倒産 し,大坂 に転 出 ■

第二大国丸

正 宝 丸 したoS26倒産 し,鮮漁迦搬業を してい る○

畠山網 協 和 丸 畠 山竜三郎 S26.7頃倒産 し,大 月其珠の従兵且にな ってい ると

田坂網

能 登田原柄 新国 力禁 丸丸 田原朗坂志退席蜜豆 S42S38廃韮 し,数年前死 去o倒産 し,東京に転 出 したO

倒嵐 廃業 の理由には次のよ うなことが .あげ られ るだろ う。 まず新一 に ,漁趣瓜が減 っ

(20)

てきた ことだ。これは 日本の沿岸独演のほ とん どで宮われ ることで,魚 その ものが少 な くな ったのであ るO漁兼の もつ不安定 さで あ り,酔独掛 亡は変動 が大 き く, しか もそれが減少の 傾向にあれ ば.漁業が茸退す るのは 当然 の成 り行 きと考え られ る。 そ して ,そのよ うな状態 に対 して ,昭和26年 のデ ラ台風が症好J<ンチを加えたのであ る。小 さな島の働 き手 が一 度 に 百人以上 も命をおと したのであ った。 その軒手 は非常に大 き く,従 った人 々に大変 Iil梼 神的 シ ョックを与えた。 この ことは経験 のない子 ど もまでが .デ ラ台風 の時の恐 ろ しさを知 って い ることか らもうかがえ る。 そ して ,船 などの糞肺 も大 きな被音 を受 け,立 ち直 る力 もな く て次 々に倒産 してい った と考 え られ る.次 に.昭和30年 代lこな って高度成 長政 策が と られ る よ うにな り.蔀金の‑JE*気 がよ くな り,若年労働者が工兵 地帯に流出 し,労 働力不足 が出て き= たことがあげ られ る. しか し.虚近は人 口流 出も低 くな り,島の社会 も安定 の方向 にあ るよ うに思 える。

イ 林 胸

能登の部落に来てみ ると,港

歯 して ,山あいの狭 い平地に60敷戸 の家 々が並ん でいた。

林柵の規模は次のよ うであ る。本船 (そ うまきkl)一隻 ,漁群探知稔船 ・火船 が4隻 .運搬 船185トンの ものが2坐.20トンのものが4隻‑8度であ るo そ して ,最近3年間の平均水 揚げは毎額約8千万 円だそ うだo

次に給与体系についてみてみよ う,昭和35年頃 ,引き具合 による'歩合制を とるよ うにな り 親方6又 は5,引き子 1又 は5の割合 だった。 それが昭和40年 には固定歩合給 にな り,昭和 42年 には給料制 にな った。 具休 的 に示 すと,現在の蛤 料は この よ うにな ってい る。船長

.樵

関長 ,漁群探知船 々長 ,船長補屋共 に約6万 円.世話役 が5J5‑円 ,そ して次 にア/<おき,岩 お きがあ り,一番少 ない初任級及 び60才位 の老人で4.台h円とい うふ うに .良市 6.3万 円か ら4.8万 円でその差 は極め て小 さい。 林網 の 地点役の人が 「引き子 の6割 が親族 じゃ.網元 も船長もみんな同 じじゃ。 この畠で くらすには,そ うた くさんのお金 はい ちん。年を とって もうちで はみんな と同 LI掛 こ給料が も らえ るん Llや.軽 宮 もみんなが考え るので安定 してや っていける。 」と話 して くれた。 そ して.年間 ボーナスが 3.5〜 4カ月加わ るそ うだ。 なお 漁農協同租合へ ,網元は 引き高の5厘 を納めてい る。

表2を見 ると, 1, 2月は少ないが .平均 して月に 15日か ら20日漁に出てい るO魚種筒 は さば .まあ じが圧倒的に多数 を 占め,年収約1.000トンか ら1,500トンの水 揚げがあ る。

そ して.漁場か ら鮮魚の まま運搬船 で直接 に八特車港や深浦港へ陸あげ され るo 八幡浜港へ は9割 以上が運ばれ ,瀬戸 内海産に比べてal段 は少 しいいそ うであ る.

‑ユ7‑

(21)

滋 2. 林 定 典 〔魚種 別魚准滋〕 (100kg)

船 名 菊 光 丸 総 トン数58.56トン 主 た る胞濃根拠 地 愛 媛 県 目板 良港

漁 具の規 模 良 さ 5007TL.深 さ150m.約日3.5cTn 通 常従 J序者数 32人

時 い わ しうるめ かたくちましせつしいわ し ば まあ じ むろあじまるあじ その他 合 計 航 海日 数 珠 美日 数 探 索日 数

4 ⑳ ㍊90 3.420 23J 10 13 5 ⑬ 258 @ l527 2,060 21 13 8

6 ⑬ 1⑬ 3100 ⑳ 461 13550 647 23 16 7

7 ⑳ 348 348 23 17 6

8 ⑳ 128 128 17 12 5

9 (9 206 226 23 16 7

10 ⑳ 290 290 15 14 1

ll ⑳ 228 578 15 12 3

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10 ㊥ 600 600 12 10 2

(22)

時 い わ し かたくちうるめ いか しまいわし さ

まあ じ まるあじむろあじ その

合 計 b口 数LiI梅 仲 濃日 数 # '日 数来

SdS4817152342姻 600 柑 480

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1

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⑬ 3歯 3㊥ 3,50337mI0005 16175005ハゲ ,ノジカ330300 2

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L.ヱl703730jO055 1ll883

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6 由 280 ⑬ 4㊤ L4575 30ハゲ230 1.142 21 15 6 ウ 米 m 細

粛 路 の村 は 3利 で一 番大 き く

,

に比 べ る と両 もす ぐ抑 亡は迫 って な く,平地 が ほん のわ ずか ではあ るが広 が I,3てい る。 戸 数 も86戸 と‑ 布 多い。 全 休的 に い って少 し析ilLが 感 じられ た。 怯念 なが ら米 Ltlさん宅は RdI守 で urJき収り

忍ば

Eがで きなか った0

億豊

U)林 掬 で は ,舶 元のI.iiも触手 のrk

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:I:の斉 はみ られ なか った が . 兼Lll網の親 元 の 宏 は , この村

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に 比べて.7}ると .は っき t{)と入 善な違 い があ り ,大 ^YIQ)

→ば であ J=。 それ に‑ 心九両 JHら しい 姓

も・

:)1に‑Tばらしく鮭 bfl17されていた.これらか ら,米 tfJ 家 はム,i,a̲),(力省・であ ることがわか るだ ろ う. そ して柵 の経営 方針 も林細 とは 異 な った形 であ ろ うが ,詳 しこ とはわか らなか ったb

(3) 養 殖 業

El並立.i‑:,で も逝年 探 るirlか ら作 る舶 敬‑の 汚行 と して 屋柵がみ られ るが .そJtti⊂つ いて詳 し く述べてみ たい。

ア ハマ チ避難

‑ マナ 遵姑 に は ,

血 か ら

仙 に まで汚 て るもの と,幼魚 か ら L守一 2'rF‑もの に まで 臼 て る もの と

2

価 類 が行 なわ れて い る. 1

,2

irもの に まで 帝て るの は,tl日和34年 ・能 登 部 落で 始 め ら17た。 比 較 的政の荒 い所 で梅lrrl下3T7L柑 匹 の と ころに ,ハ ?チ の軌鎖を 入れ た 位網

(しめ こ小 りと呼 ば れ る) を 沈め る. こわ [)につ き40ノJ〜50万 rT]の出 金 か必 蜜で ,収 Lltは

こわ りにつ き7

, O O

Ojeg

硬で あ る。 山†

' .

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I

.i.個人旭†'.niで触 脇を皿 す こ とは ない。 上と して

) 1 ‑ 出 す ,

迎 搬船 で新和歌/JlrlLまで 逆 ばれ るD この 巡搬 船 は n振 よこ占村 民の 個 人所 有 で あ るが , lH梅 に一 世 , EI.r掛 こ2u J

r

T

iされて い る

。鮎机をT

'fて るもの は .昭和46咋 ,敢蹄 締満 で始 め

‥Hil‑

(23)

られ た. 2°ln程度の 稚魚を海 か ら採 リiL,いか だ に収 りつけ られ た こわ りに入れ て,渡の 静 か な入 江で. 5L.m〜 10(加 こ育 てて 出荷す るO ‑ マテの 餌 は ,おおい な ど ,いかIiとで宇 和島 出 漁連を通 して北陸 ,北梅1芯か ら購入 す る。現 在ハ マチ巷楢 は ,

掛 軍港で

5

家 ,明海 部落 で3家 ,能 登部落で4家 が従事 してい る.

この マテ遜鬼 に附随 して ,タイ .ア ジ ・イサ ギの

髄 も行 われ てい る. タイ虚倍 は ,昭 和33年 に始 め られ ,現在2家 が従 ‑Jfしてい るO

i

X珠 養 殖

宇和海で は リアス式海 岸の 故の静 か Ii点を利用 して

,

数珠 の 養殖 が盛 んであ るが ,こ 目 板Ji.Jlで も.岬和35年宇和EB市の大 月出珠 が明海に 'lf遜所 を設倍 .玉入 れ作濃を行 ってい る。

大 月艮珠 は 漁場利用代 と して触 協に年 間180万 円を支 払 ってい る.地元 では音緒 部落 で一 家 が玉入 れ玉 出 し作共 を.能登 部落 では ア コヤ貝を育 てて. 大月瓜珠 に売 ってい る。

(4)年間の漁家の生活

El振 出で は全戸 が何 らかの形 で腺熱 こ従 ・ルしてい るが ,播網 漁濃の従 背負 を除い ては,飯 1T 桐 油濃 .一 本的 ,ぷ賭 ,放物採 油などで生 計を たててい る. 親 任鰍 ま,花里部落 3就,

n

J川j郎 薪l洗 ,杏路部落12統 あ り,個 人所有 で あ る. 各部掛 ま沿)..iか ら500‑ loo°7TLの 区痢 触‑X櫛 を1日ノてい る。 個人で宇 和砧市場 へ 山荷 され ,利 杭の 1分5厘〜 2分がLr.J<漁連を過 して

n

板晶 漁 協へ振 り込 まれ るo てん ぐさ ・あ わび ・さざえな どの磯物 は ,如 人の家 内労働であ る。 Lな 年

r

LirJの漁雑物 は ,次の よ うであ る。

1‑ 2月 3‑ 5,6月 5‑ 6月 6‑ 8月

8‑ 10月 ll‑ 12月

さわ ら 一 本釣 り い さ.あ じ 扱 J 網 てん ぐさ

い か ‑本 釣 り

さ ざえ

さわ ら 一本釣 り

H.(,.浬協同組合 は現 在組合h数220。 1割 こつ き 1口

1 . 00

0円 で12口L2.000円の入会金を必 要と し, 白坂 畠で90日以上加盟をや ってい る もの が その丑 旅を有す る。

(5)

お わ り に

E]振出 では ,役切取 Ei.郵便JujLiなどの公務員を 除い ては ,ほ とん どが換 装ilI.菜で あ る。

ほ とん ど全 戸が鮎 を所iTL,

逸物 は虐接宇和

I l

川一場 へ送 られ る. ト順 比を代よす るもの は捲 網軸濃 であ るが ,都会 におけ るfTI;庶成 良粍 折の池 は この小 さな山 こも及 び .若年 人 口^Yさの流 出

(24)

か ら引子 の減 少 とい う結果 を 引き起 こ した0 ‑時12続 もあ った播柵 も現在 は2紙 に減少 してい る。 賃金形暦 も歩合 制か ら給料制へ と移 行 し,腺炎従選者 ではあ るがサ ラ リー マ ン的性格 を強 くし,副共の形 で一 木釣 ,執立禍 漁灘を 営んでい る。 又 ,魚 のfJrの減少 は養殖 を串入 させ , こ こ 日坂島で も採 る漁光か ら作 る漁業への移行 をみせてい るので あ る。

5. 集 落

定金 和子

( )

杭 田 翠

( 1)

目板島の集落立地と分布

目抜 馴 こは北 か ら能 登 .明私 営 緒の3uj敵が分布 して お り,それ らの娼啓 規模 は ,能 登 , 戸数64戸 ,人 口212人 ,明海 ,戸数67戸 .人 口186人 ,沓 緒 ,戸数86戸 ,人 口293人で あ る。

水 深80mに連す る沈降によ ってで きた宇和 海に浮 かぶR板 島 は複雑 な海岸線 をもっており,班

立地におい て も 自然的条件 Iこお う所 が大 きいo 太平洋 の荒 波 を受 け る島の南 側は急 な岩崖に な ‑'てい るため ,三 班 蕗はいずれ も波の比板的 おだやか な宇和に面 してお り,さ らに強 い季 節姐 を避 け波浪 やLd.'

]

鰍 の危険性 を配慮 して ,沈降 海岸の簡 奥部 に位 置 してい るo

また,太平洋の鹿波 と放い潮流は平地 の発達を妨 げて お り

,

貼落立 地を大 い に制 約 し,わず か な平地が・班・落分布 の ・rT.重 な 自然的登 糸 とな ってい るO網元 の倒産 等 に伴い ,昭和40年 前後 か らL誌外‑の 人口放 出が著 しいが.悩柵35年、朋与は .能登 .戸数249戸 ,人L1833人 ,明侮 .戸 数233戸 .人 口741人 ,宙路 .戸数317戸 , 人目 987人で .某落規模 は皆 路 ,能登 ,明 海の順 にな ってい るO これを 三は,常 の平 地 血J‑R と灼 らし合 わせて考 えてみ ると,平地thjJ紋 も寺銭 ,鰭 登 ,明 栃のJLEiにli:ってお り,この こ とか らも平地が姓落分れ‑の fFe輩 な敦盛 とな ってい る ことが

は っきりわか る。 (写5‑1)

また,狭 い塩で は水 に不

軌h

す ることがす く,きれ い な水 が多 く溺 き出 る谷 を中心

nt啓が 立地 してい る. なお ,明海の樗朗に近 い 脚 一順 〝純友 の井戸 〝も存在す る ところか ら,この 地の舶啓の起 源 はか な り古い と考 え られ る。

(2)集落の形態と機能

娼落形態 は ,いず れ も梅 めて狭小 な平 地を 蛙掛こ成立 してい るため に .木規則 な塊村 とな っ てい るが,この).七の行 政 .交通の中心 地であ る明海部 落を とりあ げ

,

描 蕗の形 憩 と機能 を見て

‑ 2 1‑‑

(25)

一一」 写5‑ 1 湾頭部 の狭 い平地 に 立地 す る明海集落

Ⅰは明 海部 落の家屋の配 IrFi及 び職 光別 を表わ した ものであ るが .既 述の よ うに海 )‑Tt、f,1野 が 触め て狭小 であ るため .家鮎 はいずjlも背後 0)急斜血 をよ じ上 り,いわ ゆ る階段村 を形成 し▲

それ故に 1壬た解 内部の菌取去 が著 しく大 とな ってい る. ほ ぼ北 か ら繭にか けて粘 Jl硝iいに幅2

‑37TLの主泊綿が部 執 Alを縦且 してい るか .家 屋 は この 心細の 主に北 ml)に,わず か なtr;‑地をjJt 梶 に狭 い路 地を は さんでr&=姫 して い る。 IJl軌の所 に急斜血があ り.岩石 を枇み上 げて床面 0) 水IT,.を保つ 安Liや .急斜掛 こ施 した

TL '

段 苛 も比え ,槽 にJHi地文所鮫 ノいこtl1.h'・.け る‑.tJ‑・

及 こ‑和地 は急紬TFlを切 り開い た

に存在 してお り, この Llt痛 の概地を形 作 ってい るO (写5‑ 2)

写5‑2 急斜 面 を切 り開 いてつ くら れた基地

雄 満のほ ぼ北 よ りを‑r本 の川

批れ てい るが,涌 き水 は こJj川O)7FJ]に多 くLlf在 し 手 押 し・ポ ンプ井戸や ,つ き井J=Tが両か ら、I, 地への接点のあた りに多 く仔/Jしてい る.

井 戸は抑 こあ ま り虹 い と塩 辛 くTiろため , あ るff;.度 の高虹を も った地 にあ り,iil軌の I

T1‑嘘 Iil一重 #.・とTi:ってい るo なお,井戸に も塩 辛か った り.こ りが あ るなどい ろい ろで あ るが ,今で も飲 /

k

liけは この 井戸 を 使 う家 もあ る。 (写5‑3)

この他で昭和33年也 まで は ,漸戸 内軸特 有 0)PxL々畑 がJ二LLJの頂上付近 まで見 られ たが 現在ではほ とん ど荒れ て しまい ,わず か に家のk,]りの札Jを作 ‑'てい るに す ぎない が ,その 畑へ

(26)
(27)

行 くために も急傾斜の道を登 らId‑ければならず .平 地の狭 さを 改め て思 い起 こされ る。

写5‑ 3 石段 と石 を概んで水平 を 保 って い る民家 (階段村 を形成 している) つ ぎに収菜別戸数 を見 ると,漁業26戸 (37,7%)政文 .サー ビス濃 3戸 (4.3%)交通迎輸幾 6戸 (8.7%).公務 .自由光 16戸 (23.2%) .団体 ,会社局 5戸 (7.2%), El屈 3戸 (4.3

%),無職 10戸 (14.5%) 計69戸 とな ってい る。漁選 に櫨接 かかわ ってい る者 の内わけは , 弟珠会社 へ勤務す る者7戸 ,親子7戸 ,自家で一 本釣 り,潜水 ,凝籍等を してい る者は12戸 で 漁業従 rF者 は37.7% と一番大 き射 直を示 してい るo なお ,島の中央に位齢す る明海に は

,

海岸 沿いに郵鵬 ,役場支所 ,警察署 ,診項所 ,学校等があ り, El振良の 玄牌 と して行政 ,教育 , 麿節 等の中心 とな ってい るた め,公務 ,日由共 の23.2%がつ ぎに大 きな値を示 してい るo lA啓 の南 西の海岸には,一列に並ん だ5株の教員住宅 もある。

この災港の第‑ の産兼 は漁避 なのであるが,昭和40年 の轍元 の倒産 によ り,宙路 の

"

へ網 子と して行 った り,山珠 会社へ勤 めた り.あ るい は 自家操光 と して小 さい舟 で イカの一本 釣 りを した り,‑マチの発願 をす る挺肝 にす ぎず ,現在 のuJl海に は漁業の活気 さはほ とん ど見 られIj:い。前述のよ うに山が梅 にせ ま ってい るため水 EElは全 くな く.畑 も段 々畑 がわずかに残 ってい るにす ぎないの で,腰掛 まほ とん ど皆瀬削こ等 しい。 このよ うなことか ら.日本の漣沼梢 道 の推移とも合わせて .島外‑の人 口流出が激 しく.若者 はほとん ど島内に残 っていIj:い。無 職の14,5,%'とい う高い値 が,人 口の老齢化 と生 活の不安定性を乱 と.tき してい るよ うであ る。

図1か らもわか るよ うに,この貼港には実に34戸 とい う空家が存在 し, 3軒に l軒 は空'Rとい う特殊 な光条をか も しだ して お り,崩れかけた空家の綿にたたずむ時 .あ るいは暗 い小 さな家 に老 母が一人 で往んでいるのを見 る峠 ,どことな く借銭の ない寂 しさをL捉え るD (写5‑4)

図 L 舶 倉 島
表 4 . 漁 家一 戸 あた りの平均生 荘額 (( ) の数 は漁協 の正 組合 負の 数〕 早 平 均 生 産 額 年 平 均 生 産 軸 S 40 ( 823 ) 38 万円 S 45 (881 ) 73 万円 41 (825) 42 46 ( 88 2) 86 一2 ( 82 4) 一8 47 (89 2) 103 らで は あ るが ,島 が漁業 汽 源 にめ ぐまれ てい るか らで あ る。 そ して,戦 争 中細倉 島 の中央 の平 地 が畑 だ ったのに .今何 もつ くってい 1 よい
図 4 大 津 勘 ( 測温地点) I/ 25 . 000 この E g 日 ,2, 3 及 び,写 1‑2,3 よ りこの地形 を主 に傾斜 の変換点を基準 に して ,A〜 J の 1 0 の区域に区分 した。 そ して この 1 0 の区域 についてその表面 の状態な どを中心 に した観察 結果 を ここに笹 く。 〔A〕 ここは,もっとも ( 我 々が測足 した区域 内では) H l i 寄 りの部分で あ る
図 1 年 度別 出稼 ぎ者数
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