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博 士 ( 農 学 ) 大 鎌 邦 雄 学 位 論 文 題 名

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博 士 ( 農 学 ) 大 鎌 邦 雄

学 位 論 文 題 名

行政村の事業と集落機能との関連に関する社会経済史学的研究      ―秋田県西目村の事例からー

学 位 論 文 内 容 の 要 旨

  本論文 は,秋 田県 の水田 単作村 である 由利 郡西目 村をフ ィール ドにし て,日露戦後から1920年 代にお ける行 政村の 事業 展開, 負担の 帰趨, 執行体 制を ,村を とりま く社会経済環境の変化に関 連させ て,具 体的に 検討 してい る。

  第1章「 課題と 方法」 では, 西目 村で政 府の政 策にり ードさ れな がら実 施した 各種事 業の 実施 過程の 検討を 踏まえ ,そ の執行 体制と ,負担 の配分 ,住 民参加 の方法 を,集落の機能に着目しっ つ分 忻 す る こ とに , 焦 点が あるこ とが示 され ている 。以下 第2章から 第5章まで は個別 事業 の実 施過 程 が , 第6章 で は 財 政 が, 第7章 で は行 政 村 の 執 行体 制 と 集 落 の関 係が分 析され てい る。

  第2章で は,日 露戦後 内務省 と農 商務省 の政策 に指導 されて 実施 された 部落有 財産の 統一 と秣 場の整 備事業 の過程 が分 析され ている 。藩制 期に「 村々 入会」 という 利用形態をとっていた山林 は,維 新後そ の利用 規制 が消滅 すると ともに 肥料源 とし ての需 要が増 加し,入会林は荒廃した。

村当局 は,集 落間の 利害 の対立 を調整 しっつ 入会林 を村 有に統 一し, 農業生産に必要なだけの面 積を集 落毎に 貸与す ると いう管 理方式 を導入 した。 この 効果は 大きな ものがあった。さらに残余 の部分 には, 村の基 本財 産造成 を目的 に大規 模に植 林が 行われ たが, それに必要な労働カは,集 落単位 に割り 当てら れて 確保さ れた。 このよ うに部 落有 財産統 一事業 は、行政村と集落の関係を 新たに 形成す るもの であ った。

  第3章では ,衛生 事業の 実施 過程が 分析さ れてい る。西目村では日露戦後伝染病が多発するが,

その予 防のた めに村 はま ず村医 を招聘 し,各 集落毎 に設 置され た衛生 組合単位に徹底して「清潔 法」を 実施し た。ま た衛 生観念 の向上 を目的 に部落 巡回 講話会 も連年 開催された。村民の罹患率 が高か ったト ラホー ムの 予防と 治療も ,行政 村の課 題で あった 。村は 集落単位に全村民の検眼を 行うと ともに ,各集 落に 「治療 所」を 開設し ,村医 を派 遣して 治療に 当たらせた。この結果患者 は激減 した。 衛生事 業は ,行政 村の事 業が住 民生活 の深 部に浸 透した ことを示すと同時に,行政 村と集 落の関 係をよ り緊 密化さ せるも のであ った。

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  第4章 では, 農業 補習教 育事業 を通じ た行 政村と 集落の 関係を 分析し てい る。農 業補習 教育は 義務教 育終了 後農 業に就 業した 農家の 子弟 に対し て開校 したパ ―トタ イム スクー ルであるが,西 目村で は,集 落の 伝統的 な教育 システ ムで ある「 夜学会 」を拡 充する こと から始 められた。指導 は小学 校教員 によ って行 われた が,そ のた めに各 集落に 建設さ れた教 員住 宅や教 室は,集落の負 担に大 きく依 拠し た。教 育内容 は農業 教育 と「公 民」教 育に重 点が置 かれ たが, 前者は農会の技 術員が 担当し ,当 時普及 された 改良技 術に 対する 基礎的 な知識 が教授 され ,普及 技術の受容効果 を高め た。後 者で は村の 経済と 行政を 中心 とした 郷土教 育が重 視され た。 こうし て集落の負担に 依拠し て実施 され た補習 教育事 業によ り, 農家の みなら ず村の 担い手 の育 成が図 られたのであっ た。

  第5章 では, 全国 的な交 通・通 信網へ のア クセス とそれ を通じ た米穀 市場 の転換 に対応 するた めに展 開され た事 業が分 析され ている 。羽 越線の 建設に 際し, 村はま ず西 目駅誘 致の運動を積極 的に展 開し, 駅を 村の「 経済セ ン夕一 」の 中核に 位置づ け,駅 に通じ る村 内の道 路改修にとりか かった 。主要 幹線 の工事 は集落 の請負 で実 施した が,そ れは集 落の寄 り合 いでの 協議に基づくも のであ り,「 強制 割当」 ではな かった 。完成した道路は,いずれも二問幅の荷車がすれ違える「車 道」で ,この 道路 により ,駅前 の農業 倉庫 を通じ て,西 目村の 米は全 国市 場と直 結したのであっ た。米 の取引 は, この時 期電報 や電話 を利 用した ものへ と変化 した。 この ため郵 便局の誘致と電 話の設 置も村 の重 要な事 業であ った。 それ にとも なう負 担の一 部は, 集落 単位に 集められた村民 からの 寄付で まか なわれ た。こ うして 第一 次大戦 後の鉄 道によ る物流 の変 化と通 信網の整備にと も なう 米 穀市 場の変 化にた いして ,村tまイ ンフラ スト ラクチ ャーの 整備を 通し て対応 したの で あ っ た が , そ れ が 可 能 で あ っ たの は , 集 落 の機 能 に 依 存 し た方 法 を と っ たか ら で あ っ た。

  第6章 では, 上に みた積 極的な 事業を 支え た村の 財政が 検討さ れてい る。 財政は 事業が 活発に 展開さ れるの に応 じて大 きく膨 張した が, それを 支えた のは補 助金と 村税 であっ た。補助金の財 政に占 める割 合は 全体と して10% 程度 にとど まった が,個 々の事業に対する割合は30〜50P.oに達 し,事 業実施 の大 きなイ ンセン ティブ とな った。 財政収 入の中 心であ った 村税の うち,その大宗 を占め たのは 戸数 割であ ったが ,それ は1920年 の税制 改正 により 所得を べース に課税され,しか も控除 制度に より 累進課 税の制 度が導 入さ れた。 これに より高 額所得 者に より厚 く課税すること が可能 となり ,積 極的な 事業展 開の基 盤が 確立さ れた。 住民に とり, 村税 は村の 事業の受益に対 す る「 コ ストJであ った が,累 進課税 という 住民に とっ て合意 しやす い方法 がそ の負担 を可能 に したの であっ た。

  第7章 では, 事業 の執行 体制と 住民の 合意 の調達 方法が 検討さ れてい る。 西目村 の行政 村を始

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め各 種機関 の役員 は, いずれ も集落 代表に より構 成さ れ,そ こで意 志決定が行われていた。集落 の代 表はい ずれも 寄り 合いで 選出さ れたが ,それ は土 地所有 にかか わる経済カだけではなく,本 家分 家関係 という 集落 内の社 会的な 関係が 重要な 要素 となっ ていた 。彼らは集落の「執行部」で あり ,「重 立」で あっ た。集 落では 村の事 業に積 極的 に参加 した。 それはこれらの事業がいずれ も当 時の経 済社会 環境 の変化 に農家 が対応 するた めに は,必 須のも のであったからである。事業 の実 施にと もなう 負担 は,具 体的に は出役 に対し ては 各戸平 等に, 金銭的な負担に対しては経済 カに 応じて 「平等 」に 負担し た。さらに「重立」゛は,集落代表として行政村の事業をプ口モート する と同時 に,そ の利 益を集 落の住 民にも たらす とい う役割 を果た したのであった。集落の住民 は「 重立」 が各種 の事 業をも たらし てくれ る限り ,「 重立」 のステ 一夕スを承認し,かっ負担を 平等 に負っ たので あっ た。行 政村の 事業が 積極的 に展 開でき たのは ,事業の展開を通じてこうし た 集 落 の 住 民 間 の 関 係 を そ の 機 構 に 組 み 込 む こ と が で き た か ら で あ る 。   第8章「 結語」 では, 行政 村の事 業の意 味,集 落の 対応, 行政村 と集落 の関係 とい う視点 から 総括 してい る。西 目村 で積極 的に展 開され た行政 村の 事業は ,いず れも当時の社会経済環境の変 化に 対応し て,住 民が 生活と 生産を 維持・ 発展さ せて 行くた めの「 公共財」の提供であった。集 落で は行政 村の事 業が 住民の 生産と 生活の 維持発 展に かかわ る限り ,その実施に合意を与え,負 担を 負いつ つ事業 に参 加した 。その 際集落 は内部 の社 会的な 関係を べースにして問題を処理した ので あった 。行政 村と 集落と の間に 「双務 的」な 関係 が形成 された のである。そして行政村を通 して 実施さ れる政 策の 末端の 農村へ の浸透 は,こ うし た機能 をもつ 集落を行政村の機構に組み込 むこ とによ って可 能と なった のであ る。

学位論文審査の要旨

  本論 文 は 図16, 表76を含み ,8章から なる総 頁数342頁 の和文 論文で ある。 別に 参考論 文18編 が添 えられ ている 。

  行政 村は1888年施行 の町 村制に よって ,近世 村落( 集落 )を合 併させて成立したものであり,

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昭 雄

高 俊

原 柳

太 黒

授 授

教 教

査 査

主 副

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今 日に至 るも 地方自 治の根 幹とな って いる。 本論文 は秋田 県の純 農村 である西目村を対象に,日 露 戦後か ら1920年 代に 至る時 期に,行政村が地方行政の基礎単位としての実質を形成した過程を,

そ の事業 と集 落との 関係を 視点と して 克明に 分析し たもの である 。

  第1章で こ の よ う な 課題 と 方 法 が 整理 さ れ ,以 下2章から7章 まで, 行政村 の代表 的な 事業,

財 政 , お よ び 執 行 体 制 が 分 析 さ れ , 第8章 に お い て そ れ ら を 総 括 し て い る 。   第2章 では ,日露 戦後内 務省と 農商務 省に 指導さ れた部 落有財 産の 統一と 共有地 の整備 事業の 実 施過程 を分 析し, 行政村 が集落 間の 利害を 調整し っつ入 会林を 村有 に統一し,農業生産に必要 な 面積を 集落 に貸与 すると いう新 しい 管理方 式を導 入した ことが ,入 会林の荒廃を解決し,行政 村 の基本 財産 を造成 し,か つ行政 村と 集落と の新た な関係 を形成 した ことを実証して,これまで 未 解明で あっ た部落 有財産 統一事 業の 意味を 明らか にした 。

  第3章 は1910年 代の衛 生行 政の執 行体制 と意義 を検 討して いる。 当時の 伝染病 の大 発生に 際し て 村が集 落ご とに衛 生組合 を設置 して 展開し ,大き な成果 を収め た衛 生行政は,行政村の事業が 住 民生活 に浸 透し, 行政村 と集落 の関 係を緊 密にす るうえ で重要 な役 割を果した。このような衛 生 事業の 実態 と意義 を解明 したの は本 論文が 最初で ある。

  第4章 では 農業補 習教育 事業を 通じた 行政 村と集 落との 関係が 取り 扱われ ている 。農業 補習教 育 は義務 教育 修了後 農業に 就業し た子 弟を対 象にし たパー トタイ ム・ スクールであるが,西目村 で は集落 の伝 統的な 教育シ ステム と結 合して 実施さ れ集落 の役割 が大 きかったこと,教育内容は 農 業教育 と郷 土教育 が中心 であり ,農 家およ び地域 の担い 手の育 成に 貢献していることを明らか に し,国 家主 義の注 入の場 という 従来 の評価 を修正 してい る。

  第5章tま 鉄道の 開通 に伴う 全国的 な交通 ・通信 網へ のアク セスと それを 通じての米穀市場への 対 応に関 する 行政村 のイン フラス トラ クチュ ア整備 の過程 を分析 して いる。鉄道駅の誘致,駅に 通 じる村 内の 道路整 備,郵 便局の 誘致 と電話 の設置 などが 村の事 業と して実施され,そのための 費 用や労 カの 一部を 集落が 分担す る関 係を検 討して ,これ らの事 業が 第1次 大戦 後の米 穀市場 の 変 化への 農村 の積極 的対応 である こと を明ら かにし ている 。

  第6章 では このよ うな行 政村の 積極的 事業 展開を 支える 村財政 を検 討して いる。 財政の 膨張を 支 えたの は補 助金と 村税で あった が, その中 心とな る村税 が高額 所得 者の負担を増大した累進課 税 となっ てい たこと をジニ 係数か ら確 認し, 財政収 入の面 でも村 民の 合意形成を通じて行政村の 基 礎が形 成さ れてい く過程 を解明 した 。

  第7章 では 村会お よび各 種機関 の役員 構成 を分析 し,行 政村の 決定 と執行 は村を 構成す る集落 の 代表者 (重 立)の 合議に よって 行わ れてい たこと を明ら かにし た。 さらに集落内部の合意形成

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過程を分析して,集落代表者は土地所有などの経済カだけでなく,本家分家関係を中心とする集 落内の社会関係が重要な要素となって選出されることを指摘し,こうした「村落自治」との連動 が行政村への住民参加を保証していたことを確認している。

  第8章では以上の結果を総合して,行政村の事業は集落の構成員が社会経済的環境の変化に対 応して生産と生活を維持していく上で不可欠の「公共財」の提供であり,集落はそれに対して合 意と負担を提供するという両者の双務関係が成立していたこと,したがって行政村は自治村落と しての集落の機能を包合することによって地方行政の基礎単位としての有効性を獲得し,戦後の 地方自治体の原型となり得たと結論している。  、

  以上のように,本論文はこれまでほとんど解明されなかった行政村の事業の実施過程を分析す ることによって,国家秩序への組み込みとして受動的に理解されていた戦前の行政村の性格を,

自治村落との関連で再評価した点で新しい知見を加えただけでなく,現在の開発途上国の農村開 発に対しても重要な示唆を与えるものと評価される。

  よって審査員一同は,別に行った学力認定試験の結果と合わせて,本論文の提出者大鎌邦雄は 博士(農学)の学位を受ける十分な資格があるものと認定した。

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参照

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