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民国 17 年以後における「殺死姦夫」に対する法的な見解の変化について

ドキュメント内 伝統中国法上の「殺死姦夫」条に関する考察 (ページ 130-137)

第四章 清代末期・民国初期における「殺死姦夫」に関する変容

五 民国 17 年以後における「殺死姦夫」に対する法的な見解の変化について

以上、民国初期における大理院による解釈例と判決例を検討してきた。「殺 死姦夫」の専条がなくなった背景の下、「殺死姦夫」の事案について、大理院 は基本的に「正当防衛」の成否の問題として議論した。ただ、このような処理 方法は、民国17(1928)年以後、大きく変わることとなった。その理由は、前 述のとおり、「旧刑法」において「当場義憤殺人」罪が規定されたためである。

そこで以下では、民国17年から民国38(1949)年までの間、最高法院の判決 例要旨や司法院による解釈において、「殺死姦夫」の諸問題に関する見解にど のような変化が生じたかを検討する。

(一)「当場義憤殺人」罪について

まず、「当場義憤殺人」罪の規定は、「旧刑法」286条と「中華民国刑法」273 条である。前者は、「現場にて義憤に激して人を殺した者は、1年以上、7年以 下の有期徒刑に処する。」という規定であり、後者は、「中華民国刑法」273条:

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「現場にて義憤に激して人を殺した者は、7 年以下の有期徒刑に処する。」と いう規定である。

序論において、この規定は普通殺人罪の減刑類型としての性質を有すること に言及した。この規定の趣旨は、殺人の動機を考慮して、「当場義憤殺人」と いう行為を「普通殺人」と区別し、これについて行為者の責任を軽減させると いう点にある 215。以下ではまず、この時期の最高法院がいかなる殺人行為に 対して「当場義憤殺人」罪を適用したかについて説明する。

最高法院の判決では、この規定の適用範囲を画定するに際して、積極的な判 断基準を提示するというよりも、どのような行為がこの規定に該当しないかを 消極的に示すという手法がとられることが多いように思われる。言い換えると、

最高法院は、ある殺人行為をこの規定の適用対象から除外するという手法を通 じて、徐々に「当場義憤殺人」罪の適用範囲を限定するわけである。例えば、

最高法院28(1939)年上字2564号判決は、次のように判示している。

現場にて義憤に激して人を殺したとは、被害者が先に不正の行為を行った のみでは足らず、さらにその行為が客観的に忍ぶことのできない、公憤を惹 起するに足りるものであってはじめて適用される。被害者が勝手に衆人の 土地を売ってその代価を横領し(他の人に)分けなかったという行為は、も ちろん正当な行為ではないが、この行為はただ共有物の不当な処分に過ぎ ず、まだ共有人に忍ぶべからざる刺激を与えたものではなく、「義憤に激し て」とは言えない。また、その土地を売ったことはすでに過去のことであり、

なおさら「現場」の意義と符合しない。上告人が(被害者を)殺したことは、

通常の殺人罪によって処断すべきは当然である216

本件で最高法院は、単に被害者が不正の行為を行ったのみでは「当場義憤殺 人」罪は適用されず、さらにその行為が客観的に忍ぶことのできない、しかも 公憤を惹起するに足りるものという要件を満たすことが必要との基準を示し ている。しかしながら、より重要な点は、この判決要旨の後半部の、土地売買 の紛争により生じた殺人行為は「当場義憤殺人」とは言えないというところで ある。この点からは、最高法院がそれぞれの事案に即して、個別の事案におけ る殺人の動機が「義憤」に至る程度か否かについて、具体的な価値判断を行っ ている様子が窺える。さらに言うと、行為者が激怒してその現場で被害者を殺

215 韓忠謨『刑法各論』(台北:私家版、1980年)335頁、周冶平『刑法各論』(台北:私家版、

1968年)622頁を参照。

216 中華民国最高法院281939)年上字2564号判決:「所謂当場激於義憤而殺人、非祇以被害 人先有不正行為為已足、且必該行為在客観上有無可容忍、足以引起公憤之情形、始能適用。被 害人擅売衆地呑価不分、固非正当、然此不過処分共有物之不当、尚非使共有人受有不堪容忍之 刺激、自無激於義憤之可言。且売地之事已成過去、尤与当場之意義不符。上訴人将其殺害、自 応依通常殺人罪処断。」

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したとしても、すべて「当場義憤殺人」罪が適用されるとは言えないと考えら れる。

また、殺人行為が行われた場所が行為者の義憤が惹起された現場か否かとい う点は、この規定の適用の可否に大きく影響するものと思われる。この点につ いて参考に値するのは、最高法院31(1942)年上字1156号判決である。この 判決の内容は次のようなものである。

刑法273条にいう「現場にて義憤に激して人を殺した」とは、他人により行 われた不義の行為が客観的に公憤を惹起するに足るものであり、(加害者が その状況に)突然に遭遇して、憤激に耐えられずにその者を殺すことを指す。

もし他人が不義の行為を行う前に、計画を予定して、そして(その者が不義 の行為を)行う際または行った後にその者を殺した場合には、「現場にて義 憤に激して人を殺した」場合とは異なるものであって、本条の適用範囲には 入らない217

この判決の前半部分には、「28 年上字 2564 号」によって示された定義を踏 襲したところが見られる。この定義に基づいて、最高法院はさらに「当場」に 関する問題を検討している。それによると、「当場」とは、被害者が不義行為 を行っている最中であり、しかも加害者が被害者を殺した行為が事前に予定さ れていなかった場合に限定される。逆から考えると、このような「当場」の定 義に当てはまらなければ、被害者がどのような不義の行為を行っているとして も、加害者を「当場義憤殺人」罪によって減刑することはできないと考えられ る。

「28年上字2564号」と「31年年上字1156号」から見ると、最高法院は、

「当場義憤殺人」罪の適用範囲について制限的な傾向を示していたことが分か る218。そして最高法院は、「当場」の構成要件を満たすか否かを厳格に検証す

217 中華民国最高法院311942)年上字1156号判決:「刑法第二百七十三條所謂当場激於義憤 而殺人、係指他人所実施之不義行為、在客観上足以引起公憤、猝然遇合、憤激難忍、因而將其 殺害者而言。若於他人実施不義之行為以前、予定計画而於其実施之際或事後將其殺害、即与当 場激於義憤之情形不同、不在本条適用範圍之内。」

218 このような「当場義憤殺人」罪の適用に対する制限は、最高法院291940)年上字1566 判決においても見られる。この判決の内容は次のとおりである。「上告人は、息子の嫁である 某氏が息子を殴り殺したので、急いで帰って息子の惨状を見たところ、憤慨に耐えられず、某 氏を殺すために棺に入れて生き埋めにしようとしたが、未遂に終わった。この行為は俄に激怒 して生じたものであるが、到底「現場」という状況と合わないため、「現場にて義憤に激して 人を殺した」罪としては論じ難いものである」(上訴人因児媳某氏將其子打死、趕回看視見子 之慘状、不勝痛憤、欲置某氏於死地、遂将其納入棺中、擬予活埋未遂、雖属出於一時之憤激、

究与当場之情形不符、自難以当場激於義憤而殺人罪論処)。犯罪の事実から見ると、加害者は 自分の息子が嫁に殴り殺されたため、激怒してその嫁を生き埋めにしようとした行為につい て、最高法院は「当場義憤殺人」にはあたらないものとしている。その理由は、加害者はその 現場で息子が殺されることを目撃していなかったためである。他方、息子が殺されたのを知る ことによって生じた激憤が「義憤」にあたるのか否かについては、なお議論する余地があると

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るだけではなく、さらにその憤慨が「義憤」にあたるか否かについて、それぞ れのケースに即して区別している。

(二)「殺死姦夫」事案に対する「当場義憤殺人」罪の適用の可否

次に、「殺死姦夫」事案について、最高法院により「当場義憤殺人」罪の規 定が適用された実態はどのようなものかにつき、以下いくつかの例を通じて考 察を試みる。まず、序論ですでに言及した「33年上字1732号」の内容をここ で再掲する。

刑法第 273 條の規定は、義憤に激してその場で即座に人を殺した場合であ れば適用されるものであり、別段、殺された者がまだ現場から離れていない 場合に限られるものではない。被告人が、某甲と(被告人の)妻の某氏とが 姦通を行うところを見たため、憤怒に激し、姦夫姦婦が逃げたのを、一丈ほ ど離れたところまで追いかけてこれらの者を射殺したことは、現場で義憤 に激して人を殺したものではないとは言えない219

この判決は、「殺死姦夫」の事案に対していかなる処理をすべきかについて、

最も直接的な関連性がある事案と思われる。本件判決において、最高法院は、

姦通の現場で即座に姦通者を殺した行為について「当場義憤殺人」罪を適用し ている。言い換えると、夫が姦通の現場で姦通者を捉える際に生じた憤慨を「義 憤」として認めていると言える。

法定刑の軽重については、本件のように姦通者を殺した場合、清律の「殺死 姦夫」条によれば加害者は無罪とされていたのに対して、7年以下の有期徒刑 という刑に変化している。この点から見ると、「殺死姦夫」行為に対する寛容 の程度は、民国17(1928)年以降、大幅に減少したものと言えよう。

他方、「殺死姦夫」事案における「当場義憤殺人」罪の適用の可否について、

当時最高司法機関として法令を統一的に解釈する権限を有していた司法院、及 び最高法院は様々な見解を示したが、その中では、姦通者を殺した夫に対して 簡単に「当場義憤殺人」罪を適用しないようにする意図が窺える220。以下、こ

思われる。本件判決はこの点について明言せず、単にその憤慨が現場で生じたものか否か、さ らに殺人行為が現場で行われたか否かについてのみ検討している。

219 中華民国最高法院331944)年上字1732号判決。

220 ここで、民国171928)年以後の司法院と最高法院との関係について簡単に説明する。民 161927)年、国民政府は南京に都を定め、はじめに「五権」、すなわち行政、立法、司法、

考試、監察という国家体制を試行しようとした。翌年、「司法院組織法」が公布されたことに より、最高司法機関としての司法院が成立した。そして、司法院の下に、司法行政部、最高法 院、行政法院、公務員懲戒委員会、といった4つの直属機関が設置された。また、司法院院長 は、最高法院院長と各裁判庭庭長が成員となる会議において議決された結果に基づき、法令を 統一的に解釈する権限を有していた。以上、展、前掲注182書、219-220頁を参照。

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ドキュメント内 伝統中国法上の「殺死姦夫」条に関する考察 (ページ 130-137)