い。
5. 沖永良部 島の亜熱帯植物 とその利用 につ いて
○
ソ テ ツ< ソ テ ツ>
・裸子枝物 ・ソテツ科 ・雌雄異株 ・常緑樹 ・両半球 の熱帯 ・亜 熱帯地域 に分布 (日本で は,沖縄〜鹿児 島 ,宮崎南 部にその 自生をみ る。)
・台風や干 ばつに強い耐性 を示 すはか りでな く.やせ地に もよ く生育す るが,水分の多い土 地を嫌 い.日影 に於ては成 長が劣 る。
・隔年結実
40‑50̀7R(岩垂
ヽノ‑/
「爪3ー〜‑
‑‑}
< 実 >
○ 茶
色;
;3‑ 4cm
(菜 )
<戊 rE>
H 断面 lDET
<唯花>
※雌花の開花時に雄花をとって上に おいてお くと.多数の結実をみ る。
・幹頂に直立 ,多数 のお しべ
・円筒状
・幹頂の まわ りに群が ってつ く
・有柄輩状
・各製片の先は とが って黄褐色 の軟毛をかぶ っている
・裂片 の下部 の縁辺 に直接に裸 出 した卵子 を3‑ 5ケつける
(1) 沖永良部 島のソテツの分布と形態
① 分 布 (別地図で示す)
① 形 旗
○畦布 の ソテツ ジャングルー ソテツ佃‑
ソテツ畑.・.・‑耕作不能 なやせ地や斜面を利用 して使 えた
観光用 に ,か っての個人所 有 の ソテツ畑を和泊町が貴いあげ,卓備 ・管理 してい る。約30 分程度 で一順 で きるコ‑スが設け られ,小払の局 8剛こは ,大 きい もので約3m,小 さい もの で約1.5m程 のソテツが群生 してい る。 その数 は100本を越 え ると思 われ る。 中には ,珠 が
数 個 に分かれてい るもの もあ り.ソテツの生 育 の年 か ら逆算 してみ て も.この ソテ ツ畑]が い か に古い もので あ るかが想像 され る。 しか し,小路 を少 しはずれ る と,ツル畦 の植 物 が上 を お お っていた り,アダ ン等 の木 々と混在 してい る。 この ソテ ツジ ャングルの出 口にあ た る所 は海岸 であ るが ,その海岸 の上 方 の塵に は , ソテツの 自生群 落がみ られ る。
○
国 威(国威岬の北pq‑)岬畔 ソテ ツ
ここには ,か な りは っき りと した帖畔 ソテ ツを見 ることがで き る。 この畑 では ,フ リー ジ 7,ユ リ,さと うきびが植え られていたO
㊨ ㊨
I r.Jll ll
の
ツ畑
⑳
@ ⑳
⑳
⑳ ⑳
ここの畦 畔 ソテツは,図 のよ うに畑 の四方全 部 に ソテツが 柏 え られ てい るので はな くて ,一 方 ,或 は二 万 ,三 方 とい うよ うに植 え られて い る場合 が多 いo 又 , ソテ ツは畑 の中 の道路 に沿 った部 分 や,畑 と畑の境界部 と思 われ る部 分 に 植 え られ てい るO その数 は一 列が15‑30本樋 度 ,その高 さ は1‑ 2仇 と比較 的低 い。 一本 と一 本の間隔 は 1仇か . ち
う少 しせ まい程度 であ る。
枯薬が何故 もつい ていて ,ほ とん ど無 管理 の状 態で あ る。
(兼 は約3年 で枯 れ る。 この葵 は燃 料 と して使用 され る例 もあ る。 )
辻 ひ ろみ氏の 「確美大 見におけ るソテツ利用 に欄す る地理 学 的研究」 とい う論文 に於 て, 敏之帖金塊珊薪 の例の よ うに ,畔 畔 ソテ ツが畑の四 方 ()‑!日田)全 部 に きれいにみ られ る とこ ろもあ るが ,喜 界 岳阿伝 部落の例 の よ うに必 ず しも四方では な くて,一 辺 ,二 辺 の場合 が あ ると報告 されてい る。 その理 由につ いて氏 は ,昔 か ら一 弘 二辺に しか植 えなか ったの では な くて,S42‑ 45年の 「確:美群 島戯姓 改酋事業」 によ り,哩抜 きが行 なわれ た ことがあ り その時 に一 部 (一 辺, 二 辺) がな くな った もので あ ろ うと説 明 してい る。 I+永 良部 島で も.
その当時 ,畔抜 きを した ことがあ り,氏 の論 の とお りであろ う。
一 也
̲辺 の ,抑 え られて い る方向 がまちま ちであ ること,抜 き去 られた と思 われ る部分をつないでい くと,完全 な畦 畔 ソテ ツの形にな ってい くことか らも.それは催か な ことの よ うに思 われ る。 この ソテ ツが いっ植 え られたのかわか らないが .少 な くとも戦前 には .年 の数 だけ ソテツを柏 え るとい う 習慣があ った よ うであ る。○ 製糖工 場 附近
畦畔 ソテ ツ
国頭の場合 とほぼ同 じとみ てよいだ ろ うOここも,唖畔 ソテ ツが完 全 な形で残 ってい ない。
‑148‑
ただ,このあた りo)畑 は庇椿が小 さい ものが多いので,それに応 じて ソテ ツの本 数 も少な く Ii:っている。海岸線 と平行 の畦畔 ソテツが多 く触 ってい るよ うに感 じられたが,垂直方 向の もの もい くつ・かあ り,勝連性 はは っき りしない。 ri]腰 の勘合 もそ うであ ったが ,製糖工濃付 近 は,特 に枯糞のついた ま まの ソテツが多 く,全 く無管理 の状態 であ る。 もっとも.ソテツ は昔か ら.他 の作物 のよ うに手 をほどこす必要の あ るものではなか ったが。
ソテツの矧 ま,3年 くらいたたない と粘れli:い と言われ ,この ことか らす れば少 くとも3年 の周, ここのソテツは人 の手 にかか らなか ったと言えよ うo
① 栽 培 方 法
辻ひろみ氏 の論文に よれは ,雌木 と雄木を混措 して栽培す るとされてい る。 しか し,ただ 見ただ けではその区別 はつか ない。 ただ,一本一本 の ソテツは,約 17TLも しくは もう少 し狭 い間 隔で植 え られてい る。 そ して現在では行なわれ ていないが ,実か らデ ンプ ンをと ってい た頃には,笑を多 くつ けさせ るために雌花が嘆 くと.雄花 の花粉 を それにつけ る.すIi:わち 人工交配を行 った。 や り方は ,雌花の上 Iこ雄 花を もいで濫いてお くのであ る。 そ うす ると, 雌花が開いて雄花の花粉がつ くので,多数 の結実がで きるとい うわけだ。 こう して人工交配 をす ると約400‑600個 の箕 がつ くそ うである。 ソテツ ジャ ングルで見 た ソテツに紘,20
‑30個軽度の結実 しか見 られなか った ので ,人工交 配を しない とその桂皮 しか結実 しない と いうことなので あろう。又 ,ソテツの増椎は株 分 けによ るが (辻氏) ,現在 は ソテツの栽培 がな されない ところか ら,その株 分けの方法 も実軌 こほ どのよ うにや って きたのかわか らな
い。
① 利 用 形 態 1)食 料 (かゆ)
硝子か ら取 ったデ ンプ ンで作 るの と,茎か ら取 ったデ ンプ ンで作 るの と,二通 りの方法が ある。氏 によれば,前者は,種子を半分に割 り,中の実を出して, それをよ く乾燥 させ て水 を くり加えて十分洗 い
,
再 ひ乾燥 し,ひいて初 Iこす る。 それを また水 で さらし,鑑煉 させ て デ ンプ ンに し,かゆにす るO後者 は ,茎 を切ってまん中 の しんの部分 を縦に割 って ,カチ カチにな るまで干 し,水につけてお く。 それをカマスの中に入れ ,上か ら延 をか けて焼酵 させ .洗い出 し,乾燥 させ てひ く. その後同掛こ
水 でさ らし,吃燥 させ てかゆにす る。か ゆの名称について 「ナ リがゆ
」
「ソテツがゆ」が掲げ られていたが,沖永良 部で何人か に尋ねたが ,は っき りしなか った。この ソテツのかゆは,かた くり粉 を お吸で といた ものを想像す れば,だいたい同 じよ う なもので あるというO タク シーの遊転手 さんの巌によ ると 「茎 か らとったデ ンプ ンのかゆ のほ うが,口あた りが良 く美味 しいO種 子か ら耽 った方 は,繊維状 の ものがあ って,おい
しくなか った。」 そ うで あ る。 沖永良部で は,明治 時代 ,戦後 の食料樫 の時代 に食 していた。
しか し,水 田を も ってい る赤hlな どの地域 の比較 的裕福 liと ころで は .食 した縫験 の ない人 が多 か った。
2)み そ
昔 ,作 られていた ことは確か らしいが ,その手 法 な どにつ いて は,現在 ほ とん ど作 られ ないため ,聞 きとれな か った。
3)重 用
種 子 の中の果 肉,1・.・・で きものの うみ を 出す 化の う止 め
薬 のつ けね のわた・・.・・..Li血
慮接 ,傷 口に あてて拾娘 したが ,薬 の乏 しか った時代 の こ とで現在 はな くな って い る。
4
)肥 料薬を細か く切 って ,畑 にま く。 現在 は .化学肥 料 を使用。
5)装 飾用
正 月用 の飾 りに用 い るた め,本 土 か ら探 りに来 る。 たい てい畦畔 ソテツの中か ら,形 の 良い もの を選 んでい く ら しい。 しか し島 民 が採 って (本土 の商人 と)売買 をす るとい うこ とは ない。
6)燃 料
乾 いた (枯 れた) 薬を ,風 呂のた きつ けに用 い る。
7)織 維
ソテツの蛮のっ けね の ,薄展色 のねば ねば した わたを と ってま るめ ,その上 を毛 糸 か糸 でまいて .て ま りに して遊んだ。 このよ うな経験 が あ るの は,60才 くらいの おばあ ち ゃん。
8) 鑑賞 用
度 蘭樹 と しての利用価 値 は高 く,一 時 か な り島外 へ出 されていた らしいO しか し,自然 保 証 の立場か ら,これを止め よ うとい う動 きが高 ま り,町 で もその対策 に苦心 してい る0
‑ 万 ,島 内の家庭 では ,盆栽 と して楽 しむむ きが多い。高 さが50C7nに も満た ない . ミニ ソ テ ツを.20‑ 30年 もたんせい こめて作 ってい る人 が多 い。
9) 飼 料
ソテツの実 を吃燥 させ .くだ いて煮 る。30年 以上 も昔 の こと。
10)翠
船 内で緒を した徳之J,占のお じい さん が教 え て くれ たO
‑150‑
① 考 察
ソテツの利用形態については,もろもろのは報をつかんで.現 地に行 ったのであ るが, これすべてかなり古い話で,現在ではソテツを現俸的に利 用することはない。 聞 きと りを したほ とん どの人は ,ソテツは背 か ら植わ ってきた ものだか ら・‑‑とい う程度の意識 しかな く, その意味 について も,他土 との境界線 (畦畔 ソテ ツ)で あると教えて くれ る ぐらいであ っ た。 このよ うに. ソテツの利用度が低か ったのに は.驚 き少 なか らず失望 した。考 えてみ るに,時代 による変 化は もちろん一番大 きいが .沖永良部 島は.島全体 がゆ るやかな傾斜 をな していて,耕地率 も高 く,稲作可髄 な所 もあ る。従 って. ソテツへの依存度 が他の島 々に対 して低か ったのか も知れない。 しか し,現在 もか な りの ソテ ツ,畦畔 ソテ ツの形跡 が確認 され る以上 , ソテ ツが過去lこ,かな りな ウエイ トを占めていたのは明 らかであ り, それは主 と して,救 コウ作物 と して考え られて いたので あ ろ う。
(2)
沖永良部島におけるミズイモ栽培
ミズイモは,沖永 良部 島において .現在利用がわず か なが らな されてい る亜熱帯組物 であ るo 私達は ,沖永良部島の ミズイモ栽培を調査す る前に
.r
鹿児 島地理学 会紀要第20巻12号J 所収 論丸 斉藤赦 ,坂 口彰 「首界ETuの ミズイモ栽培に園す る文 化地理的考察」を参考 に し,ミズイ モ栽培についての予備学習を したので,ますその要点 をま とめてみ るO①
は じめに ‑ ミズイモの概要 ‑ミズイモ とは
,
「水草 」 とな き,また 「田辛
」 とも呼ばれてい るO テ ンナ ンシ ョウ科 (ま たは,サ トイモ科 )に飼す るといわれてい る栽培使物であ る。 普通 ,テ ンナ ンシ ョウ科の食 用 イモは,
「クローイモ」 で総称 されているが .鮫錐 な発 展を遂 げた為 ,植物分類学上 の位 置づけで ,今で も困難 があ り,説 の分かれ る原 因とな っている。形態 は粗 ぽサ トイモに似 て お り.球芸は,独特の風味を して いるO東商 ア ilT ,オセアニ ア,そ して我国 では南西緒島 にその分布 が知 られてい るOか っては,島 の主血 とな る重要 な 自給作物の一 つであ ったO① 喜界 島 と,その周 辺の南西諸島の ミズイモ栽培状 況
現在で も水 田のみ られ る南西諸 島の島 々では広 く栽培 されてい るが,その栽 培面概 は .敬 前 に比べて大 き く減少 した。省界 馬では,昭和30年代 以後 ,サ トウキ ビ栽培 の拡大 と共 に, ミズイモ田が排水 され,サ トウキ ビ畑に変わ るよ うにな った。 この様 な , ミズイモ田のサ ト ウキ ビ畑へ の転換 とい う土地利用の面か らと.労 助力をサ トウキ ビ畑 に奪 われた こと,或い は ,現金収入の増大によ る自給作物への依存 の低下か ら,ミズイモ田の面鎖が減少 してい っ た もの と考え られ る。
さて, ミズイモの栽培 され るところであ る机 もともとは,周年 的にかんがい可能な水田