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Katsumasa HIRATA 戦前の社会事業分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究Ⅰ

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長崎大学教育学部教育科学研究報告 第46号 53〜65(1994年3月)

戦前の社会事業分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究Ⅰ

―社会事業関係雑誌における「精神薄弱」関係用語の検討を中心に―

      A Histrical Study on the Conception of 

Mental Deficiensy  through the Field of Social Welfare in Japan before World War Ⅱ (the First Report)

Katsumasa HIRATA

      〈目   次〉

 はじめに一本研究の課題意識と方法一

第1章 戦前の社会事業関係雑誌における「精神薄弱」関係資料の全体的特徴

(!) 年次別変化よりみた場合

(2) 雑誌別にみた場合

第2章 戦前の社会事業関係雑誌における「精神薄弱」関係用語の変遷とその特徴  おわりに一まとめにかえて一

はじめに 一本研究の課題意識と方法一

 本研究は,近現代の日本社会において「精神薄弱」という用語が,どのような経緯で歴 史的に登場し,また,「精神薄弱」という概念が,医学・心理学・教育(教育学・教育実 践)・社会事業の各分野でどのような特徴を持ちながら歴史的に形成・確立・変容してき たのか,さらに,その用語・概念が,日本近現代史の各発展段階において法制度上の用語・

概念としていかなる歴史的社会的被制約性と未発の可能性を内在させながらその時々の現 実社会の中で機能してきたのか,その点を丹念に解明していこうとする一連の研究作業ω の一環である。その一連の研究がめざすところのものは,「精神薄弱」という「障害」を もつ人々が,人間としての価値を低められることなく,同じこの世に生を受けたかけがえ のない人間として尊重され,共に社会の主人公として「人間の尊厳」を打ち立てていける ような,そういうヒューマニズムを思想的根底に持ち,且つ人権保障の内実をもった用語・

概念と法制度体系の創出にある。それは,同時に,現代日本の社会と教育を貫徹・支配し ている「能力主義」のイデオロギーを超克していく新しい価値観と思想の創造を志向する ものである。そして,この研究作業それ自体が,筆者自身における新しい価値意識の自覚 化・明確化の過程であり,「精神薄弱」問題の民主主義的野決(=人権保障の無差別平等 化とその実質化)をめざす主体形成の営みである。

長崎大学教育学部教育学教室

(2)

54 平 田 勝 政

 以上のような課題意識と志向性を根本に持ちつつ,本稿は,戦前の社会事業分野におけ る「精神薄弱」関係用語・概念の歴史的形成過程とその特徴を,戦前の社会事業雑誌の中 に散在している「精神薄弱」関係資料を整理・検討する中で解明していこうとするもので あり,この分野に関する歴史研究の第1報である。この社会事業関係雑誌資料の分析につ いては,本誌第44号所載の拙稿ωの「はじめに」の中で指摘したように,これまでの研究 作業では手付かずのままであったため,全体の研究を(a)一①の段階(雑誌分析)から(a)一

②の段階(人物研究)に進めていく上で桓桔となっており,研究の着手が急がれていたと ころである。そのことを自覚して,筆者は,戦前の社会事業関係雑誌における「精神薄弱」

関係資料の収集・整理作業にとりくみ,既に本誌第45号にその文献目録を発表しておい た。(3)本研究は,その目録に末尾の〈資料1>の目録(4>を追加し修正を加えたところの計 359件の資料を分析対象にして,戦前の社会事業分野における「精神薄弱」関係用語の変 遷の解明に課題を限定して検討をおこなっていくものである。

第1章 戦前の社会事業関係雑誌における「精神薄弱」関係資料の全体的特徴

(1)年次別変化よりみた場合

 まず,前提となる戦前日本の社会事業関係雑誌の特徴について若干の言及をしておこう。

表1は,戦前の主要な社会事業関係雑誌の発行期間の一覧を示したものである。その表1 から明らかな特徴は,戦前の社会事業関係雑誌の多くは,各分野,領域誌及び地方誌・植 民地誌を問わず,1920年代前半の時期を中心に創刊・発行されているということである。

そこには,①第一次世界大戦後の世界的なデモクラシーの高揚とロシア革命の影響,②国 内における米騒動・普選運動野にみる民衆の台頭と階級対立(労・資,地主・小作)の激 化等に直面して,動揺する天皇制国家秩序を社会政策の強力な推進による新しい協調体制 の創出によって切り抜けようと,内務省(社会局官僚)が中心になって各分野・領域で,

また全国的規模で,社会事業の積極的推進をおこなったことの影響がみてとれる。より具 体的には,社会課の設置による地方行政整備と全国社会事業大会(第五回(1920年)・第六

回(1921年)・第七回(1925年))等の影響が表れたものといえる。そのことをふまえるなら ば,戦前の社会事業関係雑誌における「精神薄弱」関係資料は,大部分の雑誌の発行期間 が1920年前後以降ということから,主に大正後期・昭和戦前期の時代の社会事業界におけ る営為を反映しているといえる。そのことを前提にして,次に「精神薄弱」関係資料の年 次別変化の特徴をみていこう。

 表2は,前述の文献目録で確認した359件の資料を年次別・雑誌別にその数量的変化を 整理して一覧表にしたものである。

 年次別変化で特徴的なことは,①1917〜18年,②1924〜29年(特に1926年と1928〜29年),

③1936〜39年(特に1936年と1939年)の3つの時期に,資料件数の量的増大のピークがあ るということである。まず①のピークは,「東京市養育院月報」誌の後継誌である「九千」

に連載された柴崎壽松の論文「異常児学級を受け持ちて」「異常児学級の安房分院転地」

等㈲によるものであり,質量(一量的拡がりと内容の深さ)において社会事業分野におけ るピークを特に形成しているとは言いがたい。

 ②のピークについては,まず1924年(!4件)の資料は,「育児雑誌」掲載の資料(ll件)

(3)

戦前の社会事業分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究1 55

表1 戦前の主要社会事業雑誌の発行期間

種別 施設誌 地方社会事業雑誌 植民地社会事業誌 誌名 A B C D E F G H 1 J K L N P Q R S T u V X Y Z

(代表名)

感児 東育 人社

化童 京院

教保

児研

市月

育護 養報

1886(M,19)年 F A=慈善(A−1)→社会と救済(A−2)→社会事業(A−3)→厚生問題(A−4)

1887(M.20)年 P888(M.21)年

18885

F=大日本監獄協会雑誌(F−1)→監獄協会雑誌(F−2)→刑政(F−3)

1889M 22 一 T L=日本児童協会時報〔L−1>→育児雑誌(L・2)→母と子(L−3)

1890(M,23)年 P891(M.24)年

F.1 P=東京市養育院月報(P−1)→九恵(P−2)→(P−1)→東京市養育院時報(P−3)→救護時報(P−4)

1892(M.25)年 R=東京府慈善協会報(R−1)→東京府社会事業協会会報(R−2)→社会福利(R−3)→厚生事業(R・4)

1893(M.26)年 P894(M.27)年

大日本監獄雑誌→ T=救済研究(T−1)→社会事業研究(T−2)→厚生事業研究(T−3)

1895(M.28)年 X=朝鮮社会事業(X−1)→同胞愛(X−2)→(X−1)→朝鮮厚生事業(X−3)

ユ896(M.29)年

F−1 Y=満洲之社会(Y−1)→社会研究(Y−2)/満洲社会事業(Y−3)→社会事業と社会教育(Y−4)→

1897(M.30)年

P898(M.31)年 関東州厚生事業(Y−5) Z=社会事業の友(Z−1)→厚生事業の友(Z−2)

1899M 32 P

1900(M.33)年 19013

1901(M.34)年 1902(M.35)年 1903(M.36)年

1904(M.37)年 19055Q

1905(M.38)年 1906(M.39)年 F−2

1907(M.40)年 A P.1

1908(M.41)年 19097

1909M.42 B

1910(M.43)年

P911(M.44)年 19118 T

!912(M.45)年 19138

1913(T。2)年 1914(T.3)年 A−1

1915(T,4)年 E R

1916(T.5)年 19177 P−2 19L74 T.1

!917(T.6)年

1918(T.7)年 A.2 L R−1

1919T.8 1920.7

1920(T.9)年 19191 Y

1921(T.10)年 G R−2 u X 19229

1922(T.11)年 19232 L−1 19231 19235

1923(T.12)年

P924(T.13)年 D H 1 S

19258

 T19258i Y−1

1925(T.14)年 1926 19264 19269 P.1 1926(T.15)年

P927(S.2)年

感化

K19279

L.2

V

Y.2@Z192811

1928(S.3)年 P929(S.4)年

A.3 F.3 教育

T−2 X−1

1930(S.5)年 P931(S.6)年 P932(S.7)年

C19331

19317 19312

奪嚢

レ3

1933(S.8)年 P934(S.9)年

P935(S.10)年

Nl9357 R−3

ii193§10

Z−1

1936(S.11)年 193512 P.3 Y.3

1937(S.12)年

P938(S.13)年 P−4 X−2

1939(S.!4)年 19387 Y−4

1940くS,15)年

1941(S.16)年 1940 194112 194012194010 X−1

1942(S.17)年 A.4 Z.2

1943(S.18)年 P944(S.19)年 P945(S.20)年 194412

19431

   194411944.919443

  19434194312

1944 19443

19447工9446

R.4

19441 194311 X.3

194312 19432

※ M=明治,T=大正, S=昭和

(4)

56 平田勝政

表2 戦前の社会事業関係雑誌における「精神薄弱」関係資料の年次別・雑誌別の推移 全国誌 分野・領 域誌 施設誌 地方社会事業雑誌 植民齢会事羅 A B C D E F G H 1 J K L M N 0 P Q R S T u V W X Y Z

合計

資料数の年次別分布 社会事業 救済議曇鍵 方面 済生 刑政感児 サ童 ウ保

児童保護我が子 少年保護 乳幼児難 育児雑誌 寛嚢難 愛育保そ

轤フ 桝シ

東育 梔@

s月 {報

人道社会福利 共存 茎鍵要 連帯時報 共栄 その他 朝鮮関係 満洲関係 台湾関係

1902(M.35)年 1 1

1903(M.36)年 0 1904(M37)年 0 1905(M.38)年 0

1906(M.39)年 1 1

1907(M.40)年 0

1908(M.41)年 7 1 6

1909(M.42)年 1 1

1910(M.43)年 0

1911(M.44)年 1 1

1912(M.45)年 1 1

1913(T.2)年 5 1 1 3

1914(T.3)年 2 1 1

1915(T.4)年 5 1 1 3

1916(T.5)年 7 4 2 1

1917(T.6)年11 3 7 1

1918(T.7)年20 3 1 12 4

1919(T.8)年 3 2 1

1920(T.9)年 6 2 2 2

1921(T.10)年 9 1 1 1 1 1 2 2

1922(T.ll)年 1 1

1923(T.12)年 4 2 2

1924(T.13)年14 1 ll 1 1

1925(Tl4)年10 1 1 4 1 1 1 1

1926(T.15)年19 2 1 9 1 2 3 1

1927(S.2)年 7 2 1 3 1

1928(S.3)年 18 1 1 4 6 3 1 1 1

1929(S,4)年20 4 1 3 5 4 1 2

1930(S.5)年 11 2 1 2 1 2 1 2

1931(S.6)年 9 2 1 3 1 1 1

1932(S7)年 7 1 1 2 3

1933(S.8)年 10 2 1 1 2 1 2 1

1934(S9)年 14 3 2 1 1 3 2 2

1935(S.10)年11 1 2 1 1 1 3 1 1

1936(S.11)年27 3 1 1 15 1 3 1 1 1

1937(S.12)年 18 3 1 1 1 1 5 1 1 1 1 2

1938(S.13)年20 1 9 2 2 1 1 2 1 1

1939(S.14)年28 ユ2 5 2 3 1 1 4

1940(S.15)年 12 1 4 1 1 3 1 1

1941(S.16)年12 4 1 3 2 2

1942(S.17)年 5 3 1 1

1943(S.18)年 2 1

1944(S.19)年 0 1945(S20)年 0

合 計

i%)

359

i100%)

(1葛(昌)(面 3(08) 2ω6)(漏昆1)!7

i47)

9(25) !0

i28)

(る)昆1) 1(03)(昌) 3(。8)(1葛(轟 16

i4,5)

(島) (ゐ) 5(14) 16

(長) 7α9)(盛)

(5)

戦前の社会事業分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究1 57

によるもので雑誌の性格上転載記事が多く「精神薄弱」関係資料のピークとして取り扱う には難がある。その点で1926年は,質量ともに重要なピークを形成している。1928〜29年 も同様である。よって1920年代後半を「精神薄弱」関係資料の年次別推移における「第一 ピーク」ととらえておく。それは,ちょうど後述する第一回児童保護事業会議i(1926年)

の開催前後から第二回(ユ930年)開催までの時期にあたる。

③のピークである1936〜39年は,医学・教育・心理の各分野にほぼ共通しているピーク であり,精神薄弱者保護法制定に関わって社会事業分野も同様のピークがあることを例証

している。この1930年代後半のピークを「第二のピーク」としておく。

(2)雑誌別にみた場合

 最も多く「精神薄弱」関係資料を掲載しているのは,G=「感化教育→児童保護」(56 件15.6%)である。特に「児童保護i」は,第6巻第5号(!936.5)で「精神薄弱児保 護問題特輯」を,また,第9巻第7号(1939.7)で「精神薄弱児の問題」を,それぞれ 特集している。それが,「第二のピーク」のリード役を果たしている。「児童保護」誌は,

前継誌の「感化教育」を除いて考えると発行期間(1931.7〜1944.1)はわずか!0数年 余りであるが,計53件の論文・資料を掲載しており「精神薄弱」問題を最もよく取り扱っ た雑誌として注目してよい。

 次に多いのが,L=「日本児童協会時報→育児雑誌→母と子」(50件!3.9%以下,代 表誌名として「育児雑誌」を使用する)である。前述したように「育児雑誌」は,他誌掲載 の論文・資料の転載や摘録が多く原著論文は少ない。三田谷啓を中心に,「精神薄弱」問 題に関して必要な知識・情報を読みやすく解りやすく提供している点で,啓蒙誌としての 役割は果たしているが,前述の「児童保護」のようなリード役は果たしてはいない。

 三番目が,T=「救済研究→社会事業研究→厚生問題」(43件12.0%以下代表誌名を

「社会事業研究」とする)であり,四番目が,A=「慈善→社会と救済→社会事業→厚生問 題」(33件9,2%以下「社会事業」とする)である。両誌ともわが国の社会事業界を代表す る雑誌である。発行期間が長いわりには掲載論文の量が少ないといえるが,ほぼ途切れる ごとなく要所要所に「精神薄弱」問題に関わる重要な論文を掲載している。

 その他の雑誌で資料件数が二桁のものは,①前にふれたL=「東京市養育院月報」の後 継誌「零下」が,1917〜18年にほぼ集中して計20件(5.6%),②J=「少年保護」が前野 誌の1=「我が子」を含めて計19件,同じくQ=「人道」が19件(5.3%),③1920年代後 半の「第二のピーク」の形成に貢献しているH=「児童保護」が!7件(4.7%),④R=

「東京府慈善協会会報→東京府社会事業協会会報→社会福利→厚生事業」が16件(4.5%),

⑤〈資料1>の目録で新たに加えたF=「監獄協会雑誌→刑政」が12件(3.3%),である。

 以上に挙げた雑誌が,社会事業関係雑誌の中で「精神薄弱」問題に関する資料を比較的 多く含む主要な雑誌であり,累計すると計285件で,全体の約8割(79.4%)を占めてい

る。

(6)

58 平 田 勝 政

第2章戦前の社会事業関係雑誌における「精神薄弱」関係用語の変遷とその特徴

 次に,戦前の社会事業関係雑誌における「精神薄弱」関係用語の変遷とその特徴をみて

 ナ   エ

い一つ。

 表3は,各論文・資料の題目からみて使用頻度が高いと判断される「精神薄弱児」「低 能児」「白痴児」「白痴低能児」等に注目して,計359件の資料を,1文献1用語を原則(=

題目で特定し,題目で不明のもののみ本文から特定する)にして特定し,重複を含めて計 388の用語を整理したものである。また,表4は,戦前に開催された全国社会事業大会・

全国児童保護事業大会(会議)の協議事項や決議においてどういう「精神薄弱」用語が使 用されているかを,特に決議文に注目して特定し,一覧表にしたものである(6)。以下,表

3と表4を手がかりにして検討していきたい。

 表3によれば,社会事業関係雑誌における「精神薄弱」関係用語の変遷過程とその特徴 は,次の5つの時期に分けて把握することができる。

 ①第1期(ユ902〜1915年)

 第1期は,1902(M.35)年から1915(T.4)年までの時期である。この時期の特徴 は,資料の件数が少ないとはいえ,「低脳児」(1902年と1913年)を含めて「低能児」が用 語として大勢を占めていることである。特に1902年という早い段階で登場する「低脳児」

は,末尾〈資料1>の目録Nα1が示すように,片山国嘉(東京帝国大学医科大学法医学講 座教授)が使用している用語で,「低能」の用語・概念と関わって注目される。すなわち,

片山は,犯罪者の精神状態(是非の弁別の有無)によって刑法上の取り扱い(無罪か有罪

 健康ノ精神    病的ノ精神

齪 一{痒}一へ:

健康ノ精神 中間ノ精神 病的ノ精神

精神」を設定して三分法となし,その両者の「中間の者」を「低脳者」

能者」とはなっていないが,本誌第44号掲載の拙稿(P.69)で樋口長市が整理した明治 末期の「低能」概念の「第一類型」の原型にあたると考えられる。その意味で,Nα1の資 料は,「低能」なる語の使用の「始をなした人は,大学の片山博士である」という樋口の 指摘を裏付けるものである(7)。また,1906年2月の段階で〈資料1>の目録No 2の資料が 明確に「低能者」を使用していることも注目される。筆者による教育(教育学・教育実践)

分野の用語の検討結果では,1907年にそれ以前に支配的であった「劣等児」に代わって

「低能児」が新しく登場して「劣等児」を凌駕していくのであるが,No l, No 2及びNo 9

(=第2期に属するが)の資料に見るように法医学や監獄関係者の間ではその1907年以前 から,またそれ以後も「中間者」としての「低能者」が使用されていたという事実は注目

されてよい。樋口が整理した「第一類型」の「低能」に関わって,その用語・概念の成立・

展開・変容に独自の流れが存在していることに留意しておく必要がある。なお,上記以外 の「低能児」の使用は,主に脇田良吉,乙竹岩造らの施設・教育関係者によるものである。

 ②第2期は(1916〜1925年)

 第2期は,1916(T.5)年から1925(T。14)年までの時期である。この時期の特徴 か,重罪か軽罪か等)が大きく異なることから,

左図の上側のような「健康ノ精神」か「病的ノ 精神」かという従来の二分法では実際上はっき り区別をすることが出来ず不都合がおこること から,左図の下側のような両者の間に「中間ノ        とした。まだ「低

(7)

       戦前の社会事業分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究1

表3 戦前の社会事業関係雑誌における「精神薄弱」関係用語の年次別推移

59

資料数 用語数

「精 神 薄 弱」 関 係 用 語

精神薄弱(児・者) 低能(児者) 白痴(児者) 白痴低能児 そ  め  他

1902(M.35)年 1 1 低脳者(中間者)G)

1903(M,36)年 0 0 19畷M,37)年 0 0 1905(M.38)年 0 0

1906(M.39)年 1 1 1

1907(M,40)年 0 0

1908(M.41)年 7 7 1 6

1909(M,42)年 1 1 1 精神病的中間者(n

1910(M.43)年 0 0

1911(M,44)年 1 1 1

1912(M.45)年 1 1 1

1913(T.2)年 5 5 2 2 1 低脳児(D

19!4(T,3)年 2 2 1 1 愚鈍児童(1)

1915(T.4)年 5 5 4 1

19!6(T 5)年 7 7 2 2 1 2 痴愚者(2)

1917(T.6)年 11 11 2 2 7 異常児(7)

1918(T.7)年 20 20 4 8 8 異常児(8)

1919(T.8)年 3 5 2 1 2

1920(T,9)年 6 8 3 3 1 1 劣等児(1)

1921(T.10)年 9 9 4 4 1 異常児童(D

1922(T,!1)年 1 1 1 劣等児(D

1923(T,12)年 4 4 2 2 劣等児(n,智能異常(D

19刎T.13)年 14 14 3 3 8 精神発育制止〔3),白痴,痴愚・魯鈍〔2},劣等児{1},劣等児低能児{1)他

1925(T,14)年 10 12 5 5 2 智力薄弱(2)

1926(T,15)年 19 19 11 3 5 異常児㈲,特異児童(D,劣等児低能児(D

ユ927(S,2)年 7 7 2 3 2 異常児α),劣等児低能児(D

19劉S.3)年 18 21 9 3 3 6 精神発育制止〔2),劣等児低能児(毎智能遅滞〔1},異常児童〔n

1929(S,4)年 20 20 12 5 3 劣等児②,不具廃疾(D

1930(S.5)年 ユユ ユ3 4 8 1 異常児童(1)

1931(S.6)年 9 9 3 6 異常児童(4),精神欠陥者(D,白痴・痴愚(D

1932(S.7)年 7 7 1 3 3 異常児童(2),欠陥児童(1)

1933(S,8)年 10 10 5 4

19釧S.9)年 14 16 9 3 4 異常児(以特殊児童〔1},欠陥児童〔1),精神発育制止(D

1935(S.10)年 11 12 8 3 1

ユ936(S,1ユ)年 27 27 23 4 異常児㈲,精神欠陥者(D

1937(S.12)年 18 29 18 6 3 2 異常児(D,精神欠陥者(1)

1938(S,13)年 20 21 10 4 1 6 智能的精神的異常児童(5),異常児(D

1939(S.14)年 28 29 27 1940(S,15)年 !2 12 8

21

1 2 異常児(D,低弱智能者(1)

1941(S.16)年 12 12 7 4 1 特定不可(D

1942(S.17)年 5 7 5 1 1 劣等児低能児(D

1943(S.18)年 2 2 1 1 異常児(1)

19姐S.19)年 0 0 1945(S.20)年 0 0

合計(%) 359 388 185(47.7%) 86(22.2%) 24(6.2%) 10(2.6%) 83(21.4%)

(8)

60 平 田 勝 政

表4 全国社会事業大会・全国児童保護事業大会における「精神薄弱」関係用語一覧

大   会   名 開 催 年 月 日 開催地 出席者数 協議事項・決議等における「精神薄弱」関係用語

第一回全国慈善同盟大会 1903(明治36)5.11〜 大 阪 約200名 特になし

第二回感化救済事業大会 1910(明治43).5.21〜23 名古屋 約350名 特になし 第三回全国慈善事業大会 1915(大正4).11.15 京 都 約400名 特になし

第四回全国救済事業大会 1917(大正6).11.3〜5 東京 約600名 「低能」「白痴」

第五回全国社会事業大会 1920(大正9)6 3〜5 東京 約800名 「白痴低能児」

第六回全国社会事業大会 1921(大正10).11.4〜7 大 阪 約1500名 「劣等児,低能児,白痴児」

第七回全国社会事業大会 1925(大正14).5.13〜16 東 京 約2000名 「低能児,白痴児」

*第一回全国児童保護事業会議 1926(大正15).12.2〜4 東 京 約360名 「精神薄弱児童」(劣等児,低能児等の分類・名称問題)

*第二回全国児童保護事業会議 1930(二重禾[15).11.18〜20 東 京 約500名 「心身異常児」としての「白痴,低能児」

*第三回全国児童保護事業大会 1934(日召禾09). 6.18〜20 東 京 約650名 「身体並精神異常児」としての「精神薄弱児」

第八回全国社会事業大会 1935(日曜禾010). 10. 23〜26 東京 約3000名 「心身欠陥児童」としての「精神薄弱児童」

*第四回全国児童保護大会 1939(日長矛[114). 10. 12〜14 東京 約500名 「心身欠陥児童」としての「精神薄弱児」

紀元二千六百年記念全国社会事業大会 1940(日日禾口⊥5).10.10〜12 東 京 約3000名 「精神身体又は環境異常児童」としての「精神薄弱児」

は,1916年に登場した「精神薄弱児」という用語が,若干の途切れはあるものの継続性を もって使用され,「低能児」とほぼ互角の使用頻度で推移していることである。また,191 8年に「白痴児」も総称用語として根強く使用されている点も特徴的である。こうして用 語としての「精神薄弱児」は登場してきたが,表4が示しているように,全国社会(救済)

事業大会(第四〜七回)では,「白痴児」「低能児」「劣等児」が用語としては支配的になっ ている。なお,第2期開始の1916年における「精神薄弱児」の使用は,いずれも三田谷啓 によるものであり,教育分野と同様,ほぼユ915〜16年にかけて三田谷は,意識的に「精神 薄弱」を用語として使用し始めたことが確認できる。また,石井亮一にみられる「白痴低 能児」という用語を論文の題目に使用しているのもこの時期に特有のものである。しかし,

石井亮一は,その論文「白痴低能児の処遇に就て(一)(二)(三)」(「東京府慈善協会会報」

第7・8・9号!919〜20年)の中で,冒頭において「精神薄弱とは何ぞ」という問いか ら考察を始めており,従来「白痴」を上位の用語・概念として使用してきた人物であり影 響力も大きいだけに重要な用語の転換を予示している。事実,1925年には,論文「精神薄 弱児の保護に就て」(「連帯時報」第5巻第5号)において,文字どおりの転換を遂げてい

る。

 ③第3期(1926〜1929年)

 第3期は,1926(T.15)年から1929(S.4)年までの時期である。この時期は,前 章で確認した社会事業分野の「第一のピーク」とまったく同じ時期にあたり,「精神薄弱 児」の使用頻度が,全体として「低能児」を凌駕していく点に特徴がある。この時期に

「精神薄弱児」使用頻度を高めているのは,三田谷啓はもちろんであるが,それ以上に菊

(9)

戦前の社会事業分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究1 61

池俊諦であり,菊池が主宰する雑誌「児童保護」(児童保護協会発行 1926.4創刊)で ある。この第3期に「児童保護」誌に掲載された論文・資料のほとんど全部が「精神薄弱 児」を使用している。特に,「児童保護i」誌の第1巻第1号から第9号(1926.12)ま で(8)連載された長論文「精神・薄弱児の教育並保護」は,教育分野の雑誌では「教育問題研 究」第79・81・83号(1926〜27年)に,社会事業分野の雑誌では,「感化教育」第10号(1 927.12)に全文転載されており,ここでは立ち入った検討は用語に限定しているためで

きないが,その影響を含めて「精神薄弱」関係用語・概念史研究にとって注目すべき論文 である。今後に予定している感化事業分野の人物研究の中で本格的な検討を行なっていき たい。表4が示すように,第一回全国児童保護事業会議(1926.12)において「精神薄弱 児」が用語として採用されているのは菊池の影響とみてよい。実際,菊池俊諦は,「精神 薄弱児童保護教養に関する件」が議案として協議された同会議の第二部会の副部長(部長 は留岡幸助)をしている。また,その会議では,「劣等児と低能児の分類及名称を明かに」

すべきことが決議されている。こうしてみると,1926年は,用語としての「精神薄弱児」

にとって重要な転換年であるということができる。さて,表3からは,さらにユ928〜29年 に「白痴」の使用頻度がやや高いことに注意を引かれるが,これは,マーチン・バーの論 文の翻訳を,「人道」誌上に短く計8回連載されたことによる。

 ④第4期(1930〜1932年)

 第4期は,1930(S.5)年から1932(S.7)年までの時期である。この時期の特徴 は,「精神薄弱児」の使用頻度が低下して,再び「低能児」の使用頻度が「精神薄弱児」

を上回ることである。この時期は,資料件数がやや落ち込んで少なくなっているため,不 確定な要素を含んでいるが,教育分野では,この時期,文部省主催の「精神薄弱児童養護i 施設講習会」(1931〜33年計3回)を契機にして「精神薄弱児」の使用頻度が「低能児」

「劣等児」を凌駕していく時期であるが,その点では好対照をなしている。表4が示して いるように,第二回全国児童保護i事業会議(1930.ll)が,第一回の「精神薄弱児」とは 異なって,再び用語として「白痴児,低能児」を使用していることから判断して,社会事 業界には,その保護対策(白痴院・低能児学校の設置)と関わって「低能児」「白痴児」

という用語が根強く残っていることが示されている。

 ⑤第5期(1933〜1943年)

 第5期は,1933(S.8)年から1943(S.18)年までの時期である。この時期になっ てはじめて「精神薄弱児」という用語は,「低能児」を凌駕しはじめ,特に1936年以降は 用語として大勢を占め支配的となっていく。いま少し細かくみると,1933年は,まだ使用 頻度が「低能児」と拮抗しているが,1934年からは「精神薄弱児」が明確に優i勢に転じて いることが窺える。この時期は,第三回全国児童保護i事業大会(!934.6)で「精神異常 児」(上位)の下位として「精神薄弱児」が明確に使用されており,また,「日本精神薄弱 児愛護協会」が関係者によって設立(1934.10.22)されている時期でもある。そのこと を考え合わせると,1934年が,社会事業界における「精神薄弱児」という用語の確立年で あるといえる。そして,この第5期に,1939年を頂点として,精神薄弱者保護法制定との 関係で「精神薄弱」概念とその処遇体系が明確化されていったものと考えられる。それは,

社会事業分野だけでなく戦前日本の関係分野全体における「精神薄弱」概念の到達点と見 ることができる。

(10)

62 平 田 勝 政

おわりに 一まとめにかえて一

 以上,戦前の社会事業関係雑誌における「精神薄弱」関係資料を手がかりに,社会事業 分野における「精神薄弱」関係用語の変遷とその特徴について整理・検討をおこなってき

た。しかし,本稿は,戦前日本の社会事業分野における「精神薄弱」関係用語・概念の歴 史的形成過程とその到達点・問題点を,精神薄弱者保護法制定運動における「精神薄弱」

概念に焦点化しながら,解明していくという一連の研究作業としては,いまだ予備的検討 の段階に位置するにすぎない。そこで,さらに今後に取り組むべき課題を以下に述べて本 稿のまとめとしたい。

 第一の課題は,戦前の社会事業分野において開催された全国社会事業大会等の各種大会・

講習会において「精神薄弱」に関わる用語・概念が,どのような時代的思想国文脈の中で 具体的に議論され,概念化への努力が積み重ねられてきたのか,その事実関係を実証的に 丹念に解明していくことである。本稿は,当初の構想では,第3章で「戦前の各種社会事 業大会における『精神薄弱』関係用語・概念の変遷とその特徴」と題してその点の検討を する予定でいたが,規定の紙幅の関係で表4を使って若干の言及をした程度に終わってし

まった。割合をした分は,本稿の続編(第H報)として他日別稿をもって発表していきた い。それによって,社会事業分野における(・)一①(主に雑誌分析)の段階を終えることが できると考えている。

 第二の課題は,上に述べた研究の中で,社会事業分野において「精神薄弱」概念の形成 に重要な役割を果たしていると判断される人物に注目して,その人物の関係業績(著書・

論文等)を検討し,それぞれの「精神薄弱」概念の形成過程と到達点及び共通点・相違点・

相互浸透関係等を明らかにしていくことである。その研究作業を,2つに分けて取り組む ことである。ひとつは,戦前の「精神薄弱」施設関係者(石井亮一,脇田良吉,岩崎佐一,

川田貞治郎,久保寺保久,林蘇東ら)の検討である。もうひとつは,感化事業関係者(菊 池昏昏ら)の検討である。前者の関係者の検討の際に注目すべきは,厳密な意味での「白 痴」(=就学免除の対象となった重度の「精神薄弱」児)の概念どうとらえ,その処遇を どう構想していたかという点である。後者の感化事業関係者の場合には,「不良児」と

「低能児」(精神薄弱)との関係をどう区別と統一の関係において認識を深めつつ,概念化 してきたのかという点である。より細かな課題については,具体的に検討する段階で述べ ていきたい。

 〈註>

1)筆者のこれまでの研究成果は,茂木俊彦・高橋智との共同研究書である『わが国にお ける「精神薄弱」概念の歴史的研究』(多賀出版 全397頁 1992年)の中に収められて いる。簡単に記すと,①第1章の「児童研究」誌の分析(日本の部〉,②第2章の精神 医学領域(精神神経学雑誌)の分析,③第4章の教育学領域(教育雑誌)の分析,がそ れである。共同研究の解消後の継続研究の成果としては,次のものがある。

④戦前の教育学分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究一教育学者の乙竹岩造と樋   口長市の検討を中心に一「長崎大学教育学部教育科学研究報告」第44号 pp.59−78   1993年3月

(11)

戦前の社会事業分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究1 63

⑤戦前の教育実践分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究1(上)(下)一東京高師附  小「特別学級」歴代担任教師の検討を中心に一「長崎大学教育学部教育科学研究報告」

  第45号 pp,139−1671993年6月 2)前掲註1)の論文④参照

3)平田勝政:戦前日本の「精神薄弱」関係資料目録(H)一社会事業関係雑誌を中心に一

「長崎大学教育学部教育科学研究報告」第45号 pp.!31−1381993年6月

4) 〈資料1>の目録は,その後の点検で気付いた遺漏分と新たに「刑政」(代表伊興)

誌上の資料を加えて作成したものである。選者によって資料の選択が多少異なるであろ  うが,これで戦前の社会事業関係雑誌における現時点で把握・収集可能な「精神薄弱」

関係資料の大部分は網羅しえたと考える。なお,「教育的治療学」(藤倉学園発行),「治 療教育」(小金井学園発行),「愛護i」(日本愛護協会発行)等の「精神薄弱」関係施設・

団体の雑誌資料は,意図的に除外した。それは,それらの資料を除外して考察すること が,逆に社会事業分野一般における基本的特徴を,より明確に把握できると判断したか  らである。もし含めるならば本稿で確認している諸特徴はより顕著になるであろう。

5)なお,この柴崎壽松の論文「異常児学級を受け持ちて」等に関わって言えば,これま  での先行研究である大井清吉・建川博之の論文「東京都養育院収容精神薄弱児の教育的

処遇に関する歴史的考察」(「東京学芸大学特殊教育研究施設研究紀要」第1号 1967年)

 は,次のように述べている。「巣鴨分院勤務した授業員柴崎寿松は当時の『養育院月報』

 に約1年間にわたって,『異常児学級を受け持ちて」という題で連載していると伝えら れる。しかし,残念ながらその資料がない」(p.197傍点筆者)と。柴崎論文をどう 分析するかは今後のことに属するが,少なくとも「その資料がない」という点は,訂正  されなければならない。津曲・清水・松矢・北沢編著『障害者教育史」(川島書店ユ985 年)所収の津曲氏の論文(p.165)も,大井・野川論文に依拠しており,東京市養育院  「特別学級」の再研究が必要になっているといえる。

6)表4に示した各大会については,個々の出典を明示しないが,「社会事業」誌に掲載  されている大会報告をはじめとして,「社会事業研究」誌や「児童保護」誌に依った。

さらに確認のため現在残されている大会報告集(主に日本社会事業大学図書館所蔵のも の)に依った。

7)なお,樋口のこの指摘は,榊保三郎編著『異常児ノ病理及教育法教育病理学及治療学  (上巻)』(1910年第二版)の次のような記述に依拠したものと推定される。

「低能ナル語ノ言語ハこほ氏ノ(Psychopathische Minderwertigkeit)ナル語ヲ東京帝 国大学医科大学教授片山博士が法医学ノ意義邪智テ精神病者ハ責任無能力者,健全者ハ 責任能力者…トシ其中間二位スル所謂中間精神状態ニアルモノヲ称シテ低能ト訳セリ」

 (pp.737−738) て

8)社会事業史文献調査会編『社会事業雑誌目次総覧』(第5巻及び別冊・解題)では、

児童保護協会発行の「児童保護」第1巻第1〜5号については、「不明」として処理さ れているが、筆者の調査で「不明」となっている該当号は、駒沢大学図書館に所蔵され ていることがわかった。参考にしていただければ幸いである。

(12)

64 平 田 勝 政

〈資料1>戦前日本の「精神薄弱」関係資料目録II一社会事業関係雑誌(追補)一

No著者名 題    目 誌名・巻号 発行年月

1.片山国嘉 精神病医学より観察したる犯罪者の処 「監獄協会雑誌」第15巻第 2−23 1902(M.35)一1

1号

2.吉田栄次郎 低能者の処遇に就て 「監獄協会雑誌」第19巻第 12−21 1906(M.39)一2

2号

3.富士川游 変性に就て(1×2) 「監獄協会雑誌」第21巻第 (1)4−15 1908(M.41)一6

6号,第7号 (2)14−25 1908(M.41)一7

4.三宅二一 精神病的中間者(1×2) 「監獄協会雑誌」第22巻第 (1)1−20 1909(M.42)一6

6号附録第7号附録 (2)1−18 1909(M.42)一7

5.池田隆徳 白痴の生れる第一原因は飲酒 「救済」第2三二10号 49 1912(T.1)一10 6.小田原分監 痴愚者は如何なる程度まで教育し得ら 「監獄協会雑誌」第29巻第 (1)68−72 1916(T.5)一3

るるか(1×2) 3号,第4号 (2)57−63 1916(T.5)一4

7. 精神薄弱児教育 「監獄協会雑誌」第30巻第 82−83 1917(T.6)一4 4号

8. 独逸国に於ける精神薄弱児教育の一斑 「監獄協会雑誌」第30巻第 83 1917(T.6)一4 4号

9.印南於菟吉 低能者の名称使用に因て 「監獄協会雑誌」第30巻第 1−8 1917(T.6)一10 10号

10.呉 秀 三 精神病者保護取締に関する私見 「九品」第209号 6−12 1918(T.7)一7

*「医海時報」第1253号初出

11,石井亮一 白痴教育(上)(中)(下) 「九恵」第211号,第212号, (上)4−9 1918(T.7)一9

*「神経学雑誌」第17巻第8号,9 第213号 (中)4−9 1918(T.7)一10 号,第10号初出 (下)9−15 1918(T.7)一11

12.藤林栄吉 東都特殊教育視察談 「救済研究」第7巻第9号 50−55 1919(T.8)一9 13.添田敬一郎 旧記児童保護の現在及将来 「社会と救済」第4巻第3号 1−38 1920(T.9)一6

14.マーチン・バー 低能者を隔離せよ 「監獄協会雑誌」第34巻第 25−26 1921(T.10)一6

6号

15.三田谷啓 教育治療院 「社会事業研究」第13巻第 59−63 1925(T.14)一1

1号

16.荒木善次 低能児教育の心髄 「刑政」第38巻第7号 28−36 1925(T.14)一7

17.下田光造 脳の衛生(1×2×3)(4×5×6) 「児童保護」第1巻第4, (1) 3 1926(T.15)一7

5,6,7,8,9号 (2) 3 1926(T.15)一8

(3)5−9 1926(T.15)一9

(4)4−8 1926(T.15)一10

(5)4−7 1926(T.15)一ll

(6)14−20 1926(T.15)一12 18.林 蘇 東 精神的欠陥が反社会性行為に及ぼす影 「東京府社会事業協会会報」 10−17 1929(S.4)一3

第13落第3号

19,古森隆一 異常児童の教養 「社会時報」第12巻第7号 23−28 1932(S.7)一7

20.杉田直樹 乳幼児保護と異常児童発生予防の問題 「方面」第8巻第11号 2−9 1933(S.8)一ll

(13)

戦前の社会事業分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究1 65

No著者名 題    目 誌名・巻号 発行年月

2!.児 玉 昌 愛知県下に於ける精神病者・精神薄弱 「方面」第8巻第12号 7−9 1933(S.8)一12 者調査報告

22.菊池俊諦 第八回全国社会事業大会に於ける児童 「児童保護」第6巻第1号 全86頁 1936(S.11)一1

保護問題に就いて 附録

23.佐藤興一秋航治郎 実現を切望する母性及び異常児保護対 「母と子」第17巻第4号 40−41 1936(S.11)一4

安部灘・鮒一郎

24林 蘇 東 心理臨床上より観たる少年の予後考察 「少年保護」第1巻第6号 29−35 1936(S.11)一6

25.吉益脩夫 刑事政策より見たる精神薄弱の問題 「刑政」第49編第8号 22−34 1936(S.11)一8

26.荒木善次 保護司は楽し 「少年保護」第2巻第2号 67−75 1937(S.12)一2 27.児 玉 昌 白痴と去勢手術 「方面」第13巻第5号 13.15 1938(S.13)一5

28.村松常雄 遺伝は精神作用に影響するか 「少年保護」第3巻第8号 30−35 1938(S.13)一8 29,小泉清太郎 精神薄弱者を持つ親に捧ぐ 「少年保護」第4巻第6号 15−18 1939(S.14)一6

30.竹谷止孝 異常少年(低能児の巻)(1×2) 「少年保護」第4巻第9号, (1)75−79 1939(S,14)一9

第ユ0号 (2)88−92 1939(S.14)一10

31.ピエトロ・ イタリーに於ける異常児と少年犯罪者 「少年保護」第5巻第10号 53−57 1940(S.ユ5)一10

コルシイ 処遇

32.横山義顕 精神薄弱児童の取扱いに就て 「児童保護」第10巻第12号 48−55 1940(S.15)一12 33.南里佐久磨 S児は伸び行く 「児童保護」第10巻第12号 56−60 1940(S.15)一12 34.高田義一郎 低能者の教育機関 「社会事業研究」第28巻第 99−103 正940(S.15)一12

12号

35.沢田露霜 養護院と精神薄弱児 「児童保護」第11巻第4号 39−42 1941(S.16)一4 36,林 蘇 東 浅草寺児童教育相談所の現況と将来 「児童保護」第11巻第7号 28−36 1941(S.16)一7

37.奥田三郎 生きている子供 「児童保護」第12巻第4号 ll−13 1942(S.17)一4 38.森 健 造 問題の子とその取扱いに就て 「児童保護」第12巻第9号 6−15 1942(S.17)一9

(1993年ll月1日 受理)

参照

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