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檜隈寺周辺の調査 -

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Academic year: 2021

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(1)

1 調査地の概要

 檜隈寺は、高取山から北西方向に派生する丘陵上に位 置し、渡来系氏族東漢氏の氏寺として7世紀に創建され た古代寺院である。現在寺跡は於美阿志神社となってお り、境内には木塔跡に平安時代後期につくられた十三重 石塔が残っている。

 奈良文化財研究所では、1979年から1988年にかけて計 6回の発掘調査をおこなった。これらの調査により、金 堂・講堂・中門・回廊といった主要堂塔を確認した。伽 藍の造営方位は正方位に対して北で23~24°西に振れ、

南に中門をもたず、西に中門をもつといった特異的な伽 藍配置であることが判明した。

 2008年度からは、檜隈寺も含めたキトラ古墳周辺に計 画された国営飛鳥歴史公園の整備事業にともない、国土 交通省からの委託を受け、奈文研、明日香村教育委員会、

奈良県立橿原考古学研究所が分担して、檜隈寺周辺の事 前発掘調査を実施してきた。本調査は最終年の7ヵ年目 にあたる。

 調査区は飛鳥藤原第180次調査(『紀要 2015』)A区の南 にあたる丘陵斜面部に設定した。第180次調査では伽藍 南東部において、古代から中世に属すると推定される掘 立柱建物、掘立柱塀が発見されている。今回の調査では それらの建物、塀の広がりを確認し、古代から中世にか けての伽藍南方の利用実態を知る手がかりを得ることを 目指した。

 調査は2015年2月2日から開始し、3月27日に終了し た。調査面積は当初364㎡を予定していたが、遺構の広 がりを確認する必要が生じたため、西に拡張し、377㎡

となった。

2 検出遺構

 調査区は地形に応じ、西から頂部、中段部、下段部に 分かれる。調査区の基本層序は上層から順に、造成土、

床土、中世遺物包含層、地山となる。調査区東半には、

地山直上に地山起源の堆積土と考えられる遺物を含まな い複数の層(褐色粘質土層)が堆積している。また、調査

区下段(東側)の斜面下部ほど中世遺物包含層は厚く堆 積している。調査区付近の基盤層は花崗岩類で、地山は 主にその崩積土および風成シルト、またはそれらが混合 した堆積物からなる。遺構は、中世遺物包含層を除去し た褐色粘質土上面および地山上面で検出した。

 検出した主な遺構は、掘立柱建物5棟、掘立柱塀1条、

土坑4基である。また、ほかに小穴、土坑が多数あった。

以下検出遺構の概要を述べる。

掘立柱建物SB₉₉₅  調査区中段南端において検出した 掘立柱建物。柱穴5基を検出した。建物は調査区南へさ らに延びるため規模は不明であるが、南北2間以上、東 西2間と推定する。柱間は南北方向が6尺(約1.8m)、東 西方向が8尺(約2.4m)等間である。柱掘方は一辺50㎝

前後の隅丸方形で、柱穴の深さはおよそ60㎝であった。

建物方位は北で30°程度西に振れ、檜隈寺伽藍の造営方 位より西に振れる。柱穴出土遺物は少ないが、中世に降

檜隈寺周辺の調査

-第184次

図₁₁₂ 第₁₈₄次調査区位置図 1:₂₅₀₀

98.96

107.12 101.80

112.36

119.07 125

110

110

115 115

115

115 120

100

109.8

125.4 110.4 108.3

125.3 121.4

113.6 117.5

117.9

113.1 109.1

108.0 110.4

116.3

115.8 99.9

115.7 102.0

103.9 103.6

102.5 100.2

100.1

110.6

106.5 106.6

111.6

115.1

104.1

104.6

123.6 107.8

111.6

99.0

109.6

118.8

97.3

98.4

クジラ山

桧前 グラウンド

檜前寺跡 於美阿志神社

110 100

105

105

115

120

105 115

105

110

115 120

109.7

108.3

121.5 120.2

116.1

110.6

117.2 115.6

123.1 107.6 106.1

109.3

107.6 105.3

110.5

106.4

107.1

112.7 104.9

100.5

明日香村教育委員会 橿原考古学研究所 奈良文化財研究所

橿考研2008 1トレ 2トレ

3トレ 4トレ

橿考研2009 5トレ

明日香村2007‑8次

明日香村2007-8次

A1区 A2区

A3区

A7区

B1区 B3区 B4区

明日香村2007-11次

A-3区 B-1区 B-5区

E-2区 A6・7区

B2南区

檜隈寺1次

檜隈寺1次 檜隈寺 2次 檜隈寺 3次

檜隈寺 3‑1次 檜隈寺 4次

檜隈寺 4次

檜隈寺 4次

檜隈寺 4次

檜隈寺 4次 檜隈寺 5次

檜隈寺 5次

檜隈寺5次 155次(1区)

155次(2区)

155次(3区)

155次 (4区)

155次(5区)

155次(6区)

155次(7区)

155次(8区)

155次(9区)

155次(10区)

155次(11区)

159次(1区)

159次(2区)

159次(3区)

159次(4区)

159次(5区)

159次 (6区)

(2区)164次

(1区)164次

試掘区1

試掘区2

試掘区3

試掘区5試掘区4 164次

172次B区 172次A区 176次B区

176次A区 178‑12次

180次A区

180次B区

181‑2次 181‑2次

181‑4次A区 181‑4次B区 181‑9次Ⅲ区 181‑9次Ⅳ区

181‑9次Ⅱ区

184次

講堂

塔・十三重石塔 金堂

塔中軸線

50m

0

(2)

図₁₁₃ 第₁₈₄次調査区遺構図・南壁土層図 1:₂₀₀

地山

床土 造成土 中世遺物包含層 褐色粘質土層

H =111.00 m

H =113.00 m

H =115.00 m

Y‑18,057 Y‑18,048 Y‑18,041

SW NE

Y‑18,060 Y‑18,050 Y‑18,040 X‑171,220 X‑171,210

010m

180 次調査 A 180 次調査 B

SB1000SB1000 SB995SB995

SB999SB999

SB963SB963 SB972SB972

SA964SA964 SK998SK998 SK997SK997

SK1001SK1001 SK996SK996

(3)

る遺物を含まないことと柱穴の形状から古代の建物と推 定する。

掘立柱建物SB₁₀₀₀  調査区中段北端において検出した 掘立柱建物。柱穴8基を検出した。南北2間、東西2間。

柱間は南北方向が5尺(約1.5m)等間、東西方向が4尺(約 1.2m)等間である。柱掘方は一辺50㎝前後の隅丸方形で、

柱穴の深さはおよそ55㎝であった。建物方位は北で30°

程度西に振れ、檜隈寺伽藍の造営方位より西に振れる。

柱穴出土遺物は少ないが、中世に降る遺物を含まないこ とと柱穴の形状から古代の建物と推定する。

掘立柱建物SB₉₆₃  調査区東端において検出した掘立 柱建物。柱穴3基を検出した。調査区北および東へ延び、

第180次調査A区で検出したSB963と一連の遺構と考え られる。建物規模は、さらに南へ延びる可能性があり不 明であるが、南北4間以上、東西3間以上と推定される。

柱間は南北方向が6尺(約1.8m)等間、東西方向が西側 1間が7尺(約2.1m)、それ以外は6尺(約1.8m)である。

柱掘方は径20~30㎝の円形である。建物方位は北で37°

程度西に振れ、檜隈寺伽藍の造営方位の振れよりも大き く西に振れる。第180次調査の成果から建物の時期は中 世以降と推定する。

掘立柱建物SB₉₇₂  調査区西端において検出した掘立

柱建物。柱穴6基を検出した。調査区西へ延び、第180 次調査B区で検出したSB972と一連の遺構と考えられ る。建物規模は、南北約10.5m、東西約11.0mであり、

南北5間、東西1間以上。柱間は南北方向が7尺(約2.1 m)等間である。柱掘方は一辺40㎝前後の隅丸方形と径 30㎝程度の円形となる。柱穴の深さはおよそ35㎝であっ た。建物方位は北で27°程度西に振れ、檜隈寺伽藍の造 営方位よりもやや西に振れる。建物の時期は、第180次 調査と同様、柱穴出土遺物に瓦器を含むことから中世と 推定する。

掘立柱建物SB₉₉₉  調査区東端において検出した掘立 柱建物。柱穴3基を検出した。調査区北および東へ延び、

第180次調査A区で検出した小穴と一連の遺構と考えら れる。建物規模は、南北4間、東西2間以上と推定され る。柱間は南北方向が北側2間が5尺(約1.5m)、南側 2間が6尺(約1.8m)、東西方向が5尺(約1.5m)等間で ある。柱掘方は径20~30㎝の円形である。建物方位は北 で30°程度西に振れ、檜隈寺伽藍の造営方位より西に振 れる。SB963と同一面で検出しており、中世以降と推定 する。

掘立柱塀SA₉₆₄  SB1000と一部重なる位置で検出した 掘立柱塀。柱穴4基を検出した。第180次調査A区で検 出したSA964と一連の遺構と考えられ、本調査で西に折 れ曲がることが判明した。西に続く柱列の遺構は、後世 の削平を受けている。柱間は南北、東西とも7尺(約2.1m)

図₁₁₄ SB₁₀₀₀・SA₉₆₄(北から) 図₁₁₅ SB₉₉₅・SK₉₉₇・SK₉₉₈(南から)

(4)

等間である。柱掘方は一辺60㎝前後の隅丸方形と径50㎝

の不整円形で、柱穴の深さは西に向かうほど浅くなる。

塀の方位は北で27°程度西に振れ、檜隈寺伽藍の造営方 位よりもやや西に振れる。柱穴出土遺物が少ないが、中 世に降る遺物を含まないことと柱穴の形状から古代の塀 と推定する。

大土坑SK₉₉₆  調査区南西隅において検出した。幅2.7 m、長さ1.9m以上、深さ35㎝である。SB972の柱穴と重 複し、柱穴は大土坑より古い。

土坑SK₉₉₇  SB995の北側において検出した。幅0.5m、

長さ1.45m、深さ10~15㎝である。炭、焼土を多く含ん でいる。

溝状土坑SK₉₉₈  SK997と十字状に重なる位置で検 出した。幅0.50~0.75m、長さ2.6m、深さ20㎝である。

SK997とともにSB995の柱穴と重複しており、SK998が いずれよりも先行する。出土した須恵器の年代より古墳 時代の土坑と推定する。

土坑SK₁₀₀₁  調査区北西隅において検出した。幅0.9 m、長さ0.9m以上、深さ30㎝である。瓦を多く含んで

いる。 (前川 歩)

₃ 出土遺物

土 器  整理用木箱2箱分の土器が出土した。古墳時 代から中世までの土師器・須恵器・黒色土器・瓦器があ る。大部分は細片で、全体の形状があきらかな資料は限 られる。以下、残存状態が良好な資料について報告する。

 1~3は地山直上の包含層から出土した中世の土師器 皿である。3点が並んだ状態で出土した。いずれも口径 10.0㎝前後、器高は2.0㎝ほどである。1は、内面と外面 上半にヨコナデ、外面下半と底部に不定方向のナデを施 す。3は、内面と外面上半にヨコナデを施し、外面下半 から底部にかけては不調整。これらのうち、1は形態や 胎土の様相からみて平安京近郊からの搬入品であろう。

形状や法量から、延久3年(1071)に修された安鎮法の 遺物と目される平安宮内裏承明門地鎮遺構出土品や応徳 3年(1086)に開始された鳥羽殿造営にともなう鳥羽離 宮跡第95次庭園地業出土品

1)

との類似性が高く、11世 紀後葉の年代が与えられる。したがってこれらの土器は 十三重石塔の築造を前後する時期の所産とみられ、平安 時代後期に檜隈寺周辺が活発に利用されていたことがう

かがわれる。

 4~6はSK998から出土した古墳時代の須恵器であ る。4は杯蓋。口径14.4㎝、器高4.6㎝。丸みを帯びた天 井部をもち、天井部と体部の境にわずかに稜を残す。口 縁端部はやや内傾するが、端面と内面との境界はあまり 明瞭でない。ヘラケズリの範囲は外面全体の二分の一程 度で、回転方向は時計回り。5は杯身。復元口径11.6㎝、

器高4.4㎝。立ち上がりの端部はやや内傾し、内面に端 面の名残の稜が残る。ヘラケズリの範囲は四分の三ほど で、回転方向は時計回り。6は杯身。復元口径12.4㎝、

器高4.5㎝。立ち上がりの端部は丸く収める。ヘラケズ リは三分の二程度で、回転方向は時計回り。これらの特 徴から、4~6はいずれもTK10型式に比定できる。

(金 宇大)

瓦 類  瓦は軒丸瓦1点、軒平瓦が4点、丸瓦275点

(25.3㎏)、平瓦1,856点(104.7㎏)、鴟尾片2点、そのほか 壁土が13点(80g)出土した。軒丸瓦は型式不明である が複弁蓮華文(1)。軒平瓦はすべて重弧文で、文様構 成がわかるものには笵押しで細い外縁をもつ三重弧文

(2)と顎の長い型挽き三重弧文(3、土坑2埋土出土)が ある。笵押しの重弧文は檜隈寺にこれまで四重弧文があ るが(IID)、三重弧文は知られていない。

 鴟尾片には胴部から腹部への屈曲付近の部位と(4)、 段を有する胴部とみられる破片がある(5)。5の段は 粘土積上げの断面観察から水平に近い正段とみられ、胴 部でも頭部寄りかつ基底部寄りの部位であると考えられ る。過去には本調査区の西に位置する第1次調査区で 半円形の透し穴をもち正段をとる胴部片が出土してお り

2)

、本調査で出土した鴟尾片も含めいずれも焼成が軟 質で暗青灰色を呈し近似する特徴をもつ。 (山本 亮)

鉄製品  調査区頂部において、中世遺物包含層から鉄 釘1点と不明鉄製品1点が出土している。(和田一之輔)

図₁₁₆ 第₁₈₄次調査出土土器 1:4

1 2

6 4

5

3 10㎝

0

(5)

4 ま と め

 本調査の結果、檜隈寺伽藍南方では主に古代と中世初 頭の二時期に建物や塀などが建てられ利用されたという 第180次調査での見解を追認するとともに、建物がさら に南方へ展開することが判明した。また古墳時代と考え られる遺構も確認し、檜隈寺造営以前の利用実態の一端 があきらかとなった。

 調査区中段部では、中世遺物包含層を除去した褐色 粘質土面および地山面で古代と推定される掘立柱建物

(SB995・SB1000)、掘立柱塀(SA964)を検出した。第180 次調査では南北塀として考えていたSA964だが、今回の 調査で南にさらに延びた後、西に折れ曲がることが判明 した。それぞれの建物方位は、SB995およびSB1000が北 で西に30°程度振れ、SA964が北で西に27°程度振れてお り、方位としては大きく2つの傾向を確認できた。第180 次調査で検出した掘立柱建物SB960・SB962も北で西に 30°程度振れ、前者と同様の傾向をもつ。掘立柱建物の 方位がほぼ同一方位であることから、これら建物が同一 期に建てられた可能性を考えることができる一方、時期 が異なるSB999の建物方位も同様の方位をもつことから、

地形状況に対応して建物が計画された結果ともいえる。

 調査区頂部では、小型の柱穴からなる掘立柱建物

(SB972)を検出した。埋土に瓦器を含むことから時代は 中世に降る。SB972は第180次調査で検出していたが、

今回の調査で規模が確定した。調査区下段部では、小型 の柱穴からなる掘立柱建物(SB963・SB999)を検出した。

SB963は、第180次調査で検出していたが、今回の調査 でさらに南に延びることが判明した。

 以上のように、檜隈寺伽藍の南方では、丘陵の頂部、

中段部、下段部で時期の異なる遺構が認められた。大き な区分としては、頂部、下段部では中世の遺構が、中段 部では古代の遺構が確認できた。一方、中段部の西半部 からは遺構がまったく検出されず、平坦な地山面が一面 に広がるのみであった。その理由としては、この面が東 半部に比較し傾斜が緩く平坦面を形成していることか ら、中世以降の水田化などの造成によりそれ以前の遺構 面が削平されたためと考えられる。 (前川)

1) 梅川光隆「平安宮内裏」『平安京跡発掘調査概報 昭和60 年度』京都市文化観光局、1986。吉崎伸・鈴木久男「第 95次調査」『昭和58年度京都市埋蔵文化財調査概要』財団 法人京都市埋蔵文化財研究所、1985。

2) 『藤原概報 10』。飛鳥資料館『日本古代の鴟尾』1980。

図₁₁₇ 第₁₈₄次調査出土瓦類 1:4

1 2

3

4 5

0 10 ㎝

参照

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