Title
ポール・ティリッヒの資本主義感−存在論と資本主義−
Author(s)
狩俣, 真彦
Citation
沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 10(2): 67-81
Issue Date
1971-03-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/11033
ホ。ール・ティリッヒの資本主義観
一 脊 在 論 と 資 本 主 義 一
狩
俣
真
彦
目 次 1. 序…...・H ・-…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6
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2. ティリッヒの存在論...・H・H・H・...・H・...・H・...・H ・...・H・..703
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ティリッヒの資本主義観..・.H・...・H・...・H ・...・H ・...・H・-・7
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4. 結び・・H・H・...・H・...・H・...…...・H・-…H・H・...・H・...・.H・...801.序
近代の超克が叫ばれてから久しくなる。そして多くの近代超克の試みが 提出されているのも事実である。本稿では近代の超克という観点からポー ル・ティリッヒの思想、を検討していきたい。 ティリッヒは近代ヨーロッパ文明のいきづまりをまのあたりにして、そ の超克に生涯の思考をかたむけた人としてとらえることができる。その場 合、ティリッヒの思想の基調を支えているものは第一次大戦の体験であ る。ルネッサンス以後の啓蒙思想、の発展の極限が、いわば第一次大戦に集 約したと考えているのである。その点、第二次大戦の体験に大きく依存し ている例えばサルトルとは対照的である。r
旗を掲げて祝えとは言われて いたものの、人々はそうはしなかったし、大戦は、無関心と慎悩のなかで (1) 終鷲を告げた。」という言葉ではじまるサルトルのあの感激的な論文に対 照して、ティリッヒは第二次大戦の終末を空虚(ヴオイド〉であると冷た く受けとめている。- 6
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ーポーノレ・ティリッヒの資本主義観 ティリッヒは多感な青年期をプロテスタントの従軍牧師として第一次大 戦に参加し、祖国ドイツの敗戦を体験することになった。そして戦後は宗 教社会主義運動に奔走する。不幸にも革命は挫折し、やがてナチズムの撞 頭をむかえる。 1933年の冬、フランクフノレト大学を追われてアメリカへ渡 り、ユニオン、ハーバード等で教授をつとめ、 1965年10月にその生涯を終 (2) えた。 彼の生涯の前半をヨーロッパ文明へのアタッチメントの時期とするなら ば、後半はアメリカから聞をおいてヨーロッパ文明を考察するディタッチ メントの時期と考えることができる。そしてときにアタッチメントの要素 がつよまり、またときにディタッチメントの要素がつよまるという限界状 況に身をおく命運にある人聞のさけられない起伏をへて、結局は、すべて のことがはたらいて彼の壮厳な文明論に結晶するという結果になってい る。かつてシュムベーターは「すべてを理解することは、すべてをゆるす (3) ことである。」という格言で彼の名著をかざったが、ティリッヒのような 多面な総合の才人を描くにもふさわしい格言である。 ティリッヒのとらえた近代ヨーロッパ世界は本質主義(エセシシャリ ズム)の世界であり、ルネッサンスの啓蒙思想を原動力として成立した文 明である。古代末期の社会的混乱を反映して発展した実存の考察は中世に 受けつがれて中世文明を支える基調をなすに至ったが、それに対する反動 も手伝ってノレネッサンス以後、実存を排除した形での分析哲学が急速に発 展をとげる。一方こうした哲学体系が科学技術と結びつく形で偉大な近世 ヨーロッパの本質主義的文明が成立することになった。 ところが本質主義の世界は実存を排除している点で一面的であることを まぬかれず、したがって本質主義の発展は他方で存在の深層からの疎外を もたらすにいたった。これが近世文明に於ける言語や思考の混乱を生み文 明の無意味化をもたらす背景となっている。実存主義の運動はこうした背 景においての本質主義へのプロテストであり、
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世紀革命の様式だと考え- 6
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ーポーJレ・ティ!):ッヒの資本主義鵠 ることができる。 ティリッヒはこうした実存主義の運動を手がかりにして存在の根底への 回帰を考察しようとするのである。イマヌエJレ・カントにとって数学が人 間理性の幸運であるならば、ティ
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ッヒにとって実存主義は存在論の幸運 である。この場合フツサールの現象学はティリッヒにとって、実存的要素 も本質的側面とならんで考察の対象にいれることを可能にしたという、い わば思考の全面性を回復するという意義をもっ。そしてその結果実存と本 質が弁証法的にかかわり合って存在の根底にふれることになる。この点で ティリッヒがとり上げているグルニカは印象的である。 ピカソの名画グルニカはたんなるスペインの田舎のはずれの小さな町の 描写ではないし、あるいはナチズムのもたらした罪過のたんなる一つの記 録でもない。この名画は存在の衝撃を見る人に当えるのである。そこには 実存の悲劇を通して存在の光が垣間みられるのである。ここから一歩すす んでティリッヒの文化の定義が生まれる。彼の定義によれば、文化の内容 は宗教であり、宗教の形態が文化である。つまり、存在の根拠への回帰を 求める実存のあがきが文化を形成する原動力であるa人聞は存在の根拠に 対して究極的な関心をもっ。そして究極的関心は宗教である。究極的関心 の表れる様式が文化である。 こうした存在論的文明論の立場からティリッヒは近代を超克しようとし ている。資本主義、ブルジョア倫理、人格主義、価値論、理想主義、自然 主義はすべて存在の本質の側面の一面化という意味で本質主義として批判 されるのである。以下、ティ!J'Yヒの存在論と資本主義観を中心にティp yヒの思考を検討していきたい。 注 l サルトルシチュアションE 人文書院 43頁 注 2 土居真俊著 「ティリッヒ」日:本基督教団出版部による。 注 3 都留重人著近代経済学の群像 日経新書 196頁一
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ーポール・ティリッヒの資本主義観
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ティリッヒの存在論
(a) 本質主義の発展 これまでみてきたようにティリッヒの思考は、 実存主義を手がかりにしているという意味で実存主義的であり、本質と実 存のかかわりを考察しているという意味では弁証法的であり、存在の根底 への回帰という意味では存在論的である。本稿では存在論的と集約して考 えていきたい。 ティリッヒのヨーロッパ文明理解の中心にあるものは本質と実存のかか わり合いからみちびかれる存在論である。彼の表現にしたがえば「本質と いうものは実存の中にはじめて現実となり得るものであること、そして、 その実存による本質の現出は、一面事物の本質の表現であり、他面、本質 (1) を隠し、歪曲する。」という関係にある。したがってスピノザやヘーゲ、fレ におけるように実存を本質に解消することはできないし、またデューイや サルトルにおけるように本質を実存に解消することもできない。両者のか かわりはいわば弁証法的とでも表現すべきである。 ところがギリシャ以来ヨーロッパの思、考は本質的側面を追求するという 形で発展をとげてきており、特にルネッサンス以後この傾向が急速にすす み、例えばへーゲ、Jレに至って実存は本質の中に解消する。こうした本質思 考の一面的発展をティリッヒは本質主義と名づける。そして実存主義を本 質主義の行きすぎに対する抗議運動として理解する。 本質とはプラトンがイデアとかエイドスと呼んでいるように特殊なもの や個々の存在の内奥にかくされている普遍性、共通性、生命力として考え ることが出来る。本質追求の衝動は、いわば人間とその世界のあるべきも ともとの姿へのあこがれとして理解してよい。こうした衝動ゃあこがれが ギリシャ以来のヨーロッパの言語や概念や哲学や文明形成の原動力になっ てきた。特にノレネッサンス以後の本質主義は実存を排除し本質思考の体系 を完成するにいたった。 - 70ーポーノレ・ティリッヒの資本主義観 その体系をティリツヒはこう説明する。
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その第ーは西洋の学問の発達 で、この学問(サイエシス〉とは、英語でもドイツ語でも、自然科学のみ を意味せず、たとえば、心理学、社会学等を含むすべての学問的探究を意 味します。第二は規範または価値の理論の発展で、人間の道徳生活の原理 を尋ねる倫理学、美的創造の原理を探求する美学などであります。第三の そしてわれわれの問題に関連して最も重要な発達は、西洋において古来、 全体としての実在の構造を究明せんとする哲学体系、すなわち形市上学あ るいは実体論の発展であります。それはやはり本質主義的な方向において 発達したのでありまして、西洋哲学史上の主要な関心はここに存しまし た。その頂点に立っている幾人かの人物をあげますと、まずギリシャ時代 で、早くはソクラテス以前においてはパノレメニデス、その後アリストテレ ス、近世ではデカJレト、へーゲ1レ、ジョン・スチューアート・ミルなどが (2) あります。」 こうして本質主義は西洋の偉大な発展をもたらすと同時に、実存を排除 した結果からおこる限界をも示すことになったのである。実存の諸要素が 本質の普遍的体系に包摂されることによって、宇宙は本質の自己展開の過 程となり、人聞は歴史に於て本質と実存を克服して宇宙の中心に位するこ とになる。こうした思考が産業社会の精神となっていることは容易にうな づけよう。 そこでは、人間の関心と活動は、もっぱら、人間とその世界の組織的分 析とその技術的改善に集中する。宇宙は人間の好みと欲望にもとづいて計 算され、運営される自律体系として完結する。 (b) 実存主義運動実存主義はさまざまのかたちをとるけれども、本 質主義の行きすぎに対するプロテストという点では一致している。本質主 義の発展はヨーロッバの思考様式を形成したという偉大さの反面、人間の 状況を説明するのに不適だという制約をもっ。人聞は他の存在と異なり、 7 1-ポール・ティ
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ヒの資本主義観 実存に於て最も人間的である。サルトルが人間の本質はその実存であると いうのはそのことである。 すべての存在に於て本質と実存の分裂はみられるが、人聞に於てのみこ の分裂は意識にまで高まっている。そして本質主義の行きすぎはその反動 を生む。r
本質主義が優勢である場合には、いつもそれに対する実存主義 的疑問ないし質疑がおこったのであります。そしてその実存主義的疑問 は、人間の苦難にみちる窮境に関する問題として現われるのであります。 すなわち、人間の時間空間的存在としての苦難、人間の有限性と不安、肉 体的精神的な疾患、罪と失望、過誤と愚昧の問題に関するものでありま (3) す。」人聞はこうした実存の自覚をもってこの克服にのり出す。 古典的には、プラトンにおいてはじめて、本質と実存の対立がとりあげ られている。プラトンに於ては本質は永遠であり、真であり、可能性であ り、普である。実存は見せかけの世界であり、悪であり誤謬である。真の 存在は本質的存在であり、実存は本質性の喪失であり、脱落とみなされて いる。したがって「霊魂が永遠の世界から、変化する現実の世界へと堕落 (4) した」という神話で象徴的に語られている。こうした古典的実存主義は古 代末期の文明の行きづまりの表明である。そして現代の実存主義も近世の 行きづまりに対する反動としてとらえることが出来る。r
すなわち古代の 終り新プラトン学派において、また初期のキリスト教において、実存主義 的な要素が支配的なカをもっておりました。またその傾向は中世に持ち込 まれ、全中世を通じて力を持ちつつけました。しかし文芸復興以後本質主 義が優勢となりました。ですから逆説的な言い方をすれば、アジアとか中 世ヨーロッパに於て実存主義が現われなかったのは、本質主義的要素がさ して強くなかったから、それにプロテストし反作用する必要がなかったか ら、とも言えるのであります。ルネッサンスに於て事態は一変し、本質論 的なものの考え方が表面に現われて、それが支配的となり、したがってそ れに対するプロデストとして実存主義が現われてきたと言えるのでありま -72-ポーJレ・ティリッヒの資本主義観 (5) す。」 ティリッヒにとって実存主義は産業社会の枠内での産業社会へのプロテ ストとして理解されている。すべての現代実存主義が反抗するのは本質主 義とそれにもとづく合理主義的な産業社会である。それは個人的自由、個 人的決断、有機的共同体の破壊をもたらす自然主義的機構への反抗であ る。生命の活力をよわめ人間自身をふくめたすべての存在を計算と管理の 対象と化するブルジョア的分析哲学への抗議であり、人間と世界を実存の 創造的源泉と究極の神秘から切り離した世俗的ヒューマニズムへの革命の 20世紀的様式である。そしてこの運動が現代の哲学を豊かな、実りあるも のに導いたのである。 彼はいう。全ヨーロッパの実哲哲学者の自己疎外に対する必死の抵抗に よって、 「しばしば彼らは、精神的に自滅したこともあった。また彼らの 言葉は、非常に攻撃的、激情的、逆説的、断片的、革命的、預言者的、そ してエクスタテックになった。しかしこのことが
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近代社会の社会学的構 造や近代人の心理学的ダイナミックスに関して、また生の創造力と自発性 に関して、さらにまた宗教の逆説性と認識の『実存的』根源に関して、根 本的に調察させたのである。哲学が人間の実存の自己解釈とすると、彼ら は哲学を非常に豊かにしたことになる。彼らは、 20世紀のヨーロッバの革 (6) 命のための知的道具と精神的象徴とを生み出したのである。」 (C) ティリッヒの文明論実存主義は本質主義へのプロテストである という意味では、本質主義の世界から排除された実在のもうーつの層を回 復するという役割をはたしたことになる。その意味では人間の全面性の回 復であり、存在の深層の回復であるといえる。しかしながら実存の層は、 プロテスト、激情、断片的でしかあり得ず普遍化や概念化が不可能であ る。実存は本質との弁証法的なかかわりとしてしか示すことが出来ないか らである。- 7
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ーポール・ティリッヒの資本主義観 現代における言語の混乱は本質主義の世界に於ける実存の排除から来る 人間の次元、意味の次元、深層の次元、存在の次元の喪失によってもたら されたと考えることが出来る。記号論理学や論理実証主義はこうした言語 のみだれに対する反発であるが、言語のみだれを整理するに当って実存を 排除してしまっている。これでは問題の解決にならない。 もともと言語というのはある特定集団が出合う世界との聞の特定の出合 いの結果であり、したがって実在を指し示し、出合った実在の本質を把え ようとしているのである。あらゆる言語は実在や人生の見方、世界や自己 の解釈や表現をふくんでいる。そこから哲学や科学や倫理や芸術へと発展 しているし、又技術的に文明を形成していくことにもつながっている。言 語の混乱は思考の混乱であり、文明の行きづまりであり、本質主義の困難 の表われである。 本質と実存の弁証法的かかわり合いを通して存在の深層を体験するので あるが、この体験または参与は象徴的、神話的にしか語りえない。例えば プラトンにおける、霊魂が永遠の世界から現世へ堕落したという物語りの ように。詩、音楽、絵画、そして一般に芸術は言語にくらべて実在のレベ ルの開示に於てすぐれている。
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象徴の意味に立ち入ろうとすればするほ ど、実在のレベJレを開示することが芸術の機能であることに気づくように なる。詩、視覚芸術、音楽においては、他の方法では聞かれることのない 実在のレベノレが開始されている。これを芸術の機能とすれば、間違いなく (7) 芸術的創造には象徴的性格があることになるのだ。」 こうして、言語、理性、文化、そして一般にすべての存在は存在論的象 徴へのかかわり合いの観点から理解され、意義づけられ、評価されること になる。したがって存在はすべて本質と実存の両義性の制約をまぬがれな い。ティリッヒに於ける象徴主義は自己批判や文明批判の原則であり、人 格主義や価値論の否定であり、永遠の文化革命の指向であるといえる。 74-ポーJレ・ティリyヒの資本主義観 93頁 148-9頁 岩波書庖 新教出版社 変木八尺編訳文化と宗教 前掲害 91頁 同 93頁 同 4頁 同 95頁 ティリッヒ著文化の神学 同 84頁 1 -内 , a
弓 。
5 6 7 4 注 注 注 注 注 注 注リッヒの資本主義観
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アィ ヨーロッパ近代文明の行きづまりを解明 ティリッヒの思考の焦点は、 その超克は存在論 その超克の方向を提示することにあった。そして、 し、 ヨーロッバの近代が本質主義の発展とその行きづまり 的な方向をとった。 またはその行 きづまりの表明が実存主義だと理解されている。そして本質と実存の弁証 法的なかかわりあいの考察をとおして存在論的文明論という形での新しい ヨーロッパ文明の方向を提示しているのである。彼の文明の定義は「文化 の内容は宗教であり、文化は宗教の表現(エクスプレッシヨン〉である」 という表現でまとめられている。そして彼にとっての宗教とは・人間の抱く 究極的関心であり、究極的関心は自己の存在の根拠への関心以外ではあり えないと考えている。彼の思考はすべて彼の存在論的立場にたってなされ としてとらえられた。そしてその行きづまりに対する反抗、 ている。 文明は知何に存在とかかわりあい、如何に存在を表明し、如何に存在の 力をまげているだろうか。哲学や科学や芸術はどうだろうか。人間や歴史 や社会の存在とのかかわりはどうだろうか。そしてこうした考察にあたっ てのティリッヒの導きの糸は「実存は、一面本質を表現し、.他面本質を歪 曲する。」という彼の存在論的認識論であった。 - 75ーポーJレ・ティリッヒの資本主義観 ティリッヒが資本主義や社会主義を考察する場合のフレームも、彼の存 在論の立場である。究極的関心という観点から資本主義を解明しようとし ているのである。そしてその特質をブルジヨア原則とか資本主義の精神と いう言葉で表現している。資本主義社会に於ては人間や自然や社会は、本 質主義的な方向で理解されている。本質主義が体系的に完結したのがブル ジヨア原則である。したがって資本主義の社会では人間の認識機能は実在 の本質的側面にのみ集中してしまっている。これは一面では合理主義とい う形で、資本主義の物質的繁栄をもたらすことになった。反面では認識活 動を本質側面に一面的に限定する結果、実存が排除される結果を生んだ。 ところが実在が本質と実存の両面にかかわる以上、本質思考への限定は存 在の根底からの遊離を生む。こうして資本主義は存在論的な意味を失って しまっている。資本主義は人聞を確立し、社会を確立した。しかしながら 確立じた世界は、本質主義的な自:律体系にすぎず、全面性と究極的意味に カミける。 ティリッヒが社会主義を語るときに考えていることは、こうした本質主 義的資本主義の超克としての社会主義である。すでにのべたように、ティ リッヒの思考は第一次大戦前後の彼の体験にもとづいて構成されている。 西欧の没落といわれているのは実は西欧の没落ではなく、資本主義の没落 である、と彼は考える。したがって社会主義という形で西欧の再興をはか ろうと考えるのである。彼にとって社会主義とは人生の聞いに対する意味 が回復される場であり、人間の実存への配慮がなされることであり、自律 文化が究極的意味をとりもどすことである。資本主義から社会主義への移 行の時期が第一次大戦によってもたらされたと彼は感じとったのである。 それが「カイロス」という彼の言葉によって表面されている。彼は第一次 大戦から帰って宗教社会主義運動に奔走するのであるがその運動を支える シンボルが、資本主義、カイロス、社会主義等であった。 ティリッヒの考える資本主義は経済組織というよりも、経請もそのなか - 76ー
ポーJレ・ティリッヒの資本主義観 にふくめた資本主義文明である。この文明を支えている人間の関心が人間 と有限な世界の自律化に集中していることである。したがってこの文明の 追求する目標は人間と自然をふくむ世界の人聞による制御を確立すること にある。この文明の代表的産物は自然科学、技術、及び資本主義経済であ る。科学は技術に仕えることによってその成果を発搬し、技術は経済に奉 仕することによって経済の発展を支えている。この三重(トリニイテイ〉 の活動は重なって資本主義を確立し、そして資本主義の確立によってそれ 自身をつよめていく。やがて哲学は人間と自然の分析を佳務とする科学を 支える論理と方法の整理にあたる分析哲学に変わる。形市上学は原子と力 学の法則を確認する自然主義に落ちつく。 こうした技術的理性に支えられた自律文化への反動は実存主義運動以前 にもすでに表われている。例えば十九世紀はアイデアリズム、ロマンチシ ズムという形での自然主義と啓蒙主義へのプロテストで始まったのであ る。ロシアにおいては東方キリスト教独特の神秘主義に支えられて、西欧 文明への軽蔑とその救いの使命感の意識が形成されていたのであり、今日 に至る迄資本主義の精神?の反抗の源泉であった。しかしながら自然科学 と技術と資本主義経済の三位一体に支えられた資本主義の精神はこれらの 反対運動を圧とうして勝利を示したのである。ニーチエ、ストリンドペリ ー、ゴッホはそれぞれ哲学者、詩人、絵画家としての反対運動の指導者違 である。そして周知の通り三者とも反対運動の中で精神分裂におちいった (1) ということは知何に資本主義文明が強固であったかを示す象徴である。 近代の精神は中世の権位からの人聞の解放と物質的束縛からの自由を求 めて始まった。それは極端に人間中心的な自律的なタイプの存在様式であ った。数理科学に於ては、その追求する目標は実在がそれ自身の法則によ って全面的に展開されていること、そしてその法則は理性によって確めう るこ乞にあった。技術に於ては、時間と空間と自然を征服して人間の為の よき住いをそなえることにあった。そして経済に於ては最大多数に最大の
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77ーポーIレ・ティリッヒの資本主義観 経済財をもたらすことにあった。これらを支える原動力は神聖な人格の確 認と、人間の価値と権利の信仰にあったのである。資本主義社会の発展と 優越性はこうした価値をふくんでいたことにあった。実在がそれ自身の法 則によって展開されるという合理主義的方法は古典経済学に於ては経済活 動がそれ自身の法則で自律的に解明できるという形をとる。自由市場、需 給による生産の調整、利潤追求と資本蓄積の無限の可能性、といった形で 自律的な経済活動が実現されると説かれる。 しかし自由市場に於ては物質的側面の追求が支配的となり、共同体の精 神が失われていった。そして物的な富は人間生活を高めるというよりも利 潤追求の手段へと変っていった。財と人間との一体感が失われ、あくなき 財の追求に変っていった。過去に於げる財に対する人間の態度は崇高なも のであり、所有に対する感謝と敬度の念をともなっていた。資本主義前の 社会では人間と財の関係には超越的な側面がみられた。財や財産は、神の 与えた世界における人間の参与の象徴であった。これに反して、商品には ころした象徴的側面をかき、たんに効用的、機能的な意義しかもたなくな る。資本主義のもたらした物質観の変革の意義は一方では、それ自身に於 て永遠で神聖だとされてきた財から人聞を解放したことにあった。神聖化 された財から人聞を解放し人格をすべての財より尊いとする位置に高める 効果をもたらした。他方では、あくなき物質と効用の追求に、解放された 人格をかりたてることによって人格を有限の世界にとじこめてしまう結果 をもたらしたのである。それ自身意味をもたなくなった物質は満足を人聞 にもたらさない。それは動物的生存からの人間解放である反面、同時に終 りなく増加する無限の欲望充足えと人間活動を強いる。経済活動が他の人 間的活動のすべてに優先することになる。生涯の時聞が経済の追求の為に さかれ、その他の目的の為の時聞は失われる。それ自身としての意味をも たない財の追求の為の時間というのが資本主義的時間の本質である。有限 のあくなきサークノレにかりたてられ、とじこめられてしまうのが資本主義 -
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:;.rヒの資本主義観 (宮} 的人生である。 こうした資本主義文明の個人にもたらす意義よりも、もっと重要な側面 はそのおよぽす社会的結果である。資本主義は制度として経詩的利害の追 求という形での競争を承認する。競争によって支えられている特殊な体制 である。そのもたらす結果は究極的には階級分裂という形をとらざるをえ なくなる。階級は経済側面が基礎であるにしても人間的社会的側面もすべ て全面的に包摂することになる。特に労働者階級では各人は原子化され人 間的質を失った個人の集合として再編成されている。大衆とはまさにその 生きる意義をはぎとられ、有限な目的のみにしばられ、自然の法則に従属 させられている人々の集合である。 資本主義を超克する運動としてはじまった社会主義も結局は資本主義の 精神によってとらえられてしまった。r
もし、資本主義の精神が自分自身 の中に安住する有限性の精神であるならば、この精神に対抗するものは当 然有限の領域を突破するものでなければならない。 H ・H ・社会主義の究極的 基礎のうちには、宗教的終末観の要素があった。しかし、資本主義精神が 自分に向けられた諸運動のうちの最強のものを内から征服したことは、資 本主義精神の恐らく・最大の勝利であった。社会主義が、その深い所で持っ ているところの超越的目的は、その目的を事実上この世で実現する時に は、有限的な時間的なものとされる。すべての時間の否定である所の永遠 なるものが実現さるべき場所は、時間のうちの未来の一点として置かれ る。この内的矛盾の必然的結果は、社会主義が幻滅を感じて妥協を始め、 (3) 進歩の教義を採り入れ、その気質において資本主義となることであった。」 注1
ティリッヒ著現代の宗教的状況YMCA
出版部l
項 注 2 同 番 目 頁 以 下 注 3 同 書 13頁 n g司 '
:¥ポーIレ・ティリッヒの資本主義観
生 . 結 び
資本主義文明の超克としてティリッヒが考えているのは宗教社会主義で ある。宗教社会主義というのはティリッヒにとっては一つの運動のプログ ラムや制度の青写真というよりも、一つの象徴である。文明の内容は宗教 であり、宗教の表現様式が文明であるという彼の文明論を前提にしている のであるから、宗教社会主義というのはエクスタテックな要素をもってい る。自己超越的な自律文化が彼の宗教社会主義である。 ティリッヒの文明論は存在論的な文明論であった。第一次大戦で終末を むかえた近代文明の基調である資本主義は、本質主義に徹することによっ て次第に存在の根底とのかかわりをなくし、無味化することになった。資 本主義文明を超克する方向を存在論的に構成しようと努めた。 彼の存在論的文明論は同世代の神学者(例えばバルト、ニーパー、ブ、Jレ ンナー〉にとってさえ抵抗を覚えるものであった。また宗教社会主義運動 も失敗に終った。そして今日の文明論も形市上学のない文明の考察へと傾 いているように思われる。形市上学的文明はヨーロッパ史における偶然の 幸運にすぎなかったのだろうか。そして再び形而上学的に文明を統一する ことは、ヨーロッパについては不可能というべきだろうか。 臼) アジアの宗教は存在論的であるといわれている。そしてアジアにおいて は近代ヨーロッパにおけるような本質と実存の分裂もいまだ経験されてい ない。実存哲学や深層心理学のほりおこした人間の状況の行きづまりやみ にくさにはまだ到達していない。無垢の状態ではないにしても存在論的文 明論を考察するには処女地にちかい状態にあるといえるかもしれない。テ ィリッヒはヨーロッパ近代を自律文化の完結としてとらえ、自律文化が自 己を超越するという形で近代を超克する姿を描いている。自己超越は自己 批判の原則でもあり、文明の永続革命の原則でもあるといえる。アジアに - 80ーポーノレ・ティリッヒの資本主義観 おいては未だ超克の対象としての自律文化さえ完結していない。しかしテ イリツヒの思考は何らかのアナロジーを、アジアの現代化に対しでも示し うるのではなかろうか。 注 1 ティリッヒ箸 キリスト教徒・仏教徒対話 桜楓社刊において仏教の考 察がなされている。 -