博士(歯学)尹 泳薫 学位論文題名
唇顎口蓋裂者における咬筋筋活動性と 咬 合 の 安 定 性 に 関 す る 研 究
学位論文内容の要旨
(緒言)
唇顎口蓋裂による上顎骨の劣成長や上顎歯列弓の狭窄などの様々な形態異常は、
上下顎の咬合状態に影響を及ぼし、それによって咀嚼機能にも異常を坐じさせてい る場合が多い。そこで、本研究では唇顎口蓋裂者の咬合状態が咬筋筋活動量に与え る影響を調べるため、以下の実験を行なった。
1.小児の正常咬合者と唇顎口蓋裂者を対象に、最大咬み締め時の咬筋筋活動を計 測した。さらに臼歯部咬合状態の安定性を数値的に評価し、咬筋筋活動との関連性 を調ぺた。
2.臼歯部咬合が最も不安定であった小児唇顎口蓋裂者を被験者に用い、スプリン トにて咬合接触状態を安定させた場合の咬筋筋活動量と咬合カの変化を調べた。
3.成人正常咬合者および矯正治療で機能的咬合を確立した成人唇顎口蓋裂者を被 験者に用い、成長と矯正治療による咬筋筋活動量と咬合の安定性の変化を訓ぺるた め、小児被験者と比較検討を行った。
(研究方法)
被験者として、矯正治療経験の無い正常咬合者6名と北海逆大学歯学部附属病院 矯正科に来院した唇顎口蓋裂患者12名を選んだ。小児群として、正常咬合者(小 児 正常群 :平 均年 齢9才00月)3名と、動的矯正治療開始前の唇顎口蓋裂者6名 を選んだ。さらに唇顎口蓋裂者では初診時の歯列模型を用い、本教室の安藤らが考 案した上顎歯列弓狭窄の評価方法に従って、狭窄の程度を評価し、狭窄が認められ た3名 を小 児狭窄 群( 平均 年齢8才110月)、狭窄が認められなかった3名を小 児非狭窄群(平均年齢9才50月)とした。成人群として、正常咬合者(成人正常 群:平均年齢24才7ケ月)3名と、矯正治療後の成人唇顎口蓋裂者6名を選んだ。
小児群と同様の方法で、初診時に上顎歯列弓の狹窄を示していた3名を成人元狭窄
群 (平 均 年 齢19才10月 ) 、 狭 窄 を 示 し て い な か っ た3名 を 成 人 非 狭 窄 群 ( 平均 年齢17才10月)とした。
筋 電図記 録に は、 篠田 らの 開発 レた9チャンネル筋電図分析システムを用い、左 右 側咬 筋 を 被 験 筋 として それ ぞれ9チ ャン ネル (縦3列、 横3列 )を 同時 に記 録し た 。筋 電 図 は 速 度30回 / 分 で 最 大 咬 み 締 め を6回行 わせ 、1回 の咬 み締 め持 続時 間を1秒としてその咬筋筋活動を記録した。
分 析する 筋電 図波 形と して 、6回の最 大咬 み締 めの うち 最初 と最後を除く合計4 回の 波形を 用い た。4回 の咬 み締 め毎の 各チ ャン ネル での 平均 振幅値(ルV)を算 出し 、この 平均 振幅 値を 用い て左 右側それぞれ9チャンネルの総和を求め、さらに 4回の 咬み 締め の相 加平 均を 算出 し、これを左側および右側の咬筋全体の平均筋活 動量(ロV)とした。
今 回、新たに上下顎歯列の咬合接触の安定性を評価するための指数として、咬合 安定指数(OcclusaJ StabilityIndcx:以下OSIとする)を設定した。OSIは片側臼歯部 の 咬合 状 態 を 表 わ すもの で、 下顎 第1乳臼 歯ま たは下 顎第1小 臼歯 から 下顎 第1大 臼歯 または 下顎 第2大臼 歯ま でを 対象に、高道らの考案した咬合接触指数に臼歯部 の頬 舌的被 蓋関 係の 指数 と咬 合接 触歯数とを加えた指数である。OSI値の算出方法 は以下の通りである。
C
OSIニニJ辷1(an十bn)/c十d l≦n≦c
a。:下顎臼歯1本づつの咬合接触指数 対合歯と1点で咬合する場合十1
対合歯と複数点または而で咬合する場合十2 機能咬頭が対合歯の窩で咬合する場合十3 b。:下顎臼歯1本づつの頬舌的被蕭関係の指数 正常被蓋をもつ場合十1
正常被蓋をもっていない場合0
c:咬合接触指数を評価した下顎臼歯の総歯数 d:下顎臼歯の総歯数cから1を引いた値
上 下顎 臼歯 部の 咬合 状態 の変 化が 咬筋 筋活動 に与える影響を同一被験者で訓べる た めに 、OSIが最 も低 かっ た小 児狭 窄群 を対 象に 、ス プリ ント を10日問装 着させ 咬合接触状態を安定させた後に丙度筋電図を記録した。また、同群の筋電図記録時 の咬合カを咬合力計を用いて同時期に記録した。
ま た 、 咬 筋 筋 活 動 量 お よ びOSIの 左 右 差 を 評 価 す る た め 、 非 対 称 性 指 数
(んymmclry Index:以下AIとする)を用いて検討した。AI値は下記の数式で計算さ れ、値が大きいほど左右の非対称性が強いことを表わす。
AI=IRight ‑ Leftl/IRight十Lcftlx100 (ワ。)
(結果および考察)
1. 小 児 群 で の 実 験 結果 :小 児3群 にお ける 咬筋 筋活 動量 とOSIは、 正常 群と 非狭 窄群ではほぼ同じ値を示したが、狭窄群では他の2群に比ぺ著しく低い値を示した。
咬 筋 筋 活動 量 と 、OSIのAI値は、 正常 群と 非狭 窄群 では 小さ い値 を示 した が、
狭窄 群で は他 の2群 に比 ぺて 著し く高 い値を示した。したがって、小児狭窄群では 咬筋 の筋 活動性が著しく低下しており、臼歯部咬合状懲も不安定であり、しかも左 右 側 咬 筋 筋活 動 性 や 咬 合 状 態 が 非 常 に ア ン バ ラ ンス であ るこ とが 認め られ た。
咬 筋筋 活動 畳とOSI値 との 相関 を調 べた 結果 、両者 は相 関係 数r=0.96と強い正 の相 関を 示し、咬筋筋活動量と臼歯部咬合の安定性とには強い関連性があることが 認められた。
2.小 児狭 窄群 のス プリ ント 装着 によ る筋活動量と咬合カの変化:小児狭窄群に対 して 、ス プリントを用いて安定した咬合状態を付与した結果、全ての被験者でスプ リン ト装 着10日後 の最大 咬み 締め 時の 咬筋 筋活 動量 と咬 合カ は増 加し、しかも咬 筋筋活動量のAI価も減少していることが認められた。
以 上の ことから、小児狭窄群では、上下顎の不安定な咬合接触状態により、咬筋 の機 能カ を十分に発揮することができなかったが、スプリントを装着させ咬合を安 定させることにより咬筋の滞在的な機能カを発j玳させることができ、小児正常者と 同程度まで筋活動量が増加したと推察される。
3.小 児群 と成 人群 の比 較: 小児 から 成人への成長変化と矯正治療による咬合改善 後の 変化 を評価するため小児と成人との正常群問、非狄窄群問、狭窄群問の比較検 討を行った。
咬 筋筋 活動 量で は、3群と も成 人が 小児より高い値を示していた。小児から成人 へ の 増 加 率は 、 狭 窄 群 が 他 の2群 よ り2倍 以 上 の 高い 増加 率を 示し てお り、AI値 も著 しく 滅少 して いた。 またOSI値で は、筋活動量と同じく成人が小児より高い値 を 示 し 、 この 増 加 率 は同 じく 狭窄 群が 他の2群よ り著 しく 増加 して おり 、AI値も 著しく滅少していた。
こ のこ とから、狭窄群での小児から成人への咬筋筋活動量の増加は、咀嚼筋の成 長発 育の みならず矯正治療による臼歯部咬合の安定性の増加も強く影響した結果と 考えられる。
以上のことより、唇顎口蓋裂者における咬合の安定性と咀嚼機能とは密接な関係 があると推察され、そのため唇顎口蓋裂の矯正治療は審美的な改善ばかりではなく、
咀 嚼 機 能 の 回 復 と い う 意 味 で も 非 常 に 重 要 で あ る こ と が 強 く 示 唆 さ れ た 。
学位論文審査の要旨
学 位 論 文 題 名
唇顎口蓋裂者にお ける咬筋筋活動性と 咬 合 の 安 定 性 に 関 す る 研 究
唇 顎匸
1
鑑 裂 者に お ける 咬筋 筋 活動 性 と咬 合 の安 定性に関する 研究構査は
r
´、J山、川崎および中村審査員全員の出席のもとに、fl.1請 者に対し『 」頭試問により 捉tn論文の内容 とそれに関迎する学科l三iに ついて行なった。唇顎 に| 鑑 裂者 の 上顎 骨 の劣 成長 や 上顎 歯 列弓の狭 窄などの様々 な 形 態 興 常 は 、 咬 合 状 態 、 特 に 臼 岱 部 咬 合 安 定 性 に 影響 を 及ぼ し 、 そ れ に よ っ て
[1
嚼 機 能 に も 與 常 を 生 じ さ せ て い る 。 そこ で、 本 論文 は咬 筋 に多 チ ャンネ ル筋電図を門Jい 、唇顎1:1蓋裂者 の咬合状態と 矯 正 治 療 に よ る 改 善 が 咀 鴫 筋 活 動 に ど の よ う に 影 響 す るか を 研究 し た ものである。被 験 者 は
jE
常 咬 合 者6
名 と 唇 顎 口 蓋 裂 ∴ は 者12
名 を 川 い 、 小 児 群と成人群に分類した。小児L"として、正常咬合者(小児正′);fi洋:平均 イ
1
.ニ 齢9
歳0 '月)3名と 、動的矯正治 療開始mの唇顎I二1
鑑裂肯6
名 を 選 ん だ 。 さ ら に 、 唇 顎 口 蓋 裂 者 の 初 診 峙 の 歯 列 模 型 が 狭 窄 を 示 す3
彩 を 小 児 狭 窄 群 ( 平 均 年 齢8
歳ll
ケ 月 ) 、 狹 窄 を 示 し て い なかった3名を 小児非狭窄群(平均イI
ミ衛お9
歳50.J・J)とした。成人 群 と し て 、 正 常 咬 合 者 ( 成 人 正 常 群 : 平 均 年 齢24
歳7
ケ 月 )3
名 と 、 矯 正 治 療 後 の 成 人唇 顎 口蓋 裂者6
名 を 選ん だ。 小 児群 と 同様 に 、 初 診 時 に 上 顎 衛 列 弓 の 狭 窄 を 示 し て い た3
名 を 成 人 元 狭 窄 群 ( 平 均 年 齢19
歳1
ケ 月 ) 、 狭 窄 を 示 し て い な か っ た3
名 を 成 人 非 狭 窄 群(平均年齢17歳1ケ月)とした。
筋 電 図 記 録 に は 、 篠 田 ら に よ る
9
チ ャ ン ネ ル 筋 電 図 分 析 シ ス テ ム を用 い 、左 右 側咬 筋を 被 験筋 と して そ れぞ れ9
チ, ヤンネル(縦3列 、 横3
列 ) を 同 時 に 記 録 し た 。 そ の 際 速 度30
回 / 分 で 最 大 咬 み 締 め を6
回 行 わ せ 、1
回 の 咬 み 締 め 持 続 時 間 を1
秒 と し た 。 分 析 す る 筋ー499 ‑
治一 生 進 洋 貴 村山 崎 中内 川 授授 授 教教 教 査査 査 主副 副
電 図 波 形 は61田 の 最 大 咬 み 締 め の う ち 、 最 初 と 蝦 後 を 除 く 合 計4回 の 波 形 を 用 い た 。4回 の 咬 み 締 め 伍 の 各 チ ャ ン ネ ル で の 平 均 振I幅 値 を 算luし 、 こ の 平 均 振 幅 他 を 用 い て 左 右 側 そ れ ぞ れ9チ ャ ン ネ ル の 総 和 を 求 め 、 さ ら に 4回 の 咬 み 締 め の 相 加 平 均 を 算 出 し 、 こ れ を 左 側 お よ ぴ 右 側 の 咬 筋 全 体 の 平 均 筋 活 動 量 ( 肛 V) と し た 。 今 回 、 新 た に 上 下 顎 歯 列 の 咬 合 接 触 の 安 定 性 を 評 価 す る た め の 指 数 と し て 、 咬 合安 定指 数(Occlusal Stability rndex:以 下OSIと する )を 設定し た。
OSIは 片 側 臼 歯 部 の 咬 合 状 態 を 表 わ す も の で 、 値 の 算 !tj方 法 は 以 下 の 通り であ る。
OSI = I ‑1 (an4‑bn)/c+d l≦ n≦ c
a。 : 下 顎 臼 菌 1本 ず つ の 咬 合 接 触 指 数
対 合 齒 と1点 で 咬 合 す る 場 合 十1、 対 合 歯 と 複 数 点 ま た は 而 で 咬 合 す ろ 場 合 十2、 機 能 咬 頭 が 対 合 歯 の 窩 で 咬 合 す る 場 合 十 3 b。 : 下 顎 臼 歯 1本 っ づ の 頬 舌 的 被 蓋 関 係 の 指 数 正 常 被 蓋 を も つ 場 合 十 1、 正 常 被 蓋 を も っ て い な い 場 合 0 c: 咬 合 接 触 指 数 を 評 価 し た 下 顎 臼 歯 の 総 歯 数 d: 下 顎 臼 歯 の 総 歯 数 cか ら 1を 引 い た 値
上 下 顎 臼 歯 部 の 咬 合 状 態 の 変 化 が 咬 筋 筋 活 動 に 与 え る 影 響 を 同 一 被 験 者 で 調 べ る た め に 、 咬 合 の 安 定 性 が 最 も 低 か っ た 小 児 狭 窄 群 を 対 象 に 、 ス プ リ ン ト を Jnい 咬 合 接 触 状 態 を 安 定 さ せ て 、10日 間 装 着 さ せ た 後 に 再 度 筋 電 図 を 記 録 し 、 同 時 期 に 咬 合 カ も 記 録 し た 。 ま た 、 咬 筋 筋 活 鋤 量 お よ びOSIの 左 右 差 を 評 価 す る た め 、 非 対 称 性 指 数 (Asymmetry Index: 以 下 A亅 と す る ) を 用 い て 検 討 し た 。 AI二 ニIRight,LeftI/lRight十LeftlX100( % )
結 果は 以 下 の と お り で あ る 。
1. 小 児 群 で は 正 常1潜 と 非 挟 窄 群 と の 咬 筋 筋 活 動j丑 とosIiは ほ ぼ 同 じ で あ っ た が 、 狭 窄 群 は 他 の2群 に 比 べ 筋 活 動 量 とOSI値 が 著 し く 低 く 、 しか も 左 右 側 の 非 対 称 性 も 大 きか っ た 。
2. 咬 筋 筋 活 動 量 とOS[f直 と の 棚1刈 を 刪 べ た 結 果 、T珂 者 は 相 関 係 数f
=0.96と 強 い 正 の 々l] | 瑚を示 し、 咬筋 筋活 勦溌と 日衛 音B岐合 の安 定性 と に は強 い1嫋 連 性 が あ る こ と が 認め ら れ た 。
3. 咬 合 安 定 性 が 蝦 も 低 か っ た 小 児 狭 窄 群 に ス プ リ ン ト を 装 着 さ せ 、 咬 合 接 触 状 態 を 安 定 さ せ た 結 果 、 筋 活 動 量 と 咬 合 カ は と も に 増 加 し 、 左 右 差も 著 明 に 減 少 し た 。
4. 成 人 群 と 小 児 群 と の 筋 活 動 量 とOSI他 を 比 較 し た 結 果 、 両 群 と も 非 狭 窄 群 は 正 常 群 と 同 程 度 の 増 加 を 示 し た の に 対 し 、 狭 窄 群 は 著 し い 増 加 を 示 し 、 同 群 は 成 長 に よ る 変 化 の み な ら ず 、 矯 正 治 療 に よ る 著 明 な改 善 が 認 め ら れ た 。
本 研 究 は 唇 顎 口 蓋 裂 者 に お い て 咬 合 の 安 定 性 と 咀 嚼 機nヒ と は 密 接 な 関 係 に あ る こ と を 明 ら か に し 、 矯 正 治 療 が . 単 に 審 美 的 な 改 善 ば か り で な く 咀 嚼 機 能 も 回 復 す ろ こ と を 実 証 し た こ と は 今 後 の 矯 正 歯 科