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戦前の教育実践分野における「精神薄弱」概念の

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(1)

戦前の教育実践分野における「精神薄弱」概念の

      歴史的研究Ⅰ (下)

―東京高師附小『特別学級』歴代担任教師の検討を中心に―

平  田  勝  政

       A Historical Study on the Conception of

Mental Deficency  through the Field of Educational Practice in       Japan before World War Ⅱ (the First Report)

Katsumasa HIRATA

       〈目   次〉

 はじめに

第1章 東京高師旧訳「特別学級」関係者にみる「精神薄弱」関係用語の変遷     と特徴

第2章 1910〜1920年代初期『の担任教師における「精神薄弱」概念の検討  (1)小林佐源治の場合     (2)田島真治の場合

 (3)小野秀瑠の場合      (4)黒沼勇太郎の場合

第3章 1920年代中期・後期の担任教師における「精神薄弱」概念とその権利     思想の検討

 (1)隈江信光の場合      (2)佐藤末吉の場合 第4章 1930年代の担任教師における「精神薄弱」概念の検討     一長沼幸一を中心に一

 おわりに一まとめと今後の課題一  く註〉

 〈資料〉東京高師三三「特別学級」関係者の「精神薄弱」関係文献目録(H)

(上)

(下)

第3章 1920年代中期・後期の担任教師における「精神薄弱」概念とその権利思想の検討

 小野,黒沼以後(1923年度以降)の「補助学級」担任教師たちには,児童分類とその処 遇に関する問題をさらに発展させた研究はなかったといえる。ここでは,1920年代の中期・

後期を担った隈江信光(担任期間1923〜1930年度)と佐藤末吉(1923〜1929年度)の「精 神薄弱」概念を確認しつつ,主に「精神薄弱児」の権利思想について検討していく。

長崎大学教育学部教育学教室

(2)

154 平 田 勝 政

心理学概念 医学概念 教育(学)概念

(智能指数)

0−20 一…

…・

秩@痴

21−40… … 一滴 愚「

41−70…

    …・軽 愚・」

μ・・低能児

71−90……一 一二 鈍一・

・・

等児(二境界児,中間児)

(1)隈江信光の場合

 まず,隈江からみていこう。隈江の「精神薄弱」概念に関する認識は,論文「特殊児童 の鑑別と其の方法」(G−10 1929.1)においてほぼ集約的に表現されているといえる。

それは,次のようである。

 「我々は,智能の低い児童に対して,一概に特殊児童と呼んでいるけれども,所謂其の  特殊児童の中には,種々なる段階のあることは言ふ迄もない。……今夫れ等の智能の低  い子供に就いて,精神病学的の言葉を借りて之を分類して見ると大体魯鈍,軽愚,痴愚,

 白痴と言ふ様になる様である。……而して魯鈍と言ふのは,詰り普通に言はれている劣  捨児と言ふ部類に属する子供であって,之は外に境界児又は中間児とも称せられてい  る。次に,軽愚,痴愚と言ふのが,世に所謂低能児と言はれている部類に属している子  供であって,白痴と言ふのは最も智能の低い子供を言ふのである。……(ビネー・シモ  ンの智力検査法によれば)大体智能指数が,0−20までの子供は白痴と見倣し,21−40  の子供は痴愚,41−70迄を軽愚,71−90迄を魯鈍つまり劣等児,と見るのである。」

 (pp.249−250)

 これを図示すれば,下図のようになる。黒沼においてはじめて登場した心理学・医学・

      教育学の3分野の統一的概念は,

      若干の相違はあるが,隈江にも継       承されているといえる。その意味       では,1920年代の後半になって3       分野の二分類概念(用語)がひと       つの相関関係を明示して使用され        るようになったと言うことができ        る。

 次に,隈江における「低能児」の権利思想について見ておきたい。前章で検討した小野 は,「デモクラシー」と「文化主義」の二大思潮が「低能児教育」を促進した,という非 常に興味深い指摘をしているが,その具体的言及の中には「権利」という思想的表現はな い。その点で,後任の隈江は,次節でみる佐藤とともに,明確に「低能児」の「権利」に ついて言及しており,注目される。隈江は,着任早々の抱負を込めた論文「教育堂の裏門 から」(G−l l923.6)の中で,次のように述べている。

 「私は,今教育堂の表門とか裏門とか,変でこな言葉を使用してみた。私の所謂裏門と  は,頭の低い児童の側からの考へ方を指して言ふのである。私は今特殊教育,低能児教  育と言ふ様な方面からの研究から教育全体を眺めて見たいと思ふのである。…(教育の)

 目標とは,…世の所謂大家とか学者とか言ふ人達の頭を借りて言へば,むつかしい言葉

 で色々説明されるかも知れないが,…最も簡単に,手取り早く言って仕舞へば『児童の

 一生を通じて真に幸福であらしめる様に考えてやる』と言ふことでしかない,只夫れっ

 きりだ。…子供が其の子供相応に,精一杯に延び上がって夫れ々々天賦の幸福を捕え得

 る様にしてやることが,教育の根本義であると思ふ。……(続いて「教育の能率」上よ

 り,また,社会防衛論の立場から,「低能児」教育の「国家的事業」としての必要を主

 張した上で)……吾等は又単に国家的の意味からばかりでなく,一人の低能児と云ふも

 のを一個の人間的存在といふ点から考へて,人道的見地から,これ等恵まれざる同胞を

(3)

 救済すべき道を考へてやらなければならない。彼等とてもこの世に生を享けた者であれ  ば,同じく一個の人間として,社会に於て幸福な生活をなすべき要求を持ち,権利を持つ  ているのである。」(pp.87−88)

 また,論文「特殊教育に対する社会的見解」(G−5 ユ925.ユ)の中で,次のようにも 述べている。

 「…如何なる児童も,同様に教育を受ける背き権利を有している。即ち受教育権の平等  と言ふ様な立場から,当然彼等低能児とか,劣等児とか言ふ部類の児童が,彼等の智能  に適応したる教育の方法によって,教育を受けることを要求し,且つまた国家は,之が  施設について,当然考究しなければならない…」(P.149)

 このように隈江は,「劣等児」「低能児」の「幸福な生活」追求への「権利」と「受教育 権の平等」を明確に主張しており,注目される。ただし明確に分類概念として区分された

「白痴」の「権利」にまでは言及していない点に留意しておく必要がある。「如何なる児童 にも」の中に,「白痴」は想定されていないと見てよい。

(2)佐藤末吉の場合

 次に,佐藤末吉について見ていこう。隈江と同時期に着任した佐藤には,「精神薄弱」

概念に関わる言及がほとんど見られないが,隈江以上に明確な権利思想を展開した点で注 目される。そのことを端的に示すのが,論文「特殊児童の権利」(H−3 ユ925.1)であ る。天皇主権の時代に,このような題目の論文が発表されたことは,大正デモクラシーと いう時代が産み出し得た貴重な思想的成果であり,内容的にみても,わが国最初の障害者 権利宣言と言ってよい。

 その佐藤論文は,まず「特殊児童」を次のようにとらえている。

 「一般に特殊児童と称せられる部類に属する児童には,種々なる区別を見出すことが出 来る。即ち,精神異状児一二として不良少年少女の類一もあれば,精神薄弱児一主として 低能児,劣等児の類一もある。又身体発育の不十分な身体薄弱児等もある。」(P.141)

 ここで注目されることは,「精神薄弱児」を上位概念として,その下位に教育分野の用 語である「低能児」「劣等児」を位置付けていることである。このような上位概念として の「精神薄弱児」の明確な使用は,〈資料〉の文献目録(1)の中では1925年のこれがは

じめてである。

 「精神薄弱」概念に関わっては,上記のような言及しかないが,「特殊児童の権利」に ついては,その主張の前提に,次のような当時の特殊児童問題に対する批判意識(不満)

が存在していたことを確認しておかなければならない。

 第一は,「隔離思想に対する不満」である。これは,「犯罪は低能者によって遂行される ことが多い」「常習的犯罪者と見るべき不良少年や不良少女は低能者に最も多い」「売春婦 は低能者に多く」「貧困者には低能者が多数で」「失業は低能者に最も多く見受くるもので ある」といった客観的事実に基づいて,将来にそういう「ゾッとするような危険な予感」

がする,あるいは既にそういう「危険をもつ子供たちを,一般の児童から隔離して,一般

善良な子供たちの教育を完全に遂行したい」という考え方(=「隔離主義」)に対する不

満をいう。さらに言えば,その「隔離主義」思想に基づく「国家の事業」の象徴が,「感

化院」であり,「高き塀を廻らし,厳格なる監視の上に,外界との交渉を絶ち,近親との

(4)

156 平 田 勝政

面会さへも自由に与へない状態にある」という,その「感化院」における処遇に対する不 満である。

 第二は,「自己防衛もしくは国家社会防衛の思想をもって,これら特殊なる児童少年の 教育を取扱ふことに対する不満」である。「国家学は社会に対しての害毒が発生して後の 処置」が「刑罰主義」であるなら,「教育主義」は,「将来に対する予防」として「犯罪可 能者,即ち劣等児や低能児に対し,及ぶ限りの教育を施し,それらの犯罪を未発に,完全 に防止しようとするもの」である。この「教育主義」は,「最も合理的なもののように思 われるが,自己或は社会の安全を保持することを第一の目標としている」点で,「隔離主 義や刑罰主義等とは何等根底に於いて異なる所はない」「隔離主義が教育主義に置換えら れ」たにすぎない,と批判している。

 第三は,「一般に温情主義的な思想,恩恵的な考へ方によって,これ等の児童が取扱は れて居ることに対する不満」である。佐藤は,この「慈悲仁愛の温情」の下に「特殊教育」

に関する「種々の施設や幾多の教育方法が工夫され」てきたことを評価しつつも,結局,そ の考え方が,「不平等観に立つ慈悲仁愛の感情に出発」点を置いてることを批判している。

 第四は,「此の種の教育が一種の研究資料として取扱はれることに対する不満」である。

これは,佐藤が担任する学級を見学に来る者の中に「人間の尊厳に対する一種の冒涜」と もいえる態度をとった者がいたこと,また,「現代の教育界には,……新しい学説と言ふ 理由の下に,新しい方法と云ふ口実の下に,恰も医家が,新しい治療方法を見出すに使用 する動物実験の様な意味の実験的研究が平気で行はれて居る」こと,に対する不満であっ

た。

 以上に挙げた4つの「不満」の原因は,結局,「国家社会」及び「『正常者』と言ふも のを本位とした考え」から派生したもので,「これを一歩異れる視点,即ち特殊の児童そ のものから眺め,有機体としての人間が形成せる社会全体から考察する時」,その「不満」

の原因を解決する視点として,「特殊児童の権利」という思想が佐藤に見えてきたという ことができよう。以下,上述の第一,二,三の「不満」を中心に,「特殊児童の権利」に 関する佐藤の見解を見ていこう。

 まず第一の「不満」である「隔離主義」に対しては,次のように述べている。長くなる が重要なので引用しておく。

 「私共の希求する不良児に対する取扱方は,これ等不遇なる児童少年をして自由なる教  育を,云ひかへると彼等自身をして正常なる発展をなし遂げしむる所にある。何等拘束  を加へず,監禁的な取扱者の眼から逃れて,最も自由に,正常な児童が受けつつあると  同様な平和な心境,悦楽の境地に立って教育を受けしめ,人間が貴く稟けた純真にかへ  らしめることである。彼等も同様に貴い人の子である。正常な児童や少年が嬉々として  自らの生長を楽しみ,其の生長を完全ならしむるために受けつつある教育を,同様に享  有すべき権利を有して居る。彼等が享けたこの絶対なる権利の前には,何物をもそれを  平ぎるものがあってはならぬ。それを遮ぎるものは,貴い人間の生長権に対する冒涜で  あって,それこそ真に許すべからざる犯罪でなくてはならぬ。不良児を退学せしむる問  題も,低能児を『就学免除」といふ都合のよい名目の下に教育圏外に放逐する問題も,

 すべて,この厳粛なる意識の下には,うたかたのごとく消え去るであろう。この厳粛な

 る意識の発する所,不良児も,低能児も,それらの一切は無差別なる人間の子として,

(5)

 天稟の性能を十全に正常に発展せしむべき責務の意識が脈々として湧き起るを禁ずるこ  とが出来ない。この意識こそ特殊教育に対する黎明の光である。」

 次に,第二の「不満」である「教育主義」に対しては,次のように述べている。

 「真実なる意味に於ける特殊児童少年への教育は,それによって彼等の非社会性を矯正  し,もって社会防禦の目的を達成しようとするものではなく,寧ろそれ以上に,その個  人的並に社会的性質を発展せしめ,人としての生活を体得せしめんことを希望するもの  である。社会自身より見れば,単に個人的の安全や社会的の平安を求むるものでなく,

 社会自体の発展のためであり,児童少年より見れば,正常なる社会的生活,個人的生活  を開展せしめんがためで,その何れをも方便冠するべからざるものである。児童少年は,

 それが如何なる天賦の稟性を持たうと,それが正常なる生長は,絶対的のものである。

 彼等の生命の生長は何者をも犯すことができない。……実に彼等は,彼等自身のため十  全なる教育を要求する権利を持っている。正常なる児童少年と共に,人間なるが故に,

 人の子なるが故に,この特権を享有している。」

 そして第三の「不満」である「温情主義的な思想,恩恵的な考へ方」に対しては,さら に,「合理的科学的な平等観に立脚した近代意識」から,次のような見解を対置した。

 「今日に出ては倫理的に又哲学的に人格的存在として各人の人格的尊厳と人格的自由と  を承認し,その生活内容の充実発展を期しているので,政治的に言へば,各人の生存権  と発達権とを十全に享受せしめんことを理想とし,個人的に言へば,各人は平等に人格  発展の権利の獲得を承認せるものである。」

 以上に示された佐藤の「特殊児童の権利」思想は,「人間の尊厳」「人格の尊厳」を絶対 的価値として承認し,その「人格の自由」と「人格の発展」を充実させていく上で不可欠 な権利として,「特殊児童」にも,「正常な児童少年」と等しく,「生長権」「教育権」「生 存権」「発達権」が保障をされなければならないというもので,とくに1925年の時点で

「発達権」を主張している点は,画期的であり,小野の「デモクラシー」理解(=「公平 の原理」とのみ理解し「権利」保障が明確でない理解)を遥かに超えている。それは,

1960年代後半以降に強まる障害児教育運動の中心思想である「発達権」保障思想に通じる 思想を持っている。その意味で,佐藤が展開した「特殊児童の権利」思想は,「大正デモ クラシー」が「生み出した最良の思想的達成」(松尾田刀)といえよう。また,歴代の担 任教師と比較して,「精神薄弱」概念の定義・分類・鑑別・処遇についての立ち入った論 究はないが,最終的なその処遇先(教育所・収容所)が真に「特殊児童の権利」を十全に 保障するものになっているかという点にまで,「精神薄弱」概念の研究の視点と枠組を拡 充した点はきわめて重要である。つまり,「精神薄弱」概念研究に,「特殊児童の権利」の 視点を導入したこと,換言すれば「精神薄弱」概念に「デモクラシー」を徹底させる視点

を結果的に提起した点は高く評価できる。その「デモクラシー」の徹底の度合いは,、佐藤 が,前述した「低能児」の「就学免除」問題を取り上げている点によくあらわれている。

その点に関わって,佐藤は,さらに,当時の制度的不備の問題を指摘(告発)しながら,

未来に希望を託して,次のように述べている。

 「正常な児童のためには普通教育も専門教育も,或は職業教育も日に月に完全の域に進

みつつある現在に於いて『劣等なる知能』と言ふのみの条件にて入学を拒絶され,教育の

機会に均霧し得ない。そして人の子として生れて享有したる能力を正常に発展せしむるべ

(6)

158 平 田 勝 政

き権利を剥脱されてその機会を与へられない。……彼等は弱者である。故に,其の絶対に 享有する権利を主張し得ない。…今日の制度組織では,それ等特殊な児童の権利に対する 責務を遂行することは不可能な場合がないではない。根本的には,学校組織や学校系統を それに応ずべく改革せねばならぬ。……すべての児童少年が,其の人格を絶対的に取扱は れて,稟賦として享有した性能を十全に伸展し得べき完全なる教育の行はれることは何時 の時代であろうか。…彼等(=低能児・劣等児)の人格の前に粛然として,彼等に賦与せ られた権利の尊貴さに目醒め,すべての人がその絶対的な伸展に努力し,それが完全に遂 行せられることの一日も早からんことを希ふものである。」

 人権保障の視点を欠き,さらに人権保障の場である「教育所・収容所」の制度的条件整 備の努力と連動させない「精神薄弱」概念研究は,結局,分類・定義のための分類・定義 に終わる危険があることを,歴代担任の中ではじめて目醒めさせようとしたと言えよう。

また,佐藤における権利主体としての「特殊児童」(劣等児・低能児)という見方は,社 会防衛論的な見方はもちろんのこと,小野の「文化主義」に見られた「文化の消極的建設」

者(=「文化の破壊者」とならないという意味で)という見方も超えている,ということ も付け加えておこう。なお,佐藤末吉については,何故このような権利思想を持ちえたの かについて人物研究としてさらに立ち入った研究の必要がある。

第4章 1930年代の担任教師における「精神薄弱」概念の検討一長沼幸一を中心に一

 前節で検討した隈江,佐藤の後任として,主に1930年代の東京高師附小第五部「補助学 級」を担ったのが,長沼幸一(担任期間1929年秋〜1940.3)と横山綾子(1931年度〜1939.

12)である。ここでは著書・論文の多い長沼をとりあげて検討していく。

 長沼が発表した多数の「精神薄弱」関係論文(計38件)のほとんどは,〈資料〉の目録

(1)に記入しているように著書の『国民学校 訓練精義」(1−39 1941.6)と 『国民 学校 皇民錬成の消極道」(1−401941.8)に,ほぼ原文のまま収録されている。それ 故,両著書は書名通りのテーマを追究した学術性と体系性のある書物ではない。言わば長 沼の論文集という性格をもった書である。主に1934年以降の論文を収録しているが,1932 年のもの(1−8)も含まれている。もちろん1930年代の初頭から「皇民錬成」をめざし た「精神薄弱児」教育を実践した訳ではなかったが,結果としてそこに収敏していく思想

と論理を内在させていたことだけはその結末から言って確かである。その点は,下記の検 討で一定明らかとなろう。

 長沼の「精神薄弱」関係文献を通覧すると,1941年の著書『国民学校 皇民錬成の消極 道』の第一篇第一章(この章のみ初出不明・書き下ろしか?)で「精神薄弱児に対する考 へ方の大要」を歴史的に整理しているところが,「精神薄弱」概念に関して比較的まとまっ た記述といえる。詳述しないが,そこでは,①「法律的な立場」からの定義,②「医学上 の定義」,③「心理学的な立場」からの定義,などが様々紹介されている。しかし,長沼 の結論は,「精神薄弱に関する観念はかくも諸種の方面から幾度となく論ぜられてきたが,

これらの回答には未だ満足なものは見出だせない。」(PP.24−25)というもので,さら

に「もっと直面する薄弱児について考へ直さねばならない根本問題がある。それは,一切

の定義がましい前述したごとき考へ方を悉く打ちすててかかることである。早くから診断

(7)

がましいことをすることもつつしみたい態度である。定義や診断は冷たい尺度である。」

(P.25)というものであった。このような従来の「精神薄弱」概念の定義・分類・診断に 対する批判的否定的態度は, 「補助学級」着任の当初から存在しており,1941年に至って 到達したものではない。6)

 総括的に言えば,長沼の「精神薄弱」概念に関する認識とその教育観には,主に3つの 特徴があるように思われる。

 ①第一は,智能検査法(智能指数)に代表される従来の個性観察法が,「精神を合理的 のものと仮定した」「自然科学的・量的考察法」(1−8 p.102)であったこと,換言す ると,その方法による児童分類が「普通児」と「精神薄弱児(低能児)」との差を「程度 的差異」としか見ていなかったこと,そのことが「低能児を低能児として正しく教育しな かった」(同前 P.101)ことと結びついていること,をまずもって批判したことである。

これは,1920年代に主に小野,黒沼によって追究されてきた「厳粛なる科学的低能鑑別」

というような「精神薄弱」概念研究の方法論的否定を意味した。そこには,1920年代後半 から形態心理学(ゲシュタルト心理学)の影響を受けていた青木半四郎の「精神薄弱児」

観の影響がある。7)

 ②第二は,①の対案であり長沼の立場である「精神科学的・質的洞察法」(筆者の造語)

に基づく精神薄弱児観を提起したことである。それは,①の「自然科学的心理学が精神を も合理的(可分解的複合体)と見倣すのに反して,…精神を非合理的(不可分解的全一体)

と見倣」(同前P.104)し,その観点から「普通児」と「精神薄弱児」との差を「質的 差異」ととらえ,その「差異」の「形態ともいふべき全体的構造的の綜合的関聯」即ち

「生命の底流をなす衝:動,感情の中核とも云ふべき中心衝動」(同前 P.103)を徹底的に 把握・理解することを重視した。その「形態の理会」の方法論を,長沼は,福島県師範附 小時代に師事した野口彰の理論に学びながら追究していた。8)「鑑別」によらない,「形態

の理会」による「精神薄弱児」理解の一例を示すと次のようである。

 「人目には何等の美点も見出だせない様な低能児白痴の子供にも,よくそのうちに神を  示し神を表はしていることを感知し,その名の働きを通し,そのすべての様々なる行動  を通して,神が自らのうちに秘め与へたる精神と生命とを表はすところに深く思を潜め  ねばならない。低能児を教育するものは低能児てふ言葉を忘れ得て始めて,如何に四七  きもののうちにも人間と精神と神とを見出し,共に喜びと希望とをもつものである。」

 (同前 P.101)

 ③第三は,「精神薄弱児」の「特異性」=「形態の理会」に基づいた教育方法論を確立 しようとしたことである。長沼の実践・研究はこの点に集中しているといえる。それは,

「精神薄弱児」を「善良なる弱者」ととらえ,国家社会の「小さき分担者」としての役割

を果たせる人間にまで育成する方法の探究であった。そこには,青木誠四郎がインスキー

プに学びながら提起した3Rの教育(水増し教育)から3Hの教育(精神薄弱児に固有の

教育)へという主張や川田貞治郎の「心練」の影響がある。それらを,長沼は,「生活訓

練の徹底一善良なる習慣の養成のために一」「感覚的方面の鍛錬秩序化(墨型の重視)一

特質の助長のために一」「職業的核心作業の樹立一将来への生活指導のために一」という

3本柱の教育課程にまとめあげながら,その具体的指導法とその諸原則を確立していこう

としていた。

(8)

160 平 田 勝 政

 以上に見た長沼の「精神薄弱児」観を,歴代担任のそれと比較してみると,第一にあげ られる特徴は,歴代の担任が一方の極に確認し保持してきた人間における「霊的のもの」

(小林),「霊妙な調和態」としての児童(田島),「元来複雑不可測の人間」(小野)といっ た非合理的な側面を全面的に肯定し,本来「非合理的(不可分予冷全一体)」であるとし たことである。その点では,歴代担任と連続面をもっている。しかし,小林から黒沼に至 る一連の児童分類とその科学的鑑別への努力は,「霊的のもの」(非合理)への「科学」

(合理)の挑戦であったといえる。その点では,長沼は,非連続的な関係にあり,その方 向と決別して,非合理的なもの(=神,精神,生命,中心衝動等)を非合理的なものとし て把握する方向をとった。

 第二は,「精神薄弱児」に「人間の尊さ」のあることを認めてはいたが,隈江,佐藤に よって1920年代に主張され高められた「特殊児童の権利」の思想は,1930年代という時代 状況もあってか継承されておらず,その点でも非連続という後退の関係にある。

 以上に確認した「精神薄弱」概念における科学性と権利性の否定(後退)と「皇民の錬 成」への収敏とは無関係ではないと考える。その点については,野口彰の形態教育説を含 めて今後より立ち入って検討していきたい。

おわりに 一まとめと今後の課題一

 筆者は,前号及び本号おいて,東京高師附小「特別学級」関係者(教育学者・教育実践 家)に注目して,戦前の教育学・教育実践分野における「精神薄弱」関係用語・概念の形 成過程とその到達点を整理・検討してきた。『精薄史研究』(第4章)の分析結果も含め,

これまでの検討結果をふまえて,教育分野(=教育学・教育実践分野)に固有の「精神薄 弱」関係用語・概念が,どういう特徴をもって形成されようとしていたのか,その点を確 認してまとめとしたい。

 まず第一に,教育分野における「精神薄弱」関係用語の変遷過程であるが,それは,目 下のところ次の5期に分けて考えられる。

 ①第1期(1882(M.15)〜1899(M.32)年):前史(いくつか用語はあるが,教育界固有   の用語としては未形成の時期)

 ②第2期(1900(M.33)〜1907(M.40)年):「劣等児」という用語が支配的な時期  ③第3期(1907(M,40)〜1914(T.3)年):1907年を転換点として,上位概念及び使用   頻度において,「低能児」が中心となる時期(=「低能児〉劣等児」の時期)

 ④第4期(1914(T.3)〜1929(S.4)年):「劣等児」「低能児」から「精神薄弱児」へ   の転換期

   この第4期は,1つには,1914年を転換点として,現場教師の小林,田島,黒沼に

  見るように「劣等児」(広義)を上位にして,その下位に「劣等児(狭義)」と 「低

  能児」を位置付けるという「劣等児〉低能児」の流れ,2つには,1915年を起点に用

  語としての「精神薄弱児」が一部の医者(三田平群)や学校衛生関係者によって使用

  され,その頻度が教育分野で着実に増大していく流れ,3つには,一時的ではあるが

  1920年代初期における文部省社会教育課(低能児教育調査委員会)による用語として

  の「低能児」の使用とその概念を明確化しようとする流れ,4つには,その低能児教

(9)

  育調査委員会の一人である樋口にみられる「知力異常児」という用語を上位にして,

  「劣等児」「低能児」「白痴」を下位として使用する教育学者の流れ,などのいくつか   の流れが交錯しつつも,さらに心理学・医学分野の影響も絡みつつも,1920年代の中   頃を境にして以降,最終的に「精神薄弱児」へと転換していく時期である。

 ⑤第5期(ユ930(S.5)〜1943(S.ユ8)年):教育界に「精神薄弱児」が定着し,やがて   支配的となっていく時期

 次に,教育分野における概念形成とその特徴についてであるが,そこには,大きく2つ の流れがあるが,全体としては3つの流れが,これまでの検討結果から確認できる。

 ひとつは,乙竹に始まり小林,そして樋口と継承されるところの便宜的,通俗的分類・

定義の流れであり,厳密な意味での教育分野固有の流れである。それは,「知力の欠損」

「知能の低劣」に注目して,「普通の児童と同時に,同一の方法で教育すること」ができる かどうか,すなわち「共学」可能かどうかという視点から「劣等児」(=共学可),「低能 児」(=共学不可),「白痴」(教育不可)と分類・定義しようとするものであった。また,

この流れに特徴的なことは,特に「低能児」と最終的に診断を下すことに大変慎重で,た とえそう診断を下したとしてもその後の子どもの変化と教育措置の固定化・不変化に留意 するよう注意を喚起している。科学的な分類・定義の必要性を認めつつも,その困難さ故 に,立脚点である教育上の見地から子ども (二価値実現体としての子ども)が不利益にな らないような概念規定を求めた。しかし,それは,結局,教育学が科学としての独立を成 し得ていない時代の制約と関心を持つ教育学者の不足(教育学者の無関心)もあって,教 育学的概念としてのより科学的な分類・定義にまで十分に深化・発展させることができず,

教育実践的観点からの通俗的な分類・定義の域を出ることができないまま,心理学的概念 の台頭に伴って,影響力を教育界から徐々に喪失していくこととなった。

 いまひとつは,特に小野や黒沼らに見られたより科学的(学問的)な分類・定義を模索 していく流れ(1920年代以降)である。この流れは,結局,その科学的根拠を医学や心理 学に求めた。例えば,田島は,はじめて医学的用語・概念である「精神薄弱」(白痴・痴 愚・魯鈍)を導入し(小野はそれを排除したが),また,小野や黒沼は,心理学的概念で あるIQによる分類・定義を導入することに積極的であった。それら医学的,心理学的な 用語・概念は,黒沼に見られたように,IQという心理学的概念の「科学性」を媒介にし て,教育界固有の用語(=「智能異常一劣等児・低能児・白痴」)と医学用語(「精神薄 弱一魯鈍・痴愚・白痴」)との相関関係が明確化されることによって,結果的に教育界固 有の用語を,医学用語に「科学的」根拠をもって置き換え可能にさせた。結局,このより 科学的な分類・定義を模索する教育界での流れは,医学的・心理学的な用語・概念を取り 込むことによって,逆に,通俗的であるとはいえ教育界に固有の用語・概念及びその視点 を喪失していくことを助長した。つまり,より「科学的」であり「教育的」であろうとし て,医学的・心理学的認識を摂取していくことによって,逆に,「教育の論理」(教育学的 認識)を喪失していくという矛盾を侵すこととなっていった。

 もうひとつ第三の流れとして付け加えるならば,それは,長沼幸一に見られるもの(ユ930

年代以降)である。それは,上記の第二の流れ(=「自然科学的・量的考察法」)に強く

反発し,かといって第一の流れを「教育科学」のコンテキストで発展的に継承するもので

もなく,むしろ「定義や診断は冷たい尺度である」として,より科学的合理的に分類・定

(10)

162 平 田 勝 政

義するという「精神薄弱児」(低能児)理解の思考様式そのものを問い直し,「自然科学」

的な鑑別によらないで「形態」に注目した非合理的な「精神科学」的理解を追究しようと する流れであった。

 以上が,戦前の教育分野おける「精神薄弱」関係用語・概念の形成過程の特徴として,

現在確認できる主だった点である。教育分野における特徴をより確定的にしていくために は,今後さらに残されている東京高師重富以外の「特別学級」担任教師の代表的な人物を,

時代別に検討していくことが必要である。その研究作業を教育実践分野の第二報とし,そ れをもって前号論文の「はじめに」で述べた教育分野(=教育学・教育実践分野)に関す る(a)一②の課題を一応終了したいと考えている。

<註>

1)拙稿:戦前の教育学分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究一教育学者の乙竹岩造と樋口長 市の検討を中心に一「長崎大学教育学部教育科学研究報告」第44号 PP.59−78 1993年3月 以下,この拙稿を「前号論文」という。

2)表1中の乙竹岩造(A)の著書・論文については,下記の2件の資料を追加していることをお断りし  ておく。

①乙竹岩造:不良児教育と低能児教育「人道」第292号 1930年2月

②乙竹岩造:所謂脳味噌の足らぬ子供「救済」第8巻第9号 1918年9月

3)富士川游・呉秀三・三宅鑛一(共著)『教育病理学』(同文館 1910年目を参考にしている。

4)笠原道夫著『異常児教育の理論と実際』(弘道館 1913年)の「異常児の分類」(PP.12−13)

に依拠したものである。

5)何に依拠したものか目下のところ出典が不明であるが,榊保三郎編著『異常児ノ病理及教育法 教育病理及治療学(上巻)』(第二版 1910年)の榊の分類表(P.740)とは若干異なっている。

6)例えば,1933年の論文(1−11)でも,次のように述べている。

  「私共は,低能児といふ言葉を忘れたいのである。色眼鏡をとりはっしたいのである。白痴とは,

痴愚とは,軽愚とはなどといふ定義がましい診断の致方や考へ方を打捨てたいのである。」(P.

132)

7)当時の青木の「精神薄弱児」観については,拙稿:大正デモクラシー期における青木誠四郎の特 殊教育観(都立大「教育科学研究」第6号 1987年)を参照されたい。なお,長沼のいう「形態」

は,ゲシュタルト心理学の「形態」と同一概念ではない。

8)具体的には,野口彰著『形態説に拠る新教育論』(1927年)に強く影響されている。それは,「大 体に総て精神科学派の文化教育学説とその行き方を同じう」(日田権一)するものであると同時に,

「日本主義」(=「皇道」)の教育学説でもある。

(付記)本稿は,日本教育学六朝51回大会(1992.8.28 於・北海道大学)において発表・配布した

資料の主に後半部分(東京高師附小「特別学級」担任教師関係)を,修正・加筆したものである。発

表当日,ご意見及びご議論いただいた方々に記して感謝いたします。 (1993.3.15)

(11)

〈資料〉

      東京高師附小「特別学級」関係者の「精神薄弱」関係文献目録(H)

(C)小林佐源治

No    著 書・論文名 画名・巻縮/発行所 発行年月

1.低能児教育の実況 「教育研究」第58号 102−108 1909(M.42)一1 2.低能児童の調査につきて(一) 「教育研究」第61号 55−65 1909(M.42)一4 3.低能児童の調査につきて(二) 「教育研究」第62号 25−31 1909(M.42)一5 4.低能児童の調査につきて(三) 「教育研究」第63号 60−70 1909(M.42)一6 5.低能児童知力の測定(一) 「教育研究」第66号 16−22 1909(M.42)一9 6.低能児童知力の測定(二) 「教育研究」第67号 42−47 ユ909(M.42)一10 7.低能児童と身体(一) 「教育研究」第85号 33−40 1911(M.44)一4 8.低能児童と身体(二) 「教育研究」第86号 24−30 1911(M44)一5 9.低能児童と身体(三) 「教育研究」第87号 26−33 1911(M.44)一6 10.低能児童と身体(四) 「教育研究」第89号 39−47 1911(M.44)一8 11.低能児童と身体(五) 「教育研究」第90号 22−31 1911(M.44)一9 12.低能児童と身体(六) 「教育研究」第93号 30−33 1911(M.44)一12 13.低能児童と身体(七) 「教育研究」第94号 49−58 1912(M.45)一1 14.低能児童と身体(八) 「教育研究」第96号 31−40 1912(M.45)一2 15.我国現時の学級編制(一) 「教育研究」第98号 66−73 ユ9ユ2(M.45)一5 16.我国現時の学級編制(二) 「教育研究」第99号 69−77 1912(M.45)一6 17.将来の教育問題 「教育研究」第100号 76−84 1912(M.45)一7 18.我国現時の学級編制(三) 「教育研究」第105号 58−68 1912(T.1)一12 19.低能児童と身体(九) 「教育研究」第108号 30−38 1913(T.2)一3 20,低能児童と身体(十) 「教育研究」第110号 13−18 1913(T.2)一5 21.低能児童と身体(十一) 「教育研究」第112号 23−32 1913(T.2)一7 22.五個年間に於ける身体の発達 「教育研究」第ユ14号 6−20 ユ913(T.2)一9

23. 『劣等児教育の実際』 目黒書店 全520頁 1914(T.3)一6

24。低能児教育の要領(一) 「教育研究」第147号 24−38 1916(T.5)一2 25.低能児教育の要領(二) 「教育研究」第150号 19−30 1916(T.5)一4 26.低能児教育の要領(三) 「教育研究」第151号 17−24 1916(T.5)一5 27,低能児教育の要領(四) 「教育研究」第152号 1−9 1916(T.5)一6 28.近時学級編制についての疑問 「教育研究」第256号 15−23 1923(T.12)一4 29.補助学級の実際 「学校衛生」第11巻第6号 1−17 1931(S.6)一6

(D)田島真治

No    著 書・論文名 誌名・巻号/発行所 発行年月

1.低能児の言語,挙動,運動,習癖の記載 「教育研究」第104号 9−16 1912(T.1)一11

2.低能児の観念に就いて 「教育研究」第105号 32−39 1912(T.1)一12

3.低能児の情意作用に就て 「教育研究」第107号 19−28 1913(T.2)一2

4,低能児の観察力の実験(一) 「教育研究」第109号 22−32 1913(T.2)一4

5.低能児の観察力の実験(二) 「教育研究」第110号 45−55 1913(T,2)一5

6,低能児の随意画に就いて 「教育研究」第111号 22−31 王913(T.2)一6

7.低能児心身異常一斑 「教育研究」第113号 36−43 1913(T.2)一8

8.低能児の算術の初歩教授に就いて 「教育研究」第114号 37−43 1913(T.2)一9

(12)

164 平 田 勝 政

9.田島氏の補助学級に於ける実地授業 「教育研究」第116号 49−59 1913(T.2)一11 10.劣等児の読方教授(一) 「教育研究」第119号 38−44 1914(T.3)一1 11.劣等児の読方教授(二) 「教育研究」第121号 23−29 1914(T.3)一3 12.劣等児の修身教授(一) 「教育研究」第123号 24−31 1914(T.3)一5 13.劣等児の修身教授(二) 「教育研究」第125号 25−33 1914(T.3)一7 14.劣等児の体操(一) 「教育研究」第127号 48−53 1914(T.3)一9 15.劣等児の体操(二) 「教育研究」第128号 38−43 1914(T.3)一10 16.劣等児の徳性と其の酒養(一) 「教育研究」第131号 51−57 1914(T.3)一12 17.劣等児の徳性と其の酒養(二) 「教育研究」第133号 25−32 1915(T。4)一2 18.劣等児の算術の基礎的練習法(一) 「教育研究」第136号 34−41 1915(T.4)一4 19.劣等児の算術の基礎的練習法(二) 「教育研究」第137号 34−41 1915(T.4)一5 20.劣等児の訓練法に就いて 「教育研究」第139号 15−22 1915(T.4)一7 21.劣等児の綴り方(一) 「教育研究」第144号 40−46 1915(T.4)一11 22.劣等児の綴り方(二) 「教育研究」第145号 59−65 1915(T.4)一12 23,劣等児教育に就いて(一) 「小学研究」第4巻第4号 13−15 1916(T.5)一4 24.劣等児教育に就いて(二) 「小学研究」第4巻第5号 16−18 1916(T.5)一5 25.補助学校及び補助学級の特設問題 「現代教育」第43号 85−88 1917(T,6)一3 26.劣等児童の算術教授に就て 「小学研究」第5巻第4号 54−56 1917(T.6)一4 27.劣等児の訓育に就て 「教育研究」第171号 51−56 1917(T.6)一10 28.劣等児の仮名字記憶と仮名字札 「教育研究」第173号 31−38 1917(T.6)一12 29.劣等児教育と学級編制の問題 「教育研究」第177号 9−15 1918(T.7)一4

30. 『劣白白と低能児の教育』 目黒書店 全523頁 1918(T.7)一5

31.劣等児の救済 「小学校」第25巻第8号 18−22 1918(T.7)一7 32.劣等児教育の要領 「教育研究」第186号 33−39 1919(T.8)一1 33.劣等児の読方教授 「教育研究」第189号(臨時増刊) 243−246 1919(T。8)一3 34.劣等児の学習状態に就て 「小学校」第30巻第5号 100−103 1920(T.9)一11

(E)黒沼勇太郎

No     著 書 ・論文名 曲名・巻号/発行所 頁 発行年月

1.劣等児の原因に就いて(一) 「教育研究」第197号 38−43 1919(T.8)一10 2.劣等児の原因に就いて(二) 「教育研究」第198号 40−48 1919(T.8)一11 3.劣等児の原因に就いて(三) 「教育研究」第199号 47−52 1919(T。8)一12 4,劣等児の後天的原因に就いて(一) 「教育研究」第205号 67−72 1920(T.9)一4 5.劣等児の後天的原因に就いて(二) 「教育研究」第206号 36−41 1920(T.9)一5 6.劣等児の後天的原因に就いて(三) 「教育研究」第207号 50−57 1920(T.9)一6 7.劣等児教育上の諸問題(一) 「教育研究」第224号 39−44 1921(T.10)一6 8.劣等児教育上の諸問題(二) 「教育研究」第225号 55−59 1921(T.10)一7 9.劣等児教育の実際(文部省普通学務局編 三文館 195−240 1921(T。10)一9

「就学児童保護施設の研究』所収)

10.劣等児教育上の諸問題(三) 「教育研究」第230号 50−54 1921(T.10)一11 11.劣等児教育上の諸問題(四) 「教育研究」第232号 49−55 1921(T.10)一12 12.学校衛生について(一)(二)(三) 「教育研究」第280,281,283号

(一)90−93

1924(T.13)一11

(二)88−95

〃     一12

(三)96−99

1925(T.14)一2

13. 「劣等児の原因と其教育』 啓文社書店 全404頁 1926(T.15)一10

(13)

(F)小野秀瑠

No    著 書・論文名 誌名・巻号/発行所 発行年月 1.低能児FKの話方を叙す 「教育研究」第208号 76−79 1920(T.9)一7

2.現今智能測定に関する諸説の解説と其の批判(一) 「教育研究」第214号 8−17 1920(T.9)一11

3.現今智能測定に関する諸説の解説と其の批判(二) 「教育研究」第215号 49−60 1920(T.9)一12 4,現今智能測定に関する諸説の解説と其の批判(三) 「教育研究」第217号 47−57 1921(T.10)一1 5.現今智能測定に関する諸説の解説と其の批判(四) 「教育研究」第222号 39−49 1921(T,10)一4 6.現今智能測定に関する諸説の解説と其の批判(五) 「教育研究」第223号 53−57 1921(T.10)一5 7.現今智能測定に関する諸説の解説と其の批判(六) 「教育研究」第224号 28−39 1921(T.10)一6 8.劇の暗示と弱者の教育 「教育研究」第227号 22−31 1921(T.10)一8 9. 『知能査定を主とせる促進教育之新研究』 培風館 全484頁 1921(T.10)一10

(G)隈江信光

No    著 書・論文名 贈名・巻号/発行所 発行年月

1.教育堂の裏門から 「教育研究」第258号 85−89 1923(T.12)一6 2.飲酒と低能児問題 「教育研究」第266号 46−53 ユ923(T.12)一12 3.心性考査問題に就いて 「教育研究」第267号 106−111 1924(T.13)一1 4.低能児教育の実際に就て 「日本教育」第3巻第6号 96−101 1924(T.13)一6 5.特殊教育に対する社会的見解 「教育研究」第282号 147−153 1925(T.14)一1 6.我が国特殊教育の現況 「教育研究」第283号 120−121 1925(T.14)一2 7.特殊教育の体験と暗示 「教育研究」第298号 97−109 1926(T.15)一1 8.低能児の学習指導に際して 「教育研究」第308号 47−53 1926(T.15)一l1 9.学級編制上に見る最近の傾向 「教育研究」第310号 142−149 1927(S.2)一1 10.特殊児童の鑑別と其の方法 「教育研究」第337号 249−256 1929(S.4)一1 11.精神薄弱児童の教養(一) 「教育研究」第350号 34−42 1929(S.4)一12 12.精神薄弱児童の教養(二) 「教育研究」第353号 106−115 1930(S.5)一2 13.精神薄弱児童の教養(三) 「教育研究」第354号 73−80 1930(S.5)一3 14. 『愛児の教育になやむ世の母に答へて』 実業虚日本社 全382頁 1930(S.5)一3

*「第一編 智能の低い子供と其の原因及 予防」(PP.1−109)

(H)佐藤末吉

No    著 書・論文名 詩名・心高/発行所 発行年月

1.綴り得ざる児童の綴り方指導 「教育研究」第274号 84−89 1924(T.13)一6

2.劣等児童指導法としての発生的取扱 「教育研究」第276号 234−240 1924(T.13)一8

3.特殊児童の権利 「教育研究」第282号 141−146 1925(T.14)一1

4.劣等児指導の体験 「教育研究」第298号 109−118 1926(T.15)一1

5.補助学級の教科課程 「教育研究」第299号 61−69 1926(T.15)一2

6.補助学級と教科書 「教育研究」第304号 35−41 ユ926(T.ユ5)一7

7.補助学級の訓練 「教育研究」第315号 93−99 1927(S.2)一6

8.劣等児の学習指導(一) 「教育研究」第340号 61.69 1929(S.4)一4

9.劣等児の学習指導(二) 「教育研究」第341号 108−114 1929(S.4)一5

10.劣等児の学習指導(三) 「教育研究」第343号 32−38 1929(S.4)一6

(14)

166 平 田 勝 政

(1)長沼幸一

No     著 書・論文名 誌名・巻号/発行所 発行年月

1.特殊教育の源泉 「教育研究」第352号 180−186 1930(S.5)一1 2.特殊児童に関する一考察 「教育研究」第367号 189−195 1931(S.6)一1 3.特殊児童の生活訓練とその根本的転回 「教育研究」第376号 96−102 1931(S.6)一8 4.精神薄弱児の情意的傾向 「教育研究」第378号 71−76 1931(S.6)一10 5.精神薄弱児の学習意欲 「教育研究」第380号 88−94 1931(S.6)一12 6.教育精神の源泉と特殊教育 「教育研究」第382号 67−72 1932(S.7)一1 7.補助学級に収容すべき特殊児童 「教育研究」第383号 61−68 1932(S.7)一2 8.精神薄弱児の職業指導に関する一考察 「教育研究」第384号 100−106 1932(S.7)一3 9.精神薄弱児良吉の将来(1−40所収) 「教育研究」第388号 106−111 1932(S.7)一6 10.精神薄弱児の生活指導 「教育研究」第389号 122−129 1932(S.7)一7 11.特殊教育の要諦 「教育研究」第397号 132−137 1933(S.8)一1 12.特殊児童をもつものの愚見(1−40所収) 「教育研究」第413号 268−273 1934(S.9)一1 13.精神薄弱児の教養 「教育研究」第416号 219−225 1934(S.9)一4 14.精神薄弱児の職業指導に対する根本態度 「職業指導」第7巻第4号 30−36 1934(S.9)一4 15.精神薄弱児に対する禁止と命令 「教育研究」第420号 114−118 1934(S.9)一7 16.補助学校に於ける第二学期の実践事項 「教育研究」第423号 89−95 1934(S,9)一9 17.精神薄弱児の生活とその発展的教養 「教育研究」第429号 245−250 1935(S.10)一1 18.異常児のi環境(1−40所L収) 「教育研究」第431号 113−119 1935(S.10)一3 19.弱者をも生かさんとする学級経営 「教育研究」第432号 106−111 1935(S.10)一4 20.特殊教育方法学の建設一精神薄弱児の筋肉 「教育研究」第444号 275−279 1936(S.11)一1

を緊張させるまで一

21.教育内容の改善と特殊教育一中核を狙ふ鍛 「教育研究」第460号 224−230 1937(S.12)一1 錬一(1−39所収)

22.緊張面への移調(1−40所収) 「教育研究」第471号 102−106 1937(S.12)一10 23.反復練習に対する反省(1−39所収) 「教育研究」第472号(臨時増刊) 560−565 1937(S.12)一10 24.精神薄弱児の行動面にみる膠着性(1−40所収) 「教育研究」第474号 72−78 1937(S.12)一12 25.時局と特殊教育一小さき分担をとほして生 「教育研究」第476号 301−306 1938(S.13)一1

きる一(1−39所収)

26.遅れがちな子供について(1−39所収) 「教育研究」第478号 41−46 1938(S.13)一3 27.小さき分担をめざしての営為(1−40所収) 「教育研究」第479号 257−261 1938(S.13)一4 28.薄弱児にみる神経病質傾向(1−40所収) 「教育研究」第480号 112−116 1938(S.13)一5 29.特殊能力をおもふ(1−40所収) 「教育研究」第481号 533−5 1938(S.13)一5 30.薄弱児の行動面とその省察(1−40所収) 「教育研究」第486号 76−80 1938(S.13)一9 31.単一作業と薄弱児の感性一長期建設と特殊 「教育研究」第492号 263−268 1939(S.14)一1

教育一(1−40所収)

32.薄弱児をどう育てる 「教育研究」第497号(臨時増刊) 513−526 1939(S.14)一5 33.精神薄弱児と数観念(1−40所収) 「教育研究」第499号 88−92 1939(S.14)一7 34.薄弱者と営農(1−40所収) 「教育研究」第503号 203−207 1939(S.14)一10 35.果してどれだけ特殊な子供か(1−40所収) 「教育研究」第504号(臨時増刊) 488−499 1939(S。14)一10 36.薄弱児と手仕事の稽古(1−39所収) 「教育研究」第509号 85−87 1940(S.15)一2 37.特殊児童と児童研究(1−39所収) 「教育研究」第510号 87−91 1940(S.15)一3 38.精神薄弱児の教養一中核を狙ふ鍛練一(福 1−14 1940(S.15)一6

島県師範学校附属小学校『精神薄弱児教育 の理論と実際』所収)

39. 『国民学校 訓練精義』 教育科学社 全290頁 1941(S.16)一6

40. 『国民学校皇民錬成の消極道』 教育科学社 全288頁 1941(S.16)一8

(15)

(J)横山綾子

No    著 書・論文名 誌名・巻号/発行所 発行年月

1.精神薄弱児の生活を観る 「教育研究」第389号 129−134 1932(S.7)一7 2.補助学校の生徒は卒業後如何なったか 「教育研究」第429号 250−257 1935(S.10)一1 3.補助学級経営案 「教育研究」第432号 101−106 1935(S.10)一4

4.補助学校の女生徒は卒業後如何なったか(一) 「教育研究」第435号 77−79 1935(S.10)一6

5.補助学校の女生徒は卒業後如何なったか(二) 「教育研究」第436号 95−98 1935(S,10)一7

6.唱歌科を中心とした;補助学級の情操教育 「教育研究」第462号 94−101 1937(S.12)一3

(小林つやえと共著)

7.補助学級児童の教育についての二,三の問 「教育研究」第504号 500−505 1939(S.14)一10 題

(K)佐野敏夫

No    著 書・論文名 誌名・巻号/発行所 発行年月

1.特殊教育の立場から Q.補助学級経営上の諸問題

「教育研究」第523号 u教育研究」第527号

ユ95−199 P06−l13

1941(S.16)一l P941(S.16)一3

(L)その他

No 著 者 名 論  文  名 誌 名・巻号 発行年月

1.特殊教育研究部 補助学級研究授業 「教育研究」第422号 107−126 1934(S.9)一8 2.特殊教育研究部 劣等児低能児のための 「教育研究」第434号(臨時増刊) 475−486 1935(S.10)一5

(横山・長沼解説) 練習事項

3.特殊教育研究部 劣等児低能児のための 「教育研究」第439号(臨時増刊) 467−480 1935(S.10)一9

(横山・長沼解説) 練習事項

4.特殊教育研究部 「待つこと」を学ばせ 「教育研究」第449号(臨時増刊) 461−468 1936(S.11)一5

(長沼幸一解説) る修練

参照

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