コ リヤー クの漁務
‑ 1997 年ペ ンジナ地 区マニ リ周辺 にお ける調 査‑
大 島稔
( 小樽 商科大学言語 セ ンター)
1.Mani l y
の歴 史1 930
年代 に初 めてパ スポー トをも らうことになった。それ まで、 コ リヤー ク語 の名前 しか なかったのだが、名 、父姓 、姓 とい うロシア式の名前に変 えなけれ ばな らなかったので、多 く の人 は、 自分の コ リヤー ク語 の名前 を姓 とし、父の コ リヤー ク名 か ら父姓 を作 り、ロシア語で よく使われ る名 を 自分 たちの名 に したのだそ うだ.( Ni naNi kol aye vnaMi l g i c hi l 。1 952
年Mi ki na
生まれ)0且 940
年 にマニ リ( Mani l y)
の町ができたO政府 による町の集合化政策の結果、遠 くは、 Mi ki na
やShes も ako va
の人たちがMani l y
に移住 してきた。( Ni naN. Mi l gi c hi
l)Mani l y
に移住 してきた人 々の住 んでいたMani l y
とPaT e
n'の間にある当時の コリヤー ク 居住地 はつ ぎの よ うである。 (地名 の コ リヤー ク語音声表記 については再確認の必要がある)且 )P' e r vo T ' e c he ns ki y .Us t ' ‑Pe nz hi na
に着 く手前の岬で、比較的新 しく1 993
年 に廃村 にな った。2)Us t t ‑ Pe nz hi nao St adukhi n
とい う探検家がPi nega
とい う地の出身だったので、その名 を採 って現在 のPe nz hi na川
にPenz hi na y
とい う名 をつ けた。 元の コ リヤー ク語地名 は、m3 Yi qwa立am(
「波 の多い河」の意味)で古 くは丘の上に町があったが廃村 とな り住民はMani l y
に移住 した。3. Kamenka
またはWa j k3 na g
4. Lo vat y
5. Ar no c hi ki 6. Yagac he 7. Kani y3 pi l '
8. Shes t ako va
(旧名Le t ) l a Y C3り 「 gO l ubi ka
とい うイチ ゴ」) o Shes t ako va
とい う名 は、1 730
年代 にそ こで殺 され たヤサ ク (毛皮梯)を集 めるコサ ックの名 に由来す る.Shes t ako va 川
は、an' awayam
とい う。9.Oj qe l e
「尻尾 のある島」1 0. Apc hakc han
l
l . Mi ki na
(旧名ma ka nn3 1 Y a n
「魚 の多い ところ」)
‑ 1
3 5 ‑
1 2. K hay‑ Mi ki na ( qa j ・ Mi k i na の ロ シア語化)または Kay
ana1 3. Tl l l kha y
1 4. Kuyu
1 5. Par e n'
(旧名g e l j aN⇒an ̀ al de r =hous e ' )
パ レン近 くの海上にある島
( Os t r o vaI ) o br e z hans kogo)
は、コ リヤー ク語でpo j も 3 i e
とい う伝説上の英雄の名 に由来す る地名である。 これ もAppapi l '(
「お じい さん」の意味) といっ てPar e
n'の人達にとって聖なる場所である。1 6. Ve r khni ‑ Par e n'
は、ロシア人がつけた名 で、元の名前は、9 3 S YG ) PO j c aqa ( 「 高台
」) とい う。( Ni naN. Mi l g i c h
il)タイゴノス
( Tai go nos )
半島にあったイ トカン( 王 も o kan)
も廃村にな り、Par e
狛 こ移 り住ん だ。Par e n'
もMani l y
に統合 され ることになっっていたのだがPar e
n'の人は移住 を拒絶 して町 が存続 した。アヤンカ( Ayanka)
とオクラン( Okl an)
は、エ ヴェン( Even)
の人が多 く住 む村であるo( Ni naN. Mi i gi c hi
l)ペ ンンジンスキー地 区の中心都市
Mani l y
は、 この地 区最大の河ペ ンジナ河の河 口に近い町 で、町中を流れ るMani l yka 川
は、ペ ンジナ河支流である。Mani l y
の町の人 口は、i 994
年の人 口統計調査 による と、総人 口1 , 636
人で、先住民人 口は、806
人.先住民比率は、49. 3%
である。Mani l y
に住む コリヤークの人は、Chavuc hvan
の人、Vas i l i y B . Mi l g i c hi l
氏 と同 じパ レン出身の人 (自称Po j t 9 1 9 0)、Ni naNi ko l aye vnaMi l g i c hi i
氏の出身地Mi ki na
やShes t ako va
出身の人 (自称Wa j k9 nal T o)
が住んでいるO盟.
生業活動の概要Mani l y
な ど地方都市には、町の トナカイ遊牧サフホ‑ズがあるが、 トナカイ遊牧に従事す る人は町民の一部で、建築、土木、運送 (雪上車、船舶、空港)、行政、学校、幼稚園、通信 な どの仕事に従事す る他 に多 くは漁樹 を生業 としている01)トナカイ飼育
Mani l y
町サフホ‑ズ( s o vkho z )
に属す トナカイ遊牧チーム( br i gada)
は、 6
チームであ る。
(Vas i l i y B . Mi l g i c i l i l )
町サフホ‑ズに属 さない個人の遊牧チームが
3
つ ある。 トナカイに関す る儀礼は、遊牧チー ムが遊牧キャンプ地でや るので、町に戻ってや ることがないので知 らない。町のサフホ‑ズ事 務所( ko nt r ad)
に行 けば、詳 しく聞ける。( Ni naN. Mi l g i c h
il)2)狩猟
白系 ロシア人の
Ⅰ gor f Kuz hi n' et s ovさんの家にクマの毛皮があったO秋 になると、 コリヤー
クに限 らず、 白系 ロシア人 もとき どきクマ狩猟 に行 く人がいるとい う0漁場のある
Us t ' ‑ Penz hi na
で魚 を追 って海岸近 くやペ ンジナ川 にアザラシが現れ ることが あるので、アザラシ猟 をす ることがある。干潮の時は、頭数 は少ないが満潮時には川 を上 るア ザラシは多 くなる。サケ漁の時期 には漁場 にクマ もよく出没す るので、クマ も獲 るQ
( Vas i l i yB. Mi l g ic h
il) 誰 がアザ ラシを何頭 とったか、誰 が一番 の猟 師か を競 うお祝 いが秋 にあるO( Ni naN.
Mi l gi c h
il)3.
現代の漁浄活動 1)魚種ペ ンジナ河では、極北イワナ (
Ar c t i cc har )
、カラフ トマス( Pi nks al mon)
、シロザケ( Dog S ai mon)多 く遡上す るが、ベニザケ ( Reds al m on)、ギンザケ ( Si l vers al m on),マスノス
ケ (Ri ngs al mon)はまれである。 ( Vas i l i y B . Mi l gi c h
il)川 に入 る前の
Us t ' ‑ Penzhi na
で捕 らえたシロザケは、体長55c m、最長幅 15c m
、鯉の付け 根 の幅1 0c m、尻尾の付 け根 の幅 4. 5c m
である。河 口とい うよ り海岸 で漁 をす る
Shes t ako va
では、 8月はシロザケ と極北イ ワナの最盛期だ った。ペ ンジナ河の支流
Tal o vka
河では、シロザケ、極北イワナの他 にkundz ha ( Eas tSi be r i an c har )
とshuka
、カワヒメマス( khar i us )
もい る02)
漁場Mani l y
か らUst ' ‑ Penz hi naまでの間には、50m
か ら1 00m
おきにMani l y
住民の漁場が並 んでいる。ヤ ランガ と呼ばれ るテ ン トの漁小屋 もある。町では、二階建ての集約型住宅は、二 軒長屋式の住宅に住 んでい るが、手 に入 る資材 を用いた漁場の住居の方がよ り伝統的である。ペ ンジナ湾は干満 の差が激 しく
、300km
以上 も上流 に潮が川 を押 し戻す とい う。( Vas i l i y B.
Mi l gi c h
il)Mi l gi c hi l
家は、NinaN. Mi l gi c hi l
の出身地Mi ki na
を漁場に しよ うとも思ったが、夫婦 と もにManま l y
の町で課外活動プ ログラムの音楽教師 として勤めている し、船 も持 っていないの で、Manil y
の近 くに漁場 を持つ ことに した。Mil gi c hi l
家の漁場は、Ust ' ‑Penz hi na
(ペ ンジ ナの河 口)で、歩いて2
時間半、11km
くらいの距離だ。この漁場は、1986
年頃か ら使い始め たo通常、外設エ ンジン付 きボー トで漁場 まで行 く。Mi l gi c hi l
夫妻 は、船 をもっている白系 ロシア人の友人に送 り迎 えと干 し魚や塩蔵魚 を運搬 してもらっている0‑ 1
3 7 ‑Mi l g ic hi l
家の漁場 には木造の三角 と四角の住居 となる漁小屋が河岸段丘の上に建っている.一軒は、夫妻の家で、 も う一軒は息子夫婦の住居である。魚 を干す干 し場
( yuko l ni k
またはm
i l qa g)が二軒 あるO段丘の下の海岸近 くにも三角屋根 の小屋が 3
つある。左端が炊事場、右 の二つが塩漬 けサケの置 き場で、いずれ も屋根 を草で覆い、地面に近い屋根 に手差 し網、タモ 網な どの漁具が立てかけてある。猟期 にもっぱ ら漁勝 に従事す るのは年寄 りが多い。若い人は、別 に仕事 をもっている場合が 多 く、夏の休暇 を とって里帰 りに して漁勝 を手伝 う。
( Ni naN. Mi l gi c h
il)3)漁法 :建網漁
Us t ' ‑ Pe nz hi na
でのお もな漁法は、海岸線 に対 して垂直に設置 した小規模建網漁であるO常 時、子供 も含 めて3‑ 4
人が従事す る。( Vas i l i y B . Mi l g i c h
il)設置 した網まで ゴムボー トで行 って刺 し
網 ( g i l l ne t )に鯉のかかった魚 を取 り外すO少年が
いるな ら少年の仕事である。建網漁は、潮が込んでいるときの漁で、引き潮 になって も網 は引 き上げなかったが、魚が一度に大量に網 にかかると網 を引き上げて海浜で網か ら魚 を取 り外す こともある。( Vas i l i y B . Mi l gi c h
il)Shes t ako va
でも同 じよ うな建網 を二基設置 し、6人で漁 を行 う。風が強 くても台風でもな
い限 り網 はそのままに してお くとい うO( Al e ks andrEnyl kho t )
Mi ki naでは、海 中に杭 を打ち、その杭 の外側 に長 さ約 1 5m
の刺 し網 をの ロープを回す。ロ ープの両端 は海浜に1 5m
くらいの距離 を置いて固定 してあるDそのよ うな建網が2
基 あるO ロープの片一方の端 をはず してゆるめて、残 りの端 を引っ張る と網が海浜にあがる仕組みにな っている。 1
回 目は、右の網で20
匹、 2
回 目は左の網 で13
匹 とった。 2
基の建網で交互に 漁 を行 う。網か ら魚 を外す前に魚叩き棒でたたいている。魚が暴れ るので魚 を取 り外 しやすい よ うに頭 を棒でたた くとい う。網か ら外 した魚 は、砂通 しの よ うな運搬具の左右 の柄 を2
人で 持って運ぶ。 この運搬具はサケ約20
尾でいっぱいになる。Tal o vka
河にある トナカイ遊牧チームの夏のキャンプでは、キャンプの近 くに建網 を設置 し てある他 に対岸 にも建網 を設置 してあるので、男の漁師は船で網 をあげに行 く。網 を修理す る 必要がある時に備 えて男が修理用糸 と木製の網針 を携 えてい る。ナイフ とナイフを研 ぐための 砥石 をベル トにつ けている。( Tal o vka)
4)
漁法 :手差 し網漁海岸で上げ潮が始まると岬の陰な どに深みができる。そ こにはサケがたまってい るが、建網 を設置できないので、手差 し網
( handne t )を使 う 。川で も狭い場所では、この手差 し網 を使
う。
( Mi ki na)
5)乾燥処理
8
月は、主にシロザケの時期だ とい う。魚 を捌 くのは女性 の仕事である。作業の時、腰 を下 ろ し、片足を膝か ら折 り曲げて座 り、反対の足をのばす。右利 きの人は右足を折 って作業をす る。疲れ ると両足 を伸 ば して作業 を続 けるO( Ni naN. Mi l gi c h
il)越冬のための干 し魚 に
2
種類 ある。半身干 しと両身干 しがある。半身 と両身の両方があるが、用途の別 はない。
両身で干す場合 は、頭骨 と背骨 を除いた皮つ きのまま両身に開 く。両身 を頭か ら途 中半分 く らいまで切れ 目を入れ開 くよ うに して、尻尾 に近い方に穴を空ける。その穴に紐 を通 して魚干 し竿の上段の竿 にぶ ら下げて干す。両身の干 し魚 は、皮がついている分だけ脂肪 の量が多いの で味が少 し異なる。冬はナイフで細身 に切 ってたべ る。
半身にす るには頭 を落 とし、腹部 を割 って
3
枚 におろ して内臓 を取 り出すD特に背骨の血合 いは丁寧 に取 る。血合い と内臓 とともに後でカモメの餌にす るため、バケツな どに入れ る。中 骨 を抜いて、皮 も取 り除いた魚 の半身 を使い古 した乾燥用網の上に干す。半身は、魚干 し竿の 下段 に張った使い古 しの漁網の上に干す ときもある。( Ni naN. Mi l gi c h
ii)半 日程度後で半身がある程度乾 くと
10
数本 を1
本の木串 (串yi gl e)に刺す。干 し棚 に下
げて干す。 これ らは女性 の仕事である。半身は干せた ら、網の袋 に入れて高床の食糧貯蔵倉の 中にぶ ら下げる。( Al e ks andrEnyl kho t ,Shes t ako va)
Mi ki na
では、午前9
時に上げ潮が始ま り、午後3
時に引き潮が始まる。 この間の6
時間の み漁 を行 う。夜の9時に再び上げ潮が始ま り、夜の 3時頃に引き潮が始まるが、もちろん夜の 間なので漁 を しない。午後3
時以降の干潮の間は漁がないので、他の仕事 をす る。女性 は、乾 燥 中の魚 を裏返 した り、干 した魚 を串に刺 した りす る。男性 は、串作 りをす るO( Mi ki na)
少 しサケを干 した後 に調理小屋のまわ りに干 して燥製に していた。煉製 とい うコリヤーク語 を尋ねるが知 らない とい う。魚卵 も干 して保存す る。最近は商品 として塩蔵す る。
( Ni naN.
Mi l g i c hi l )
6)
塩蔵塩蔵用 には、中骨付 きのまま開 く場合 と開かない場合の
2
種 を作 りつぎつぎ と塩漬 け用樽に 入れ る。頭部 と腹身の部分 を別 にす る. ( Ni naN. Mi l g i c h
il)シロザケも極北イ ワナ も区別 な く塩蔵用 に同 じ樽の中に入れてい く。海水の入 った樽に しば らく漬 けて置いて、後 にも う一度海水で洗 って荒塩で漬 ける。
( Shes t ako va)
塩蔵用樽か らも う一度出 して女の人が洗い、塩で樽 に漬 け込む。頭 も開きも丸まま一緒に荒 塩でつけ込む。
( Mi ki na)
‑1 3 9‑
魚の内臓 を出 した後、魚 を洗 うために海水 を使 う。この海水 を汲むのは主に男の仕事である。
海水運びは、女性 の靴が短いので無理だろ うO魚 を捌 くのはもっぱ ら女性の仕事だD男 も手伝 うこともあるが、基本的に女の仕事のよ うだ。
( Mi ki na)
1ケ月半
、45
日で塩蔵 も含んで約1 00 0
匹を収穫 した。( She s t a ko va)
7)
冷凍保存最近は冷蔵庫があるので冷凍保存 もす るo魚 を冷凍にす るときも生の一匹丸ままを冷凍にす る。内臓 を取 り除 くと悪 くな りやすいか らである。
( Ni naN. Mi l g i c h
il)8)サケの売買
Ⅰ g o r ‑Kuz hi n' e t s o v
は、塩蔵 したサケ とビンに入 ったサケの魚卵 をコ リヤー クの人か ら買 付 け、Ma ni l y
の 自宅で処理 を して市場にだ している。 日本人 にも売っているとい う。サケの 代金は、服な どを仕入れて コリヤークの人に売 るので、物々交換であるO㌘a r e n'
まで買い付 け に行 くとい う。Ma ni l y
で仕事に就いていても、ペ トロパブロフスクの平均 よ り少 な く、月収且 , 00 0, 00 0
ル ーブル くらいで、物価はペ トロパブロフスクの 2倍 であるか ら、魚 を貯蔵食料 とし、菜園 と温 室で野菜を自給 していて も、子供の衣服や教育資金 は出せ ないO 自活 のために余分 に魚 を とっ て、魚卵を 日本のよ うなイ クラに して瓶詰めに した り、塩蔵の樽詰 めに して売 るのである。弘e s t a ko v a
では、潜水艦 のよ うな形の 白系 ロシア人所有の船が来て、小船で接岸 し、塩蔵樽 詰 めサケを買い取 り、ガ ソリンをアル ミ製 2ケース (日本の灯油ポ リタンクくらいの大きさ)1 小麦粉2
袋、イモ2
袋、玉葱 (小)1袋、空 ビン (イクラ用)2
箱 (約30
個入 り)、 ミル ク、塩、缶詰類、砂糖、紅茶、ロシア製 タバ コーケース (約
60
箱入 り)、 ドライフル‑ツ小1
袋 と交換 していったo (A le ks a nd rEny l kho t , She s t a ko va )
9)料理
She s t a ko va
でもMi ki na
でも昼食 と夕食 にはukha
とい うサケの頭 と身 と白子な どの内臓 を入れたスープを作 る。冬に両身で干 した物 を煮 て食べ る
。 ( Sbe s t ako va)
サケの干 したものはアザ ラシの脂 をつけ て食べ ることは しない。魚 を開いて串焼 きにす る料理法 もある。( Ni naN. Mi l g i c
bil)5.
トナカイ飼育の夏のキャンプ 1)概 要以下は、ペ ンジナ河の支流にある
Ma ni l y
町 トナカイ 。サフホ‑ズに所属す る遊牧チー ム( Br i gada)N0. 5
の夏のフィッシング 。キャンプ地 とその さらに上流のAmi t g i n
川近 くのTal o vka
河畔 にある個人私有 トナカイ遊牧チームの夏のフィッシング ・キャンプを訪れた時の 記録である。遊牧チーム
N0. 5
は、1 , 700
頭以上の トナカイを全部で1 2
人で遊牧 している。夏キャンプに はその内の5
人が残 り、 トナカイ遊牧チームの食料 を保存す る仕事に従事 してい る。遊牧チー ムに属す る牧童 はMani l y
にそれぞれの家があ り、老人ホームに入 っている老人や小 さな子供 はMani l y
に残 してい る。( I r i naMi kha yl o vnaYur t egi na)
Ami t g i n
川近 くのTal o vka
川沿いの個人 トナカイ飼養 グループは、老人を含 めた大人5
人 と子供が 4人である。サケの遡上量が少な く砂糖 もないほ ど生活 に貧 してい るとい う。2)テ ン ト住居
テン ト住居
( j a j aga)
は、女の人が建てる。夏のテン トも、冬のテ ン トも一重テ ン トであ り、チュクチのよ うな二重テン トではない。冬 のテ ン トには、大 中小
3
種のテン トがある。子 どものために2
つ余分 にテ ン トを持 っている。冬のテン トは毛が厚い毛皮 を使 う。夏のテン トは、毛がない毛皮 を用いる。
テン トは、地面に近い下部構造の円注部分のは
14
組み3
本組 の支柱か らなるOそ こか ら1
本が三角錐に伸び る。上部構造の三角錐部分 は、太い支柱3
本か らな り、その間に3
本の脚組 か ら伸びる支柱1 4
本 とその間にある2
本ずつ支柱があるので計42
本の支柱が円錐の頂点に 向かっている。三角錐の頂点に鉄 の輪。その輪の中か ら支柱が飛び出 している。鉄の輪が煙 り だ しとなる。テ ン ト外側 は、上か らロープで押 さえて風で とばされないよ うに している.南東の入 り口側 と反対側で
5
つずつの紐 を張る。鉄の鎖で も留めてあった。平面図は、入 り口 (南東)か ら一番奥 (北西)に家長夫婦の寝室。その寝室の前に穂先を上 に して槍 を立て、そ こに ドラム (太鼓)の入った トナカイ皮袋 を下げる。槍 は男の一番大事な 狩猟具である。
入 り口を入 る と右 に トナカイ皮干 し竿が
2
組みある。左 に1
組みの皮干 し竿がある。左右 (東 と西)に太陽の運行 に合わせた明か り取 り窓がある。左の窓に朝 日を見て、昼に太陽がテン ト の真上を通 り、右の窓に西 日を見るよ うに作 る。左の窓の前に トナカイ極 を置 く。極 は、その上に衣服な どを置いて物置 として使 う。そ こか ら入 り口側 にも う一つの寝室。その手前に流 し、調理 をす る水置き場がある。テン ト内の真ん 中に囲炉裏。右側 の窓の手前 にも う一台の榛 を置 く。それ よ りも手前の入 り口側 に台所、食器、
野菜、ベ リーな どの置 き場がある。 このキャンプには
3
つのテ ン トがあったがすべて入 り口は 同 じ向きで南東である0 2
つのテ ン トには夫婦が住む。一つのテン トは夫が遊牧に出ているの‑ 1
4 1‑
で、奥 さんが一人で住む0
3)
トナカイ飼育の年 サイ クルYur i yPe t r o vi c hOm' yat
は、23
年間 トナカイ飼育N0. 5
の遊牧チーム( br i gada)
の長 だっ た。遊牧チームBr i gadaN0. 5
は、 1700
頭 の トナカイを飼育。 トナカイ遊牧は、 1
年間ず うとこの夏のキャンプ とMani l y
の間が遊牧地を移動 し続 けるO 4
月末か5
月初 めに若い トナ カイ と仔 トナカイを殺す、祭 りがある。春に角が落ちる。落ちた角 を拾い、政府 に売 る。皮 も政府 が持 っていった。ただ し、 自家用 の角や皮は手に入 る。 自分たちで売 ることは しない。
現在、夏の遊牧 中で
6
人の男 と1
人の女が飼育に携 わる。夏は山に行 く。山は涼 しいか らだ。8
月10
日か15
日に夏のキャンプ地に戻 ってきて トナカイ を屠殺す る。夏の小屋 は年寄 りが守 る。冬期間の夏の家 には、子育てす る若いカ ップル だけが残 り家 を守 るO夏の仕事は、一冬分の魚 を とって干 し魚
( yukol a)
や塩蔵魚 に して半地下式の芝 と土で作 った土室に保存す る。塩漬 けの魚卵は ビンに詰 めて商品 として売 る。漁の合 間にテ ン ト家、木 造小屋、土室の修理 をす る。 ロシア風小屋や、冷蔵小屋 の壁板 の間に暖房 のために トナカイの 毛の古い物 を詰 めてい く。シロザケ、極北イワナが主であるが、他 に
kundz ha ( Eas tSi be T i anc har )
とs huka
、カワヒメマス ( khar i us )
もい る。漁期が終わる と
、mo r os hka
やs i ks ha
な どのイチ ゴ類や野性 のニラ( wi l dgr e enoni o n)
や球根 ( wi l dpo t at o)
を集 める。 これ らの植物 も土室に保存す る。これ らの夏に保存 した食料 は冬の間に トナカイ と移動 している間に
2,3
台の トナカイ榛 で 夏のキャンプ地まで取 りに来 る。10
月に山の間で、 2, 3日かけて頭数 を数 えて屠殺す る。その肉は、自分たちの消費用 に3
頭か4
頭 を屠殺す る。他の肉はMani l y
の人々に売 るO秋 に山か ら下 りて トナカイにキノコ を食べ させ る。 (Yl l r i yPe t r o vi c hOm' yat 。Tal o vka)
4)食事
食事は
1
食ずつ順番 に (北側 の家か ら順 にNo. 1 ( Ur t egi n
家)か らNo2. ( Ko t g i ni n
家)No. 3 ( Omc hat
家)‑ と)違 うテ ン トで用意す る。食事は、昼食に、魚 のハ ンバー グ( kut l e も )
や 白 身魚( os t l ' ak)
のフライ、夕食にmo r os hka、g o l ubi ka
も、s hi ks a
の3
種のイチ ゴに魚 の肝臓、白子を入れたあえものの
ki l ki l
を食べた。Ki l ki l
には、アザ ラシ油を使 っていなかった。骨 を砕いて髄の脂 を とる。 トナカイの骨の髄 をほ じくり出すナイ フがある。
トナカイの干 し肉は春 と夏のみ作 る。肉砕 き石 とす りこぎ棒で トナカイ干 し肉を砕いて繊維
をほ ぐす。今 は、す りこぎに鉄のハ ンマー を用い る。 肉砕 き石 は両面 とも使 える。 この干 し肉 で トナカイハ ンバー グを作 る。
( I r i naMi khayl o vnaYur t egi na o Tako vka)
トナカイの若 い角 は、夏 に火 の上で焼いて食べ る。
( Sas haEnyl khot ,She s t ako va)
5)衣服
6
歳の時、母 が81
歳 で亡 くなった。その母 が祖母か ら貰 ったアメ リカ産の銅製 の装飾品が あるO銅製の大鍋 も残 ってい るが これ もア メ リカか ら交易 によって もた らされた物だQ糸 は、 トナカイの背 中の筋 肉
( j i i c i t )
に合成繊維( kapr o n)
を混ぜ て よって糸( i t e e t )
にす る。指ぬきは、ve l we l
と言い、 トナカイの足骨 を煮 て作 る。夏の靴の靴底 は、アザ ラシの皮 を燥製 に してか ら使 う。春 の トナカイの皮 は防水 のために ト ナカイの血 を塗 りアザ ラシの脂 を中に入れ てテ ン トの囲炉裏のそばに掛 けて燥製 にす る。
( Ⅰ r i naMi khayl o vnaYur t egi na)
5.
儀礼1)聖地 ア ッパ ピル
Appapi
l'(「お じい さん」 とい う意味) とい う名 の場所 も聖 なる場所で、すべて聖なる場所 は、島であって も陸の小高い丘 もAppapi
l'と呼ぶ。Mi ki na
とShe s t ako va
の間にある丘は聖 なる場所 である。家の外 の聖な る場所がAppapi
l'で、家の中で人間を守 って くれ る神 のいる聖 なる火 は、Annapi
l'(おばあ さん)である。( Ni naN. Mi l g i c h
il)クマの肉をすべて食べた後、骨 は
Appapi
l'にもって行 く。クジラの骨 もAppapi
l'に持 ってい く。Appapi
l'に持 って行 くのは、大形獣 のみで、小形 の動物 の骨 は、Appapi
l'に持 って行かず に、ツン ドラに置いて来 る。( Ni naN. Mi l gi c h
il)2)上界 の神
上界の神 は、いつ も人 間が何 を してい るのか見てい る
。Kuj ka n' aqu
とい う上界の神 の息子 の ワタ リガ ラスにも何 をすべ きか命令す る存在 だ. そのKuj ka n' aqu
を人間に変 えたのもこの 上界の神 だO それ でKuj ka n' aqu
は、 自然 と人間の中間の存在 なのだO上界の神 は全てを作っ た。他 の人 に この天上の神 が どんな姿を してい るのか尋ねたが、だれ も どんな姿を しているか 知 らなかった。上界 の神‑の供物 として動物 の代わ りに トナカイの脂 を、人間の代わ りに人形 を海 に入れ る と動物 も人間 も生まれ変わ る。 どの祭 で も上界 の神 に供物 を捧 げる。( Ni naN.
Mi l gi c h
il)11 4 3 ‑
3)
火 の神火の神 に食べ物 を捧 げるのは、人間を食べ させて くれ、暖か さをもた らして くれ るか らだ。
( Ni naN. Mi l gi c h
il)満月の時、火 に供物 を行 う。その朝、火起 こ し板 の人形
( yi c yi i )
に外で食べ物 をあげる。( I r i naM. Yur t egi na)
4)クマ
クマは、人間を訪れ る客だ。クマに会 うと招待す るために喉の奥の深い所か ら出す声で話 し かける。そ うす る と人間の言葉 をクマは理解す る。
クマは 自然の一部だか らた くさん とらない。必要な分 しか とらない。クマを狩猟 した後の祭 りの時、クマが雄 であれ ば、男がクマの皮 を着て森‑行 く。 メス熊であれ ば、女が皮 を着て森 に行 く。狩猟時期が終わった秋 に祭 りをす る。その時に、クマの頭の骨 を
Appapi
'‑に持 って行く。
( Ni naN. Mi l gi c h
il)5)鳥
鳥は、食べ物 をやれ ば、あの世 に運んで くれ るo
( Ni naN. Mi l gi c h
il)魚 をさばいた後で、魚 の頭 も骨 も犬の餌 とす る。魚 の尻尾 と内臓 は、カモメにや る。
( Vi t a Khe c hi l e,Shes t ako va)
6.
おわ りに本報告は
、1 997
年 の夏に訪れたペ ンジナ河マニ リ周辺の海岸 に居住す るいわゆる海岸 コ リ ヤー クの漁襟 キャンプ とペ ンジナ河支流のタロフカ川河畔 にある トナカイ遊牧チー ムの夏の 漁拷キャンプについての報告である。両地域 で行 われ る生業活動 の中で主 として夏の活動 の中心である漁摸活動 について観 察及 びインタビュクーによって得た情報 に限って報告 し、他の生業活動、社会関係、芸能 に関す る 民俗情報は別の機会 に譲 ることに した。
今回の報告はコリヤー クの漁擦活動 に関す る生の情報 を報告 したにす ぎないので、本格的な 考察は近い将来あ らためて別な形で報告す るつ も りである。