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録 震嚢‖ξ冒昌Φ丁ハ多クハ頸部一●外陰部ノ曇性實布量

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(1)

鋒︶

直■百一一■ロ一■一=一■■■一■ロロ一一一亀■■■垣■●一ロ=一一︐一⇔口ロ一一■■一■一ロ■一ロ一一■一唱一頃口=■■=

   録       三

部二蔓延シ化膿スルー無ク其號恰モ慢 皮膚炎若クハ肉腫性浸潤ノ如ク斯クテ該病機

弩羅隔膜チ侵意賓肋膜炎ノ爲ご整V

 〜 リ顯微鏡的ノ槍査⇒握レバ其病攣ハ皮膚及皮

織炎二就テ

組織ノ慢性炎症昌シテ其中⇒バグラー▲

切Φ﹂茸轟Φ︷弩O魯目昌︒﹂○σQ﹂Φ已゜oD選巨法

は二由リ脱色セザル一種ノ連鎖拙球菌チ登見  ー均①︒︒言︒胃庄σ硲Φ註口目Φ古国巴巳目出o守昌

 05Z巴§目゜﹂8︒﹀     ゼリト云フ ︵南漢生抄︶

アリーOo︸は曽誌氏ハ先ヅレクルス氏⇒從︵バ 震嚢‖ξ冒昌Φ丁ハ多クハ頸部一●外陰部ノ曇性實布量

 〜 炎⇒シ曇門水腫ノ爲メ元毫シ一例チ除乙  ﹂怜︶        ス 登スル硬固ナルー恰モ木ノ如キ一種ノ蜂窩織〜   ︵﹈︶Φ己︒D合Φ目江゜司O°冨出︒力合炉おOPZ許

外ハ通常徐〃=治癒昌就ク者ナルコトチ叙シ次プルノー︑ル︑ツク冒巨・富烏氏ハ本題⊃就テ

自家ノ實験セル一例テ報告セリ氏ノ患者ハ五〜報告シテ日ク十六歳ノ女子▲身ノ病戚︑登熱及

歳ノ婦人 シテ藪月ノ問⇒疹痛及発熱無クシ賑縛充進ト共=外陰部⇒甚ダ疹痛性ノ腫脹チ來

部ヨリ硬結チ始メ吹デ其硬結ハ憂 シ小陰唇ノ内面左右同一部二灰白黄色昌ノ壌疽

(2)

組織ヨワ成レル被膜テ附著シ之チ剥離ス〃⇒ 施ス塗擦後ハ通常皮膚騒赤及灼戚チ來スモ此療

当当弓氏血清壁塞霧杣セ二次日曇三観チ呈シ毛髪亦新生シ再警ルコ無シ屡々嚢 膜ハ漬瘍状チ呈セリ依プ被膜ノ一小部チ取リ 法⇒握レバ痂皮ハ速カニ消失シ皮膚ハ普通ノ外

實布量菌ノ魏蔓チ得7㌘該患者ノ シタ詣固ノ症三抜毛怯チ施シタルモ其効

鼻腔其他何レノ部分ニモ實布埋里菌チ謹〜ナキモノニ此怯テ用井タル=十四8⇒シテ治癒

明スルコ能ハズ斯クテ患者一一ハニ回實布珪里血 セリー・著者ハふをるまりんノ白癬二封シ奏効確

清チ欝シ局部二三%蟹警水ノ纏テ盲ナ︑ーチ読明シ一プ9ふを量りん爾嚢

施シタル⇒熱ノ下降スルト共畠被膜消撒シ三十皿菌ノ効強クシテノ而カモ其効力ハ能ク皮膚ノ深部

三シ茎璽ハト︵塁生抄︶ 二一透璽二璽モノナト曇生抄︶

㊥白癬ノふるをるまりん療法

つく○窪ぎ目①巴c巳゜qoξ巨ご吉冨き゜旨芦N°︶

司巾助09法臼○妻氏ハ白癬チ療ス〃二痂皮テ リタル後患部二五乃至十%ノふをるまりん液

擦シ宇絹布及綿花テ以テ固ク頭部二綱帯チ

  ︵抄録︶

       〜       〔(

     ン いハ

   ←、/ ,戸   ハ!}〜

 Z>、r

A 、ブ

頬粘膜二於ケル皮脂腺ノ存

在一一就テ

OΦ田拾○己゜

図﹃°品し 目Φ烏゜ジざQ﹈5目砂昆烏゜声口OO°

ウェ︑ルブリンスキー名゜冒已ひ匡巨己o匠氏ハ槻鍬回頬

(3)

 ︵抄鋒︶       茜

膜ヨリ帯責色ノ小片チ切除シ顯徴的検査チ行 ⇒登シタルモノ︶ニゥォルフ氏怯二握りくれY

ァウドリー及デルバヅコ氏ガ曾テ頬粘 りんチ試用シテ卓効チ獲タルコトチ報告セリ但 膜内⇒登見シタル皮脂腺ノ存在チ讃明セリ氏ノヘシ著者ノ用井タルくれさウんハ四%ノ溶液⇒シ

       へ

三レバ藤ハ殊泉銀・亜爾個保爾及煙草⁝テ之チ患部曇布蒜魏紗チ以テ之チ被墾  〜        い 因〃消化不冥ノ患者並⇒糖尿病及痛風患者⇒〜纐帯チ施シタルニ翌日二至リ体温頗ル減退シ蚕 存在スト  ︵南渓生抄︶        〜身及局所ノ症歌共⇒驚クベキ佳現チ呈シ殊⇒最  モ患者チ苦メタ〃頸部ノ潰瘍面ハ著シク乾燥シ

●丹毒治験

 一見昨日トハ大⇒其観チ異ニシ斯クテ入院後十

 ︵中外馨事新報︑第五百五號︶    入日⇒シテ全治退院セリト云フ ︵南漢生抄︶

量士阿波袈二氏ハ先ッ從來塁三使用セニ       〜

顔面︑瞥部ノ一部チ除クノ外殆ンド蚕身⇒鴫喚歌

(4)

1....⁝.三三三三.三三三三三≡一三一≡      國若くは宇開諸國の民俗は兎もあれ︑荷くも日

   

   

   

  録   進月歩の文明國・況んや多少の學識あう才智あ

 wる人士に於て︑街這般の迷信俗説を信ヒ且之Y

   

菖療上に關する民俗的迷信ぎしっ・あるハ︑竃竃nざる萎

       〃   虎  〜壱︒

       ハ 諸般の外界事物に劉克て︑自已の想像を逞ふし〜ガ國郭れの國に於て勺宗激を有せざるはなく随        ゾ なξの纏端なる信仰也︑警ロすれぱ︑ 崇琴宗警の關係橿唇歯輔車の如し︑世界        W んで架室の理を附し以て自ら信ずるにあ冠○〜て叉崇奔的観念が民心を絶括戚化するに偉大の        ゾ 俗の事蹟は既に太古の史蹟に璽可く︑運力を有すゑ事實也︒我邦に於ても現念姦

世の攣遷ピ共に多少の推移を表せリピ難も︑︹の性贋を有する︑肺道︑佛致︑基敷の三種あう︑

 〜 的の進歩︑憲章儀文の燦然Y以て泰西諸國を駕ひ花難Y極む︑若し世界万國に於て菅ゐ一種族若        〃 沿÷巴して幾多の人56を⌒湯揺せう︑砒曾物盾二此等の中には叉無敷なる異類の宗振を分ち甚だ

竃るξ我邦に於ーか竺+世紀⁝重國民が各菖竃の宗竃へ來ら

壁頭に於て︑街荒誕無稽の流言輩語Y信ずる ぱ︑如何に難多なるかY推察するに足タむo あるは怪しからずや︑彼の朦昧無智の野轡諸 宗激の種類雑多なるに從ひ崇拝の種類も亦絶だ  ︵浸録︶      三

(5)

 ︵浸録︶       一六 し︒日月星辰︑山川池沼︑等の天然なる固形 る庭にして澗幅を人に及ぼし得るものなリピ︑

より︑水火風雲電雷等の天然の嚢化現象を崇 即ち之を所祭し之に依て自己の願望を達せんピ 薯雪︑之美然崇き云ふ︒ 丁・之れ極蓼る信仰也︑藷迷信るあ也・

物Y崇尭して之に祠事するものあり︑狐狼︹凡て民間には信仰的習慣を有す︑其構成に關す  〜 る犬祠外道︵山口邊︶人狐︵出雲︶熊︵アィヌ︶崇奔︹籍上の所見を輯め︑其聲學上に多少の關係を有        W 蛇︑杉檜銀杏樹等各國土ピ生物巴の如何にょ︸る研究は蜜ろ宗致界の問題渉り︑故に余之只載  〜

       ヂ るが如し︑之を動物崇葦いふ︒彼の宮璽する︾耳議て見解を下さん匡︒古人日ふ︑

なる大馨樹は之墨杏老母森β福し乳をぎ捜馬勃轟の窒艮賢収め長薬ξξ

       〜 否石塊・棘符墾蓋て屋力の宿れる二去るは大早計に輩・審の曇人智の るの事實あウ︑之れ植物崇拝屯      〜妄りに學理に照し軍に迷信の語を以て一笑ユ付        〃 なす○       〜實なきに限らんやo        シ 化の代表董崇む暑あ冠︑之を物体崇奔上悉し得る庭にあ多︑迷信の中藷合理64の事

纏崇芥︑祀先崇奔︑偶像崇拝︑生殖器崇︸崇奔を構成するぱ︑主宅して教育汐く︑文化な 等あウ有形無形に關ら竜各々自己が想像を以 き一般民俗の精祠的素墳が其崇奔をべき材料を

て崇奔の材料ピ渉し︑謂へらく此等は祠力の宿 作う︑之に圏して過度の信仰を恣ユし︑敢て剣

(6)

闘ぜ考慮巴を須ゐず︑叉其天然的巴精帥的巴の を明aせ竜︑其理非曲直をも班せず︑己が曾

て創意或は傳聞せし塵を曲解し︑以て之Y活動

しむるああう︒

舗些瀦鱗緊詰謡ぽ縫灘詩⁝

よ至りては︑文化末だ沿から走︑醤業の事街 らざる僻仰の山村海濱の民俗のみユ止らず︑

首都を以て誇れる輩殼の下︑多少数育ある人士

んで爲す庭かり︑家に財賓余りあり︑一歩

門Y出れぱ名腎艮薬求むるに努なき都市に於て

あるハ何テや︑彼等ぱ疾病Y以て警業

く活療・し得可きもの允るを知らざるに非下 も洞久の疾患∩至りては之を人力の能くし

能ふ庭にあらず辻准し︑馨Y謝絶し︑藥剰Y放

  ︵漫録︶

し︑以て祠佛に赫願するに至る︑蓋し天然以

外の力︑即ち萬能の威力自在なう竃信する紳佛

救護を請ふて其李癒を求めん蓬をるの依頼心

に賑られし也︒舗鱈ジ舗甥

に年齢姓叉之姓名を署して他人に誤り及はざ

らんこどY希ひ︑或ハ白米金銭食ロ開を供して紳

㌃の慧羨め・或三切の嗜好品及び必要品

冨ち苦行禁欲して其懸欝情を乞ひ︑甚しき

言9限Y期しデ︑其願意を満足せしめられんこε

ガの如くにして僥倖﹃・偶㌘詮か願ひし曇請し・或曇め謝恩の供物を賭して所願す︑

庭を満足をるに造んでや︑或は祠堂を修造し︑

鳥居︑旗織︑提灯︑燈籠︑額面等を献主じ御酒を

(7)

 ︵浸鋒︶       叉

し旺んに供物を捧げて以て奉謝の意を彰すo 種の祠佛に所願するは数ふるに遽あらすo 佛に所願して卒癒を求むる疾病は︑各々肺佛 生殖器病の爲よ生殖器の偶像叉は其書像Y巣拝

質如何に關す︑特に其著明なるは︑一般の︸する所謂生殖器崇奔なるものは︑菅に古代の希

       プ 癒に向てn藥師︑大B如來︑流行病及ひ 臓︑今代の印度に於けるのみなら凄︑古よう運

       〜 亡不動尊︑安産泌乳成長懐雄及歯牙の疾病ひ命開曇の紳巴し乏︑現み我邦九州四國中國關東

       プ 山祠︑子安観音︑子育観音︑鬼子母瀞に︑ 奥劾よ冠殆已全國禦げて街遊廓よは遊客の多か

風・歯痛・皮眉病・藁懐誓地藏§・梅∫んξを暫・商業繁昌藁む謹崇奔しつ

毒下疸淋疾等の生殖器病︽河濯に︑涜贅n蛸藥W︑あるの實証を聞け∧・o       〃

﹂︑流行性樽染病よ至ウて之一定の祠を限ら︷馨學に各科Y頒つが如く︑民俗が疾病治療の所

ずーて明祠帝稗天よ︑就中痘瘡虎列刺は不動奪︹願をなすもの皆各々疾病の性質によδて︑祠佛

ユ薦る︑八雲︑入坂の二冠之疫病排除の祠芭崇ひの種類を異にするは奇あ・らずや︑蓋し此等諸祠

ρ

めらる︒       頂の能力嘉嘉天然的の妙力を有し︑三民

       ノ

       /病を限れる一例而己︑其他乃疾病n︵俗希望の表象ピ参りて︑各疾病治療の露験を垂

祠に斬ク︑叉災厄保護及ひ幅利増進の要求よ 下し給ふピなす也o 至うては︑人噺各其需要如何ゐよム・て︑之を諸 疾病豫防の紳芒・してま力一種の英雄摸拝行拭る

(8)

素蓋雄曾︑素民將來︑鎮西入郎︑元三大師︑鐘 疾病ハ流行性乃急性傳染病を除くの他は︑概ね

艦︑等が流行病豫防の妙力あリピし︑其書像姓 慢性の疾患にして︑叉其比較的眼科産眼婦人科

を書して之Y門戸に貼附し︑叉弘法大師の眼〜的疾患を多しピす︑而ーて創傷等の外科的叉は に聖徳太子の疾病に於ける守護祠として巣拝

らるSあり︑之を人物崇奔とも云ふ可きか○

露︑死霊︑天狗︑狐狸︑人狐︑大祠︑外道︑

魔等汀皆不可思議の祠通力Y有し︑或は人ゐ う移う︑或は紳巫に役せられで崇Y渉をピの あ0︑之れ動物崇奔の結果にして︑精祠病 6臼上︑葱依妄想托材料たるこピ屡あり○叉露鬼

信仰13旺んよ行nれ︑風の㎞︑泡瘡紳︑傷寒 な已ピ稽へ藁にて形れる人体歌の岱のが往々

られつ︑あるは吾人の数

ζ目撃wをる所也O

由て是を観れば︑凡百の所願動機たるべき

  ︵浸録︶

通の内科的疾患の少きは何季や︑謂ふよ慢性 患たるや︑馨業の功顯はる︑乙ε遅く︑産科 科的疾患は差趾の念ゐ駆られて︑馨の診按

を請ふユ躊躇するあ基き︑生殖器疾患之秘密を

旨ぜするが爲に︑流行病は疫紳の崇によるピ爲

すが故ならむ︑眼病の如きも家屋の構⁝造︑煤姻

潔参る生活等の室.因たるを畳らざるが爲に通

師の容易ゐ治療し能nざうしよ由るなら むo

閨けざる艸昧の世に在ウてハ︑疾病を

以て祠佛の鑓罰ピをt︑偏あ所薩報謝熾悔を以

て優ゐ罪業を挑拭し︑災厄を免れ︑更ユ露渉る

(9)

  ︵漫鋒︶

功徳Y垂加し得るもの芭迷信し︑其苦患を免れ

ゐ︑心仕趨く所︑自然あ綿佛ユ所ウて其

災害の輕からんを願ひし也o

病治癒の目的巴して︑禁厭児法亦旺んユ行之

る︑之れ各地方乃風俗人情習慣に由り︑多少歴

史的の一遺物迷信の一生産物巴して︑今に至る

刊街流布しつ︑あるなり︑而して禁厭の聲療上

に關する來歴い︑實に麟術の沿革に伴へOo

代記一の霧に日く︑

巳貴命與少彦名命鐵力一心経螢天下復爲顯

見蒼生及畜産則定其療病之方叉爲撰鳥獣昆虫之

則定其禁塵之法見以百姓至今威蒙恩頼云々 茄草飲水采菓實食樹木之芽時疾病毒

傷之害於是此二紳乃致民勘農事播種五穀令民知

避就且定其療病方術也﹂ピ逸泥る上古既あ禁

  き を定め療病の方ピ爲し.叉毒傷の害を避

け泥ウ︑中古あ下6てー3僧尼の聲術を玩ぶ者甚

だ多かうき︑績日本紀に﹁養老元年詔僧尼依佛

M持祠加几救病徒施湯藥而療瘤疾於令勲⁝之﹂ピ記せ

o︑紀元一千三百九十五年︵聖武天皇天卒七年︶

より痘瘡創めて樽來し夏を経︑秋冬を渉

て止ま壱︑上公卿よう下庶人に至まで之が爲に

る者多し︑殴四師亦其療術を知ら竜︑帝即

ち諸國の祠肚杖奉幣使Y立られ︑諸寺の高億に

薩を修せしめられし事ありき︑之ユ由

て見れげ児法禁厭此法は聲術の療そる能はぎる

を補ひしなタむ︑此等此聴代に在てn︑病因を

くa方・り概ね妖鬼飲食のニユ蹄∵し︑所薦⁝紳盟川

を以て治する者は皆妖鬼よウ來れうピなし︑他

は飲食よ原由す宅なせり︑而して痘よ㎜⁝あぞ︑

(10)

名をさへ得るユ至δし也︑之れ專ら敬祠の風

俗這して世々博説し極めて軍純なりしピ雛も︑

佛教の渡來せしより以降之種々の戴信Y混侵︑

読説を加へ︑近世に至るまで︑奮株を確守して

圃明する所なありき︑徳川氏勃興し︑世乱を戯

し天下の聲人を鼓動し馨風を一新せうピ雛も もすれば︑陰陽蓮氣の室理よ拘束せられ

しものも無きゐ非さりきo

  ︵護録︶

ユ鬼あり巴し之を鬼病こ名け︑精祠的疾患Y

以て物の怪ピ唱へ︑冤魂鬼魅の所爲εし︑之を

治するみ所薦祭撰を以て先ピし︑藥治之に次げ︹

り︑之れ幽鬼崇拝よ外なタす︑古昔典藥寮に兇

師︑兜禁生︑順几禁博士の名砺るを見るも亦蓋

し児陸禁厭を以て治病の一助となせり︑故ゐ聲

學ピ岨几叉の匿別裂たきうし姦て︑巫適

薦︑卜重︑守符︑忌事等に關する民間

信仰の俗説13到る所ピして流布せざるはあし︑

々之を集録し得可から壱︑故に只療病的二三

て卑想を加ふる而巳o

逆︶ 冷水ゐ寺の字を三遍書く爲して三口に 飲むo 碗の上に箸一本渡t三口に飲むo 白砂糖を沸湯に撹き立て︑飲むo

で小縷を推へ鼻孔Y輕摩をo

享の一示指中指の尖端Y塑直に左側塞房の上

三て吃逆の警るき︑裏は湯姦み或竺 押しつけ暫時呼吸を止むれ之治す︒

を中止すれば︑屡之Y止め得るは吾人の 曾て實験せし所たう︑必壱しも寺の字Y三遍書

き︑或之箸Y渡し︑乳房に指を趣しつけ︑或は

  三

(11)

  ︵漫鋒︶

ロユ飲まざれげ功函きにあらず︑然るに殊更

に如斯く行ふ之とれ︑禁厭の禁厭たる所以にし

て︑叉所謂迷信の迷信たる所以な6︑是等は⁝幾

を含蓄するや論かし︑而して之

するに禁厭的の虚構ピ粉飾巴Y以て壱︑

故に強ち惇理の妄言のみεは評し難しo

血︶ 紙を入板ゐ折て汲始の水に浸し頭の上

載すo 箒の尖端を切て血の出る穴へ差込む︒

を水よ浸し頭上よ載をるn︑冷頭の目64よう

しならむ︑必走しも紙を入板に折て汲始の

水に浸すの要なし︑叉安静に不噺鼻孔を垣ハ塞す

る時ハ他術を施さるも血塞を形成して止血す

る乙とあウ︑何㌢必宇しも綜燗箒の尖端を用う

るゐ限らむ︑紙片可楡う︑綿球可詮う︑布巾可

 一三  渉ウ︑ロバ填塞を要ピするのみo

に水浴Y行ふゲ如きn馨療上の意味に

て︑絶封的不合理巴は認むる能ハ老o

㌃墳警参詣すべしL芸ひ・或は産後昌せ 兄童天死せ・し後次子を得ん巴欲せば常に死臼地

ガ後の塁を戒しめ・聾肺馨の纏病者ゲ ピ高聲Y禁ず︑等︷多少婦人の健康を進め︑

紳佛に日蓼する等は︑衛生上の關係を含む岱の

W

︑如し・

W

翼の馨よ奏他物§似竃義

は形状の類似よよ0︑或は語音の通ずるあよう︑

種々の迷信的禁厭を見る︑或ハ反之全然其意味

關係を推掲し能はず全く不合理のものあゐ・︑然

も此等n其起原に於て之多少の根櫨︑具理

を有せしものも砺らん︑傳承の久しき漸÷之Y

(12)

論し︑其意のある庭を也推究せ老︑種÷ 生命を附與するの露験あ宣ε信逡るに至ては︑

を加へ︑事の理非を問は走︑傅説的迷信を 迷信も亦極まれリピ謂つべしo然れぜも︑迷信

轡承し固く之を實在的現象ピるして疑は走︑其 病に臨んでや︑讐業侍むに足らす︑只祠佛の加

二理諭先づ馨て§之に次ぐあ罪ず・必 豊量理︽蔽えや︒夫れ竃的治誓

護︑禁厭兇法ユ由て以て寓の疾病を快癒せしむ

しとなぞ︑愚も亦甚しうら走や︑彼等n自己

像Y以て妄想城府Y築き堅く之を廓守し︑

自己か精神作用を以て巧みに惇理の妄説を唱ヘへ

璽悉く熱馨る信仰に由て除撰し得望 

ε渉す︑随も亦甚しからやo勿論宗教及精肺戚

にようて登せる精祠病︑ヒステ91︑の如き くハ恐嚇等を以て治を牧むるの實あリ

ピ難も之れ只一部のみ︑疾病悉く功あるに非竜︑

然るを彼等は之を以て寓病を根本的に快癒じ得

しとなす︑況んや垂死の病者を復活し以て新

  ︵浸録︶

霧多の纂先づ積みて而蓬論之より生ず

る也o然れ.宝も世に之稚々思議すぺからざる理

あり︑叉理論を以て説明し能はざる實験

的事實なしどせ壱︑彼の佛西の境ピレ子山麓の

 一小邑﹁ル・ド﹂が古來萬病立うに癒ゆる不可思

議の露地ピして其名全世界に轟き今旬年々数十

万の病客を吸収しつ\あ宣ピ聞く︑而克て杖Y

鑑に謬ξのは︑只熱情より出る裏ピ改

善の堅き契約を爲しつ︑︑純潔自然の淡水 る岩泉Y飲み︑池水よ浴するの外一聲業Y須

して萬病立うに快癒すピの事實あり︑厭州

(13)

  ︵浸鋒︶

名馨大家多年研究の結果之を超自然的勢力あ

δて不可思議の現象Y呈する棘秘︑奇蹟噌して

Y

と理論ピの下に嘲笑罵倒を以て葬り能

ざるもので⑤せうo事若し信ならんか︑世亦

議の事あるY知る︑

土寵此頭骨を枕の下に入れ置く︵小見不眠症︶

紙あて四足の馬の形Y勇裁つて韓床の下に 主夜間入れて眠タしむ ︵夜尿症︶

を割て一片に伊の字を一片に勢の字Y書 まキれば男子ハ左手に女子ハ右手に此豆 を持て生まるヌ蜀ふ紙に伊勢ピ書て産婦に嚥 安す ︵難産︶

○胡瓜を月の藪だけ買ひ裏白に姓名書剣年月を

し河童大明紳宛の手書Y添伝て川ゐ流す

疾︶

の⁝巣を涜贅ユ巻き置く ︵涜贅︶

西 郎︵麻疹︶久松留守︵流行性戚胃︶鐘鳩の

像︵痘瘡壷の殼︵三ブリヤ︶聾︑人餐を

門扉に掲げ疾病欝璽す

以上之吾人が聞賭せし二三の例のみ︑此他各地

方に行ハる︑禁厭岨几法の数の如き之塞げて数ふ

らず︑要するに迷信なるものは畢寛幼程粗 なる崇拝的観念︑宗教的意識よ0生せしもの

也︑所謂極端なる信仰吐結果也o

由來我邦祠國を以て構す︑敬棘固よう道也︑中

古佛教渡來してより絃よ千有醗年︑基数亦現よ云内曇延す・此等議の戚化が念を毒す

る偉大の勢力ハ︑肚會の秩序人意の標準を示そ

黙⁝a於ても︑各人之あ由て其心を慰め︑其心

Y安んe︑安心立命の法を求め︑韓迷開悟の眼

(14)

を開く︑功や偉なう竃云ふペー︑要之信仰の極

端たらざるにあウ︑迷信たらざるにあウ︑約言

キれば正信たるにあOo      一

明國︑世界の戦勝國︑迷信の雲影未 §︑今あ於て之を排せすん蔓曾の進歩 

を奈何せむやo

 & 肥 年級は前例に依り三月廿九日よo往復一

週日の豫定にて京坂岡山幅岡熊本長崎へ修學族

Y

其が旅中記事を蓉述せんに先づ

出曇準備εLて全行老は二十五日第二學期試験

終宣し後ち引卒者なる小川致授の室よ鳩集して

圓や放行案内等Y翻して行路Y議し力何分短

  ︵浸縫︶

      一      一

   一

  ≠〃〆

店あつだ末ゐ先づ る所なく見物・して蹄らう竃する事故色々の議論 日限中に長途の族行を成る可く安値ゐ且残漏・を

戸に至冠祠戸から山陽列車ユて周防徳山ユ

 至マ徳山から蓮絡漁船で豊前門司に渡りて門

司うら長崎へ至冠長崎から漁舶で熊本へ廻つ て熊本うら幅岡へ蹄4幅岡から之牲.きピ︿エ一 を経て岡山京坂を漸次見物する事に決しだ

墾纏眠不足うら不眠症き撃恐㌣なき

遥姦め△人も・のつよ小川警の篇で

巴して

弱の全行者が耐へ得る迄豫定を實行▼をる   乙定

 二五

然L各聾や疑の賠間を操﹄せて見るε殆

んざ旋舎よ宿する事ハ稀れである故に一二の全

(15)

  ︵漫鋒︶

ど定めタれたので皆幾分か安心した次で全行者

十二名の各旋中職務分擢を設け當撰せしに左の

如L

同行総藪十五名

  問

會計係   問 宿

飯毛祠牧早近田岡小 塚利坂 瀬郷中田川

忠静勇艮三重二聲講致

     次

男 一 治 一 求 孝竪員 師 授

 邊 十 次

      〜一     へ〜

   一

  〜

高杉山井

田山 蓼原

文弘太

齋齋郎悟

準備整へり二十入日午後山崎主事よう旅中注

を與へられき

九日雨天 別に旅装ピて⑤けれ︒芭放立ちピ思へば何ピなう

氣も静かなら走陸夜禄々眠ウもせで午前五時頃

き出で︑食事終へ大手町講議場に駆せ至れ

之見遙人の湯本君Y先登ピして牧飯塚の同行者

井み小川教授も早や集まられ居き次で追々諸友

皆参夕れければ切符係の人を先導巴してエハ時宇

すぎ大手町を出で七時すぎ十分に停車場ユ着き

φ列車ハ徐行して來う謬に止まる

(16)

等n急走して乗車せしに幸に一行は皆一室に 車壱るを得たう歎分にして漁笛一聲粛車は進 を初めぬ

鳴呼思へ之今を去る三十有余年前迄之江戸長崎

ピ云へば生別亦死別を兼ぬる思をなせ て不思笑Y洩らし幅井邊より持参の班當開克て 見ん檬もなく徒然の飴う雑談亦は句合せなぜし き次第に漁車の進む芭共ユ雨は繁⁝げく何地を望 らねぜ降雨の爲め車窓n閉タれ望むに由なか6

に美味を誇るもをかし近江路に入6て雨ハ小

しと云ふ然るあ今我等は一週日ゐて往きて蹄ら〜降ピなりたれ已琵琶湖の眺望も近江富士さては       ン

澆㌶劇設羅鷲竃○竃⁝誘繍㌶籠霞鞭鷲嬬ゴ

這す登牡ならすや然れピ暫時にせよ佳み慣れ 石山も皆雨霧の内に包まれ吾等に之姿Y見せざ 時き別る︑よ汝若し生あら墨あらば我等の 間堂の屋根の長きピ漿の高馨裏願寺の高         ↑

長き旅路Y事汐く蹄る日を静ユ待てよピ斯く云 大なる伽藍を奔するよう外なし大坂ゐ着きし頃

亡黄昏にてあウき同行者中ゐは全所停車瘍前の 間$漁車ぱ人のうき思ひも知らで無慈悲ゐ速

力を高め何賠しか見へずなり章;松讐経ギ・−纏蕩電曇餐警れし人のあ

て美川に出で手取川の鏡橋あ來だりぬ常時なれ りしやに見受けぬ紳戸に着せし之午後八時すぎ

吉浦や釜屋の翠色も亦一層の風致なきに有 下車して停車場前の待合所ユ入う晩餐を命し共  ︵漫鋒︶      毛

(17)

 ︵浅簸︶      二八

に汚路を侵して湊川伸枇居留地等散歩して蹄宿 だましの業よピ思ひ居る内に滅車之止まりぬい

し食事終る頃に之早十一時巴汐ウたれば叉もや そぎ首差延し窓外を眺むれ之幅山ピ書孔示しあ

       い山陽列車に身を投eて祠戸を登しぬ此の時雨〜﹁〜りぬるに眠き目Y打開克市街Y遠く眺むれ老幅

く止みだれ.芭名残杓未だ消ねやタ宇天室は墨 山城Z朝日に照らされて白壁ご松樹の緑葉に洩 し様にて車外は全くあや目も分ち得ぬ れ見へてうるはし︑次で漁車の進むに從ひ幾多

具の暗夜なれぱ吾は到底月の須磨や明石の風景 の騨も経同行者も漸々眠うY兜されぬ尾の道に

も見るよよしなし巴思ひあさらめ且昨夜來の眠 至うし頃n午前六時すぎなり尾の道n中國海邊

う不足巴漁車の揺に身13いたぐ疲勢を曼へ何時 の要港ユして市街は余り廣からねぜ舶舶の出入

しか眠り顧       繁く港内波浪穏にして運輪至便巴見受けき之の

日晴       地ハ后に大寳愛宕の二山い巴けはしく峙ち市街

五.之き眠逼西竃見回せ纂棚引き藁へ㌫畠段の様にて鐵道嵩〜誓の上を走す

墓めやム響中Y竃は璽進㌘て止⁝る如−糸崎壁て暫時竃し窒n顔打清め︒

ま竜諸友叉畳めたる者少なし何時ならんピウー す︑ぎなぜして辮當買求め朝食なしき爾後幾多

くやウー〃は主人の眠り巴共に眠 の騨をすぐる間は線路を大方海邊に沿ひて眺め

りけん賠るらぬ聴なれば友を起して問之んもい い巴うるそし瀬戸の大島小島は眉睡の間近く見

(18)

を孕み女波男波の間に白鴎 其造構⁝いぜ竜美しく造られ三暦に別πれ最上層

さつ沈つ陸ゐ之鰭田近く臨皿やく茅屋の煙い は乗客ピ運動傷ゐて椅子の配置なぜも巧みに我

ε細く長く春風ユなびく風致乃清委明媚渉るえ︹等一行は共に此所に席Y占め眼を四邊に輔eぬ

も云ひつくしがだし次で廣島に着せしゐ流石は 波静ユ鮎々岸の自砂青松相映して艶麗な冠兎角

中國唯一の大都會芭て乗り換ふ人も多かうき廣︷キる間に舶は進み出8つ﹂行n打集まり或は談       ︷島城の雲高︿從耳ゆるを覗守りつ︑進み暫時にし〜笑し或n用意のトラムプな已取出で時Y移しぬて宮轟誓竃     τ後六時すざ無ま門司ふ誓けれ呈陸歪

竃 霞㌶嚢雛鋼聾⁚竃鑓欝鷺緯馴鷲

に打望みぬ岩國よて錦帯橋を見ぱやと頻 ればゆん手の方ゐ赤間關の市街は灯みて飾られ

りに見週せ於見得ざ◇しハ慧徳山に着苫は い§近く樟さsバ巴え計うに見ゆ㌢も

午后一時すξり共に下車して町余歩を運へ児明月の照る夜な巴一ト奮ば彼岸の人の面影も見

濱邊に出でぬ艀舟は早吾等を侍ち居けれは直ち一得ん計りなる︹けれ何時しか小倉をも鯉しあε

に打乗クぬ汽舶に蓮ぱれて乗う移力見れば舶は 13絶わて眺め吊汐かうし故吾之汽車にゆ﹀れつ

豊踊九ピか渉のうて僅に百噸余ウの小搬⁝なれピ  之眠に就きぬ

 ︵擾鋒︶      二九

(19)

 ︵浸録︶      三〇 十一日晴       ぱ位置いピ高く天然の眺望麗しく遠くかす加に

ゆう起されて目曼さむれば早長崎に着きし は港の出般入4舶Y近く四園には片田舎の風致

      事の由いそぎ身つくろいして下車すれば午前四㏄を眺めて目を樂しましむるの債値に富みぬ校舎       〃

すξウき然ればまだ天の樂しさ薯曇〜の嚢は木造の西洋風にて鍵ピ異うし婁し

て現渉れかし嘉る頃な6腹は飢うれ覇餉求⁝小川教授は我竺行の遙7参麗に参でむ事Y

めん由もかく如何せバやピ共に打案ずるをりか 告げられければ早速参観を許され事務所の人に

タ漸く道行く人に敷へられて馨學部の所在をも 導か昔追次参観しぬ校内の有様も我校ピ大同小

う心も巴なくも探0行く道すがらピある飲食 異あて事右しく蓮へん程の事はなう0しが唯解

店Y見出しければ戸打たζきよび起し食事の用へ剖病理なぜの標本の数々を見へよく陳列せられ       〃

を命走家人は驚きつζも早用意に取あ3り間〜あうし其が内に胎見の一夕月よク九夕月迄の各        〃 老なくろれも出來運び出さるにいそぎ諸共に味〃月の者を取調へられありしピ解剖の室に昔日我  州

き食事終へて愈々學校へ竃立出でぬ     ︹し故に當時渡來あウL和蘭人のホンペ氏之安政        ノ 美味げに顎の結び目轟けんばかりな冠盲警して死体解剖を諸人のいたくいみきらひ

を少し離れし 二年に種々苦心の末よ態を厭洲よ冠取寄せたる 竃云ふ所にて野山を打拓き設けられけれ 人体摸型は歴史的吾等になつしく戚しぬ殊ゐ其

(20)

体摸型n今は年を経て只Yもかげを止むるの 0造艦所井に舶舶検疫所へ案内せん巴事務所の

み渉れ於其巧妙驚くにさへん計う⑤り街聞く所 人の云はるζに從ひ諸共に校を鮮して市街の方

に依れば全校は四年級の人々は程離れし縣立病 面へ至り海岸に出で︑小舟二隻を貰ひ沖ユ出づ

雑甦舗鷺↑鐘㌘鰍鷲ぱ纂臨㌶鴇勧誌

手ユ別に救療病室護けあるみて援る︐由な 匡欝轟逸奪の軍響見受けぬ進むと一       シうさ學校の霞終う㍑ば目下新築中の縣病院三里計にて議所あ至り見るに其廣大なる實ゐ

に案内せられぬ病院之學校の直下一町計ウ隔りへ驚き入うぬ當日は休Bピて就業せし部n少なか       〃し所にて恰▲校n山頂に病院は山腹藷馨丁しか先づ圭部よ0暑めしa全¶三諸

られし檬曇け藁だ工事中曇暮する迄も⁝の魏畠孕る竃具を嚢する由ユて次

洛けれ.区構造13圭ユ熊本編岡の病院を形られし一ふ木工部ぱ全しく舶舶刑の木具を調製し次の鐵

由なりき見終て吾等學校へ蹄れぱ全校の會議呈工部にて先きゐ鋳造せし金腐具を用ゐて舶具を       ざに導︑のれき室は校の玄關二階にて最も眺望ゐ富︺作タる由なウ亦全所のドック之二個あ冠て六千       ︶

て全校校友會よりとて我等一行に書飯を 噸迄の舶は入るζ事を得る由渉り吾等n唯廣大

饗せられ吾等は其の意ユ戚む食し終れば之れよ なるゐ打驚く外杏あ0き見終うて亦前の小舟に

 ︵浸録︶      ≡

(21)

 ︵浅錘︶      三二

て舶舶検疫所に至りぬ全所之造舶所の劉岸ゐ有 汽車よウ下車して以來篠々手足Y延ぺて休む間

0て長崎港の弓手にて市街よウ之余程隔だうぬ もなかりし故皆いたく疲れて歩む足さへεぼピ

此の時は造舶所にて曾せし小川散授の知己多る ぼピげに屠所の羊それに勺まさんぽかう然れ於

 軸

第五⁝腎學部の婦人科教授櫻井氏も同道せられき〜櫻井教授事務所の人は我等ふ少しにても多く所       〃

Y

すれば快く承諾せられて参観を許ン々を見せぱや宅の厚意ユ廻り々々導かるにいピ

されぬ説明ユ依れば先づ消毒す可き物は所の左 はがゆく思へき云之ん⁝檬も渉く從ひ行く悲さ五

手の待合所に入ウ脱衣しプ.中央の浴室に入う入 尺の大の男が涙流さんば加冠なり漸く七時.頃旅

覧れ亦各讃の衣服馨品竃々指÷覧量出帆の欝を問合せ皇−ー 携毒後右手の待合所に至る而して以上の三棟へ舎に就きて夕食をまし入浴なピせしゐ生きさる 所及ひ病院等は棟を別たれありしが皆洋風に建︷我等は急ぐ族路なれは明日迄待ん暇もなけれバ        い

Y

附して渡さる様になり居ウぬ別ゐ留置〜正午十二時ゐ出帆する様改正せし事の由なれば

てら量の魏藁殊a塁所は眺望忠田み到 終列車にて熊歪向ふ事▲し餐後櫻井嚢

拙き筆よは記さん様もなかりき見終りて元の 巴事務所の人n別を告砂て蹄られぬ聞けバ其事 小舟ゐて蹄路よ就き居留地に上陸せし頃は日は 務員は石川縣の人εかにて永く此地に在りし由 西 傾きて烏も塒よ蹄る時な冠し一行︷今潮 吾等を朝來多忙⑤るにも係らずいピ懇ゐ案殉せ

(22)

られし事深く謝する所なり午後十時そざ一同車 が昔籠城して苦戦したる城の石垣右訊從耳ゆる下

Y て停車場ユ至り十二時三十分の列車に搭 を縫ふて縣立奮病院を左に手取本町に至り研屋

り      三店に休馨話を借りて病院へ書後竃を許さ

よピ申込み肴き書食後町を眞直に切うて白川 月一9晴

り勝ちふて鳥栖ピ云ふ乗り換へ騨に着き待3 a出て市人に問ふて下る病院は川を距てミ市巴 す時間の一時間余り有るに街早けれぜ朝餉し 界す小川敷授刺を通e我等も共ゐ招せられて二

ては如何やピ云ふに一同異議氾くピある家に入 階に至冠待つ事少時院長谷口長雄氏ハ懇に我等

ウて食事終へて待つ間に流車は來りたれば急ざ ゐ迄努を慰め茶菓を饗せタる本日移轄診察Y初

う合せぬ時に午前五塒壱ぎなウき次て九時三 めだる日なれは雑沓する所あるぺけれ於も充分 ピ云ふあ着き下車して見れは瘍 に麗タれよε後各部長諸氏等の案内渉れば説明

内ゐ之水前寺本妙寺乃至熊本城の如鞄勝地は各 周到我等實ユ深く戚謝する所渉う孔       ノ㌶舗ジ誘馴竃鷲㌶ぽ 賭蝿⁚竃鷲誘鑓磐唖⁚

       Ψ

て橋を渡らん巴する﹂豪家竃思はる1庭の櫻 病室次に浴室に至る雨状に或は噴水状に螺旋の 袖を止め後れ肱ユ渡れは牲ては其 回轄ゐ從て水治用の湯水を⁝射出するユ目を驚あ  ︵漫録︶       三三

(23)

 ︵浸 鋒︶       三四

し玄通常浴槽は其か傍タにあ冠き後上等室の供 60ゐりて疲れを治す可く實に一度來れバ輔た

けの整頓するを見賄所仕養沸蒸物等此蒸氣 を亦洗濯室亡同e︿蒸氣乃力を以て器Y遠

機の如く回韓して行ふY見後小見科婦人科を て大手術場ユ至る完全なる熱氣消毒器蒸翻水

ありて目新しき物丑みなウき次で外科 解剖室調剤室に至る其完備驚くばか6二仏 之随意散歩なウしを以て水前寺に我等の多く

Y

りて急ぎぬ松杉或亡小山Y以て地Y園

く淺く膝に達せ壱小學校の運動曾か重

女のはでに飾ウしゲ褄かきあげて池ゐ入0物探

し居るもゆあしく小山を登りてハ下う池邊をめ

ぐれば水の湧出・をる所を見る可く奇石圓Y驚−の

t翠色掬ふY禁ぜざらしむ呼へば茶あり菓子あ

る事不能しむる仕勝景なりき

うて本妙寺a至る寺之市Y離る︑入 余段下に下車し段を昇る一町程に僅に卒地

あり寺ハ人も知る如く加藤清正公を祭る所な宣

患老数名慈悲をピて合掌するあゐ旬ほ石段

之一町はかう段毎二四尺程の石燈籠あう昇りて

に出づ本堂は金銀Y鍍め朱塗ピなし所々に青

Y墨曇+名の南無妙蓮華藷す曇

高く大鼓の響ピ和す堂の傍よ癩の一群を入る室

Wありて眉毛落る髪脱けたるが心を込めて諦する

あ▲藷を地につけて頼む癩患に蓮宛與へ

てれ前の病は何時起つた手を出せ足を出せε馨

究せられし人もあり中に之眼見缶

ピて診て下さいピ頼むも小氣味悪く手出もせ

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