(204)
精 神 薄 弱 児 教 育 の 諸 問 題
(1)
一 精 神 薄 弱 の定 義 に関 す る問題 一
異常児教育研究室
大
石「 精 神 薄 弱」 の用語 につ いて
精神薄 弱 につ いての定義 は単一 な もので な く,い
まだ明確 で各分野の専 門家 に満足で きるもので あ るとはいえない。事実名称 その ものが,幾
度か変 え られて きた し,ま
た名称 その ものが,各
国 に よ って 内容や程 度によ って使用の違 いが見 られ る。例えば “fCeblcmindcd"
の用語 は,現
在 で は 全精神薄弱の総称 とされてい るよ うで あ るが,イ ギ リスで は軽愚の クラスに使用 され,軽
症者 のみ に限 られた用語であ る。スカ ンジナ ビア(SCandinavia)の
諸国 や ドイ ツ で は,
精 神 薄 弱 を “01igophrcnia"(01igo少
なぃ,phrCnia精
神疾 患の意 を表 わす接尾語)の
名称 を用 いて い る。 同様 な意 味で イギ リスで は “amCntia"(イ
ギ リスで は精神薄弱,
日本,
ドイ ツで は外 因性 の朦朧 状 態)の
用語 を使用 してい る。 イギ リスで は,イ
ング ラ ン ド●ウェールズに限 って数回の改正を経 て,19瞬
年新 しい精神 衛生法(thC MCntal Hcalth Act)ヵ
べ可決 され,精
神病者 法 と精神薄弱者 法 がその中に合 め られた。 この “精神衛生法)の
中で,
“m cntal disordcr"(精
神障 害)と
い う 用語 が,す
べての精神疾患や精神薄弱 を カバーす る ことにな ってい る。精神薄弱 は このmcntal
disordcrの
中 に入れ られ,“SCvCrc Subnormality"(重
症精神薄弱)と
“SubnOrmality"(普
通 の精神薄弱)の
二つ の型 に分 け られて表 わ されてい る。 この ことについて は後述 の定義の と ころで のべ たい。 と ころでイギ リスで は,精
神薄弱を “mental dcrcct"(精
神欠 陥)と
しないで “m cn―tal disordcr"(精
神障害)の
中に合 めた り,重
症 の精神薄弱や痴愚のカテ ゴ リー についてのべて い るが,軽
症 の精神薄弱 につ いて は触 れて いない と ころに甚 だ明確 さを欠 くと ころがあ る。 したが って,イ
ギ リスの学者 の中では,“SeVCrc subnormality"と
(subnormality"の
用語 を“重症精 神薄弱"と
`軽症精神薄 弱"と
して使用 してい る傾 向 もあ る。最近
,ア
メ リカでは,好
んで “mcntal rctttrdation"(精
神遅滞)の
用 語 が使用 さ れ て き た が,精
榊薄弱 の全領域 を総称 す るよ うな用語 と して は,こ
の外 に “SIOwcr lcarning",“mcntal
dcfcct e",“
mcntally handicappcd",“ mentally rctarded"な
ども使用 されてい る。 アメ リカ精神薄弱者協会
(AAMD)で
は,精
神薄弱 の知的機能 の欠 陥程度を知能測定 の結果 か ら五つ の 段 階 に分類 して,は
り悟 純
Tablc l 準偏差
(SD)の
範囲IS D15のIQ得
欠陥の程度1
知能検査による欠陥の程度-1
-2
-5
-4
-5
-1.01∼-2.00 1 70∼
84 -2.01∼-5,00 1 55∼
69 -5.01∼-4.00 1 40∼
54 -4,01∼-5,00 1 25∼
59 -5.01以下1 25以
下 Bordcl・linc rctardation(境 界線)Mild
〃(軽
度)Modcratc
〃(中
度) Scvcrc 〃 PrOfOund 〃 精神薄剤児教育の諸問題 (205) 註 標準偏差-1.00以下のIq得
点の人は,す
べて精神薄弱として分類しているのでは ない。16才までに,適
応行動に欠陥をしめした人のみが精神薄弱と考えられる。 と して い るが,教
育実践 の立場 にあ る教育者 たちか らは,必
ず しも この分類 が守 られて い るとはい えない。 そのかわ り,今
まで の と ころ教育者 たち は,教
育 目的か ら精神薄 弱 を二つ の下 位 集 団 に分 類 して い る。1,thC Cducablc mcntally rctardcd (教
育可能な精神薄弱
)IQ.50∼
752.thC trainablc or scvcrely mcntally rctardcd (訓
練可能な精神薄弱)19_.50∼
505,thC Custodial or dcpcndcnt mcntally retardcd
協 驀 嘉善 亀
'ひ
はIQ.50以
下 そ こで,AAMDの
分類 と教育実践 的立場 か らの分類 の現 行体系 を図示す ると(評), つ ぎの 通 りであ る。 この分類体系の中で使用 されてい る“Oduc― ablc mcntぁlly rctardcd"(教
育可能 な精神薄 弱)や
(`trainablc mcntally rcttrdcd'' 911 練 可能 な精神薄弱)と
い う用語 は,4920年
代頃か らアメ リカで一般 に使われたが
,今
日で も広 く使用 されてい る。“Cducablc mcntally retardcd"は
従来 のmoron(魯
鈍,軽
愚)に
相 当す るもので あ り,IQか
らいえば75∼ 50範 囲 の ものとされてい る。 この クラスの精神薄弱児 は,卒
業 まで に少 な くとも小学校5学
年程 度 の 知的学習 か,時
には6学
年水準 の知的作業 がで き るよ うにな ると期待 されてい る。す なわ ち成 入 して,社
会Vh3に相 当な,ま
た未熟練 や半熟練 の 仕事 がで きるものと期待 されてい るものであ る。 ``trainablc mcntally rctardcd" 1ま , 従 来 のimbccilc(痴
愚)に
相 道す るもので,Iq
下む。1 10 Pr91οU財 retarddЮn CΥuickshallk七ヾ
解
苓
:差亀
1 つwi卜lorlmal (8οrderliRe)h冊
劇 (fduCable mentd1/ retarded) Nen拒Ily de,Cにnt (Trおn・bに阻祐
出
) Cwstodint Tr可猾にЫe泥
ilttV (ImbeCile) (混髄監
.
Custodiに│ (IdiOt)(LO岬 雌 〕
轍
搬
│(20る )
25∼49の 範囲で機能的 に知 的な技術 を成 し遂 げる ことは望 めないが
,限
定 され た環境 内で 自 立(
sclf―
carc)や
,社
会 的適応 (social adiuStmcnt)が,教
育経験 の 目標 と して考 え られて い る ものである。 この外
,一
部ではIQ75∼
89までのものを “dull―normal child"(遅
鈍児)と
して特殊教育の対象 と して認めている学者たちもあるが
,特
殊教育はこのよ うなグループに必要 で も な いし
,ま
た望ま しい もので もないとす る意見のようである。Cruickshankは
(註3), 19_80∼ 95にある子 どもたちを “Slow lcarncr"と
して
,彼
等が何処で生活 しようとも
,成
人 と して独立,自
尊を達成することに困難な時代であるとして特殊教育の対象に合めている。従 って彼の分類によると,“cduCablc mcntally rctardcd"に 相当するものは“mcn― tally handicappcd)と 称 し
,IQ55な
い しるo∼ 80の もので,
その上限と下限の限界点は上記のIQ
50∼75に
比較 して,
かな り高 くな っている。 また 19_55な い し60以下 50の も の を “mcntally
deficient"と し,
これ も上記“trainablc mcntally retardcd)の 19_25∼ 49に比べて上限と下限の限界点が高 くな っている。 C ruickshankの このような考え方 にはかな り重要な側面があるC4)。 そ
の一つは
,普
通以下のIQを
もつ子 どもたちの社会的,知
的な問題がますます認識 されてきた ことであ り
,二
つには,高
度にな った技術や一般的な成熟が要求 され る社会で,知
能の低いものが負わされ るきび しい限界が生 じてきたか らであ り
,二
つには,特
殊児に最 もよ く適合 した教育的立場を決定す る場合
,正
確なIQに
あま り重 きをおかな くな って きたか らである,と
いえる。事実最近教育用語辞典(註5)にも
, IQに
関係な く “cducablc mcntally rctardcd child",
“
slow lcarning
child",“ trainable child" とぃ う用語で定義 している。わが国の場合は
,文
部省の判別基準の手びきに見 られ るように,一
般に “精神薄弱"の
用語を総称 として使用 し
,そ
の程度に応 じて魯鈍 (軽愚),痴
愚,自
痴に分類 されている。 しか し一部では“精神遅滞
"と
い うコ トバを使用しているが,こ
れも意味のある用語 として考えたい。今
,各
国の伝統的な用語を比較す るため表によって配列す るとつ ぎのよ うであるe6)。TablC 2
各 国 の 伝 統 的 用 益cntany dCfCctivc, Fccblclnindcd, ヽこcntal rctardation, Mentally rctardcd,
Mcntally handicappcd
Mcntally subnOrェ naL
悟 純 石 大 イ ギ リ ス
│ア
メ リ カフ
ラ
ン
ス
1日
本
梓
;ご
胎 い ク ラ媚FccbLmhdcd lMOron l Dё
bc l景
軽 愚袈 ‖50∼691ア
勇 ♂産言夢う安は
)1 lmbCCilC lrnbccilc Arricre, 1精神薄弱 OligOphrё nic l精神遅滞 なぜ このよ うな用語上 の混乱が生 じてい るのか。Dunnの
見解 を参考 にす ると,つ
ぎの二つ の精神薄弱児教育の諸問題 (207) 主 な理 由があげ られ る儲7)。
(J
ヨー ロ ッパ文 明は知性 を尊重 したため,知
性 の低 い ものを知 的限界を もった人 と して表現す る名称 に結 びつ ける傾 向のあ った こと,12)精
神薄弱 は多 くの異 な った原因によ るものであ り,そ
れ ら多様性 のあるものを,一
つ の部P] に入れて機能上 の平均化 を はか る ことのむつか しい複雑 な領域 を も ってい る こと。 ほ)教
育学,心
理学,社
会学,医
学 それ に社会事業な どの多 くの分野で は,そ
れぞれの分野 に貴 任 を も って い る。 したが って それぞれの領域 に適 した名称 を作 り出 した り,定
義 を発展 させ た りす る傾 向がある。 そのため,あ
る学問 にと って適切 な定義で も他 の学間には不 当な場合 もで て くる こと。 な どの理 由をあげている。 しか し,こ
のよ うな理 由による用語上 の混乱や異質的な面 があ るにもか かわ らず,用
語 の内容か ら見 ると,「
精神 的 に遅れてい る こと」 「知 的に普通以下 である こと」 な どの点では共通 した一つ の特性 がある。 そ こで以下,用
語 の内容 とな る精神薄弱の定義 について考 察 したい と思 う。 工 精 神 薄 弱 の 諸 定 義 と 考 察 前述 の ごと く,精
神薄 弱 の用語 に混乱 のあることは,そ
の基本 的な 内容である精神薄 弱 の 定 義 に,明
確 さを欠 くた めで あると考 え られ る。 ところで,精
神薄 弱 の定 義 において,精
神薄 弱 とは知 的能力が普通以下である,と
い う単一 な定義で は,そ
れぞれ の専 門分野 の人 び とに満足 をあたえ る 解 答 にな らない。特 に近年,精
神薄弱 の知能 の構造,予
測,変
化 の受 けやす さな どの論点か ら,知
的ハ ンデ ィキ ャップが比較的軽度で,
しか も恵 まれた条件 の もとで限 られた社会 的独立 ので きる子 どもたちの問題やその教育がます ます強調 されて きている。 したが って定義の問題 も,知
的ハ ンデ ィキ ャップが,あ
らゆ る領域で子 どもたちの適応程度を決定す る程重要 な ものでない ことが理解 さ れ る。 また中度の精神薄弱で,そ
の上 に神経学的障害を もってい る多 くの ものは,あ
らゆ る領域で ひ ど く遅滞 してい るので,学
習す る能力,所
有 す る知識,社
会 的適応 および個人的適 応について も 精神遅滞 である とはいえない。定義で最 も重要な問題 は,知
的ハ ンデ ィキ ャップにあ るのではな く て,そ
の グループにあ るのであ る。 しか し軽度の知的ハ ンデ ィキ ャップを もった子 どもたちは,普
通 児 とあま り変 らないが,彼
等 の技 能 や能力 において全 く普通児 と異 な っている。例 えば読む学習 ので きる子 どももあれば,
で きない子 どももいる し,
手 の器用 な子 ど ももいれ ば,料
理 を作 った り,御
飯 を炊 いた りす る ことに特殊 な才能 を も って いる子 どももい る。 このよ うに考 えて くると, 知的ハ ンデ ィキ ャツプにつ いてのわれわれの疑間を解 粥す る要求 は強 くな ってい る。 一般的な概念 と して精神薄弱 を考 える場合,理
論的な表現 (言葉)で
定 義すべ きか,実
際的な言 葉 で定義すべ きかは,多
少 と も問題 がある。精神薄弱の問題 は,す
べての社会 にと って実 際的な問 題 で あ り,か
つ そのため に,従
来 の定義 は実 際的な問題 と して,実
際的な規 準を重要視す る傾 向が(208) あ った。 したが って多 くの定義 には
,社
会 的適応 と普 通人 の世界で 自立で きる個人 の能 力 との概念 を 同等 に考 えてい る。 しか し今 日では,
この実 際的な定義 と理論的な概念 とを厳密 に整理す る こと に,多
くの注意 が は らわれて きた といえ る儲め。 その一つの問題点 は,知
能 に関係 の あ る諸能力 が,精
神薄弱 の定義 に合 め られ るべ きで あるとす る議論である。 この理論 は,ま
ず第一 に,拍
象概念 を処理 す る子 どもの能力 を,実
証す る行 動 のみ で考 えよ うとす るのか,ま
たその子 どもが,学
習で きた情報 量や教育的要素 によ る評価 に重点 を お くべ きで あるのか,な
ど子 どもの知的能力 の診 断を発展 させ る測定方法 に,多
くの問題 を提起 して 笠ヽる。 も う一 つ の問題点 は,情
緒的要素か ら切 り離 して知 的要素 を測定す ることがで きるか ど うか,あ
る ひは,そ
うす る必要があるのかないのか,の
疑 間で あ る。 この ことにつ いて は,
この二つ の領域 は,一
方 が他方 の重要な部分 と して取 り扱 われ な けれ ば無 意味で あ って,分
離 で きな いまで に絡 み 合 って い るとい う考 え と,両
者 はそれぞ れ固有 の もので,区
別 して取 り扱 う必要 のあ る ことを主張 す る立 場 とが あ る。L.M.Tcrmttnや Maud A.Mcrrill(1960)た
ち は∝9),子
ど もの一 般 的 なパ ー ソナ リテ ィー適 応 か らで き るだ けて 離 して,子
ど もの最 善 の知 的 な機 能 水 準 を測 定 す べ きで あ る と して い る。 これ は,パ
ー ソナ リテ ィー か ら知 能 を完 全 に分離 す る ことは無 益 で あ る ことを認 めて い るか らであ ろう。それ にもかかわ らずStanfOrd Binctの
知能検査のよ うなテス ト類 で は,パ
ー ソナ リテ ィーのハ ンデ ィキ ャツプを最小限 に した り,ま
た子 どもの発達 してい る最善 の知 的能力 で 反応 す るよ うに励 ます計画 がな されて い、る。 これ と反対 にG.D,StOddard(註
10)(4945)やDavid
Wechslcr(訂1)(194つ は,知
能 を広 い範 囲 に解 釈 して い る。特 にWechslcrは
,普
通 にパ ー ソナ リテ ィー といわれ るものの比率 を幾 分多 く合 めた知能 の広域 な見解 を提 案 して い る。 個人知能検査 へ の これ ら二つ の一般的な近接 には,微
妙 な違 いがあ る。例 えば,テ
ス トの速度 は,WCChSlCrの
テス トの方 が StanfOrd―Binctテ
ス トよ り重要な要素である。 したが って,ひ
ど く用心深 い慎重 す ぎる子 ども,回
答 す る前 に 自分 の回答 を確 か めよ うとす る子 どもな どは,WCChSICrテ
ス トで は 不 利 とな る。 このよ うな点か ら精神薄弱 の定義 は,個
人 の可能性 のあ る能力か,あ
るひは現在 の機 能 的 能 力 か,の
いずれ によるべ きかを決定す る点 に一致 が見 出されていない。多 くの心理学者 たちは,現
在 の能力よ りも,む
しろ可能性 の能力の判 断に重大な誤 を犯 しやすい とい う点で一致 してい る。精神 薄 弱 の有用 な定 義 は,少
な くともその能 力が最適 の条件下で明 らか に示 され るもの と して,子
ど も の現在 の能力 の評価 におかれたばな らない とい う点 に,一
致 が見 出されて きた といえ る。他方,精
神薄弱 を不治 の もの と して定義 して い る人 たち は,子
どもの可能な成長の評価 に重点 をおきす ぎる 傾 向があ る。 以下,今
日までの精神薄弱の定義 につ いてのべ,現
行 の定義 につ いて考察 を進 めた い と思 う。 糸屯 石 大精神薄弱児教育の諸問題 (209)
4.伝
統 的 な 精 神 薄 弱 の 定 義 精神薄弱 の定義 は,今
日までそれぞれの領域や専 門的な立場 か らのべ られているが,そ
の 中で最 も多 くの専 門家たちの注意を引いた ものはつ ぎの四つであ ろ う。各定義 に共通 してい る点 は,精
神 薄 弱者 は限 られた知 的能力のため,環
境 に適 切 に順応で きない とい う考 えを,わ
ず かで はあるが異 な った方法で強調 して いる。 しか しこれ らの定義 は,全
て成人 の行動 に関 して表現 されてい るとこ ろに問題 はあるが,多
くの困難 と しば しば予測で きない幼児や児童 の教育訓練 を行 な って い る人 た ち に と って も重要 な意味を もって いる。 ところが大部分 の定義 は,精
神薄弱であるとか,な
い とか を判別す る境界線の決定 に,一
定 の明確 な規準を設定す る ことを避 けてい るよ うであ る。精神薄弱 に近 いが,真
の精神薄弱でない とい うヶ―スを どのよ うに表現す るか,に
つ いて は,今
日まで多種 多様 な用語 を使用 してい ることによ って も理解 され る。例 えば「準正常であるが精神薄弱でない」(いわ ゆ る仮性精神薄弱
PSCudofccblcmindcdncss),「
境界線」bOrdcrlinc,「遅 鈍」mcntally
dull,「
学習遅進児」slow-lcarncr,「
貧賦」POOrly giftcd,
な どいずれ も不 明確 な用語 が提起されて いる。 白痴やその他 は っき りした異 常だけが問題 とな っていた昔の時代には
,軽
度 の精神薄 弱 につ いて は,
このよ うな区別 を考 え る必要 はなか ったが,精
神薄弱 の概念 の普及 と発展 は,漸
次 正 常者 と痴愚 との間に,準
正常者 (軽 愚)の
大部分を合め るよ うにな った。従 って,
この領域 に対 す る定義 は,い
ずれ も障害者 が現われ る変化 の多 い状況や環境 に適応す る適切 さを決める複雑な変 数 とを認 めよ うと しないため,
この問題 を解決す るよ りも,か
え って多 くの問題をつ くって ぃ くよ うに思われ る。さて,Trcdgold(1957)の
精神薄弱 に対す る定義 はe12),_般
的 な言葉 で成人 の行 動 を述 べてい る。すなわち 「 その人 が監視,制
御,外
的な援助な しに生存 を維持す る ことで,仲
間の正 常な環境 に適応 す る ことがで きない ほど,性
質 や程 度の不完全 な精神発達 の状態」 と している し,同
様 に Bcnda(註 13)(1954)は , 「 精神薄 弱者 は,
自分 自身の ことや,自
身 に起 った出来事を処理 した り,あ
るひは教え られた こ とをす る ことので きない人であ り,ま
た彼 自身の幸福や社会 の幸福 のため,監
視,統
制,看
護 を 必要 とす る人である。 と定義 している。 また Doll(註14)(1941)の 定 義 は幾分特殊 な もので,上
述 の定義 の要素 の上 に , 情緒 的な性質 の もの とか,そ
の不治性 について よ りも,幼
少期 にお けるハ ンデ ィキ ャップの発現 や その身体的な発現 に重点 をおいているよ うであ る。 「 われわれ は所説 や その関連 か ら, 6つ
の規準 が一般 に適切 な定義や概念 に必要欠 くことので き ない ものと考 え られ る。 それ らは,(1)社
会 的無能力で あ る こと。(2)精
神 的に準正 常であること。(210)
(3)い
ず れ も発達 的 に停止 してい る こと。(4)成
熟 して い る こと。15)身
体構成 上 に原 因のあ る こと。16)本
質 的 に不 治で あ る こと。 な どをあげてい る。 これ ら規準の最後の二項 は,精
神薄弱 を生 理 学的,永
続 的原 因 によ る症状 とす る人 たち と,心
理 学的,一
時的 な原 因 によ る症状 と考 えてい る人 たち によ って,真
剣 に討 議 され た ところである。上記 の
Trcdgold,B cnda,Dollな
ど の定義 とは対照的 に,Kanncr徽
15)(1957)は 成 人 の状 態 か ら2種
類 の精神薄弱 を定義 した。彼 の定 義 は,ハ
ンデ ィキ ャップの程度 と,そ
の個人が適応 しな ければな らない環境 の性質 とに
,特
別 の注意 をは ら っ て い る。彼 は絶対的精神薄弱 (真の精薄absolutc fccblcmindcdness)と
相 対 的精神薄弱 (rclatC Feeblcmindedness)と
言 われ る も の を区別 して,つ
ぎの よ うにのべてい る。ll)真
の精神薄弱 に属す るタイプの人 たちは,今
日まで どの よ うな教養 も持 ち合わせ が な い た め,認
識 的,情
緒 的 それ に積極 的 に,意
欲 的な可能力 に著 し く欠 陥があ る人 た ちで あ る。 …… 彼等 は学者 の社 会 において も,未
開人 の社会 において も,等
し く無力であ り適応 がよ くない。 彼等 は知 的 な欠 陥があ るばか りで な く,精
神生 活 のあ らゆ る領域 において欠 陥が ある。 (21 相対的な精神薄弱 に属す るタイプの人たちの限界 は,彼
等 を と りま く特殊 な文化の規準 にり] 瞭に関係 が あ る。複雑 でない社会,知
的な ものを中心 と しな い社会 において は,野
心 を実現 す る ことがで きるため,野
心 の平等 な達成 や保持 に対す る煩わ しさがない。知能 テス トによ って 測定 され た もの よ り,他
の ものの長所 の発揮 によ って優越性 を保持す る ことさえで きる。…… 彼等 は有能 な農夫,猟
師,漁
夫,そ
れ に民族舞踊者 とな る こともで きる。現 代の社会 において も彼等 は,農
業 の働 き手,工
場 労務者,鉱
夫,給
仕,雑
役 婦 と して成 功す る こともで きる。 し か しわれわれの中に,彼
等 の欠 陥 に対す る認識 がなか った り,彼
等 の原始的な文化体を もって い る ことに気づ くことがな くて,書
字,歴
史,地
理,長
除法 な どの知 的 なカ リキ ュラムや,養
鶏・ ゴ ミ集め,百
貨店 の包装 な どの仕事 に欠 かせ ない準備段 階で,競3を
要求 され ると,す
ぐにその欠陥が現われる。……精神的欠陥としてより,知 的に不適当として,こ のような人たち
につ い て語 る こと は,む
しろ望 ま しい ことで あ る。 2。 現 行 の 精 神 薄 弱 の 定 義 (〕 新 しい精神薄弱の定義 わが国の文部省の定義 最近の精神薄弱 に対する概念の普及 と発展は,か
っての白痴やその他の明瞭な異常だけを問題 に した今世紀以前 に比較 して,そ
の程度や範囲は漸次拡大 されてきた。 このことはその定義の内容に 悟 純 石精神薄弱児教育の諸問題 (211) よ って もうかがえ る。わが国の文部省 の精神薄弱 に対す る定義 は, 「 い ろい ろの原 因で精神 発育が恒久的 に遅 滞 し
,
このため知的能力 が劣 り,自
己の身辺 の事が ら の処理 および社会生活へ の適応 が著 しく困難 な もの」 と している。 この定義は,現
段 階 にお ける精神薄弱 の特性を,十
分 そ の 内容 に盛 り込んでいる特色 あ る定義 といえ る。特 に他 の定義 に見 られ ない異色 ある特色 は,「
精 神 の発育が恒久的 に遅滞 し… … 」 とある「恒久的」 の用語 である。精神 の発育 は一時的に遅滞 しているのではな く,恒
久 的 に遅 滞 してい ると明言 して い ると ころである。 しか し,用
語 上 の問題 もあ る。 その一つ は「遅滞」 とい う用語 の使用で ある。 ここでい う「遅滞」 とは,精
神 の発達 が遅 れ,の
び悩んでい る状態をあ らわ す ものであ って,停
止 してい るのではない。遅 々と,発
達 をつ づ けて い る 状 態 の 表 現 で あ る。 Hutt。 (19酪)は e16),精
神発達 の遅滞 と停止 をつ ぎの図のよ うに区別 してい る。停止 は明 らかに, 何 らかの原因で精神 の発達 が止ま って しま った状態で,決
して のびない状態の表現 である。 このよ うな意味か らすれば,精
神薄 弱 の精神発育 は遅 々と し 常て ぃ るが発達の可能性 を合んでいる。 したが って精神 薄 弱 の用語 に
,「
精神遅滞」 の コ トバを使用す ること I」〕棚尋
鑓
,駅
i‖
子
」
る
継を
格
召
≧
ピ
∴班
が,宜
な るかなの感があ る。 な おまた文部省 の定義 には,詳
細 な解説 が施 されて いないため不 明確 な点 もある。 その一つ は,「
知 的能 力が劣 り……」 とある「知 的能力」 とは何かの問題である。「知 的能力」 すなわち「知能」 の意味 を,精
神薄弱 の場合 はどのよ うに考え るべ きかである。 もし知能を知的な学習をす る能力 (学習能 力,知
識 を獲得す る能力)と
して考 え るな ら,精
神薄弱児 は ほ とん ど劣弱 である。 しか し前述 した よ うに,知
的学習以外 の能力すなわち機能 的能力,適
応能力,社
会生 活能 力 (例,料
理 を 作 る こ と,手
の器用 さ,知
能 的犯罪 な ど)な
どのよ うに考え るな ら,普通児 なみか,また はそれ以上 の場合 さえある。二つ には,知
的能力 の劣 る程度 について も,そ
の病 因 (内因,外
因)に
よ って異 な るで あ ろ う し,ま
た欠 陥の発生時期 (幼少期,胎
生 期など)や
程度 によ って も,知
的能力 の状態 は異な る ことが推測 され る。 また二つ には,遅
滞 の原 因が神経学的損傷 とか精神病的な ものであれば,精
神薄弱 と して分類 され るべ きでないが,
これ らの点 につ いて も明確 な限定 が与 え られていない。 以上 のよ うに,文
部省 の定義か らは,そ
の用語上 の解説 が不備 のため,用
語 上 の意 味 に明確 さを 欠 く点 もあ り,判
別上 に混乱の起 ることや適正就学や指導 に効果 が期待で きがたい と思われ る。AAMDの
定義アメ リカの
AAMD(ThC Amcrican Association on Mcntal Dcficicncy)の
定 義 で は(註17),「 精神遅滞 とは発育期 間中 には じま り
,適
応行動 における欠陥を併せ も ってい る平均以下 の一般 誕生CA
(M.L.Hutt,1958) Fig,2,精神発達 の正常,遅
滞, 停止 を示 す図 成 人MAの
平(212) 悟 的知 能機能 を指 してい う」 とのべてい る。 この定義 は精神薄弱 の発生 時期
,自
己および社会への適応行動,平
均 以下 の知能 の はた らきな どの二つ の点 に重点 がおかれて い る。 この よ うな定 義の もとで は,一
人 の人 間が精神的 に遅滞 している,す
なわ ち精神薄弱であ るとラベルがは られ る前 には,す
べて三つ の条件が結果 と して起 っていな ければな らない ことにな る。 この点AAMDの
定義 は非 常に簡潔で あるが,そ
の主 要 な用語 や分類 には,で
きるだ け明確 な手 引による解説 が施 されている。 一 般的な知能 のはた らきが平均以下で あるとい うことは,個
別知能検査 によ って測定 された もの で,同
年令集団 の平均 よ り1標
準偏差以上低位 にあ る成 績 によ って評価 され る と して い る。従 ってFig.2に
おいて見 られるように,こ の定義からすれば精神薄弱の範囲に入るものは
IQ85以
下とな
る。 ……… 曲線下、各部分のケースの%
-3 -2 -1 0 +1 +2 +3 ,…
…… 標準編差 (15oど 16)55 70 85 1∞
115 130 145
…………lQの偏差 註'と
摂2智態ぞ 牙 著講然 曲線 の分 布 はWSCの
ヨえ均=側
町SD=“
発達期 間中 とは,発
育期 の上 限年令 を実用 的な 目的 のため,お
およそ16才 までで あ る ことを認 め てい る (いろい ろ所論 はある)。 この規 準 は,年
令 に関す る精神薄弱 の伝統 的な概 念 と 一 致 す る し,ま
た人 間行動 の他 の障害 (神経学的疾患 とか精神病 な ど)と
精神薄 弱 とを区別 す るの に役 立つ もので あ る。例 え ば幼少期 に普 通知能 で あ った ものが成人 期 に知能 が低 くな った場合 な ど,直
ち に 精神薄 弱 と して分類 すべ きで ない と して い る。 これ ら知能 測定 による分類 や発生 時期 によ る区別 は わが国の文部省 の定義や解説では明瞭 さを欠いている。 またAAMDの
定 義 は,平
均以下 の知能 の はた らきが,適
応行動の障害 によ って影響 され る こと も明 らかに している。適応行動 とはまず第一 に,環
境 の 自然的社会的要求 に個人 を効果 的 に適応 さ せ る ことであるが,障
害 のあ る適応行動 は人 間の①成熟,②
学習,①
社会適応 な どに反 映 され るも のであると してい る。例えば,①
の成熟 に見 られ る平L幼 児期 の適応行動 の障害 は,坐
る,は
う,立
つ,歩
く,話
す ことか ら,習
慣訓練,同
年令 児 との交 わ り,な
どに見 られ る 自立的技術 な どの連続 的 な発達 の速度を意 味 してい る。 この感覚一運 動体系 の発達 は,生
後2, 5年
の生活 の 中で完成 さ れ るもので,こ
の発達技術 における発育速度の遅延 は,就
学年令前 の精神薄 弱 の規準 と して最 初 の 重要 な ことが らであると認 め られている。② の学習す る能 力 は,知
識 が経験 か ら獲得 され る才能 と 関係 があ るため,ア
カデ ミックな学習 の状況 において最 も明 らかにあ らわれ る し,就
学前 まで は明 らかでなか った軽度のもので も,入
学 す る ことによ って その困難性 が は っき りとあ らわ れて くる。 率屯 0.1 2 2 13.6 34 1 34 1 13 6 2.2精神膏弱児教育の諸問題 (215) したが って
,障
害 の ある学習能 力 は,特
に在学期間中に精神薄弱 と して類別で きる不適応行動 で あ る と して いる。 さ らに成人 の段階における精神薄 弱 の条件 と しての,①
社会適応 は特 に 重 要 で あ る。成人 の段階では,
自分 の能力で個人 的社会 的責 任 や社会 の規範 に適 合 した り準拠 した りす る外 に,社
会 や戦 業で独 立 して 自活で きる程 度 によ って,社
会適応 が評価 され るのが第一 の規準 で あ る 。 この ことは就学前 や就 学期 間 にお ける両親 や その他 の人,そ
れ に同年令児 との接触程度や仕方 な どに大い に影響 され るものと してい る。 このよ うにAAMDの
定 義か ら精神薄 弱 を考 え る場合,不
適切 な,あ
るひは障害 のある社会適応 学 習,成
熟 な どが有益 な標準 とな って,無
能力 あ るひは準正常 が明 らか に判 断 され ると して い る こ とであ る。 しか もその定義 における障害 のある適応行動 の一般 的な規準は,一
般知能 の客観 的測定 が,自
立 や社会的行動 の生育史の評価,現
在 の行 動 の臨床 的評価,そ
れ にアカデ ミックな学力,運
動 技術,社
会 的成熟,職
業的水準,社
会 的参加 な どの測 定 によ って補足 され る ことを要 求 し て い る。事実,実
施 された精神薄弱 の診 断において,精神薄 弱 と診断 された大部分 の ものは,この5領
域 の適応 において障害 があ る し,ま
た障害 の歴史 を も って いるといえ るだろう。現在 の定義 の枠組 内 で は,精
神薄弱 とは知 的機能 と適応行動 に関す る個人 の現在 の状態をのべてい るコ トバであ る。従 って,社
会 的規準 や条件 に変化 があ った り,知
的機能 の効果的な変化 があれば,自
ら事 情 は変 化 す る もので あ ろう。以上 のべて きたよ うに
,AAMDの
定 義 は今 日までのTrcdgold,Bcnda,Doll,そ
れ にKanncr
の 方式 とは多 くの点で次元を異 に してい る ことが理解 され る。AAMDの
定義 についての考察AAMDの
定 義 は,文
部省 の定義に見 られ るもの と,か
な り共通 した内容を もって お り,ま
た そ れ だ けに共通 した問題が解決 されないま ゝに取 り残 されている。われわれは ここにおいて,両
者 の 定 義 に共通 して考 え られ る間題点 を,AAMDの
定 義 を 中心 と して,そ
の特色 とす る要点 につ いて 考 察 したい と思 う。 (ll この定義 は明 らか に発展的で あ る。 この ことは,そ
の条件が成人期の損傷 に続いて起 る障害 と区別 して,発
育期 に始 ま った もの と し て 定義 してい ることである。精神薄弱者 は 自己の年令相応な発育的課題の成果 によ って判 断 され る とす る と,航
学年令前 の期 間 における感覚運動 の行 動 は,大
い に成熟 に依存す るもので最 も重要 な もの と思 われ る。また在学期 間中においては,学
習能力 は最 も重要な ものである し,成
人期 におけ る経済的独立や社会的規準の限界 内での働 く能力 な どは,優
先 して考 え られて い る。従 って成 人 の 行 明 と して適 切 な規準 に重点 をお く従 来 の定義 は,子
ど もにとって は全 く不適 当で あるが,現
行 の 定 義 は個人 が成長 す るもの と して,人
間機能 の新 しい面 の発育 と発現 に重点 をおいてい る点 で発 展 的 で あ るといえ る。(2)こ
の定義は,精神状態 の診断が現行動 の記 述 で あ って,可能性 のあ る知能観 を認 めて いな い。(214) す なわち
,子
ど もが どのよ うな成人 に発達 す るかを予想す る場合,知
的情緒的成長 の恒常性 につ いて も,ま
た成人期 の社会的才能 に必要 な能力 につ いて も非 常 に疑 わ しい仮定を合んでいることで ある。それは従来 の慎重 な診 断で さえ.時
に はその人 のその後の発達 を確 認 しよ うと しなか ったと い う事実があるか らであ ろう。 しか し在学期 間中,精
神薄 弱 と診 断 され た子 ど もたちの 追 跡 研 究 は,驚
くほど彼等 は仕事 に就 いてい る し,独
立的な生活を送 って いる ことが諸種 の報告 によ ってkElられて い る(註 18)。 例 えば
,Charlcs(1957)(註
19)の研 究 によると,1956年 Ncbraskaの
Lincolnにある精神薄弱 の特殊学級 グループ127人につ いての報告で は
,そ
の80%が
就 職す る ことがで き,しか も常勤であ った し
,80%が
結 婚 して いた。 しか し男子 の約半分 は法律違反のため起訴 されてい たが,そ
の犯行 は暴力犯で はなか った。女子 の極 く少数の もの も犯 罪記録があ った と報 告 し て い る。また暴力を振 う場合で も,そ
の多 くは貼酎のためであ った り,IQの
低 い もの程,低
い社会経 済的階級の特性 を も ってい るとものべている。Charlcsの
調査 の印象 によると,
このグループの2o%は
“生涯 の欠 陥者"(lifC■ Ong defcctcs)と
いわれ る し,10%は
欠 陥者 であるが社会 に適応 してい る し,65%は
遅 進 グループ (a dull―normal group)に
属す る印象 を与えた し,ま た5%は
普 通ない し普通以上 の知能 程 度を も って い るよ うに思 われた とのべて い る。 このよ うな点か らも, 可能性 のある知能観 を認 めない ところに,定
義 における明確 さを欠 く点 があるよ うに思 われ る。0
この定義 は,測
定 による面 が強調 されてい る傾 向があ る。 特 別 な信頼 が,現
在 の行 動1発
育史,ア
カ デ ミックな学力,運
動技能,社
会 的能力,職
業水 準, それ に社会的が加な どの多 くの要素 による補助的な評価 と共 に,一
般 知能 の客観的な検査 に重点力ざ おかれているよ うであ る。特 にAAMDの
定 義で はその手 引の解説 に も示 されているごと く,精
神 検査 の得点 が,で
きるだけ他 の多 くの資料 とともに使用すべ きことを明示 してい る。 も しその得点 が個人の観察記録 と好都合 に一致 して いる場 合は,経
済的な方法で あ って必要 な情報 を伝え るため の分類 に便利 な指標 とな る。 しか し,
も しテス ト結果 が,そ
の子 ど もにつ いて の他の情報 を参照す る ことな しに使用 された り,ま
た テス ト得点 だけが伝達 された りす るな らば,精
榔 テス トの研究方 法 は重大な誤 りを犯 しやす い と考 え られね ばな らない。 精神検査 の得 点 の適切 な解釈 や利 用 は,す
で にC antorG20)(1955)の
述べて い る ごと く,テ
ス トされた個人 について の蓋然的な報告 を診断者 にす ることで あ る。精利1薄弱 で あ るとい う場合,わ
れわれ はその人 の腕が折れてい るとか,結
核 で あ るとか とい う意味で障害 があ るとい ってい るので はない。われわれが言 ってい るのは,そ
の子 どもが 自己の個人的な要求 を大切 に育て ることを学ぶ ことがで きない し,ま
た普通 の学年 や学級で学習す ることがで きると思 われない とい う こ と で あ る。測定のために使用 され る知能検査 の結果 を,限
定 された仮定 的な構成概念 と して考 え るな らば 精神薄弱 の診断 において は,テ
ス ト得点 の統計的な操作で知 ることので きない非 テス トの資料 を, 実際的 な立場 か ら得 な けれ ばな らない。AAMDの
定 義 も,文
部省 の定 義 も,明
らか に この事実を 認 めてい るが,実
際的 な問題 と して は精神検査 による得点が強調 され る傾 向がある。 悟 純 石 大精神薄弱児教育の諸問題 (215) 精神薄 弱の診 断にあた って精神検査 を利用す る ことに反対する人たちは
,診
断のための この よ う な簡便 な方法を容易 に認め よ うとは しない。その理 由として,精
神薄弱 その ものの診 断が,子
ども の生活の進路を決定 す る ことにな るとい う事実を指摘 している。診断 され るとつ ぎの処置が考え ら れ る。すなわち,そ
の子 ど もは精神薄弱児 のた設 に入れ られ るとか,特
殊教育,心
理治療な どを受 け させ られ るとか,あ
るひは特殊 な医学的治療 を施 され るとか して,子
ど もの将来 に汚名 を残す こ とにな るとい う点を重視 してい るので ある。 この批判は,と
もす ると,多
くの子 どもた ちの19_が
在学期 にかな り安定す るよ うにな る傾 向があ るとい う仮設 にもとづ く主張におかれているか らであ る。従 って子 どもたちの地位 の再評価が無視 されるか もしれない ことと,ま
た少数であるが成長 の 様式が変化す るものは,彼
等 の能力の限界 を発展 させ る機会を否定 され る ことになるとい うことを 考 えて お く必要 もある。事実,保
護施設 の最小限の刺激環境下で,発
達 す る普通 の知的可能力 を も った子 どものいる ことを見逃 がす ことはで きないであろう律21)。 14た この定義の もう一つ の特性 は,幼
少 期 の小児精神分裂病や器質 的脳 損傷 のよ うな障害か ら , 精神薄 弱を特 に区別 していない ことでぁる。 も し子 どもが,普
通以下 の知的水準の機能であれば,そ
の徴候が情緒 的ない し器質的障害 の一次 性 または二 次性 のいずれであ って も,ま
さ しく精神薄弱 といわれ るで あ ろ う。多 くの専門的な努力 は,こ
れ ら知的ハ ンデ ィキ ャップの子 どもたちと,重
い情緒的障害 の子 ど もたち とを区別するため に払われて きた。 困難で,誤
りやすい区別 は,“ 精神欠 陥",“ 脳障害 ",“ 重い情緒的障害"そ
れ に “小児精 神分裂病"な
どを もった子 どもたちにな されて きた。B cnda(註22)(1954)や
Bullock(註23)(1957)た
ちは,情
緒 障害児か ら精神薄弱児 を区別す る場合の混乱を認めてぃる し,ま
たその判男吐 を全 く放棄 していることをのべている。判別の状況 は,成
人 になるとともに,さ
ほ ど困難 でな くな る。突然 に知的機能 が遅れは じめる成人は,お およそ構造変化か機能変化の原因によ って“脳障害" とか “情緒的障害"と
かの レッテルがは られ る。 も しその様式が早期の発育か ら持 ち こされた もの で あるな ら,そ
の人 は “精神薄弱"の
レッテルがは られ る。 その本質的理論的区別 は,構
造設備 に よ って決め られ る能力 の限界 (欠陥 とか脳障害)と
,恐
らく普通の脳構造 を使用で きる有効性 の限 界 (器質 的変化のない精神異状)と
によ ってな され る。子 どもたちに行な うこの鑑別 は,少
な くと も神経学的症候が容易 に現われない時はかな りむつか しぃ。 しば しば臨床 的に認め られる神経学的 症候 を現 わ さない脳障害児 は,神
経学的な故障を もたない情緒障害児 に,そ
の行動 が似てい るとい われ る。恐 らく脳障害 は,行
動 障害の若千 の面 を説 明す ることだけはで きるが,脳
の構造異 常が精 神 的障害を起 している多数のケースか ら見 ると,同
様 にその子 どもは情緒障害が後か ら起 る程,敗
北感,無
価値感,拒
否感 にかか りやす いといわれ る。 このよ うな理 由か ら,誤
りやす い診断 はかな り共通 しているものである。例えば,行
動 が その分野の専門家 によ って精神分裂病で あると診 断 さ れ た子 どもたちが,死
後脳 の検査 を された時 も(Malamud,e24)1959),ま
た彼等 の行動 が長期 に 亘 って詳細 に観察 された時 も (Goldfarb,往 25,1961)い ずれも器質的な障害を受 けていること が 明(216) らか に されていたケース もあ った。
(9,最
後 にAAMDの
定 義 は,重
度 の精 神薄 弱 か ら,今
日まで境界線級 と考 え られていた多人数 集団へ,そ
の重点を移 している ことであ る。 これ は今 日まで,慣
例的 にな って いた ものよ り,さ
らに広 い範 囲に知能分布の低 い部分 が入 れ ら れ て い る ことで あ る。特 に この定義では,一
般知能検査で,そ
の集団平均以下4標
準偏差 よ り低 い と ころにあるものは,す
べて準正 常 と してい る。1960年 改訂の Stanford―B inctの
標準偏差 は16 で あ り,WISCの
それ は15で あるため,
これ ら二 種類 の検査 の区切 り点は,そ
れぞれ84と 85で あ る (他 の検 査 を使用 す るとその限界 は標準偏差 の大 き さによ って異 な る)。Termanゃ
wcchslcr
は,精
神薄 弱 の限界 を70と る9の 区切 り点で示 した。 と ころが新 しい用法 が示 す よ うに,標
準偏差 を 14か ら16に 引 き上 げ る ことによ って,そ
の重点 は軽度や境界線 の遅滞者 の問題 に関係 して くるよ う にな った。 も しこの新 しい方法 に従 うとすれば,人
口の ほぼ■//6は精神薄 弱 と考 え られ るだ ろ う。 このよ うな変化 には長所 も短所 もあ る。一 つの長所 と して,高
度 に都市化 され た競争 的文 化 の 中 で は,平
均以下1標
準偏差 で も低 い知 的能 力で は,
しば しば学業 に従事 した り,経
済 的独 立 をな し とげ よ うとす る場合,現
実 的なハ ンデ ィキ ャップ とな る。農業 労働者 や菓子包装者 などに要求 され る知的能力 は,精
神薄 弱 の限界 内で もよか ろ うが,農
業 人 口は急激 に減少 してい る し,ま
た オー ト メー シ ョンは,か
って の人 間中心でな された産業 の単純な仕事 の多 くを引き継いでい る。従 って精 神薄 弱者 で も,職
業 によ って容易 に役立 つ よ うになれ るもの には,専
門的な注意 を もたせ る ことに 重 点 がおかれてい る。 また変化 によ って起 る短所 には,従
来 の考 え方 の中にあ る もので あ る。すなわち精神 薄 弱 に関す る研究 は,一
般 に著 しいハ ンデ ィキ ャップを も った もののみを取 り扱 って きた し,ま
た誤 った解釈 は,そ
の コ トバ の表現 が定義 し直 されて も起 って くるものであ る。第二の短所 と しては,社
会的文 化 的集団 に問題 のある任意規準を使用す ることで ある。統計的定義の使用 は,一
般 の人 た ち に精神 薄 弱 は知能 の測定 か ら,最
下位 か ら16%に
あ る人 たちで あ るとい うことを指令 す るよ うな もので あ る。た とえ知能 は低 くとも,存
在価値 が高 くな くて も,困
難 な く自分のグループに適応 してい る人 た ちを,精
神薄弱 と して レッテルを はる ことは語 義上 の誤 で あ る。 以上,精
神薄弱 に関す る定義をAAMDの
それ を中心 と して,わ
が国の定義を参照 しなが らなが め て み ると,多
くの疑 間 に明確 な 回答 を欠 く面 が残 されて い る。 しか し概 して,こ
の分野 に対 す る ァプ ロー チは,精
神薄 弱児 によ って示 されて い るわれわれの知識 の仮説やい ろい ろな戻 患群 に,健
全 な重 みを もた らしてい ると信 じている。それはまた,よ
りよい適応 と社会的妥 当性 に対 して,援
助 した り援助すべ きで あ る大多数 の軽 度 の精神薄 弱児 の問題 に正 しく重点 を おいて い るといえ る。 イギ リスにおけ る定義 前 に も述べたが,イ
ギ リスにおけるこの領域 の定 義は,法
律 によ って制定 されて い る。 イギ リス で は伝統的に定義の強調 を,精
神薄弱者 の社会的不適応 においてい る。例えば,4927年
の精神薄弱 悟 純 石 大精神薄弱児教育の諸問題 (217)
者 法
(ThC Mcntal Dcficicncy Act)で
は精神薄弱をつ ぎのよ うに定 義 している。「先天 的原 因か ら起 った り
,病
気傷 害 によ って ひ きお こされた と して も,48才
まで に精神 の発達 が阻止 された り,不
完全 な ままの状能」 (SCCtiOn lぅ paragraph 2) しか し精神欠 陥(mcntal dcfcct)の
カテゴ リー を明 らか に してい る規準 は,純
粋 に “社会的) で ある。例 えば, c ldiots(白 痴)は ,普
通 の身体的危険か ら身を守 る ことがで きない人 たち。 ・Imbccilcs(痴
愚)は
,
自分 の ことや 自分の 出来事 を処理 した り,あ
るひは子 どもの場合,そ
うす る ことを教 え られて もで きない人 たち。 ・Fccblcmindcd pcrsons(軽
愚)は ,自
分 自身の保護 や他人 の保護 に,看
護,監
督,制
御 を然 要 と し,あ
るひは子 どもたちの場合 は,学
校 で教育 を受 けることがで きない人 たち。 とのべて いる。 この外 に特異 な もの と して, ・Moral dcFcct
cs(道
徳欠 陥者)は ,悪
癖 と犯罪傾 向を共 にもってい る精神薄弱 者 で あ っ て,こ
の よ うな人間 には他人の保護 のため,看
護,監
督,制
御 を必要 とす るもの。 と してい る。以上 は1948年 の教育法の改正 に定 義づ け られた内容である。 この早期 の法律 は何 回か改正 を うけ,1959年
終 に徹底 的な改正 とな った。 1959年 の精 神 衛 生 法(thc Mental Hcalth Act)の
名称 の もとに,精
神欠 陥(mcntally dcFicicnt)ゃ
精神 薄 弱(mentally dcfcctivc)は
,法
令 上精神障害(mcntally disordcrcd)と
い う用語で代用 され る ことにな った。 この法令 の主要な 目的の一つは,一
方 の精神疾患 (mcntal ilincss)と 他方 の精神 薄弱(mcntal dcfcct)と
の間にひかれていた厳格な区別 を取 り除 くことであ った し,ま
た精神障害 とい う用語 は
,精
神 的不健康(mcntal ill hcalth)の
すべて の ものをカバーす ること で あ った。 この法令の もとに
,患
者 に四つの主要な分類 が認 め られてい る。すなわち 精 神 病(mcntal
illncss),重
症精神薄弱(Scvcre subnormality),普
通精神薄弱(SubnOrmality),
そ れ に精 神病質 的障害
(psychOpathic disOrdcr)で
ぁ る。 この うち重症精神薄弱 とい う用語 は, 知能 が普通以下(Subnormality)で
,精
神 の発達 が停止 し,不
完全 な状態であ り,か
ら 患者 は独立 して生計 を営んだ り,悪
質 な利用か ら自分 を守 った りす ることので きない性質 や程 度であ り,な
すべ き年令 にな って もで きない状態。 (scction 4ぅ paragraph 2) を指 して い る。従 って この用語 は,以
前 に idiOtsゃimbccilesと
呼 ば れていたすべての人 と,fccblcmindcdと
呼ばれて い る人 の約半数の人 に適用 されてい る。 またSubnormalityと
ぃ う用語 はつ ぎのよ うな条件 に関係 がある。 「知能 は準正 常 (Sklbnor m ality)で,か
つ患者 の医学的治療やその他 の特別な看護,あ
るひは 訓練 を必要 と し,効
果 のあが る性質や程度の もので あ る。 (ScCtion 4,Paragraph 5) 精神病質 的障害 (psychOpathic disordcr)と ぃ う用語 はつ ぎのよ うな意 味を もってい る。 「患者 の方 で異 常な攻撃的行旅やひど く無責 任な行為 を引き起 す精神の固執的障害や無能力(註,(213) 大 石 純 悟 知能 の準正常を合む のか
?)が
あ って,医学 的治療,看護 それ に訓練 を必 要 とす る もの」 (ScCti― On 4, paragraph 4) 従 ってSubnormalityの
規準 は,準
正 常の知能 の証明を必要 とす るが,イ
ギ リスにおいては, 今 日なお第一 に“社会的"(SOCial)で
あ る ことをあげて い る。 しか しSubnormalityの
用語 は不 明 瞭な定義の ままで あ る。 何 れ にせ よ,個
人 が精神的 に障害があると決定 す る最 も重要な ことは, 準正 常の知能 でな く,む
しろその人 の社会的不適応 であ る。 イギ リスの定 義 は活動 的で も楽観 的で もあ る見解で,看
護 と処置 のため,個
人 の要求 に注意を喚起 している ことは一層興味のあることで あ る。 しか し,L.S.pcnroseは
爺20),「新用語 を導入 して,精
神薄弱 を欠 陥(dCfCCt)と
せず, 障 害 (diSOrdCr)に 入 れて い る こと,
しか も重症のカテゴ リー はあ るが精神薄弱の軽症にはふれて い ない ことは,い
ずれ もだ らしな く不合理 である」 と批判 している。(0 1Qに
よ る精神薄弱の定義 精神薄弱 の判別 を量 的規 準 によ って先 鞭をつ けたの は Binct―Simonで
ぁ るとい って よい。 しか し,こ
の種の方法 が急速 に発展 し,最
も広 く利用 され,
しか も有効な客観 的規準 とな っているのがL,M.Tcrmanゃ
M・A.Mcrrinの
功績 にな る今 日の知能検査か ら得 られ る得点で あるe27)。 この
IQ得
点は,
しば しば確実なもの,変
らないものとする知能指数の恒常性の理由か ら,学
業成績 に有効な唯一最良の予言的なものとしている傾向もある。なる程, 19_得
点は非常に簡単で情報伝 達 も容易であ り,比
較のためにも明確な基礎資料を提供する。 したが って最 も重要な点は,知
能テ ス トは最少の時間量で,子
どもの知能状態について最大の情報量を コ ミコニケー トすることができ る し,ま
た知的発達の指標をあたえることができることである。そのため この方法は,精
神薄弱を 定 義するため,単
一 な次元を根拠 にす る人たちにとっては評判がよい。 ところで,知
能検査を基礎 に して,精
神薄弱を決定す る根拠 は, IQが
唯―の決定因子でないと はいえ,測
定 された知能を基礎に した教育 目的か ら,精
神薄弱が決め られていることである(評8)。 前 にも述べたように,AAMDの
知的機能の欠陥程度による分類にもかかわ らず,教
育現場の実際 的 な立場か らは,(J, I Q75-50…
thC Cducablc mcntぁ1ly rctardcd(教
育可能な精神遅滞)2), I q50-50…
thC trainable mcntally rctardcd(訓 練可能な精神遅滞)(31, 19_調以下…thC Custodial or dcpendcnt mcntally rctarded(保 護的
,依
存的精神遅滞)の二つのカテゴリーに分類 されているのも
,そ
の教育 目的のためであるといえる。すなわちP theeducableの
子 どもたちは,読
み書 きのできるようになるアカデ ミツクな技術を獲得する能力をも っているし,the trainabtteの 子 どもたちは,読
み書 きは困難であるが,
自立,社
会化,
コ トバによるコミュニケー ションなどにおいて
,初
歩的な技術を身につけることができる し,ま
たthe cu―stodialの
子どもたちは,教
育において,よ
り洗錬された取 り扱いを行なえば変化する徴候がある か らである。か って一世紀前までは, SimplctOns(阿
呆),fOOIS(馬
鹿 もの),idiOtS(白
痴)精神薄弱児教育 の諸問題 (219)
な どといわれていた ものが
,moron(魯
鈍,軽
愚),imbccilcs(痴
愚),idiOtS(白
痴)1こ
変 え られ,そ
れ が今 日 Cducablc,trainablcぅcustodialな
どの名称 に代 え られて きた ことは,そ
の教 育 目的か らして,精
神薄弱のために,誇
るにた る前進であるともいえないだ ろ うか。 教育 目的のため知能検査の結果 を利用す る場合.教
師はその教育方針 や カ リキ ュラムを設定 す る た め に,子
ど もの能 力水準の程 度を知 る必要 がある。 その場合知能検査 の結果 は大 い に教育指導 の 寸旨標 とな る。今 日,知
能 検査 で最 も普通 に引き出 され る得点は100の平均IQと
同一年令集団の15 の 標準偏差値 を基 に したIQ偏
差 で ある。 これ は Fig。5の
図表で示 した よ うに,正
常蓋然 曲線 の よ うに19_得
点 が分布 している。例 えばI Q85の8才
児 は,彼の得 点が同年令集団の平均以下-1標
準 偏差 に入 る ことにな る。 それゆえ,標
準化 され た100人の8才
児 に対 して,16人
が彼 よ り下位で あ り,84人
が彼 よ り上位 の得点であ ることにな る。 同様 に19_70の12才児 は,そ
の年令 集団の平均 以 下-2標
準 偏差 に入 るため,標準化 され た12才 の被験者100に対 して9ア.7%が
彼 よ り上 位で あ り,2.5%が
下位で ある ことが理解 で きる。 このよ うにIQ点
の偏差 は,同
年 令者 たちにつ いて,一
人 の子 どもの相対的地位 を検査者 に物語 っている ものである。 この ことは,教
育 的適性 の有益 な一般 的 な尺 度で もあ る。教 師が同年令 の児童を受 け持つ とき,知
能 偏差 は教 師によ って最 もよ く利用 さ れ るものであ る。それはまた,特
殊 児 の相対 的な優秀性 を同級生 と比較す る こともで きる。 しか し なが ら,こ
の知能得 点 は,そ
の子 どもが在学 中に達すべ き水準を物語 ってい るので はない。 それ は 成 績 を あげ うる能力水準の程度を示 してい るものである。 それでは「成績 を あげ る能 力水準の程度 」 を知 るにはどうすれ ばよいか。 子 ど もが在学 中成績 をあげ る能力水準の程度を知 るため,知
能 テス トの得 点か ら引 き出され る唯 一 最善 の ものはmcntal agc(精
神年令MA)で
あ る。 これ は知能 テス ト独特 の推定得点であ る。MA点
は,同
年令集団の被験者 によ って得 た平均得点であるため,例
えば9才
児 のMA=9-o才
は, 9才
児平均の水準 に達する能力 を も ってい ると推定 す るものである。 このMA点
は「教育可能 の精神薄弱児」 を取 り扱 う教師にと って非 常に有益な尺度である。 これ によ って教育可能児 を教育 す るに相 当な学年能力(gradC Capacity)が
確 かめ られ るか らで あ る。従 って教 師が教育 に当 っ て第一 に考 えなければな らない ことは,教
科 な ど知 的な学習を取 り扱 う場合,子
ど もの精神年令 を 心 に留めて お くことである。教師は しば しば,教
育可能 児を取 り扱 う場合,子
ど もの生活年令 まで 引 き上 げよ うとす ることであるが,こ
れ は困難な ことであ り,ま
たで きない ことで もあ る。 そ こで 教 師は子 どもの精神年令 を知 ると,そ
の子 どもに相 当す る学年能力を換算す る必要 があ る。学年能 力(GC)の
算 出は,MAか
ら5を
引 けばよい。 すなわちGC(学
年能力)=MA-5
5は
学年能力 の成長差 を規 め る規準の数である。 なぜな ら,例
えばMA=る
は6才
児平均 の能 力 を も って い る ことで あ り,学
年能 力 は,GG=6-5=1
(MA)
(220) で小学
1年
生相 当能力があ ると推定 され る。 同様 にMA=7の
場合 はGC=7-5=2で
2年
生相 当能 力 と考 え られ る。 したが って12才 の子 どもで精神年令9才
の精神薄弱児 は,GC=9-5=4
で4学
年程 度の学 習 をす る ことがで きるまで,引
きあげ られ る ことにな るで あろう。 し か し な が ら,学
校 の成 績 か ら特殊 児 を予見す る場合 は,知
能 よ り他 の多 くの要 因 も考 慮 されね ばな らない こ とは勿論である。 このよ うに教 師は児童生徒 の生活年令(CA)や
知能指数(19_)を
知れ ば,そ
の子 どもの推定 され るMA(Estimtttcd MA)を
予測す る ことがで きる。 それで は「推定 のMA」
(Estimatcd
MA)は
どのように算出するか,こ れは
1912年ドイツの Sternに よ って考察された
IQ算
出方式
IQ=二
晋輩予X100の
変 換 法 を利 用 す る こ とイこよ って算 出 さオ化る。 す なわ ち,EstimatcdMA=雫
で あ る。 例 え ば生 活年 令8才 , 19_75の
児 童 の 推 定 のMAは
EstimatcdMA=Z掃
誌生
=る で6才
で ある。 また この推定MAと
上記 の規準数5を
利 用す ると,GC=6-5=1
とな り,こ
の9才
児 は小学1年
生水準の成績 をあげ る知的能力 を もっていると推定 され る。 また精神年 令が生活年 令 に相応 しない平均以下 の子 どもが,能
力相 当学年 に就学す るため に,ど
れ程 の発達期間を待つ必要 があるか も,生
活年令 と知能指数か ら推定精神年令を算 出す る ことによ って推定 で きる。 いま表 によ って示 す とつ ぎのよ うに表 わ され る。 この表か ら見 られ るよ うに,例
, ▲推定MAを
求める場合は月に換算 して行 っている。 15才か ら16才までは,曲
線を修正 していなぃ。 純 石 大 Tablc乙生活年令 と知能指数の増加に伴 う推定精神年令
14 1 15 146以
上4-21 4-51 4-10
5-11 1 6-10
5- 7
7-- 07-8
8-- 4 9-- 19-9
10-る 11-115-0
5-- 45-7
5-41 70 1 4-- 5 75 1 4-- 6 85 1 5- 1 9-- 8 10- 511-5
11-2
12- 015-7
精神薄弱児教育の諸問題 (221) えば る才児で19_60の ものは
,小
学1年
生 の知的T/F業をす るためには,生
活年 令10才 まで待 たな け れ ば,相
当学年程 度の ことをな しとげ るまで発達 していない ことにな る。 しか しこの よ うに, 19_か
ら推定MAを
求 め る比較的未熟 な方法 には二つの大 きな弱点 があ る。 (ll 一 つは, 19_は
恒 常的で あるとす る仮説 に基礎づ け られている ことである。 この ことは,現
在知能 の訓練 とか,知
能 の教 育可能性 について論 じられて いる ことや, 19_概
念 の恒常性 は,測
定 された知能 がパー ソナ リテ ィーや動機づ けの特性,文
化 的機会 な どによ って影響 され るとす る諸研 究 な どか らすれば異論 がある。SOntagた
ち はC29),
「子 ど もた ちの62%は 5才
か ら10才 までの精 神発達の期間中に,時
には I Q15点 以上の変化をする」 ことを指摘 している。 この変化は,子
ども たちの訓練や経験の相互作用,パ
ーソナ リテ ィーと興味における変化,そ
れに知能テス トの測定の 誤差などの結果 に帰せ られるだろう。修
)二
つには, IQの
比率は生活年令による精神発達の直線的成長(a linCar growth)を
意味している。一般的に精神遅滞を合め