博士論文 概要書
題 目
顧客志向経営の本質とその構造の解明
Analysis of the Essentials and Structure of Customer-Oriented Management
氏 名 森下 俊一郎
序章.本研究の背景と目的
顧客志向経営(Customer Oriented Management)の重要性が注目されるようになったの は、市場の飽和と自由化がすすみ、製品やサービスの差別化戦略が行き詰まりを見せ始め た 1970 年代の終わりから 80 年代初めにかけてのことであった。このような風潮の中で、
多くの企業が顧客尊重の企業理念を掲げ、”顧客志向経営”を実践してきた。また、経営 学の分野においても、主としてマーケティング論および消費者行動論を中心に顧客志向経 営に関する多くの優れた研究成果が現れてきた。
しかしながら、顧客志向経営の概念は、実は、曖昧であり、その定義も研究者によって 様々である。従って、その捉え方も企業ないしは研究者によって様々である。
このような状況の中で、多くの企業では、顧客志向経営を企業業績を高めるための手っ 取り早い経営手法(経営ツール)と捉えている。また、そのような論調の研究も少なくない。
果たして、そのような考え方は正しい顧客志向経営の捉え方なのであろうか。顧客志向経 営が、本来、顧客尊重の理念を実践するための経営であるならば、顧客の歓心を買い、顧 客満足を得て、それによって企業経営を向上させるような経営である筈がない。それは、
顧客尊重の理念を真に実践し、顧客の期待を超えるような製品やサービスを提供すること によって顧客から評価される経営であるべきではなかろうか。顧客志向経営は、経営目的 を達成するための手段ではなく、経営目的そのものである。しかるに、先行研究の中には 顧客志向経営を手段(ツール)としてではなく、それを真正面から捉え、経営のあり様(本 質)としてアプローチしている例はあまりない。本研究は、そのような問題意識が、研究の 出発点であった。
そのような研究の出発点に立脚する時、まず究明すべき課題は、顧客志向経営をいかに なすべきか(顧客志向経営の how)ではなく、顧客志向経営の本質は何か(顧客志向経営の what)であることに気づく。そこで、本研究は、顧客志向経営の本質を問い、それはどのよ うな要因で構成されどのような構造を持つか、そして、その実現によって企業業績の向上 を目指すのではなく、それそのものの改善を目指すためには何をどのように実践すべきか を解明することを目的とする。
1 章においては、顧客志向経営に関する先行研究のレビューを行い、顧客志向経営の定 義、研究方法、研究成果を時代に沿って検討して研究の潮流を明らかにし、そこにおける 研究上の問題点と研究課題を明らかにする。2 章では、顧客志向経営の実態を把握するた めに、顧客志向経営を実践しているとの定評のある1企業のフィールドリサーチを行い、
その具体的な経営行動の実態から、顧客志向経営の要因・要件を抽出し、顧客志向経営の 基本的な構造(フレームワーク)を見出し、それを本研究の仮説として提示する。3 章では、
顧客志向経営のベストプラクティス企業 6 社に対する事例研究を行い、それらの企業の具 体的な経営行動から 2 章で提示したフレームワークの妥当性を定性的に検討し、逆にこの フレームワークを用いることによって、顧客志向経営の要件を導き出す。4 章では、先行 研究における企業経営に関するアンケート調査のアーカイブ・データを用いて、顧客志向 経営と企業業績との相関関係を分析し、因子分析によって同定した因子構造から 2 章で提 示した顧客志向経営のフレームワークの妥当性を定量的に検討する。さらに、5 章では、
顧客志向経営に特化したアンケート調査を実施し、そのデータを統計処理することにより、
顧客志向経営と企業業績の相関関係を定量的に分析し、厳密な因子分析から顧客志向経営 の尺度を構成し、それによって 2 章で提示した顧客志向経営のフレームワークの妥当性を 定量的にかつ厳密に検証し、さらに、顧客志向経営の成熟度を判定するための実用的な診 断チェック・リストを考案して、その妥当性と実用性を検討する。6 章では、各章で論じ てきた要点と成果を整理し、一連の研究結果から得られた知見を統合して、本研究の総ま とめと考察を行い、全体を通した結論を導き出し、今後に残された課題を述べる。
1 章. 顧客志向経営研究の潮流と課題
1 章では、顧客志向経営に対する先行研究レビューを行った。
企業経営において、”顧客”の重要性が、ドラッカー(1956)やレビット(1962)によって言 及されたことを契機に、1980 年代以降、ノーマン(1984)、ピーターズとウォルターマン (1985)らが、当時成功している企業の条件の一つとして、顧客重視の経営を挙げ、顧客志 向経営が注目されるようになった。
1990 年以降は、顧客の購買データの定量的分析によって、財務指標と顧客志向経営との 関係を実証する研究が現れてきた。例えば、企業の収益性と成長率には顧客から見た品質 と関係あることを見出したバゼルとゲイル(1987)、新規に顧客を獲得するコストより既存 の顧客を維持するコストの方が低いことを実証したライクヘルドとサッサー(1990)、従業 員満足と顧客満足、さらに収益性への連鎖関係を示したサッサーら(1994)、顧客満足と顧 客ロイヤリティの相関関係を実証したサッサーとジョーンズ(1995)、業績と内部品質との 連鎖関係を提示したジョンソンとグスタフソン(2000)等がそれである。このような定量的 実証分析研究の成果により、顧客重視の経営によって企業の業績が向上すると認識される
ようになった。
以降、業績向上のために、顧客の購買行動を分析し、いかに効果的に顧客志向経営を行 うかといった具体的な方法について、様々なアプローチで研究が行われるようになった。
そのアプローチの例として、苦情処理、顧客のセグメンテーション、マス・カスタマイゼ ーション、IT戦略、One to One Marketing/Customer Relationship Management、顧客経 験の分析、現場の従業員の重視、経営者のリーダーシップ等があった。
このように、顧客志向経営の研究は、業績の優れた企業の事例研究から顧客重視の経営 が一要件として取り上げられ、注目された後、顧客の購買行動に関する様々な定量的デー タの統計分析からの実証により、業績を高めるための経営方法やアプローチとして論じら れるようになった。
以上の先行研究のレビューから、その研究上のいくつかの問題点と課題を見出すことが できる。
まず、業績を高めるための経営手法としての顧客志向経営は、多くの企業がその経営理 念として掲げる“顧客のための企業経営”という考え方とは、実は、本質の部分では異な っていることに注意しなければならない。顧客への購買を促進させるためのみの手法とし ての研究アプローチは、顧客が真に望む経営を企業は行っているか、即ち、“顧客のための 企業経営”を行っているかの視座と適合するかは甚だ疑問である。顧客志向経営が、業績 向上のために顧客満足や顧客ロイヤリティ等を高めることと混同されているのではないか と危惧される。
また、多くの先行研究の調査対象は、企業経営ではなく、顧客の購買行動となっている。
顧客志向経営を真正面から研究するためには、顧客の行動ではなく、企業の行動そのもの を調査対象とすべきである。研究対象のスコープに関しても、多くの先行研究は1社、も しくは数社のみのデータによる定量分析や事例研究を基礎としており、多種多様な企業に 対する定量と定性の両面からの検討がなされていない。優れた数社の企業事例からそれら の企業に共通して見られる顧客志向経営の要件や特徴を定性的に抽出し、一般的な顧客志 向経営の要件や特徴を発見する研究も確かに重要である。しかし、そのような発見があっ たならば、それらの特長や要件を改めて定量的に検証することが必要であろう。
以上のように先行研究をレビューし、その成果、問題点、課題を分析したが、これらを 時代に沿ってまとめると次の表 1 のようになるだろう。
表 1.顧客志向経営研究の潮流
主な年代 研究のトピックス 顧客志向経営の捉え方 主な研究者 問題点や課題
1980年代 業績の優れた企業の特長とし て顧客志向の経営を見出す。
好業績の企業が重視している 顧客を意識した経営概念
ノーマン(1984)、アルブレヒトとゼンケ [Alberecht and Zemke (1983)、カールゾ ン(1985)、ピーターズとウォルターマン (1985)、大前(1988)
企業経営における、顧客の重要性 を説いただけで、検証がされていな い。
顧客購買データから業績との 関連性を定量的分析により検 証する。
企業経営に、業績と、顧客満 足やロイヤリティを関連付け た考え方
バゼルとゲイル( 1987)、ライクヘルドと サッサー( 1990)、サッサー ら(1994)、サッ サー、ヘスケットとシュレンジャー( 1994)
本来の顧客尊重の経営がなされて いない
顧客の購買行動の研究であって、
企業経営を対象として研究ではな い。
業績向上に有効な顧客満足 やロイヤリティを高める経営 手法を提示する。
業績向上のために顧客満足 やロイヤリティを高める経営 手法
サッサー、ヘスケット、ハート(1990)、ウッ タル、デビッドウ(1989)、パイン、ビク ター、ボイトン(1993)、ペッパーズ、ロ ジャース(1995)、ヘスケット、シュレン ジャー(1991)、ライクヘルド(1993)
一社や数社の事例やデータでしか 有効性が確認されていない。
業績向上のため経営という捉え方 は、本来の"顧客尊重の経営とは 主旨が外れている。
2000年代
優れた顧客志向経営を行って いると考えられている企業の 経営戦略を見出し、そのフ レームワークを提示する。
顧客の視点からの全社的経 営を行う戦略やフレームワー ク
トレーシーとウィセーマ(1995)、バウム ガートナーとワイズ(1999)、ハマー (2000)、ローランド、バレーリー、および、
キャサリン(2001)、グラティとオールドロイ ド(2005)
定量的な検証がされていない。
1990年代
2 章. 顧客志向経営の実践事例からの仮説構築
2 章では、顧客志向経営を実践している企業のフィールドリサーチを行い、顧客志向経 営の実態を把握し、そこから顧客志向経営の基本的な構造(フレームワーク)を見出すため に、顧客志向経営において一定の評価を得ているヒューレット・パッカード社(以下、HP と略記)の事例研究を行った。
HPでは、顧客重視の企業理念として”HP Way”と表現する理念が創業当初から存在し、
その企業理念を全社で浸透させるべく、様々な経営行動がとられている。それらを詳細に 検討し、まとめると、次の 2 点に要約できる。第1に、HPでは、経営者が現場を歩き回 るマネジメント・バイ・ウォーキング・アラウンド、従業員が上位管理者とコミュニケー ションしやすいよう経営幹部を含め全従業員の部屋にドアがないオープン・ドア・ポリシー 等によって従業員の HP Way への共感が得られる努力をし、それによって顧客尊重の企業理 念を全社員で共有化しようとしている。第 2 に、HPでは、顧客視点の経営を行うべく、
ナレッジ・マネージメント、業務プロセスの評価システム、顧客満足向上のための各種プ ログラム、および、TQM や QMS を基にした顧客サービス戦略を企画・実行・評価する仕組 みが機能し、そのことによって顧客尊重の企業理念を全社員で具現化しようとしている。
すなわち、これら 2 つのアプローチにより、顧客へ付加価値を提供しつつ、自社に利益を もたらすHPの顧客志向経営が実現されているのである。
以上のHPに対する実態調査から、顧客志向経営とは、顧客尊重の企業理念を基点とし、
その理念を従業員が理解・共感することによって全社でそれを共有化し、それと同時に、顧 客に価値を提供することが現実に可能な経営システム(仕組み)を工夫することによってそ
の理念を全社で具現化する、そのような経営であるとの仮説を得た。
本研究では、この仮説の前半部分を”理念の共有化”、後半部分を“理念の具現化”と 略称する。そうすると、顧客志向経営とは、”理念の共有化”と”理念の具現化”によっ て顧客尊重の企業理念を実現しようとする経営であると要約することができる。
もし、”理念の共有化”と”理念の具現化”が共によりよくなされているならば、全社 の顧客志向経営は全体としてよりよくなされるだろう。これらの双方がうまくいっていな ければ、顧客志向経営は全体として望ましくないものになるだろうことは当然であるが、
これらの一方がよりよくなされているとしても、他方がうまく行っていなければ、全体と しての顧客志向経営は望ましくないものになってしまうだろう。そのように考えると、”
理念の共有化”と”理念の具現化”は互々の方向性を持つベクトルであり、顧客志向経営 とは、顧客尊重の理念を基点とするこれらふたつのベクトルの和であると考えることがで きる。そこで、顧客志向経営を可視的に図示すると図1のようになる。勿論、この図は顧 客志向経営を概念的に見通しよく表現したものであって、数学的に厳密なベクトル空間を 意味するものではない。しかし、この図は顧客志向経営を概念的に把握し、分析するため の有益な枠組み(フレームワーク)になりえていると言えるだろう。そこで、このフレー ムワークを本研究における基本仮説として提示することにしたい。
顧客尊重 の理念
顧客志向経営
理念の 具現化 理念の
共有化
図 1.顧客志向経営のフレームワーク
ここで、以下の論点に注意しなければならない。第 1 に、このフレームワークはあくま でも仮説として提示されたものであって、その存在・妥当性が実証されたものではない。
第 2 に、このフレームワークはHPというただ 1 社の顧客志向経営の実態分析から導き出 されたものであって、多くの企業に一般的・普遍的に当てはまるものであるとの保証はな
い。第 3 に、このフレームワークは事例研究から主観的に導出されたものであって、デー タ分析から客観的に同定されたものではない。
にもかかわらず、このフレームワークは顧客志向経営の本質を考察・分析する際の、概 念的であるが、有力な思考枠組みとなりえている。それなるが故に、これを基本仮説とし て提示し、その上で、これら 3 つの問題点を以下の章では検討して行くことにする。
3 章.ベストプラクティス企業における顧客志向経営の事例研究
3 章では、顧客志向経営のベストプラクティスと考えられている企業の事例を分析する ことにより、フレームワークの妥当性を定性的に検討した。顧客志向経営に優れているベ ストプラクティス企業は、顧客志向経営の本質的な特徴を色濃く有していると考えられる ので、フレームワークの検討には適していると思われる。
先ず、先行事例研究等を参考にして、ベストプラクティス企業の候補を 30 社選出し、
これらの中から、顧客志向経営のベストプラクティス企業として定評があり、かつ、これ らの中で、客観的な資料を得ることが可能な、アスクル、ベネッセ、デル、花王、スター バックス・コーヒー、ザ・リッツ・カールトン・ホテルの 6 社を最終的に選定して分析に 供した。
次に、これら 6 社の具体的な顧客志向経営の実態を公開されている資料から抽出した。
それらを要約して述べると次のようになる。
アスクルでは、「お客様のために進化する」という企業理念を掲げ、この理念に共感で き、価値観を共有する人材のみを採用し、また本社の中心に顧客対応を行うコールセンタ ーを配置している。さらに、アスクルでは、小規模な顧客からインターネットや FAX で直 接注文を受け、幅広い商品を安価で少数でも提供し、翌日に届けるビジネスモデルを確立 している。
ベネッセでは、「一人ひとりのお客様に”こうなりたい”をお手伝いする」、および、「よ く生きている社員がよく生きる顧客を支援する」といった考え方を経営者が顧客と従業員 に対してコミットしている。同時にベネッセでは、膨大な顧客データベースや顧客との双 方向コミュニケーションから得られた情報を基にマーケティング活動や企画を行い、顧客 のライフイベントにあわせた商品やサービスを提供している。
デルでは、"顧客に優れた満足経験を優れた価格でご提供する”といった企業理念の下、
従業員に対し、その企業理念を重視した採用と教育を行い、さらに顧客満足を反映させた
人事や報酬制度を設けている。また、直販、受注生産、最小在庫、前払い等のデル独自の ビジネスモデルを構築し、効率化された SCM(サプライ・チェーン・マネジメント)によっ て顧客が望むコンピュータ等の仕様とサポートを低価格で提供している。
花王では、「消費者・顧客の立場にたって、心をこめた“よきモノづくり”を行ない、
世界の人々の喜びと満足のある豊かな生活文化の実現に貢献することを使命とします」を 企業理念としている。この理念の下、従業員はコスト意識と現場主義が徹底している。ま た、花王は、顧客からのニーズを吸い上げる組織と仕組みを確立し、データベースに蓄積 された情報を分析して、研究開発に活かしている。
ザ・リッツ・カールトン・ホテルでは、「お客様へ心のこもったおもてなしと快適さを 提供することを、もっとも大切な使命と心得ています」といった企業理念の下で、ホスピ タリティの資質があり、この価値観に共感できる人材を採用し、日々のミーティングで理 念を議論しあい、また顧客のために自分で考え行動する権限を従業員に与えている。さら に、ザ・リッツ・カールトン・ホテルでは、予約時の電話応対からチェックアウトまでに 収集された顧客の情報を従業員に共有し、顧客サービスや改善活動に活かしている。
スターバックス・コーヒーでは、「顧客が心から満足するサービスを常に提供する」と いった企業理念があり、この理念に共感できるホスピタリティのある人材のみを従業員と して採用し、その理念に対し自分が何をできるかについて自らが考えるトレーニングを実 施している。また、スターバックス・コーヒーは、最高級の豆で、顧客の好みにあわせて コーヒーを煎れるだけでなく、利便性の高い立地条件に居心地のよい空間を顧客に提供し ている。
このように、本事例研究で取り上げたベストプラクティス企業における顧客志向経営の 具体的な実践の実態を抽出し、それらをその性質により分類・要約してみると、いずれの 企業も顧客尊重の企業理念を”理念の共有化”と”理念の具現化”に相当する経営行動に よって実現していることが明らかとなった。このことから、ベストプラクティス企業にお いては、顧客志向経営が顧客尊重の理念を基点として”理念の共有化”と”理念の具現 化”のベクトルによって実現していることが確認された。そのことによって、2 章で提示 した顧客志向経営のフレームワークの妥当性が、定性的ではあるが、確認された。
次に、抽出された具体的経営実態について、KJ法を適用してみた。このKJ法におい てできうる限り虚心坦懐に島を形成して行ったところ、やはり、”理念の共有化”と”理 念の具現化”に対応する島が最終的に形成された。このことから、本研究のフレームワー
クの妥当性は、主観的ではあるが、支持された(少なくとも、否定されるものではなかっ た)と言えるだろう。
以上の結果を受けて、今度はフレームワークを前提にして(フレームワークの妥当性を 仮定して)、これら 6 社の具体的な経営行動の実態から顧客志向経営に相当するものを抽出 してみた。その結果、”理念の共有化”については、「顧客志向の素養のある人材を採用し、
その素養を高める教育研修を行い、また、経営者は、そうした従業員の働く満足を重視し、
その成果に報いる人事制度を整え、リーダーシップを発揮して、従業員を顧客志向に向か せる」という経営像が浮び上がった。”理念の具現化”については、「顧客との双方向のコ ミュニケーションによって得られた顧客に関する情報を IT システムによるデータベース で共有し、新製品やサービス開発等に活かし、自社の主要事業を優れたオペレーション・
システムで支援する仕組みを整える」という経営像が描き出された。このことから、本研 究におけるフレームワークは、顧客志向経営を分析する際の有用な思考枠組みとなりうる ことが確認された。
加えて、フレームワークから導き出された顧客志向経営の要件について、本事例研究の 6 社に実施状況のアンケート調査を行った結果、5 社から回答を得、これらの 5 社は”理念 の共有化”と”理念の具現化”を軸とする図 2 のような平面上にプロットでき、かつ、い ずれの企業もこの平面上の良好な領域に散布していることが見出された。これらのことか ら、本フレームワークは、概念的・定性的な思考枠組みにとどまらず、定量的な分析枠組 みになりうることが確認された。
50 理念の共有化
25
50
25 理念の具現化
A C B
D E
図 2.事例企業のフレームワークに対する位置づけ
4 章. アーカイブ・データによる顧客志向経営の定量分析
4 章では、企業経営に関するアンケート調査のアーカイブ・データを用いて、①顧客志 向経営と企業業績との間に、先行研究で論じられているような統計的相関関係は実証され るか、②先に提示した顧客志向経営のフレームワークは統計的に検証されうるか、③顧客 志向経営のフレームワークにおける”理念の具現化”と”理念の具現化”の概念はどのよ うな内容に分解されうるか、といったリサーチ・クエスチョンを設定し、解明を試みた。
まず、顧客志向経営と業績向上との関係について、アーカイブ・データの質問項目と企 業業績との相関分析を行ったところ、顕著な相関関係を見出すことはできなかった。この ことから、多くの先行研究で認められている顧客志向経営と企業業績の関係性には疑問を 呈せざるを得ないことが分かった。
次に、アーカイブ・データに対して、因子分析を行った結果、抽出された因子はフレー ムワークの”理念の共有化”と”理念の具現化”に対応する 2 つの概念に集約されること が分かった。このことから、掲示されたフレームワークの妥当性が、ある一定の範囲内で はあるが、定量的に確認された。
さらに、抽出された因子の質問内容から、”理念の共有化”について「顧客志向の企業
風土の中で、権限委譲された従業員が、指標化された顧客満足度を目標に働いている経 営」、”理念の具現化”について「顧客の個別意見を収集し、新しい製品やサービスの開発 に反映させ、自社の独創性を活かして、競合他社との差別化を試みている経営」といった 経営像を導き出すことができた。
ただし、ここで用いられたデータは、必ずしも顧客志向経営を調査する目的のものでは なく、たまたま顧客志向経営を調べることに使いうるデータである。またその質問数も 20 と十分なものではない。従って、以上の分析には限界があることに注意しなければならな い。
5 章. アンケート調査による顧客志向経営の構造分析と診断チェック・リストの開発 これまでの研究結果を踏まえた上で、5 章では、顧客志向経営に関するアンケート調査 を実施し、そのデータを統計的に分析することにより、顧客志向経営の構造と本質を客観 的かつ定量的に解明することを目的とした。そのために、①顧客志向経営と企業業績との 間に、先行研究で認められているような相関関係が見出されるか、②本研究の顧客志向経 営のフレームワークは客観的・定量的な妥当性を持つか、といったリサーチ・クエスチョン に解答を与えると共に、顧客志向経営のフレームワークの妥当性が確認されたならば、③ 顧客志向経営のフレームワークにおける”理念の共有化”と”理念の具現化”を構成する 下位概念は何か、④顧客志向経営の成熟度を測定する数量的指標は何か、さらに⑤そのよ うな指標を用いた診断チェック・リストは開発しうるか、といった新たなリサーチ・クエ スチョンを設定した。
先ず、企業経営における定性的概念の定量的指標化(尺度化)の先行研究をレビューし、
尺度化のための方法論的示唆を得た。
次に、これまでのフィールドリサーチおよび事例研究で導出された顧客志向経営の要件 を参考にし、さらに先行研究の成果も取り入れて、顧客志向経営に関する 40 の質問で構成 されたアンケート調査票を設計し、上場企業 1049 社に対するアンケート調査を実施し、191 社からの回答(回収率 18.1%)を得た。
そのデータを用いて、顧客志向経営と企業業績との間の関係について、アンケート調査 における各質問項目と企業業績との間の相関分析を行ったところ、いくつかの質問項目と 企業業績との間に統計的に有意な相関関係が見出されたものの、その件数は少なく、また 相関係数も総じて低いことから、顧客志向経営と企業業績との間には顕著な相関関係はな
いことが確認された。このことから、顧客志向経営と企業業績を直接的・短絡的に結びつ ける多くの先行研究に疑義を感じざるをえないという結果を得た。
次に、アンケート・データに対して、統計的にできうる限り厳密な手続きに従って因子 分析を行ったところ、「顧客視点の人事組織」、「顧客満足やニーズの管理」、「顧客視点の経 営戦略」、「顧客満足への対応責任」の 4 因子が抽出された。これを表 2 に示す。
表 2.アンケート結果に対する因子分析のパターン行列
質問 共通性 1 2 3 4 因子
17.従業員の採用基準に顧客の視点で考えられる資質があるか項目が設けられている。 0.594 0.641 0.053 0.109 -0.111 20.顧客対応のサービス基準を設け、全社への展開とその遵守状況を把握している。 0.556 0.610 0.113 -0.036 0.014
22.顧客の声や現場の臨場感を全社的に感じられる工夫や仕組みがある。 0.670 0.593 -0.050 0.111 0.149
26.従業員の報酬や人事に、顧客満足の結果が加味されている。 0.549 0.559 0.112 0.059 -0.060
21.顧客と双方向にコミュニケーションを行う仕組みがある。 0.569 0.496 -0.157 0.102 0.113
35.顧客の特性や属性により区分した顧客群ごとに顧客の要望を把握している。 0.672 0.030 0.864 0.074 0.056 34.自社の既存顧客だけでなく、市場や潜在顧客のニーズを把握する仕組みが機能している。 0.646 0.077 0.594 0.135 -0.032 36.顧客満足度を定量的に評価する具体的な尺度・指標等が設定されている。 0.549 -0.090 0.587 -0.019 -0.019
25.自社の顧客志向経営や顧客満足度を他社と比較・分析している。 0.520 0.458 0.469 -0.171 -0.052
29.顧客の満足や不満足に影響を及ぼす要因を分析し、明らかにする仕組みが機能している。 0.703 -0.017 0.436 0.012 0.028 31.他社の優れた事業や業務を比較・分析し、自社の経営に取り入れている(ベストプラクティスのベンチマーキング)。 0.479 0.170 0.403 0.353 -0.003 30.顧客に対する自社独自の強み(コアコンピタンス)を認識し、経営戦略に活かしている。 0.629 0.055 -0.023 0.847 -0.045 32.顧客の視点やニーズを反映したビジネスプロセスやビジネスモデルが構築されている。 0.639 0.174 0.257 0.510 0.042 27.顧客に影響を及ぼす問題に対し、すみやかに根本原因の追究をし、および再発・未然防止策をたてる仕組みが機能している。 0.546 -0.002 0.046 0.443 -0.028 2.全社的に顧客満足に対する改善や向上活動を管理し、責任をもつ独立した部署がある。 0.809 0.000 0.031 -0.013 0.978 3.顧客満足に対する改善や向上活動を専任とする責任者や担当者が任命されている。 0.821 0.005 -0.002 0.001 0.918
16.全社・組織横断的に顧客情報を共有する仕組みがある。 0.448 0.094 0.013 -0.030 0.225
14.顧客情報やデータベースを研究開発やマーケティング活動に活かす仕組みが存在する。 0.458 0.146 0.365 -0.104 0.136
5.顧客に対し優れた貢献をした従業員やグループを表彰する制度がある。 0.438 0.090 -0.034 0.292 0.129
28.定期的に事業や業務内容をレビューし、改善する機会を設けている。 0.550 -0.180 0.138 0.283 0.109
15.社内の意思決定において顧客の声や現場の意見が最重要視されている。 0.468 0.393 0.060 -0.190 0.075 4.従業員のトレーニングや研修に、顧客尊重の理念や、その実践に関するカリキュラムがある。 0.497 0.171 0.007 0.225 0.068 39.不特定多数に製品やサービスを提供しないで、顧客をあらかじめ特定化して提供している。 0.370 0.013 -0.034 0.025 0.055 11.ファンクラブやユーザー会など顧客で形成されるコミュニティからフィードバックを得る仕組みがある。 0.474 -0.057 0.044 0.066 0.031 19.従業員満足を高める全社的仕組みがある、あるいは、そのような人事施策が制度化されている。 0.596 0.120 0.086 -0.104 0.028 38.株主、自社、従業員、社会などのステークホルダーの中で、顧客を最も重視している。 0.388 0.120 0.012 0.083 0.010
8.他社と効果的な協力や業務提携を積極的に行っている。 0.314 0.316 0.026 0.116 0.000
9.社内販売やモニター制度など、従業員が自社の商品やサービスを評価する仕組みがある。 0.487 0.084 0.119 -0.064 -0.015 10.効率的なサプライチェーンやITインフラなど業務支援基盤(オペレーションシステム)が機能している。 0.484 -0.048 -0.035 0.320 -0.034 37.営業や販売などの部署や担当は顧客セグメント毎に決められている。 0.401 -0.153 0.368 -0.017 -0.049 40.顧客が利用しやすいように業界標準や互換性のある製品・サービスを提供している。 0.333 -0.197 0.087 -0.018 -0.053
12.従業員のモチベーションを高める全社的施策が制度化されている。 0.584 0.070 -0.053 0.022 -0.070
13.現場の従業員は、顧客の要望に対し自分で判断し、行動できる権限が与えられている。 0.398 0.275 -0.165 -0.102 -0.098 24.役員以上の経営幹部は、積極的に顧客と直接的なコミュニケーションを行っている。 0.359 0.178 -0.119 0.105 -0.117 33.取引業者や販売協力会社などのビジネスパートナーは、貴社の顧客に対する考えを理解している。 0.511 0.256 0.271 0.161 -0.118 因子抽出法: 最尤法 回転法: Kaiser の正規化を伴うプロマックス法 固有値 11.792 2.220 1.606 1.526 分散の % 33.693 6.344 4.587 4.359 累積 % 33.693 40.036 44.624 48.983
顧客重視の人事 組織(α=.8051)
顧客満足やニー ズの管理(α
=.8598)
顧客視点の経営 戦略(α=.7928) 顧客満足への担 当責任(α=.9365)
これら4因子の下位尺度としての信頼性および内的整合性がクローンバックのα係数 から確認された。そこで、これらの 4 因子をx1、x2、x3、x4とおくと、顧客志向経営は、定量 的には、4次元斜交空間x1―x2―x3―x4上に表現できることになる。
下位尺度x1、x2、x3、x4についての下位尺度値a、b、c、dをそれぞれの質問項目の項目得 点の合計値とすると、下位尺度は次のように構成できる。ただし、Q17、Q20 等は質問項
目17、質問項目20等を、|Q17|、|Q20|等はQ17、Q20等のリッカート・スケール得点
値を意味する。
<構成された下位尺度>
下位尺度「顧客視点の人事組織」 x1:Q17・Q20・Q21・Q22・Q26 下位尺度「顧客満足やニーズの管理」x2:Q25・Q29・Q31・Q34・Q35・Q36 下位尺度「顧客視点の経営戦略」 x3:Q27・Q30・Q32
下位尺度「顧客満足への担当責任」 x4:Q2・Q3
下位尺度x1の尺度得点 a=|Q17|+|Q20|+|Q21|+|Q22| +|Q26|
(最低点=5、最高点=25) 下位尺度x2の尺度得点 b=|Q25|+|Q29|+|Q31|+|Q34|+|Q35|+|Q36|
(最低点=6、最高点=30) 下位尺度x3の尺度得点 c=|Q27|+|Q30|+|Q32|
(最低点=3、最高点=15) 下位尺度x4の尺度得点 d=|Q2|+|Q3| (最低点=2、最高点=10)
第1因子「顧客視点の人事組織」と第4因子「顧客満足への担当責任」は、それらの質 問項目内容を総合的に意味解釈して全体的に合せ考えると、結果として、"理念の共有化”
に合成されると解釈することができる。従って、"理念の共有化”は、x1―x2―x3―x4斜交空 間において、x1=a、x2=0、x3=0、x4=dを成分とするベクトルs=(a,0,0,d)で定量的に表現 できると考えることができる。同様に、第2因子「顧客満足やニーズの管理」と第3因子
「顧客視点の経営戦略」は、"理念の具現化”に合成することができると解釈でき、従って、
"理念の具現化”はベクトルe=(0,b,c,d)で表現できる。また、当然、s、eの合成尺度値はそれ ぞれのノルム||s||、||e||と考えるべきである。以上から、次の合成尺度を得る。
<構成された合成尺度>
合成尺度「理念の共有化」 s=(a,0,0,d)
合成尺度「理念の具現化」 e=(0,b,c,0)
合成尺度sの尺度得点 ||s||=√(a2+d2) (最低点=5.385、最高点=26.926) 合成尺度eの尺度得点 ||e||=√(b2+c2) (最低点=6.708、最高点=33.541)
ここで、 sをx1―x4平面上に、eをx2―x3平面上に図示すると、図3のようになる。
x4 x3
||e||=√b2+c2) d ||s||=√(a2+d2) c e=(b,c)
s=(a,d)
a x1 b x2
図3.”理念の共有化s”および”理念の具現化e”の合成尺度
さらに、”理念の共有化” sと”理念の具現化“eの和をrとおくと、r=s+e=(a,b,c,d) は顧客志向経営を、全体として、定量的に表現したものであると言える。これを全体尺度 rと呼ぶことにすると、rの全体尺度値はrのノルム||r||と考えるべきである。従って、
全体尺度は次のようになる。
<構成された全体尺度>
全体尺度 r=s+e =(a,b,c,d)
全体尺度の尺度得点 ||r||=√a2+b2+c2+d2 (最低点=8.602、最高点43.012)
r、s、e を図示すると、図 4 のようになる。
理念の共有化 s=(a,0,0,d)
顧客志向経営 r=s+e=(a,b,c,d)
理念の具現化 e=(0,b,c,0)
図 4.顧客志向経営の全体尺度
なお、下位尺度、合成尺度、全体尺度は、すべて、その構成過程から明らかなように、
定量的データによる客観的手続きによるものであることは言うまでもない。
こうして構成された下位尺度、合成尺度、全体尺度の妥当性を検討するために、専門家 の判断によってアンケート対象企業を「顧客志向経営実践企業」と「その他の企業」に分 類してもらい、これらの尺度による得点の差を検定した。その結果、両者には統計的に有 意な差が存在し、このことによって各尺度の妥当性が定量的に確認された。
次に、図 1 と図 4 を比較すると、明らかに、それらは一対一に対応している。よって、
この事実から本研究の 2 章で提示した顧客志向経営のフレームワークの妥当性は定量的に 検証されたと結論づけることができる。
さらに、構成された尺度得点と企業業績の相関分析をしたところ、顕著な相関関係は存 在しなかった。このことから、構成された尺度は、顧客志向経営を評価できるが、企業業 績を評価することはできないことが明かとなった。
以上で構成された尺度は、理論的に厳密であるが、計算が煩雑で実用性に乏しい。そこ で、理論的厳密性をやや犠牲にして、下位尺度得点の合計点を合成尺度得点とし、合成尺 度得点の合計点を全体尺度得点とするような計算を容易化する簡易尺度を構成した。さら に、理論的厳密性は僅かに劣るものの因子解釈上重要な意味を持つと思われる 2 つの質問 項目を加えた 18 質問からなるチェック項目を構成した。こうして構成された簡易尺度とチ ェック項目による表 3 のような顧客志向経営の診断チェック・リストを開発した。
この診断チェック・リストに対する考察から、”理念の具現化“におけるチェック項目 の高得点Eと低得点e,”理念の共有化”における高得点Sと低得点sを組み合わせて顧 客志向経営を類型化し、簡単のため直交空間に図示すると、図 5 のようになる。図 5 で、
それぞれの領域をⅠ類(ES):バランス型、Ⅱ類(eS):体制先行型、Ⅲ類(es):要 改善型、Ⅳ類(Es):仕組み先行型、と名付けると、実際のチェック・リスト得点がマト リックス上のどこに位置するかによって顧客志向経営の改善に対する手がかりを得ること ができる筈である。
以上で開発された顧客志向経営の診断チェック・リストと類型マトリックスを現実の1 企業に適用して試用することにより、実際の企業経営者へのコンサルティングが可能であ ることを示すことができた。このことにより、開発された顧客志向経営の診断チェック・リ ストと類型マトリックスは、ある程度以上の実用性を持つことが確認された。
表 3.顧客志向経営の診断チェック・リスト
カテゴリ サブカテゴリ 質問 得点 小計 中計
従業員の採用基準に顧客の視点で考えられる資質があるか項目が設けているか
顧客対応の行動基準や判断基準を明文化し、全社への展開とその遵守状況を把握しているか 顧客の声や現場の臨場感を全社的に感じられる工夫や仕組みがあるか
従業員の報酬や人事に、顧客満足の結果が加味しているか 顧客と双方向にコミュニケーションを行っているか
社内の意思決定において顧客の声や現場の意見が最重要視しているか 顧客満足に対する改善や向上活動を専任とする責任者や担当者が任命しているか 全社的に顧客満足に対する改善や向上活動を管理し、責任をもつ独立した部署があるか 顧客の特性や属性により区分した顧客群ごとに顧客の要望を把握しているか 自社の既存顧客だけでなく、市場や潜在顧客のニーズを把握しているか 顧客満足度を定量的に評価する具体的な尺度・指標等を設けているか 自社の顧客志向経営や顧客満足を他社と比較・分析しているか 顧客の満足や不満足に影響を及ぼす要因を分析し、明らかにしているか
他社の優れた事業や業務を比較・分析し、自社の経営に取り入れているか(ベストプラクティスのベンチマーキング)
顧客情報やデータベースを研究開発やマーケティング活動に活かしているか 顧客に対する自社独自の強み(コアコンピタンス)を認識し、経営戦略に活かしているか 顧客の視点やニーズを反映したビジネスプロセスやビジネスモデルを構築しているか
顧客に影響を及ぼす問題に対し、すみやかに根本原因の追究をし、および、再発・未然防止策をたてているか 合計 理念の
共有化
理念の 具現化
顧客視点 の人事組 織
顧客満足 やニーズ の管理
顧客視点 の経営戦 略 顧客満足 への担当 責任
共有化
(II)eS (I)ES
<<顧客志向経営の類型>>・縦軸:理念の共有化(Sympathizing)
・横軸:理念の具現化(Embodying)
(III)es (IV)Es
具現化
図5.顧客志向経営の類型マトリックス
6 章.結論と今後の課題
6 章では、各章で論じてきた要点をまとめ、各章の研究を通じて得られた研究結果を整 理し、全体を通した結論を導き出した。
先ず、顧客志向経営に関する先行研究を鳥瞰し、その成果、問題点、課題を整理した(1 章)。HPの実践事例から、顧客尊重の企業理念を基点に、その理念を全社の従業員が理解・
共感すること(理念の共有化) 、および、顧客に価値を提供する仕組みを全社の従業員で構
築・機能させること(理念の具現化)により顧客志向経営を実現するという顧客志向経営の フレームワークを仮説として提示した(2 章)。このフレームワークを構成する”理念の共 有化”と”理念の具現化”の概念について、顧客志向経営のベストプラクティス企業の事 例研究から分析し、顧客志向経営のフレームワークの妥当性を定性的に確認した(3 章)。
さらにアンケート調査のアーカイブ・データを因子分析した結果から、フレームワークの 妥当性を定量的に確認した(4 章)。4 章のプロセスを理論的準備とし、独自に実施したアン ケート調査データに対する因子分析から顧客志向経営に対する尺度を理論的・客観的に構 成し、構成された尺度と提示されたフレームワークを比較することによってフレームワー クの妥当性を定量的に検証し、その上で、この尺度を利用して顧客志向経営と企業業績の 間には顕著な相関関係は存在しないことを明らかにし、実用的な簡易尺度とチェック項目 を構成し、それを用いて顧客志向経営の成熟度を評価する診断チェック・リストを考案し、
その実用性を確認した(5 章)。
以上から、顧客志向経営の本質は、顧客から評価される企業経営を実現するために、顧 客尊重の企業理念を”理念の共有化”と”理念の具現化”の 2 つの方向からのアプローチ によって実現する経営であり、それは”理念の共有化”と”理念の具現化”のベクトルの 和という構造を持ち、顧客志向経営がそのような本質と構造を持つとすれば、顧客志向経 営を診断するための実用的な顧客志向経営の診断チェック・リストを開発することができ る。これが本研究全体を通じての結論である。
こうして、本研究は一応の完結をみた。しかし、それは一応の完結であって、顧客志向 経営の本質が最終的に解明されたとは言いがたい。本研究は、その意味で、研究の一里塚 に過ぎない。残された研究課題が多々ある。それらのうち、特に重要であり、早急に手を 付けなければならないと思われるものを 2 点のみを挙げると次のようになる。第 1 に、本 研究で提示した顧客志向経営のフレームワークは定量的にその妥当性が検証されたが、そ こで用いられた方法は因子分析である。因子分析は、実は、用いるデータにより必ずしも 安定したものではない。そこで、今回のアンケート調査に加え、さらに調査を継続して、
因子分析を繰り返し、フレームワークの妥当性を再度検討していかなければならない。第 2 に本研究で開発した顧客志向経営の診断チェック・リストは、一応その実用性を確認し たものの、その確認は1社に対するチェック・リストの試用によるものであった。企業は、
それぞれ独自の特性を持ち多様であるから、チェック・リストが1社に対して有効であっ たとしても他社に対しても有効であるとの保証はない。従って、本チェック・リストを多
くの企業で試用して、その有効性を確認し、その試用を通じてより実用的なものに改良し て行かなければならない。
結びにかえて
顧客志向経営に関わる先行研究は、マーケティング論および消費者行動論を中心に優れ たものが多い。しかし、それらの中には顧客志向経営を企業業績を高めるための経営ツー ル(how)として議論を進めるものが少なからず存在する。本研究は、顧客志向経営とは何か (what)という視点から議論を進め、その本質とその構造を探究した。そのために、顧客志 向経営を実践している1企業のフィールドリサーチから顧客志向経営のフレームワークを 導出し、6 企業の事例研究と 2 種類のアンケート調査によってその妥当性を検証した。こ の一連の研究から、ささやかながらも顧客志向経営に対する新たな研究分析の枠組みと視 座を拓くことができたと言えるだろう。顧客志向経営のフレームワークから開発された顧 客志向経営の診断チェック・リストは、企業業績向上のためのツールとはなりえないが、
自社の顧客志向経営の評価、もしくは、コンサルティング対象企業の顧客志向経営の診断 等を通じて顧客志向経営そのものの改善に役立つものと期待される。
以上