博士(歯学)半田麻子 学位論文題名
上顎側方拡大による口蓋粘膜コラーゲン線維の変化
―正常組織と瘢痕組織の比較ー
.学位論文内容の要旨
【緒言】
唇顎口蓋裂患者に対して広く行われている口蓋形成手術法の1 つであるpush back 法は,術後に口蓋瘢痕組織が形成されるため,その後の顎顔面の成長が抑制されること が多い.また,成長抑制によって引き起こされた不正咬合を改善するために行われる矯 正治療の際には,この瘢痕組織が歯の移動や歯列弓の拡大を困難にするとともに,治療 後の後戻りの大きな原因となっていると考えられている.そこで本研究では,ラット口 蓋の上顎側方拡大を行った際の正常組織ならびに瘢痕組織におけるI 型,ni 型および矼 型 コ ラ ― ゲ ン 線 維 の 変 化 を 免 疫 組 織 化 学 的 手 法 に よ り 検 索 し た .
【材料と方法】
本研 究では ,生 後
20日の 雄のラ ット を無処置群(C 群),瘢痕群(S 群),無処置 拡 大群
(C一
E群 )およ び瘢 痕拡 大群
(S‑E群 )の
4群 に分 けた .
S群と
S−
E群につい ては生後20 日に口蓋粘膜骨膜を切除して口蓋瘢痕組織を形成し,C −E 群とs 一E 群にお け る上 顎側方拡大は生後55 日(S‑E 群では術後
5週)に開始した.また,瘢痕組織に よる影響を定量的に観察するために,すべての実験群について生後55 日と生後62 日
(CーE 群とS 一,E 群では拡大開始後7 日)に口蓋幅径を計測した.さらに,
C群とS 群 に つい ては生 後55 日,
C−
E群と爭
E群については生後55 日と拡大開始後
1,3 ,7 日 に 組 織 標 本 を 作 製 し 、 ワ ン ギ ー ソ ン 染 色 と 免 疫 染 色 を 施 し た .
【結果】
計測学的検索の結果,拡大開始前のS 群・ S‑E 群の口蓋幅径はC 、群.C −
E群に比べ
て有意に小さく,瘢痕組織よる成長抑制が明瞭に観察された.またS 群.S −E 群間での
側方拡大量の差はC 群.C ―E 群間に比べて有意に小さく,瘢痕組織の存在により口蓋
の側方拡大が抑制されることが示された・
組織学的検索の結果,以下の所見が得られた・
C
群:粘膜固有層全体にランダムに走行するコラーゲン線維が観察された.一方,I 型コラーゲン線維は粘膜固有層全体にランダムに走行する線維として,ni 型コラーゲン 線維は乳頭層と粘膜固有層浅層のみに,また矼型コラーゲン線維は粘膜固有層に散在性 に観察された・
S
群:切除部位に相当する粘膜固有層には瘢痕組織が形成されており,水平方向に密 に走行する太いコラーゲン線維束が骨表面およびセメント質と結合していた.一方,I 型コラーゲン線維は粘膜固有層に太い線維束として水平方向に走行しており,骨および セヌン卜質と結合していた.また,m 型コラーゲン線維は乳頭層と粘膜固有層浅層のみ に , 皿 型 コ ラ ー ゲ ン 線 維 は 粘 膜 固 有 層 に 散 在 性 に 観 察 さ れ た .
C−E 群:拡大開始後7 日における粘膜固有層のコラーゲン線維は,C 群と比べて線維 の密度が低い傾向が認められた.一方,
I型コラーゲン線維は弱く水平方向に引かれた ような走行を示し、拡大開始後すぺての時期でセヌント質表面で強い免疫反応が認めら れた.また,
m型コラーゲン線維は拡大開始後もほとんど変化はみられなかった.これ に対して矼型コラーゲン線維は,拡大開始後1 日で骨とセメント質の間の領域で急増し,
骨表面にも強い免疫反応がみられた.しかし拡大開始後
3日になるとやや減少し,7 日 ではC 群とほば同程度にまで減少した.
S‑E
群:拡大開始後7 日では,上皮脚と結合組織乳頭のほとんどが消失し,平坦化し ていた.また,粘膜固有層のコラーゲン線維はS 群と比べて水平方向に強く引かれてい た.一方,I 型コラーゲン線維は拡大開始後すべての時期で水平方向に強く引かれたコ ラーゲン線維束として観察され、C 一E 群と同様にセメント質表面で強い免疫反応が認め られた.また,m 型コラーゲン線維は拡大開始後
1,3 ,7 日と経過するのに伴い,粘膜 固有層の分布領域が次第に縮小した.これに対して矼型コラーゲン線維は,拡大開始後
1日では骨とセメント質の近傍で強い免疫反応を示し,3 日になる。と骨とセメント質の 間 の 領 域 で 急 増 し ,
7日 で は
C群 と ほ ぼ 同 程 度 に ま で 減 少 し た ・
【考察】
I
型コラーゲン線維:ワンギーソン染色によるニユラーゲン線維の観察結果と免疫染色
によるI 型コラーゲン線維の観察結果はほば一致していた.このことは,ラット口蓋の
粘膜固有層におけるコラーゲン線維の大部分はI 型コラーゲン線維であることを示して
いる.一方,C 群でランダムに走行していた
I型コラーゲン線維は
S群では一定方向に 走行する太い線維束となり,骨およびセメント質と結合することが示された,また,
C
ー
E群におけるI 型コラーゲン線維は弱く水平方向に引かれたような走行を示したが,
S
−
E群では強く水平方向に引かれていた.
S群において骨と瘢痕組織のI 型コラーゲン 線維の結合が観察され,S −E 群ではこのI 型コラーゲン線維が強く水平方向に引かれて いたことを考えると,
SーE 群における側方拡大がC ―E 群と比較して有意に阻害された 原因は,伸展性に乏しい瘢痕組織の存在に加え,骨およびセヌン卜質と結合した太いI 型コラーゲン線維束が存在することによると思われる.なお,
C―
E群とS‑E 群の拡大 開始後にセヌント質表面で観察されたI 型コラーゲン線維の強い免疫反応は,口蓋の側 方拡大によりI 型コラーゲン線維が強く伸展されたことに対応したものであると推測さ れる.
m
型コラーゲン線維:正常組織の口蓋粘膜におけるIII 型コラーゲン線維は主に乳頭層 に分布し,組織の伸展性に関わると考えられている.乳頭層と粘膜固有層浅層の1II 型コ ラーゲ ン線維は
C群,
S群,および拡大開始後の
C―
E群のすべてで観察され,その分 布にも特に変化は認められなかった.しかしS ―E 群では,拡大開始後
1,3 ,7 日と経 過するのに伴い粘膜固有層における分布領域が次第に縮小した.このことは,瘢痕組織 を有する口蓋を側方拡大すると,口蓋粘膜の伸展性が損なわれる可能性があることを示 唆している.なお,m 型コラーゲン線維が減少する理由については不明であるが,S‑E 群では他の実験群と比べて上皮脚の消失が著しかったことを考えると,皿型コラーゲン 線維の減少と上皮脚の消失との間に何らかの関連性があるのではないかと考えられる.
齟型コラーゲン線維:矼型コラーゲン線維はI 型コラーゲン線維に結合すること,ま た各種のコラーゲン基質や線維束を統合する役割を果たすことが報告されている.矼型 コラー ゲン線維は
C群やS 群では粘膜固有層に散在性に観察されるのみであったが,
C
ー
E群と
S‑E群では拡大開始後に骨とセヌント質の間の領域で急増し,再び減少した.
矼型コラーゲン線維の増加は,側方拡大によりI 型コラーゲン線維が急激に伸展された 結果,断裂した線維を修復あるいは再構築する必要性が生じたために起こった現象であ り,増加が一時的であったのは,I 型コラーゲン線維が初期には急激に伸展されるが,
その後の伸展量はほぼ一定となるためだと考えられる.また,
CーE 、群に比べてS ーE 群 で矼型コラーゲン線維が最も強く観察される時期が遅かったのは,正常組織のI 型コラー ゲン線維は細く,カを受けると伸展しやすいのに対し,瘢痕組織のI 型こユラーゲン線維 は太い線維束を形成しているために,伸展に時間がかかるためではないかと思われる.
―796 ―
学位論文審査の要旨
学 位 論 文 題 名
上顎側方拡大による口蓋粘膜コラーゲン線維の変化
一正常組織と瘢痕組織の比較ー
審 査 は 飯 田 、 向 後 審 査 委 員 は 一 同 に 、 ま た 吉 田 委 員 は 個別 に、 口頭 試問 の形 式に よっ て行 わ れた 。ま ず論 文の 概要 の説 明を 求め ると とも に 適宜 解説 を求 め、 次い でそ の内 容お よび 関連 分 野について試問した。
申請者から、まず以下のような説明がなされた。
唇 顎 口 蓋 裂 患 者 に 行 わ れ て い る 口 蓋 形 成 手 術 法 の1っ で あ るpush back法 は , 術 後 に 瘢 痕 組 織が 形成 され る為 ,そ の後 の顎 顔面 の成 長が抑制されるこ とが多い.また,成長抑制による不正 咬 合 を 改 善 す る 為 に 行 わ れ る 矯 正 治 療 の 際 に は , 瘢 痕 組織 が歯 の移 動や 歯列 弓の 拡大 を困 難 にするとともに,治療後の後戻りの大きな原因となると考えられている.そこで本研究では,上顎側 方拡 大を 行っ たラ ット の正 常な らび に瘢 痕組織におけるI,1IIおよび矼型コラーゲン線維の変化 を免疫組織化学的手法により検索した.
ラットを無処置群(C群),瘢痕群(S群),無処置拡大群(C−E群)および瘢痕拡大群(S一E群)の 4群 に 分 け ,S群 とSーE群 は 生 後20日 に 口 蓋 粘 膜 骨 膜 を 切除 して 瘢痕 組織 を形 成し ,C―E群 と SーE群の 上顎 側方拡大は生後55日に開始した(拡大1,3,7日).また,定量的に観察する為に,
生後55日 と生 後62日( 拡大 開始 後7日 )に 口蓋 幅径 を計 測し た. さら に,組織標本を作製し、ワ ンギーソン染色と免疫染色を施した.
計 測 学 的 検 索 の 結 果 , 拡 大 開 始 前 のS‑S―E群 の 口 蓋 幅 径はC‑CーE群 に比 べて 有意 に小 さく , 瘢 痕 組 織 に よ る 成 長 抑 制 が 観察 され た. またS‑S→E群 間で の側 方拡 大量 の 差はC・C−E群問 に 比 べ て 有 意 に 小 さ く , 瘢 痕 組 織 の 存 在 に よ り 側 方 拡 大 が 抑 制 さ れ る こ と が 示 さ れ た . 組織学的検索の結果,以下の所見が得られた.
C群 :固 有層 全体 に ラン ダム に走 行す るコ ラー ゲン 線維 が観 察さ れた .一 方 ,I型コ ラー ゲン 線 維は 固有 層全 体に ラン ダム に,m型コ ラー ゲン 線維 は乳 頭層 と固 有層 浅層のみに,また珊型コラ ーゲン線維は固有層に散在性に観察された.
S群 : 切 除 部 位 に 相 当 す る 固有 層に は, 水平 方 向に 密に 走行 する 太い コラ ーゲ ン線 維東 が骨 表 面お よび セメ ント質と結合して いた.一方,I型コラーゲン 線維は固有層に太い線維束として水平 方向に走行しており,骨およびセメント質と結合していた.また,ni型コラーゲン線維は乳頭層と固
郎 光
男
一
順 重
隆
田 田
後
飯 吉
向
授 授
授
教 教
教
査 査
査
主 副
副
有層浅層のみに,珊型コラー ゲン線維は固有層に散在性に観察された・
C一E群 :C群 と比 べて コラ ーゲ ン線 維の 密度 が低 い傾 向が 認 めら れた .一 方,I型 コラ ー ゲン 線 維は弱く水平方向に引かれた ような走行を示し、セメント質表面で強い免疫反応が認 められた,ま た,m型コラーゲン線維は、ほとんど変化がみられなかっ た.これに対して珊型コラーゲン線維は,
拡 大開 始後1日 で骨 とセ メン ト 質の 間の 領域 で急 増し ,骨 表面 にも 強い免疫反 応がみられた.し かし拡大開始後3日で減少した・
SーE群 :拡 大開 始後,上皮脚のほとんどが消失し, 平坦化していた.また,コラーゲン線維はS群 と 比べ て水 平方 向に 強く 引か れて いた .一 方,I型コ ラー ゲン 線維 は水平方向 に強く引かれたコ ラーグン線維東として観察さ れ、セメント質表面で強い免疫反応が認められた.また ,皿型コラー グ ン線 維は 拡大 日数 の経 過に 伴 い, 分布 領域 が次 第に 縮小 した .こ れに 対し て矼 型コ ラ ーゲ ン 線 維は ,拡 大開 始後1日 では 骨 とセ メン ト質の近傍 で強い免疫反応を示し,3日 になると骨とセメ ント質の問の領域で急増し,7日では減少した.
以上の結果より、以下の結論 が得られた。
1. 口蓋 粘膜 固有 層に おけ るコ ラー ゲン 線維 の大 部分 はI型 コラ ーゲ ン線 維で あり ,正 常 組織 で は ラン ダム な走 行を 示す が, .瘢 痕組 織で は一定方向に走行する太い線維束を 形成し,骨および セメント質と強く結合した. .
2. 口蓋 に瘢 痕組 織を 有す る上 顎臼 歯を 側方 拡大 する と, 固 有層 のI型コ ラー ゲン 線維 は 強く 水 平方向に伸展され,歯牙の側 方移動を強く阻害した.
3. 上顎 臼歯 の側 方拡 大に 伴い ,セ メン ト質 表面 でI型 コラ ーゲ ン線 維の 強い 免疫 反応 が 観察 さ れるとともに,珊型コラーゲ ン線維が骨とセメント質の間の領域で急増し,再び減少するというダイ ナ ミッ クな 変化 を示した.これは,側方拡大によりI型コラーゲン線維が急激に 伸展された結果,
断 裂し た線 維を 修復 ある いは 再 構築 する 必要 性が 生じ た為 に起 こっ た一 時的 な現 象で あ ると 思 われた.
4. 瘢痕 組織 を有 する 口蓋 を側 方拡 大し た際 にみ られ るm型 コラ ーゲ ン線 維の 減少 は, 口 蓋粘 膜 の 伸展 性を 損な う可 能性 があ ると 思わ れた .また,皿型コラーゲン線維の減少 と上皮脚の消失と の間に何らかの関連性がある のではないかと考えられた.
以 上 の 論述 に 引き 続き 以下 の項 目を 中心 に口 頭試 問を 行っ た。
1. 瘢 痕 組 織 の 定 義 と そ の 形 成 過 程 2. 骨 膜 の 有 無 に よ る 瘢 痕 組 織 の 違 い
3. 111型 コ ラ こ ゲ ン が S−E群 で の み 減 少 す る 理 由 4.I型 コ ラ ー ゲ ン の 変 化 とXII型 コ ラ ー ゲ ン の 変 化 の ず れ 5. 今 後 の 研 究 の 展 開 と 将 来 展 望
こ れ ら の 試 問 に 対 し て 申 請 者 は 明 快 な 回 答 、 説 明 を 行 っ た 。
本 研 究 は 口 蓋 裂 患 者 の 矯 正 治 療 に お い て 術 後 瘢 痕 組 織 が矯 正カ に対 して 如何 なる 反応 をす る もの かを 、I,III,XII型コラーゲンに着目してそれぞ れの変化を免疫組織学的に明らかにしたも ので ある 。矯 正カ に対 する 組織 反応 性 に関 して 、瘢 痕組 織の 持つ 特異 性が 組織 学的 に明 らか に され 、将 来の 口蓋 裂患 者に 対す る歯 科 矯正 学的 、口 腔外 科的 な治 療法 の開 発に 対し て重 要な 基 礎的 情報 を提 供し たも のと 評価 でき る 。更に、試問の 内容から、学位申請者は、関連分野にも幅
広い学識を有していると認められた。また今後は更に詳細な解析の準備を進めており、将来の展 望についても評価された。
よって審査担当者全員は、申請者は博士(歯学)の学位を授与される資格を有するものと認め た。