(1) 婚 姻 にみ られ る 特 質
役場 での話によ ると. 「この島では,同 じ部落 内での婚蛸が多 く,50組の うち2‑ 3組が例 外的に部落内ではなか った」 とい うことであ るC その弟 は,明海部落67戸の うち,20戸 で行 な ったア ンケー ト調査で も護付 け る帝がで きる
。
「あな たは .どこか らお嫁 に来 られ ま したか。」とい う問 に,現在 の主婦 と一代前の主婦 とに回答 してもらったb下表0)よ うIiL結果 にな った。
\ 地 域
【
l 明 海 島音 緒 内能 登 島 外 計A l代前の主婦 ( 759%) ( 253%) 0 0 (10012%)
B 現 在 の 主 婦 ( 9018%)
0
( lo劣)20
(10020%)(症)Aには未解答 があ る
表によると.部 落内結 蝦が圧倒的に多いTFがわか る。年代的にみ て も20年 前後 は .変 化 して いない。 地理的には,海沿いのLLJ道を歩 いて,1時間ほ どかか る隣部落との婚嫡 もど くわずか である. その姫勉の理由と して は
,
「同 じ部落で よ く相手を知 ってい たか ら」が56%を 占め , 部落民相互 の親 しい面接 的係 が,婚姻成立 につなが ってい る。 婚姻の理由は,掛 、て,
「同職 韮だか ら」が16%,
「親類先だか ら」が12%,
「同 L;軽度の経済条件だか ら」が8% ,その他 8%とな ってい る。経済条件があ まり意為 されないの は ,この島が 7‑ 8割が曲芸 に従 事して お り,労働力が重視 され ,経済的にも貧篤の差 が見 られない ことに依 る。 部落 内姫が多い啓から,親戚働係は網の 目の様 に広が ってい る歩が予想さ れ るo
子供の結婚に対 しては,親は部落内でとい うのか25%,島内が20%.何 も考えていないが 20%と,過 去にみ られ る婚姻 ほど封鎖 的ではないが .や は り今 もまだ部落内での婚姻を とい う 意識がみ られる。 この通婚圏における部落の対外的封鎖性 に反 して ,対 内的には.婚姻城 立に 際 しては,醜放的である。 それは ,前述の胎咽の押血での 「同 じ部 落でよ く相手を知 っていた か ら
」
に も反映 してい る。 そこには家対 象の陶辞ではな く.個人対 個人の関係がみ られる点で 榊政的なところがあ る.結桁を認め る条 件 として.攻は64%が本人 の意志 を尊正す ると してお り.柾済的な条件や戟溝は規制す る条件 と しては,故鏡で ある。現在 ,宵年 は ,島外へ出て行 く佃向があ り,また ,若い女性は,ほとん どJJ.列 に出てお り,掛 こ戻 ってきて結 婚す る人 もい る。 部落内では共 同井戸があるが,水 に不 自由 している この島では ,井戸の ひ き方 と,親類関 係 との間 に密接なつなが りがあるそ うであ る。 また首掛 こは ,笠岡 .浜 田 とい う姓が多 く, 日‑ 27‑
振 島全体では浜 田とい う姓が多いO
(2) 俗 信 と 信 仰
漁村で漁をす る時に,信 じられ てい る俗信 があ る。 能登部 蕗で ,絢子 が数人集 ま ってい る所 で話を き くと,い くつかあ った
O
「海也に値を飲 ませ て放 つ と大漁が あるJ. この為か ,凪 ・ イル カをい じめ ないそ うで ある。僻に イルカは大 事に され る。 菅は .魚群 探知器が なか ったの で ,この よ うな俗信が生 まれたのか もしれ ない.
「よ どれた体 で女の人 は鰍 この った らい けな い」 ,これは .日本 において昔 か ら女の人の生理上の 事を忌む‑つのあ らわれ でもあ るO「海で死仏を見捨て ると,後難が お こる」 , これ も信 じられ てい るが ,いいかえ ると
,
「死骸 を ひろ って鎖ん た ら縁起 がいい」 ともいえ るO正[戒心 に根 ざした ものか も しれない し, また災 難を積んで しまえ ば,もうこの船 には災雅がおきIiい とい うー つの安心 感を示す俗信 か も知れ ない。
「月の7日に船 出す な,9日に帰 るな」 とい うのかあ る。 これは糊の干満や潮流 に関係 のあ ることか も しれない.
「三 りんほ うに網合 せす ると,漁が ない」 とい うの も信 じられてい るそ うであ る。海神 と して ,竜王様 と金比縫様を舞 ってい る。 この 島の三つ の部落には ,それ ぞれ氏神様 を 祭 ってい る神社があ り,能登には三畠神社 ,明掛 こは天満宮 ,皆路には八坂神社 がある。
(3)年 中 行 事
血相で は,E3裳 と結びついた年中行中が,多 い様 に,年中行 劉 ま生 店 と結 びついた ものであ るo この曲では軸濃が主で あ ったか ら,年 中行 中も軸廉 と狭い慣わ り合いを持 ってい る
O
史祭りは,歯路では7月14日に,明海で は8月15日に行 なわれるO 明海での祭 りは ,宇和島天満宮 か ら大夫 が派遣 され る。 おみ こしは2台あ り, 1台は12人 によ ってiET̲かれ るO 担 ぎ手が4人 , ひ きまわ しが2人,つ っか け前が2人 ,台すが りが (おみ こしを倒すのを受 け る) が左右2人 ずつであ る。 力の嬰 る仕 事なので酉年 が戒少 しつつあ るこの島では,人を奨 めるのか ,なか な か大変だそ うであ る。 能登では,後み こしとい って,み たまを後に入 れ るが ,明海では先み こ しとい ってみたまを先に入れ る。 ささ舞い とい って ,清めの為 に,ス狗 面をかぶ ったお しょう 人 が出 る。 おたび (おみ こ しをお く所)にすえ られ .大夫 さんが神楽をお どる。 おみ こしは, お宮の穀 をあが った り,下 りた り. (神様を仰 らす,腫 らす まいとい う意味) とい う鋤きを10 臥 繰 り返す。 天満宮に
,
農作 (漁) を祝い ,変わ っ‑/=野菜や ,魚 ・お酒をお供えす る07月23日・24日・25日 と宇 和島の相投神社 で ,大祭があ る. この 日は ,日額畠のすべて の漁船は宇和島の内港に泊 り,参詣す るo
ILj歴9月9Eトー新歴10月15Elは. くり祭 りで ,月夜の鴫で縮 かやすみ の時を選ぶ。 くりを
神様 (大黒株 .庚 申牒 ・仏様) に供え る。に しきまき・につ け ・焼魚 ・赤飯 (くり) ・おす し
・酢づけ ・か まぼこ ・甘酒の ごちそ うを出 して客を接待する。
大漁を祈 るため に宮にこもって折個 連は漁折 をす る。者祈祷 ・秋祈康 とあ り,梱師 がお宮に お参 りし,酒 ・魚を持 ち.おす Lを作 って飲んで ,食べ てお こも りをす るC
8月の月見 とい う行 弔を ,釣 り師組合 ・組合行 Irtと して 1年に1回行な う. お正月 は, 1日 は遊 んで, 4Elは仕事 は じめであ る. 14,15,】6日は .二度 目の正月 といい,16日には先祖を
お寺で供垂す る。
( 4
) 若者組 についてお じいさんの時代 (6D才以上) には若越中 とよはれ る若者組があ り,カイコの桑の修理を , 引き受 けた り,春 ・秋 と芝居を した・り したそ うであ る。若連中 とい う苦熱 ま,即仕 事がで きる とい う意味を持 ち,15才以上 が入 り,
, k
蛸者が残 ってい る。主体 になるのが20才 までで ,徴兵 検査がすむ と廠聞役に な ったそ うである。 若越中に入 った時 ,成 人 として認 め られ ,若衆宿 と いうものが,広 いところを借 りて5軒 くらいあ った そうであ る。 しか し,現在 は宵年 の島外 への 流出によ る減少の為 .組織だ ったもの はみ られないo Lか し,明海部落の脅年の中心 にな って い る者 の所 iこは,昭和22年頓の留年 団規約や .al錨が残 され て ,ひ き継がれてい る。 そ して , 夜になると.留年達は ,その家へ娼 ま ってい るよ うで あるO(大西 順子)
‑20‑
昭 和 49 年 度 巡 検 レ ポ ー ト
( 石川県 ・舶 倉 島 ・能登半 島)
1 . 触 倉 島 の 自 然
(目 地 形 ・地 質 ア 哉 説
舶倉 島は能登半島の輪 島の北方 沖約50伽 の 日本海上 に浮かぶ小孤 島であ る。 この島は東北 一南西方向 に長軸を もつ楕 円形を して お り.長 さ約2h .幅約1Kzn,周囲約6h の小 島であ る。
この島の舶高点は海抜
l
a57m余 りで .島の北果郡に位 置するO海岸線 は妓雑 Ti'出入 りに富み ,北西岸は鮮新世頃の紫蘇坪石 安山岩の溶岩 よ り成 る断崖で あるが,他 の海岸 は安 山岩の 砂利 よ り成 る砂利浜であ る。
また,この島 には海抜3‑1mで王に島の 帝岸を とりま き,一面謙層 におおわれた下 位段 丘 .海抜 7‑ 8mで 島の大部分を占め ,湿 原 となってい る中位 段丘 ,海抜 10Tn以上で主 に島 の北粟部に位 思 し,草 原 とな ってい る上位段丘 の3つの段丘面が認め られ る。
我 々は まず ,舶倉 島の地 形 ,地質 の苛噂 を観察 し,次に露頭や岩 礁について観察 と簡単 な 測温を行 ったo
イ 各地点の地形 ・地質
は じめに ,親祭鮎 に従 って各地点
( A.a. C .D)
の説明を してい くことにす るo〔図
1
参風)① A地点
この地点 の特徴を列挙 してみ ると.
a 大休地膚が水 平で あるo
b a層 が黒色で腐植を含んでい るo c c層の安山岩の礎が 円嫌で ある。
d 康 の大 きさが不ぞ ろいで,大 きい ものでは 長 さIm程の もの がある。
e d層 は安山岩の風化 したもので粘土質 であるo f A,B,C地層 は来園岩で あ るc
i 高い所で高 さが7m余 である (ハン ドレベル使用)0 以上 のよ うに1i'るB
この地点 は海岸段丘 の荘頚 であ り,虚瑞の粛 さは高い所 で栴抜7m余であ るが ,この附 近の段丘面の高度 は7‑ 8mであ る。段丘 面の有産 と (段丘 面の)連続 か らみ て中位段丘
と考 えてよいのではない だろ うか0
‑3牢‑
図 L 舶 倉 島
35
a屈 .・・ 黒色土,厚 さ20‑30cEn
b層 ・・・ 栂色土 厚 さ15‑20C山 C層 ‑‑ 安山岩の凍屑 厚 さ1〝I余 d層 ‑ 赤褐色 の風 化安山岩
厚 さ4.5桝
e層‑‑・安山岩の凍Ja
① B地点
この 地点の特徴 も列挙 してみ ると.
a 火 山噴 拙物 の叔灰角錬岩の上 に輝石 安 山岩がの っている。
b 輝石 安山岩 には.板状 節理の発達 してい るものと していない もの とがある。
aか ら,火 山活 動が 1回でTiく,少 な くとも叔灰角鹿砦 ので きる場合 と安山岩ので きる 場合が あ り,2回以上 にわた っていた と考え られ るB
① C地点
この地点は8地点 よ りわずか に栄 の地点であ るが .B地点 とは異 なり輝石 安山岩 はみ ら れず ,凝伏角 環岩の みで あ る.,
吃) D地点
この地点の特徴 は.
a 安山岩の牒層 があ り,その康は円鎌 であ るo b 篠の大 きさが大 休 そろ っているc
c 風化や腐植 した地席 がみ られ ない。
d 地層兼 固結
e 高 さが約4.5mであ る (ハ ン ドレペ JL,使用)
この地点 もA地点 同様海岸段 丘の罷頭 であ るが,高 さが4.5m程で一面凍層 におおわれて いる点か ら低位段丘 と考えてよいので はないだろ うか。
り 疑 問 点
舶倉 島全体を鞠蒸 した結果 ,次 のような疑問点 がJl じた。
① B地点 とC地点のよ うに近接 した地 点 であるに もかか わ らず,B地点 では叔灰角凍岩 の 上 に輝石 安山岩 がの ってい るのに対 して,Ti‑ぜC地点で は赦灰角凍岩 のみで輝石 安 山岩 が み られ ないのか。
①
C地点で岩礁 は低 い岩礁をな してい るが.その成因は何 だろうか。③ 中位段丘面 が北か ら雨にかけて少 しずつ低 くな っているが,これ は何に よるのだ ろうかO
④ 各段丘 の高度的Tj:差 があ ま り明瞭で ないが,これ はTiぜ だろ うか。
それ ぞれの問題点 に対 して考案 してみ る。
①について
B地点 で如灰角凍岩 の上 に輝石 安山岩 がみ られ ることか ら.火 山活動 は少 Tよくとも2回 に わたっていた と考 え られ るO ではB地点 では輝石 安山岩がみ られ るの にTiぜす ぐ隣のC地点 ではみ られないのだろ うか。 その理 由と しては,
a C地点 には初 めか ら溶 岩 が放れ こまなか ったので ,現在 み られ ない。