小特集●女性学の最前線
フ ラ ン ス 史 に み ら れ る 女 性 像
過去と現在福井憲彦
一歴史研究における﹁女性史﹂の不在﹁女の
本性﹂という男の言説
長らく歴史の研究では︑フランスだけではなくどこでも
同じなのですが︑女性を歴史の中でテーマ化する作業は手
つかずにおかれました︒では男はテーマ化されていたのか
といいますと︑そうでもありません︒つまり性の問題︑あ
るいは性別役割の問題や性の区別がどのように文化的に作
られたのかなどは︑なおざりにされていました︒現在大学
で教えられているような歴史がきちんと出来てくるのは︑
だいたい一九世紀と考えられます︒日本はちょっと遅れま
したが︑ヨーロッパと日本にそれほど差はありません︒も
ちろん歴史についての記述は昔からあります︒ギリシャ時
代からありますし︑中国でも﹃史記﹄があります︒このよ
うにいろいろあったわけですが︑学問研究としての歴史が 出来てくるのはだいたい一九世紀なのです︒この世紀は如
何に国家間の競争に勝っていくかということで︑国民国家
の時代といわれます︒そうするとどうしても国の政治︑国
家制度︑それを支える国家経済などに視点がむけられます︒
普通の人たちはどういう生活をしてどういう仕組みの中で
生きていたのか︑というようなことは二次的な問題として
脇に置かれていました︒普通の人の生活の中には︑どの時
代でも男と女が出会い︑子どもをもうけて次の世代に繋
がっていくことが繰り返されてきました︒けれども︑それ
がどういう意味を持っていたかという問いは︑ほとんどな
されませんでした︒こういうことがありまして︑長らく
ジェンダi(文化的・歴史的に形作られる男女の違い)に
ついての考察もほとんどなされなかったのです︒
もう一つはフランスだけではなく︑ヨーロッパのキリス
ト教圏としての問題です︒キリスト教がヨーロッパの主た 47
る宗教となっていく中で︑﹁女の本性﹂︑これは男が作った
男の言説なのですが︑﹁女の本性はこういうものだ﹂︑とい
う枠付けがヨーロッパの知識層にキリスト教との関係で形
成されて︑それが学問にもずっと引き継がれてきました︒
知識人には基本的に男がなるもので︑その知識人はヨー
ロッパにおいて︑特に中世まではお坊さんであるケースが
圧倒的に多かったわけです︒キリスト教のお坊さんは独身
の男です︒彼らは︑女性に対する特有の位置づけ方をして︑
つまり﹁女性は二次的な存在である﹂︑と捉えます︒これ
はキリスト教だけではなく︑ユダヤ教やイスラム教にも共
有される見方です︒旧約聖書をお読みになった方はわかる
と思いますが︑冒頭の創世紀では神がアダムを最初に作り︑
アダムの一部からイブを作った︑そういう起源神話が語ら
れています︒それを受け取るような形で︑﹁女性は男より
二次的な存在である﹂︑﹁従の存在である﹂と強く打ち出さ
れ︑同時に︑一神教の神に性別はないのですが︑圧倒的に
男性としてイメージ化されていきました︒キリスト教やイ
スラム教︑ユダヤ教という一神教の神のイメージは︑観世
音菩薩のような姿はとらないわけです︒ほぼ厳格な男のイ
メージで作られているのですね︒宗教に基づく文明世界が
形作られたので﹁女性は二次的な存在である﹂︑﹁女性は従
うべき存在﹂と位置づけられました︒
もう少し時代が現代に近づいてきますと︑特に一八世紀 から一九世紀ぐらいには︑もうキリスト教の幻想はそれほ
ど強くありません︒そうするとまた別の幻想が出てきます︒
何が﹁女の本性﹂の議論に絡んできたかといいますと︑医
学です︒現在みなさんがちょっと病気になると︑お医者さ
んに行って薬を貰って治しますね︒病気が起こって薬を
貰ったり︑病気にかからないように予防措置を取るような
西洋医学が確立するのは︑一九世紀の後半からです︒今か
ら約百五十年前なのですね︒たとえば天然痘から身を守る
﹁種痘﹂︒みなさんは種痘を受けた世代だと思いますが︑今
の赤ちゃんは受けなくていいですね︒これは一八世紀末か
ら一九世紀初めに普及しはじあました︒当時は牛からとっ
た菌を用いるから種痘を受けると牛になると︑多くの民衆
は恐怖に脅えました︒ですから︑ヨーロッパで現代医学に
繋がるような医学が明確に形作られていくのは︑一九世紀
後半からです︒現在は変化していますが︑日本と同じく︑
医者は基本的に男の職業でした︒一九世紀になっても医学
の言説の中で︑人体のメカニズムや特に妊娠のメカニズム
はなかなか解明できません︒そこで﹁女性コンプレック
ス﹂︑﹁子宮コンプレックス﹂の逆転現象といえる言説が生
じました︒たとえば﹁女性は子宮があるがゆえに非常にヒ
ステリックな性格だ﹂︑など︑とんでもない議論が一九世
紀の半ばまで普通に流通してしまう︒これが変わってくる
のは一九世紀後半︑フロイトなどの時代からです︒宗教や 48
医学の観点から﹁女性の本性論﹂︑﹁そもそも女は﹂︑とい
う形で決めつける議論の中では︑女性がどういう状況に置
かれ︑どういうふうに変遷してきたか︑社会的地位はどう
だったか︑あるいは女性はどういう社会関係の中で生きて
いたか︑どういう仕事を残してきたか︑などの論点はほと
んど扱われません︒そもそも﹁女はこうなんだ﹂という限
定がありましたから︒
一九世紀に歴史学が成立した際︑国家に関わるような問
題が中心になり︑男も女も含めて日常的なことが周縁に退
いてしまいました︒ヨーロッパという男中心社会の言説の
中で︑﹁女はそもそもこういうものだ﹂と本性論によって
議論を遮断することにより︑女性の歴史的変遷はほとんど
等閑に付される︑そういう事情があったように思います︒
一ー一九七〇年代以降の埆女性史﹂﹁女性学﹂の台
頭MLFとの関係
フランスで女性の過去の状況についての研究が進んでき
たのは︑一九七〇年代以降です︒大学の中で女性に関する
歴史が教えられたり︑研究テーマにされたり︑それから
﹁女性学﹂といわれているような学問が成立するのは︑フ
ランスの場合︑一九七三年以降です︒フランスの場合もせ
いぜい二〇年前のことなんですね︒別に大学の中に位置つ
かなくて在野でやってもいいわけですし︑そういう方もも ちうんいなかったわけではありません︒けれども︑ある学
問領域が社会的に広がりを持つためには︑やはり既成の制
度領域の中にどういう位置を確保するかは非常に大きな問
題です︒その時期にどうして出てきたかといいますと︑フ
ランス語でMLFと略される女性解放運動があったからで
す︒Mはムーヴマン︑Lはリベラシオン︑解放ですね︒F
はファム︑女性です︒女性解放運動はフランスでいうと︑
一九六八年の五月革命との関わりの中で台頭したものです︒
五月革命は大学だけではなく︑労働者︑文化・知識人︑あ
るいは政治の世界を巻き込んだ大きな運動でした︒この革
命の中で﹁そもそも女性の位置は今まで何だったのか﹂︑
﹁女性はどういう状況に置かれていたのか﹂︑といった論点
が打ち出されてきたのです︒その後フランスではかなり女
性の研究者が増えてきました︒女性やセクシュアリティ︑
ジェンダーを巡る問題について研究しているのは女性が中
心ですが︑男性の研究者もいます︒フランスに一年問滞在
中︑女性学に関係ある研究者に会う機会がありました︒彼
女によれば︑フランスで女性学の講座がある大学は全国で
十三あります︒大学では女性史や女性学を研究している先
生が講座で教えていますが︑必ずしも根づいていません︒
そういう先生がいなくなると︑講座はなくなってしまう状
況なのです︒ですから︑必ずしも楽観出来ません︒
当初の研究の方向は女性解放運動からのインパクトが非 49
常に強かったので︑男中心主義の社会︑男支配の社会を
ひっくり返すのだという意識が強く出ていました︒女性解
放運動は男を拒否する︑拒絶する︑つまり結婚しない︑あ
るいはしたとしてもボーヴォワール的な契約結婚の方がい
いのだ︑子どもを産むなんてとんでもない︑といった極論
が初期には有力でした︒ところが現在︑女性学は女だけで
はなく︑むしろ女と男の関係性をもう少しきちんと立てて
みていこうという方向が出てきました︒ジェンダーや男女
の関係がどういうふうに変わってきたのかを男の目で見る
のではなく︑女性の視点で見ていこうという方向に今︑変
わりつつあります︒もちろん同じ女性を歴史や社会の中で
テーマ化するといっても︑いろんな見方︑アプローチの方
法があります︒先ほど申しましたように︑初期の研究は男
中心主義の社会をひっくり返そうと意気に燃えていました
ので︑そうすると﹁女はいかに支配されてきたか﹂︑﹁女は
いかに虐げられていたか﹂︑﹁男はいかに悪いか﹂︑そうい
う視点での研究が大半を占めていました︒しかしその後
徐々に視点が変わりました︒男がすべてを支配していると
見えていても︑たとえば︑実は家庭の中で女の方が力を
持っていたのではないか︑と考え直したのです︒政治の世
界など︑外見上は男が支配的だったのかもしれませんが︑
社会的な実際の場に下りてくれば︑﹁女性は大きな力を
持っていたのではないか﹂︑さらには﹁女性固有の文化を 持っていたのではないか﹂︑﹁女性独自の力があるのではな
いか﹂︑というような議論が出てきたのです︒女性固有の
文化︑男にはない女性の固有性があるという視点ですね︒
ただしこれに対してもまた︑もし女性独自の力などの面だ
けを強調するならば︑ある種の幻想に陥らないだろうか︑
ともう一度捉え直しがなされています︒女性は家庭の中で
力をふるっているとしても︑しかしそれは﹁女はやはり家
庭の中にあるべきだ﹂︑と社会に流通している枠組みの中
に囚われているのではないか︑と批判もなされたのです︒
こうして関係性を捉え直していく︑関係性の視点から考え
直していく姿勢が強く打ち出されてきています︒
三駲歴史人類学﹂的研究の台頭ー現代文明との関係
これと並行して︑歴史の研究の中に︑歴史人類学といえ
るような研究が出てきました︒現在はむしろ︑国家のシス
テム自体が人々の生活をどうやって枠付けたり︑どうやっ
て人々の考え方を規制していたのか︑あるいは人々はそう
いう国家の枠などがあったとしても︑それとはズレたとこ
ろでどういうふうに生きていたのか︑極端にいえば︑ぜん
ぜん知らないよ︑という形で勝手に生きていたのかなど︑
多様な観点での研究が試みられています︒大衆︑庶民と
いってもいいのですが︑そういう普通の人たちが形作って 50