経 濟
●耐
會 編
サイモン・グレイの人口論十九世紀
初頭に現はれたる英吉利ボピュレイショ
ニスッの一研究
南亮三郎
目次
一︑開題ーマルサス入口理論の研究より下る
二︑反マルサス陣管における﹁樂襯論者﹂と﹁入口主義者﹂
三︑グレイの三著作とその輪郭
四︑﹁流通膣﹂及びその需給の理論
五︑入口原理論ーマルサス説の批剣
六︑入口の食物規制論i・マルサス説批剣の特論
七︑入口増加の作用論
入︑入口増加の反作用と將來観
九︑グレイ學説の論理的構造とマルサス批剣の成敗
一〇︑グレイ及び一般入口主義學説の學史的並びに理論的意義
一︑開題ーマルサス人ロ理論の研究より下る
人ロ學読の一般に書かれたる獲展史の上から云ふと︑人ロの増加をもつて國富増加と國民繁榮との原因と見
る謂ゆるポピ・⁝レイショニストの人口論が十六世紀末から十七.八世紀にかけてのヨーロッパ諸國に行はれた
るメルカンティリズムの一係論であること︑即ち要するにマルサス以前の奮人ロ學読に属することは確かであ
る︒然しマルサスの時代︑少くとも彼れが主著﹃人口原理論﹄の第一版(一七九八年)を草し︑叉その第二版
(一八〇三年)の増訂に從事しつ﹂あつた當時までは,ポピュレイショニスト的人口思想は依然として各國の
主要政治家の頭臓を支配してゐた︒イギリスの宰相ピットとかのナポレオンとが︑海峡を隔て玉互ひに呼鷹す
るが如く︑盛んに産兇の漿働を行うてゐたことは有名な事柄である︒それには當時︑ナポレオン戦争に俘うて
の軍人必要の増加︑産業革命に俘うての新機械操縦者の需要増加︑等々の歴史的特殊事情はあつたが︑政治家
達のロから洩れる言葉はおしなべて︑産めよ殖えよ︑而して人ロは殖ゆるほどその國は榮えん︑といふに一致
してゐた︒さればこそマルサスの﹃人口原理論﹄はこの種の熱狂的なポピ・⁝レイショ昌スト的人口観の偏見に
封して︑最経決定的な一撃を加へることをもその一つの使命としてゐたのである︒即ち彼れはこの著の第二版
において次の如く論じてゐる︒
﹁人ロ問題に關する偏見は︑正貨に關する往時の偏見と非常によく似てゐるが︑吾々は︑この後者がいかに遅
サイモン・グレイの入口論五
六
逞として叉いかなる困難の後に︑より正しき概念に席をゆつつたかを知つてゐる︒政治家達は︑有勢であり且
つ繁榮してゐた國々が殆んどつねに人口稠密であつたことを見て︑結果を原因と取り違へ︑そしてそれらの國
國の繁榮が人口︹檜殖︺の原因とは見ないで人ロ︹増殖︺が繁榮の原因であると結論するのであつて︑それは
丁度往時の政治経濟學者達が︑正貨の豊富を國富の結果とは見ないでその原因であると論結したのと似てゐ
るL︒正貨に關するこの偏見は今日ではすでに打破せられてゐるが︑﹁幻想はなほ人口に關しては残つてゐる︒
そしてか︑る妄信から殆んどすべての政治的論著は︑その扶養手段に殆んど或ひは全く顧慮しないで︑人口
め︹増殖︺の促進策に充満してゐるのである︒﹂
かくてマルサスはこの瓢に關する先行諸學者︑特にジェームズ・ステーワアトの謬見を指摘していふ︑
﹁この黙では︑一般に人口問題を巧みに読明したサi・ジェームズ・ステェワアトも︑誤りに陥つてゐたやう
に私には思はれる︒氏は確言して曰く︑増殖が農業の有殻因(︒墜︒器旨︒舞ω︒)であつて︑農業が増殖の原因で
はないと︒然しながら︑よしんば︑土地の自然的産物によつて安易に養はれ得る以上に人民が増殖したことに
よつて初めて土地を耕やす必要に迫られたものであり︑叉家族を維持せんとする考へ︑乃至は農業生産物と交
換に或る有債なる代償を獲得せんとする考へが︑耕作に封する主たる刺戟としてなほ作用してゐる︑といふこ
とは承認してもよいとしても︑而かもなほこれらの生産物が︑その自然的歌態においては︑いかなる永久的増
殖も恐らく支へ得られる前には現存人口の最低の欲望を超えてゐなければならない︑といふことは明白であ
1)Malthu5,AnEssayonthePrlncipleofPopulation,2nded.
PP,473‑474;5thed.1817,vol.iii,PP・38‑一 一40;6thed・
PP.237‑238・
1.ondonI803, 1826,VQ1.ii,
る︒吾々は︑出生の増加が,農業には何の作用も與へないで起り︑た野死亡の増加によつて随伴せられたに過
ぎない︑といふやうな事例を無数に知つてゐる︒然し農業の永久的増大がどこかで人口の永久的増大をひき起
さなかつたといふやうな例は︑おそらく存しない︒從つて︑人口が農業の有敷因ではなく︑より正當には︑農
業が人ロの有致因であると云ふことが出來よう︒むろんこれらは確かに相互に反作用し合ふのであり︑そして
てふつがひ相互の支持の爲めには相互に必要なものではあるが︑このことは實際︑人ロ問題がそれによつて同轄する蝶番
であるやうに見える︒そして人ロに關する一切の偏見は︑おそらく︑か玉る優位の順序を取り違へたことから
カ起こつてゐるのである︒﹂
人ロ學読の獲展史上におけるこの猫自なるマルサスの地位は︑それ故に︑今までのマルサス研究家達によつ
ても強調せられて來た︒例へばさきにフエッターは﹁彼れ︹マルサス︺の理論は︑有勢にして繁榮せる國々にお
鋤いて認められたる彊大なる人ロ増加が繁榮の原因である︑といふ奮來の理論に樹する一反動である﹂と述べ︑
叉近くはペンローズが︑マルサスの基礎的命題たる人ロ増加封土地制限の着想はすでに﹁マルサスの時代以前
に始まつてゐた︑然しマルサスは︑それを生氣ある論瓢とし︑それを公けの討論の前景に持ち出し︑そして人
り口の増加はそれ自身で必す望ましいものだといふ観念を粉陣した最初の人であつた﹂と論するのである︒
だが然し︑嚴密にいふならば︑マルサスが果して人ロの増加それ自艘を無條件的に悪の根元として拒否し去
らうとしたかどうかは一つの問題であるが︑次いではマルサスの意圓せるものと畳しき最絡決定的な反駁が果
サイモン・グレイの入口論七
2) 3) 4)
M・lth・ ・、AnEssaア,2・d・d.PP.476‑477;5th・d・v・1・iii・PP・44‑・46;
6thed,vo1.ii,PP.241‑242.
Fetter,VersuchelnerBev61kerung.slehre,ausgehendvoneinerKritikdes Malthus,schenBevδ1kerungsprinzips,Jena1894,S・40・
Penrose,PopulationTheoriesandtheirApPlication,CaliforniaIg34,P・5・
入
してポピェレイショニスト的人口増加謳歌論の熱狂を完全に封じ去つたかどうか︑又この熱狂はたとへ時代と
ともに封じ去られたとしてもそこには何らの残るべき理論もなかつたのかどうかは︑更に大いなる第二の問題
である︒右第一の問題については︑本稿の筆者はすでに近時の一︑二の勢作の中で論及し︑マルサスに關する
あ通設的解繹の不備を補はうとしてゐる︒本稿は即ちこの論黙に關聯せしめて右第二の問題に答へようとするも
のである︒筆者の願ひは然し︑この同答をして軍なる學説史的興味の満足に絡らしめ・ず︑形の上にみいては學
説史的問題の取扱に篠るとは云ひながらそれを通じて人ロ理論の艦系化的構想に近づくの一階梯たらしめたい
と思ふにある︒蓋しマルサスの論著は入ロ理論に關する凡ゆる近代的思索の出獲瓢を成すものであるととも
に︑その當時活濃に行はれたるマルサス論孚の全記録はこれを仔細に跡づけゆくならばまさにボーナアの
の注意せる如くすでにその中に﹁全繋争問題に關する吾々自身の判断を形成するに充分なる資料﹂が見出さ
れ得るからである︒
一一︑反マルサス陣螢における﹁樂観論者﹂と﹁人口主義者﹂
さてマルサスの存命當侍より十九世紀末までに彼れの學読に野して現なれたる幾つとも激へ切れない程の多
歎の﹁反樹者﹂﹁批判者﹂﹁答辮者﹂の主だつたものの申に︑人口學説史家によつて多く﹁樂槻論者﹂と呼びな
5)拙 著 ・ 入 口 理 論 と 入 口 問 題 ・ 昭lo年 千 倉 書 房, .251頁 以 下;及 び 拙 稿,マ ル サ ス の パ ッ シ ヨ ン 論(商 學 討 究Io巻 上 冊,昭Io年6月)55頁 以 下 参 照.
6)Bonar,MalthusandHisWork,2nded .LondonIg24,P.2.
されてゐる一群の人々がある︒例へばエルスターは﹃國家科學僻典﹄第二巻申の寄稿文において﹁十九世紀に
おけるマルサス學読の反封者﹂を三群に分類し︑その各々に代表者を掲ぐること次の通りである︒
1︒肚會主義者O&鼠P国︒霞冷び男H︒亀げ︒P国昌σq①7竃母き=・08おρ9ρ
2︒⁝樂観論者tO蚕ざΩ轟冨ヨ巾鴇ぐ弔︒覧塁畠.Qっ9已①♪Qo窪一〇が国くo器芦≧房oP国9︒・ユ曽計O舞①さ=ω計即国昌σqo一・
a自然科學的見地より出護する反封者U︒与げ魯ざ︒︒鷺唱8が宏︒︒︒ω齢冒塁︒罫
右のうち第二群についてエルスターはいふ︑﹁人口理論家の一大集團を吾々は簡軍に樂観論者(象①OO二日聾窪)
と名付けることが出來る︒樂観論者はマルサスによつて言ひ表はされた杞憂を正當とは認めす︑そして︹第一
群の肚會主義者とは異なつて︺現存の國家秩序並びに肚會秩序の改攣を要求することなしに人口状態の將來の
形相に望みを囑するのである︒個々の鮎においては︑即ち例へばマルサスを弾劾する仕方や人ロ運動に關して
樹立する理論においては︑以下に掲ぐる著作者達は相互に非常に隔たつてゐる︒彼等が結びつく一窯は即ち將
め來への期待である﹂と︒これに從つてイギリスだけの代表的﹁樂観論者﹂を拾ひあげるとO冨ざOBぎヨρ
≦︒凱§鼻留臼①び︒︒〇三〇H矯及び≧ぎ昌の六人となる︒
次いで︑かのモムベルトーその人の分類に移る前にーの勝れたる女弟子の一人にウアズラ・シアンがあ
のり︑その學位論文は﹃イギリス樂観論者の人ロ學読﹄の研究に充てられてゐる︒この論文はその師の主著より
も先きに刊行されたものであるが︑こ玉ではエルスターの指摘せる例の六人だけではなく︑アメリカ人国く︒器拝
サイモン・グレイの入口論九
1) 2) 3)
E]g.ter,Art.Bev61kenmgslehreundBev61ke了ungspolitikin:Handw.d.Sta‑
atsw.】ld.II,4.Aufl.JenaIg24,s.77.3‑‑787.
Elster,a.a.0.S.78江.
UrsulaSchian,DieenglischenOptimisteninihrenBevδlkerungstheorien, Diss.Giessen,BreslauIg26.
一〇
を加へ︑更にエルスターにおいては﹁自然科學的見地より出養する反封者﹂として謂ゆる﹁樂観論者﹂より匝
別せられたるUo島﹃魯ざ冒旨o拝︒︒Oo昌n窪の三人をも併せ取扱うてゐる︒﹁樂観論者﹂の総括名構はかくてシ
アンの論文においては︑十九世紀前葉に輩出したるイギリスの殆んどすべての恐らくは只一人ゴドウイン
を除きて主要なる人口論者を蔽ひ審してゐるのである︒
だが前掲エルスターの分類に加工しながら︑しかもシアンよりも遙かに徹底的に﹁樂観論者﹂の範疇を援め
ゆかうとするが如くに見えるのはモムベルトその人である︒即ちモムベルトはその主著﹃人口論﹄中の一章
め﹁マルサス以後現代に至る迄の人ロ論の獲展﹂において︑この期間中の人ロ論者を先づ
工悲観的見解の代表者
皿樂観的見解の代表者
の二大群に大別し︑後者をば更に細分すること次の通りである︒
a自由主義者の集團O話訂日ρΩ話ざ≦♂覧跨昌臼樋同く巽①8︒D巴一〇♪≧幽︒︒oPo︒o且oがO碧︒さ頃器梓凶曽び≦爵昏
h護展史的観察を爲す者ζ︒︒﹂U夢ユ轟・
G杜會改良主義者及び杜會主義者︒︒凶︒︒日︒昌烏O毛⑦pのぎ︒pO菩︒計司︒旨一・ご目ぎ日驕︒p]≦舞x9国昌,
㈹oす囚碧3尊}=.08おρ○召窪7臥日①き冒帥﹂Pいき鵬ρU魯三告●
乱マルサスの生物學的反封者‑Uo=三①9罫冒旨o霞匂o︒窟昌8がZo︒︒ω凶σq●
4)Mombert,Be祠kerungslehre,Jena1929,s・195