Title
不法行為における事故抑止と結果回避義務について
Author(s)
山口, 龍之
Citation
沖大法学 = Okidai Hōgaku(8): 27-45
Issue Date
1989-08-15
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/6530
本稿の目的は、過失における結果回避義務の理論が抑止的機能として一見うまく作用するように映りながら、経
済的視点からは、立論者の期待するようにはうまく作用しない、ということを示そうとしたものである。しかし、この
議論を展開するには、民事法の不法行為の分野で結果回避義務の理論とは何か、について若干の同意を読者から取り付
研究ノート不法行為における事故抑止と結果回避義務について
第一章過失におけ 第二章予見の程度 第三章結果回避義 第四章ゲーム理論 むすびにかえて はじめに 不法行為における結果回避義務について 結果回避義務 ゲーム理論とその応用 過失における予見可能性の理論 はじめに山口
龍
一 一一 七之
通説の見解によれば、結果が予見できたのにこれに気が付かなかったのが過失だとされるから、予見可能性の存在は 注意義務の当然の前提となっていろ。また、そこにおける予見可能性とは、結果に対する予見可能性ということで、単 (1) なる危険の予知では足りない、ということになっていろ。 これに対して、近年の客観的過失論は過失を行為者の心理状態とは切り放して考えるから、過失は客観的な結果回避 義務違反と解されることになってくる。客観的な注意義務違反における注意義務の内容は、とりあえず結果に対する予 (2) 見を前提にしていると理解されることになってくる。結果に対する予見可能性について、これを主観的過失論、すなわ ち過失を心理状態と定義する通説に反対する学説にあっても、行為時に結果に対する予見が客観的に存在していなけれ ばならないと考えるのが普通だから、過失を主観的にとらえるか客観的にとらえるのかの相違は、結果予見能力の劣 (3)
ろ者の扱いにおける相違に現れてくるにすぎない。すなわち、結果回避義務違反Ⅱ予見可能性を避難のより所と
(4) (5) するか(帰責事由としての意思責任主義)、予見可能性Ⅱ結果回避義務違反行為を損害の原因とするか(原因主義) の相違はあっても、右の点をのぞけば、その中身においては大きな相違は出てこないということである。判例も過失を 結果回避義務Ⅱ結果防止義務違反とするが、それは結果の予見が可能であったという前提のうえに成り立っているもの 義務が事故抑止の機能を果たさないことをゲーム理論等の手法を作って解析していろ。 けておかなければならない。そこで、本稿では第一章から第一一一章までをこのための作業にあて、第四章以下で結果回避 (6) と解されろ。 沖大法学第八号 第一章過失における予見可能性の理論 ニ ノ((2)予見可能性は、企業にとって採算可能な範囲に賠償の範囲を限定するという機能を営んできたが、もはや事態
は企業の計算可能性の枠を越えて起こっているのだから、今後は保険や補償基金といったかたちで企業は、危険の分散 をはかるべきであって被害者に損害をおしつけるべきではない。 法理ということはできない。特に、昭和四○年代以降の公害訴訟において、加害行為時における被害の発生の予見可能性を立証することの困難性
が、原告にとって大きな障害となっていたことを考えろとこのような主張の正当性もうなずけないわけではない。
(9) 新受忍限度論によると、予見可能性を不要とする根拠として次の三つがあげられていろ。 (1)予見可能性の理論は、近代市民社会にあって予見が可能な限りで責任を負えば足りるとの思想にもとづいているが、 資本主義の発達した現代社会にあっては被害者の立場に互換性がなく、そのようなところでは、もはや衡平にかなった ところが、この予見可能性は不用であるとの学説も有力に主張されていろ。新受忍限度論である。新受忍限度論は客 観的過失論を前提に、過失を違法性と区別せず、責任の有無の判断は「結果回避義務違反」の存否によって決っしてい こうというものであり、そこにおける結果回避義務違反の判定は「受忍限度」を越えているか否かによる、というもの (7) である。「被害者が被った損圭□の種類・程度と、加害行為の態様・損害賠償の回避措置など加害者側の諸要因、それに 地域性などその他の諸要因を相関衡量し、損害が『受忍の限度』を越えていろと認められる場合には、予見可能性の有 (8) 無にかかわらず加害者の責任を認めよう」というものである。新受忍限度論では、ある程度以上の損害が発生していれば 加害者の結果予見の可能性の有無にかかわらず、加害者に責任が認められることになり、被害者数救済には便宜で ある。 不法行為における結果回避義務について 一 一 九(3)予見可能性の理論は、その実質において予見可能性プラス結果回避義務違反という道徳的・倫理的避難として不法行 為を位置づけているが、かような解釈はもはや意味を有さない。不法行為の目的は第一次的には損害の填補であり、避 難・制裁は第二次的目的に過ぎない。損害賀補の障害となるならば予見可能性の理論は放逐されるべきである。 しかし、こうした新受忍限度論に対して①企業活動に対して避難可能性を問題とすることなく損害賠償義務を負わ せるとすることは立法論としてはともかく、解釈論の枠を越えるものである。②また、予見可能性も出来ないような 結果に対して結果回避義務違反を認めるの6理論的に納得できない。③過失責任主義と無過失責任主義を区別してい るものは予見可能性であるから、これを否定することは無過失責任t義と過失責任主義の法規の中に解釈論としてしの (川) びこませようとするものではないか、という批判がなされていろ。むしろ了見可能性の対象の吉同度化、抽象化、結果川 避義務の課重などによって問題は解決されるべきであって、たとえ被害者救済のためであっても、むやみに解釈論の枠
を越えるべきではない、というのである。原則として、本稿ではこの批判を正門なものとして、議論を進めていく。
過失の要件の一つに予見可能性があげられるが、その内容としていったい何を予定すればよいのだろうか。いかなる 事態をもって予国司龍』性があったというのだろうか。あまり呰界体的な被害状況の予兇を要求することは、過失の成虻を困難 にするであろうが、あまりに抽象的すぎては、今度は過失の成立の可能性が広がりすぎてしまうであろう。たとえば、 スモン訴訟では具体的なスモン病の発生を予見していたとすることは、キノホルム剤を製造・販尤した時点では無即で (Ⅲ) あったろう。新薬や新製口中、新技術といったものについて、企業は十分な研究調査をしない限り、それによって生ずろ 沖大法学第八号 第二章予見の程度 ○第一節予見可能性と結果回避義務 そこで、過失の要件として予見可能性の他に結果回避義務違反の要件が必要であるというのが、近年の多くの学説が認める (旧) ところである。それは、許された危険に代表されるように現代社会生活のほとんどすべての活動には多かれ少なかれ 危険が予測され、過失の要件を予見可能性だけで足りるとしてしまうと、たいていの場合には、結果さえ発生すれば (M) 過失がみとめられろということになってしまうからである。例えば自動車の運転については、運転によって人身事故が 発生することは予見可能である。また医療行為においても、手術がおもわしくない結果(患者の死や疾病)を残すこと はゼロコンマ何パーセントかの確率でおこることが判明している場合にも、結果は予見可能であったということができ るからである。こうした場合のすべてに過失を認めたのでは社会が順調に機能しなくなってしまう。そこで現代の社会 では危険が予見可されるような場合であっても一定の適切な結果回避のための措置をとっている限り危険な活動も (巧) 許されると解すべきである。これが結果回避義務の理論である。 かも知れない具体的な危険を予知することは不可能であるが、それではかえって研究調査しないほうが加害者として過 (吃) 失責任を負わずにすむということになりかねない。 そこで予見を何らかの損害の発生の可能性で足‐りるとすることも蓄えられろ。しかしそれでは、今日の社会活動はほ とんどすべてなんらかの損害を生じさせることが可能だから、抽象的になんらかの子児が可能だったというだけでは予 見可能性はなんのメルクマールにもならないことになってしまう。 不法行為における結果回避義務について 第三章結果回避義務 - -- - -
第二節結果回避義務の存否の判断要素 それでは結果回避義務の存否を具体的状況の中で決していくための一般的基準はあるのだろうか。あるとしたらそれ (Ⅳ) はいかなるものか、というのが、ここでの議論である。
かっては、「結果回避義務の存否とその内容は、行為の結果として予見される危険の大きさ、ないしは侵害されるおそれのある
(旧)利益の大きさによって決まる」というのが、結果回避義務を採用する学説中における通説であった。そこでは、例えば
人の生命や身体に危険が及びうる可能性をひめた行為に従事する医師、食品製造業者、交通事業者などといった職業人
ないし、そのような職業ではなくとも、たとえば趣味でする航空機や船舶の操縦であってもそれが業として認められろ
(旧) 者は、危険性のより小さな職業にある者よりも重い結果回避義務を負シフとする。 要するに従来の結果回避義務論は、他人に及ぼす危険の可能性を唯一のメルクマールとして結果回避義務を論じてい るわけであるPしかしこれは、結果回避義務というよりは、予見義務ともいうべきものである。こんなことになったの 論の帰結である。 ようすろに結果回避義務の理論とは、過失の認定にあって予見の存否の判断に加えて、これを前提とした危険に対応 した加害者がその義務に違反していたかどうかによって最終的な過失の判断を下そうとするものである。結果回避義務のとり方によっては、産業保護的色彩の強い判断が下される恐れもなしとしないが、近時の裁判例を見る限り、危険な企業活
(旧)動に対しては操業停止も含めたい強い結果回避義務の履行なしには免責は不可能である。そこでは結果回避のための一
定の措定についての行為類型ごとの考察が必要となるが、行為類型によっては予見可能な結果が発生しても社会的非難
が加えられることが正当視される場合とそうでない場合を分けて考えるべきである、というのがこの結果回避義務の理
沖大法学第八号 ■■■■■■■■■■  ̄  ̄ - -煙かっての通説が結果回避義務と予見可能性の問題を混同しているために、予見の程度の問題を結果回避義務の存否
の判断基準のところに持ち込んでしまっていたためである。これに対して平井教授は、判例が結果回避義務の存否を決定している因子として一方では危険についての尺度として
の(1)被侵害利益の重大性と(2)現実に被害が生じ得る蓋然性を挙げ、他方では(3)予測される結果を避けるた
めについやさなければならない費用(失われる利益)という因子を挙げてこの問題を論じた。そこでは、(1)と(2)
(、) の因子は(3)の因子と比較衡量のうえで、結果回避義務の存否は決定されろという。これと似た基準として前田教授は、(1)危険が誰の行為支配下にあるか、ないし誰が危険を容易に防止しうるか、
(2)事故発生の危険の可能性の大きさ、(3)被害法益の重大さ、(4)結果回避義務を負わせることによって制限
(別)を受ける利益の四つを挙げた。前田教授の第一の基準に該当するものは平井教授のそれにはないが、これは危険を防止
しうる者として平井教授が当然に加害者を予定しているからに他ならない。 (犯)この点、平井教授が参考にしたハーパーとジェームズの教科書も同様の基準を挙げている。ハーパーとジェームズは、
ラーーーッド・ハント判事の三つの因子(1)損害の可能性、(2)被害の深刻さ、(3)犠牲にされるべき利益の価値
(羽) を注意義務の判定基準として引用していろ。ここでは、議論を容易にするため、ハーパーとジェームスが引用したラーニット・ハント判事の基準を用いることに
しよう。ラーーーット・ハント判事は行為が差し止められるべきか否かについて(1)損害の可能性、(2)被害の深刻さ、(3)犠牲にされるべき利益の価値(事業活動によってもたらされる社会的利益)の三つをあげたわけであるが、
(1)(2)は積極的因子であり、(3)は消極的因子である。(1)(2)が(3)を越えるとき、行為は差止めら
不法行為における結果回避義務について --  ̄ = 一 一結果回避義務に関する議論をゲーム理論を使って可視的に解析してみよう。 ゲ1ム理論とは時間的に前後する復数の行為があり、先行する行為が、後行する行為になんらかの影響を与えている とき、先行者はいかなる行為をとることがゲームで勝利する道につながるかを研究する学問理論である。すなわち、
ゲーム理論は、「手」と呼ばれる行動準則によって相手方の出方を予測しながら自己の行動指針を決定していくための
沖大法学第八号 (灘) るべきものとなるというのである。 結果回避のための費用は(1)(2)を減じ、それによって(1) のものということになる。もっと査これにコストがかかりすぎろと (1) / (2) 。丁 第一節ゲーム理論第四章ゲーム理論とその応用
3) じ、それによって(1)(2)の総和が(3)を越えないようにするため ストがかかりすぎろと(3)白体が減じてしまう場合がでてくる。以七の ことを図式化してみろと次のようになる。 斜線の下部は、(1)(2)の総和が(3)と衡量したとき許されるべ き領域となっていないことを示している。この領域囲に入るすべての点は(1) (2)が(3)を越えていることを示している。(1)(2)が(3)を 越えている場合でもlたとえばB点でもl結果回避のための出捕をす ると(1)(2)が減ずる場合がでてくる。そうするとB点は下降し、そ の行為は許されることになる。 四理論である。そのときの行動に当たって、現状の状況を分析し、いかなる状況を設定してやれば、いかなる行動(手)
(路) (妬) にでればよいかを予測するのがゲーム理論である。例をあげてみよう。 「XはYに金を出せとピストルで脅かされていろ」という状況を考えてみよう。その場合、Xは金を出すか、出さな いかの選択を迫られているわけであるが、Xが金を出したからといってXは撃たれずにすむとは限らない。Yは、証拠 穏滅のため、あるいは逃亡を容易にするためにXに発砲することも考えられるのである。また、金を出さないからとい って発砲するとも限らない。金が出ない以上、発砲は不用と考えることもありうろ。 これをxの選好構造およびYの選好へのXの予期という二つのマトリックによって表現することができる。 これを説明してみよう。Xに明らかなの A C, の選好構造 金をだすださない 0鱗蹴肋加
X Y つたい伽
撃撃なX ずに撃たれるほうが、金をだしながら撃たれ るよhノもマシである(CVC)。 しかし、xの推測では、Yは撃つ場合Dも撃たない場合も、金をだして、もらうほうを好むはずであるということだけは、 確かである。結局、xにとってDが実現する見込みは少ないから、CまたはBが現実的な選択の余地ということになる。 不法行為における結果回避義務について )選好構造は、D>B>A かつ D>C の選好へのXの予期 金をだすださない心加价は、Xにとっては、金をださなくて、鑿だ
、 は れないのが一番よいが、金をだしながら鑿 期 予 の たれるのは、好ましくない。また、この中 好 選 間に位置するのが「金をだすが撃たれない」 の へ である(□V団Vシ)。この他、金をだき Y の ずに撃たれるほうが、金をだしながら鑿たれ X 五 A C B , A C B ,事業者の選好構造 出損するしない 法の選好への企業の予期出損するしない 沖大法学第八号 賠償する 賠償する 賠償しな い 」=_」 賠償しない 事業者の選好構造は、D>B>A かつ D>C>A 事業者の法に対する選好の予期は、B>A かつ D>C XがCを選ぶかBを選ぶかは、Xの価値観、金をとるか、命老とろかの選択ということ になる。特別な事情がある場合は別として、守銭奴でもない限りXはBの状況の実 現にかけ、金をだすことになろう。 第二節ゲーム理論の結果回避義務理論における応用 これを事業者の結果回避のために費用を出損するか否かの決定についてあてはめ よう。ゲームの当事者は、事業者(企業)であり、「手」は、その事業活動によっ て被害がでた場合の法の態度に対する事業者の期待である。 賠償の有無を縦軸に、加害者(事業者Ⅱ企業)が結果回避のための費用を出損す るか否を横軸にとる。 右上図の「法の選好への企業の予期」マトリックスにおいて因Voというのが、 抑止的機能が不法行為にはあるとする説(結果回避義務の理論)の見解である。し
かし、賠償する方が結果回避のための費用よりも安価なこともある。結局、事業者
の選好構造において、二国VCp・『西八Oき》このいずれかで事業者は結果回避コ ストを出損するか否かを決定するのである。 第三節法が結果回避義務の理論を採用した場合に関する若干尾の補足 ところで、現行法はどうなっているかというと、Dについてはありえない。事業者 は危険な事業に従事している以上、予見可能性が認められるから、結果回避のための ’一 一 一ハ A C B , A C B ,出揖は不可欠だからである。Aの場合は無過失責任論の場合についてのみ認められる法の態度である。Bは結果回避義 務の理論ではおこりうるが、Cも結果回避義務の理論を採用すればおこりうる。 本稿の目的は結果回避義務の理論を検討することにあるので、無過失責任論を現行を法が採用しているとの解釈はとらな いこととする。また、損害が生じていながら、結果回避のための出揖もしないで、賠償をまぬがれろということも無い、 そうすると、問題は結果回避義務の理論を現行が採用するとの仮定にたっとき、事業者は、事業を施行するにあたってい かなる権力を予期し、いかなる行動をとることが合理的経済人としての事業者の選択となるであろうか、ということが 検討の対象ということになる。すなわち、事業者にとって結果回避のためのコストを出損しないで賠償するか、結果回 避のためのコストを出指して、賠償責任を免れるか、の選択をせまられることとなる。 、 結果回避コストよりも予測される賠償額の方が小さいとき、事業者は結果回避のためのコストを出損するよ,りもも し事故が起こったら賠償する方を選好することになろう。この傾向は賠償費用が結果回避コストよりも安価に設定され た責任保険制度が存在するとき一層増幅されることになる。
この傾向は、ラーーーット・ハント判事や平井教持のあげろ「被害の深刻さ」ないし「被侵害利益の重大性」が、
たとえ「被害者の死」といったものであっても変わらない(もちろん被害者の死が社会に与える加害者の企業イ メージの低下ということまで含めれば、事業者の選好は若干変わってこようか)。すなわち、懲罰的損害賠償制度をと らないわが国では、被害者の死亡ないし、悲惨な身体的・精神的傷害であっても、賠償額としては結果回避コストより も小さくなることが十分に考えられろ。結果が予測される場合であっても、結果回避のためのコストの方が大きければ との前提にたつこととする。 不法行為における結果回避義務について 七このうちわずかな可能性ではあるが、重大な被害がでる可能性がある場合であっても、それが賠償額にするとわずか であると予測されるとき、事業者は、損害が生じたら賠償するという態度を選好することが、経済的な選択となる。そ れは、平井教授の基準でも、ラーニット・ハントの基準でも、結果回避をつくすべきであるとされるものであるにも関わ らず、事業者は、あえてこれに従わない行動を選択するということを意味する。皮肉なことに事業者の選好構造は、 マスコミや各種の市民団体、消費者団体によって事業の危険性が叫ばれれば叫ばれるほど、結果回避のためのコストは 高騰してしまい、事業者は結果回避の経費出損をためらうことになる。 蛇足かも知れないが、被侵害利益が重大でありながら、それが損害額に換算されるとき、それがわずかなものとなる (犯) |つの仮想的事例としてオートマッチック車の急発進事故をあげてみよう。オートマチック車の急発進は車の構造上の 欠陥から生ずるものと仮定してみる。ただし、かかる欠陥は極めて希にしか起こらず、その欠陥を回避するためには莫 大な費用(たとえば、すべてのオートマチック車に一○万円程度の安全装置を取り付けろ)が、かかるとった 場合である。オートマチック車が急発進するかもしれないという事実、およびそれによって予測される被害は社会 にとって「重大」なものであり、深刻なものである。しかし、かかる被害、たとえそれがいくつもの人命の損失であっ 事業者は結果回避措置をとらずに損害賠償を選択するであろう。 ここでもう一度、結果回避コストはいかなる基準によって定められるかを見てみよう。平井教授は(1)被侵害利益 の重大性、(2)現実に被害が生じうる蓋然性、(3)予測される結果を避けるために費やさなければならない費用の 三つの因子をあげ、ラーニット・ハント判事は、(1)損害の可能性、(2)被害の深刻さ、(3)犠牲にされるべき一一一つの因子をあげ、ラーニ (”) 利益の価値をあげていた。 沖大法学第八号 八
ても、自動車メーカーにとっては、賠償額は、リコールをして欠陥を修復するよりは全額的に窒仙な戸只そうしてメーカーが合 理的経済人ならば、結果回避のための出損はなされないこととなる。もちろん、企業イメージという別の面から結果回 避の努力が払われる場合もあろう。しかし、それは民事賠償法における結果回避のためのインセンシティブとは別の問 題である。被侵害利益が重大でありながら、それが損害額に換算されるとわずかなものとなる仮想事例としては、他に 原子力関連事業における放射線もれ事故などが考えられろ。放射線がもれるのは、ごく限られた場合で、事故の確率は 低いながら、それを浴びた被害者の被害は重大といった場合である。 気が付かれた読者も多いことと思うが、ラーニット・ハント判事の掲げた基準は差止を認めるべきか否かについ (羽) ての判定基準であって、過失そのものの認定のためのものではない。従って、ラーニット・ハント判事の基準によれば、 許される行為ではあっても、損害が発生したときには損害賠償をしなければならない場合がでてくる。これに対して、 前田教授、平井教授のあげている基準はあくまで結果回避義務としての基準、すなわち損害が生じた場合に過失を認定 して損害賠償義務を認めるろべきか否かの基準としてあげてられいるという点は注意に値する。 アメリカ合衆国では、ラーーーット・ハント判事の基準によって許された行為(差止められなかった行為)であって (列) も、損害賠償義務を負うことはプライベートニューサンスの場合や、厳格責任の領域で存在するが、わが国ではそうで はない。わが国では場合によっては賠償すら不用ということになる。 わが国では、差し止めの基準として結果回避義務を論じたのではなく、結果回避義務を加害者側の救済、過酷な損害 不法行為における結果回避義務について むすびにかえて 九
従来、わが国で結果回避義務の理論を論じてきた背景には、無過失責任論を採用することによって、多額な賠償金を支
払わされるおそれによって生じてしまう事業活動の萎縮と、それによる社会的利益の喪失を懸念するためであった
森島教授は、|定の確率で副作用が発現するワクチン予防注射の例をあげていろ。他に有効な別のワクチンがない
場合にも、副作用の危険の大きいことを理由に、ワクチンの副作用から生じた損害に対して医師の過失責任
を認めてしまうことは、医師をしてワクチン投与を鋳躍させることになる、というのが、それである。森島教授は、事
業活動に多大な責任を負わせてしまうことによって、事業者が社会活動することをためらう萎縮効果による社会的損失
(別) (犯)を説いておられろ。いわく「損害回避義務を負わせることによって犠牲にされる利益」であるとか、「損害回避義務
(調) を負わせることによって犠牲にされる利益」といったものがそれである。しかし、かかる説明は正しくない。けだし、医師が合理的経済人として活動するならば、彼は社会的損失の大小によ
って自己の行動を選好するのではないからである。医師は、結果回避のコストと損害賠償額を衡量して行動を選好して
いくのである。その結果たとえ損害賠償金を支払わされることになったとしても、総体的にみて、ワクチン投与の万が 賠償の負担からの救済の論理として議論されてきたのである。 それゆえ、平井教授の(1)の規準は、ラーニット・ハントの(2)よりも広い射程を持っていなければならない。そうでないと、差止もできない、損害賠償もできない、という場合がアメリカ合衆国以上に広く認められてしまう
からである。そうさせないためには、平井教授の規準(1)の「被侵害利益の重大性」の意味は、より広範な被侵害利
益をとらえていなければならないはずである。すなわち、被侵害利益の重大性は単なる損害額の高低ではかれるもので あってはならないはずである。 沖大法学第八号 四○利益になると判断すれば、ワクチン投与に踏み切るであろう。この場合、まれに生ずる不幸な結果は、たとえ社会的に みて被害がどのように甚大なものであろうと、医師が賠償しなければならない金額が小さければ、ワクチンの効果が疑 わしく、副作用が大きいものであっても、医師は投与に踏み切るのである。けだし、自己が損害賠償義務を負わされ る危険が小さく、ワクチンの投与によって得られる利益が大きいからである。このことは、製薬会社のワクチン販売に ついてもそのままあてはまる。こうしたことは、不法行為の問題ではないが、安全配慮義務についてもあてはまる。 結局、平井教授の理論は、結果回避のためのインセンシティブにはならないことになる。結果回避義務の基準そのも のは、社会にとって有益な事業活動萎縮させないように配慮しながら、かつ、結果回避のための義務を措定して、これ によって結果回避のための予防措置を促進させるためのものであったのである。そうすると、◇この基準を結果回避義 務の基準としておくことの意義、②平井教授の基準はあるのか、が問題となる。 結果回避義務を定めて、結果回避のためのインセンシティブを求めるなら、賠償額は、被害の深刻さにあわせて決定する (弧) か、懲罰的損害賠償制度の導入が一つの可能性と考えられる。それ以外の方法はないであろう。損窒ロ賠償によるサ ンクションを考える限りありえない。けだし、結果回避のためのインセンシティブとして懲罰的損害賠償がうまくいく なら、それは現実損害の賠償ではうまくいかないということの証左だからである。現実損害の賠償以外の損害額算定方 式がいかなるものであれ、それはもはや真の意味での損害の賠償ではない。賠償を現実の損害額よりも高いものと設定 (弱) しようと、安いものと設定しようと、それは懲罰的と呼ばれようが、名目的と呼ばれようが、もはや損害額を基準とす ることはできないということになるからである。結局それは、賠償額の決定基準を現実の財産的損害以外のものにもと めなければならない理論となるが、これは現行の損害賠償論の潮流の中では困難であろう(もっとも平井教授によれば 不法行為における結果回避義務について 四 一
現実損害そのものの概念の実在が疑われていろ)。 それでは、そもそも結果回避義務の基準をもって結果回避のためのインセンシティブと考えることをやめてしまった
らどうであろうか。しかし、そう解することは、結果回避義務が損害の衡平な分配という思想によって支えられている
ことを反故にしてしまうであろう。けだし、結果回避義務は「危険が予期されるような場合でも、一定の適切な措置をとっていれば責任を負うことはない」との思想を体現しているが、それは適切な措置をとったか否かで、責任の所在を
決するのが衡平であるとの思想の別な表現に他ならないからである。結局、平井教授の結果回避義務の基準はどうやってもうまく作用しないこととなる。そこで私としては、損害額の算
(妬)定については、平井教授のように損害の金銭評価の問題として、従来とは異なる考え方をとるか、あるいは、従来の通
説の立場を一貫するしかないのではないかと考えろ。損害額の算定については通説的な立場に立ちつつ、危険
が予知されるような場合には、結果回避義務による責任は減免されるべきではないと考えるか、平井教授のように金銭 賠償についても独自の理論を採用するしかないと思う。従来の通説のようにしておけば、危険な事業に関わるものは、それがコストとして見合う限り事故の損害賠償責任追
求の可能性を少しでも減じるために結果回避のための努力を怠らないであろう。また、危険な事業に関わる者は、それ がコストとして見合う限り自己の損害賠償責任追及追の可能性を少しでも減じるために、結果回避のための努力を怠らな いであろう。また、ある危険な事業によってもたされる利益が大きければ、医療におけるインフォームド・コンセントの理論のように、被害者側にその責任を転嫁する方法が用意されるであろう。それ以外の場合、たとえば公害や航空機事故
による損害賠償責任については、事業者に結果回避義務をつくしていたという立証責任を負わせるべきであろう(この 沖大法学第八号 四 一 一結局、私としては何も建設的な万策を提示することができないまま、本稿を終わることになる。しかし、結果回避義 務の理論が結果回避のためのインセンシティブとならないことがある以上、懲罰的損害賠償にせよ、危険責任論にせよ、
「被害の深刻さ」・「被侵害利益の重大性」の規準にせよ、何らかの新たな理論を提示していかなければならない、と
考えていろ。 以上 。 点で参考になるのが、フランス民法一一一一八四条一項をめぐる議論であるが、これについては、別槁に譲ることとしたい)。 前者の場合、すなわち損害の金銭的評価についての平井説は、その運用によっては、損害賠償制度に抑止的効力を与え ることになる。しかし、平井説の運用については明かでないことが多く、直ちに実務において採用できるものではない。 ところで本稿ではここまで、被害の深刻さが損害賠償額と一致しない実態が当然に存在するかのどとくとして論を進 めてきた。しかし、オートマチック車の急発進にせよ、放射線もれにせよ、被侵害利益はその算定損害額を越えて重大 であるとは、いかなる意味であろうか。被害の重大さとは、何かということについても考察をすすめていかなければな らない「被侵害利益の重大性」「被害の深刻さ」とは、オートマチック車の急発進の例でいえば、オートマチッ. ク車が急発進するかも知れないということになると、車を運転している者が受ける精神的不安のことであろうか。 それとも、いつ自動車が暴走して来るかもしれないと思いながら道を歩かなければならない歩行者の恐怖であろうか。 それとも、そういった不慮の事故にあった被害者やその遺族の心痛であろうか。いったい「被侵害利益の重大性」「被 害の深刻さ」をはかる基準はあるのだろうか、あるとしたらそれはいかなるものか、といったことが検討されなければ ならない。 不法行為における結果回避義務について 四(犯)困少宛勺両用陣】シ三両のご弓汀の旧自己。{円。『(の》旨⑭’@②①(こい①)
(皿)O・『目園]・ぐ,○.因凰のP臣〕》句・国己.①巨》①届くい己Q『]@さ)森島昭夫「損害賠償責任ルールに関するカラブレイジ理論」
(皿)前出前田四○頁 (釦)前出平井四○頁 (四)前出森島一九六頁 (四)前出加藤七○頁、前出幾代四七頁(Ⅳ)前出森島『不法行為法講義』一九六頁(以下前出森島とあれば森島『不法行為法講義』をさす)
(昭)前出森島「不法行為法講義」一八八頁 (過)森島昭夫「薬禍と民事責任I」法律時報四五感一○号一八頁以下 (皿)前出森島一九○頁 (皿)加藤一郎「過失判 (⑫)前出森島一八九頁 (u)前出森島一八九頁 (、)前出森島一八六頁 (9)前出淡路一一一七三頁 (8)前出淡路三七六頁 (7)淡路剛久「公害における過失と違法性」ジュリスト四五八号三七六頁(昭四五) (6)最判昭一一一六・二・一六民集一五巻一一号二一一四頁 (5)前出加藤七○頁 (4)幾代通『不法行為法」三一一一頁(筑摩書房和五一一) (3)前出加藤六九頁の注(1) (2)沢井裕『公害の私法的研究』一七一頁(一粉社昭四四)、前出森島一八一一一頁(1)森島昭夫『不法行為法講義』一八一一頁、’八八頁(有斐閣昭六一一)、加藤一郎『不法行為』六九頁(有斐閣昭四九)
加藤一郎「過失判断の規準としての『通常人』」我妻栄追悼論文集・私法学の新たな展開四一一一五頁(有斐閣昭五○)、平井宣
雄『損害賠償の理論」四○一一頁(東大出版昭四六)、前田達明『民法VI2(不法行為法)』四○頁(青林書房昭五五)
沖大法学第八号(詔)前出森島二○一頁 (弧)田中和夫「英米における懲罰的損害賠償」川島武宣編『「我妻先生還暦記念」損害賠償責任の研究(中)』八八七頁以下(有 斐閣昭一一一一一)、山田卓生「過失責任と無過失責任」現代損害賠償法講座(1)九一一頁以下(日本評論社昭五一)山田卓生「交 通事犯と制裁事故と賠償」交通法研究一三号四八頁、後藤孝典「制裁的慰謝料論」法律時報五一一巻九号、岡野卓也「米国海 法上の懲罰的損害賠償」海事法研究会誌八六号一一一六頁以下、塚本重頼『英米民事法の研究』’九三頁以下(中央大学出版部昭 六一一)、小島武司「脚光を浴びる制裁的賠償」判例タイムズ一一七八号など (弱)大野正男「情緒社会の中の法律家」判例タイムズ四九○号一一一一八頁、その他注三四参照 (鉛)前出平井一頁以下 (弧)田中和夫「英米に (詔)前出森島二○一頁 (亜)前出森島一九九頁 (虹)前出森島二○○頁 (”)この他にも結果回 (妬)との例は宮台真司 えば前出注一三。 (犯)オートマチック車 (羽)前出注一一一一、二一一一 (釦)前出森島二○二頁 (躯)ゲーム理論に関す (型)前出森島二○一頁 不法行為における結果回避義務について 法研論集第一一三号(’九八四) 前出森島二○二頁、わが国の差止の法的構成については、小川竹一「公害差止の法的構成について」九九頁早稲田大学大学院 オートマチック車の急発進の例としては、例えば朝日新聞平成元年五月二六日朝刊参照 この他にも結果回避義務を決定する因子については、いくつかの学説を挙げることが出来るが、割愛させていただいた。たと この例は宮台真司『権力の予期理論』’八頁(勁草書房昭六四)よりとった。 国屋書店昭三四)がある。 ゲーム理論に関する文献は多いが、古典的名著としての〔のぐのごく旦目『箸宮下藤太郎監訳『ゲーム理論と線型計画』(紀伊 我妻追悼論文集・私法学の新たな展開四一二頁(有斐閣昭五○) 四五