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経 濟 理 論 と 耐 會 政 策
i﹃滅びゆく階級﹄の學理に就いて
森本博士の敷を乞へる
南亮
三
B 良
(小引)二年前の醤稿︑而かも或る機會にその大部分彪公けにし六論争丈な︑熱も興味も失ぜた今頃になつて重ねて世に問ふ
ことに︑之れに封する公けの示敦な未だ受けて居ないとは云へ︑余に取つて決して愉快な所業でばあ叫得ないし︑叉多くの讃
者にに恐らく迷或でもあらう︒が︑︼度は之れな一纏めにして學術雑誌に掲ぐろ事に依・り︑本論箏の登端が決して余の輩純な
ろ悪意に基づくものでないことな表明すうに︑學徒としての余の責務であろと思ふし︑叉本稿に■は理論経密學並に融曾政策の
出磯貼に關すろ余の︑未熟ながらも根本的な態度が描鋤されてもあろので︑本誌に絵白の生じ六のな機會に之れな鍾に掲げろo
尤も今から考へると様らず思ふ個所もあり︑先輩學者に罰すろものとしては甚だしく禮な失すると思ふ節も勘なからずあるが︑
余の現に專念しつ﹂あろ繁忙事は到底之れな書き改むるな評さないので︑遣憾乍ら多く元の儘にして置い宏︒博士及び讃者に
之れな諒恕されろであらうか︒ー︻昭和二年五月)
﹃滅びゆ↑階級﹄の小評に劃して著者森本博士が時を遽さず詳細の反駁文を恵まれ(註一)︑余の蒙
輝濟理論と砒會政策!一〇七
商學討究第二巻(上)一〇八
を啓かれんとし禿好意を先づあつく謝する︒唯だ博士自からが末節の字句に拘泥して﹃その論駁の
目的物を取違へてゐるから主要な論旨には殆んど一つ竜當つて居らず﹄從つて敷へらる\所極めて
少なかつπのは︑余の甚だしく遺憾とするところである︒余は此庭に改めて余の問題の所在を明か
ヘヘヘへにし︑御迷惑でも竜う一度誠意ある御答辮を乞ひπいと思ふ︒
(註一)小樽新聞大正十四年六月三十日‑七月六日所載︒
前同には余の悪文と︑敷を乞ふ形式の不備との爲めに︑著しく博士の氣を損ねπ乙とは恐縮の外
ない︒但し博士の手酷い御叱責と︑甚だしく﹃非學究的﹄な取扱方に封しては︑余に竜申し上げπ
いと思ふ言葉もあるが(直接論議に何の係はうもないし︑叉凡てが後進を戒めんとする先輩學者の
至情の避bと解して︑今は何事をも差控へよう︒πく余が﹃徒らに誠意のない文を草し﹄﹃根本映陥
など無根の大看板をか\げて﹄博士の﹃愛見滅びゆく階級を尤\きつけ﹄﹃無實の非難﹄を加へんと
しπか︑叉博士の﹃學説を徒らにヤジつカゥ︑ケチをつけカう﹄し泥か否かは︑自から以下の所論
が之を謹明するであらうσ
︑籾て問題は斯うである︒森本博士はその著﹃滅びゆく階級﹄に於て資本家階級の滅亡を豫言して
日はる︑やうー﹃経濟學理の示すと乙うに由ると資本家階級は滅ぶべき運命に囚はれて居るもの
である﹄(三三頁)︒﹃肚會主義思想によるならば勿論の乙と︑資本主義思想によつて竜資本家階級の將
來は︑次第に澱びゆく傾向を有するものであう︑之に反して現在虐げられてゐる無産階級の未來に
は漸次榮えゆく光明が輝き初めてゐるといふ乙とを緯濟學理は謹明して居るのである﹄(三二頁)と︒
之に劃して余が提出しπ問題は︑資本家が滅び勢働者が榮皇ることを謹明すといふ﹃経濟學理﹄
とは抑も如何なるものかといふことであつπ︒而して余の見π所によれば︑之を謹明すといふ︑言
葉の正しい意味に於ける﹃縄濟學理﹄は︑博士の論著の何慮にも見出し得ない︒而して余は︑博士
ヘへが以て﹃減びゆく階級﹄の﹃學理﹄と解せらる\ものを探し求めて漸く二つを得πのである︒その
ヘへ一は﹃アダム・メミスの肚會主義化﹄といふ乙と︑その二は博士濁特の肚會主義観といふ乙とであ
つた︒さうして余は此の二つの立論の全然誤りだといふことを論じ︑右論著のどの頁を探して見て
も階級滅亡を謹明する﹃學理﹄は無く︑有るものは唯だ﹃誤解されπ︑マルクス﹄と︑現代肚會組織
へうヘへの﹃呪ひ﹄に基いた博士自身の猫断的肚會主義だけである︒而して博士の所説を通じての根本映
階ば﹃存在﹄と﹃當駕﹄︑経濟理論と肚會政策との混同に在ると︑かう余は論じ尤と記憶してゐる︒
経濟理論と杜會政策一〇九
商學討究第二巻(上)一一〇
.博士は之を反駁して︑﹃以上の反劃論は︑その立論の基礎に於ても亦論謹法に於ても共に科學的根
擦を有して居ないから慣値を認めない︒か\る誤謬を來すに至るのは要するに私の論文中特に経濟
ヘヘへももヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへ學理に依つて論謹してゐる所を無親して︑學理のない所即ち一種の鮭會政策論から學理を探さうと
しπわ︑私の資本主義思想の一考察論の中から私の肚會主義思想を見出さうとされるのであるか
ら︑無理な議論をなさねばならなくなり︑その論議が償値を失ふ様になるのである﹄と論じ︑所謂
﹃四つの経濟學理﹄を示されπ︒して見ると如何に竜余は﹃故意﹄かそれとも重大な﹃思ひ違ひ﹄
の穴めに︑余の論謹として必要な﹃反謹を少し竜それ等の學理論から求めず﹄︑博士の﹃所謂肚會政
策的結論としての云はぜ所戚叉は所信を述べπ部分のみから殊更に翠げπ﹄こと\なつて非科學的
な論置法だと非難され得る鯨地を残しπやうにも見える︒然し余は博士が難ぜらる︑が如く﹃誰が
讃んでも明かに知れるやうに書いてある﹄﹃乙の明自な事實を無親しπ﹄のではない︒實は余が論議
へもヘへの中心に置いだ﹃アダム・スミスの肚會主義化﹄といふことを除いては︑どの一つの博士の所謂﹃學
理﹄も﹃資本家階級が滅びる﹄といふ事を謹明してゐないと考へπるが故に︑議論の複雑を避くる
ために殊更ら除外したに過ぎない︒されど博土が之︑を以て﹃滅びゆく階級を謹明する経濟學理だ﹄
と揚言さる\以上︑余にとつては少々迷惑であるが︑一慮之に論及する義務があるやうである︒
博士が今同の駁論に於て指摘されカ所によると︑資本家が滅び勢働者が榮皇るといふことを謹明
する﹃維濟學理﹄に四つある︒一勢働慣値説︑二勢資不調論︑三貧乏必要論︑四自由放任主義論即((((◎
ち是である︒きれど私見によれば前の三者と最後の一者とはその學問的性質を粂然異にしてゐるか
ら︑姑く之を分つて先づ前の三者から吟味しよう︒
二=
勢働が債値の源泉だといふ思想は成る程アダム・スミスの學説の中に在る︒勢働者と資本家との
利害が全く相反する竜のだといふことは成る程リカードによつて精細に叙述された︒か㌧る意味に
於て﹃資本主義思想と肚會主義思想の間に多くの共通的な理論が存在して居つて︑マルクス思想の
茄芽が︑スミス思想のうちに包含されてゐる﹄といふことは出來る︒それは誰れだつて否定しはし
ヘへない︒然しそれだからと云って︑之が﹃滅びゆく階級﹄を謹明する學理だなどとは云ひ得ない︒成
る程勢働債値説は一つの﹃學理﹄であう叉勢資不調論は一つの﹃學理﹄であらう︒然し﹃勢働が
償値の源泉だ﹄といふことや﹃勢働者と資本家との利害は相反する﹄といふことは︑その儘では﹃資
ヘへも本家階級が滅ぶ﹄といふ乙とを断じて﹃謹明﹄してはゐない︒﹃資本家階級が滅ぶ﹄といふことを主張
輝濟理論と杜會政策一一一
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商學討究第二巻(上)一陶一ニ
ヘヘヘへもヘヘヘヘヘヘヘヘへするπめには何等か因果法則的な説明を加へねばなら漁︒博士の叙述され虎範園に於ける﹃償値論﹄
や﹃不調論﹄は毫も﹃滅びゆく階級﹄の科學的根撮となつてゐない︒博士の﹃學理﹄は﹃慣値は勢
働よう出づ﹄といふ乙とと︑﹃勢働者と資本家との利害は相反す﹄といふことより説明し得ない筈で
ある︒
それが一つの﹃學理﹄であるがπめには1分けても一経験科學としての経濟學の學理であるが
控めにはf﹃斯くあう﹄といふ乙とより説明し得ない筈である︒否︑更らに突き詰めて論ずれば︑
経濟學が一歴史的文化科學としての濁自の地位を確保し得んがためには︑時庭を超えπ抽象的普遍
法則の樹立ではなくて︑時・庭に制約された維験法則の樹立にのみ從はねばなら諏︒にも拘らず博士
へもへもへは此の論理の制約を無覗して﹃勢資不調﹄といふ剣断から直ちに﹃資本家階級は消滅すべきもの﹄
といふ到断に移らる\︒即ち博士は勢働者と資本家との利害の相反する所以を述べた後で肚會主義
者の意見として︑﹃彼等(資本家)は肚會生活に不必要な階級であつて︑人類肚會の寄生鍛である︒
ヘヘカヘへ從つて眞に生産にπづさはつてゐる勢働者の利盆のだめに資本家階級は消滅すべきものであると論
めヘへずる﹄と記して居られる︒が之は果して博士の所謂﹃學理﹄ー然う︑滅びゆくといふことを科學的
に謹明する﹃経濟學理﹄1と如何なる關係を有つてゐるのであらうか︒
●
乙\に改めて博士に申上ぐるまで竜なく︑﹃領値は勢働よう出づ﹄といふ命題や﹃螢働者と資本家
との利害は相反す﹄といふ命題は一つの事實制断1その當否は鼓で問題でないーである︒反之
ヘヘへ ﹃資本家階級は消滅すべきもの﹄といふは是れ明かに一つの債値劉断である︒去う乍ら事實判断か
ら償値制断が常然且っ必然に生ずるものではなく︑﹃べし﹄として要求さる\ものは﹃斯くあう﹄と
いふ事實より出つるものではない︒一般的に謂つてゾレンはザインよう引出し得るものではないか
らである︒一経験科學としての吾が縄濟學は此のザインの法則から成立せねばならない︒但し余は
此の立言を以つて護者が︑リッケルトの意味に於ける﹃實際的慣値判断﹄(℃養互︒︒9︒を︒量夷)と
﹃理論的慣値關係﹄(些090房︒冨をo﹃旨爲一9琵σq)との囁別を余が自から混同して前者と同時に後者
を竜排除しつ\ある竜のと︑速断されざらむ乙とを望む︒否な余は経濟學概念構成に際しては﹃慣
値關係的方法﹄に擦るべきものなることを信じつ\あるものである(註一)︒乙㌧では唯だその問題の
前段階に横允はれる﹃存在﹄と﹃當駕﹄との問題を論じてゐるのである︒而して卑見によれば此の
見易きザインの問題とゾレンの問題とを混同して事實判断よb直ちに償値制断が出つるものと考
へ︑更に之を掛橋として↓滅びゆく﹄てふ判断に飛び移らんとする冒瞼を敢てされπる所に︑博士
所論を通じての根本映陥はあるのである︒博士の頭胎を以つてせずしては到底解し難き論理の経過
郷濟理論と砒會政策コ三
O
商學討究第二巻(上)
を次に表示して見よう︒(黙線はその間に何等論理的關係なき乙とを示す︒)
鴉ー罪噺
﹃再ハO扇萄π塒鐸躰己岳
も﹄﹃蹟圏鎌伴城管欄伴G
鰍昌噛π孟園叫﹄
(掘域琶攣)
(註二) ← 験B潭
﹃坤皆粥轟憲π毒嬉叫λ卿
●●●酌eぺぴが﹄
(殉爾琶聾) ← 一一四
蟄 田 簿
﹃蹟景槻麗憲π蕩q§︿﹄
●●●●
(摯櫃言弟翌)
●○●
此の鮎に關する卑見の一端は國民経濟雑誌第四十一巻第三ー六號所載拙稿﹃経濟概念と経濟原則﹄に於て論じ穴︒
如上︑経濟理論的研究と實際的慣値制断の囁別は燗眼なるマルクスやエンゲルスの夙に看取しπ
所である︒マルクスに取つては︑勢働が債値の源泉であるといふことや︑資本家が勢働者を搾取す
るといふことは軍に一つの事實であつて︑それが直ちに彼れの肚會主義的結論の基礎となつ尤ので
はない︒反之︑然ういふ立場を採つたものは彼等自から極力反封しπ所の︑ロォドベルヅス︑プル
ードン等の倫理的肚會主義者であっπのである︒前段に於ては余は此の黙に鯛れることなく專ら方
法論的見地から論を進め來つπのであるが︑博士にして若しその論の根擦をマルクスの勢働償値説
にあき︑之を以つて恰かもその肚會主義的結論の最後の城壁なるかの如く主張されるならば︑余は
敢て︑﹃資本論﹄第二蓉及び﹃哲學の貧困﹄の序文に於けるエンゲルスの激烈なる論駁と辮明とに聴
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