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職業の自由規制の合憲基準

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(1)

八 七 六 五 四 三 ニ ーはじめに

経済的活動の自由と二重の基準

職業の自由規制の合憲基準

職業の自由と公共の福祉

消極的規制の合憲基準 積極的規制の合憲基準 消極・積極二分論の批判と評価 むすび

職 業 の 自 由 規 制 の 合 憲 基 準

二七

9 ‑ 4 ‑‑517 (香法'90)

(2)

賛同があるにもかかわらず︑ で︑職業の自由規制の合憲性にかかわる基準を明示した︒ 周知のように︑最高裁は︑小売商業調整特別措置法に関する判決︵以下︑小売市場判決と言う︶

判決︵以下︑薬事法判決と言う︶

これらの判決は︑表面的に見る時には︑相当に明確な基準の提示のようであるが︑

を検討すると︑前掲二判決内容には整合性に欠ける部分があり︑また表現に曖昧な点も多いため︑様々な理解の可能 性が生じている︒このような理由からか︑通説となっている消極・積極二分論は︑実用的基準としては学会の大方の

その理論構造の解釈については定説を見ないというのが実情である︒

本稿は︑特に二判決の整合性を確保しつつ︑判決の指示する職業の自由の合憲基準の理論的構造を解析しようとす る試みである︒

(l)最大判昭四七•一一・ニニ刑集二六巻九号五八六頁

(2)最大判昭lLo•四・:

1 0

民集二九巻四号五七二頁

( 3

)

本稿では︑判例理論の現実的・政策的評価については扱わない︒

号二四ー六頁︑参照︒

は じ め に

それについては︑例えば︑ と薬事法に関する

戸波江二﹁職業の自由し法学教室五七

一歩踏み込んでその理論的内実

ニ八

9~- 4~518 (香法'90)

(3)

職業の自由規制の合憲基準(高橋)

経済的活動の自由と二重の基準

る二重の基準論が妥当し︑ 一般に流布している見解によれば︑経済的活動の自由と精神的自由は︑我が憲法における在り方としても︑

それは本判決によって明らかにされるところであると言う︒この議論は︑以下の職業の自

由規制の合憲基準の基礎となる考え方であるから︑若干の検討を加えておこう︒

その該当判決部分を検討してみよう︒

まず︑小売市場判決は︑﹁個人の経済活動の自由に関する限り︑個人の精神的自由等に関する場合と異なつて︑右社

会経済政策の実施の一手段として︑これに一定の合理的規制措樅を講ずることは︑もともと︑憲法が予定し︑かつ︑

許容するところと解するのが相当であ﹂るとする︒

また︑薬事法判決では︑職業は︑﹁本質的に社会的な︑しかも主として経済的な活動であつて︑その性質上︑社会的

相互関連性が大きいものであるから︑職業の自由は︑それ以外の憲法の保障する自由︑殊にいわゆる精神的自由に比

較して︑公権力による規制の要請がつよく︑憲法二二条一項が﹃公共の福祉に反しない限り﹄という留保のもとに職

業選択の自由を認めたのも︑特にこの点を強調する趣旨に出た﹂という部分が挙げられる︒

用するものとして︑ これらの部分について︑有力な学説は︑

(4 ) 

理解しようとする︒ 判決が二重の基準を採用するというのは︑いかなる意味でであろうか︑

アメリカ憲法下の判例によって発展させられた二重の基準論を原則的に採

しかしながら︑周知のように︑アメリカの二重の基準論は︑経済的活動の自由権が︑精神的活動の自由権に比して︑

憲法上の価値が低いと評価すべきであること︑

二九

ないし経済的活動の自由権が立法過程に対する保護の要請の必要性が

いわ

9~-4 ‑519 (香法'90)

(4)

う積極的帰結を得ることはできない︒ くものとは言い難いように思われる︒ 少ないことを理由として︑前者は後者に比して︑相対的により強力に制約が許される︑憲基準が妥当すべきものであるとするものである︒

判決の理論は︑以上のアメリカ流の二重の基準とは全く異なる︒蓋し︑

いった点を問題にしておらず︑

(6 ) 

いからである︒

すな

わち

より緩和された合

キーワードとなっているのは︑憲法の記述

の在り方︑及び社会的相互関連性ということであり︑精神的活動の自由の価値的優越性︑特に表現の自由の優越性と

また精神的自由権の民主主義過程に対する保護の必要性を理由としているわけでもな かかる根拠の相違を頂視すれば︑結論たる合憲基準の緩厳という点は一致するとしても︑判決がアメリカ流の二重

の基準を想定しているとは解し難い︒したがって︑判例は二重の基準を採っていると言うこと自体は可能であるが︑

アメリカ流の二重の基準の内容を含意するものでなく︑その内容は社会的相互関連性ということから導出する他ない と考えられる︒

次に︑前述判決部分について︑有力な学説は︑経済的活動の自由のみが︑政策的制約を許されており︑対比的に精 神的活動の自由は内在的制約のみが許されるとの趣旨を読み取る︒これは︑憲法の﹁公共の福祉﹂をどう解するかの 議論であり︑従来から学説上では通説となっていた考え方に則した読み方をするもので︑判例により確認されたと主

張しようとするのである︒

これを認め得るとすれば︑人権論の難問の一っに決着がついたことになるが︑筆者の見るところ︑かかる帰結を導

第一に︑小売市場判決の当該部分の文章から︑精神的活動の自由について︑内在的制約のみ被るにすぎない︑

三〇

ヽ~

とし

9 ‑ 4 ‑‑520 (香法'90)

(5)

職業の自由規制の合憲基準(裔橋)

の意義であるとして議論を進める事とする︒ 以上︑両判決から︑公共の福祉の分配論という結論まで導出しようとするのは︑結局︑論者の念願を判決に投影し判決は︑結局︑経済的活動の自由については︑し

て ︑

より緩和された合憲基準が妥当するといっているにすぎないと考えられる︒これが二重の基準論とされるもの た過剰な読みという他ないであろう︒ か

らで

ある

このことは︑文言﹁異なってLに関し︑精神的活動の自由に対する政策的制約の否定についての言及であるのか︑

あるいは︑政策的制約の可能を前提したうえで︑単なる合理的規制は精神的活動の自由には許されないということを

述べるのか︑本文自体からは判別し難いからである︒

さらに︑薬事法判決では︑経済的活動は︑社会的相互関連性が大であるので︑精神的活動の自由より︑﹁公権力によ

る規制の要請がつよく﹂︑特に﹁公共の福祉ー文汀が明示されるのだ︑

会的相互関連性という芙機の大小から︑内在的制約と政策的制約の区別を導出することが可能であるとは考え難いで

あろ

う︒

とする︒ここでも︑キーワードとなっている社

第二に︑現在の判例上︑精神的活動の自由についても︑政策的制約が認められているという事情がある︒例えば︑

美観保護のための表現の自由制約が合憲とされる場合等が挙げられる︒このような事情をあわせ考慮しつつ︑判例を

統一的に理解しようとする限り︑精神的活動の自由に内在的制約の可能性のみを見ようとする見解は︑極めて問題で

ある︒蓋し︑このことは︑当該判決が従来の精神的活動の自由にも政策的制約を認めてきた判決を総体として覆すこ

とを前提として初めて︑E張し得ることであり︑この部分が傍論にすぎないことをも無視する見解と言わざるを得ない

その社会的相互関連性が大きいことから︑精神的活動の自由と比較

9 ‑‑‑4 ‑521 (香法'90)

(6)

職業

の自

由は

それが経済的活動に関する限り︑

職業の自由規制の合憲基準

﹁公

共の

福祉

によって比較的強い規制が許されるわけであるが︑

~

( 1

)

例えば︑芦部信喜五職業の自由の規制と勺厳格な合理性し基準

L C u憲法訴訟の現代的展開

n

照 ︒

( 2

)

小売市場判決五九一頁︵傍点喰者︶

( 3

) 薬事法判決五七五頁

( 4

)

芦部﹁憲法訴訟と吋二重の基準しの理論﹂前掲六六ー七頁︑参照︒

( 5

)

芦部・前掲じ九ー八五頁︑参照︒(6)それにもかかわらず、芦部教授は、本判決を、アメリカ流の二重の基準を主張する「悪徳の栄え」判決(最大判昭四四•

O ・ :  

‑0

1

予一九貞︶の田中.一郎判事の反対意見の線上にあると理解する︒︵芦部・前掲六五I1

( 7 ) 例えば︑精神的活動の自由はー悛越的地位しにあるとか︑厳格な合憲且準であるべきとかの帰結を導けないであろう︒︵覚道豊治

五薬事法による薬局の配置規制と慮法二^一条一項﹂民商法雑誌七四巻二号一

: J O

( 8

)

尾吹善人﹃セミナー法学全集虚法ーい︵改訂版・一九七五︶一九一ー頁︑参照︒

( 9 )

樋口

1 1佐藤

1 1 中村

1 1 浦部ぶ止釈日本国憲法︵じ巻︶ー(‑九八四︶二八一頁︐佐藤幸治執筆︺︑参照︒

( 1 0 )

本文所引に続く﹁国は︑積極的に︑国民経済の健全な発達と国民生活の安定を期し︑もって社会経済全体の均衡のとれた調和的発

展を図るために︑立法により︑個人の経済活動に対し︑一定の規制措置を講ずることも︑それが右目的達成のために必要かつ合理

的な範囲にとどまる限り︑許される﹂という記述が︑本文の引用部と同じことを立法府の立場から言っていると解する場合︑むし

ろ後者の見解を足とすべきではないかと田心われる︒

( 1 1 )

最大判昭四ニ・︱ニ・一八刑集二二巻二二号二五四九頁

二七八ー八0頁︑参

9 ‑‑‑4 ‑522 (香法'90)

(7)

職業の自由規制の合憲基準(裔橋)

いかなる思考を経て職業の自由規制の合憲基準が形成されるのであろうか︒最も自覚的に述べるのは︑薬事法

判決の次の部分である︒

職業は︑それ自身のうちに何らかの制約の必要性を内在させる活動であるが︑その要因は多様である︒したがって︑

﹁規制措置が憲法二二条一項にいう公共の福祉のために要求されるものとして是認されるかどうかは︑これを一律に論

ずることができず︑具体的な規制措置について︑規制の目的︑必要性︑内容︑これによって制限される職業の自由の

し︑右の合理的裁量の範囲については︑事の性質上おのずから広狭がありうるのであって︑裁判所は︑具体的な規制

の目的︑対象︑方法等の性質と内容に照らして︑これを決すべきものといわなければならない︒﹂

それ自体としてはそれほど異とするに足りない︒しかし︑その示指する職業の自由規制の合憲基準

以上の論理は︑

︵傍

点部

分︶

については︑検討を要することが多い︒

第一に﹁規制の目的が公共の福祉に合致する﹂か否かの判定の意味について問題がある︒

とカはっきりしないのである︒思うに︑これは︑規制措闘を立法事実に照らして検討した結果得られた規制の真の

目的を指しているのであろう︒

そうであれば︑

まず規制の目的というこ

それが公共の福祉に合致するか否かは︑実際には︑措置自体の目的の

探究の後に判定される問題であるが︑叙述の便宜上省略して述べられたものと解される︒

第二に︑規制目的が﹁公共の福祉﹂と合致するかという審脊は︑規制措置の必要性・合理性を問うことと密接な関 性質︑内容及び制限の程度を検討し︑これらを比較考景したうえで慎重に決定されなければならない︒この場合︑右

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

のような検討と考蟻をするのは︑第一次的には立法府の権限と責務であり︑裁判所としては︑規制の目的が公共の福

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

祉に合致するものと認められる以上︑そのための規制措置の具体的内容及びその必要性と合理性については︑立法府

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

の判断がその合理的裁量の範囲にとどまるかぎり︑立法政策上の問題としてその判断を尊重すべきものである︒しか で

は ︑

︐ 

4~523 (香法'90)

(8)

係を持つことに注目しなければならない︒すなわち︑

(2 ) 

しつつ検討し︑真の立法目的を捜し出し︑

しか

る上

で︑

その手順は︑当該規制法律の表面上の目的を︑立法事実と照応 それが公共の福祉とされるものを実現すべく必要であると評

価しうるか︑また︑それが当該公共の福祉実現と合理的に関連すると評価しうるかが︑問題とされるのである︒実際︑

﹁公共の福祉に適合する目的のための必要かつ合理的措憤﹂であるか︑

その場合︑公共の福祉との関連で︑必要性ないし合理性が無いと判定される場合と︑独立的に︑例えば︑規制法律 の表面上の目的が︑立法事実による裏付けがないとか︑差別的で合理性が認められないとか︑あるいはそもそも不必 要な規制であるという判定がなされる場合が考えられるであろう︒後者の場合は︑規制措置の独立的な目的審音であ るが︑前者は公共の福祉該当性の審査か︑目的審査か区別できない︒しかし︑その区別は実益がないのであって︑た

だそのような必要性・合理性の判定もする必要があることに注意しておけば足りよう︒

第二に︑判決の言う﹁規制措置しについての問題がある︒すなわち︑規制措置の具体的内容及びその必要性・合理

性が立法府の裁量にまかされることになっているが︑それは目的としてのものか︑手段としてのものか︑両者共か︑

という問題である︒﹁規制の目的が公共の福祉に合致するものと認められる以上︑そのための規制措置﹂と言っている

ところからして︑ここで規制措置と言われているのは︑規制目的を達成するための手段としての規制措置であると考

えら

れる

︒ 薬事法判決の︑具体的検討部分においても︑明らかに︑規制目的の必要性と合理性︑及び手段としての必要性・合

理性を区別して論じており︑立法裁量としての取り扱いは後者に限られている︒

さらに︑裁判所による立法裁鼠の幅の認定は︑ここでは﹁規制の目的︑対象︑方法等の性質と内容に照らして︑こ

規制措憤の目的が

判所の判断対象としてきた︒ 従来の判例は︑

三四

を主たる裁

9 ‑‑4 ‑‑524 (香法'90)

(9)

職業の自由規制の合憲基準(高橋)

れを決する﹂と言っているが︑その﹁性質と内容﹂とはなんであるかについて︑検討しておく必要があろう︒

これは要するに︑小売市場判決において言われる﹁政策的技術的﹂特性のことであろう︒すなわち︑政策的判断の

必要や︑技術的判断の必要性のために︑裁判所において審杏することが適切でないとの謂であると解されるのである︒

ここで甫要なことは︑裁量範囲は裁判所が任意に伸縮し得るものではないことである︒例えば︑事案の重要性や争

われる公共の利益の重大性により左布されない︒蓋し︑裁量範囲は︑政策的・技術的要請からする裁判所の審究能力

に関わり︑原則的に事の重要性に関わらないからである︒

以上︑所引判決部分の内容は︑結局︑次のように敷術できるように思われる︒

①まず︑職業の自由に対する規制が︑公共の福祉として承認し得るか否かは︑本来的には︑比較考量によるが︑そ

れは第一次的に立法府の任務である︒

②①裁判所は︑規制措置の真の目的が公共の福祉に合致するか否かを判定するが︑合致すると言い得るためには︑

その目的が必要かつ合理的であることを要する︒

さらに︑②合致する場合でも︑その手段たる措閻に関して︑具体的内容及びその必要性と合理性について︑立法府

の合理的裁鼠に止まる限りで合憲となる︒

③立法裁量の範囲は︑事柄の政策的・技術的観点に基づき︑裁判所が決定する︒

三五

( l

)

薬事法判決五七六貞︵傍点窄者︶

( 2 )

吃法の真の目的の探究に関する問題については︑樋口陽一﹁?職業の自由﹄とその制限をめぐって﹂判例タイムズ三二五号七ー八

貞︑参照︒但し︑訴訟法上の制限のため︑裁判所においては︑訴訟当事者の主張する限りで︑真の目的が探究されるにすぎない︒

9 ‑ 4 ‑‑525 (香法'90)

(10)

な場合に︑消極的に︑

四職業の自由と公共の福祉

︵小嶋和司五薬事法第六条第二項違慮判決についてしぶ憲法解釈の諸問題し︹一九八九︺所収︑

( 3

) 芦部信喜編﹃憲法

I I I

人権切'︵一九八一︶しハニー八頁︹中村睦男執筆︺︑参照︒

( 4

) 戸波・前掲二六貞注

( 7

)

(5 J)

( 6

)

薬事法判決五八一ー七頁︑参照︒

( 7

) 小売市場判決五九二貞

上述の職業の自由規制の合憲性の一般基準をふまえて考えるとき︑

ある

︒蓋

し︑

らで

ある

まず︑公共の福祉の範囲を検討しておく必要が この範囲に規制措置の真の日的が納まることは︑必ず満たされなければならない合憲のための条件だか

小売市場判決は︑公共の福祉について︑﹁︵憲法二二条一項︶

自由な経済活動からもたらされる諸々の弊害が社会公共の安全と秩序の維持の見地から看過することができないよう

かような弊害を除去ないし緩和するために﹂規制できること︑さらに︑﹁福祉国家的理想のもと

に︑社会経済の均衡のとれた調和的発展を企図しており︑

に基づく個人の経済活動に対する法的規制は︑個人の その見地から︑

すべての国民にいわゆる生存権を保障し︑

その一環として︑国民の勤労権を保障する等︑経済的劣位に立つ者に対する適切な保護政策を要請している﹂という︒

また︑薬事法判決は︑この点につき︑職業は︑公共の福祉による規制の必要性が内在する社会的活動であるが︑;そ

三六

9~- ‑‑526 (香法'90)

(11)

職業の自由規制の合憲基準(高橋)

の種類︑性質︑内容︑社会的意義及び影響がきわめて多種多様であるため︑

のから︑社会生活における安全の保障や秩序の維持等の消極的なものに至るまで千差万別で︑

たる﹂と述べる︒

三七

その規制を要求する社会的理由ないし目

的も︑国民経済の円満な発展や社会公共の便宜の促進︑経済的弱者の保護等の社会政策及び経済政策上の積極的なも

その重要性も区々にわ

これまで説かれてきた学説を参考にしつつ︑考察してみよう︒

一般的に公共の福祉は︑人権・自由権が社会で実行された場合︑

共の安全の確保や秩序の維持を期するための制約が考えられる︒ そのもたらすことあるべき弊害に対し︑公

これについては︑言うまでもなく︑小売市場判決︑薬事法判決に︑社会の安全と秩序の維持ないし警察的措置とし

て明示されているところである︒この公共の福祉は︑人権レベルでも︑社会レベルにおいても考え得る︒

ところで︑社会レベルにおいて︑社会の安全の保障や秩序の維持のための規制が認められるなら︑さらに社会経済

政策的規制も認められ得るのではないかが︑問題となる︒薬事法判決において︑社会国家的理想からする﹁国民経済

の円満な発展﹂や﹁社会公共の便宜の促進﹂が列挙されているのは︑

このことは︑通説となっている公共の福祉を人権相吐間の衝突にのみ限定する考えかたを否定し︑人権・自由権の

社会的拘束を承認したものと解し得るわけで︑興味深い︒それに対し︑例えば︑浦部教授は︑人権に対する制約の根 拠は︑あくまで人権の論理によるべきことを理由として批判する︒本判決に言う社会国家的理想からなされる︑人権

規定に依拠しない政策的規制はその典刑とされるが︑さらに︑社会の安全と秩序の維持・瞥察的措置にも︑人権のレ

ベルでない部分を含むから︑批判対象となるであろう︒

次に︑ある個人の人権・自由権が︑社会において︑他人の同種ないし異種の人権と葛藤が生じる場合︑それを調整 ま

ず ︑

ここで述べられた公共の輻祉について︑

それが承認されたことを示しているであろう︒

‑ 4  527 (香法'90)

(12)

もう一っ注目しておかなければならないのは︑ が指摘できず︑相当異質のものとして扱われねばなるまい︒ するために︑公共の福祉が働くとされる場合がある︒従来より︑判例・学説によって異義なく認められてきた領域であり︑人権レベルの公共の福祉である︒

その場合として学説は︑①自由国家的理想に基づき︑自由権相互の衝突を︑公平の観点から調整する場合と︑②社 会国家的理想に基づき︑自由権と社会権との衝突を︑基本権の実質保障という観点から調整する場合︑を想定してい

る︒これらの調整は︑公共の福祉による制約として表現されるわけである︒

さて︑この場合について両判決共︑社会国家的公共の福祉についてのみ言及し︑自由国家的公共の福祉には説き及

んで

いな

い︒

しか

し︑

それを否定するつもりがあるとは考えられない︒

とするものではないかと思料される︒問題は︑

とで

ある

が︑

通警察的規制は︑自由の存在を前提として︑ むしろ︑消極的規制の中に含めて理解しよう

その他に以上の類型と異なる﹁公共の福祉﹂が存在し得るかというこ

それに関して最も問題的なのは︑国家目的のための規制が認められるかである︒

これは︑酒類販売業の距離制限を含む許可制について争われているところである︒高裁判決によれば︑その目的は︑

酒税確保のためであり︑公共の福祉にかなうという︒これが認められるとすれば︑酒税確保すなわち国庫の充実が公 共の福祉として︑職業の自由の制約を許すことになり︑実質的に国家目的からする公共の福祉の承認を意味すること になるからである︒日本の憲法学会では︑従来この論点を︑無視ないし殆ど生理的に排斥してきたのであるが︑今後 の理論の深まりが期待される︒認められるとすれば︑ここでの公共の福祉は︑前述

1社会的相互関連性﹂という性質

一見対照的に記述されている消極的規制すなわち警察的規制と積極

的規制とされる社会国家的理想の実施たる社会経済的規制とは︑必ずしも相互排他的なものではないことである︒普

( 1 5 )  

その秩序の維持という形で論じられる︒しかし︑実際にはそれに止まら

三八

 4~528 (香法'90)

(13)

職業の自由規制の合憲基準(高橋)

ず︑例えば︑社会経済的規制が行われる場合においても︑その規制秩序を維持するために︑警察的規制が加えられな

( 1 6 )  

ければならないのである︒この意味で︑警察的規制は︑社会経済的規制と︑相互排他的に存在するのではなく︑共存

し得る規制なのである︒

三九

そうであるとすれば︑判決が公共の福祉として挙げる二分野の存在は認められるとしても︑それらが相対的である

ことを承認しての上であるとはいえ︑消極的と積極的という相互排他的メルクマールによって特徴づけるというのは︑

適切とは言い難いと評さざるを得ないであろう︒

さら

に︑

をそれぞれ設定するというのは︑問題が多いと言わねばならないであろう︒この点については︑後にさらに検討する︒

( 1

) 小売市場判決五九二貝

( 2

) 薬事法判決五七五ー六頁

(3)例えば、樋口•前掲六頁、参照。

( 4

)

芦部信喜編﹃憲法

人権①し︵一九七八︶I I

( 5

)

薬事法判決五七七頁︑参照︒

( 6

)

その法哲学的意味は︑人権もそれ自体として目的価値あるものではなく︑社会の中に定礎さるべき部分的価値にすぎないという思

考に基づくと考えられる︒これに対して︑人権の相互間の調整のみに限定する学説は︑人権の社会構造における最高の目的価値性

を認めようとするもので︑この両者には︑根本的な︑社会と憲法に関する見解の対立が窺えるであろう︒

( 7

) 浦部法穂﹁財産権制限の法理L公法研究五一号九五貞︑参照︒

( 8

)

浦部・前掲九七ー九貞︑参照︒

( 9

)

浦部・前掲九四ー五頁は︑消極目的の規制は︑①他人の生命・健康を害さないようにするためのもの︑②他人の人間としての尊厳

を害さないようにするためのもの︑③立場の交換可能性を前提とした人権の相互調幣のためのものに止まるとする︒

( 1 0 ) 宮沢俊義ぶ恋法

I I

)

]

一四三頁︹種谷春洋執筆︺︑参照︒ それら積極・消極という性質を区分基準として︑合憲基準

9  4 ‑‑‑529  (香法'90)

(14)

五消極的規制の合憲基準

おのおのの合憲基準は異なり (11)宮沢•前掲二三五ー六頁、参照。

( 1 2 )

これを﹁制約﹂というべきかは問題であるが︑人権主体として︑孤立した人間を前提する限り︑制約と見ざるを得まい︒

( 1 3 )

東京高裁判昭六ニ・ー一・ニ六判例時報︱二五九号三0

( 1 4 )

本規制の目的の必要性・合理性は疑問とする意見が多いが︑国家目的が公共の福祉であり得ることまで否定する見解は︑筆者の探

索範囲では見当たらなかった︒

( 1 5 )

今村成和吋現代の行政と行政法の理論し(‑九七二︶九五頁︑参照︒

( 1 6 )

例えば︑﹁環境衛生関係営業の適正化に関する法律しは︑消極的︵衛生︶と積極的︵経営安定︶を同時に目的とするという︒︵佐藤

功﹁薬事法違憲判決についてし判例時報じヒ七号七頁︑参照︒︶こういうことも背然起こり得るのである︒

薬事法判決は︑営業許可制について︑消極的規制の場合と積極的規制の場合を分け︑

得ることを示唆する︒

消極的規制については︑薬事法判決が︑その基準について︑

﹁一般に許可制は︑単なる職業活動の内容及び態様に対する規制を超えて︑狭義における職業選択の自由そのものに

制約を課するもので︑職業の自由に対する強力な制限であるから﹂︑合憲であるためには︑田﹁原則として︑重要な公

共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要しすると言う︒

さらに︑①﹁社会政策ないしは経済政策上の積極的な目的のための措置ではなく︑自由な職業活動が社会公共に対

四〇

4~530 (香法'90)

(15)

職業の自由規制の合憲基準(高橋)

を導びくことになると考えられているのである︒ すなわち︑手段は︑立法裁量と考えられており︑ し

てい

る︒

してもたらす弊害を防止するための消極的︑警察的措置である場合には︑許可制に比べて職業の自由に対するよりゆ

と解

され

る︒

この基準が︑規制目的と公共の福祉との関係につきいかなる要請をするのかが理解

できないし︑規制手段との関係がいかなるものであるべきかについても理解し難いからである︒

定しうるにはなお遠いものであり︑この点に関する立法府の判断は︑

また︑具体的検討部分における以下の記述は︑このように解さないと説明できないのである︒例えば︑規制目的の

公共の福祉・重要な公共の利益該当性につき︑薬局の開設の許可条件としての地域的配置基準﹁の目的は︑いずれも

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

公共の福祉に合致するものであり︑かつ︑それ自体としては重要な公共の利益ということができる﹂と言う︒

さらに︑手段の審査において︑﹁このような目的を達成する手段としての必要性と合理性を検討し︑この点に関する

立法府の判断がその合理的裁量の範囲を越えないかどうかを判断する﹂とし︑結論において︑﹁本件適正配置規制は︑

⁝⁝二つの目的のための手段としての措置であることを考慮に入れるとしても︑全体としてその必要性と合理性を肯

その合理的裁量の範囲を超えるものである﹂と

いわゆる

LRA

原則の要求も︑裁量範囲を超える場合にのみ違憲

したがって︑上述要件の指示は︑特記と考えるべきことになる︒営業の自由の許可制に関する合憲基準は次のよう 蓋し︑特記として解さないと︑ るやかな制限である職業活動の内容及び態様に対する規制によっては︑右の目的を十分に達成することができないと認められることを要する﹂と言う︒

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

以上の記述は︑職業の自由規制の一般的合憲基準を前提として︑許可制の場合の特殊な要件について特記したもの

一般には︑職業の自由の消極的規制の合憲基準であると解されているが︑従い難い︒

︐ 

‑531 (香法'90)

(16)

②規制の目的は︑重要な公共の利益のために︑必要かつ合理的なものでなければならない︒

③規制手段は︑その必要性と合理性について︑立法府の合理的裁量範囲内にある限り違憲とされない︒その場合︑

LRA

原則が︑合理的裁量か否かの一内容として考慮されねばならない︒

注目される点は︑第一に︑許可制︑すなわち原則禁止の個別的解除という強力な規制措置は︑原則的に︑単なる﹁公

共の福祉﹂で足りず重要な公共の利益のためでなければならぬとされることである︒但し︑具体的に何がこれにあた るのかは明らかではないが︑少なくとも国民の生命・健康に対する危険の防止がこれにあたることが明らかにされて

いる︒思うに︑重要とは︑ファンダメンタルな公的利益の擁護に向けられることを言うのであろう︒

第二に︑消極的規制・警察的規制では︑許可制に比べて︑職業の自由に対するより緩やかな制限である職業活動の

内容及び態様に対する規制によっては︑規制目的を十分に達成することができないと認められることを要するとされ︑

同じく目的を達しうる場合︑ それが満たされないことは︑立法府の合理的裁量鍮越の理由となるとされる︒

より緩やかな手段を選択すべしという原則は︑

の原則は︑従来︑警察権の発動に関するルールとして認められてきた比例原則ないし必要最小限原則と実質的に同じ

ものと考えられる︒

まず問題は︑この原則がいかなる根拠に基づくかである︒最も一般的な学説は︑憲法一三条から導出される純然た

る憲法上の規範とする︒しかしながら︑この解釈で︑

LRA

原則は積極的規制の場合には適用されないという判決の

めのものでなければならない︒ ①規制の真の目的は︑﹁公共の福祉﹂の範囲に納まることを要するが︑ なものと推測されるであろう︒

(7 ) 

一般

LRA

原則として知られる︒こ さらに︑原則として︑重要な公共の利益のた

9 ‑‑4 ‑‑532 (香法'90)

(17)

職業の自由規制の合憲基準(高橋)

( 1 0 )  

記述の理由を説明するのは難しいと考えられる︒このことは︑

判決

は︑

的に

対し

て︑

LRA

原則を︑自由国家の一般原理的要求とする立場

LRA

原則の憲法上の一般的規範性を認める趣旨ではないように思われる︒本件の場合には︑ある規制目

その規制手段の必要性と合理性を要求するならば︑必要最小限の規制に止まるべきは当然であり︑何ら

一般論としての

LRA

原則の妥当を必要としないのである︒判決では

LRA

原則をむしろ合理性の一要素として構成

( 1 2 )  

しているのが興味深い︒

すなわち︑判決は︑手段の必要性と合理性は立法裁量であるが︑

はな

く︑

その判定自体は裁判所がなし得るのであって︑

極的規制には︑

そのゆえに

LRA

原則は当然裁量事項となるので

したがってその結果は︑手段が合理的裁量に止まるか︑ ヽ

とし

う判定の要素として考慮すべしとの要請を述べるものと解される︒実際︑判決はこの点に関して詳細に検討し︑手段

( 1 3 )  

が合理的裁量範囲を逸脱するとの判断の決め手としているのである︒また︑後述するように︑こう解して初めて︑積

LRA

原則が妥当しないとされることの意味が了解し得るであろう︒

( 1 ) 薬事法判決五七七頁 ( 2 )

小嶋和司﹃憲法学講話﹄(‑九八二︶一八二貞︑参照︒戸波教授は﹁小売市場事件判決をも踏まえて総合的に考察するならば︑職

業の自由を規制目的に応じて分類したものと見るのが妥当﹂として︑反対する︒︵戸波・前掲二七頁︶

( 3 )

この基準を︑芦部教授は︑﹁厳格な合理性の基準﹂と呼ぶ︒︵芦部信喜﹃演習憲法﹄︹一九八二︺一六0頁注

( 9 )

( 4

) 薬事法判決五八一頁 ( 5 ) 薬事法判決五七九頁 ( 6 ) 薬事法判決五八七頁

にも言い得るであろう︒

9 ‑ 4 ‑533 (香法'90)

(18)

る ︒ 積極的規制の合憲基準のモデルは︑

'  

このような一般論を︑かなり無媒介的に この判決の一般論部分は︑経済的活動の自由全域

( 7

)

詳細な研究としては︑芦部信喜﹁憲法訴訟と勺二重の基準しの理論し前掲﹃憲法訴訟の現代的展開し所収︑六五貞以下︑がある︒

( 8

)

これらの三つの概念は︑互換的に使われる︒例えば︑樋口

1 1 佐藤

1 1 中村

浦部・前掲二八:二頁︹佐藤幸治執筆︺︑芦部編・前掲ぶ臨1 1

I I 人権①﹄一四四頁︹種谷春洋執筆︺︑参照︒尾吹教授は︑:より制限的でない代替手段﹂と言って見ても︑﹁行きすぎはいけな

い﹂と言うのと格別涅なるものではない︑と喝破する︒︵尾吹善人﹃解説憲法基本判例し︹一九八六︺二三四頁︑参照︒︶

(9)清宮四郎編『法律学演習講座憲法い(一九五六)九七頁〔小嶋和司執管〗、参照。但し、教授自身は、一三条から必要最小限原則が

導出できるという説につき︑疑義を持たれている︒筆者は︑寡聞にしてこれに対する説得的応答を知らない︒

( 1 0 )

薬事法判決五七七頁︑参照︒

( 1 1 )

柳瀬良幹﹃行政法教科

Fい︵再訂版・一九六九︶

( 1 2 )

薬事法判決五八三貞︑参照︒

( 1 3 )

薬事法判決五八ニー七頁︑参照︒

一般に小売市場判決に窺われるとされるが︑そう言えるかは︑相当に問題であ

本判決は︑時間的に薬事法判決に先立ったこともあり︑必ずしも十分に職業の自由規制の理論を細部まで練り上げ

たうえでの判決であるとは言い難いのである︒筆者の見るところ︑

に対する規制の一般的合憲基準を意図したもののように思われる︒

営業許可制のケースに適用したものとの印象が弛い︒したがって︑薬事法判決とカップリングさせて︑職業の自由の

積極的規制の合憲基準

一九八ー九頁︑参照︒

そし

て︑

四四

9 ‑ 4 ‑534 (香法'90)

(19)

職業の自由規制の合憲基準(高橋)

比較しつつ考えてみよう︒ 積極的規制のモデルとすること自体極めて問題であり︑学問的には参考意見にすぎぬとの評価を下すべきものかもし

(2 ) 

しかしながら︑最高裁は︑本判決を維持する姿勢を示し︑かつ通説も積極的規制の合憲基準をここに求めるのであ

るから︑以上の留保つきで検討を試みることとする︒

さて︑小売市場判決は︑その営業許

制を論ずるにあたって︑経済的活動一般の自由規制の法理に遡り︑次のようn J

に述

べる

m

経済的活動の自由は︑﹁公共の福祉﹂により制限されるが︑その内容としては︑①個人の自由な経済活動からする

弊害を消極的に除去するための﹁必要かつ合理的﹂な規制は許される︒②さらに︑憲法が︑社会国家的理想を掲げる

ところから︑﹁国は︑積極的に︑国民経済の健全な発達と国民生活の安定を期し︑もつて社会経済全体の均衡のとれた

調和的発展を図るために︑立法により︑個人の経済活動に対し︑

(3 ) 

のために必要かつ合理的な範囲にとどまる限り︑許されるべき﹂である︒

ような対象について︑ れ

ない

一定の規制措置を講ずることも︑

四五

それが右目的達成

②しかし︑﹁社会経済の分野において︑法的規制措閻を講ずる必要があるかどうか︑その必要があるとしても︑どの

どのような手段・態様の規制措置が適切妥当であるかは︑主として立法政策の問題として︑立

法府の裁量的判断にまつほかない︒﹂﹁裁判所は︑立法府の右裁量的判断を尊重するのを建前とし︑ただ︑立法府がそ

の裁量権を逸脱し︑当該法的規制措置が著しく不合理であることの明白である場合に限つて︑これを違憲としする︒

この判決の示唆する基準の意味を︑職業の自由規制の一般的合憲基準︑及び営業許可制の消極的規制の合憲基準と

ここで最も問題となる点は︑規制措置に﹁必要と合理性﹂が︑本来的要件とされるが︑そのうちのどこまでが裁判

9 ‑ 4 ‑535 (香法'90)

(20)

また︑結論部において︑﹁その目的において︑ 審査対象となるのではないかということである︒ 所の判断の範囲となるかということである︒

(5 ) 

解されるが︑それは正しいのであろうか︒

このことが 一般には︑規制措置の必要性・合理性はあげて立法府の裁量に服すると

規制措置の合理性・必要性と一般的に言ったときには︑前述のように︑規制措置の目的の必要性と合理性︑

その手段にも︑必要性と合理性を要求するものであると考えられる︒判決はその内のどれを立法裁量としようという

のか︒判決は︑目的の必要性と︑手段の

切妥当とは︑必要性・合理性を含むものと見ていいだろうからである︒ さらに

﹁適切妥当性﹂を︑立法裁惜として指定していると読める︒蓋し︑手段の適

これら立法府の裁量事項に対し︑重要なことは︑規制措置の目的の合理性は︑立法裁最とされておらず︑裁判所の 下しているが︑

このことは︑単に判決の一般論の記述から読みとれるだけでなく︑本判決の具体的検討部分において︑実際に裁判

所は合理性の有無を判断していることが指摘できる︒例えば︑小売商業調整特別措憤法の規制措置は︑﹁一般消費者の

利益を犠牲にして︑小売商に対し積極的に流通市場における独占的利益を付与するためのものでない﹂という判断を

これは合理性の判断ではないかと考えられるのである︒

の手段・態様においても︑ 一応の合理性を認めることができないわけではなく︑また︑その規制

(8 ) 

それが著しく不合理であることが明白であるとは認められない﹂と言って︑手段の立法裁

量性が明らかであるに対し︑規制目的の合理性に格別に言及しているのは︑その現れと言えるのではないか︒

勿論︑単なる表現上の論拠を越え︑実質的根拠もあると考える︒それは︑判決が立法府に裁量をまかせる理由に関 わる︒すなわち︑判決は︑社会経済実体の正確な基礎資料の必要や︑当該措憤の影響の評価︑利害得失の判断︑広く

社会経済政策との調和等の評価・判断が︑裁判所において困難であることを根拠としているのであるが︑

四六

9 ‑4 ‑536 (香法'90)

(21)

職業の自由規制の合憲基準(高橋)

社会国家的理想の実現を目指す場合︑目的審査における必要性と合理性の判断について考えると︑判決の言うよう

に、その必要性についての判断は、当該措置の影響•利害得失、社会経済政策との調和といった政策的判断が強く働

き︑それが裁量とされるのは説得的である︒しかし︑合理性となると︑そのような障害は︑必然的に生じるわけでは

ヽ40

なし

そこで中心となるのは︑規制の真の目的の探究と︑その﹁公共の福祉﹂との関連性を︑説得的に証明できるか︑

という問題なのである︒そこにおいては︑格別に立法府の裁量とすべき理由はないと言うべきではなかろうか︒やは

り︑目的の合理性審査は︑裁判所においても十分可能と考え得るのである︒

次に︑最も不審がられている問題︑すなわち︑なにゆえ積極的規制には

LRA

原則は適用されないか︑

一般論として︑裁量躁越判断の要素として考えるべきこととなるは

ずである︒しかし︑具体的に検討すると︑積極的規制の場合では実は旨く行かないのである︒まず︑消極的規制の場

合の例を薬事法判決から引こう︒

﹁︵距離︶制限を施さなければ右措置による職業の自由の制約と均衡を失しない程度において国民の保健に対する危

( 1 0 )  

険を生じさせるおそれのあることが︑合理的に認められることを必要とするし︒

では︑これに積極的規制の場合︑例えば﹁国民の健康の推進﹂に代えて考えてみよう︒すぐ気付くのは︑この定式

にストレートに代人し得ないということである︒すなわち︑国民の健康の推進については︑

の目標が達成し得ぬかを考察し︑次にそれが不可能である場合︑ないし不十分な場合はその限度で︑規制的措置によ

る達成の必要性・合理性を考えるというのが普通の思考であるからである︒

そうであるとすれば︑以上の判断を︑裁判所においてするのが相応しいかどうかは︑相当に疑わしい︒その複雑な を考えてみよう︒

LRA

原則は︑前述のように︑ 積極的規制の目的審究に妥当するであろうか︒

四七

ということ

まず︑保育作用によりそ

9 ‑‑4 ‑537 (香法'90)

(22)

評価・判断過程を︑資料や理屈で裏付けるというのは︑

能な問題ではないかと考えられるのである︒この意味で︑ ほぼ不可能であり︑本来的に政策的評価・判断としてのみ可

LRA

原則の適用につき︑積極的規制は︑消極的規制とは

さらに︑本判決では︑立法裁讃事項について︑裁判所は﹁著しく不合理であることが明白である場合﹂に︑違憲と

するに止まる︒この﹁著しく﹂という限定がなにゆえ附されるかは明らかではない︒おそらく︑単純に不合理と言っ

ては︑手段の合理性についての立法裁量指定の意義を失うおそれがあるので︑注意的に附したのではないかと想像さ

れる︒薬事法判決でこれと同じ意味であって︑何らかの特殊な裁量を考えてのこ

最後に︑蛇足として︑営業許可制が積極的規制である場合の合憲基準は︑

う︒それは︑薬事法判決の職楽の自由規制の一般的合憲基準と︑その許可制における消極的規制の修正方法を参観し

つつ︑小売市場判決のやや不完全と思われる基準を補正することによって︑

すなわち︑①やはり強力な許可制が問題になるのだから︑規制目的は︑単に公共の福祉の範囲に合致するだけでな

く﹁原則として︑重要な公共の利益のため﹂のものでなくてはなるまい︒

②当該措置の目的は合理的でなければならない︒しかし︑目的の必要性やさらには手段としての必要性・合理性は︑

立法府の裁量範囲を逸脱し︑﹁著しく不合理であることの明白である場合に限り﹂違憲となるに止まる︒裁量の範囲は

同一であろう︒蓋し︑強力な規制であることが︑立法裁量の幅を狭めるとは︑考え難いからである︒

③規制措置の目的手段関係における裁星鍮越いかんについての考慮事項として

LRA

原則は︑要請されない︒

以上の基準を仮に想定し得るが︑おそらくこの基準によっても︑小売市場事件は合憲と考えることができよう︒ とではないであろう︒ ﹁合理的裁量﹂と言っているのも︑ 異なるのだと言うことは説得的であろう︒

一応の推測が可能であろう︒

四八

いかなるものであるべきかを考えてみよ

9 -~4~538 (香法'90)

(23)

職業の自由規制の合憲基準(高橋)

れは︑加重された条件である﹁重要な公共の利益﹂という要請をも満たすと言えるだろうからである︒

四九

(l)樋口•前掲ニー三頁、参照。

( 2 )

薬事法判決五八0

( 3 )

小売市場判決五九二貝

( 4

)

小売市場判決五九一ーニ頁

( 5 3

芦部・前掲﹃演習憲法﹄一六0頁︑参照︒これを︑芦部教授は︑﹁明白性の原則L

( 6 ) 小売市場判決五九ニーニ頁 ( 7 ) 今村成和﹁営業許可制と距離制限

L田中古稀﹃公法の理論︵上︶'︵一九七六︶所収︑

( 8 )

小売市場判決五九三頁

( 9 )

小売市場判決五九二頁︑参照︒

( 1 0 ) 薬事法判決五八三頁 ( 1 1 )

言うまでもなく︑国民の権利・自由は︑できるだけ侵害すべきでないというのが︑自由国家原理︵通説によれば︑憲法一三条︶の

要請だからである︒理論的には︑消極的規制の場合にも︑同じことは問題になり得る︒しかし︑社会的危険のおそれは︑端的に規

制によって押さえ得るというのが常識的思考であろう︒保育作用をまず考えることを要求されるのは︑特別の場合だけであろう︒

( 1 2 ) 正著しくしに関する不審について︑小嶋和司訟宋事法第六条第一1項違憲判決について﹂前掲﹃憲法解釈の諸問題﹄所収︑七四頁︑

9 ‑‑‑4 ‑‑539 (香法'90)

(24)

れる

︒ 最も一般的な疑問は︑この消極・積極という二区分は︑いずれとも不分明な規制措置の存在を許すという批判である︒ ここでは︑営業許可制に関して形成された︑消極・積極二分論に投げ掛けられてきた理論的な疑問について︑本稿

実際︑消極的・積極的という区分は︑例えば︑社会の調和的発展のための規制が積極で︑社会の秩序維持のためのも

かなり感性的側面を含む︑不分明な基準であることは否めない︒のが消極であるといった︑

しかし︑言うまでもなく︑これは理論的批判として︑この区分自体を崩壊せしめるものではない︒区分における不 分明領域の存在は︑現実社会において当然のことであり︑実用性に関する疑いにすぎないからである︒このような実

用的な困難に際しては︑いったん職業の自由の一般的基準に遡り︑どこが当該事件の特性からして修正されるべきか︑

どの部分が裁量とされるべきかといったことを具体的に検討することによって︑解決することができるものと考えら

この

批判

は︑

むし

ろ︑

そもそも消極的と積極的という区分と︑

それぞれに対応するとされる合憲基準が︑どのよう に理論的に関連しているかという問題に導く︒すなわち︑判例は︑消極的規制とは秩序維持のための規制措置︑積極 的規制とは社会国家的理想からする社会政策的規制措置をモデルとして妥当することを主張したにすぎない︒それを

越えて︑消極的規制ないし積極的規制一般の特性が与えられ︑

そうであるとすれば︑実用的には︑

むしろ秩序維持のための規制の合憲基準と社会国家的理想のための規制の合憲

の立場から︑評価を試みることにしたい︒

七消極・積極二分論の批判と評価

それに基づいて基準を構成したとは認め難い︒

五〇

9 ‑ 4 ‑540 (香法 '90)

(25)

職業の自由規制の合憲基準(高橋)

基準が︑判例によって示されたと言うべきで︑消極・積極的規制とは︑便宜的な仮称として考える方が適切ではない

かという疑問が生じる︒すなわち︑以上の範囲をはずれた規制措置については︑直観的に消極的ないし積極的と言い

得るように思われても︑機械的にこの二分論を適用するのは控えるべきではないかということである︒例えば︑営業

の自由相互の衡突を調整するために規制措置がとられた場合には︑実用的困難の場合と同じ操作を通じて解決を図る

方が今のところ適切ではないかということになる︒

さらに進んで︑公共の福祉の議論のところで示したように︑秩序の維持や社会国家的理想の達成の他に︑

は本質的に性格が違う公共の福祉も考え得ることを考慮すれば︑多元論の可能性さえ生じるであろう︒

例えば︑前述の酒屋の許可制について︑もし酒税確保目的の規制が︑公共の福祉に含まれるとした場合︑これは消 極︑積極どちらの目的にもさながら相当するとは言い難い︒どうも︑二分論は︑積極・消極ともいわゆる社会目的領

域に限定されるものらしく︑国家目的の場合を想定していないと考えるのが穏当のようである︒そうであるとすれば︑

それは第三のカテゴリーとしての有力な候補となるであろう︒

存するものであり︑

それらと

以上に類似した批判であるが︑積極・消極の混合した規制措置の存在を指摘して︑その弱点とする学説がある︒こ

れは︑前述したように︑本来積極的規制は︑︵その秩序を維持しようとする限り︶消極的規制とされる警察的規制と併

その限りでその批判は︑正当と考えられる︒

しかし︑区別基準において︑相対的ないし併存可能なメルクマールが採られるとき︑この欠点はしばしば現れるも

のであり︑特殊なものではない︒例えば︑表現の自由と経済的自由の交錯する場合︑それらの基準は︑どうなるかと

いう問題と同じなのである︒その解決は極めて困難であるが︑この二分論の特別な弱点とは認め難いであろう︒

また︑ある学説は︑規制法律がその規制目的として積極的規制であると称すれば︑﹁著しく不合理なことが明白﹂で

9 ‑‑4 ‑‑‑5,H  (香法'90)

(26)

ある場合にのみ違憲になり︑規制側に過度に有利になるとして︑本基準の有効性について批判する︒

筆者には︑かかる基準が︑規制側に過度に有利かについて判断能力はないが︑理論的には︑規制法律に積極的目的 を掲げても無駄である︒蓋し︑消極的規制をなすべき場合に︑積極的規制目的を掲げて違憲判断を回避しようとして

も︑立法事実の検討において︑規制目的の合理性を欠くことになり︑その段階で違憲を免れないはずだからである︒

わち 二分論に基づく合憲基準に対する根本的問題として指摘されるのは︑基準形成の根拠についてのものである︒すな

という疑間である︒なにゆえに消極・積極の二分割をなすのか︑

実際︑これについては︑はかばかしい説明はなされていない

中村教授は︑二重の基準の発展形であるとする︒しかしながら︑二重の基準の根拠は︑判例の記述による限り︑社会

的相互関連性に基づく︒これは︑消極・積極というモメントと結合しそうにないのではなかろうか︒

また︑浦部教授は︑消極的規制は内在的制約に︑積極的規制は政策的制約に対応するとし︑内在的制約を﹁すべて の人の尊厳と平等﹂を目指すもの︑政策的制約を﹁社会的・経済的弱者の保護しに限定解釈する︒そして︑前者が同 質的な市民社会を前提するに対し︑後者は同質的市民社会という前提が通用しなくなった状況を前提する︑異質な判 断場面であることこそが︑二分論の根拠であるとする︒この解釈は︑究極的に︑人権としての財産権の保障と資本主 義的財産権の制限を狙いとする構想に基づく興味深いものではあるが︑判決の文脈から相当離れており︑政策論的解

釈の色彩が濃い︒実際のところ︑判決の消極・積極二分論に︑

戸波

教授

は︑

やや詳しく実践的︑

のためのものであるから︑

策の判断は︑裁判所の審査能力を越える︒消極的目的については︑ かかる強力なビジョンが認め得るかは疑わしい︒

理論的根拠を挙げておられる︒それによれば︑①積極的規制は︑概して弱者保護 なるべく立法者の判断を祁重して合憲とすべきである︑切積極的目的たる社会・経済的政

LRA

原則が働き︑かつその判定も比較的容易で

︐ 

‑4  542 (香法'90)

(27)

職業の自由規制の合憲基準(高橋)

ったせいと思われ︑

それ以上の理論的根拠は︑見出せない︒

ある︑③職業の自由の違憲審査の基本的枠組みを提示し︑審査方法の類型化・客観化に資する︑とされる︒

①については︑前述のように︑裁量は﹁政策技術的﹂な性格に由来すると考えると︑このような根拠で︑判決にお

ける消極・積極の区分を説明できるかは疑問である︒②については︑③の審査方法の類型化・客観化の必要を認める

限り︑法技術的な類似性を持つグループを一纏めとするのは︑極めて自然であると認められるであろう︒

筆者は︑この消極・積極二分論というのは︑③を基本モチーフとするのではないかと思う︒それは︑経済的活動の

自由規制が︑極めて多種多様であるために︑その代表的な若干の規制の合憲性につき︑予測可能性・法的安定性を与

えるのは極めて有用であると考えられたからであろう︒ただ︑二分論となったのは︑それが取り扱った営業許可制と

いう素材が︑消極・積極二分論として処理するのに︑法技術的にも実践的にも適当であったという偶然的要素が強か

二分論が︑結局審査方法の適切な類型化の試みにすぎない以上︑もし︑積極・消極で示されたとは相当に異なる規

制類型が存在し得るとすれば︑その特性に応じた別の合憲基準もあってよいはずということになる︒例えば︑国家の

都合といったことが公共の福祉であり得るならば︑それは︱つの類型として︑独自の合憲基準を持つこともあり得る

と思う︒それを多元論と呼ぶことも可能であろう︒但し︑多元論は︑今のところ論理的に限定できないが為にかく自

称するのであり︑積極・消極的規制以外にあり得ないとされたときは︑二分論に戻るものであり︑暫定的仮称である︒

最後に︑特に注意を喚起したいのは︑二分論は︑職業の自由の合憲基準であるとか︑経済活動の自由規制の一般的

合憲基準のモデルとなると信じられているために︑二分論の可否が非常な重要性をおびることである︒筆者のように︑

二分論は︑職業の自由の内の︑特に営業許可制における判断基準として出現したにすぎないとするならば︑

性は思いがけない程小さいと考えられる︒それは︑職業の自由規制の一般的合憲基準においては︑ その重要

せいぜい裁量範囲

9 ‑ 4 ‑543 (香法'90)

参照

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