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著者 宮崎 恒二

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ト体制下インドネシアの民族誌的メモワール』

著者 宮崎 恒二

権利 Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization (IDE‑JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名 アジア経済

巻 44

号 5/6

ページ 320‑323

発行年 2003‑06

出版者 日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL http://doi.org/10.20561/00047654

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みや ざき こう

宮 崎 恒 二

はしがきにもあるように,著者がジャワの調 査を行った1980年代前半は,まさにスハルト体制が 揺るぎを感じさせない時代であった。それから20年 近くを経た今日において,その時代は民族誌的にも 過去となってしまった。 民族誌的メモワールと いう副題は,著者自身の若き日のフィールドワーク を 過去として留め置くために選んだのであろう。

それにしても,1990年代以降の著者の野心的な活動 と比べ,著者の博士論文をもとにした本書のタイト ルは控えめであり,退屈な概論風ですらある。しか し,一読すれば明らかだが,本書の内容はまさにジ ャワの宗教と社会を正面から捉えたものであり,著 者の具体的な調査経験に基づきつつ,それを理論的 に深く掘り下げた議論となっている。

以下,簡単に本書の内容を紹介する。

序 ジャワの宗教――人類学的パースペクティブ

――は,本書の扱う時代の背景と先行研究の取っ てきたアプローチに対する批判的検討である。ここ では,クリフォード・ギアツのジャワ研究の視点か ら話が始められる。とりわけ第2次世界大戦後のジ ャワ研究は,ギアツをその嚆矢として言及すること が多い。それ以前は,植民地の宗主国であったオラ

ンダの研究者による植民地行政の観点からの研究と,

ジャワという固有性の存在にかかわる文明論的 な研究に限られたが,ギアツはそれらをまったく無 視,あるいはまったく意識することなく,アングロ・

サクソン的な人類学の伝統であるフィールドワーク を基本に,調査地で得たイメージを押し広げ,ジャ ワを一個の社会として分析する視点を提供した。ギ アツは,ウェーバーの階級と宗教的指向性の関連を 念頭に,ジャワにおける社会・宗教的 ヴァリアン トとして,混淆的な信仰をもつ農民層アバンガン,

正統派イスラム教徒である商人層サントリ,ヒンド ゥー・ジャワ的な大伝統を保持する官僚層プリヤイ という3つの類型を提示した。これらの類型は,そ の時間的,空間的限定性にかかわらず,その後しば らくはジャワ研究において大きな影響力をもった。

この類型のうち,一部を取り出す形で,一方では王 宮のもつ規範的意義を強調する 王宮モデルが,

そして,他方ではサントリ重視のモデルが生まれた。

しかし,著者は1980年代のスハルト体制下において これらのモデルの限界を見極め, 伝統主義イスラ ムと ジャワ神秘主義(クバティナン),そして 19世紀から続く宗教・政治運動である サミン運動

という3つの視角からジャワの宗教と社会に光を当 てるに至った経緯を記している。

第1章 イスラムと失われた全体性――NUとロ ーカル・ポリティックス――は,1980年代に大き な問題となったインドネシアにおける 伝統主義的 イスラム団体であるナフダトゥル・ウラマ(NU)

と,その政治的影響力を排除しようとするスハルト 政権との緊張関係を扱っている。かつてギアツは,

ウェーバーのプロテスタントを念頭において,イス ラム改革派組織モハマディアに焦点を合わせた。ギ アツにとってNUは頑迷固陋な保守主義者に過ぎな かった。しかし,中村光男らが早くから指摘したよ うに,現実のジャワ社会,特に農村部における影響 力という点からは,ジャワにおいてイスラムを論じ る際には,NUのあり方に着目する必要がある。著 者も出発点をここに求めている。ただし,首都にお ける有力政治家の動向ではなく,著者自身による中 部ジャワ北岸地域の地方政治の現場における具体的

福島真人著

ジャワの宗教と社会 ──ス

ハルト体制下インドネシアの民族 誌的メモワール──

ひつじ書房 2002年 ix+430ページ

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な人物の言動に的を絞った現地調査に基づき,そこ からイスラムと政治を描いているのである。1980年 代初頭のスハルト体制によるパンチャシラ(建国5 原則)を正当性の根幹に据える政治支配の強化の中 では,イスラムはそれ以前とはかなり異なった状況 に置かれた。パンチャシラをすべての団体の綱領に 掲げることを要求され,いわばイスラムか国家かと いう二者択一を迫られると同時に,従来の宗教的専 門家が官職化によって与党ゴルカルへの参加を余儀 なくされた。このような状況に置かれた人々の行動 に,著者は鋭い観察の目を注いでいる。

第2章 心のテクノロジー――クバティナンの解 釈学――は,ジャワ人の宗教(あるいは信仰)を 考える際に欠くことのできないクバティナン( 内 なる隠されたることを意味する)を社会的な切り 口から見たものである。クバティナンの多くは瞑想 や修行によって霊的,宗教的体験を得ようとする神 秘主義的宗教活動である。しかし,大きな教団組織 と階梯化された教義をもつものから,ごく少人数の 素朴なものまで極めて多種多様であり,また既成宗 教との距離のおき方に関しても様々である。著者は 調査地に見られる教団の教義の内容について簡潔に 整理しており,その記述はクバティナンに関する優 れた情報源にもなっている。しかし,クバティナン が問題として浮かび上がるのは,公認された既成宗 教でないゆえに,宗教ではなく 信仰として,あ るいは 文化として定義されるからである。その 背景には,著者も記すとおり,インドネシアにおけ る 宗教の極めて限定的な定義がある。インドネ シア全域を視野においたクバティナンをめぐる動き については,付論に詳しく述べられている。

第3章 権力のミニマリズム――サミン運動と象 徴的革命――は,ジャワにおける反権力的な志向 性を凝縮させたような一種のコミューンに関するも ので,著者の調査の成果の中でももっとも知られた ものであろう。従来,サミンに関しては,歴史研究 の中で,オランダによる植民地支配に対し,言葉の 意味を転換させてしまう奇妙な説明を伴って抵抗を 示した集団としての記録しかなかった。そのサミン が,現在なお存在していることを 発見したのは,

著者の大きな功績である。サミンの存在はジャワと いう社会の奥深さを知らせてくれる。サミンが用い る独特な言語使用法は,ジャワに広く見られる地口 と通底するが,それを極限まで推し進め,農耕と婚 姻を原則とする世界観を構成するに至っている。著 者はサミンに関しても,クバティナン同様,その 教義を解きほぐすと同時に,社会的なコンテク ストの中での位置に言及している。

第4章 理論的考察は,それまでの章で言及さ れた具体例に触れつつ,それらを総括する形で宗教 と社会を捉える視点を再検討したものである。まず,

著者は現代社会において一方では世俗化が,他方で は宗教の 再生が見られるという 矛盾の中に,

宗教をめぐる共通の枠組みの混乱を指摘する。この 混乱の大きな理由として, 宗教など人文社会科 学で使用される概念で扱われるものが,相互に類似 してはいるが,一義的には定義し得ない,という 多項目配列的な概念であること,そしてその現 実での現れ方が極めて多様であり,たとえば宗教と それ以外のものを峻別する境界線の確定が困難であ ることを指摘する。しかし,著者は,一義的な定義 が不可能であるという理由で宗教一般について論ず ることを避けたり,当事者の概念のみに言及する,

といった方向に逃れるのでなく, 比較可能な形と しての宗教概念を維持しつつ, より精密で限定 的な議論のための枠組みを求める立場を取ってい る。著者によれば,人類学者のように,社会の複雑 さに留意することなく, 未開宗教から現代社会 におけるセラピーまで同じように 宗教という概 念で捉えようとすることには無理がある。現実にお いて遭遇する種々雑多な 宗教とその複雑さを整 理し,議論を前に進めるためには,階級や分化とい った概念を介入させる必要がある,としている。こ の立場から,いくつかの古典的な宗教社会学的なア プローチを,概念上の問題点と現象としての多様性 から生じる混乱を緩和する努力として捉え直す。そ して,一方でウェーバーの階級と宗教的指向性,そ の発展形としてのブルデューの 趣味について,

他方でデュルケームの社会分業論とその延長線上に あるルーマンの機能分化の概念とその限界について

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言及している。

付論 信仰の誕生――インドネシアにおける マイナー宗教の闘争――は,その議論が本書の表 題である ジャワに限定されずインドネシア全域 に及ぶという理由で,付論とされているが,宗教を 国家が定義する状況下で生じたいくつかの現象につ いての刺激にとんだ考察である。インドネシアとい う文脈における 宗教はなによりも政治的に認定 される概念であることに留意する必要がある。建国 の5つの原則の第1として唱えられる 唯一神への 信仰が反共主義の具現化としての宗教を強調して いること,そして宗教とは一神教のことであり明確 な教義体系を有する,とされていることを説明した のち,この付論では,固有の信仰が当初から 認定 された5つの宗教へと編入される状況,そしてクバ ティナンを収容する 信仰という新たなカテゴリ の創出をめぐって生じる様々な現象が詳しく記され ている。

以上,内容の一部を章ごとに簡単に紹介したが,

かなり読み応えのある本書を要約するのにはかなり の無理が伴う。以下,本書の主張をそのまま正面か ら捉えるよりも,評者が恣意的に抽出した点を取り 上げて,コメントとしたい。

まず,ギアツの掲げた3類型については,すでに 早くから批判が繰り広げられている。ギアツ自身が 表明しているように,この視点にはウェーバーの影 響が色濃い。しかし,政党政治との絡みを云々する 限り,このモデルはインドネシアの宗主国であった オランダの社会を表現する際に用いられる 柱状化 社会,すなわち宗教ごとにいわば縦割りの社会を 構成するというモデルに酷似している点を指摘して おきたい。

第2に,王宮モデルは階級のひとつを抽出しなが ら全体を欠落させている,という著者の指摘は当を 得ている。しかし,王宮モデルは観察者が作り出し た分析モデルというよりも,むしろジャワの一部の 人々(まさしく王宮に対する指向性の強い人々であ

るが)がジャワ社会(のひとつの理想型)を表現す るために用いる自家製モデルとしての性格が強いこ とは押さえておく必要があろう。限界はあるにせよ,

王都を中心とするジャワ人の言動,とりわけ王権の 論理を理解するにはこのモデルは一定の有効性をも つ。反面,地域的,時代的な広がりを捉えようとす る場合,それは自ずと限界をもつ。イスラムは王宮 に対して一定の自律性を有しているし,著者の調査 によるサミンの思想は,ある意味では王宮モデルに 対する異議申し立てであり,アルス(上品・優雅)

/カサル(下品・粗野)というジャワ人の好む二分 法的世界観には属さない部分を明確に示している。

しかし,ジャワ全体を包括するようなモデルが可能 か,という問題は依然として残る。そもそも, ジ ャワというまとまりを所与のものとして捉えるこ とが可能か,という問題は常に存在する。

第3に,確かにスハルトによる政教分離は,ヨー ロッパにおける国家と宗教の分離のような世俗化の ための政策ではなく,宗教を奨励しながら政治の場 から宗教勢力を一掃しようとした,という著者の指 摘は首肯しうる。しかし,著者が言うように 宗教 が他の領域に対して,実質的な関与要求をする事態 を,宗教による全体性への要求と表現して

(294ページ)みるとすれば,パンチャシラを金科玉 条として社会の統制を図ろうとしたスハルト体制は,

まさに国家が 全体性を要求する宗教そのものと なろうとしていたとは言えないだろうか。ナショナ リズムの宗教性という考え方自体は別に目新しいも のではない。しかし,一般に宗教と呼ばれるものを 他の何ものかと特に区別するのは,どのような理由 によるのであるのか,再検討する余地はあろう。

第4点として,著者の人類学批判について触れた い。 茫漠とした社会概念に比べれば,社会人 類学の研究対象は未開社会の記述的分析であり,

方法もフィールドワークである。だがこの安全地帯 が崩壊して,人類学も社会的複雑さの問題に直面せ ざるを得なくなったわけである(289ページ)と著 者は書いている。このことはしばしば主張されてき たことである。階級や分化に関する議論を十分に深 化させることなく,大雑把なナショナリズム論やグ

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ローバル化論へと流れていった人類学の現況に対し,

著者は苛立ちを露わにしている。このような状況に おいて著者は人類学が培ってきたフィールドワーク によるミクロな経験主義とマクロな社会観を精密に 繋ぐ方法を見出そうとしていると言えよう。1990年 代に入って著者が向かった認知研究も,この精密さ への希求と見ることができる。それは何よりも議論 を 前へ進めようとする強い意志の現れとして高 く評価される。

しかし,ややその歩みの足を引っ張るような議論 にもなってしまうのだが,そもそも何事かの理解が,

ミクロでしかない個人の経験を超えて,マクロとい う視点で成立しうるのかどうか,問い直してみる必 要はあろう。そのような問い直しをすること自体,

もはや 学の営為でないという批判を甘受したう えで, 進まない議論もあり得るのだ,という居 直りもまた成り立ちうるように思える。

他分野と比較のうえで著者が指摘する人類学の問 題点は以下のとおりである。経済学や法学といった 社会科学の諸分野が領域を確定することによって,

限定的な議論を可能にしているのに対し,社会学は 社会全体という茫漠たる領域を対象とする困難さを もつ。人類学はそれに加えて複雑化の異なるあらゆ る社会を対象として無限に戦線を拡大することによ

り,困難を増幅している。しかし,反面,領域をア プリオリに設定し,細分化されたアリーナの中で議 論を戦わせるゲーム的な 学のあり方に対する批 判があることも事実であろう。 学の様態として ある基準に基づいた精密性が要求されることは言う までもない。しかし,精密化への欲求とともに総合 化への欲求も 学を推進する原動力である。著者 は終章(第4章)の末尾で,サミニズムもイスラム も異なった方法ではあるが 全体性への希求の表 現形であると記している。宗教のもつ 全体性へ の希求と 学のもつ 総合化への欲求は,人間 の意志として,相通じるものがあるとは言えないだ ろうか。 学のもつ精密さと 全体性への希求,

この相反する2つの方向性の折り合いをどこかでつ けていくことが,常に求められていると言えよう。

優れた民族誌であり,かつ抽象度の高い理論的考 察をも兼ねている書に対する評としては,やや雑駁 な印象論に堕ちてしまったきらいもないではない。

しかし,著者がまだ人類学者としての評価を受け入 れるのであれば,本書は間違いなく人類学のひとつ の到達点であると位置づけたい。

(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 教授)

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