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伝統中国法上の「殺死姦夫」条に関する考察

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伝統中国法上の「殺死姦夫」条に関する考察

著者 江 存孝

著者別表示 Chiang Chun Hsiao

雑誌名 博士論文本文Full

学位授与番号 13301甲第4472号

学位名 博士(法学)

学位授与年月日 2016‑09‑26

URL http://hdl.handle.net/2297/46494

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja

(2)

伝統中国法上の「殺死姦夫」条に関する考察

江存孝

平成 289

(3)

博士論文

伝統中国法上の「殺死姦夫」条に関する考察

金沢大学大学院人間社会環境研究科 人間社会環境学専攻

学籍番号:1321072004 氏名:江存孝

主任指導教員名:中村正人

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目次

序論 ... 1

研究の動機 ... 1

先行研究 ... 5

問題意識 ... 8

史料について ... 11

本文の構成 ... 12

第一章 明代における「殺死姦夫」条の成立に関する考察 ... 14

本章における諸問題 ... 14

唐・宋・元三代における「殺死姦夫」に関する規定小考 ... 15

明律における「殺死姦夫」条の登場 ... 23

明律の注釈書における「殺死姦夫」法理の展開 ... 29

明律における「殺死姦夫」条の性格の再検討 ... 37

小括 ... 43

第二章 清代前期における「殺死姦夫」条の規定とその裁判実態 ... 45

本章における諸問題 ... 45

原点としての順治3年律と雍正3年律 ... 46

康煕・雍正期における「殺死姦夫」に関する事案の裁判実態について .... 54

雍正期における姦夫を以て罪に抵てる規定の形成... 70

小括 ... 73

第三章 清代後期における「殺死姦夫」条の変化――条例の変遷を中心として―― 75 本章における諸問題 ... 75

清代後期における「殺死姦夫」条例の改正経緯について ... 76

清代後期における「殺死姦夫」条例に関する変遷についての検討 ... 105

小括 ... 107 I

(5)

第四章 清代末期・民国初期における「殺死姦夫」に関する変容 ... 109

本章における諸問題 ... 109

法典近代化の過程における「殺死姦夫」条の消失... 111

「殺死姦夫」に関する大理院解釈例の紹介 ... 114

「殺死姦夫」に関する大理院判決例の紹介 ... 122

民国 17 年以後における「殺死姦夫」に対する法的な見解の変化について ... 125

小括 ... 131

結論 ... 132

明律における「殺死姦夫」条の成立について ... 132

清代における「殺死姦夫」条の変遷及び裁判の実態について ... 134

法典近代化における「殺死姦夫」に関する規定の変容について ... 135

おわりに ... 136

参考文献 ... 138

II

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序論

清の光緒期に上海の「申報」という新聞社により出版された『点石斎画報』

という書物の中には、捉姦と関連する絵がいくつかあるが、「当当頭」という 絵もその1つである1。この絵は、ある人が2つの頭を持って、「当舗」(質屋)

に売る様子を描いている。絵の説明によると、この者は姦通を犯した妻と姦夫 を殺したところ、2人の首を持って官府に自首しようとしたが、お金がないと 官府の対応がよくないかもしれないと思い、首を売って金銭に引き換えるとい うことである。

実は、清代の『点石斎画報』に収録されている絵に限らず、伝統中国におけ る小説や戯曲などの文学作品には、姦通者を殺すという情景が屢々見られる。

例えば、先行研究によると、よく知られている小説の『水滸伝』には、「捉賊 見贓、捉姦見双」という法諺があったと指摘されている2。こうした点から見 ると、伝統中国において、「捉姦」(姦通者を捉える)をする際に生じる人命事 案は、珍しいものではなかったものと思われる。そして、本論文では、主に国 家法の側面から姦通者を殺した者に対する対処がいかなるものであったかを 明らかにしたい。

研究の動機

現在、台湾において施行されている「中華民国刑法」には、「当場義憤殺人」

という条文があり、「現場にて義憤に激して人を殺した者は、7 年以下の有期 徒刑に処する」(「当場激於義憤而殺人者、処七年以下有期徒刑」)ものと規定 されている(中華民国刑法第273 条)。現代刑法の視点から見ると、加害者が 国家の法律により処罰されるのは当然の理であるが、特別な状況において加害 者に人を殺さないことを期待することができない場合には、情状酌量によって 加害者に対する処罰が軽減されうる。「当場義憤殺人」という規定は、このよ うな場合の1 つの例である。さらに、中華民国刑法の各論においては、「当場 義憤殺人」の罪は、普通の殺人罪の減刑類型として存在している。

しかしながら、「義憤に激して」とは、一体どのようなものなのか。これに

1『点石斎画報(大可堂版)』第三冊(上海:上海画報出版社、2001年)第110幅。

2 仁井田陞「中国旧社会の構造と刑罰権――国家的・非国家的とは何か――」(同『補訂中国 法制史研究 刑法』(東京大学出版会、1981年)所収)19頁。特にその第4節の注14が注目 に値する。

1

(7)

ついて、小野清一郎は次のように指摘している。

「義憤に激して」とは道義上許すべからざる行為に対して憤激の感情に動 かされて行為を為すに至りたることを謂ふものと解する。例へば被害者よ り忍ぶべからざる侮辱を受け又は妻の姦通を目撃したる等の場合を指すで あらう3

この見解においては、「義憤」とは、被害者の不正行為を見たために激怒す るという状況に限定されるものと考えられている。また、この規定が適用され る実例について、典型的な犯罪類型としてよく言及されるのは、加害者が、姦 通の現場において、その配偶者が他人と姦通を行っているのを見た際に、即座 にこれを殺すというケースである4。例えば、中華民国最高法院331944)年 上字1732号判決は、次のように判示している。

刑法第 273 條の規定は、義憤に激してその場で即座に人を殺した場合であ れば適用されるものであり、別段、殺された者がまだ現場から離れていない 場合に限られるものではない。被告人が、某甲と(被告人の)妻の某氏とが 姦通を行うところを見たため、憤怒に激し、姦夫姦婦が逃げたのを、一丈ほ ど離れたところまで追いかけてこれらの者を射殺したことは、現場で義憤 に激して人を殺したものではないとは言えない5

この判決の内容から見ると、中華民国最高法院は、夫が、妻と他人との姦通 を目撃し、現場で即座に姦夫姦婦を殺した場合だけではなく、時間上・空間上 の密接性が存する状況において姦夫姦婦を殺した場合にも、同じく「当場義憤 殺人」の規定が適用され、より軽い刑罰に処することができると考えているの であろう。

また、この規定の存在目的に関しては、その中核的な思想は、「夫が姦通者 を殺すことは、一般の殺人行為より軽微な行為と見なされ、国家法により減刑 されるべき」という点にあるものと思われる。この点を一歩進めれば、姦通者 を殺すというような特定の殺人行為は、国家法の観点からある程度まで容認さ れるのではないかと考えられる。この点に関して、筆者が深い興味を覚えるの は、このような考え方が一体どのような由来を有するものなのか、また、もし 法制史の観点からこの問題を考えようとすれば、伝統中国法において、このよ

3 小野清一郎『中華民国刑法 分則』(下)(中華民国法制研究会、1935年)101頁。

4 林山田『刑法各罪論』(上冊)(台北:私家版、2005年)79-80頁、甘添貴『刑法各論』(上)

(台北:三民書局、2013年)29-30頁。

5 中華民国最高法院331944)年上字1732号判決:「刑法第二百七十三條之規定、祇須義憤激 起於当場而立時殺人者、即有其適用、不以所殺之人尚未離去現場為限。被告撞見某甲与其妻某 氏行姦、激起憤怒、因姦夫姦婦逃走、追至丈外始行将其槍殺、亦不得謂非当場激於義憤而殺人。」

2

(8)

うな刑法的な思想をどのように位置づけることができるか、という問題である。

前述の姦夫姦婦の殺害というケースに関する判決から直ちに思い浮かぶの は、伝統中国法における「殺死姦夫」条という規定である。しかしながら、こ の規定を考察する前提として、伝統中国の法秩序において、姦通に対していか なる評価が与えられていたかについて考察せねばならない。逆から言えば、あ る法秩序の中で、姦通行為が国家法、特に刑事法により規律・制裁されるべき 犯罪であるという前提がないと、姦通者を殺す行為は一般の殺人罪と異なる、

特別な犯罪類型として扱われることが理解され難いかもしれないからである。

穂積陳重の名著『タブーと法律』の中では、「性交の排他的なること」とい う観点に言及されている。これについて穂積は「是れが婚姻の消極的要素であ って、少なくとも女性の一方は其配偶者以外の者との性交を厳禁せられ、其禁 を犯す者は宗教的、社会的又は法律的制裁を受くべきものとする」、そして「国 権発達するに及んでは、始め宗教的又は社会的制裁に依て維持されたる此両性 関係は、竟に公権力に依って維持せられ、其排他的要素たる貞操を破りたる行 為に対して、法律の制裁を加え、或は之を姦通罪として罰し、或は之を婚姻の 強制解除の原因と為すことを認むるに至った」と述べている6

法の制裁を加えるという点について、伝統中国で「和姦」と呼ばれた姦通罪 は、早くからある種の罪として、国家法のレベルで取り扱われてきたものと考 えられている。発見された史料によると、少なくとも漢代の『二年律令』では、

姦通者を処罰する規定がすでに存在していたことがうかがえる 7。また、7 紀頃、前代の法律を継承・改定した唐律により和姦罪のあり方が確定されてか ら、清代の『大清律例』に至るまで、一貫して姦通を罪とする規定が存在して いた。それのみならず、現在台湾で施行されている「中華民国刑法」において も、姦通に関する規定は様々な形で存在している8。すなわち、儒教倫理を社 会秩序の軸とする伝統中国法において、姦通は、長らく、社会秩序に反しかつ 国家により制裁されるべき行為と見なされてきた。このような思想は現在の

「中華民国刑法」においても、脈々と生き続けている。

しかしながら、伝統中国における姦通罪は、どの程度の法益を侵害するもの と考えられていたかについては、なお疑問があると思われる。例えば、清律に

6 穂積陳重『タブーと法律――法原としての信仰規範とその諸相』(書肆心水、2007年)171- 172頁。

7 下倉渉「秦漢姦淫罪雑考」(『東北学院大学論集』第39号、2005年)116-121頁参照。

8 唐律においては、和姦を犯した未婚の男女を徒一年半に処し、既婚男女を徒二年に処すとい う規定があり、宋律は基本的に唐律の規定を踏襲している。明律の場合、姦通者に対する刑罰 が減軽され、未婚者は杖八十に処し、既婚者は杖九十に処すものとされており、さらに清律は 明律の規定を踏襲している。また、現在施行されている中華民国刑法239条「通姦罪」の規定 には、「配偶者がありながら他人と姦通した者は、1年以下の有期徒刑に処す」(有配偶而与人 通姦者、処1年以下有期徒刑)と定められている。歴代の法典における姦通罪の法定刑から見 ると、姦通は決して重い犯罪ではないものと考えられる。

3

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おける「犯姦」条においては、「凡和姦、杖八十、有夫者、各杖九十9」と規定 されていた。単に法定刑から見れば、決して重大な犯罪ではなかったものと考 えられる。

州県レベルの档案である「淡新档案」に収録された命盗重案と関わらない単 純な姦通事案を調べてみると、州県官が厳格に清律の「犯姦」条の規定に照ら して姦通当事者を処罰している事案は、ほぼ見あたらない。これとは反対に、

もし双方当事者が和解する可能性があれば、州県官は調停によって事案を終結 しようとしている傾向が強く現れている 10。また、もう 1 つ別のある事件で は、州県官は被告を枷号(枷責)、及び平手で頰を打つ(掌責)、という2種類 の処罰を与えている。さらに、原告が妻を家に連れて帰り、妻が教訓を遵守し なければ、再び妻を官府に移送することができる(「如不聴教訓、許稟送究辨」 と判示されている11。こうした行政的色彩が強い処理方法から見れば、州県官 が目指していたのは、姦通当事者をいかに処罰するかということよりも、むし ろ紛争当事者の仲直りや家の秩序を回復することであったのではないかと思 われる。

こうした視点から観察されるのは、伝統中国における国家法では、確かに姦 通者を処罰する規定こそ存在していたものの、実際に清代の裁判制度の最前線 にいる州県官は、必ずしもこの規定によって姦通者を裁いていたのではない、

ということである。仮に道徳的な観点から見ると、儒教思想を基礎として構築 された伝統中国の法・社会文化においては、姦通行為、特に妻が夫以外の者と 姦通を行うことに対しては、常に大きな非難が与えられる。ただ、道徳的な観 点から離れて、国家法のレベルで、姦通者に対する法定刑や州県官の採った措 置を観察すると、姦通者に対する非難性は、それほどの強度を有していなかっ たのではないかと思われる。

そこで、公的領域における姦通者に対する処罰への無関心との対比の上で、

「夫が姦通者を殺す」という私的領域において生じた行為に対して国家法がい かなる評価を与えるのか、これが本論文で主な考察の対象とする問題である。

特に、明・清律における「殺死姦夫」条は、伝統中国の法秩序の中で、どのよ うな位置づけを有するのかを明らかにすることが、本研究の1つの出発点であ る。

9 『大清律例彙輯便覧』刑律犯姦「犯姦」条。本稿においては、清律の版本として『大清律例 彙輯便覧』(台北:成文出版社(影印本)1975年)を使用する。同書、4571頁。

10 本文で使用したテキストは、呉密察氏により編纂された「淡新档案」の活字本である。呉密 察主編『淡新档案(36(台北:国立台湾大学図書館、2010年)112-188頁。参考に値するも のとして、案件編號35301の事案が挙げられる。112-116頁。

11 淡新档案、案件編號35401146-149頁。

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先行研究

本研究では、姦通者を殺す行為に対する評価や、伝統中国における「殺死姦 夫」と関わる規定の法的性格について、伝統中国法を対象として探求を行う前 に、まず現代の「中華民国刑法」を起点としてこうした問題の位置づけを行う。

冒頭に言及したように、姦通者を殺すという行為は、「中華民国刑法」におけ る「当場義憤殺人」罪の1つの典型的な事例である。そして、現代刑法におけ る「当場義憤殺人」罪と伝統中国法における「殺死姦夫」条との間に、一体ど のような関連があるかについて、小野清一郎により訳注された『中華民国刑法 分則(下)』では、第21章「殺人ノ罪」の「旧律沿革」のところで、以下のよ うに指摘されている。

姦夫姦婦を現場に於て殺したる夫の罪を論ぜざることも亦注意すべきであ る。明律、「凡そ妻妾人と姦通するに、姦所に於て親ら姦夫姦婦を獲て即時 に殺死したる者は論ずる勿れ。若し止だ姦夫を殺死したるときは、姦婦は律 に依りて罪を断じ、夫の嫁売するに従ふ」(巻十九、刑律人命)。蓋し其の憤 激に因る行為を宥恕すべきものとするのである。清律、明律に同じ12

小野清一郎のように現代刑法の視点から「殺死姦夫」条を見ると、姦通者を 殺す行為が宥恕されるべきである大きな理由は、加害者が憤激に駆られて殺人 行為を行ったという点に着眼することとなる。ただ、もう1つ無視できない問 題は、「殺死姦夫」条と正当防衛との間にはどのような関係があるのかという 点である。こうした視点はいずれにしても現代刑法的なものと言ってよく、こ うした視点のみにより伝統中国法における「殺死姦夫」条の法的な性格を究明 することができるのかは、なお疑問があると思われる。そして、より一歩進ん で「殺死姦夫」条を考察することができるように、まずは先行研究を把握する 必要がある。「殺死姦夫」については、現在まですでに数々の研究成果が存す るものの、すべての先行研究に言及することはできないので、以下、本研究と 関連性の深いものに限って述べる。

(一)前提としての先行研究について

まず注目すべきは、仁井田陞及び滋賀秀三による先行研究である。仁井田陞 による論文「中国旧社会の構造と刑罰権――国家的・非国家的とは何か――」

では、伝統中国の法秩序を「国家法」と「非国家法」とに区別するモデルが唱 えられている。そして、「殺死姦夫」について、仁井田は以下のような見解を 述べている。

12 小野、前掲注3書、85頁。

5

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そのゆだねられた家刑罰権も、国家的刑罰権のうちに位置し、一貫した権威 秩序のしくみのうちにありこそすれ、これを国家外的とか非国家的とかと いうわけにはいかないのではなかろうか。(中略)ことに――十三、四世紀、

元代法以降に資料が多いようであるが、――法律は、妻の姦通の現場でなら、

夫が任意に殺すことを許していた。しかし現場で姦夫とともに殺すことが 無罪の要件であった。(中略)そこにはかなりまだ復讐の面影を残してはい るが、これを復讐主義の遺制の問題としただけでは説明が不十分である。ま たこの私刑主義を国家外的といっただけでも説明がつかない。国家権力と 家内部の権力との一貫した家父長支配の問題としてこれをとらえなければ ならない13

仁井田の見解によれば、夫が姦通者を殺す権力は非国家的なものではなく、

国家法により与えられた権力であるものとされている。さらに仁井田は、家父 長支配という点に着眼して、家父長にある程度まで私的刑罰権が認められるこ とを表現する1つ重要な例として「殺死姦夫」条を捉えているようである。

これに対して、滋賀秀三による「刑案に現われた宗族の私的制裁としての殺 害――国法のそれへの対処――」では、これとは異なる見解が示されている。

厳密に言えば、滋賀の研究は、「殺死姦夫」条を対象として扱うものではなく、

清代における宗族の制裁という側面から、国家法による私的制裁に対する対処 をめぐっての考察がなされている。滋賀は、裁判権は国家に専属するものと考 えた上で、宗族に裁判権の一部を譲るという現象は見られないものとしている。

しかし、裁判資料から見れば、宗族の間において、私的な制裁によって犯罪行 為を犯した者、とくに姦通を犯した者を殺す事案が確かに存在していた。これ に基づいて、国家法と宗族間の自治との間に、ある種の矛盾が生じると考えら れている。そこで、これについて、滋賀は以下のように述べている。

こうして取り上げられた事件は、国法の立場を貫けば、謀殺・故殺の罪に問 われなくてはならない。しかし宗族の立場からすれば、それは正義の実現を 意図した行為であり、国家としてもこれを通常の殺人と一律に扱うのは妥 当でない。さらばとて、私刑に対する取締りをゆるめ過ぎれば、国家として は生殺の大権を私的組織に委ねることになり、また弊害を生ずる。こうした 相反する要求の間において、どのあたりに均衡点を求むべきかという問題 をめぐって、立法にも行きつ戻りつの振幅があったし、個々の事件の裁判に おいても、事案それぞれの個性に即して微妙な議論が繰返された14

13 仁井田、前掲注2論文、19頁。

14 滋賀秀三「刑案に現われた宗族の私的制裁としての殺害――国法のそれへの対処――」(同

『清代中国の法と裁判』(創文社、2002年)所収)127頁。

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仁井田と滋賀は、まさに正反対の立場から「殺死姦夫」条を取り扱ったもの と言える。しかし、いずれにしても、「殺死姦夫」条の法的な性格を考える上 で道標とするに足る重要性を有する先行研究であると思われる。本研究では、

「殺死姦夫」条に関連する諸問題をより深く考察する上で、基本的にこの2 の先行研究を土台にして出発することとしたい。

(二)明・清律における「殺死姦夫」条の研究について

明・清律における「殺死姦夫」条について、近年、以下のように様々な研究 成果が世に出された。

例えば、1990年代には、まず陳青鳳による「清代の刑法における婦女差別―

―特に傷害殺人・姦淫罪における――15」がある。この研究では、滋賀秀三の 宗族制裁の研究に基づいて、さらに傷害殺人や姦淫罪などの犯罪について、清 代刑法における婦女に対する差別的な対処をめぐる考察がなされている。また、

中村正人「清律『夜無故入人家条』小考16」には、清律における「夜無故入人 家」条という規定に対する考察とともに、この条文と「殺死姦夫」条との間に どのような関係があるかについても言及されている。

2000 年代に入ると、清代における性をめぐっての法秩序の全体像を求める 研究として、森田成満「清代に於ける性を巡る法秩序とその司法的保護17」が ある。また、中国語で書かれた研究の中で注目に値するのは、頼恵敏「従命案 看清前期的国家社会(1644-179518」と楊湘鈞「論『点石斎画報』的『捉姦図 像』19」といった論考である。前者は、民間社会の秩序に対する「郷紳と家族」

の拘束力という視点から、清代初期における宗族による私的制裁に関する事案 を挙げている。こうした人命事案の中で、姦通者を殺した事案にも言及されて いる。後者は、清代末期の光緒年間の「点石斎画報」を史料とした捉姦の全体 像を捉えるものである。それによると、「点石斎画報」では、捉姦に関する実 態や捉姦者による姦夫の殺害に関する実態が詳しく描写されているが、捉姦と いう行為の背後には、一種の社会規制という権力関係が存在していたとされて いる。

15 陳青鳳「清代の刑法における婦女差別――特に傷害殺人・姦淫罪における――」『九州大学 東洋史論集』第18号、1990年)55-86頁。

16 中村正人「清律『夜無故入人家条』小考」(『中国史学』第5巻、1995年)155-176頁。

17 森田成満「清代に於ける性を巡る法秩序とその司法的保護」(『星薬科大学一般論集』第 20 号、2002年)63-82頁。

18 賴惠敏「従命案看清前期的国家社会(1644-1795)」(同『但問旗民――清代的法律与社会』

(台北:五南出版社、2007年)所収)209-242頁。同書に収録された「情慾与刑罰――清前期 犯姦案件的歴史解読(1644-1795)」も参考、277-315頁。

19 楊湘鈞「論『点石斎画報』的『捉姦図像』」((台湾)『法制史研究』第20期、2011年)217- 266頁。

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以上の諸研究を通して、清代における性的法秩序、姦通と関わる人命事案、

ないしこうした問題と関連する当時の社会実態といった側面について、ある程 度まで理解することができると思われる。しかしながら、明・清律における「殺 死姦夫」条を直接の対象とする先行研究と言えば、以下の2つの論考が注目に 値すると思われる。

まず、佐々木愛「不倫した妻は殺せるのか?――明清律・殺死姦夫律とその 運用――20」である。同論文では、仁井田陞と滋賀秀三の研究を整理した上で、

「殺死姦夫」条と関わる諸問題に対して、さらに進んだ議論がなされている。

明・清時期の注釈書によって「殺死姦夫」条の意図を探求するのみならず、清 の裁判史料としての『刑案匯覧』を参照して「殺死姦夫」条の運用実態をも考 察している研究方法が注目される。

もう1つの研究は、喜多三佳「殺死姦夫の理――清律『殺死姦夫条』の淵源 とその発展――21」である。この論文では、主に「殺死姦夫」条の淵源・発展・

変化の経緯を考察した上で、この規定の「理」を明らかにするものとされてい る。こうした考察により、「本夫が姦夫姦婦を殺害しても罪に問われない理由」

に対する従来の諸説の当否が改めて検討され、さらに、殺死姦婦規定は「国家 と私人(本夫)の間の、一種の『取引き』」であるという仮説が提出されてい る。

前述のように、伝統中国法における「殺死姦夫」条、特に明・清律について、

豊富な先行研究がすでに存在している。しかしながら、こうした先行研究によ って検討され尽くしていない重要な問題がなお残されていることも、また確か であると思われる。そこで、以下において、本研究の主な問題意識を説明して おきたい。

問題意識

まず、本研究で繰り返して使用する「伝統中国」という言葉がどの時期を指 すのかについて説明しておきたい。伝統中国の時代区分は、従来の中国研究の 分野における1 つの問題であるが 22、本研究では、「伝統中国」とは、原則と して、中華民国建国の年である1912年までの中国を指す言葉として用いる。

そして、本研究では、主に明・清代から中華民国初期までの時代を考察の対象 にする。

また、「殺死姦夫」の考察の仕方としては、ジェンダーや風俗など様々な側

20 佐々木愛「不倫した妻は殺せるのか?――明清律・殺死姦夫律とその運用――」(『上智史 学』第53号、2008年)105-120頁。

21 喜多三佳「殺死姦夫の理――清律『殺死姦夫条』の淵源とその発展――」(『法制史研究会会 報』第15号、2010年)1-14頁。

22 時代区分論については、岸本美緒「時代区分論」(同『風俗と時代観――明・清史論集1

(研文出版社、2012年)所収)5-35頁を参照。

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面に着目しうるが、本研究では主に法制史の立場から「殺死姦夫」を対象とし て考察するため、「法」という視点から離れることはできない。ただ、もとも と「法」という概念は相当広範なものであって、またあまりに漠然としたもの ともいい得る。そこで、まず、実定法としての伝統中国法における「殺死姦夫」

という規定の成立経緯はどのようなものなのか、そして「殺死姦夫」が、1 の法として伝統中国の裁判の中に現れた実態はいかなるものか、といった問題 を検討したい。また、伝統中国法が現代刑法に移行する際、この規定の内容に どのような変化が生じたのか、そしてこの変化とともに、裁判の実態にはどの ような変容が見られるか、といった問題も考察に値するものと思われる。以下、

本研究が考察の対象とする主な3つの問題について説明する。

(一)明律における「殺死姦夫」条の形成及びその性格の再検討

本研究で取り扱う「実定法」については、具体的には、「律」と呼ばれる、

高度に刑事法的色彩を有する国家による制定法を主な研究対象とする。

「殺死姦夫」条の歴史について、まず清代の律学者の沈家本による見解を取 り上げなければならない。沈家本によると「この条文は、唐律にはなく、元律 を根本とするものである23」とされている。現在この見解は、ほぼ定説となっ ていると思われる。しかしながら、ここに1 つの問題が生じる。それは、「元 律」というのは何を指しているのかという点である。元は中国の歴史の中で唯 一、最後まで国家法のレベルでの基本法典を編纂することのなかった時代であ ったことを前提とすれば、沈家本による「元律を根本とする」という見解には、

曖昧さがあることは否めない。

そうすると、「殺死姦夫」条が最初に律の中に登場したのは明代であると考 えるべきであり、明代における「殺死姦夫」条の成立経緯を中心として考察を 進めなければならないと考えられる。ただ、この点について、基本法典として の『大明律』と副次法典としての「問刑条例」における「殺死姦夫」に関する 規定の内容とその変遷について考察するだけではなく、明の時代の前における 同条の淵源についても遡って考察したい。

また、明律を解釈するため、明の律学者は数多の注釈書を編纂した。こうし た注釈書の内容を通じて、明代の律学者の『大明律』及び「問刑条例」に対す る理解・解釈や、明律が適用されていた実態などを知ることができる。そこで、

本研究では、こうした注釈書を素材にして、明代中期・後期における「殺死姦 夫」に関わる理論的な展開に対する考察を行い、さらにこの条文の法的な性格 を再検討したい24

23 (清)沈家本「明律目箋」(鄧精元、駢宇騫点校『歴代刑法考』四(北京:中華書局、1985 年)所収)1867-1868頁。

24 この点について、佐々木愛の研究では、明の注釈書を活用して、「殺死姦夫」条の趣旨が考 9

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(二)清代における「殺死姦夫」条の内容及びその裁判実態について

次に考察の対象とするのは、清律における「殺死姦夫」の内容と裁判の実態 である。

前者については、主に清代の国家法である『大清律例』を中心として考察す る。具体的に言うと、明律を踏襲した上で成立した清代最初の清律においては、

「殺死姦夫」条について、明律と清律との間にどのような関係があるかについ てまず考察する。また、「殺死姦夫」条例の内容は時代の流れに応じて徐々に 変化したところが少なくない。そして、清律における「殺死姦夫」条の全体像 を捉えるために、清代全体を通して、「殺死姦夫」条にどのような変化が現れ たかについても考察を行いたい。

また、伝統中国法と言えば、それぞれの条文に定められた犯罪類型をできる 限り細分化するのが、顕著な特徴の1つであると考えられている。加えて、量 刑に影響を与える個別具体的な事情が、ある犯罪類型の一部として規定される 場合もよく見られる。そして、このような背景の下で浮かび上がる問題は、清 代の裁判官員は、「殺死姦夫」条と条例の中のどのような規定により、個別の

「殺死姦夫」事案に即して、犯罪行為と刑罰との間の均衡に配慮しながら、ど のように裁判を行ったかという問題である。この点について、「殺死姦夫」条 例との間の関係を考えるだけではなく、「殺死姦夫」条と謀殺や故殺などの殺 人類型との間にどのような関係があるか、またどのような仕組みにより他の規 定と連動・競合するかといった問題を考察したい。こうした考察により、「殺 死姦夫」条の概念やその論理構造の特質を明らかにすることが可能となると考 えられる。

他方、清律における条例の改廃修正が行われた原因については、裁判官員が 裁判をするときに、既存の規定との矛盾や規定の欠缺が意識されて、新たな規 定の制定が求められた場合が少なくないと思われる。そうすると、「殺死姦夫」

に関する裁判事案を考察することにより、単に清代の裁判官員が実際にこの規 定によって「殺死姦夫」事案を裁判した実態を窺えるだけではなく、逆にこう した裁判の実態に対する考察を通じて、「殺死姦夫」条例の改正の原因が何で あったのかを把握することができよう。

そのためには、清代における膨大な裁判史料が何より格好の材料となる。こ うした裁判史料を通して、「殺死姦夫」条が適用される実態を捉え得るのみな らず、清代における「殺死姦夫」条の展開や変遷の過程を明らかにすることも できると考えられる。

察されている。そこで本論文では、この研究を1つの基礎として、「殺死姦夫」条の法的な性 格を再検討したい。佐々木、前掲注20論文を参考。

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(三)清代末期から中華民国初期における「殺死姦夫」条の変容について

最後に、中国の清末期・中華民国初期における法継受の過程に視点を移した い。清代末期から始められた法典近代化の過程において、伝統中国法は近代ヨ ーロッパ法から強く影響を受けて、大きな変化が生じた。この時期に「殺死姦 夫」条についていかなる変化が生じたかという問題についてまず考察する。

また、もし「法の継受」の視点から前述の問題を考えようとすれば、単に規 範面の転向のみを考察の対象とするのでは、なお不十分な点が残る。国家法の レベルでは確かに近代刑法の思惟を学んて新たな法典が編纂されたが、それぞ れの規定の中身と伝統中国法との間にいかなるギャップが生じたのかについ て検討がなされる必要がある。そして、当時の裁判官が裁判をする際、実際に 違和感なくスムーズに新たな法典を適用して裁判をすることができたのかと いう問題も注目に値すると思われる。筆者は、裁判における新たな法の実践が いかなるものであったかという点に、大きな関心を持っている。そこで、本研 究では、この時期における中華民国の最高裁判機関による刑事判決例及び解釈 例を通じて、当時の裁判実態について考察を試みる。

先に説明しておきたいのは、ここで言う「最高裁判機関」は大きく2つに分 けられることである。すなわち、民国元(1912)年から民国171928)年まで は「大理院」、同年から民国381949)年までは「最高法院」である。こうし た最高裁判機関の見解に対する考察を通じて、法典近代化の過程において「殺 死姦夫」に関する法理にどのような変容が生じたかについて明らかにすること を試みたい。

史料について

本研究は「法制史」の研究として、伝統中国における「法」を探求するもの である。法制史の研究をしようとする際、史料は不可欠なものである。以下、

本研究で考察を行うにあたり使用する主要な史料について説明する。

まず、伝統中国法、特に唐律から清律までの各時代の法典について、現在手 近に利用できるテキストがいくつかある。また、明・清両時代に公的・私的に 編纂された律の注釈書も数多く遺されている。こうした注釈書によって、当時 の律学者による律の文言に対する解釈や明・清律に対する特殊な論理構造を解 明することができる。さらに明の注釈書が清の初期の法にどのような影響を及 ぼしたかという側面も、注目に値する問題であると思われる。

また、裁判史料については、清朝はほかの時代よりも数多くの裁判史料が遺 されている時代である。中央レベルの裁判史料だけではなく、地方レベルの裁 判史料も豊富に遺されている。本研究では、刑法論的な視点から伝統中国法の 論理構成を捉えるために、主に中央レベルの裁判史料を通して「殺死姦夫」を めぐる諸問題を考察したい。すなわち、『例案全集』『成案彙編』『刑案匯覧』

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『駁案新編』などの判例集に依拠して、伝統中国法の実態及びその中に存在し ている論理的構造を解明したい。

最後に、清代末期から民国初期にかけての法の変容を解明するためには、法 令や裁判に関わる史料が不可欠である。刑法典に関する史料については、従来 はそれぞれの典籍に散見されていたが、黄源盛により近時編纂された『晩清民 国刑法史料輯注25』には、清代末期の刑法典の草案から「中華民国刑法」1935 年)までの関連史料が揃っており、便利である。また、裁判史料については、

郭衛により編纂された『大理院判決例全書26』や『大理院解釈例全文27』とい った史料集が、民国初期の裁判例や解釈例を検索しようとする際に便利である。

しかしながら、前者には判決要旨しか掲載されていないので、実際の判決の全 文を読むことはできないが、裁判実態を解明するためには、どうしても判決の 内容を知ることが必要と思われる。この点、黄源盛により編纂された『大理院 刑事判例輯存1912-1928(総則編)28』と『大理院刑事判例輯存1912-1928(分 則編)29』には、大理院による判決の全文が載っているため、従来の史料の穴 を埋めることができる。

本文の構成

本稿は、序論と結論を含めて全部で6つの章から構成される。ここでは序論 を除いた各々の章における内容の概要について説明する。

第一章「明代における『殺死姦夫』条の成立に関する考察」では、主に明代 までの伝統中国法における「殺死姦夫」と関わる規定について、概括的な考察 を行う。「殺死姦夫」条が明律において確立する前に、「殺死姦夫」に関する単 独の条文は存在しなかった。そのため、「殺死姦夫」条が存在しなかった時代 に、どのような規定によって「殺死姦夫」と関わる事案を裁判していたのかに ついてまず解明する必要がある。また、明代中期・後期に律学者により編纂さ れた明律に対する注釈書が数多くあるので、こうした注釈書において「殺死姦 夫」条についてどのような論理が展開されたのかも考察する必要がある。こう した問題に対する考察を通じて、明代における「殺死姦夫」に関する規定や、

その法的思想のあり方を捉えることを試みる。

第二章「清代前期における『殺死姦夫』条の規定とその裁判実態」では、主 に清代前期における「殺死姦夫」条の規定の内容と、「殺死姦夫」条が適用さ れた実態について考察する。時代区分の方式については後述するが、本稿では

25 黄源盛編『晩清民国刑法史料輯注』(台北:元照出版社、2010年)

26 郭衛編『大理院判決例全書』(台北:司法院秘書処(重印本)1978年)。

27 郭衛編『大理院解釈例全文』(台北:司法院秘書処(重印本)1978年)。

28 黄源盛編『大理院刑事判例輯存1912-1928(総則編)』(台北:犂斎社、2013年)

29 黄源盛編『大理院刑事判例輯存1912-1928(分則編)』(台北:犂斎社、2013年) 12

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清の雍正期までの時代を「清代前期」と区分する。この時代においてまず検討 するのは、清代前期における「殺死姦夫」条の内容、及び当該規定と明代の注 釈書との間にどのような関連性があるかという問題である。また、明代までの 裁判史料が不十分な時代とは異なり、清代については数多くの裁判史料が遺さ れているので、前の時代よりは国家法が適用された実態を考察しやすい。裁判 史料を通じて「殺死姦夫」条が適用された実態を考察することにより、清代前 期の裁判官員にとってどのような問題が生じたのかについて検討できると思 われる。さらに、清代前期の裁判の実態についての考察結果は、清代後期にお ける「殺死姦夫」条の変遷のきっかけとして位置づけることができよう。

第三章「清代後期における『殺死姦夫』条の変化――条例の変遷を中心とし て――」では、主に清代後期における「殺死姦夫」条例の変化と関わる諸問題 についての考察を行う。まず、実際の裁判において規定の欠缺や諸規定の間の 矛盾が生じたことが、清代後期に入って新たな条例の制定や条例の改正が行わ れたきっかけとなったものと位置づけられる。このような視点から裁判の実態 を考察することにより、条例の変遷の理由をより一層理解することができると ともに、清代後期における「殺死姦夫」と関わる事案に対する措置にどのよう な傾向があるかを解明することができるものと思われる。

第四章「清代末期・民国初期における『殺死姦夫』に関する変容」では、主 に清代末期から民国初期における法典近代化を中心として、「殺死姦夫」条に 関する変化について考察する。具体的には、規範面から伝統中国における「殺 死姦夫」条の変化を考察するだけではなく、民国初期の裁判官がどのようにし てヨーロッパ的な法律によって「殺死姦夫」に関する事案を裁判したのかにつ いて、主に民国初期の大理院による解釈例と判決例、最高法院の判決例要旨や 司法院の解釈例を史料として考察を試みる。

結論では、以上の伝統中国の各時代を通じた「殺死姦夫」の変遷と裁判の実 態についての考察を再度整理して検討を行う。

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第一章 明代における「殺死姦夫」条の成立に関する考察

本章における諸問題

伝統中国法において、「殺死姦夫」とは一体どのような行為を指すのか。簡 単に言えば、「殺死姦夫」とは、妻や妾が他人(姦夫)と姦通していたときに、

夫が「姦所」(姦通の現場)において姦通者(妻または妾、及び姦夫)を捉え、

即座に彼らを殺す、という行為を指す。そして、本研究が第1に考察しようと するのは、伝統中国法における「殺死姦夫」条の成立経緯がどのようなもので あったのか、という問題である。

序章において、すでに伝統中国法における姦通が罪として取り扱われてきた 歴史は非常に長いという点について言及した。しかしながら、姦通の罪の歴史 に比べると、国家レベルの成文法典における「殺死姦夫」条の歴史は比較的浅 いものと思われる。この点について、前述の沈家本の見解だけではなく、同じ く清代の律学者である薛允升の『唐明律合編』においては、「唐律では、姦夫・

姦婦を殺すことに関わる条文がなく、また妻や妾が姦通により姦夫と同謀して、

本夫を殺すことに関わる条文もない30」と述べられている。

こうした清代の律学者らの見解によれば、「殺死姦夫」条が初めて律に登場 したのは明代であるとされるが、実際には、明代以前に「殺死姦夫」に関する 事案が存在しなかったわけではない。そうすると、「殺死姦夫」条が存在して いなかった時代において、どのような規定の適用によりこうした事案が処理さ れていたのか、という問題をまず解明する必要があるものと思われる。

また、「殺死姦夫」条が単独の規定として明の法典に現れた後に、この条文 がいかなる論理的な展開を示したのかという問題も、考察に値するものと思わ れる。具体的に言えば、明の中期・後期の律学者により編纂された注釈書にお いて、「殺死姦夫」条の論理に一体どのような展開が観察されるか、という問 題である。

そこで、本章では「殺死姦夫」条が最初に登場した明律を中心として、次の ような問題を考察の主な対象にする。第1 に、明代までの時代には、「殺死姦 夫」の事案がどのように対処されていたのかについて考察する。第2に、基本 法典としての『大明律』及び副次法典としての「問刑条例」における「殺死姦 夫」に関する規定を対象として考察を行う。第3に、明代の中期・後期に、律 学者らにより編纂された注釈書を素材にして、「殺死姦夫」に関わる論理的な 展開を考察する。

30(清)薛允升著、懷效鋒、李鳴点校『唐明律合編』(北京:法律出版社、1999年)476頁。

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唐・宋・元三代における「殺死姦夫」に関する規定小考

「殺死姦夫」に関わる規定の由来については、先行研究によれば、次のよう に考えられている。まず、『史記・始皇本紀』第六によると、秦の始皇帝によ り會稽というところで刻まれた石碑の上に「夫為寄豭、殺之無罪」という文字 があった。この文字の意味は、夫が他人の妻または娘と姦淫した場合、その夫 を殺した者は無罪となる、ということである。また、東漢の何休は、『公羊伝』

「桓公6 年」の注において、「立子姦母、見乃得殺之」という漢律の規定を引 用したが、沈家本は『漢律摭遺』卷5「賊律三」において、同じ漢律を引用し ている。この漢律の規定について、沈家本は、「これは、即ち今の『殺姦』に 関する規定である。また『見乃得殺之』というところは、今の『姦所登時』例 とよく似ている」という按語を書いている 31。すなわち、沈家本は、この漢律 の規定は清律の「殺死姦夫」条と同様のものであり、しかも「見乃得殺之」の 意味は、「姦所で姦通者を捉え、即座に彼を殺す」という規定と似ているもの と考えている。

ただ、秦・漢時代における法律の中に「殺死姦夫」のような規定が存したか 否かについては、現在遺された史料及び出土された秦簡・漢簡によってはまだ 解明することができず、「殺死姦夫」と関連する条文が初めて基本法典の中に ある程度明確に見られようになるのは、唐律からであると考えられる32。そこ で以下、唐代を起点として、唐・宋・元三代における「殺死姦夫」に関する規 定について考察を試みる。

(一)唐代における「殺死姦夫」に関する規定

まず明言しておきたいのは、唐律においては、「殺死姦夫」に関する単独の 特別な規定は存在していないという点である。そして、「殺死姦夫」と最も密 接な関係があるのは、『唐律』賊盗律二二条「夜無故入人家」条という規定で あると思われる。この条文の内容は、以下のとおりである。

夜故なく人の家宅に入る者は、笞四十に処す。主人が即座にこれを殺した場

31 下倉、前掲注7論文、133-135頁参照。また、『史記』に対する解釈・考証について参考に 値するものとして、次の2つが挙げられる。1)唐代の司馬貞の『史記索隠』によると、「豭 とは、おすの豚である。すなわち、夫が他室の者と姦淫をすれば、おすの豚と同じようなもの となる(豭、牡豬也。言夫淫他室者、寄豬之豭也)」とされている。2)瀧川亀太郎の考証に よると、「豚を以て淫夫・蕩婦に比することの由来は、久しいことである(蓋以豕比淫夫、蕩 婦、所由來久矣)」とされている。以上の記事について、瀧川亀太郎『史記会注考証』(史記会 注考証校補刊行会、1956年)冊二、「秦始皇本紀第六」63-64頁を参照。ところで、「夫為寄 豭、殺之無罪」という文字を清律の「殺死姦夫」の原型に位置づける見解については、陳、前 掲注15論文、64頁を参照。

32 唐律における「殺死姦夫」に関する規定については、翁育瑄『唐宋的姦罪与兩性関係』(台 北:稻郷出版社、2012年)52-58頁を参照。

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参照

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