貨幣と経濟贋値
大野
純
一
本稿の目的とするところは︑貨幣は維濟償値性を有するや否やの問題を解かんとするに在る︒
貨幣は経濟債値を有するや否やは︑殆んど経濟學の誕生と共に磯生し︑古來多数の論者によつて討究せられた
にも拘らす尚今日に於ても解決を見ざる問題の一つである︒吾人の考へによれば︑か﹂る意見の不一致は︑貨幣
が有し若くは有せすと主張せらる﹂経濟債値概念に關する彼等の解繹の匿々たるに基くのである︒されば︑貨
幣に於ける債値性の問題を論するがためには︑先づ経濟便値の概念そのものを明かにするを要するのである︒
一般に維濟學上︑從つて叉貨幣論上に於ける︑債値概念に關する從來の論者の詮は大別して二とすることが
出來る︒その一は主観的領値學論であり︑その二は客観的慣値學論てある︒第一の學詮に擦れぼ︑﹁主観的意
貨幣と縄濟債値一=
貨樽と経濟偵値一=一
味に於ける便値は︑一定の主禮によつて彼の稿利が何等かの關係に於て一財の所有に依存すると言ふことを意
識せらる﹂がために︑その財がこの主艦の利害範團に封して有する實際的意義である︒Lω更に此慣値を彼等は
三分する︒即ち一主禮の慾望が直接その財の使用によつて充足せらる﹂場合は︑此を主観的使用債値︑その財
を技術的生産に利用して得た新なる財によつて充さる﹂場合を主槻的牧釜債値︑その財を交換に於て提供1・︑
以つて得たる財によつて充さる﹂場合を主親的交換債値と名づけるのである︒ω他方第二の論者に擦れば︑﹁客
襯的意味に於ける憤値は︑吾人の判断に於て認められたる︑一定の外的︑客観的成果をもたらす可き一財の性
能である︒﹂ω此偵値も亦三つの範疇に分れる︒一財が直接技術的用途に向けらる﹂時︑此を客観的使用債値と
稻し︑技術的生産過程を通して他の財を得るために用ひらる﹂時︑客観的牧釜債値︑交換によつて他の財を得
るために充用せらる﹂時︑客槻的交換債値と言ふのである︒ω
以上は從來の債値匠分であるが︑今此匠分を静かに退いて観察する時︑吾人はそこに何等杜會維濟學上重要
なる匿分の原理なきを獲見するのである︒即ち彼等が同種と看倣す債値も︑此を肚會維濟學的見地よりすれ
ば︑全く異るものであり︑叉彼等が別種のものなりとするものも︑吾人の見地よりすれば︑何等匠分の必要な
きものたるを知るのである︒而して結局三ケの範曉がそこに封立するを焚見するのである︒先づ第一に主観的
債値に就いて見るに︑主観的牧盆債値並に主観的交換債値は根本に於いて︑主観的使用債値と異るものではな
く︑爾者は共に此債値に蹄属する︒只前二者は聞接の使用債値であり︑後者は直接の使用便値である︑と言ふ
貼に於いてのみ異るのである︒故に此三者は結局同一範曉に圏し︑そは一封象と一主腿との封立關係に基いて
襲生する︑個人的︑主観的︑心理的慣値である︒次に客観的債値に進まふ︒客観的使用慣値並に客親的牧釜債
値は,共に︑一財が︑技術的關係の中に︑齎す効果に基くものであつて︑此意味に於いて︑爾債値は本質的に
異るものではない︒只一財の技術的成果の慾望に封する關係が直接なりや闇接なりやの貼に於いてのみ匠別せ
られるのである︒而して爾者は共に技術的概念である︒然るに︑此等の債値と客観的交換債値との聞には︑杜
會維濟學上より見れば︑根本的差異が存するのである︒客観的交換便値は︑一財が︑杜會的交通に於いて︑或
他の財と交換せられる關係である︒從つて客観的使用債値並に客槻的牧盆便値は︑專ら事物の自然的性質即ち
その物理的︑化學的關係によつて條件付けらる﹂純粋技術的のものであるが︑客観的交換慣値は個人間の交通
を前提して初めて嚢生する砒會的のものである︒されば一般に維濟學上に於いて︑從來論ぜられて來た債値は︑
此を枇會科學上匠分する時は︑一︑個人的︑主観的︑心理的慣値︑(主観的使用債値︑主観的牧釜債値︑主観
的交換債値)二︑技術的便値︑(客観的使用便値︑客観的牧釜債値)三︑肚會的贋値︑(客観的交換便値)の三
つの範瞬に分れるのである︒④
扱吾人は此三種の債値の維濟學上に於ける地位とその意義とを槍しよう︒個人的︑主観的︑心理的債値に就
いて︑從來の経濟學者の考ふる所は次の如くである︒此債値は凡ての経濟現象の根本に横はるものであつて︑
そは経濟現象の絡局的論明原理たるのである︑されば此債値概念こそ維濟學的債値概念︑即ち眞の経濟債値で
貨幣と経濱債値二三
貨幣と経濟債値二四
ある︑と︒然し乍ら吾人は或概念の一科學内に於ける論理的意義と獲生的意義とを混同してはならぬ︒即ち假
令︑個人的︑主観的︑心理的債値概念は︑経濟現象の読明に封する最絡黙を意味し︑経濟現象護展の始黙を構成
するも︑これを以つて直ちに経濟的概念其自身なりとは断することは出來ない︒抑々個人的︑主観的債値は純
粋の心理現象として人間の凡ての合理的行爲を震生せしむる根本動機である︒從つて︑そは︑経濟現象よりも
はるかに廣き一般的人聞行爲の読明原理ではあるが︑決して経濟學固有の概念ではない︒此種の債値は︑経濟
學的慣値現象の分析に際して︑最後に蹄せしめらる可き債値ではあるが︑其自身経濟學的債値とは見ることが
出來ないのである︒他面技術的慣値が本來の経濟學的概念たらざるは蝕に論する迄もないことである︒されば
く・団爵.,翻曽毛︒・岸も曰く︑﹁木材の熱量債値を例へば詮明することは︑決して吾が科學の任務ではない︑﹂と︒⑥か
曳る債値は明かに自然科學の封象であつて経濟學に固有の概念ではない︒以上二債値に反し︑客槻的交換債値
は︑枇會的交通を前提して初めて成立するところの概念である︒此債値は軍に所有せらる﹂封象に認められる
債値ではなく︑移蒋の封象に於て生する債値である︒從つて此債値こそ︑肚會科學としての経濟學上︑重要な
る贋値概念である︒
扱て以上によつて吾人は從來の債値概念を検し︑個人的︑主槻的債値並に技術的債値は経濟學固有の債値で
はない︑吾々の科學内に猫自の地位を占め得るは只客観的交換債値あるのみである︑と言ふことを明かにした
のであるが︑此結論は又此を他方面より誰明することが出來る︒
O
一一
抑々債値一般は一主艦が或客膿に封して認めるところの意義である︒されば債値は客髄それ自身に固有なる
性質ではない︒叉主盟の任意に想像したるものでもない︒債値は輔主禮が主観︑客観を超越せる第三の標準に
照らして︑或客罷を判断することによつて生する統一的現象である︒か﹂る性質を有する債値は︑科學一般に
與へられたる共通の経験の封象である︑而してそは各々の科學の認識目的に慮じて加工さる可き素材である︒
然らぼ経濟債値は此経験の封象より如何にして獲展するや︒哲學は︑此経瞼の封象としての評債現象に於ける
評債の標準に︑その學的興味を向けることによつて︑彼自身の研究の封象とする︒然るに経瞼科學一般は︑か
﹂る標準を與へられたるものとして︑直接この問題に關係するを許さぬ︒自然科學は︑此評債現象を孤立せる
個々的現象︑若しくはその外的︑機械的交互作用として観察しそれより普遍的要素を抽出することによつて︑
自からの科學の封象とするのである︒然るに経濟學は︑一の歴史納肚會科學なる限り︑か製る観方を以つては
その研究の封象を構成することは出來ない︒経濟學は︑吐會の成員の評債現象︑即ち杜會現象として︑これを
観察する時︑初めて自からの研究の封象とすることが出來るのである︒
同一客膿に封して評便を行ふ個入が︑相互にこれを意識し︑此事實が各個人の評債行爲に一定の作用を螢む
時は︑蝕に此等の評便者は︑評便者としての祓會を構成する︒吾人は︑か玉る肚會の成員によつてなさる玉評
ロ
貨幣と縄濟儂値二五
,
貨倣mと経濟債値二六
債行爲を︑肚會的評債現象と名け︑か㌧る個人によつて認めらる﹂債値を杜會的債値と名ける︒此に反し︑軍
に弧立せる︑或は箪に外的︑機械的に相互に作用する個人の評債行爲を︑個人的評債現象と構し︑か﹂る評債
行爲によつて生する債値を個人的慣値と名ける︒ω
然る時は肚會科學たる経濟學は後者をそれ自からの研究の封象とすることは出來すして︑前者即ち杜會的評
便行爲並に杜會的債値のみをその封象とするのである︒
然し乍ら経濟學は肚會的評債現象叉は肚會的債値一般を︑その封象として有することは出來ぬ︒此塵にも亦
杜會諸科學の分業が存するのである︒然らば経濟學は一般的なる就會的評債現象並に肚會的債値の如何なる部
分に興味を有するや︑が次に生する問題である︒
元來経濟的評便は︑或客膿に封する肚會人の同一評債の一面にして︑経濟學には一定の経濟的評債現象が他
から別れて與へらる曳ものではない︒杜會的評債現象を一定の見地の下に観察するとき︑鼓に初めて経濟學的
概念としての評便現象が生するのである︒然らば如何なる見地より経濟學はこれを観察するや︒
言ふ迄もなく︑維濟學は彼固有の認識條件に基いて砒會的評便現象を翻察する︒而して其認識條件は既に吾
人が他の機會に於いて述べたるが如く︑私有財産制と分業制である︒㈲故に経濟學の封象としての評債現象は
先づ第一に所有の封象に於いて生する肚會的評便現象たるを要するのみならす︑第二に分業制に基き個人間に
移韓せらる﹂が如き所有の野象に於て生する杜會的評債現象でなければならぬ︒即ち経濟的交通の封象に於い