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戦前の精神薄弱者施設﹁滝乃川学園﹂の歴史的研究︵1︶

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(1)

戦前の精神薄弱者施設﹁滝乃川学園﹂の歴史的研究︵1︶

入園者家族の貧困問題を中心に

峰 島   厚

はじめに

 戦前の精神薄弱者施設の歴史的研究は︑最近になって︑入園者の実態の究明も含めて進められつつあり︑全容      ︵1︶を明らかにするための研究は︑ようやく着手されはじめたところである︒本論は︑戦前の精神薄弱者施設の実態

と歴史を︑ ω創設者の施設構想・思想 ②建築 ③財政・経営 ω従事者 ㈲処遇方針.方法等の角度から総A口的      に解明するため︑その一つの作業として滝乃川学園の対象を研究するものである︒

 戦前の精神薄弱者施設の対象を研究するにあたって︑基本課題として︑ω精神薄弱者が救済対象︑社会事業対

象に組み入れられる過程の分析 ②施設での処遇︑対象の負う社会問題の受けとめ方の分析をこれまで設定して

きた︵︒3︶ここでは︑前者の課題を入園経路を中心に分析し︑家族の貧困問題と関連させて︑財政・経営の側面から

滝乃川学園の社会的機能を明らかにする︒

69

(2)

1 滝乃川学園の沿革史      70

 滝乃川学園の前身は孤女の教育を行なう慈善救済施設であった︒明治二十年代︑経済的不況︑自然災害ごとに

近代的救済対象が発生し︑社会問題となり︑これら杜会問題に対する公的救済の欠如は︑民間の慈善救済施設の       ︵4︶設立を促した︒そのひとつとして設立されたのが石井亮一による孤女学院である︒

 そこで展開された教育で︑﹁幾遍繰返し教へても︑一向に教へ甲斐なし﹂と石井亮一のところに連れてこられ

      ︵5︶      ︵6︶

た孤女の教育から白痴教育がはじまったといわれている︒以後︑欧米流の生理学的方法を導入した石井亮一によ

って白痴教育が展開されたのである︒

明治三+年ころ﹁白痴教育施設滝乃川学園﹂に名称を変更レ▽︶日本最初の精神薄弱者施設として出発した・

明治二四年の孤女学院創立にはじまり︑翌二五年北豊島郡滝乃川村︑明治三九年北豊島郡西巣鴨村︑昭和三年北多

摩郡谷保村︵現在地であり︑国立市谷保︶と拡張移転され現在にいたっている︒

 戦前の滝乃川学園の特徴は︑第一に︑日本最初の精神薄弱者施設であり︑かつ創設者石井亮一は戦前﹁日本の

精薄教育の父﹂と称され︑当時の精神薄弱者施設の代表的存在であったこと︑第二に︑﹁家庭教育と学校教育の

調和﹂を処遇方針とし︑また障害の軽減・克服等の障害に視点をあたて教育方法・技術を創造するなど︑現在に

おいても教訓的な処遇のあり方をめざしてきたことがあげられる︒そして︑設立当所から施設福祉の体系をめざ

し先駆的役割をになってきたのである︒

 戦前の学園史の時期区分は︑ω施設収容対象の変化とそれへの学園の対応 ②処遇方針・内容の転換という視      ︵8︶点から次の三期にわけられる︒

(3)

 第一期 教育対象としての﹁白痴﹂保護︵白痴教育成立期︶明治二四年〜明治末期

孤女に対する家庭的な雰囲気のなかでの教育と︑石井亮一が構想する生理学的方法による白痴教育が錯綜しつつ

白痴教育が成立・確立してくる時期︒

 第二期 入園対象の固定による﹁家庭教育と学校教育の調和﹂実践︵〜昭和初期︶

大正九年の法人化に三て規約上月額園費一6円が定められる.経済的に富裕な家族の精神讃児に対し︑寄宿

舎と教室で︑教師︑保母︑医師による実践が展開される時期︒

 第三期 入園対象の拡大と﹁分類﹂処遇︵〜昭和二〇年︶

徐々に貧困層へと入園対象が拡大されて︾が︑それにともない在園者の障害は重度化︑多様化してくる.障害

が重度化゜多様化した在園者に対して︑学園は︑教室処遇の者︑寄宿企.処遇の者︑農園作業の者と分類して処遇

を行なった時期︒

 本論文は︑第二期から第三期にかけて︑すなわち入園者家族が貧困化していく時期をとりあげる︒貧困層と固

定された入園者︵富裕な階層︶との精神薄弱問題の違いを検討して︑学園の果した役割を唄らかにする.さ︑らに︑

その基盤を明らかにするため︑民間施設である学園の財政.経営を分析する︒

当時民間精神薄弱者施設に対して公費纂叉の申込みが多三た.施設では︑かれらを受け入れており︑民

間ではあるが公的性格を強くもっていたのである︒しかし︑滝乃川学園は︑表①のごとく︑他の民間施設︑たと

えば八幡学園とくらべると︑公費委託生の受け入れが遅く︑かつその全園生に対する割A口も低かったのである︒

このことは民間としての性格を顕著に示している︒したがって滝乃川学園が精神薄弱問題に果した役割を明らか 1      7

にするうえで︑民間施設としての財政・経営基盤の分析が必要不可欠なのである︒

(4)

 以上を実証的に研究することで︑精神薄弱者の生活実態︵貧困問題︶に対する発達保障の手だて︵財政︑経営       の側面から︶のあり方が教訓化され︑かつ︑官立の精神薄弱者施設がない時期における民間施設滝乃川学園の果 7

たした役割が明らかにされる︒

表ー①入園者中の公費委託生の割合︵%︶

     滝乃川学園と八幡学園の比較

昭和十二年十三年十四年十五年

滝乃川学園一二二一・四八・二十五・五八幡学園五八・八五三・八三〇・八三七・五

八幡学園は昭和三年創立後︑すぐ公費委託生を受け入れている.滝乃川学園は︑昭和六年申し入れを拒否し・昭和+二年から受け 註

入れている︒

 なお︑資料は︑ω審査報状︑児童台帳などの入園者の審査書類 ②学園保管の公文書︑財政経営書類であり︑

それをもとに当時の保母︑関係者に事情聴取を行なった︒

(5)

H 入園希望者家族の精神薄弱問題

1 児童研究所の審査報状の場合

 児童研究所は︑大正十年要保護児童の鑑別のため東京府より委嘱された児童保護一時所が︑児童取扱いの研究

もかねた児童研究所として拡充されたものである︒その所長は石井亮一であり︑後に鑑別業務すべてが滝乃川学

園に委嘱されたのである︒      ︵10︶ そこでは心理︑医学面も含めた審査報状という書式で児童を審査しているが︑その分析で︑精神薄弱問題を明

らかにしてみる︒

 同研究所への審査依頼の経路は︑幼稚園︑学校を通じてのものと︑家庭からの直接委託がある︒しかし︑被審

査児の年令構成は学令児が中心であり︑学校教育の問題児が主に審査対象となっている︒

 それらの特徴は︑第一に︑教室内の一教師の努力ではいかんともしがたい成積不良児として依頼されていること

である︒成積が不良のため﹁学校嫌ひ﹂ ﹁破壊的性格﹂ ﹁臆病﹂となり︑教師の指導にも従わず︑かつ他の児童

の迷惑になるなどである︒﹁学力﹂向上を︑第一とする学校での︑いわゆる最劣等生問題である︒また︑障害その

他の身体的ハンディキャップをもっているために成積不良となるケースもある︒たと︑之ば﹁左手マヒノ為︑四・

五字シカ書ケズ⁝⁝図画ノカナシ⁝⁝学校ニテ習字ナドハ少シ書クモ⁝⁝先生モ一般生徒ノ如ク書カサズ⁝⁝﹂

と︑障害のため一教師の努力では解決つかず成積不良となっている︒先天性心臓弁膜症︑大病をわずらったため

の虚弱・長期欠席などもある︒これらは﹁体力﹂向上を第一とする学校教育からみはなされ︑障害などの身体的

ハンディキャップが配慮されず成積不良児となっている︒しかし︑これら学校教育における成積不良から直接精

73

(6)

神薄弱者施設へ入所を強く表明しているケースは少なく︑退学︑留年等に放置されている︒       74 第二に︑むしろ学校教育から退学・卒業し︑家族の貧困問題に直面して︑はじめて強く精神薄弱者施設に入所

を希望してきている︒その一つは︑世帯主が四〇代になると家族数の増加に応じて収入増が期待されるが︑それ

がなくて︑家族全貝が就労し︑該当児の養育担当者がいなくなるケースである︒たとえば︑父は糸くみひも業で︑

母は心臓が悪くヒステリー︑そのため姉が働いて家計補助をしている︒ところが審査二〇日前に母が死亡し︑該

当児︵IQ84︶を一人で留守番させられないため委託してきている︒家計補助の労働力として期待される長男等

も︑働きに出るが︑そこで問題︵たとえば︑使い走りができない︒漢字がよめない︒盗癖など︶をおこし︑働い

て家計補助できないと委託されてきている︒

 二つめに︑貧困問題に加えて︑家庭の養育をになう女性の問題があることである︒母親の死亡︑病気︑労働に

よる過労とヒステリー︑他の家族構成員の疾病の看病などである︒養育担当者が既に問題をもっていて︑そこへ

貧困問題が重なって委託してきている︒

 これら児童研究所の場合は︑学校教育についていけない児童が︑家族にまかされ︑そこで貧困問題に直面して

いる︒そして生活の維持のため該当児を家族で養育できなくなり︑はじめて精神薄弱問題を明らかにしてきてい

る︒ これらの家族は家庭崩壊の寸前ではあるが︑公的な救済対象にはいたっていない︒つぎにのべる公的な救済事

業からの委託は児童研究所の被審査児の典型を示している︒

2 崩壊家庭に対する救済事業から委託された場合

 これは︑方面委員などにより村役場に保護されたり︑育児院︑孤児院︑感化院などに入所している者であり︑

(7)

いずれも貧困証明書を添えてくるなど︑赤貧で無料入園または公費委託を希望してきている︒

 そこでの特徴は︑第一に︑現在と違って︑家族が精神薄弱者をかかえているからといって︑即公的保護をうけ

られるのでなく︑親類・縁者でもいかんともしがたい状況になってはじめて保護され︑精神薄弱者施設に委託さ

れてくることである︒たとえば﹁家ハ父母兄弟モ無之且ッ赤貧者ニシテ唖者ニシテ低能 叔父ノ家二世話致シ居

ルモ叔父ノ家ニモ唖者ニシテ低能児ヲ有シ 之又貧困者ナレバ⁝⁝﹂︵昭和三年香川県︶のごとく﹁現在ノ養育

者ハ目下手薄ノ為メ充分ナル養育出来サルニ市二引取方申出﹂てはじめて保護施設をさがしてもらっている︒

 第二に︑孤児院︑育児院︑感化院に委託されるが︑そこで処遇しきれずはじめて精神薄弱者施設に委託されて

いることである︒たとえば﹁現在︵山形県の感化院−筆者註︶収容ナシ居ルモノノ内癖強ク矯正致シ難キモノ有

 之二付県内精神病院長ノ診断ヲ受ケシメ候 痴愚症ニシテ到底感化ノ見込立タサルモノト判明到シ:⁝.﹂︵昭

和三年山形県︶のごとく︑他の社会事業に保護されてはじめて医療による審査を受け︑精神薄弱者施設に委託さ

れてきている︒

3 家族の貧困問題からみた精神薄弱問題

 以上︑入園希望者の入園経路を中心に家族の実態をみてきた︒そこで明らかにされることは︑精神薄弱児をか

かえている家族が貧困問題に直面し︑そのために精神薄弱問題が表面化されてくるということである︒現在のよ

うに精神薄弱児をかかえているために家族が貧困化していくというのではない︒貧困のため医療︑教育機関への

機会はなく︑精神薄弱児ということも明らかにされずに家族の教育にまかされている︒精神薄弱という﹁障害﹂

それ自体が︑貧困による家庭の崩壊︑またはその寸前になって家族で養育できなくなり︑はじめて発見されるの 5       7である︒この点から︑家庭崩壊に対する救済事業の中心を任ってきた方面委員制度が︑隣保相扶を理念としてて

(8)

も︑崩壊家庭から精神薄弱児を発見し︑保護していくうえで貴重な役割を果たしていたことがわかる︒        また︑育児院︑孤児院︑感化院等の児童保護事業とならんで︑精神薄弱者の公的な保護施設の存立それ自体が 7

基本的課題として要請されていたことが明らかにされる︒家庭崩壊で方面委員などに保護された該当児は︑そこ

ではじめて医療︑他の児童保護事業の処遇を受けて︑精神薄弱であることが判明する︒しかし︑精神薄弱児に適

切な施設はほとんどなかったのである︒

 このように︑家族の貧困問題︑家庭崩壊という生活実態にそくした公的性格をもった施設経営が要請されてい

たにもかかわらず︑つぎにみるように︑滝乃川学園は︑それら精神薄弱児の入園を拒否して︑高額の園費でもっ

て経営されている︒入園希望者の精神薄弱問題から要請されていた課題との関係で︑学園の位置を明らかにして

みる︒

m 園費月三〇円を支払える階層の精神薄弱問題

1 学園の入園規定と財政経営の根拠

大正九年財団法人と三た学園は︑同+年四月学園規定を改訓︶し・入園規定を定めるが・以後それは昭和二︒

年まで改訂されていない︒

 入園規定は︑﹁精神の発達障凝顕著なる児童﹂で﹁年令六才以上一五才以下﹂︵以上第三条︶であり︑園費を

月額三〇円支払︑之る者︵第一四条︶である︒しかし︑実際の運用においては︑公費委託生︵無料または一五円入

園︶を拒否しており︑かつ入園者中には年少児︑過年児︑重複障害児もいる︒したがって実際には︑園費を月額

三〇円支払うことが三つの規定︵障害の種別・年令・園費︶のなかで︑最低限必要とされたものであることがわ

(9)

考備

㌫28  入 収料蚕貸玩 売賃 販 品 製

額均平間年数去過

輌幼鑑酬

日5臼3

輔1㎝10

額金

㎜3 50鍋22

所 園刷濃 芸印 手子 子利 利債 金公 現附寄時臨

計合入歳

費学︑一部業実二金基三金附寄臥  ︵12︶かる︒

園費の根拠を財政経営の側面からみてみる︒表②のご

とく︑学費︵園費︶と実業部の収入︑すなわち家族と入

園者及び従事者から捻出される額が︑学園全体の歳入の

大部分︵八五・六パーセント︶を占めていることがわか

る︒しかも︑表③の支出の部をみれば明らかなように︑

給料︑慰労金︑賄費︵食費・薪・炊事︶が圧倒的部分

︵七八・一パーセント︶を占め︑最低限の必要経費に費

やされていることがわかる︒したがって︑公的な補助が

わずかな額しかなされていない段階では︑民間施設とし

て自給自足的に経営を最低限維持するため︑高額である

が三〇円の園費徴集の措置がとられていたことがわかる︒

77

(10)

立ロ

考備

   分分分分人人人人23103人   雇 唯﹂費食分人7

品薬礼謝師医

費書図話電

のー中%瀦

η4

M2

・日

㎝10

額金

㎜1拠6

……

50鵬1

50㎜22

長貝母託給園職保嘱雑部成養母保 事炊薪費食

計合出支

料給︑一費給二費賄三費生衛四膿糖五険保⊥へ金労慰七費雑八費備予九 2 入園者家族の精神薄弱問題 大正九年度から昭和三年度までの入園者家族の職業は︑表④のとおりである︒ホワイトカラー︑自営業︑教師︑医者︑弁護士等であり︑教育︑医療関係者が比較的多い

といえる︒

表ー④ 大正九年度〜昭和三年度の入園者家族の職業

職      業

人数

職   業

人数

会社員︵雛離岐配人−

13

官   吏

1

自営業︵耀竃麟灘店

8

教   師

4

弁 護 士

1

医   者

3

地   主

2

人   夫

1

賄   婦

1

審査報状︑入園者委託讃より転記︑父の職業蘭が記入されていな 註

い場合は︑保証人を引用

78

(11)

これだけの資料からでは家族の収入状況は明らかにされないが︑人夫・賄婦は例外とみると︑全体としては比較的

富裕と考えられる︒さらに︑表⑤の大正十年度の収入調査から︑それはよりはっきりと裏づけられる︒月収はほ

とんど三〇〇円以上であり︑当時の学園の保母の給料平均が二九・二円であることを考えると︑女中を子ども専

用に雇える階層といえる︒

      表ー⑤ 児童家庭収入高調査表

年   度学 費納 入 別 月収   五〇円以下月収一五〇〜三〇〇円月収  三〇〇円以上

全部自費生三〇人二六大正八年末一部自費生四人

全部自費生三〇人三〇

大正九年末

一部自費生四人

 したがって︑比較的富裕な︑社会階層によって制限された入園者家族の精神薄弱問題は︑入園希望者でみてき

たような貧困のために表面化するそれとは別の独自な側面をもっている︒

 第一に︑学校教育での成積不良︑さらに就学前において︑聴覚障害︑肢体障害などをいちはやく発見し︑専門

的な教育・治療機関でさまざまな試みを行なうが︑それでも効果がなくて︑障害の軽減.克服等の専門的働きか

けを精神薄弱者施設に求めてきていることである︒入園希望者の場合︑たと︑之ば︑てんかん発作をくり返すのに

﹁下剤ヲ飲マセタガドウニモナラズ﹂と放置されるなど︑一般医療︑教育の機会は閉ざされていた︒しかし入園 9       7者の場合は︑﹁三才デエキリ 其後左半身マヒノ状況ヲ呈シ発作的二倒レル 医師ハ脳疾患ナシト称セリ﹂など

(12)

一般医療.教育で解決のつかない障害を発見している︒そこで︑帝大に相談︑特殊教育家に相談︑電気治療を受      ける︑聾口話幼稚園入園などの試みがなされ︑それでも効果があがらず委託してきているのである・教育゜医療8

関係者が多いこともあるが︑基本的には貧困に制約されずに︑教育・医療機関を利用して障害を発見し︑その軽

減.克服の専門的機関がないという精神薄弱者問題をかかえて︑学園に委託してきているのである︒

 第二に︑家族が︑身内に精神薄弱児がいることを社会的に知られては困るという理由で委託するケースがある

ことである︒たとえば︑家族の社会的地位が高い︵貴族など︶場合で︑精神薄弱児に女中ひとりをともない︑終

身二人を委託してくるケースなどもある︒

 第三に︑家庭内で養育するにあたって︑家庭環境の問題をもっているので養育しきれずに︑家族が委託してく

ることである︒たとえば︑﹁生母ハ本人五才ノ時死亡 常習的ヒステリーデロヤカマシク行儀モキビシカッタ

継母ハ強情デ 本人ハヒガンデ自己ノ事ヲ言ハズ﹂のように︑いわゆる愛情欠乏児である︒後妻︑私生子の

ケースが多くみられる︒

3 精神薄弱問題に対する学園のとりくみ

 以上みてきたように︑入園者家族の精神薄弱問題は︑貧困問題と独自な面をもってきている︒しかし︑精神薄

弱という障害を発見しても︑専門的な精神薄弱者施設がわずかしか存在しないこと︑及び︑家庭で保護するにし

ても養育環境上の問題があることによって︑家庭内でいかんともしがたくなって委託してくる共通の基盤をもっ

ている︒それゆ︑之に︑貧困のために表面化した精神薄弱問題に対しても︑また︑一般医療・教育によって障害が

発見されても治療教育機関がないために生ずる精神薄弱問題に対しても専門的な精神薄弱者施設の存立それ自体

が基本的課題であったことがわかる︒

(13)

 滝乃川学園は︑寄宿舎をあわせもつ収容施設で︑﹁家庭教育と学校教育の調和﹂を処遇方針とし︑保母養成部

をもち︑精神薄弱児の専門的な教育を行なえる施設をめざしている︒家庭でも︑学校でも教育︑保護しきれずに

生じてきた精神薄弱問題に対して︑専門的な働きかけを学校と家庭にかわって行なおうとしてきているのである︒

 学園は︑園費月額三〇円の入園規定を定めて︑対象を制限してきている︒しかし︑それは︑貧困ゆえに発見さ

れた︑貧困層の精神薄弱児に対するとりくみを拒否したというものではな.い︒精神薄弱者施設への公的補助がわ

ずかななかで︑精神薄弱者施設を自給自足的に維持するために︑比較的富裕な階層に依拠せざるをえなかったと

いえる︒ したがって︑学園の貧困問題としての精神薄弱問題に対するとりくみは︑在園者の貧困化に対するとりくみで

問われてくる︒すなわち︑在園者にとっては︑家庭の養育環境上の問題をもっているので︑三〇円を払うことは

必要最低限の課題である︒それゆえ家族の経済的負担は重く︑精神薄弱児をもつゆえに貧困化する危険にさらさ

れている︒また︑学園にとっては︑在園者家族の園費が自給自足的経営の主要な収入源であり︑在園者家族の貧

困化に学園の存立自体が左右されてくるのである︒以下︑その貧困化への学園のとりくみを通して︑貧困問題と

しての精神薄弱問題に対して︑学園が果した社会的機能を明らかにする︒

W 公費委託生の拒否と民間精神薄弱者施設の機能

1 入園者家族の貧困化と精神薄弱問題

 昭和四年一一月中の東京市一五区の要保護世帯は約二〇六〇〇であるが︑同年度末には約四〇〇〇〇に達して ー

い㌔冨者の失業が急増したためであるが︑経済全般の不況は︑学園の入園者にも影響してきている. 8

(14)

 昭和四年度から昭和一二年度までの入園者家族の職業は︑表⑥のとおりであり︑表④の第二期から変化してき      ている︒依然としてホワイトカラー︑自営業︑教師︑医者等が多い︒しかし︑そのなかにあって︑職工︑保険外 8

交︑金物屋︑荒物屋など比較的低所得と考えられる層︑及び無職が増えてきていることである︒これらは︑昭和

七年園費滞納による退園者が一名出たこと︑同八年園費滞額者が四八名中七名でていることによって裏づけられる︒

         表ー⑥ 昭和四年度〜同一二年度までの入園者家族の職業

職     業

人数

職     業

人数

会社員︵会社重役−︶二六官 吏

  

@  @(

i金^屋・荒物屋・飲食店︶ 一二教 師

医 者

農 業

弁護士

保険外交

その他︵表具師・騎手僧侶・詩人︶

職 工

無 職

審査報状︑入園者委託讃により転記︑父の職業蘭が記入されていない場合は保証人を引用︒なお︑この他に︑父死亡が八名 註

(15)

入園者家族の貧困化は︑貧困と結びついた障害が多くなっていることからも明らかにされる︒たとえば︑﹁父

家庭ノ生活苦 弟ノ放蕩ノ心配デ 当児出産五年前一二時的精神病 母 懐妊中精神的過労大﹂ ﹁母懐妊中 父

失業デ十分栄養トレズ 妊娠中異常アリ﹂などである︒家族の生活苦からくる精神的肉体的過労のため︑妊娠中

に異常をきたし︑それが障害の原因と考えられるケースが多くある︒さらに︑発作をくり返すのに救命丸〃で

処置するのみなど︑一般医療の機会も得られず放置されてきたケースもでてきている︒

 これら入園者は︑園費滞納でわかるように︑月額三〇円を支払うのがせいいっぱいの社会階層であると考︑之られ

る・家庭崩壊に対する公的な救済対象にまではいたっていない︒けれども家族全構成員で貧困を防衛するため︑

精神薄弱児を一人で家においとけないという精神薄弱問題をもつにいたっている︒たとえば︑﹁学友ニイジメラ

レテ退学﹂するが﹁家二誰レモオレナィ﹂がために委託してくる︒﹁火ヲモテ遊プ﹂ ﹁盗癖﹂などのために家に

ひとりでおいておくわけにいかなかったり︑父死亡または失業しその時点で家庭に保護しきれなくなって委託し

てくるケースである︒貧困を防ぐために家族全構成員が就労し︑そのため家庭で精神薄弱児を保護しきれなくな

って精神薄弱者施設へ委託してきているのである︒

 第二期に比べて︑より貧困化した家族の入園が多くなると︑それにともない︑障害の程度は重度化してきてい

る︒学園に対してより充実した密度の濃い処遇条件を課しているのである︒すなわち︑﹁教育試ミタル事ナシ﹂

のケースが多くなり︑教育・医療機関で第二期のように専門的働きかけを試みた事例はなくなる︒家庭の養育の

みにまかされてきたことであり︑早期からの教育・医療の試みもなく︑第二期に比べて障害が重度化したと考え

られる・実際には・知能墓でみると︑表⑦のように﹁測定不可能﹂が増えている.また︑﹁ハシヲ使エナィ﹂3       8在園児とか哺語だけの子︑視力障害︑肢体障害をあわせもつ在園生などが多くなり︑障害が重くなってきている

(16)

ことがわかる︒

表ー⑦ 知能指数の年度別分布状況

84

上以70   4   857  6  7

70〜       9       6      26162       60      6

60〜

田︒         56 脇      田5      3      5

05〜

43 S4 S

04〜93         1         3

03〜92    1    2

20〜能   能能能能      能不   不不不不      不

度年

@       昭 10

審査報状より転記 註

(17)

 この在園生の重度化という事態に即して︑学園は︑谷保への移転を契機に処遇条件︵建物の面から︶の改善を

行なっている︒男子成人部︑男子幼稚部︑女子部︑男子重度︑女子重度に分けて︑男女別だけでなく︑障害の程

度に応じた処遇ができるように︑建物をつくっている︒さらに︑それにともなう空間も︑表⑧のごとく改善され

ている︒これらから︑学園は︑園費減額︑滞納者をかかえつつも︑第二期よりも貧困化した入園者︑すなわち障

害が重度化した入園者に︑重度化に即した充実した処遇を行なおうとしてきたことがわかる︒

表1⑧ 大正一四年度と昭和三年度︵谷保移転後︶の空間の比較

大正一四年度

昭和三年度

男子居室

4︵一室は女子寄宿舎内︶

・︵大難児室二幼児室一︶

女子居室・︵麟毒由児室︶6︵大難児室三︶

教  室

3

4

遊戯室

1

2︵雨天遊戯場︶

日光浴室

0

2

食  堂

1

3

(18)

2 公費委託生の拒否と財政経営的根拠

 昭和六年東京府から委託生受け入れの問いあわせがあ

り︑学園は﹁財政上の都合﹂で拒否している︒公費委託

生は︑家族・親類・縁者でもいかんともしがたい窮乏層

の精神薄弱児を︑公費でもって委託するという積極的な

面をもっている︒この申し入れを学園が拒否した根拠を

分析して︑学園の社会的機能を明らかにする︒

 学園の財政状況は︑表⑨の収入全体の欄にみるごとく︑

財政規模自体が大幅に縮少しており︑そのきびしさが明

らかになる︒わずかな公的な補助も減額され︑寄附金も  剛

減っており︑自給自足的な経営の度合をより強くしいら  位      悼れてきている︒これは︑収入全体中の園費依存度を大き  遷      変くするものであるが︑減額者.滞納者は非常に多くなっ  鋤

ている︒たとえば︑昭和八年度の園費収入は︑一二七八  散      イ六・九四円で︑収入全体の二四パーセントしか占めてい  助      補ない.滞納額は三七三五.〇六円で園費収入予算中の四舳

分の一に達している︒この経営困難は︑借入金と保母な  ⑨

どの従事者の給料自主辞退でかろうじて維持されていた  表 11 0541546 7223126172

01 053100026159000397872

9

0531000276960015

51654

8

05900021929051335735

7

0590002144811382177719

6

00010032220217808114505

5

05310552124919377126606

0531000373140750148264

00010073

金付交金助補金附寄金入借銚臥

   い︒

   漬   引   れ   ま   こ   み   パ   陶   全   入 り 収 よ で 算 費 決時 支 臨 収 ︐ の は 書金 査 入 調 借 業 ︐ 事し 園 だ註学た

86

(19)

のであるむ

 このような財政状況の時︑申し込まれた公費委託生は︑学園にとっては︑財政状況をさらに悪化させるもので

しかなかった・第一に︑委託費月額一五円は︑大正十年度の学園での園児一人当たりの賄費一七.八〇円さえも

満たせず・三〇円園費の半分でしかなかった.第二に︑委託生受け入れによ.て支給される厚生省補助金︵昭和

西年度三〇〇円︶も︑年々減少する公的補助の減少分︵大三四年度︑交付金.補助金の合計は四七〇〇円︑

昭和七年度は・二九五〇円で︑三五〇円の減額︶を埋めるだけである.第三に︑家庭崩壊ではじめて発見され

た精神讃児は︑それだけ+全な働きかけがなしえず放置されてきたのであり︑璽口が重いと考えられる.学園

にはより充実した処遇条件が課せられるのである︒それにもかかわらず︑在園生の半分しか経費が見積もれない

ため︑より財政状況を悪化させるものでしかなかった︒

以上から・公費委託生の拒否は︑在園生の生活を守り︑処遇水準を維持するために積極的にとられた措置であ

ることがわかるむ

 それは・公的な救済対象にまでは没落していないが︑その危険性にさらされている園費滞納者の退園をふせい

で・学園が・在園者家族の貧困化問題に積極的にとーんでいることでもある.また︑そのよ︑つなとりくみを財

政的に可能ならしめるために︑公費委託生の委託費の二倍の園費を支払える社会階層に依拠せざるをえなかった

のである︒

V まとめと今後の課題

当時の精神薄弱問題に対して学園が果たした役割は︑第一に︑障害の軽減.克服などの精神薄弱児の専門的働

(20)

きかけの機関がわずかしか設置されてなかった当時︑それをめざして先駆的・開拓的役割をになおうとしてきた      ことである︒当時︑一般の教育・医療機関︑他の児童保護施設において︑精神薄弱児が発見されてくるが・その 8

要請にこたえるべく専門的な精神薄弱者施設としての機能をはたそうとしたことである︒第二に︑家庭崩壊に対

する公的救済対象までは没落してないが︑たえず危険にさらされている公的扶助のない社会階層に︑専門的な働

きかけの場を保障しようとしたことである︒その財政確保のために︑月額三〇円の園費を支払える層に対象を制

限して︑財政的に依拠したのである︒

 精神薄弱児が社会事業対象に組みいれられるうえで︑貧困問題の側面からは︑第一に︑方面委員制度などの公

的な救済対象に組み入れられること 第二に︑他の児童保護問題の顕在化︑さらにはそのなかでの精神薄弱児の

処遇問題の顕在化があること 第三に︑これら精神薄弱問題にとりくむ現実的機能として精神薄弱者施設の存在

が基本的課題として要請されていたことがわかる︒

 しかし︑これらの対象を選定していくうえで︑施設の財政的基盤が重要な位置をしめている︒この点で学園の

公費委託生拒否にみられる対象の選定は教訓的である︒学園の財政経営からみた限り︑たえず家庭崩壊の危険に

さらされている社会階層も含めて︑専門的な働きかけを第一の課題として処遇水準が維持されていることである・

三〇円支払える階層に依拠はしているが︑入園までの生活実態を配慮しつつ︑貧困・富裕にかかわりなく専門的

働きかけの機会を保障しようとしてきている︒公費委託は︑家族・親類・縁者でいかんともしがたい窮乏層の精

神薄弱児を公費でもって︑精神薄弱者施設に入園させるという積極的側面をもっている︒しかし︑入園までの生

活実態を配慮した専門的働きかけができる委託費を支給するのではなく︑社会階層に応じた働きかけしかできな

い貧しい機会の保障であった︒生活実態を配慮した働きかけを保障していくためにも︑これまでの生活実態に左

(21)

右されない平等な条件の保障が必要であろう︒

 本論文では︑精神薄弱問題を貧困問題を中心にした家族の経済的側面からみてきたが︑今後の課題として︑貧

困問題一般のなかでの位置付けを明らかにしていくこと︑及び︑家族問題一般︑医療︑労働問題とはばひろく多

面的に明らかにする必要がある︒その中で︑学園の処遇が果たした役割が総合的に明らかにされると考える︒

︵1︶施設史研究会︑社会事業史研究会があげられる︒施設史研究会は︑戦前日本で創設され︑現在も存続している精神薄弱者施 註

  設を研究対象としている︒筆者もその一員であるが︑その対象は次の通りである︒

  滝乃川学園︵明治二四年石井亮一︶

  白川学園︵明治四二年脇田良吉︶

  桃花塾︵大正五年岩崎佐一︶

  藤倉学園︵大正八年川田貞次郎︶

  久美愛園︵大正七年︶

  筑波学園︵大正一二年岡野豊四郎︶

  三田谷治療教育院︵昭和二年三田谷啓︶

  八幡学園︵昭和三年久保寺保久︶

  六方学園︵昭和六年田中正雄︶

︵2︶滝乃川学園史の先行研究は︑①峰島厚︑松矢勝宏︑山田明ほか三名﹁近代精神薄弱施設史研究一滝乃川学園を中心として﹂

  日本特殊教育学会編 第十一回大会論文集 昭和四八年十月 ②平岡英子﹁戦前の滝乃川学園の教育的処遇に関する一考察19       8   収容者の重度化 年長者の増加を通して﹂昭和四八年度東京教育大学教育学部特殊教育学科卒業論文 ③津曲裕次.金子喜美

(22)

  子﹁滝乃川学園の歴史ー﹃精神薄弱者施設﹄史研究序説﹂社会事業史研究会編 社会事業史研究第二号 昭和四九年 ④峰島           厚﹁﹃精神薄弱﹄者の発達保障における施設の役割−戦前の滝乃川学園の史的分析をとおしてー﹂都立大学昭和五一年度人文研 9

  究科修士論文などがある︒本論は④の筆者修士論文を中心にしてまとめた︒

︵3︶山田明︑峰島厚ほか九名﹁わが国の戦前の精神薄弱者施設の総合的研究氾ー滝乃川学園︑八幡学園の対象研究を中心に︵そ

  のー︶ー﹂日本特殊教育学会第一四会大会発表論文集 昭和五一年

︵4︶ 濃尾大震災の孤女をひきとり︑明治二四年下谷区西黒門町の借家に設立︒

︵5︶滝乃川学園発行の﹁石井亮一伝﹂︵昭和一五年︶によれば︑孤女中の白痴太田とく代にはじまったといわれている︒

︵6︶ 石井亮一は︑明治二九年と三一年二度渡米し︑欧米の白痴教育事情を視察した︒特に︑セガンらの生理学的方法を学んだと

  思われるが︑石井は著書のなかで﹁覚官教育﹂と称している︒

︵7︶大正九年の学園の火災で資料が焼失し︑正確な時期は明らかでない︒残存している収入元帳によれば︑明治三〇年ころから

  ﹁白痴児﹂が認められる︒

︵8︶前掲の滝乃川学園史先行研究論文では︑第一期孤児院期︵明治二四年〜三〇年ころ︶第二期白痴教育・孤女教育共存期︵〜

  明治三九年ころ︶第三期白痴院期︵〜昭和二年ころ︶と区分している︒︵註2︶の津曲・金子論文③︒

︵9︶ 公費委託生は︑救護法︑軍事扶助法︑社会事業法に基く﹁精神薄弱児童取扱規定﹂によるもので︑学園は正式に昭和一二年

  から受け入れはじめる︒

︵10︶審査報状は︑全部で﹈〇五項目におよび︑誕生時︑発育状態︑性格︑知的発達︑労働︑身辺自立︑発作等の医療︑懐妊中の

  状態︑兄弟姉妹︑両親︑家系と︑総合的かつ綿密なものである︒

︵11︶ それ以前の入園規定は明らかでない︒理事会記録によれば﹁改正﹂となっている︒

︵12︶大正九年度の﹁児童家庭収入高調査表﹂では一部自費生が存在していた︒また︑昭和四年の公文書では﹁被保護ノ条件 毎

  月園費三〇円ノ納付出来ルモノ 但シ家庭ノ事情二依リテ或ハ都合二依リ全部又ハ一部ノ免除ヲナス﹂とある︒しかし︑学園

  規則では明文化されておらず︑かつ大正九年以後昭和三年までの入園者にそのような者がいないことから︑それ以前の孤児に

(23)

  対する書類上の処置と考えられる︒

︵13︶社会事業研究所﹁都市社会事業に関する研究﹂昭和一八年 P16

︵14︶ 検査は︑ターマンの﹁ビネー・シモン・スタンフォード﹂の改訂版を日本に適用したものである︒

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参照

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〔追記〕  校正の段階で、山﨑俊恵「刑事訴訟法判例研究」

河川管理者又は海岸管理者の許可を受けなければならない

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