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@ @アメリカのコーポレート・ガヴァナンス論ぼ再論︵下︑その二・完︶
︑ ーおよび﹁日本的経営﹂の法と経済学
へ はじめに
第一章紹介︵以上︑三九巻二号=七頁︶ ︑
第二章 ﹁日本的経営﹂の経済学︵以上︑四〇巻一号一七九頁︶ ︑
第三章経営史および企業統治論・小史︵以上︑四四巻二号一︑四五頁︶− ︒ .
第四章 コーポレート・ガヴァナンス論が法律学に示唆するもの︵本号︶
第一節 論点の抽出と整理
1 これまでの議論の整理
2 エンフォースメントや規範意識への着眼 ︑︐ ︑ −
3 アジェンダ
ー第二節日本的経営について
アメリカのコーポレート.ガヴァナンス論・再論︵下 その二・完︶ ︵都法四十五−一︶︑ 九九 ︑
一〇〇
1 株主所有モデルの変遷 −
2 柔軟な﹁容れ物﹂としての株式会社 ︑
3 日本の現状と課題
第三節 見通し
1 序
2 委員会等設置会社のインパクト・監査役設置会社の今後
3 ﹁企業の社会的責任﹂の周辺
−物言う大株主・ステークホルダー・社会との共生・国際化など
4 小括
第四節 いちおうの結語
補遺 第四章 コーポレート・ガヴァナンス論が法律学に示唆するもの
第一節論点の抽出と整理
−別稿︑および本稿第一章︑第三章第二・三節の示唆 ︑ ︵1︶ 本稿の前編である拙稿﹁アメリカのコーポレート・ガバナンス論︹上︺︹下︺﹂︵以下では︑﹁別稿﹂と呼ぶ︶と︑本 ︵2︶ 稿﹁アメリカのコーポレート・ガヴァナンス論・再論︵上︶︵中︶︵下 その一︶﹂︵以下では︑﹁本稿﹂と呼ぶ︶のう
ち︑日本を直接の対象とする本稿︵中︶︑︵下 その一︶第一節を除く部分について︑そこで紹介したさまざまな議論
をここで整理して︑論点の抽出を行う︵議論の展開というよりも︑これまで紹介した議論へのレファレンスに近い︶︒ ﹁
︑ 1 これまでの議論の整理 ・ ︑
︵1︶企業の付加価値を生み出すのは︑人間の知力・労働力である︵お金が自動的に利潤を生み出すわけではない︶︒
株式会社という出資者の利益の最大化を目的とする︵と考えられている︶制度において︑経営者・労働者の知力・労
働力をいかに引き出すかは難問である︒別稿︵上︶のギルソンーーローの論稿では︑法律によらず運用によって従業員
に対する人的資本投資を促進した日本のやり方が歴史的な角度から分析された︒本稿︵上︶のピストールの論稿で
− は︑法律上の制度として資本と労働の調停を図ろうとするドイツの共同決定制度の形成の歴史をたどりつつ︑それが
結果的には経営者に対する規律を弛緩させているのではないかという疑問が示された︒また本稿︵上︶のゴードンの
論稿では︑ユナイテッド航空の例を紹介しながら︑従業員持株制度を通じて株式会社制度の枠内で労働と資本の利益
を調整することの可能性が論じられた︒なお︑同航空はその後二〇〇二年九月に経営危機が表面化し︑同年一二月九
日に連邦倒産法第=章手続き︵会社更生︶の申し立てを行っているが︑アメリカにおいてもベンチャー企業や大手
の老舗企業の一部には︑従業員を家族のように扱う経営スタイルで業績を伸ばす企業も少なくないことは︑経済紙等
でしばしば報道されているところである︒
この︑資本・労働間の協調および緊張を分かりやすい形で示しているのがベンチャー企業である︒別稿︵上︶のブ
ラック‖ギルソン論稿では︑シリコン・ヴァレーにおけるベンチャー・ビジネスが︑技術力を持つ起業家と︑モニタ
リング能力を持つ資本家の間の︑利益分配と権限分配に関する複雑な契約︵種類株式に関する定めを含む︶により推
進されているという側面と︑それを取り巻く株式公開︵IPO︶市場という環境要因とが︑必要条件として示された︒
アメリカのコーポレート.・ガヴァナンス論・再論︵下 その二・完︶ ︵都法四十五ー一︶ 一〇一
一〇二
また︑本稿︵上︶のハイド論稿では︑シリコン・ヴァレーにおける環境要因どして流動的な労働市場に加えて︑技術
者の発明・知識は企業にではなく技術者に帰属するという法・文化が存在し︑技術者が企業間を渡り歩くことが産業
集積地の全体の技術水準の上昇につながっていることが論じられた︒
︑︵2︶別稿︵下︶のボートーーメイシー論稿のいうように︑公開企業における経営者監視においては︑監視者は︑被監
視者︵経営者︶に近いとバイアスが働き︵心理的に取り込まれ︶︑遠すぎると情報を得られないというジレンマがあ
る︒同論稿は︑前者の例としてオランダを︑後者の例としてアメリカを挙げて︑二つのモデルの間のトレード・オフ
を論じている︒
取締役会︵一般的に﹁ボード﹂︶に社外者を入れることにより︑両者のバランスを取る︑すなわち経営者からの距
離を保ちつつ︑情報へのアクセスを強化して監視の実効性を図る︑というのがアメリカにおける最近のやり方であ
り︑世界的にも普及しつつあるパラダイムである︒この点に関連して︑別稿︵上︶のバガート‖ブラック論稿やクラ
イン論稿は︑アメリカのボード構成は︑法律による強制ではなく︑自主的に採用されたものであり︑社外取締役比率
と会社の収益性の間には有意な関係は見られないことを統計的に示している︒
日本の会社経営者の多くは︑社外者の導入に懐疑的である︒社内のことが分からない人間が監視機能を果たせるわ
けがないという議論はそれなりに正論である︒アメリカの優良企業では︑取締役会は︑その直前の社外取締役に対す
る社内者からの事業・戦略の説明を含めてかなりの時間を投入して行われ︑社外取締役に対する情報提供も︑社外取
締役から社内者に対する情報請求も︑かなりの質量に及ぶ︒ある社外取締役経験者は﹁会議の一時間のために十時間 ︵3︶ の準備が必要﹂だと語っている︒先述した︑独立性ど情報のトレード・オフは︑社外者に情報を備えさせることによっ
で乗り越えられようとしている︒法律で社外取締役の設置を強制することは可能だが︑社外取締役が本当に機能する
ためには︑それを取り巻く法律外の諸要素が必要である︒
︵1︶ 商事法務一五〇五号六一頁︑三︐五〇六号二一︑頁︵一九九八年︶︒
︵2︶︐東京都立大学法学会雑誌三九巻二号=七頁︑四〇巻一号一七九頁︵一九九九年︶︑四四巻二号一四五頁︵二〇〇四年︶︒
︵3︶ 以上は︑日本エネルギー経済研究所理事長であり︑現在アメリカのデュ・ボン社の社外取締役を務める内藤正久氏のインタ白
ビュー︵日本経済新聞二〇〇四年三月一七日水曜夕刊五面﹁ガバナンス最前線﹂Yを参考としている︒
2 エンフォースメントや規範意識への着眼
︵1︶世界の企業統治は一︑つの型︵壮アメリカ型︶に収敏するのか? この問題は好んで論じられるが︵本稿︵上︶
のラムザイヤー論稿およびベブチャックーーロロ論稿を参照︶︑それが少なくない混乱を招きがちであるのは︑企業統
治を外形の型︵たとえば︑証券市場型ガバナンス制度と銀行中心のガバナンス制度との対比など︶として捉えるの
か︑それとも機能に即して捉えるのか︑すなわち﹁コーポレート・ガヴァナンス﹂という語法が論者により異なるた
︵4︶ めである︒収敏論争そのものよりも︑そこでの着眼点がより有益であることも︐ある︒ここでは︑そのような着眼点と
してエンフォースメントの問題と社会規範の問題を取り上げて簡単に要約する︒・
別稿︵上︶のミルハウプト論稿は︑紙に書かれた法ルールに加えてそれをエシフォースする仕組みを含めた広義の
制度を指すものどして︑胃o廿Φ詳尾葺宮という語を用いている︒日本の法律家にとってエンフォースメントは死角に ︵5︶︑ なりやすい論点である︒この問題は︑移行経済をめぐる問題や法制度と経済成長の相関関係においても重要なテーマ
である︵本稿︵下の一︶の一七六〜一七九頁︶︒ ﹂ ︑
アメリカのコーポレート・ガヴァナンス論・再論︵下 その二・完︶ ・︵都法四十五ー一︶ 一〇三
一〇四
このほかにも︑ここまでの別稿・本稿の連載においては取り上げられていないが重要なテーマとして︑文化的側面
︵人々の有する規範意識︶の問題も挙げるべきである︒やはりカーティス・ミルハウプトは︑日本の経営文化が︑西
欧流の経営スタイルを採用することの障壁になっている例をいくつか挙げて︑経営者を始めとする会社関係者の行動
には︑経済的動機だけでなく法律以外の規範が及ぼす影響も大きく︑コーポレート・ガヴァナンスの議論においてこ ︵6︶ のことが欠くべからざる要素であることを主張している︒ ︵7︶ この︵社会︶規範の問題は︑最近のアメリカ会社法学界で少し流行しているテーマでもある︒実は︑正直に述べる
と︑本稿の中編を執筆していた頃の筆者は︑規範意識・文化のありようは︑多くの場合には経済分析に還元すること
が可能であり︑これを独立して検討対象とすることには消極的であった︒﹁文化﹂は︑しばしば厳密な意味では検証
不可能であったり︑多くの場合に同語反復的であったり︑そしてなによりも︑宿命論や精神論に堕し易いという欠陥
を持っていると考えたからである︒
しかし︑仮に規範が経済分析に還元することが可能であっても︑還元を行わず規範のままとして扱うことが有益な
場合もあるのではないか︑と感じるに至った︵下その一 一九一頁以下︶︒企業経営のやり方・人的資源の組織原理
は︑それが単に外部の経済環境との兼ね合いで決定されるのであれば︑後者の変化に応じて前者も変化していくであ
ろう︒しかし︑一定の経営・組織が規範として当事者に共有され内面化されると︑多人数の組織を一定の方針に沿っ
て効率的に運営することが可能となる反面︑規範が当初有していた経済合理性が経済環境の変化によって失われたあ ︵8︶ とにも規範のみが継続し︑必要な変革を妨げる要因となりうる︒一九九〇年台の日本経済の低迷はこの要因によって
説明される部分が大きいのではないか︵下その一 一七〇〜一七一頁︶︒また︑日本企業に特徴的な不祥事も規範意
識に着眼することで分析しやすくなる︒三菱ふそうトラック・バス株式会社の宇佐美隆・前会長︵二〇〇一年に同社
■
の前身である三菱自動車の副社長兼トラック・バスカンパニー社長に就任︶は︑新聞報道によると同社製品の欠陥に つき監督官庁への虚偽の報告を部下に指示したどいうが︑それが真実であれば︑わが国における不祥事は経営トップ が法令遵守や企業の収益性よりも﹁会社の名前に泥を塗らない﹂ために問題を隠蔽することをよしとする規範意識を ︑ . 持っていることによるものといえる︵アメリカのように﹁会社を犠牲にして懐を肥やす﹂タイプの不祥事はわが国で は比較的まれである︶︒このようなタイプの不祥事を﹁利益のために法律を破る﹂と表現して非難することは︑いさ さか的外れであるといえよう︒法ルールについていえば︑商法改正によって直ちに日本的経営を改善することは困難゜ − であるとともに︵先の例のように︑トップが法を破る意思を固めると︑刑事罰則ですら十分には機能しない︶︑経営 者の規範意識に働きかけるためにどのような法ルールによることが適切かという観点からの問題の立て方が可能で
︵9︶ あり︑将来性のある課題であるともいえる︒
さらに社会規範が問題発見を助けると思われる二つの例を挙げる︒
︵2︶第一は︑﹁会社は株主のものである﹂﹁株式会社は出資者の利益の最大化を目的とする制度である﹂という命題
についてである︒このような命題も︑実は一種の文化・規範ではないか︒一般の市民が﹁会社は株主のものである﹂
と素朴に信じている社会は︑世界中でもおそらくアメリカ・イギリスなどごく少数の国に限られるのではないだろう
か︒そしてそのような素朴な信念が︑経済学者や法学者の議論の中にも︑無意識のうちに刷り込まれているのではな
いか︒別稿︵下︶のブレアHスタウト論稿は︑たしかに会社法の諸ルールは株主主権モデルによる説明になじみやす゜
いが︑取締役会に多元的な利害調整を行わせることを許容する理論モデル︵仲裁ヒエラルヒー・モデル︶にょって理
解することも可能であることを示すことで︑アメリカの学界の暗黙の前提に疑義を提示した︒そして︑近年その主張 ︵10︶ はある程度のインパクトをアメリカの学界に与えている︒この問題についての私見は第三節3︵4︶で述べることに
アメリカのコーポレート・ガヴァナンス論・再論︵下 その二・完︶ ︵都法四十五ー一︶ 一〇五
■
一〇六
したい︒ 第二に︑期待される経営者像についても︑各国ごとの文化的バイアスが存在する︒たとえば︑委員会等設置会社の
モデルとなったアメリカのガヴァナンス実務や証券市場による企業金融は︑いずれも強いリーダーで対外的な説明能
力に優れた経営者像を重要な構成要素としている︵わが国の経営者の多くが対外的な説明能力に劣っていることと比
較すれば︑両者は両極に位置するようにも見える︶︒最近のある実証研究によると︑アメリカ企業におけるCEOの
選出には文化的要因が強く作用しており︑近時においては︑アナリストやメディアに強い印象を与えるという点が重
視され︑当該企業で必要とされるであろう経験や実績に照らすと不十分な人物が選ばれているという傾向があると
︵11︶
いう︒今後の議論においては︑一般論として経営者増に関する社会規範の偏向を認識した上で︑暗黙に特定の経営者
像を前提とすることなく︑中立的に国際比較を進めていく必要がある︒
︵4︶ 参照︑國oづ巴O>sO旨o見..90ひ9泣ふ800§o§討OoeΦ§☆§Q6§竃己§○Φミ昌ミ↑ミき§§§㍉.お≧∈﹄°Oo肖゜﹃ωNΦ
︵b⊃OO一︶°
︵5︶ 紙に書かれた法律そのものの比較が決して無意味というわけではなく︑時には大変興味深い結果を明らかにする場合もあ
る︒その一例として︑窯胃×一︺≦Φc︒戸..§Φ︑§Nミ8bさQぶ§$900這o§電卜9S臼き§§Φ§足§言↓§S⇔§句︑d§§−
∀§逼☆さ良ミQ§告Φ亀句§討句s..一㎝Oご◆勺﹀°い゜國国<°O心⊃べ︵boOO﹂︶° ︵6︶9曇㌔゜§①§..O§§Qき§b§§§§・§薯︒§註§ミき〒卜3臼;§貯吻§§g§鵠○°這゜§QO°9§−
§8Q㌔︑置Φd°勺﹀°↑念国eりざトoOo◎ω︵トoOO一︶° ︵7︶ たとえば︑ペンシルバニア・ローレビューの二〇〇一年六月号は︑﹁規範と会社法﹂というシンポジウムの模様を掲載し
ている︒もっとも︑懐疑的な見解もある︒呂曽8一民芦騨豆..壽卜⇔§§乱防信さS§§Φミき§拐さsOo這o§討OoeΦ§臼§♪.︒
忘⑩⊂°弓﹀°↑°國国く二︒︒Oqっは次のように論じている︒ストック・オプションが用いられず︑敵対的買収が稀であった時代にお
いては︑経営者に強力なインセンティブを与える仕組みが欠如していたために︑規範が経営者に与える効果が強かったであ
ノ
ろう︒しかし︑現代はそうではない℃法的強制力のない規範が効果を持つのは小規模の︑同質的な集団においてであるが︑
.︑アメリカの経営者たちはそれには該当しない︑・よって︑現代のアメリカ企業に関する限り︑規範が重要性を持つとはいえな い︑と︒
︵8︶︐︑この問題をゲーム理論の枠組みで一般的に論じたものとして︑参照︑青木昌彦﹃経済システムの進化と多元性﹄七〇〜九
三頁二九九五年 東洋経済新報社︶︒
・︵9︶ 大杉謙一﹁取締役・監査役の責任と︑・その軽減−監査役によるリスク管理体制の監視とアクティブ・ボードの推進﹂法
・律時報七四巻一〇号二五頁︵二〇〇二年︶︑同﹁企業倫理−柏木教授の報告へのコメント﹂NBL七六三号一八頁︵二〇
〇三年︶︒ ︑ ︐ ﹁ ・
︵10︶ブレアーースタウトの議論を︑その後の議論やアメリカの学界での受け止め方を含めて詳しく紹介したものに︑伊藤壽英﹁ア
メリカ会社法学におけるチーム生産アプローチ﹂法学新報︵中央大学︶=○巻三11四号七五頁︵二〇〇三年︶︑がある︒ 取締役を株主の代理人と見るエージェンシーモデルに対して︑取締役会を出資者と労働者の仲裁者と見るブレアーースタウ
トの議論は︑直感的には︵おそらく本国においてよりも︶日本で受け入れられやすいものである︒それゆえに︑安易にこの
︑議論に依存することは︑日本企業の抱える問題から目を背けさせ理論へと逃避する危険なしとしない︒・いわゆる﹁グランド・
セオリー﹂は︑問題の一義的解決を図るためではなく︑問題の分析や発見のために意味を持つ︒かつての社員権論争を見直 ︐ す︵参照︑上村達男﹃会社法改革﹄五〇〜五四頁︹二〇〇二年岩波書店︺︶際にも︑このような観点からの見直しである
べきだろう︒以上につぎ︑伊藤・前掲︑とりわけ九八頁以下︑一=二頁注87から示唆を得た︒
︵11︶冨︒︒頃蚕⊂竃♪︒︒国克o田zo♂知﹀Oo弔o戸弓国Q力﹀≦o自d□臣胃田弓8z巴ρ臣゜︒弓司80巨窃ξ20国○°︒︵㊥日88づ⊂己くΦ邑百
㊦8°︒°︒心︒OOト︒︶.なお同書はさらに︑アメリカのCEO選抜においてカリスマ性が過剰に重視される結果︑候補者の候補者層が 薄くなり︑CEO報酬の高額化の原因となっているとと.もに︑世間のCEOへの期待を不用意に高めCEOの頻繁な交替を
招き︑企業経営の持続性・長期的戦略が犠牲になっていると論じる︒
︑ 3 アジエツダ ︐ ︐ − パ ﹁.
以上の論点・争点を大掴みにして︑論じられるべき議題を単純化して示ぜば次のようになろう︒コーポレート・ガ
︑ヴァナンスの問題は︑議論の対象を最も広く取れば︑①アメリヵ型の経済システムと②大陸型の経済システムの対
アメリカのコーポレート・ーガヴァナンス論・再論︵下 その二・完︶ ︵都法四十五−一︶ 一〇七
、
一〇八
比・優劣の問題︑および③欧米型の社会システムと④非西欧︵北アジア︶型の社会システムの異同︑ということがで
きる︒
①の構成要素として︑具体的には︑証券市場中心の企業金融︑会社法は株主利益最大化のみを目的とすること︑そ
の手法としては事後的救済に力点を置くこと︑補完的な要素としては流動的な労働市場や活発な敵対的企業買収など
が挙げられる︒②の構成要素には︑銀行中心の企業金融︑従業員利益を会社法の目的に取り込むこと︑また規制手法
としては事前規制ルールに力点があること︑補完的要素として労働者の雇用保障︑長期的取引関係などが挙げられ
る︒これらの①②の個々のパーツは︑他のパーツと分離して︑たとえば①と②の中間形態︵ハイブリッド︶を創出す
ることが可能であるのか︑それともパーツ相互間の補完性が強いため︑①②は単なるモデルにとどまらず︑対立し︑
その優劣を競う関係にあるのか︒この点は明らかではない︵下その一 一七七〜一八一頁を参照︶︒
①②の対比において︑会社法は事後的救済と事前規制のいずれに力点を置くかという問題があり︑法ルールのエン
フォースメントにおいて前者は司法システム︵裁判所・弁護士等︶︑後者は商業登記所・司法書士・社会規範などへ ︵12︶ の依存が強いということになる︒しかし︑③④の対比においては︑ルールのエンフォースメント︑法の平等・公平な
適用への希求が小さく︑そのための制度的前提も弱い非西欧諸国において︑①と②の対比がどのような意味を持ち︑
どのように輸入されることになるのか︑という一層複雑な問題が提示されることになる︒この︑①②の対比と③④の
対比は︑﹁法律の役割と限界﹂と要約することができる︒
けっきょく︑法律家にとってコーポレート・ガヴァナンスを論じるには︑非法律的な要素についての知見獲得と︑
そこでの問題と法律のレレヴァンシーの探究の︑二つの作業が求められていることになる︒法律外の要素を度外視し
て︑眼前の法理論を所与の前提として展開される議論は︑わざわざ﹁コーポレート・ガヴァナンス﹂を論じることの
〆
意義を半減するように思われるのである︒
︵12︶ わが国でこの問題に取り組む論稿として︑例えば野田博﹁コーポレート・ガバナンスにおける法の役割−英米会社法を中
心として﹂︵柴田和史‖野田博﹃会社法の現代的課題﹄五九頁︵二〇〇四年 法政大学出版局︶がある︒最近の比較法的・機
能的研究として︑勾巴者男卑1石きいOパ≦国︒︒冒z田=巨︒︒﹂⁝O国§o国男口oξ¢・︐﹄・=o勺ヨ日自日套o>≧o国o宅駕o
C︒・印oo凶弓臣ど﹀弓o日o司Oo宅o碧弓ロ↑﹀∈︵○民oa心︒OO軽︶がある︒
第二節日本的経営について1第二章・第一一一章第二節の示唆
次に︑第一節3で小括されたコーポレート・ガヴァナンス論の争点が︑わが国の状況においてはどのような形を
取って現れるのかを︑考察したい︒
高度成長期の︑様式化された日本的経営は︑一定の条件の下ではそれなりに合理的な制度であったといえるが︑そ.︐︑
れは株主主権を核とする教科書的な会社法像とは合致しない点を多く含んでいる︒この点をどう考えるべきか︒
1 株主所有モデルの変遷
︵1︶本稿︵下の一︶で述べたところと重複するが︑一九二〇年代においては︑大まかには日本・ドイツ・アメリカ・
の大企業を取り巻く制度的状況は相似していた︒それが一九三〇年ごろから各国ごとの差異が目立ち始めるのである
が︑ここではその前後の模様を簡単に要約する︒ ・
一九二〇年代においてはいずれの国においても︑銀行の設立・営業や証券市場に関して規制は緩やかであり︑証券
− 市場は発達し︑銀行は証券業務に参入した︒巨額の資金調達には証券市場が用いられ︑銀行は自らリスクを取って産
アメリカのコーポレート.ガヴァナンス論・再論︵下 その二・完︶ ︵都法四十五ー一︶ 一〇九
一一〇
業金融を支えるという行動は取らなかった︒銀行の連鎖倒産は珍しくなかった︒大企業の株式は︑その大部分が特定
の家族によって保有されていた︒
世紀の変わり目に大企業が誕生すると︑労働者への需要が増加し︑農村から都市部へと労働力が流入する︒従来の
家族・地縁による保護を持たない都市の労働者にとっては失業問題は深刻であった︒
ようするに︑株式会社は株主の所有物であり︑労働者がその利害関係人として位置付けられることはなく︑銀行制
度も自由市場において活動していたので︑この頃の経済制度は日米独に共通して︑株式会社の私的所有と金融︒労働
における市場主義︑の二点を特徴としていたわけである︒
一九二〇年代における金融恐慌・失業問題の深刻化は︑このようなパラダイムに変容を迫るのであるが︑問題への
具体的な対処において各国の目的・手法は異なり︑それに従い各国のコーポレート︒ガヴァナンスも異なった道を歩
み始めた︒アメリカにおいては︑証券諸法・預金保険制度・銀証分離︵グラスnスティーガル法︶により︑証券市場
を抑圧することなく信用恐慌の問題への対処が図られた︒アメリカでは︑支配ファミリーの放出した株式の所有は広
く薄く分散し超・同国においては・公的な退職年金制度は璽されることがなく︵個人→スの制度が現在に至るま
で続いている︶︑また他国に比べて所得格差が大きいことから︑富裕層が投資する対象としての有価証券への需要が
高かった︒これらの事情は︑発達した証券市場との間に制度的補完性を持つものであった︒
これに対して︑日本・ドイツにおいては︑信用恐慌問題への対処は︑証券市場の抑圧・銀行金融への集中︒銀行規
制の強化という形を取った︒これらの国においては団体ベースの退職年金制度が採用され︑所得格差が大きくなかっ
たため有価証券への需要は小さなものであった︒両国では銀行を中心として比較的少数の法人が比較的大きな割合の
株式を保有するという︑企業間の株式保有構造が形成された︒そして︑﹁銀行を中心とする企業間の株式保有構造﹂
は株式保有関係の安定化︵敵対的買収の予防︶とともに︑労働者の企業への定着と企業経営への参加の促進においで
も機能した︵制度的補完性︶︒︒
ただし︑日本の金融規制が︑政府等が主導する︑特定産業に対する優先的な資金の振り向けという﹁ターゲティン ・
グ﹂の要素を色濃く有したのに対して︑ドイツにおける金融規制にはそのようなタfゲティングの要素は希薄であっ
たという点において︑両者は区別される︒日本の金融規制については本稿︵下の一︶で比較的詳しく紹介したが︑ド
イツでは一九三〇年ごろから︑銀行の業界における自主規制︵固定金利・固定手数料・参入規制︶は︑国法規制によ
りお墨付きを与えられるとともに補強された︵最低資本金規制など︶︒ ・
また︑労働者の企業経済への取り込み方においても両国には差異が存在する︒ドイツにおいては労働者と企業の関
係が会社法その他の明示の法により規律され︑労働者は企業横断的に組織される︒日本においては労働者は企業単位
で組織されべ企業内部の労使関係は法律だけでなく相互の信頼という社会規範によっても規律される︒
︵2︶ ︵1︶での比較㏄対照は︑社会学者を中心とする共同研究に依拠したものである︒そこでは︑英米型と異な
る特質をもつ日本やドイツの企業経済のあり方について︑英米と日独の差異とともに︑日本とドイツの異同をも明ら
かにしょう与るものであったが︑同じ研究グル膓は最近に続編となる研究を発表ム・本稿では紙幅と時間の制
約上︑その紹介は断念せざるを得ない︒ ︑ ・ ぐ −
\
︵3︶ 一九三〇年ごろの日本経済の転換については多くの論点が存在するが︑ここではいわゆるコ九四〇年体制
論﹂について簡単にコメントするにとどめる︒
アメリカのコーポレート.ガヴァナンス論.再論︵下﹁その二・完︶ ・ ︵都法四十五−一︶ 一=
、
一一二
一九四〇年体制論とは︑現代日本の特殊性の源流を一九四〇年前後の戦時改革に求め︑日本の経済.国家体制を統 お 制経済と性格付けた上で︑そこからの脱却を説く見解である︒一九四〇年体制論に対しては︑経済史の専門家から︑
戦後の日本の社会・経済・国家体制は︑その外形的特徴こそ戦時統制に負うところが大きいものの︑その機能が形成 されたのは主として戦後初期の諸改革によってである︑との批判がなされている︒本稿︵下の一︶は︑おおむねこの
批判説の立場から叙述されている︒
それに加えて︑コーポレート・ガヴァナンス論の関心からは︑次の点を挙げておくべきであろう︒二〇世紀初頭の
株式会社の私的所有と金融・労働における市場主義という経済体制は︑一九三〇年前後に先進諸国において破綻をき
たしたがゆえに︑捨てられたものなのであり︑そこに戻ることを主唱することは歴史の教訓を無視するものに他なら
ない︒古典的パラダイムに最も近いと見られるアメリカにおいても︑銀行規制︒証券規制.労働者保護において精密
な規制を発達させている︒国家・行政による何らかの規制が現代の経済社会において必要であることは否定の余地が
ない︒そしで︑相対的には市場への介入の度合いの小さいとされるアメリカ型の規制体系がドイツやわが国のそれに
比べて優れていることの論証は︑一九四〇年体制論においてはなされていない︒日本の国家体制が問題を抱えている
としても︑ただちに戦前体制への回帰を説くことには︑多くの有益であるかもしれない選択肢に対して目を閉ざすと
いう負の効果のほうが︑正の効用を上回るのではないか︒
︵13︶ アメリカで株式所有の分散をもたらしたのは︑おそらく︑一九三三年以降のニューディール改革によって︑金融機関.機 関投資家による株式保有が直接禁止・制限され︑あるいは不利に扱われたことによるものであろう︒ξ×﹄oFo力目Ozo
曇﹀Φ男゜︒綱国≧︵○≦旨窃⁚弓臣閲oo認o呵ζ国包○≧Oo弓o胃国呵芝≧○ロ︵呼日oo8⇒ご巳くΦ邑蔓㊥苫゜︒°︒一㊤忠︶.ただし︑アメリカの ような金融規制を経なかったイギリスにおいても︑アメリカと同様の商業銀行と投資銀行の分離︑前者における株式の不保
持︑株式所有の分散といった特徴が自然と生じていることは︑國oΦの議論︵アメリカの企業統治は政治的な規制によって形
作られた人為的なものである︶に対する有力な反論足りうる︵5do亘2冨印o蒙5ρ.区○Ωミ8∨§ミ≧9ぺ§b§§8↑$句o§
き§Oo§☆§§ΦOo這o§合↑☆葺︒.さ心︒巨ロF﹄﹄Oト︒一ロ⑩㊤c︒﹈°︶︒この問題については︑今後の研究の進展を期待して︑本
稿では深入りしない︒
︵14︶×oNoく量ξ合≦o弓o巨︒力男畠○凶弓臣国召自O壽口゜︒ヨ∨鏡︒°︒㊥国○弓゜・♂勾Ω国﹃旨﹄ζ≧国む︒国○き弓巨゜︒冨︵○°日Φ已ζ目゜甲
︒力詳尾勺﹃Φ゜◎o力心oOOco︶° − . ー ° ・ ︑ ︵15︶ 野口悠紀雄三九四〇年体制1さらば戦時経済﹄︵一九九五年東洋経済新報社︶ ︑ や ︵16︶ 橋本寿朗﹁企業システムの﹃発生﹄︑﹃洗練﹄︑﹃制度化﹄の論理﹂橋本寿朗編﹃日本企業システムの戦後史﹄︵一九九六年
東京大学出版会︶一.頁︒
2 柔軟な﹁容れ物﹂としての株式会社
︑本章冒頭に述べたように︑会社が付加価値を生み︑利益を生むのは人の活動によるが︑法律は会社における﹁人﹂ については︑取締役等について最小限の定めを置くに過ぎず︑従業員に関する定めはぽぼ皆無である︒つまり︑人々
の知力.労働力の組み合わせ方は︑各会社において工夫されるべき事柄であって︑株式会社制度を採用したからと
いってこの点について法は命令も助言もしていない︒
周知のように︑商法学界では株式会社法の任意法規性が激しぐ争われている︒しかし︑それは株主間・株主会社間
の法律関係に関しての議論に過ぎず︑より重要な人的資源の組織化については法は沈黙しているのであるから︑利用
者から見るとき︑会社制度とはカスタマイズすることが不可欠な原型に過ぎない︒たどえば企業間で株式を持ち合う
ことによって︑敵対的な株式の買占めを予防しようとすることも︑その善悪は別として一種のカスタマイズであると
︵17︶ いえる︒︐
アメリカのコーポレート゜・ガヴァナンス論・再論︵下 その二・完︶/﹁ − ︵都法四十五−一︶ 一一三
一一四
このように︑株式会社制度の特徴として︑それが充分な柔軟性を持っていることを挙げるべきである︒つまり︑出
資者にキャピタルゲイン︵正の残余性︶の期待を与えるが︑有限責任制度によりリスク︵負の残余性︶を限定し︑出
資者の経営への発言権についてはこれを大幅に制限することにより︑薄く広く大衆資金の糾合を可能としつつ︑経営
にある程度の自律性を持たせるこの制度は︑おそらく経済環境のある程度の変化にも耐えられるだけの柔軟性と合理
性を兼ね備えているのであろう︒ドイツをはじめとする一部のヨーロッパ諸国では︑株式会社の経営機構に労働者の
発言権を組み込む工夫をしているが︑それとて上記の株式会社制度の根本的特徴を侵食するものではなく︑むしろ株
式会社制度の柔軟性の上に築かれた一ヴァリエーションと位置付けることが可能であろう︒そうであるならば︑まず
株式会社の本質を論じてそこから各論を演繹するタイプの議論は意味を持たないことになる︒
裏を返せば︑その株式会社をめぐる法律のありようについては︑環境の変化によって推移すべき要素が多いとも言
える︒株主権をどの程度強化するか︑会社債権者をどの程度保護するか︑などの問題︵解釈論︒立法論︶は︑当該国
における株主・会社債権者の具体的分布と切り離して︑闇雲に外国法を模倣することで解決しうるものではないとい
うべきであろう︒具体的な経営者監視制度の設計については︑当該国における︑監視者となりうる候補者の分布︵帰
属︶を無視して語ることは意味をなさない︒具体的な商法ルールのあり方についても︑たとえばメインバンク制度の
盛衰に伴って︑その中味が変容することは当然であろう︒商法︵会社法︶の内容が特定の制度︵たとえばメインバン
ク制度︶にコミットする必要はないが︑会社を取り巻く環境を無視して法理論・正義を語ることは︑歴史の教訓を無
視するものである︒
︵17︶ N①巳o巨o︒巨︒・巨OP..§9§w器Oo巷o§合Qo竃さ§ボ8⁚§ミ良江§さ6ひ§ミOo這o§So卜§﹀§江壽弍防o§註§・..心︒㎝
H) 早ゥ・﹄°○○口㊥゜P一〇◎㊤︵心oOOO︶°
3 日本の現状と課題
銀行の没落︑証券市場の開放︑行政指導の限界など︑高度成長期の日本的経営を支えてぎた要素−︵本稿︵中︶︶の . 多くが崩壊ないし変容している︒これが日本の現状である︒もつども︑労働市場の流動性はいまだ低く︑また経営者・ 膓
従業員.社会一般の各レベルにおいて日本人の価値観が欧米のドライな勤労観に近づいてきているとは必ずしもいえ ・
ない︒日本の企業経済が一気にアメリカ化する可能性は非常に小さい︒他方︑日本と類似の病巣を抱えているドイツ
︵あるいは西ヨーロッパの大陸諸国︶の企業経済に改革の範を全面的に求めることが賢明であるともいえない︒
以下の問題︵論点︶は︑第一節で国際的な観点から述べたものの繰り返しになるが︑同じ問題が日本でも共有され
ているということを示している︒会社法における従業員利益の扱い︵株主主権論の是非︶べ事前規制と事後規制のバ
ランス︵制定法か自主ルールか︑裁判所の役割いかん︶︑証券取引法による会社法の役割の代替の成り立つ領域︑法
令遵守か収益性かべ監査役か社外取締役か︒
. また︑別稿.本稿でこれまで紹介してきた論点のうち︑これまでの日本で比較的未知の領域に属するものとして
は︑ベンチャー企業︑プライベート・エクイティー︑−破綻企業の再建︵事業再生︶︑敵対的買収などを挙げることが
できよう︒ 人
第三節見通し 一 ︑ ・ ﹀ . ︑
1 序 ︐ − ・
ヘ アメリカのコーポレート.ガヴァナンス論・再論︵下その二・完︶ ︵都法四十五ー一︶ 一一五
、
一一六
企業経営の良し悪しは経営者の意識に依存するところが非常に大きい︒しかし︑経営者は自己を過大評価する傾向 ︑
が強い︵劣った経営者であっても自分を優れた経営者であると思い︑優れた経営者であっても自己をそれ以上に優れ
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ていると考えがちである︶ため︑経営者に意識改革を説くことはあまり意味がない︒そこで︑制度を作って経営者の
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ
意識に働きかけようとする︑これがコーポレート・ガヴァナンス論の要諦である︒換言すれば︑経営者の監視制度や
法理論は︑それ自体のために存続するのではなく︑経営者を取り巻く環境としてどれだけ実効性を持つかによって評
゜ 価され︑更新され続けるべき性質のものである︒
法は社会と必然的に関わるものであり︑社会を離れた法理論に価値を見出すことは難しい︒しかし︑コーポレー
ト・ガヴァナンスに関する限り︑アプリオリに措定された法理論を社会に一方的に押し付けるタイプの論調が目立
つ︒﹁さまざまな価値の衡量の調和点を︑ある程度安定的に示す概念を整合性のある形で並べたもの︵体系化したも
の︶が﹃理論﹄なの﹂であり︑﹁具体的な事案の解決の妥当性の評価をはじめとして︑価値的な判断の内容は︑国に より︑時代により異なりうる﹂という指摘が︑コーポレート・ガヴァナンスに関連する商法︵会社法︶学説のあり方
についても妥当すべきなのである︒
以下では︑商法︵会社法︶上の論点の二つの例を論じる︒具体的には︑①新しい委員会等設置会社というガヴァナ
ンス・モデルの持つ意味︵外形ではなく内容︶が︑監査役設置会社にとどまる会社をも含めて日本企業や商法改正論
議に与えるであろうインパクトについて︑および②﹁企業の社会的責任﹂という用語でこれまで論じられることの多
かった問題を︑従来と異なる現在の状況の下で︑機関投資家の役割・国際化・社会との共生︵ステークホルダー論︶
などの個別の文脈に分解しつつ︑今後どのように議論が発展されるべきかについて︑である︒
︵18︶ 前田雅英﹁パラダイムの転換﹂UP三〇八号一頁︑四頁︑五頁︵一九九八年︶︵刑法学説を念頭に置いた叙述︶︒
2 委員会等設置会社のインパクト・監査役設置会社の今後
平成一四年商法改正により導入された委員会等設置会社は︑アメリカ型のガバナンス・システムを日本において実
現可能とし︑各会社が伝統的な監査役型か新しい型かを選択できるという仕組みを導入した︒その内容については詳 ︵19︶ 述を避けるが︑新しいガバナンス・システムの導入がコーポレート・ガヴァナンス論を活性化させたことは間違いな
い︒ 委員会等設置会社が提起した論点には︑次のようなものがある︒①ミッションの明確化と所轄事項.責任の軽減︑
②社外者による経営効率︵経営の妥当性︶の監視︑③目標の設定と事後的達成度のチェックの導入︑④内部統制シス
テムの必要性およびその設置と運用の主体︵参照︑商法施行規則一九三条四・六号︑同条一号・商法特例法二一条の
七第一項二号︶︑など︒これらのテーマは︑次に順次述べるようにい監査役設置会社においても参考となるべき論点
を多く含んでいる︒
︵1︶①について︒監査役制度は︑それ自体に欠陥があったとは筆者は考えないが︑その運用においてはしばしば次
のような特徴︵弊害︶が見られた︒多くの会社では︑意思決定の実権は専務レベルに置かれ︑CEO︵社長ないし会
︑長︶は︑役員の人事・報酬の決定に関する事実上の権限を持つことにより専務らを監督した︵実効的な監督を行わ
ず︑社外活動に精を出すCEOも存在するが︶︒商法は取締役会の決議事項を広く取り︵商法二六〇条二項︶︑特にそ い
の中には﹁重要な財産の処分﹂などのように定性的であるためそれに該当するのか否かが不明確な類型が含まれてい
るため︑多くの上場会社では平均して月に一回程度開催される取締役会に平均して三〇ほどの議題が上程され︑それ
アメリカのコーポレート・ガヴァナンス論・再論︵下 その二・完︶ − ︵都法四十五−一︶ 一一七
︑
=八
が実質的な審議を経ずに大急ぎでこなされていくという取締役会の空洞化が生じている︒このように︑伝統型システ
ムでは各役員のなすべき所轄.責任の範囲は不明確とされ︑かつ厳格責任が役員に課されるため︵商法二六六条一項
一号ないし四号︑同条二項三項を参照︶︑取締役・監査役の行為規範は曖昧であり︑不祥事が起こると結果責任︵主
として︑法的な責任ではなく社会的責任︶が問われるというきわめて日本的な環境に会社役員は置かれている︒
これに対して︑委員会等設置会社においては︑取締役会の任務が明確化されかつ限定され︵商法特例法二一条の
七︶︑役員の人事および報酬の決定を社外取締役を中心とする専門の委員会に委ねることとし︵商法特例法一二条の
八第一項.三項︑二一条の=︶︑同時に取締役・執行役の責任を過失責任とし責任の連鎖を切断した︵商法特例法
一二条の一七︶︒
この①の論点に関連して︑弁護士の久保利英明氏は︑委員会等設置会社を﹁代表執行役疾走会社﹂と呼び︑それと の対比で監査役設置会社を﹁取締役会慎重審議会社﹂とネーミングしている︒取締役会から形式的な権限を除去した
こと︵商法特例法二一条の七第三項︶の積極的意義を印象的に伝えるネーミングであるが︑このニックネームは筆者
に次のような憶測をも生じさせる︒日本の多くのCEOは疾走したいと望んではいないのではないか︑大人数の会議
で決定することで責任の分散を図りたいと考えているのではないか︑と︒もちろん︑まともな会社も多く︑一部のガ
バナンスに劣った会社のイメージから全体を推し量ることは厳に慎むべきであるが︑現在の商法が監査役設置会社に
対して連帯責任という名の無責任を助長しているごとは認識されなければならないだろう︒平成一七年の会社法制の
現代化において︑監査役設置会社においても取締役会権限の軽量化と取締役責任の軽減を行うべきことは明らかであ
ロ ロ る︒加えて︑取締役の事前の行為義務の内容を少しでも明らかにする方向で解釈論を発展させていく必要性も大き
い︒﹁経営判断の原則﹂について一般論を論じる時代は終わったように思われる︒
︵2︶②について︒社外者の意義と限界については︑第一節1︵2︶において述べたところである︒監査役制度にお −︑
いても平成五年の商法特例法の改正によって大会社には社外監査役の設置が強制されているが︑その監査は通説によ︑
ると適法性監査に限定される︒しかし︑筆者が見聞きしたところでは︑監査役設置会社においても︑監査役に対する
情報提供を徹底し︑投資案件を審議する監査役会や取締役会に先立ち担当の従業員から監査役に時間をかけた情報提
供を行い︑社外監査役を納得させられなかった投資案件は取締役会では採用されることはほぼないという運用を確立
している会社もある︒これを妥当性監査と呼ぶか適法性監査として説明するかは︑観念の遊びに過ぎない︒重要なの
は︑﹁監査役は適法性監査権限のみを有するか︑妥当性監査権限をも有するか﹂という議論のための議論を行うこと コ お よりも︑先に述べたような良き実務を促進するものとして法律論を再構成していくことであろう︵︵4︶で後述︶︒
監査役か社外取締役︵委員会制度︶か︑という対比それ自体には︑大きな意味はないと思われる︒委員会等設置会
・社においで︑複数の社外取締役が妥当性監査権限を持つものとされたことは︑全ての大企業においてあるべき方向を
分かりやすい形で示した点に意味がある︒
− ︵3︶③について︒委員会等設置会社においては︑取締役会においてたとえば一ヶ年計画︑三ヶ年計画︑五ヶ年計画
− ・ などを作成し︵商法特例法二一条の七第一項一号を参照︶︑事後にその達成度を確認して︑その結果をたとえば指名
︑委員会や報酬委員会の決定などにフィードバックする︑という事後的業績評価が予定されている︒もちろん︑それを
どのような形で行うかは各社に委ねられており︑その怠慢が善管注意義務違反として法的な評価を受けることは現実
的にはあまり考えられず︑サンクションは主として市場によるものに限られてはいる︒しかし︑そのような法的には ︑
@ エンフォースメントの脆弱なものであっても︑従来の日本の会社経営にはほとんど存在しなかった事後評価という論
点を提示したことの意義は高く評価さ九る︒日本では過去に業績があった経営者が︑時代の変化にもかかわらず相談
アメリカのコーポレート・ガヴァナンス論・再論︵下 その二・完︶ ︵都法四十五ー一︶ 一一九 ︑
一二〇
役などとして会社に居残り︑経営の変革の妨げとなる例が散見されるが︑社外者を交えた事後評価はそのような温情
的経営を許さないこととなろう︒
︵4︶④について︒内部統制システムについては︑監査役設置会社においてはそれをそもそも設置する必要があるか
エ お 否かについて法律は断定を避けている︒しかし︑大和銀行代表訴訟事件大阪地裁判決は︑次のように述べており︑こ
の一般論は広く受け入れられている︒﹁健全な会社経営を行うためには・・リスク管理が欠かせず︑会社が営む事業
の規模︑特性等に応じたリスク管理体制︵いわゆる内部統制システム︶を整備することを要する︒・・会社経営の根
幹にかかわるリスク管理体制の大綱については︑取締役会で決定することを要し︑業務執行を担当する代表取締役及
び業務担当取締役は︑大綱を踏まえ︑担当する部門におけるリスク管理体制を具体的に決定する職務を負う︒この意
味において︑取締役は︑取締役会の構成員として︑また︑代表取締役又は業務担当取締役として︑リスク管理体制を
構築すべき義務を負い︑さらに︑代表取締役及び業務担当取締役がリスク管理体制を構築すべき義務を履行している
か否かを監視する義務を負うのであり︑これもまた︑取締役としての善管注意義務及び忠実義務の内容をなす・・︒
監査役は︑商法特例法二二条一項の適用を受ける小会社を除き︑・・取締役がリスク管理体制の整備を行っているか
否かを監査すべき職務を負︹い︺・・これもまた︑監査役としての善管注意義務の内容をなす・・︒もっとも︑・・
現時点で求められているリスク管理体制の水準をもって︑本件の判断基準とすることは相当でない・・︒また︑どの
ような内容のリスク管理体制を整備すべきかは経営判断の問題であり︑会社経営の専門家である取締役に︑広い裁量
が与えられている・・︒﹂
判決がいうように︑内部統制システムの内容は︑会社の規模やその所属する業界など︑さまざまな事情に応じて会
社ごとに異なりうる︒その意味で取締役・監査役に与えられた裁量は大きいが︑しかし真摯な検討を求められるー
形だけの設置では義務を果たしたことにならず︑裁量の範囲を超えて不適切な制度設計しかしなかった場合には︑取
締役・監査役の民事責任を生ぜしめるーことが︑明らかになりつつある︒
このことは︑コンプライアンス︵法令遵守︶が監査役の専権事項ではなく︑取締役の義務でもあり︑むしろ法令遵
守に必要な体制作りの第一次的な義務は最高経営責任者︵CEO︶が負担するということを意味しているから︑従来
の監査役制度をめぐる理解・運営に対して大きな問題が提起されているといえる︒法律論としては︑次のように整理
できよう︒取締役の善管注意義務は︑会社の収益の最大化をはかることにあるがーもっとも︑この規範の内容は
相当に曖昧であり︑義務違反による賠償責任を生じさせることは現実には稀であろう ︑その義務には会社の収
益とリスクの管理︵特に損失リスクの察知・回避︶の義務が含まれ この義務の内容は︑﹁会社収益の最大化﹂よ
りもいくぶん明確である分だけ︑義務違反による賠償責任を生じさせる可能性が大きいといえるー︑さらにリス
ク管理の義務に法令遵守の義務︵取締役・監査役が法令を遵守するだけでなく︑組織に法令を遵守させるための努力
を行う義務を含む︶が含まれる︒この最後の義務については︑取締役・監査役に与えられた裁量は大きいが︑取締役.
監査役の民事責任を生ぜしめる可能性は相対的にはかなり大きなものである︑と︒なお︑次の3で論じる︑営利追求 −
と公共性との調和への動きの一環として︑従来は会社経営者の倫理の問題と考えられてきた問題が商法外の法制度と
して確立される例が増えていることを指摘しておかなければならない︒偽装表示への処罰の厳格化︑内部告発を行う ♂︐ ︵24︶ 従業員に対する労働法上の保護などである︒この動きは︑取締役の善管注意義務の一内容としての法令遵守義務とい
. うパラダイムを側面から補強するものといえる︒
従来の議論および監査役制度の設計・運用の不自然さは︑ほんらい取締役の義務でもある法令遵守を独立させて︑
それを法令上・実態上の権限・権威において取締役よりも劣る監査役にことさらに担当させ︑しかも監査役に義務履
アメリカのコーポレート・ガヴァナンス論・再論︵下 その二・完︶ ︵都法四十五−一︶ 一二一
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