第二章 清代前期における「殺死姦夫」条の規定とその裁判実態
三 康煕・雍正期における「殺死姦夫」に関する事案の裁判実態について
どのような視点を通して清代前期における「殺死姦夫」と関わる事案を考察 すべきか、その分類の基準となるのは、先に述べた「姦所」と「登時」といっ
113 (清)張光月輯『例案全集』35巻(康煕61(1722)年思敬堂刊本)、東京大学東洋文化研 究所に所蔵されている。
114 (清)雅爾哈善など輯『成案彙編』(乾隆11(1746)年序刊本)、東京大学東洋文化研究所 に所蔵されている。
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た要件であると思われる。なぜならば、前述のとおり、姦通者を殺した者を無 罪とするか否かは、姦通者の捕捉と殺人行為との間に存する時間的・空間的な 密接さを基準として決せられるからである。そこで、以下においては、加害者 が現場で即座に姦通者を殺したか否かという点を基準として、「殺死姦夫」に 関わる事案を、「姦通の現場で即座に姦通者を殺した類型」と「即座にではな く姦通者を殺した類型」とに分類して考察を試みたい。
(一)姦通の現場で即座に姦通者を殺した類型
以下では、加害者が姦通の現場で即座に姦通者を殺した犯罪類型を考察の対 象とするが、ここでさらに1つの要素を加えて分析しておきたい。それは、加 害者と被害者との間の親族関係である。というのも、この親族関係の有無によ って各々の犯罪類型をさらに細分化させるという伝統中国法の特徴は、伝統中 国法を理解しようとする上で注目に値するものであり、また、伝統中国法にお ける中核的な思想淵源たる儒教思想の視点からすれば、国家法における規定に は尊卑秩序が反映されている面もあるため、加害者と被害者との間に存する尊 卑関係により罰則の軽重が異なる場合が少なくない。「殺死姦夫」条について 具体的に言うと、加害者と被害者との間の親族関係の有無、またはどのような 親族関係があるかによって、適用条文が異なりうるだけではなく、判決の実態 の上で裁判官が異なる措置をとることもある。加えて、「殺死姦夫」の場合に は、姦通者を殺した者が夫か夫以外の親族であるかによっても、異なった措置 がとられる。そこで以下、姦通の現場で即座に姦通者を殺した類型の下に、「夫 が姦通者を殺した場合」と「夫以外の親族が姦通者を殺した場合」とを分けて 考察を進める。
1.夫が姦通者を殺した場合
夫が姦通者を殺した場合については、加害者たる夫と被害者たる姦夫との親 族関係の有無によって、さらに「親族関係がない場合」と「親族関係がある場 合」に分けられる。以下、それぞれの類型について考察する。
(1)加害者と被害者との間に親族関係がない場合
まず、夫と姦夫との間に親族関係が無い場合については、次のような事案が ある。
事案①「王二一案」115(雍正5(1727)年5月刑部奉旨・山東)
王二は妻の劉氏及び彼女の表弟の劉守全とともに、かつて楊玉白の部屋を
115 『成案彙編』卷17「本夫同親属姦所殴殺姦夫擬徒改免罪案」、人命二、葉35。 55
借りて住んでいた。楊玉白が劉氏と姦通し、後に王二はそのうわさを聞いた ので李徳の部屋に住まいを移すこととなった。しかしなぜか楊玉白はまた 王二の家に行き、留まって酒食のもてなしを受け、そして劉守全と共に泊ま った。翌日、未明の時に王二は外に糞を拾いに行って、劉守全も李徳の家に 行って牛に餌を与えていた。楊玉白は機会に乗じて、劉氏のいる部屋に潜入 して、劉氏と姦通した。その時、王二は家に戻って姦通を目撃し、即座に壊 れた鉄の鍋を持って楊玉白に叩き付け、負傷させた。楊玉白は拳で殴り返し た。その時劉守全が家に戻って来たため、王二は彼を呼んで殴らせた。そこ で、劉守全は石で楊玉白の右の耳元を撃って負傷させた。さらに、王二が楊 玉白の頭頂部の右側を撃って負傷させたところ、楊玉白は地面に倒れこん で死亡してしまった。
本件では姦通の現場で即座に姦夫を殺した夫の王二について、山東巡撫は徒 罪に逃亡の罪3 等を加えて、杖一百流三千里に処した。これに対して刑部は、
巡撫の疏文により指摘された「隣人の康只などが声を聞いて(現場に)見に行 ったところ、楊玉白がズボンを脱いたまま、オンドルの前で死亡している様子 を見た」ことから、この事件が「現場で自ら(姦通者を)捉え、即座に彼を殺 した場合には、罪責を論じない」律の規定に合致しており、王二を無罪とすべ きとした。また、王二が姦夫を殺した後に自首せずに逃亡した点について、刑 部は逃亡罪を論じるのではなく、「不応重杖」による罪責を論じた。
一方、従犯の劉守全について、山東巡撫は「為従」律によって、杖九十徒二 年半に処した。これに対して刑部は、劉守全は姦通を捉えるべき親族であり、
または姦夫が本夫を殴っているとき、本夫に要求されたため、姦夫を石で一回 殴ったのみである、といった理由に基づいて、「他物で人を殴って傷害したと きは、笞四十(他物殴人成傷、笞四十)」条によって、折責十五板に処した。
原審では、「同謀共殴」の規定により、夫の王二と妻の表弟の劉守全をそれ ぞれ首犯と従犯に区別し罪責を論じていることからすると、おそらく原審は2 人で殺人行為を行ったと考えたものと思われる。これに対して刑部は、加害者 の2人が共謀し被害者を殺したという外見的な行為を捉えて「同謀共殴」条の 規定によって裁判をするのではなく、むしろこの事案における「殺死姦夫」と しての本質を見極めて裁判をしたものと言ってよいと思われる。
本件は、「現場で即座に姦通者を殺したとき、罪責を論じない」という原則 を示す典型的な事案と言ってよいであろう。ただ、この事案においては、加害 者と被害者との間に親族関係が存在していなかった。そこで次に、両者の間に 親族関係が存する場合の裁判の実態について考察する。
(2)加害者と被害者との間に親族関係がある場合
加害者と被害者との間に親族関係がある場合について、注目に値する事案は、
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雍正8(1730)年の「陳良彩一案」であると思われる。この事案の経緯は、以 下のとおりである。
事案②「陳良彩一案」116(雍正8(1730)年12月奉旨・江蘇)
陳良彩と陳有餘は同胞の兄弟である。陳良彩はいつも外で雇われて働いて いた。陳有餘は、陳良彩の妻の儲氏と姦通した後、そのことを陳良彩に知ら れ、そのために追い出された。雍正 7 年 2 月に、陳良彩は外に働きに行っ たところ、陳有餘はまた(陳良彩の)家にやって来た。隣人の高有志は走っ て、陳良彩に告げに行った。(その月の)21日、陳良彩はひそかに高有志の 家に行って、竹柵の隙間から陳有餘が儲氏とかまどの前で姦通を行ってい る様子を窺った。陳良彩は激憤を抑えられず、高有志を呼んで竹柵を押し開 け、直ちに姦所へ行った。その時、儲氏は先に逃げてしまった。高有志は陳 有餘の足を膝で抑え、両手を掴んだ。陳良彩は、高有志の布の帯を解き、陳 有餘の頸に巻き付けて、即座にこれを絞殺した。その後、陳良彩は高有志と ともに、死体を担いで川に投げ捨てて家に帰った。
本件で夫の陳良彩が姦夫である同胞の兄の陳有餘を姦通の現場で捉え、即座 に彼を殺したことについて、原審の江蘇巡撫は、陳良彩を「故殺親兄」律によ って凌遅処死に擬した。他方、陳有餘が弟の妻と姦通したことは、絞に処すべ き犯罪行為であるため、夫が姦通の事情を目撃し、激怒したまま姦夫を殺した という点について、江蘇巡撫はこれは故殺と異なると考えて、改めて凌遅処死 から斬監候としてよいか、刑部に伺いを立てた。刑部は、原審のとおり、陳良 彩を斬監候とすべきとした。
本件は、妻が姦通の現場から逃れたが、そもそも夫が自ら姦通の事情を目撃 し、しかもその現場で姦夫を捉えた後にそのままこれを殺したものである。こ の点から見ると、「現場で即座に姦通者を殺したとき、罪責を論じない」とい う規定により、夫は無罪とされてもおかしくはないと思われる。しかしながら、
原審の江蘇巡撫はこの規定によって夫を無罪とするのではなく、逆に「故殺(凌 遲処死)→犯罪事実が故殺と異なる→情状酌量」という手法で斬監候に減刑し てよいかと刑部に伺いを立てた。
結果から見ると、江蘇巡撫も刑部も、「殺死姦夫」条における「夫が現場で 即座に姦通者を殺したとき、罪責を論じない」の規定が適用されるかという問 題を視野の外においたまま、最初から最後まで本件の犯罪事実が故殺であるこ とを前提にして、殺人者の罪責を論じている。そう考えると、たとえ夫が姦通 の現場で即座に姦通者を殺した事案であるとしても、雍正期の裁判官員は「事 案①」のように、必ずしも「殺死姦夫」条の規定によって、夫を無罪にすると は限らないことになる。
116 『成案彙編』卷17「捉姦殺兄擬監候斬」人命二、葉53。 57