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沖永良部島の漁業 の実態

ドキュメント内 離島の 自然 と生活 ( (ページ 137-143)

′ 一 、

3. 沖永良部島の漁業 の実態

( 1

) 統 計 か ら

① 漁業従事者数

(表 l.) SH 年11月1日現 在

区分

市 町

総 数 変 数 雇用者 総 数最 盛 期 の従 事 者 数 男 女 年 令 別 漁 業 就 業 者 数罪 女 93の 計 29才 以下 30.‑59 60才以下

和 泊 町 59 59

0

59 59

0

54 5

0

知 名 町 17 17

0

17 17

1

14

2 0

昭和45年 の和泊町 (昭和44年 の資料がないため昭和45年 の国勢鞠査 の数 を使 う。)の世帯 数 は2.528.人口は9.507人 ,昭和44年の知名町 (これは昭和44年の資 料があ る。)の仕芯 数 は乙698,人口は9.771人 であ り,漁家 は赦盛期 で も和 泊町では全世帯数 のわずか2% , 知名町 では全世積数の0.6% ほど しかな く,従卒 音数 は最盛期で も和泊町では全人 口のわず か0.6%ほどで知名町では全人 口の0.25削まど しか ない これよ り, 沖永良部 島は漁業 の さ かんな島ではない ことと,和泊町 と知名町では和泊町 の方 が漁業 が さかん なことがわか る。

漁業従事者数 は昭和48年 には54人. 昭和49年 には57人 とな ってお り, 昭和44年 か らい うと48 年までいったん減少が見 られるが次の年には3人もふえており.わずかなが らUタ‑ン現象が見 られる。

① 孤接高 について

漁協別魚種別 漁連高は (衣 2)に示す とお りであ る。

・表 2・) S44年.月〜 12月

(

主 昌 ('書芸三

漁 協 別

あ じ類 かつお類 まぐろ類 た い類 さめ叛 ぴなど とび魚 さわ ら ぶ り

沖 永 良 部 7 3 2 6 5

0

8 21

0

瀬物類 その他魚 類 魚類計 いか類 えび類 水産動物その他 の 水産 動物計 且類 ## 其珠 合 計 291 15 96 6 4 2 l 12

00

0 108

5.600 2.550 15.782 540 2.800 430 3,770 0 0 0 19,552 み てわか るよ うに,きびなどやぶ りは沖永 良部 島ではと られていないよ うだ。 きびな どの方 は大畠本島で多 くと られてお り,ぶ りは沖永良部島 と与論 島以外 の奄美 の島 々で と られてい る。

奄美諸島の他の漁協と比較す ると沖永良部島は,漁歩高 では低 い方であ る。

和泊町 の資料で は,昭和46年 か ら50年 まで の漁獲高 の推移がわか る。 (表3) をみ るとわか (表 3)

年 漁堆高It)

S

46年 62.4 47年 73.2 48年 87,0 49年 90.0 50年 70.2

るよ うに,昭和49年 までは漁独 創 ま除 々に増加 してお り,49年 には46年 の約1、5倍に もな ってい る. この理 由に は ,天候 ̀こ恵 まれ たことと,無 動力船 か ら動)3船へ変 った ことや網 を引き上 げるのに機械 化 され た こと などの全面 的機 械化 の導入によ るもの と考 え られ るo昭和50年 にIi‑ると 20日まども減少 したが ,これは天候 が寄か った ことと関係 してい ると考え

られ る。

昭和50年に は .和泊町 の挽坪福 は,70.2tで金額で は76,240.ODOR, 知名町の漁糠南 は約67.7tで金額 にす ると54,719.000円で ,沖永 良部全 休 では137.9tで, 130.959.000円とな り.昭和44年 と比較す ると.数皿 の方 ではあま り増加 し ていないに もかかわ らず ,金額 は6.7倍 に もな ってい る。 これ は物価が 44年 当時 に くらべて大 幅 に上昇 したため であ る。

a) 狼男挿類別経営体 数

(表 4) S44年12月 現 在

敷網 刺絢 かつお その他 小 型定 置 地 引網 実 妹 その他

市 町

一本釣 一本的 (待網)

和 泊 町 46 0 0 0 32

0 0 0

14

知 名 町 15 0 0 0 9

0 0 0

6

(蓑 4) を見れ ば,沖永良部は結局 ,その他 の一本釣 りと.そ の他 の所 だけであ る。 そ の他の 一本釣 りには,代 表的なもの と してははたとか まつがあげ られ る。

‑134‑

漁船 数 について

昭和 44年 の漁船 数 は (表5) を見 ればわか るよ うに沖永良 部 島で は5トン未満 の動 力船 と

1トン未 満 の無動 力船 だけで あ るO 昭和44年 当時 は .5トン以上 の ものは奄美清 畠では大 島 本島 だけで あ った。

(衰 5)

ン 数 別

市 町 村

無 動 力 船 tlトン1トン以上の 無動力漁船未満の 5トン未 満 5トン以上 計

隻 トン 馬力 隻 トン 馬力 隻 トン 馬力 隻 トン

トン 和 泊 町 46 43.16 149

643.16 149 ll 7.28

と ころが ,和 泊町の資料 で は, (表6) で 昭和46年 か ら49年 の漁船数 の推移をみ ると, 5トン以上 の動 力船 が増 え ていることがわか る。 また動力船 の数 もかな り増加 して きてお り 無動 力船 は減少 してい るO ここに漁兼 の機械 化が進 んでい る ことが わか る。

(蓑 6)

トン数別

3トン未 満トン数 #3‑ 5トン数トン5‑ 1トン数0トン 総 トン数 無 動 力船トン数 トン数

昭和46年 48 46.00 48 46.00 9 4.28 57 50.28 47 49. 52.29 2 a15 1 7.00 52 67.44 9 4.28 61 71.72 48 53 73,38 4 16.12 57 73.44 2 0.28 59 73.46

⑤ 漁港 につ いて

昭和30年 10月21日に奄美 群島振興 事藁 の指定 漁港 と して知名が指定 され .外 か く施 設 (延 長 メー トル,1.011m), けい留施 設 (延 長 メー トル, 188.77花)が あ る。 しか し.現在 漁 港 と しては指定 された知名港 よ りも.和 泊港 の方 が .沖永 良部 漁業 協同組合 が和 泊 にあ る関 係 上 .また漁家妓港地 区 (和 泊のよ うな都 市的性格 を持 ったlR蕗の一 角に架掃的 に集 ま った もので あ る。 手 々知名 地区が それであ るO) があ る鞠 床上 ,活発で あ る。 それ に加 え.現在 では和泊 港よ り少 し束方 に. 大規模 な大型船 の接岸で き る施設 が建設 され たO他 に漁港 と し ては./ト規模 なが ら乗 シナ掛 こ面す る伊延港 (払た ちが上陸 す る酪 ここか らは しけが 出 さ れ た。 ), 島の西岸 に位 吐す る住吉 港, 知名 よ り

IkJほ ど西方 に位 置す る白浜港 とがあ る0

設 備 については. だいたい この奄美群 島は珊瑚礁 と台風 の常其衷帯 に もかかわ らず, どの漁 港 も余 りよい とはいえず,漁民の人た ちも今後 の整鳩を期待 していた。

(表7) S45年 12月末 単位 トン

工 場 名 所 在 地 製 氷 冷 蔵 凍 結 貯 水 備 考

沖永良部島には,和泊に冷蔵 と貯水施設があ るのみ で,その他 の施 設の設置が望まれてい る。

まとめの時間の関係上 漁業セ ンサスか ら漁唖高 .従車者数 ,経営体数 ,坐数 の変 化を くわ しく追 うことがで きなか った。次では加えたい と思 う。

( 2)

ア ンケー ト結果

1 1976年5月現在‑

ア ンケー トは折 り込みの とお りである。 7 ンケ‑ ト番号 1か ら14の調査項 日ごとについて述 べ るo なお ア ンケー ト総数 は12人 (これは ,面接形式で 1人ずつに対 して謁査 し,私達 の手 で q

記録 したいため ,多 くの人 々に対 してHilく時間が なか ったせ いであ る。 ) この内分 けは ,和泊 町にて10人 .知名町にて2人である。

(D 年 令 ・住所

0年 令 20・24.30,37.40.42.50.54,56.62.才の人 々で20代 の若者の二人 は兄弟で ,大阪 に出稼 ぎに行 き油菜 と関係 ない戟 業についていたが ,帰 って きて漁具 を埠 めた人が この中の 3人 (20,24,37才の人) お り.37才の人 は4咋 臥 20,24才 の人 は2年 日であ った。こ こ

にUター ン現象 が うかがわれ る。 なお. この人 々のすべてが男性 であ る。

o住所 和泊町手 々知名6人 .和泊2人 ,知名町小 米3人 ,与論島 (出稼 ぎ) 1人であ る。

この結果か らわか るよ うに,和泊港のほ とん どの晩発従事者 は,事 々知名 とい う部 落に住ん でお り,このことは手 々知名が .漁菓築落地区であ ることを意味す るだ ろうo また知名町小 米に居住す る3人の うち 1人は和泊港を 自分の基地 と して,毎 日,和 泊に出勤 とい う形 で通 って来 .漁業を営 んでい るo 与論島 か ら出稼 ぎに来 ている人 は,深海建 縞式はえ縄を主 と して い る漁兵曹 に履用 されてい る人で ,家族を与論島において出稼 ぎとい う形 で来 てい る。 年

2回ほ ど与論島には捕 るのみ だ とい う。与論 畠か らなぜ 沖永良部 島まで来 て曲集をや るのか と言 うと,与論島の方が漁 業規模が小 さい らしく.それに加えて .漁の比内消史の関係 もあ るらしい。 そ して又後 は深海建術式はえ抱の屈主 の腕 と才 党 をたよ りに していたが, この 雇主に雇 われ てい る人は全員 ,彼の腕を信 じ.彼の腕 1つ でみ んなが輩われ てい るよ うだo o出身地 神永良雄 3人 与論島6人 不明3人 で,弓偏 砧か らの人が多 く,もともと沖永

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良部島 でや っていた人は少 ない。与論島か ら来 た人 は,そ こで も漁某 を していたそ うだが, やは り小 さ くて食 べていけないので.25年 前か ら30年 前の間 に家族みん なで沖永良部 に移住 してきた人 が多いO

⑦ 缶方 の家族 の趣某 は何ですか。

専業 10人 ,兼 業2人で,この兼兼は王に虚実 で ある. 自分 の妻が魚屋を営む人 が4人 ,紬 轍 の人 が 1人であ り,両方や ってい る人 も中にはいた。

魚屋 についてで あるが ,だいたい朝7時頃か ら晩 8時頃 まで,漁のあ る時 だ け売 り,その 売れゆきは よ く, くさる心軌 まない とい う。家族 内では .夫 は梅へ漁に出かけ,妻 が店で夫 の とって きた魚を売 るとい う形がほとん どである。和 泊町には店 が7軒あ るが,店 を持 たな い独英者 は,店を持つ漁糞 者 に売 って もらっている。 その軌 売 り上げの8割 を 自分が と り

2割を店の人が とるとい う場合 が多 い。

① 母方 は漁業の他 に何か仕事 を持 って いますか

ほとん どの人は漁某を主 とす るが,暇な時 (漁 に出かけない時) には農薬 (ェ ラブユ リ, サ トウキ ビ, フリー ジア) をす るが ,生 計は ほとん ど漁兵 でたててい る。

① 漁某の経営方法は何ですか。

共 同5人 ,個人7人 で .個人の人で も時 々追 い込み網 とい う時 には12‑15人 くらいの共同 でや る。 また刺網 の時にも4人 くらいでや るC共同5人 とい うのは .深海建舶式 はえ縄を や ってい る人た ちである。

① どん な漁法です か

一本釣9人,追い込み胸 5人 .深海越網式はえ縄3人で.これは主 なのであ って,この う ち二つを兼ねた り,他に刺網 ,袋細 などの漁法 を してい る。 (写3‑ 1,2)

① 虫方 は どの海域に行 って軌を と りますか

沖永良部近 海,沖永良部 と徳之島 との中間海域が主であ り,沿岸独英 と沖合漁港 の両立 と い う形を とる. そ して また,この海域 と転流 との脱

については.規棚主流か らの分岐流が 沖永良部島 と徳之 島 との間に横切 っているために .沖永良部 島の漁業 者に と っては,この海 域がよい漁場 とな ってい る。

① どうい う種類 の魚 を採 りますか。

サ ワラ,ムツ,ホタ,な どと答 えて くれたが これについては,2の統計表を参考 に してい ただきたい。 (写3‑3

,4 )

① どの くらいの且の魚を採 るか。

この項 目について,漁果 者は ,は っき りと した量 がわか らず .答 え方 もあい まいであ る。

これ は私達の質問 が答 えに くい内容の ものであったため と思 われ る。 しか し.年 平均約 1i

とい うのが普通で あ り.年 間収入は 1人当 り平均200‑300万 円であるとい うこの ことにつ いては, 2の統 計表を参考に していただ きたいO

⑤ ど うい う舟を も ってい るのか。

くり舟 を持 ってい る人がほ とん どで ,中に動力和船型漁船 を持 つ人 が2人いた。

くり舟について‑・・‑・木材は杉 .大 きさは長 さ約8m,巾1mくらい, 1‑ 1・5tであ るo 舟底 は 1本 の木を くりぬい

上か ら 後か ら 横か ら

[ 亙二, ▽

7

エ ンジ ン

て作 り上部だ け組合せであ る。 作 りには鉄製の釘 でな く竹製 の釘 が使われてい る。

昔は無動 力船 で人 がかいで こいでいたが,今は全部4.5馬力のエ ンジ ンを もつ動力船 で あ るD くり舟 は糸満の系列を引 き,沖永良部LLで な く.沖縄か らその くり舟 造 り専 門職で ある糸満 とい う人 が作 り,完全 な形 でこの畠 に運ばれてきてい る。 この舟の保存は ,サメの油を年に

2,3回ぬることであ るが ,舟の寿 命は約30年であ る この島で曲集をや って いる人 はほ と ん ど この くり舟を 1隻持 ってい る。 (写3‑ 5)

⑬ あなたはど うい う組織 に属 していますか。

漁集協同組合にす べての漁賀春 は入 ってい るが ,家族内では父親が入 り息子 は所 属 してい ない らしいO若者 は青年 団に属す。

① とった魚を どのよ うに してい ますかD

売 るとい うのがほ とん どで ,その残 りを家族で食 べ るとい う形であ る これ はどこで も同 じで あると思 う。

⑧ 漁協の仕 弔

え さ,永 .油の販売であるが ,港 の設備 が惑 いか ら活動 とい って もあ ま りしていないO

⑮ どれ くらいその活動 に参 加 してい るか。

組合 への活動の参加は,だいたいにおいて幹部の人 についてい くとい う傾向であ る。

④ 組合に対す る希 望

国や県が港の設備をよ くしては しい とい う意見 が多 く.組合 に対す る直二接 的希望 と しては 若者が漁業をや ろ うとす る意欲 を もたせ る方法を考 えては しい とい うのがあるが ,具体 的な もの としては事務所 の確保 が一番の要求だ といえ る。

以上 で ア ンケー ト結果に ついての説明 を終え るが ,これで少 しで も沖永良部 島の漁業 の実 態についてわか ると思 う。

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