Title
「新しい人権」と沖縄
Author(s)
組原, 洋
Citation
沖縄大学地域研究所年報 = The Institute of Regional Study,
The University of Okinawa Annual Report(4): 31-46
Issue Date
1993-03-19
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/9870
戦 後 沖 縄 の 法 ・交 通 運 輸 政 策 攻 、 平 和 学 堆
「
新 しい人 権 」 と沖 縄
まえがさ 本稿は、1992
年10
月24
日の沖縄大学土曜 教養講座において行った講演「
「新 しい人権」 と沖 縄」を もとに再構成 したものである。 この講演は、沖縄大学地域研究所の研究発表を兼 ねたものであり、 これまで私が同研究所で携わって きたテーマと関連するテーマで、 ということで設定 したものである。 これまで同研究所のい くつかの班 に所属 して研究を進めて きたが、それ らを私なりに まとめてみようとした らこのような題になった。 忌伸のないご意見 ・ご批判をいただければ幸甚で あるo l テーマの趣旨 1 これまで私が関係 してきた同研究所における班は、 戦後沖縄の法 ・交通運輸政策班、アジア ・南太平洋 の法班、それに、92
年度か らは平和学軽にも入 っ ている。このように、現在多 くの班に関係す ること になっているのだが、出発点は、沖縄の軽貨物問題 に関連 して交通運輸政策班をっ くったことにあるo この班で研究するうち、 「交通権」 という概念に たどり着 き、 これは 「新 しい人権」の1
つ として主 張されている。沖縄における軽貨物問題は、また、 沖縄の復帰問題の1
つで もあり、そういうことで戦 後沖縄の法班 とも関連 し、2
つの班は合休 されるこ とになった。沖縄の軽貨物問題を中心に、沖縄にお ける望ましい交通運輸政策のあり方を研究 していく うち、比較の場所 として東南アジアがあがった。東 南アジアにおいては、制度化された公共交通横関の ほかに、副次的な、パラ トランジットと称 される公 共交通機関が広 く存在 し、重要な役割を占めているo組 原
洋
沖縄の軽貨物 も類似の積舵を果た してきたのではな いか と考え られる。そ して、そのようなパラ トラン ジッ トが存在す るのは、それに見合った地域構造が あるか らだと考え られる。その後、比較の対象を ミ クロネシアまで広げてみた。 このように して、アジ ア ・南太平洋の法班がつ くられた。 このような班に所属 しなが ら活動 していて気づい たのは、法の側面か ら接近 していくと、いずれ も 「新 しい人権」 と関連 して くるということだったO つまり、これまで形成 されてきた人権の枠か らはこ ぼれ落ちるものを、いわば拾い集めるということに なったのである。たまたま、90
年7
月18
日に那 覇市中央公民館で、 「平和学習講座」の第7回目の 講座 として、 「諸外国の意法にみる平和への取 り組 み」 と題 して講演 したことか ら、いわゆる平和的生 存権の問題を調べることとなったが、 これ もまた、 「新 しい人権」の1
つ として主張されて きているも のである (拙稿「
「平和」考」 (沖大法学第10
号・199
1)参照)。そういうことがあってだろう、 平和学班か ら誘われて、 ここにも所属することにな った。 交通運輸政策班での研究 と関連 して私は交通権学 会に入 っているが、 この学会の91
年度大会におけ る共通論題は、 「地球環境問題 と交通権」で、 これ をきっかけに環境権 と交通権 との調整の問題が新た に意識 され、92
年度の同学会で も、 「環境権 と交 通権の討和」 と題 して発表 した (同題で、交通権第11
号に発表の予定)。環境権は、 「新 しい人権」 の中で も代表的なもの とされてきたものである。 と ころが新石垣空港建設問題等で具体的に考えてみる と、環境権 と交通権 とが一見対立 しているかのよう に見えるわけである。そういうことで、 この問題を 考えるようになり、その準備作業の1
つ として、「旅の動機をめ ぐる考
案
」 (沖縄大学地域研究所年 報第3
号・1992)
を書いたのだった。 これ らの 「新 しい人権」は、沖縄 という地域にお いては独特の現れ方を していると考え られ、その考 察を通 して、現在の沖縄がかかえている諸問題を構 造的に解明す ることを試みたのがテーマの趣 旨であ る。 2 ところで、テーマをこのように決めたのは92
年 7月 22日であるが、それまでにい くつ もの案が浮 かんでは消えた。 当初、研究発表はもっと早い時期になされる予定 で、その当時研究 していた生涯学習の問題を取 り上 げようと考えていた (拙稿「
「生涯学習」考」 (沖 大法学第13
号・1992)
参照)。その後、時期 がずれたので、上記のような関心か ら、 「観光 と開 発をめ ぐる利益較量」に しようと、まず考えた。 こ れは、現在、沖縄においては長 も対立の激 しい分野 の1
つ と考え られる。その後、 もっとタイムスケー ルの大 きなテーマに したいという.希望が湧いた。時 間に関係 したテーマ、あるいは場所 と時間が交錯 し たテーマは組めないか と色々考えたO これは、碗見 俊輔氏の著作集を読んでいて考え始めたことだった と思 う. この影響を受けて考えたのは、 「沖縄の法 と思想」 といったものではどうかということである。 一般には、沖縄 というところは哲学の欠如 したとこ ろと考え られている。 というか、私がそのように考 えて きた。欠如 しているというな ら、それはそれで、 なぜか、望ま しいことか、 と問 うことができよう。 必要な ら、 どのようなものが考え られるか というこ とが考察の対象 となろう。鶴見氏が1986
年、琉 球新報について書いた文章はとて も面白い (「読者 として- 「新聞週間」に寄せて-」 - 「朝見俊輔集10
日常生活の思想」 (筑摩書房・1992)
444
頁)。本土 と沖縄の投書欄の比較ならす ぐに できようQ どうせなら、例えば、 El伯毎 日とも比較 してみた らどうか。せ っか くとっているんだか ら。 案外掘 り出 し物が見つかるか もしれないO生涯学習、 交通権、 リゾー トなどとの接点を も考えてみれば面 白かろう。その中か ら、また新たに具体的な問題が 浮かび上がればそれに越 したことはない。7
月17
日の時点でこのように考えた。 さらに同日、 「沖縄における 「日常」 と 「非常」」
というのはどうか、 とも考えた。趣旨としては、 こ れまで交通 ・リゾー ト・平和 ・生涯学習等について 研究 してきたところか ら、比較の観点 で、沖縄 の 「日常」 と 「非常」の構造的特質を考えてみるとい うことでいいのではないか。それは、時間の考察へ の手がかりともなりうるだろう、 といったものであ る。 さらに、ヤ ンパルをテーマに組み込めないだろう か、 とも考えていた。 というのは、当時、連続的に 通 って、調べていたことがあったか らである。 方法論 としてのフィール ドワークを基礎にした発 表をすることは、どのようなテーマで発表すること になれ実行 したいと考えていた。
「目の前にあらわ れる出来事をとお しての学習という方法」、 「おこ って くる事件をとお して考える」 ことによる 「迫力 のある報道の文体」 (
「鶴見俊輔集11
外から のまなざし」 (筑摩書房・1991)114-5
頁) が私の理想である。 これはいい意味での受身の方法 だと思われる。講座の レジュメには是非、 「フィー ル ドワーク」ない し 「フィール ドノー ト」 という言 葉を入れたいと考え、フィール ドワークと結びつき うるようなテーマであることが最小限必要だと決め た。7
月
21
日に、知 り合いのおばさん と環境問題に ついて話 した。 このおばさんは、地球環境の問題を 各地域で考えねばならない時期に来ている、 といっ て、小 さいことで も、例えば、割 りば Lを使わずに 自分で箸を持 って歩いてそれを使 うといったような ことか らで も実践 して行かねばな らないというので ある。それはそれで1
つの見識であろうが、問題は、 これほど地球環境の危戦が叫ばれているにもかかわ らず、 こういった行動が一般化 しないのはなぜかと いうことである。それは、そういうことに興味を持 たない人間、あるいは持てない人間を大量に生産 し ているか らだということになるのではないか。立派な人間、面白い人間がいないなら、い くらいい環境 があって もつま らない。そ ういう意味で私 は、 「人 間的」にで きている。 コミュニケーションとい うの も、単なる媒介ではな く、そ もそ もコ ミュニケー ト したくなるような何かの存在が前提 となるだろう。 と、 ここまで来て、私が面 白いと感 じ、交わ りたい と感 じた人々の多 くが京都 と関係 していることに気 づかされた。そこで、講座のテーマ も、 「京 と沖縄
」
でどうか、 と考えた。92
年度前期の大学での講義 でも、森毅、今西錦司民 らを扱 った し、鶴見俊輔氏 も京大人文研で教えていた。 フィール ドワーカーだ けではないんだな、論理 とい うの もあるんだな、京 都には、 ということを感 じたのである。 こうした変転を経てテーマが決 まった。 これまで 私が地域研究所でや って きたことの総 まとめに もな りうるし、沖縄の 「現在の」問題を考え るという趣 旨にもかな う。
「現在の」 というときに、沖縄につ いて様 々に論 じられ る際、オ フレコにされがちなこ とも含めたいと考えた。つまりは、 「地元の しが ら み」を、人権の観点か ら考察 してみようとい うこと である。 Il 「新 しい人権」 とは 1 上記のように、テーマを決めてか ら、私は上京 し たO上京後、参議院議員選挙があ ったが、 この選挙 は結果より、投票率の低 さで注 目されたとい う点で、 較立 っている. このなかで、沖縄 は革新統一の島袋 宗康氏が勝 っている。 その差が僅少で、開票99%
になって も結果が分か らないのだ った。島袋氏24
万
5159
、大域真順氏24
万
4818
だか ら、わ ずか341
票差。社会大衆覚が これで初めてEg政参 加したことになる。 まった く意外な結果だったが、 この島袋氏にこれまで、沖縄の軽貨物問題の政治的 な窓口となって きていただいてきたのである。 上京 してか ら、講座 との関係でまず読んだのが、 樋口陽- 「もういちど憲法を読む」 (岩波書店・1
992)
である。本多勝一氏などと比較 して、確か に 「お上品」であ り、挙げ られる例はヨーロッパや アメ リカの ものがほとんどで、 しか し、で我 々はど うすればいいのか とい う点については、抽象論 はわ かるが、具体論 はさっぱ りとい う感 じがす る。 この本で 「自治」 と 「法治」 という言葉が挙げ ら れている (101
頁以下)。 いうところによると、 自治 とい うのはみんなで決め ること、法治 というの はみんなで決めてはいけないこと、なのだそ うであ る。私は逆 だと思 った。つ まり、法律で何で もかん で も強制 して くるとい うことが多 いもんだか ら、そ して、その際、法律は 「みんなで決めた もの」だか ら従え、 とい うふ うに理由づけられることが多い も のだか ら、法治 とい うのがみんなで決めることだろ うと。 これに対 して、 自治 とい うのは、みんなが決めて も侵 されずに残 る決定権 というイメー ジで、そ もそ も、国 レベルの決定は自治 というのにな じまないよ うな気がす るのである。民族 自決 とい うな ら分かる のは、大小を問わず、そ こには同質の意見があるは ずで、その同質の意見を葺 けるということが 自治で はないか とい う感 じがす る。 つ まり、私のイメー ジでは、 自治 とい う言葉は、 「民主的」 とい うより 「自由な決定」 により近 い。 樋 口氏が 「自治」の問題 として挙げ られているの は、 まとめると 「(国民)主権」の問題で、具体的 には、 「全国民を代表す る選挙 された義旦」 と定数 是正の問題、選挙運動の規制 と選挙区、国家を越え る 「地方主義」等であ る。 これに対 し、 「法治」の問題 として挙げ られ るの は、 まとめ ると 「人権」の問題で、裁判の独立 と違 憲立法審査制である。 このように、具体的な内容を見てみれば、つ まり は法治 とい うのは、 「法の支配」 とい うときの 「法」
であることがわかる。 そ うす ると、法治に対応す る のは自治ではな く、 「人治」だろ う。 自治 とい うの は実 は、人権の1
つではないかO例えば国家を越え る 「地方主義」の問題が出て きた、 とされ、 そ うい う文脈の中で 「全国民の代表」 ということも考えね ばな らない とされ るのだが、それは、実 は自治 とい うのは人権なんですよ、全国民 ということで も踏みに じれない ものなんですよ、 とい っているのだと思
う。
私が一番知 りた く思 っていたのは 「経済的 自由」 (お金の 自由) と 「精神的 自由」 (心の 自由)間に 緊張関係が発生 した時のケ リのっ け方(
57
頁)、 及び、 「経済的 自由」 と生存権 との関係であるが、 これについては満足すべ き見解が得 られなか った。 どうも関心が、私なんか とは相当ズ レているようで ある。2
続いて、中川剛氏の 「基本的人権の考え方」 (育 斐閣・199
1)を読んだ。私 とはかな り立場が異 なるよ うだが、興味深い問題構成を していると思 う。 以下 に、私な りの要約を掲げる。(
Ⅱ章 までの メモ) ①人権の制約原理 としての平等原則 と公共の福 祉。 平等原則 は 「同種の権利利益の対等」の問題、 公共の福祉 は 「異種の権利利益のあいだでの価値 選択」の問題である、 というのはその通 りだろ う(3
貢、39-40
貢)0 (診自由権の請求権化. 司法的保障だけでは片づかず、立法措置、 また は特に行政措置を要求すも (3
頁、15
頁)。 自 律的調整 は もはや望めな くな っている(
17
頁、82-3
頁)。 ③新 しく市民権を得つつある人権 としての 「知 る権利」及 び 「環境権」0 いずれ も政策を必要 とす る (5頁)0 ④財産権 は、制約 どころか、Eg民生活を衰亡 さ せかねない猛威を振 るっている。例えば、地価騰 貴。企業法人の所有権による支配力が増大 (6-7頁) (9日本国憲法は 「安全」を基本的人権 としてい ない(19
頁)0 ⑥投票価値の平等は、政治問題 (Eg民主権のた めの手段の1
つ)であると同時に人権問題で もあ る (人権主休 としての個 々の国民の権利)O参政 権 はそうい うもの。 投票価値が平等でな くて も、公務員は全体の奉 仕者 とい うことになっているのだが。 訴えの利益がな くて も認められる (客観訴訟)0 民衆訴訟、機関訴訟など。選挙訴訟は、民衆訴訟 の1
つ。 (34-6
頁)0 (診 「二重の基準」 は憲法か ら引き出せる結論で はない(80
頁、66-7
頁)0 経済的 自由が大幅に立法政策に服す る余地を残 しているのは、公共性の立証が しば しば要求 され るか らであって、人権 としての価値が劣 っている か らではない(
81
貢)0 ⑧幸福追求権 は人格の 自立を価値 とす る。 穣極面が 自己決定権、消極面がプライバ シー権。 「どちらも自由権 として とらえると、不法行為に よる侵害が問題 となるのみで、憲法に明示 されて いる人権ではない以上、 とくに取 り上げる意味は 少ない」 (85
貢)0 「自己決定権 もプライバ シー権 も、内容が必ず しも明確でな く、 とくに倫理的意義を有す るわけ で もないが、そのような権利に も保護が必要 とさ れるにいたったのは、 自己決定のための社会規範 が見出 しがた くなり、 自己の力では生活の平穏さ え守 ることがで きな くなった時代環境が原因であ ると考え られ る。要す るに、幸福ではないのであ る」 (86-7
頁)0 ⑨教育の 自由 とは異なって、教育権 は教育の機 会均等実現のための配慮を政府に要求する権利。 教育権は、子供の権利 に限 られず、 また、 これを 特に学習権 と言 い換え る必要 もない(90
頁)。 ⑳集団的 自立の問題 一部分社会の 自治一市民社 会における私的 自治 と同 じものではない-0 私的自治が公益を視ない、ついには自治でさえ な くなってい く幻滅経験後、大衆社会において可 能な自治(94-8
頁)0 人権保障ばか りが憲法の究極 目標ではない。人 権保障 もまた、 巨視的にはEg民をより高次の段階 に到達 させ るための過程(99
貢)0 (Ⅳ章のメモ)1
、情報化 と表現の自由 I「下部構造の変動に対す る上部構造の変動のお く れ」がある(102
貢)0 *精神的営為にのみかかわる表現など現実には存在 しないのではないか。 そして、経済的自由のための表現 も表現の自由に 含まれている。契約行為は?ピケ ッティングは ? 宗教者や宗教Eg体でさえ通常は経済的基盤や政治 的代弁者を必要 とす る。*
「一般論 として、経済手段による支配 と表現手段 による支配とは、手を携えて進化する」
(115
頁)。 *表現の自由が、民主主義の基盤 として、 日本にお いて も積極的に論 じられるようになったのは昭和 40年代後半か ら。昭和30年代後半か らの流通 革命の進行とは無関係に考えられない。 *反論権はなぜ認められないか。それは、報道税関 の編集権に抵触するか らで、ひいてはメディアと いう財産権 とぶつかるか らである。
「自由権か ら 出なが ら、社会権 としての性格を有 しており、財 産的権利に阻まれる」 ということ(120
頁)。 *表現手段 もまた有限な資源である(12011
頁)。*
「表現の自由はむ しろ、経済的自由と同様に、個 人的集団的利益の追求 として行使 されることが圧 倒的に多い。
」
「利潤を生み出さない言論は、市 場に流通することが きわめて困難」である(12
2
頁)。2
、財産権の思想 と構造 *日本国書法の財産権条項は社会国家観のうちでは とらえ られない。 社会契約説で も財産権が公共性を有するのは自明 の理。究極的所有権は 「公」の もの。 私有財産権は、労働によって正当化され、相対的 なものだった。団体主義によって制約 しようとし たのではない。 *そのような社会契約的前提抜 きに して、土地の私 物化が進んだのが日本。そのような権利意識は実 は近代のものではない。社会契約論が、精神風土 として存在 しないか らである。 中川氏の この著作か らは、得るところが大 きかっ た。 日本においては人権が、歴史的にも 「与え られた もの」であること、そのため人権 と統治の両面性が 十分認識 されていないということがある。それぞれ に人権を極大利用 とした結果が、弱肉強食の現象 と なって現れている。 こういう背景だと、人権のいい 意味での制約をどのように構成するかが決め手にな るだろう。現実には悪い意味での制約ばか り。 とい うことは、人権の 「危機」なのだろう。それが弱い ところに集中 して現れる、 と。3
9
月に入 って、沖縄に戻 ってか ら感 じたのは、歴 史観みたいな ものが必要だということである。人権 をテーマにすると、どうして も日本Eg意法の寮生 ま ではさかのぼ らないといけな くなる. これについて は、古関彰一氏の 「新憲法の誕生」 (中公叢書・1
989)
をみつ けて買 ってきた。 この流れと、沖縄 戦後史とをダブらせて考えてみたら面白いだろうと 考えた。その中で沖縄における人権の特性を考察す る、 と。本川達雄氏の 「ゾウの時間ネズ ミの時間」 (中公新書・1992)
などのような考えを参考に 整理 してみた ら面白いだろうo ところで、 こういう作業を していると、いやで も 私個人の歴史 ということも考えざるをえな くなった。 私の これまでの歩み というのは、時間の拒否みたい な側面を持 っている。それは、計画を放棄せざるを えなか った、 とい うところに由来 していると思 う。 まっ、そのおかげで、 「ただ生 きる」、あるいは 「ただ生活す る」 とい うセ ンスがよく分かるように なったという側面はある。だか ら、私のこれまでや って来たことというのは、まとまったものとして仮 にとらえ られるというな ら、それは偶然の稚み重ね の結果による偶然みたいなものか と思われる。そう いう論理をその まま打 ち出せば、あるいは、いわゆ る歴史というものがまた別様に見えるということも あるか もしれない。今、何 もか もが退屈な時期に至 っているわけで、 「時空を超えた歴史」みたいなものが浮かぶか もしれない。みんな相対化の時代で、 時間 も相対化 と
。
「時間の流れ」の呪縛か らの解放 というのはどうか。時間に 「耐える」いい方法では なかろうか。そろそろ 「耐える」味 も分かってきた のだが、皆 さんの耐え方 というのを聞いてみたいも のだ。 「私にしかで きない仕事」 というのを考えると、 究極的には自伝 しかないように思われる。それはあ る意味で寂 しいことである。立派な著作を読み、そ の著者の年齢や経歴等を読みなが ら、私にこのよう な仕事がで きなか ったのはなぜか、 と思 うことがあ る。いい意味での 「歴史」に乗っていないか らだろ うか。 本川氏の 「ゾウの時間ネズ ミの時間」を読んでい て文科系 と理科系の差 ということを実感 させ られた。 文科 というのは、むちゃくちゃをやることとはぼ同 義かなと思 ったりする。 この本を読んでいて も、 「文科系の」面 白い本を読んでいて も、面白いのは 同 じで も面 白さの質が全然連 うような気がす る。理 科系 というのは、よくも悪 くも自然なんで しょうね。 文科の人間が、理科系の本を読んだときの落差が快 い驚きとなるので しょう。京都大学が優れた理科系 の学者を多数生産 して きたということはどのように 考えればいいだろうか。京都 という町の人工性より は、であるが故に、周辺に自然が沢山あったという ことだろうか。単なる自然では学者は生 まれないと いうことか。 以下に、古関彰一氏の上掲書か ら作 ったメモを掲 げる。 *今問題になっている様々な問題が、制定の際すで に論 じられている。*
「休息権」39
頁。休養権47
頁。現実の自由権 53頁。陪審制、土地国有化256頁。生活権2 64頁。 *沖縄の要塞化が、本土非武装 とセ ットになってい る。106、247
貢。 *具体的な ものを唆昧抽象化 して消す。
「地方 自治 の本 旨」等。*
「日本化」の作業。 「主権」を 「至高」に。 「国民」、 「地方 自治の本旨」 という言葉。
「女 性の人権」はずす。*
「憲法よりメシだ」 (制定当時) と 「憲法より金 儲けだ」 (現在)213
頁。 *延長 された義務教育。中学校教員は何の反応 も示 さなかったのに、青年学校の教員が敏感に反応。 233頁。 *改正の機会は与えられた。 *意法制定時のモザイク無視。一体の ものとして し かとらえ られていない。*
「賛意の時代」を受動的に生 きることはそろそろ 止めにしたら。70
年代を通 じて生み出 した、環境権、人種平等、 情報の自由といった 「新 しい人権」をも盛 り込 んだ 「影の憲法」 (シャ ドウコンスティテューシ ョン)を掲げて生 きる時代を迎えている。 この本の存在を知 ったのは、河合隼雄 ・我見俊輔 「時代を読む」 (潮出版社・199
1)によってで ある。 この本のⅣで河合 ・鶴見両氏 と古関氏 とが 「日本国憲法の ミステ リー」 と題 して対談 している。 この対談で特に力点が置かれているのは、憲法の 「日本化」をめ ぐっての経緯である。例えば、日本 国憲法10
条の 「日本国民たる要件は、法律でこれ を定める」 というのは、明治意法18
条の 「日本臣 民タルノ要件-法律 ノ定ムル所二依ル」の 「臣民」
を 「国民」に変えただけである。英語では、日本国 民がJapanesenational (日本国籍所有者) と訳 さ れている。 ところが、同 じ 「国民」が、他の場所で はpeopleと訳されているのである。英語で読むかぎ りでは、10
粂はたんに日本国籍付与の問題で、基 本的人権条項にはかか ってこないが、 日本語で読む と、形式的には、 「Eg民は」 となっている基本的人 権の条項は、 「法律によって日本国民 とされた者は」 というふ うに読み替え られ うることになり、そうす ると、 日本国籍を有 しない者には基本的人権は保障 されないということになりうる。 実際には、判例はそのようには解釈せず、 「国民は」とあって も、権利の性質上 日本国民を対象 とし ていると解 されるものを除 き、わが国に在留する外 国人に対 して も等 しく及ぶ とされている (最高裁大 法廷判決昭和
53
年10
月4
日、民集32
巻7
号1
月23
貢)が、政府当局のこれまでの外国人に対す る対応を見ていると、 この形式的解釈が杷菱だった とは言いに くい。長 らく問題 とされてきた永住外国 人の指紋押捺制度は、やっと、93
年1
月8
日廃止 された。 「新憲法の誕生」105
貢には、世界で最初に 「戦争の放棄」を定めた憲法はフィリピンの193
5
年憲法であると、中川剛氏は述べてお られる旨書 かれている。 これについては、中川 「東南ア ジアの 憲法状況② -フィリピン」 (ジュT)ス川0
.
1
0
0
4
)
が 参考になる。 ‥なお、92
年9
月12
日か ら13
日にかけて、沖 縄で、 「沖縄 占領国際シンポジウム」が開かれ、古 関氏 もコーディネーターをつ とめ られたようである が、私は参加できなかった。4
「新 しい人権」 として主張 される権利は論者によ って異なっている。 松本昌悦 「新 しい人権 と憲法問題」 (学勝書房 ・1984)
は、論文集であり、必ず しも網羅的にこ の問題を取 り上げてはいない。第1
章 「現代の人権 理論と憲法問題」では、プライバ シーの権利、信教 の自由、憲法25
条、年金制度、教育権、平和的生 存権等が扱われ、第2
章「
「新 しい人権」 としての 環境権の理論」では、環境権、差止め、油淘事故防 止、新幹線訴訟、食品行政、薬事行政等の問題が扱 われている。第3
章は、イギ リスの憲法問題 と人権 理論である。 小林直樹 「現代基本権の展開」 (岩波書店・19
76)
が比較的スタンダー ドと思われるので、以下 に目次を掲げる。 第1
章 現代人推論序説 第2
章 新 しい基本権の生成1
、人権体系変動への視坐2
、平和権 - 「平和に生 きる権利」3
、環境権 一健康権等 と併せて4
、情報権 - 「知 る権利」を中心に5
、学習権 - 「教育権」の再構成 6、 自治権 一地域住民の基本権 第3
章 表現の 自由の現代的局面 第4
章 情報化社会の人権 第5
章 現代社会 と福祉の権利 第6章 人権 としての環境権 第7章 現代教育における人権 第8
章 現代都市づ くりと人権 どの論者の ものを見て も、環境権 と 「知 る権利」 は入 っている。 この うち、 「知 る権利」は、義弟の自由が請求権 化 したもの と考え られる。 自由権の請求権化 という ことについては、交通権がいい例 となるだろう。 交通の権利 といえば、意法22粂1
項に移転の自 由が規定されている。 これは経済的自由権 とされて いる。何 も、交通権などといわな くて も、 この移転 の自由でいけばいいではないかとも考え られよう。 ところが、 自由権 というのは、本来、 はっておいて もらう権利である。移転のための交通手段があれば それでいいのだが、なければどうするか。世の中、 どんどん便利にな っていく中で、交通手段がない、 という事態が発生するようになったのである。マイ カーが普及す る。マイカーを持てる人はそれに乗れ ばいいとして、持てない人はどうするか。そのため に公共交通機関がある。 ところが、御存 じの通 り、 多 くの公共交通機関は軒並み赤字になり、バスに し て も、鉄道に して もどんどん路線廃止の方向を余息 な くされるO従来あった公共交通機関がな くなった とき、全然動けないという層が出て くるのである。 これを交通貧困層 といっている。社会的に も、身 体障害者であるとか、老人であるとか、弱者である ことが多いのは容易に想像できるだろう。 こういう 人達が 日常的に高価な乗 り物、例えばタクシーを使 えるとは考えに くい。 これ らの人達のためには、適 正な料金で利用可能な安全な公共交通械関がな くてはならないとい うことになる。 このように して、交通権が、従来の移転の自由と は区別 され、む しろ生存権的色彩を強 く持つ もの と して主張 されるようになったのである。それはまた、 請求する権利になったということで もある。なお、 マイカーの普及は、実 は、交通渋滞等によって、マ イカーを持 っている人達の交通を も、場合によって は耐え難いほどに不便なものとしているのである。 皆が 「私」の ことだけを考えて動いたとき、 こう いう結果が生 じた。車 自体は私有でさて も、交通そ の ものは常 に公共性を持 っている。 この間の矛盾が こういう形で出て きていると考え られよう。 環境権のほうは、 どういう意味で新 しいのかとい えば、何より、 これまで環境を丸 ごととらえて、権 利の対象 として把握す るということがなか ったとい うに尽 きるだろう。それは、環境 とい うものが丸 ご とで しか把握で きない性質の ものだか らと、いえば いえるであろう.有珠的に関連 したシステムなのだ か ら。 しか し、 これまで、個々の物 として法律上は 把握 されて きたので、そうすんなりと認め られない の も、ある意味で当然である。む しろ、従来個々の 物を対象 としてきた、所有権をはじめとする物権の アナロジーで環境権をとらえようとしたことが、環 境権が裁判上認知 され ることの障害 となったと指摘 され、至削こまだ裁判上承認されるに至 っていないO ともか く、 このようにわれわれの周囲にあるさま ざまな ものが、丸 ごと化を経なが ら、権利の対象 と して主張 されるようになってきている。その多 くは、 請求権 としての性格を持つ ものとして主張 され、そ の結果、生存権的な色彩を多かれ少なかれ持つよう になってきているとい うことがで きよう。
5
ところで、 「新 しい人権」 とは別に、 「第三世代 の人権」 というものが主張 されている。岡田信弘 「古典的人権か ら第三世代の人権へ」 (ジュ リス トN
o
.
9
3
7
)
によって これを簡単に説明す ると次のよう になるO
「第-世代の人権」 とは、 自由を保全する ための市民的および政治的権利を内容 とし、 「第二 世代の人権」 とは、人間が平等になることを可能に する、経済的、社会的、文化的権利であり、国家に その実現を要求 しうる権利 という意味で 「債権の権 利」 ともいわれる。 これに対 して、 「第三世代の人権」とは、博愛 と 連帯の精神によって もたらされる新 しい人権 とされ、 具体的には、発展 ・平和 ・環境 ・情報伝達の権利と、 人類の共同財産に関す る所有権である。 性格的には、 この新 しい権利は、国家に対抗 しう るものであると同時に、国家に要求 しうるものであ るとされ、 「社会活動におけるすべての行為主体、 すなわち、個人、国家、公的および私的Eg体、なら びに国際共同休の努力の結合によって しか実現され ない」 とされる。 「第三世代の人権」論は、古典的人権から社会権 へ という、西欧世界で認め られている人権変動論に、 第三世界か らの 「連帯の権利」を接ぎ木 したものと いえる。 この 「第三世代の人権」論に接 してまっさきに私 が連想 したのは、生涯学習をめぐる状況であるO生 涯学習 も権利であると把握する場合、日本において は、 「国家に要求 しうる」側面のみがいたず らに強 く、 「国家に対抗 しうる」 という側面の重要性の認 識が不足 していると思われ る。それは、 日本におい て国家がいかに健在かを示 しているのだろう。
「新 しい人権」 として、国家に要求 していくのは、それ はそれで結構なことと思 うが、国家が相対化されて いっている現代において、それだけでは足 りないと 痛切に思 う。 端的にいえば、 「国家の壁」によって象徴的に示 される閉鎖性の打破 こそが必要 と思 うのである。私 個人 としては、そのような方向の権利 こそが 「新 し い人権」の内容 として盛 られていくことを望んでい る。 川 フィール ドワーク 1 「新 しい人権」 というのは、ある意味では、フィ ール ドワークな しで も何 とかできそうなテーマでは ある。 この講座 との関連で当初頭に置いていたフイール ドワークは、専 ら、沖縄 とこの 「新 しい人権」 とを関連づけるための作業であった。そ して
、92
年4
月にベラウに行ってきていた (これについては、 拙稿 「ベラウ旅行報告」 (沖縄大学地域研究所所報 第7
号に掲載予定)参照)ので、万一どこにもいけ なくても、 こことの関連で何 らかのことは述べ られ るだろうという安全弁はつ くってあった。 私としては異例に慎重だったのは、東京にいた母 が病気だったか らである。夏は看病で全然動けない ということも起 こりえた。 しか し、予定はどんどん 進めて、コスタ リカを中心 とする中米に行 って くる 案を作 り、すでに飛行機が満員だったのでキャンセ ル待ちを しているところで、8
月は母の看病でどこ にも行けないことが確定 した。それで、92
年の8
月は、ほとんど東京の自宅にいて、ブラジルの家族 法関係の文献を翻訳 していた。それはそれで面白い 作業であり、また、老いた母を観察するのも、それ なりに興味深いことだったが、身体が うず うず して きた。 そこで、東京にいてもできるフィール ドワークと いうことで考えたのが、東京の周辺の公民館にい く つか行ってみるということである。 手始めに、自宅のある小平市の中央図書館に行 っ た。中央公民館が図書館の隣にあるので、ここにも 初めて入ってみた。那覇市のような連続講座は1
つ だけで、平和関係のものである。次は8
月8
日で、 「ノーモアヒロシマ」 という題である。 これに行 っ てみた。講師は、宗像基氏である。最初、広島のス ライ ド、そのあと 「原爆を許すまじ」の歌の合唱 と きて、どうなるのかと思 ったが、終わってみると筋 の通った話で、なかなか面白かった。宗像さんは牧 師だそうだが、非常にはっきりとものをいう。すべ て 「天皇制」に帰着する、 ということになるのだが、 沖縄にいて、天皇か ら遠ざか った生活を していると、 ピンとこない点 もある。天皇 というより、ヤマ トの 方々の生活様式 こそが根源 じゃないのかな、 と。講 演の後、質疑を1
時間ちょっとやって、結局終わ っ たのは5
時だった. これで終わりと思 って、公民館1
階のロビーでコーヒーを飲んでいたら、皆 さんや って来て、そこでは順に自己紹介 もや って、楽 しか った。宗像さんはブラジルに長 くいたそ うで、また、 広島にもいたのだという。窮屈さがな く、気楽でい い集会だった。 何で も翌 日、立川中央公民館で、「
8
月 一心に刻 む不戦の集い」 というのがあるそうで、私 も来て下 さいと、 このポスターを持 っていた女の人か らこの とき誘われたD これまで、小平市でこういう活動 と いうか行動を したことがなか った。何 というか、小 平は日立の工場があり、金はあるけど保守その もの の場所 というふ うに考えていたのである。翌 日、午 後1
時半か ら立川中央公民館での集会に も出た。中 央公民館は立川駅の南口か ら行 くのだが、南口に出 たのは初めてである。集会は30
名 ほどだった。 まず、 ビデオ 「侵略 ・マ レー半島 教え られなか った戦争」 というのをみたが、大変長 くて、かつ、 それほどひきつけられなか った。 このあと、円 くな って話 したが、私 も発言を求め られ、 まじめであれ ばいいって もんで もないだろう、 という趣旨のこと を、生涯学習における立場の分裂 とか らめて述べた ら、強い反響があったようであるO賛否両論のよう だった。 集会の後、おばさんか ら話 しかけられ、この人が 何 とウチナーンチュで、沖縄大学理事長の新垣淑哲 氏の親戚なのだった。 この方を含め、6
人の人と駅 のそばの喫茶店で話 したが、 さらに1
人沖縄の女性 がいて、 こちらは東大卒だそうである。大層頭のい い人 と思われた。前 日私をこの集会に誘 って くれた 人は城戸典子さんである。 さらにこの集会を催 した 会 (「市民の広場 ・.S法の会」)の会長格 と思われ る年輩のお じさん、私の発言に対 して、 この ビデオ を擁護 したお じさん(
46
歳)、私の隣に座 ってい た中央大学4
年の学生C喫茶店で話 してみると、 と て も楽 しい人ばか りだった。いや、私の発言で、ち ょっと座が白けたように思い、 うーん、ちょっとは ずれたな、 と思 っていたので、会の中心 と思われる 人達 とこんなに話が合 うなんて意外だった。
「新 し い人権」のことを話す と、皆 さんこの言葉を きいた ことがなか ったようで、熱心に質問され、飲み込みもきわめていいようだった。 とにか く愉快な会合だ った 。 公民館に利用者 として行 ったのは、ほとんど初め てである。面白い知 り合いができて、今後長 くおつ き合いすることになりそうであるO東京で も 「自由 に」動けるようになっている自分を発見 して、とて も感慨がある。 この
13
年で、私 も随分変わ ったの だなあと感 じないではお られなかった。 「市民の広場 ・憲法の会」 はもう数年間継続 して 活動 してきていて、年度毎の記録 もいただいた。会 の人の話で一番印象に残 ったのは、 「市民」ではな く活動家ですか、 といわれるのだそうである。 こう いう活動を している者は市民ではないということに なるらしいのである。いただいた記録を読んで も、 公民館 との間で、会場設定や展示等 との関連で、摩 擦があったことが うかがわれる。 東京学芸大学の小林文人氏に、幾つかの公民館等 を紹介 して もらった。8
月17
日に、その中のひば りが丘公民館に行 った。ひば りが丘駅前のスタン ド で地図を立ち読み してか ら行 ったが、 ここは図書館 とセ ッ トになっていない。行 ってみると、都営団地 の中の1
棟の1
階だった。そこで働いている人を小 林氏か ら紹介されたのだが、 ワックス塗 りを してい ていて休館で、紹介された人 も欠勤だったが、館長 の川勝勅義民が、 ちょうど休館だったこともあるの か、ゆっくり応対 して くれて、2
時間はど話を聞い たのである。 ひばりが丘公民館は、建物は都のものだが、保谷 市立である。保谷市 というのは、学力テス ト反対の 先樽を切 ったところだそうで (昭和30
年代)、革 新 自治体のはしりらしい。現在の市長 も、無所属だ が、元社会党だそ うである。その頃は、多分、公民 館活動等 も盛んだったのだろう。そ して、今 もその 名残があるのか もしれない。市 としては熟 し、にや っ ている方に入るか もしれないという。職員 も、 この 道で、 もう長い人は20
年 ぐらいになる人 もあると いうことだ。年末年始以外は原則 として休みはな く、 そ ういうことで、土 ・日も休みではないということ になるので、進んでや りたいという人に来てはしい、 と。川勝氏 自身は3
年ほどで、 ここの前は産業経済 課だかだそうで、最初はまいったとか。何にかな? で、彼 自身は、公民館 としての方向性を示すとか、 そういったことは余 りね らっていないようである。 そ もそも公民館でなければで きないこと、という のはないだろうと。公民館のはかにも 「市民集会所」. というのがあり、 これはまたコミュニティセンター (市民会館など) とは違 うもののようである。川勝 氏の言い方は、まあいろんな人が職員 として入って いれば、自然にその公民館 としての特色みたいなも の も出て くるのではないか、 という感 じであった。 話 しやすい、開けた館長 という感 じが した。公民館 運営審議会委員の委員選任 もここでは民主的にやっ ているようで、指名によるのは、元校長、学識経験一 考などで、あとは住民代表 ということだった。で、 例えば鋲能なんかか らも乗 る人がいるそうで、それ に対 して、市立なのだか ら市民を優先すべきである という苦情が市民か らあるそ うで、ある程度は制限 しないといけないかな、 と考えているところだそう である。 ところが、だいぶん以前か ら (確か昭和5
3
年だったか)、広域化 ということで、北多摩の6
市が集まって会議を開いてきていて、市民というこ とにこだわ らないで利用できる方向での検討を して いるのだそうである。 保谷市などは小 さい方で、 人口割 りにするとどうして も、小平市などより設備 面で落ちる。便利な公民館だと、各種団体の申し込 みが殺到 して、抽選に近い状態だということであっ た。 保谷みたいに東京の中の区切 られた地点に 「地域」
があるのだろうか。 この点については、はっきり、 あるという返事で、 これはちょっと意外だった。や っぱ り、そういう活動を してきた人たちがまとまっ て住んでいる地域なのか もしれない。住みやすいの かと聞 くと、東京のはかの ところと違 うわけでもな く、そ うではないだろう、 というし。 市史編纂事業はあるが、 しか し、 これは過去の経 過だか ら、現在 こういう特色があるといったことは おそ らく直接に感 じ取 るしかないだろう。8
月18
日は、多摩教育セ ンターにいってきたO立川駅南口から歩いて、さあ
、20
分 ぐらいか。 こ の夏は、立川駅南口と縁があったらしい。着いてみ ると大 きな建物で、1
階には図書館 もある。全部で4
階。上の方は学校教育関係のようで、私が訪ねて いった資料室 というのは2
階にあった。紹介 された 人はいなか ったが、開架になっていて自由に出入 り できる。最初は、 ワッすごいなあ、 と思 ったのだが、 ていねいに見てい くとそんなで もない。要す るに、 市民運動や公民館等のパ ンフレッ ト、関係図書であ る。関係図書は少ないと思 う。2
こういった成 り行きで、結局、8
月
29-31
日 に湯河原で開催 された、社会教育研究全国集会に参 加することになった。昨年の松本の大会に続 いて2 度目である。29
日昼前、小平か ら湯河原に着いた。バスで観 光会館に行 く。受付で、分科会は 「差別 と人権」に する。1
時過 ぎか ら第1
全体会が始まる。挨拶は型 通りOそのあとの リレーメッセージが、 とにか く皆 さん長 くて、1
時間 もオーバー した。沖縄大学の平 良研一氏は、逗子市のあと2
番 目に沖縄か らの報告 をされた。使用されたスライ ドの写真3
枚の うち、2
番目の、赤土で汚れた海のはいい写真だった。総 じて、女性の報告が面白くもあり、要領 も良かった。 分科会は、 リレーメッセージが長引いた影響で、 この日は自己紹介がほとんどだった。浅川 という坊 さんが司会 した。夜は夕食をかねて懇親会が観光会 熊であった。30
日は、夕方5
時半まで分科会に参加 した。午 ∵前中、男の家事分担の報告、午後、外国人労働者の 報告があって、それを中心に議論がなされたが、 し ゃべる人が段々決 まって しまった感 じであるo私 も 発言 しなかった。最後に皆が順に何で も述べて下 さ いというところで、午前中の報告については、家事 分担が しっかり出来 るようになると、それはかな ら ずLも家庭を円満にするというより、逆に分離を促 .遵することもあるだろうということと、人権の問題 としては、当然家庭はあるべ きだというところか ら 出発するのでは問題があるだろうということ、午後 の報告については私 自身がガイジンと間違え られた 経験を話 し、 「ちょっとの違い」が大 きな差を生む というのが差別 というものだろうと述べた。 共存 というのは、言 うのは易 しいが、ガ ンバ リマ ショウ方式ではなかなか難 しいのではないか。息切 れ して しまう.す ぐに行政棟関が出て くるの も寂 し い。それよりは、色んな人がいるはうがいいことな のだ、 と本音でいえるようになることだろう。分科 会 としての流れは予定通 り過 ぎて、 こんな結論のた めにこんなに時間をかける必要があるのかという気 はした。 この 日は、北大 と東北福祉大の学生 と友達になっ て、一緒に夕御飯を食べた。8
時前に観光会館に行 って、 「この指 とまれ」のなかの 「アワモ リを飲み なが ら沖縄を語 る会」に出た。小林文人氏が代表に なっている.沖縄か らは、平良研一氏、名護の中村 誠司さんと照屋秀裕 さん、都留文化大の女子学生の 仲村裕子さんが来ていて、はかに、沖縄に興味があ って という人 もいたが、多 くは小林ゼ ミの現役・OB
・院生などである。アワモ リというのは、事務局 が勝手に言 ったのだそ うで、それで急いで取 り寄せ たもの と、あと中村 さんが土産に持 って きたものだ けで、量は少なか った。 二次会は、小林民 らはゼ ミ単位で集まったようで、 沖縄か ら来た者 と、あと仲村 さんとその友達の女子 学生2
名が加わ って、11
時半頃までお好み焼 き屋 で ビールを飲んだO中村さん と話がよ く合 うのには びっくりした。31
日は、午前中、観光会館で第2
全体会をきい たO これ も型通 りという感 じO言葉が奇麗に並んで いるだけで、爆発力が感 じられない。終 って、中村 さん と府屋 さんとバスで駅 まで一緒に行 き、それか ら私 は名古屋に向かった。 この夜名古屋で、昨年度の研究生 と会い、翌 日、 三重県の亀山市に行った。宜保マウロ氏が世話 して いる日系ブラジル人の様子を観察するためである。 詳細 は、拙稿「「
「新 しい人権」 と沖縄」のための フィール ドワーク」 (沖縄大学地域研究所所報第7 号に掲載予定)を参照 されたい。9月2日、朝7時58分発の奈良行 き普通列車で 亀山を発ち、柘植 (つげ) というところで乗 り換え、 草津線で草津に出る。途中の貴生川か ら、例の信楽 高原鉄道が出ているO小 さなワンマンカーが駅に止 まっていた。草津か ら新快速で京都に出る。訪ねた い人がいて、さが したのだが、見つか らなかった。 訪ね先は、上京区六軒町出水七番町
314
であるが、 結局見当たらなか った。それに して も、町が2
つ と いうのは変な住所だなと思 った。近 くに京都市社会 教育総合セ ンター (以前、 ここで河合隼雄氏の講演 をきいた)があったので立ち寄 ってか らバスで四条 河原町付近に出た。裏通 りでウ ドンを食べたが、付 近に公衆休憩所があり、便所 もあるのには感心 した。 本屋を回 り、京都の本 も2
冊買 った。あとバスで 京都駅に戻 り、 コインロッカーか らリュックを取 り 出 してか ら空港バスで大阪空港に行 った。いざ乗ろ うとすると、湯河原で一緒だった中村氏がいるでは ないか.横内に入ると氏は私のとなりにやってきて、 着 くまでず っとしゃべ りっぱな しだった。鶴橋の方 にも行かれたようで、そこで買 ったらしいエ ビせん べいを1
袋 くれた。 3 このように して沖縄に戻 った後、どこか1
か所で も講座 との関連で行 っておきたいと思 って決めたの か、スペインのバスクである。8
月上旬に、狩野美 智子 「バスク物語 一地図にない国の人々-
」 (彩流 杜・1992)
を読んだ。それまでバスクについて は、協同組合制度 との関連で興味を持 って調べてい た (拙稿 「交通権の担い手の法的諸形態」 (交通権 第9
号・199
1)参照)が、そこにどういう人々 が住んでいるのか全然イメージがわかなかった。 こ の本を読んでみて、大変興味深い地域であり、興味 深い人々が住んでいるということがよ く分か った。 著者の狩野 さんにも多大の興味を感 じた。 ちょう ど私のブラジルの勉強 と同 じようにゆっくりしてい る。本格的にバスクのことを勉強 し始めたのが、社 会科の先生をやめてか らである。そ して、略歴に挙 げられている著書の中に、 「沖縄を学ぶ」 というの がある。
「沖縄に学ぶ」ではないことが興味深 く思 われたo鶴見俊輔氏の文章を読んでいるうち、アン ドラにも行 きた くなって、9
月14
日か ら26
日ま: で行 ってきた。 この時のことについては、上記の「「
「新 しい人権」 と沖縄」のためのフィール ドワ ーク」に吉己したo ここでも述べたように、著者の狩 野 さん と、バスクの ビルバオ という町であうことが できたのは、偶然以上の ものを感 じた。 JV 沖縄における現れ方 1 最初に、92
年6
月か ら7
月にかけて、沖縄のヤ ンパルで見聞 したことを述べたい。 このとき、沖縄 だなあ、 ということを強 く感 じたか らである。6
月22日に、沖大の卒業生 とヤンパルにいった。 知 り合いの不動産屋が リゾー トマ ンションをつ くっ たので、誘われて見に行ったのである。 このとき、 名護市の音源にある食堂に行 ったのだが、 ここのお ばさんは、お父 さんがハワイに移民で行 って、その とき4
人の子供をつ くり、 さらに帰国 して2
人つ く った、その6
番 目の子だそうで、お父さんは先の4
人と、お母 さん達を鼓 してまたハ ワイに行 ったが、 その後高血圧で倒れ、不 自由になり、ハ ワイにいた はうがいいというのに、敢えて帰 ってきて、おばさ んがその面倒をみたので、ハ ワイの兄弟たちが沖縄 の財産はこのおばさんに譲 るということにしたのだ そうである。おばさんは75
歳である。娘時代は三 重県に出稼 ぎに行 って紡績の仕事を していたのだそ うである。昔は- ワイに行 くのは船で1
か月 もかか った。 さて、おばさんには、夫であるお じさん もい て、我々が行ったとき一緒 におばさん と話 していた。 このお じさんのほうはおばさんより5
つ年上だが、 若いときはサイパ ン、ボナペなどに行 っていたそう である。2
人は戦後結婚 した。昔の人は随分動いて いたんだなあ。 山のほうに土地があ り、畑をや っているが、いも とか砂糖 きびでは金にならないので、 こうやって店 を開いて19
年になるということだった。で、 もう かっているというのだが、2
時間 ぐらい話 している とき来た客 といえば、同 じ建物の中の、食堂 とは区切った売店のお客がちょっとだった。 さて、 この食 堂のす ぐ裏に巨大な リゾー トホテル (
10
階建、横 に20
区画)が、当時建設中であり、はば完成に近 かった。 このホテルはビーチにぴ ったり面 している。 我々は最初見たとき、食堂 はホテル付属の ものか と思ったのである。 ところが、全然関係ないという。 実際、食堂は沖縄その ものである。 しか し、ホテル の地主 も地元の人だそうだ。実際、本土の人が地主 なら食堂 も買収 して しまったほうが 「自然な」景観 である。食堂のお じさんは、ホテルが建っ ことには 賛成でも反対で もないように見えた。 さあ、ホテル に泊まるのは本土の新婚 さんを中心 とする若い人達 だろうが、 この食堂に来るだろうか。 お箸のことを方言で 「メ-シ」 というのだそうだ が、明治大学の、何 とかゼ ミの学生たちがやってき て、そういったことを色々きき、おばさんたちは、 ウタキやら何や ら案内 してあげたのだそうである。 そして記念にもらったという鉛筆2
本を見せて くれ た。それで、語呂あわせで私の名刺を置いてきた。7
月に入ってか らもこの食堂には2
回はど寄 って、 ちょっと雑談 もした。食堂の前の敷地を駐車場に使 わせてほしいと、ホテル側か らしつ こく言われてい るようだった。2
さて、9
月上旬、沖縄に独特の人権 といったもの はあるのかと考えた。私 も加わ ってや っている判例 の勉強会で論議 して もらった ら、以下のような意見 が出た.私以外はウチナーンチュである。 *沖縄にだって差別はある。ハーフとか離島 (宮古 ・八重山一身分ではない、地域差別)0 *事実 として、沖縄は住みやすい。住みやすいとい うことは、人権が満たされているということでは ないだろうか。 では、どういうふ うに住みやすいのか。ボーッと していやすい。何か有益な仕事を していないと生 きている資格はないよ、 という圧力が弱いという ことではないか。ボーッとしている権利か。 *沖縄は、よくも悪 くも本土より 「遅れている」の で しょう。後を追いかけて同 じくなるかどうかは 疑問だが。 *平和が好 きで、争いを好まないということは事実 としてある。 *沖縄 は、 自然社会性が強い。だか ら、環境破壊が 「沖縄 らしさ」を破壊する元凶 となる。 *余 り極端でない、本土 と比べれば。 *人間に余 り幅がない。 *コ ミュニケーションは、東京なんかより明 らかに いい。東京だと、のれんに腕押 しみたいな感 じで、 なかなか 「自分」はつかめない。 *沖縄人権協会の弁護士はどういう意見だろうか。 多分、平和 とか、基地 とかの関係で特殊性をいう のではなかろうか。 最後の点に関 して、沖縄人権協会編著 「やまと世20
年 検証 沖縄の人権」 (ひるぎ社・199
1) の目次は、次のようになっている。 第1
章 子供 ・障害者 第2
章 女性 第3
章 基地 と軍事秘密 第4
章 環境 とくらし 第5
章 沖縄のJL、(過剰警備、 日の丸 ・君が代、慰 霊の日、天皇制 と戦争責任、皇民化教育) こうして章だてを見てみると、テーマとしては本 土 と共通の ものが多い。第5
章に して も、具体的に 扱われている問題を見 ると、 「沖縄の心」 と必ず し も直線的に結びつ くものばか りではない。 基地が、あるいは本土が大 きくかぶさって きて、 それが様々なゆがみを もたらして きたということは 事実 としてある。基地は、直接的な被害を生み続け てきているばかりでな く、不労所得を生み、経済構 造に影響を与えてきた。それは沖縄の特殊性である、 といえばそうだろう。 しか し、逆 に、そういった も のでゆがんで しまって、かえって 「沖縄的な もの」 は隠れて しまっているという見方 もで きよう。 具体的にどうい う形で沖縄の特殊性が現れるのかを、先に述べた沖縄の軽貨物関係の事件 との関連で 考えてみた。 この裁判をやっていて感 じたのは、 自由権はEg家 か ら干渉を受けないでほっといて もらう権利、生存 権は国家に要求す る権利、 ということになっている が、沖縄は沖縄でや りたいようにや らせてほしいと 思 って も国が全国一律の規制をするということであ る。 そ ういう意味で 「ほっといてよ」 と言いたいわけ である。 自由にさせて くれないか、 と。 じゃあ、 自 由権の問題なのか。どうなのか。何 して もいい、 と いうわけでないことはよく知 っている。言いたいの は、沖縄においては、過去の経緯か らして も、社会 構造か らして も、軽貨物が存在する合理的理由が十 分ある、 ということである。だか ら、それを禁 じな い政策を国家に要求 していることになる。現在の行 政が望ましい交通の実現を妨げているので、それを 改めることを求める、 と。 自由権の請求権化 といって も、具体的にはこうい う形になる。沖縄独自のあり方を求めていくと、 自 由権 と生存権 とはむ しろ密接不可分の ものとして現 れて くるだけでな く、それだけでは包摂できないも のを含んでいると思 う。 「新 しい人権」 として提唱される自治権はそのよ うな内容を もっているのではないかと考え られるし、 Ⅱ
・5
でみた 「第三世代の人権」の発展の権利 とい うの も関連を有す るのではないかと考え られる。 こ ういう権利 と結びつ きうるような ものを沖縄は持 っ ているということで、それは、究極的には、沖縄が 本土 とは異なる独 自なものを持 っているということ に帰す るわけである。権利の具体的な態様か らいえ ば、社会的ない し集団的自己決定権 といっていいか もしれない。3
スペイン側のバスクに行 こうと思い立 ったの も、 「地図にない国」であるか らにはかならない。狩野 ・前掲書か らのメモを以下に掲げる。 *人口291
万人 (スペイ ン側4
県、フランス側3
地方)0 *クロマニオ ン人の子孫であるといわれている。 *領主や王に 「法」を守る宣誓を行なわせた場所が ゲルニカの樫の木の下。バスクの自由の象徴。*
「近代 というものが、平等の名の下に、小 さい民 族を圧殺する」 (11
頁)。 *ビルバオー新旧の併存する町。 *サ ンタンデールか らビルバオまでのカンタブリア 海に面 した山々は世界屈指の鉄鉱石の産地。 *モ ン ドラゴンのホセ ・マ リア ・ア リスメンディア リエタ神父が、1956
年、最初の生産協同組合 「ウルゴール」をっ くる。1987
年現在170
組合 (生産91
、農業8
、消費1
(エロスキ)、 教育46
、住宅17
、サービス7).1959
年 協同組合の銀行 「労働人民金庫」ができる。*4
種類の選挙 (市町村議会 ・県集会、バスク自治 政府議会、国会 (上 ・下)、 ヨーロッパ戦会)O *民族政党91
年の状況 PNV (バスク国民党) バスク自治政府与党。中 央政府 と協調、現実路線。 EA (バスク連帯) PNVか ら分離。EE
(バスク左派)テロ政策やめたETA
グルー プ。HB
(民衆連合)ETA
(「祖国バスクと自由」
)のテロを否定 しない唯一政党c PSOE(社会労働党 :スペイン政府与党) 移住 労働者が支持母体。 PP (大衆党)右翼党。 *バスク人で独立を唱える人33%
(カタル一二ヤ39%)
反対
39% (
同45%)
今の自治状態で満足33%
不満58%
ETA
のテロはやめるべきだ94%
支持3%
続いて、小林孝信 「民族の歴史を旅す る 民族移 動史ノー ト」 (明石書店